鬼滅の流儀   作:柴猫侍

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壱章.出会い
壱.青藍氷水


 

 

 僕は忘れない。

 

 

 

 藤の花が狂い咲く中、君と出会い、約束を交わしたことを―――。

 

 

 

 ***

 

 

 

 鉄錆の臭いが立ち込める。しかし、ふと吹き抜ける夜風が不快な血の臭いを攫っていった。

 季節外れの藤が咲き誇る山の名を「藤襲山」。一年中藤の花が狂い咲く、一見美しい山だ。

 だが、そこで行われるのは行楽ではなく、断末魔が上がり、人間の血と肉が飛び散るような世にも恐ろしい宴だった。

 

 最終選別。

 人を喰らう化け物「鬼」を滅殺し得る剣士かを見極めるための試験である。

 政府非公認組織「鬼殺隊」が取り仕切る最終選別では、各地に存在する「育手」の下で鍛錬を積んだ剣士が、一週間鬼が解き放たれた藤襲山で生き延びることで、鬼殺隊の剣士として認められることとなる。

 合格条件は前述の通り「一週間生き残る」、ただそれだけ。

 しかし、生き延びる者はそう多くはない。解き放たれた鬼は、いわゆる異能も持たぬ雑魚鬼。それでも勝てない剣士は鬼に殺され、その後は死体も残らず貪られる。辛うじて残るのは身に纏っていた衣服の切片か、人と呼ぶには余りにも小さい肉や骨の破片だけ。

 残酷な結末だが、それを受け入れなければならぬほどの地獄が、彼等の先には待ち構えている。

 

 自ら死地に突き進んでいることを自覚しながら、襲い掛かる苦難に打ち勝っていく。

 その覚悟がなくば、鬼殺隊にはなれない。鬼の手から人を守り切ることが叶わないのだ。

 

 そうして始まった最終選別一日目。

 長期間人肉を喰えず飢え、ますます獣染みた鬼が、こぞって選別を受けた剣士に群がる日。始まりであり、最も多くの者が地獄を見る日だ。

 そんな緒戦を迎える日、獣の咆哮の如き怒号が上がった。

 

「はあああぁー!」

 

 花柄の着物を靡かせる少女。頭には狐のお面を被っている彼女は、その愛らしい顔に似合わない険のある顔で、対峙する鬼に刃を振るっていた。

 一閃する度に血飛沫が上がり、辺りに漂う鉄錆の臭いはより濃厚になっていく。

 

 頚を特殊な刀―――日輪刀で断ち切らぬ限り、どれだけ斬っても切りがないのが鬼の体だ。

 それでも低級の鬼であれば再生する速度を遅らせることができる。

 しかし、厄介なことに彼女が対峙する鬼の再生速度が遅くなる気配は見えなかった。

 

 手、手、手―――。

 どこを見ても手を窺える巨体を有す醜悪な姿かたちの鬼だ。

 人を一、二人ほどしか喰らっていない鬼しか閉じ込められていない藤襲山においては、明らかに剣士に求める基準を逸した強さを誇る異形の鬼。

 すでに数人犠牲になったようであり、周囲には体の一部が欠けるなどして食い散らかされた死体が幾つも転がっている。

 

 それを見ても尚、果敢に立ち向かう少女の名は「真菰」。

 元水柱の育手・鱗滝 左近次によって鍛えられた孤児であった。

 可憐な見た目をしながら、華奢な体で縦横無尽に駆け回り、手鬼に刃を振るう様には鬼気迫るものがある。

 

 それは対峙する鬼が兄弟子の仇だからというのが最たる理由。

 歯を砕けんばかりに食いしばる彼女は、赫怒の熱を全身に迸らせて疾走する。

 

 全集中・水の呼吸 弐ノ型 水車

 

 前方に宙返りして繰り出される斬撃が、伸ばされる数多の手の内の一つを斬りつけた。

 しかし、岩のように硬い皮膚を前に、彼女が繰り出した斬撃は思うような結果を刻むことができない。

 思わず苦虫を噛み潰したような顔を浮かべる真菰。一方で、手鬼はと言えば、彼女の様子を己の手に守られた隙間から覗き、下卑た笑みを浮かべていた。

 

「お前……動きがガタガタになったなぁ……!」

「くっ!?」

 

 迫りくる無数の手。これには俊敏さに自信のある真菰でさえ、多勢に無勢と回避に徹しようとする。

 だが、余りの怒りで呼吸が乱れている彼女の動きは繊細さに欠けていた。

 その僅かな綻びが命取り。

 自身を捕えようとする手を避け、あるいは捌いていた真菰の足元から、複数の腕が生えてきた。辛うじて直前で飛び退いて躱した真菰であったが、そこからがいけない。空中では自由に身動きが取れないからだ。

 

 それを待っていたと言わんばかりに手鬼の目が嗤う。

 即座に別の腕が真菰の両手両足を掴んだ。宙で大の字に四肢を広げられる真菰は、痛みは勿論のこと、自身の置かれた状況に言葉を失った。

 

―――死

 

 剣を振れない以上、自分には何もできない。

 鬼の力は人の力のはるか上をいく。

 だからこそ、人は少しでも鬼に対抗できるよう、死ぬほど血の滲むような努力を重ねて全集中の呼吸を体得するのだ。

 それがどうだ? 今は、仇敵を目の前にした赫怒の余りに呼吸が乱れ、結果的に何の抵抗もできぬようになってしまったではないか。

 

 不覚。痛恨の極みだ。

 自身の不甲斐なさに涙が零れ落ちそうになる真菰だが、血が出るほど唇を噛みしめ、必死の抵抗を試みる。

 

「ひひひ……!! 無駄だ無駄だ……!! 諦めの悪い奴は嫌われるぞぅ?」

「五月蠅い……黙れ……!!」

「悔しいなぁ? 心底俺のことが憎いだろうに、こうして八つ裂きにされるのを待つしかないんだからなぁ……!!」

「っ―――!!?」

 

 四肢を掴む手に力が籠められ、肉が―――そして骨が悲鳴を上げる。

 今まで腕や足が千切れそうになるくらいの鍛錬は積んできたつもりだ。しかし、実際に四肢を千切られる痛みは想像を絶するものであった。

 鬼を滅殺する剣士となる以上、いつ死のうとも最期は無様を避けようと誓っていた考えを、四肢に迸る灼熱が焼き払っていく。

 

「あああああッッッ!!!」

 

 意思と裏腹に喉から放たれる悲鳴が、藤襲山中に響きわたる。

 ブチブチと奏でられる厭な音と、それを掻き消す悲鳴に耳を傾ける手鬼は、この上ない愉悦に浸るかのような笑みを湛えながら叫ぶ。

 

「なけ! なけ!! もっとなけぇ!!!」

「うっ、ぐっ……!!」

 

 文字通り真菰を弄ぶ手鬼だが、そんな彼の思い通りにならないと真菰は歯を食いしばり、悲鳴を抑え込む。

 しかし、今はそんな彼女の抵抗さえ興に過ぎない。

 

「鱗滝なんかと出会わなければこうはならなかったのになぁ?」

「ッ!」

 

 口にした名は真菰の恩人。そして、手鬼にとって自身を藤襲山に閉じ込めた恨む相手。

 真菰のような彼の弟子を甚振るのは、数十年藤襲山に幽閉される手鬼にとって恨みを晴らす絶好の機会なのだ。

 彼等の悲鳴を浴び、絶望を目にし、バラバラの肉片に遊び倒して喰らう―――そのためならば労力は厭わない。

 

「あいつも本当に酷い人間だ……いや、鬼だ! 心底育てた奴が可愛ければこんなところに送らないだろうに……」

 

 「うるさい」とか細い声で抗う。

 

「鱗滝はお前のことを鬼を殺す手駒の一つくらいにしか思ってないんだよ」

 

 「うるさい」と荒々しい声を漏らし、腕に力を籠める。

 

「人の心がないのさ、あいつは。お前らは愛されていない。だからこうして俺にむざむざ喰い殺される……」

 

 「うるさい」と涙ながらに睨みつけ、血が滲むほど日輪刀の柄を握りしめる。

 

「無様に死んでいったお前の兄弟子たちのようになあああああ!!!」

「うるさあああああああああああああああああああああい!!!」

 

 絶叫が轟く。

 四肢から肉が潰れる不快な音を漏れるのも厭わず、真菰は血涙が流れる勢いで叫んだ。

 

「鱗滝さんを悪く言うな!!! みんなを……錆兎たちを悪く言うなああああああ!!!」

「ひひひひひ!!! ―――滑稽だなぁ?」

「ぐぅ!!?」

 

 今度こそ冗談では済まされない音が四肢から漏れた。

 サッと顔から血の気が引いた真菰。それはただ散々握りしめられた四肢から血が流れているだけではなく、これから起こることを予感したからだろう。

 

 口元の見えない手鬼が粘着質な笑みを湛えながら、真菰を掴み上げる手を横へ横へと広げる。

 

「あっ……あぁっ……!!?」

「安心しろぉ。真っ二つにならないよぉに丁寧に……じっくりと……お前の四肢を引きちぎってやる……!!」

「うぐっ……つぁ……!!」

「ひひひっ! 血を失って死ぬにも時間はかかるぞぉ? まあ、お前が痛みで死ななければの話だが」

「ふぅー……!! ふぅー……!!」

「そうだ!! どうせなら、お前の血と汗の滲んだ刀で頚を斬ってやる!! 怖いか? だったら見えないように鱗滝からの贈り物のお面を被せてやるからなぁ……!!」

「―――」

 

 絞り出せるものは絞り出した。

 声も、力も、涙も。

 それでも約束は果たせそうにない。帰るという約束を。

 

「―――ごめん、なさい」

 

 最早痛みさえおぼろげになった真菰は、辺りが冷え込むような感覚を覚えた。

 命の灯が消える錯覚なのだろうか? なんとなくそう思い立った真菰であったが、

 

(……何? この……“音”……?)

 

 朦朧とする意識の中でも凛と鳴り響く音が意識を呼び戻す。

 

(吹雪みたいな……)

 

 耳を劈く甲高くも激しい風―――否、呼吸の音。

 刹那、真菰は怒涛の雪崩を幻視した。

 

 全集中・氷の呼吸 陸ノ型 白魔の吐息

 

 舞い降りる人影が振るった流麗かつ激しい剣閃が、真菰を掴んでいた腕を斬り落とす。一瞬の内だった。

 水の呼吸に似て非なる技を繰り出した人物は、拘束が解けて落下する真菰を抱きかかえて着地する。手鬼は何が起こったのか目を白黒させていた。

 その間にも、文字通り真菰を鬼の手から救い出した()()は、朦朧とする彼女の意識を呼び戻すべく声を上げた。

 

「大丈夫!?」

「う、ぁなたは……?」

 

 鈴の音にも似た澄んだ声。夏の風に揺られる風鈴を彷彿とさせる心地よい耳障りだ。

 藍色の瞳でのぞき込む少年は、真菰の問いに答えようと口を開こうとした。

 

「よくもぉぉおおおおお!!!」

「!」

 

 そこへ割り込む巨大な腕。

 直前に何かを感じ取っていた少年は即座に飛び退き、獲物を奪われ怒り狂う手鬼の猛攻を避ける。

 

 全集中・氷の呼吸 参ノ型 細氷の舞い

 

 舞うように猛攻を掻い潜る少年。体を翻す度に、握る刀は月光をその刀身に映し、淡い光を辺りにまき散らす。

 手鬼も瞠目するほどにキレの良い動き。人一人を抱きかかえているとは思えない速さだ。

 ここで少年にとって幸いだったのは、真菰が華奢な体をしていたことであろう。確かに同じ体格の少女に比べれば、筋肉の密度からしてやや重い真菰であるが、それでも軽いことには軽い。そのため、かなりギリギリではあったものの、少年は手鬼の猛攻を回避しきることができた。

 

 しかし、それも延々と続ける訳にはいかない。四肢をもがれようと再生する不死性を兼ね備えている鬼に対し長期戦を仕掛けるのは余りにも悪手。

 攻勢に転じるにせよ撤退するにせよ、早々に決断を下さなければならない。

 

 少年が出した答えは、

 

「これでも……喰らえ!!」

「むおっ!?」

 

 徐に懐から取り出した小袋を切りつけ、手鬼に投擲した。

 中に入っていたのは乾燥した藤の花。鬼にとって藤の花の香りは近寄ることのできない臭いであり、それを利用して藤襲山に鬼は閉じ込められているのだ。

 例え小袋に詰め込まれていた量だとしても、顔面に喰らえば怯むのは必至。

 少年の狙い通り、眼前で拡散する藤の花の香りに委縮した手鬼の攻撃の手は緩んだ。

 それでも尚迫りくる複数の手に対し、少年は真菰を一旦地面に置き、刀を振るった。

 

 全集中・氷の呼吸 弐ノ型 霰斬り

 

 縦と横。規則的に振るわれる単純な斬撃であるが、その鋭さは目を見張るものであった。

 気が付けば手鬼の手は賽の目以下の大きさに切り分けられ、最早少年と真菰に手出しできぬ有様となったではないか。

 

「今だ!!」

 

 手鬼は怯み、攻撃の手も止まった。

 引き際だと確信した少年は、地面に置いた真菰を再び抱きかかえ、手鬼の前から逃げ去っていく。

 背後から手鬼の怨嗟のうめき声が響くが、振り返らず、一心不乱に駆け抜ける。

 そうしていれば数分後には手鬼の気配の届かぬ場所まで逃げ切った。

 

 真菰を抱きかかえ走り切った少年の顔には、流石に疲労の色がにじみ出る。

 

「これで……」

 

 ふと視線を落とす。

 目に入ったのは、穏やかな寝顔を浮かべる少女。

 幸いにも呼吸は穏やかだ。きっと体力と緊張の糸が切れて眠ってしまったのだろう。

 

 それから空を見上げる。

 まだ、夜は明けそうにない。

 

 

 

 ***

 

 

 

 幸せな夢を見ていた。

 恩師と兄弟子に囲まれ、温かな笑顔を浮かべて食卓を囲む―――そんな何気ない一幕だ。

 

 だが、何気ない日常こそが幸せであると知ってしまった以上、自分は不幸な身なのではないか?

 そう思い至った瞬間、生暖かい血の臭いが真菰を現実に引き戻した。

 

「つっ……!」

「大丈夫?」

 

 四肢に走る激痛に顔が歪んだのと同時に、傍らに佇んでいた少年が声をかけてきた。

 静謐な藍色の瞳に、倒れた自分の姿が映り込む。

 そうして自分が今置かれた状況をだんだんと理解し始めた。

 

 痛みが五体満足であることを知らせてくれる。

 それからなんとか体を起こそうとするものの、「ダメだよ!」と制止する少年の声に、自然と体は従ってしまった。

 どうやら自分が思っている以上に疲弊してしまったようだ。

 戦い、怒り、その末に甚振られた。なるほど、確かに死ぬように気絶したのも致し方ないように思える。

 

「貴方は?」

「僕?」

 

 すると知りたくなってくるのは自身を助けてくれた相手のことだ。

 

「僕は氷室 凛。氷室が苗字で、凛が名前」

「凛……綺麗な名前だね」

 

 率直な感想を述べれば、凛と名乗った少年は少し恥ずかしそうにはにかんだ。

 

「ありがとう。それじゃあ、君の名前は?」

「私は真菰……苗字はないや」

「……そっか」

「聞かないの? 理由」

「うん」

「優しいんだね」

「そうかな?」

「うん、優しい」

 

 まだ意識がおぼろげな所為か、返答が端的となってしまったが、凛の気を悪くさせずには済んだ―――というより、寧ろ喜ばせたかもしれない。

 先ほどまでの殺伐とした死地からの生還故か、どことなく気が緩んでいる感は否めない。

 真菰の生来の性格もあるだろうが、とても鬼が潜んでいる山にて交わされる会話ではなかった。

 

 それからしばらく、茫然と横たわっていた真菰であったが、ハッと思い出したかのように目を見開いた。

 

「あいつは!?」

「あいつ……って?」

「手がたくさんの! あいつを……あいつだけは! っ!?」

 

 全身の血が沸き立つような怒りが真菰を駆け巡る。

 無理を押して立ち上がろうとするも、現実は甘くはない。すぐさま四肢に激痛が奔り、地面から離れた背中は今一度地面に預けることとなった。

 

 なんと無力なことだろう。

 己の力で起き上がれない事実に、真菰はさめざめと涙を流した。

 

 その様子を見守る凛は、得も言われぬ面持ちを浮かべたまま周囲に気を配っている。まだ日は昇りそうにない。いつ何時鬼に襲われようと対処できるよう、身構えてなければならないのだから、並大抵の精神力では一週間生き延びることはできない。

 

 悲鳴を聞いて駆けつけた凛もまた鬼殺隊を志す少年だ。

 守れる人間が居るならば、命を賭して守り抜く気概に溢れている。

 しかし、想定よりも強力な鬼の存在を知ったからには、銀盤のように動揺しない精神を心掛けていた凛にも、一抹の不安が過った。

 

 あの手鬼は、どうにも真菰に特別な感情を抱いているようだ。

 その一方で、真菰もまた手鬼に対する特別な感情を抱いている。

 憎しみ、怒り、哀しみ―――彼等から感じる“熱”は、幾星霜を経たであろう複雑な熱さと冷たさが入り乱れていた。

 

「―――良かったらでいいんだけど」

 

 少しの思案を経て、やっとの思いで口にした当たり障りのない言葉。

 真菰は弾かれるように凛を見上げる。

 そんな彼女に対し、凛は覚悟の決まった面持ちを浮かべ、語を継いだ。

 

「聞かせてくれないかな。君が……吐き出したい想いがあるなら……」

「……うん」

 

 慮るような優しい声音。

 潤んだ視界を明瞭にするべく、一旦瞼を閉じる真菰。

 頬を伝う熱が夜風に晒されて、胸の内で渦巻く赫怒の熱を奪い去ってくれる。

 そうして僅かばかり冷静になれた真菰は、零れ落ちる雨垂れのように言葉を紡いだ。

 

 鬼に家族を殺された―――よくある話だ。

 鬼に大切な人を殺された―――よくある話だ。

 鬼に恩人が悲しませられた―――よくある話だ。

 

 そんなありふれた残酷な悲劇が、真菰を鬼狩りへと志せるに至った。

 

「でも、馬鹿だよね私……どんな時でも冷静に呼吸を乱すなって教えられたのに……それでもあいつが憎くて堪らなくて……それでこのザマになっちゃった……本当にっ……!」

 

 振り返る度に己の無力さを突きつけられているようで、真菰の瞳からは滂沱が零れ落ちる。

 こんなに泣いたのは兄弟子の錆兎が死んだと聞かされた時以来だった。

 辛うじて生き残ったもう一人の兄弟子は、彼が死んで以来、笑顔どころか顔を見せることも少なくなってしまった。

 家族同然に育った彼等と、どうしてこうも離れ離れにならなければならないのだろうか。

 どれだけ鍛えて体が強くなろうとも、精神(こころ)までが急激に成長することなどなかった。そうだ、今までずっと泣いていた。表に出さない涙があった。それが自分の努力を嘲笑する結果を突きつけられ、とうとう我慢できなくなったのだ。

 

「悔しい……悔しいよぅ……!!」

 

 痛い。痛い。痛い。

 腕も脚も胸も、みんなみんな痛くて堪らない。このまま悶え苦しみそうな痛みが絶え間なく襲い掛かって来る。

 

 そんな彼女の壮絶な人生を耳にした凛は、悲痛な面持ちを浮かべたまま、しばし思案する。

 月並みな言葉をかけても慰めにならないとは分かっている。それでも慰めずには居られない。

 

「―――僕は……鬼の胎内(はら)から産まれた」

「え……?」

 

 思いもよらぬ境遇を告げられ、真菰は泣くことも忘れて呆気にとられた。

 

「それってどういう……」

「僕を身籠っていた時に母親が鬼にされたらしいんだ。他の家族は母親に皆殺しにされた」

「そんな……」

 

 なんと凄絶な過去か。真菰は絶句した。

 真菰も鬼に家族を殺された経緯はあるものの、鬼になった身内が、まさか自分を身籠った状態で家族を殺して回ったなどとは聞いていない。気を利かせた恩師が告げていないだけかもしれないが―――いいや、単に想像したくないだけだ。

 自分にも負けず劣らずの過去を告げられた真菰は、なんと返答したらいいものかと困惑する。

 すると、

 

「でも、僕は母親を憎んでないよ」

 

 と言うものだから、これまた真菰は言葉を失った。

 

「僕を育ててくれたお師匠様……育手が言ったんだ。僕を産んだ母親が、鬼の本能を必死に抑えて僕を託してくれたって」

「嘘……」

「だから僕は母親は憎んでない。憎めない。母親もわざと家族を喰い殺した訳じゃないから……君みたいに逆恨みで大切な人達を奪われた訳じゃないから」

 

 悲しげな笑顔を浮かべて凛は語る。

 

「君は強いよ。僕みたいに何も分からない間に大切な人を奪われた訳じゃない……きっと、たくさん悲しんで、たくさん怒って、それでも立ち上がって前に進んできたんだよね?」

 

 徐に真菰の手を取る凛。

 掌は年端も行かない少女のものと思えぬほどに分厚い皮に覆われていた。どれだけ刀を振れば、ここまで逞しく育つのだろうか。皮が裂け、あるいは剥がれたことは数度の話ではないはずだ。

 

「だったら、これ以上自分を責めないでほしい……って、僕は思う」

 

 真菰は悪くないから、と凛は締めくくった。―――今にも泣きだしそうな面持ちを浮かべながら。

 

 心底同情してくれていることは伝わってくる。

 その点に関しては素直に嬉しく思う真菰であったが、

 

「でも……ダメなんだ、やっぱり」

「! まだ動いちゃダメだよ! 簡単な手当てはしたけれど……」

 

 激痛に蝕まれる体を気合いだけで起こす真菰。

 「想い」と呼ぶには悍ましい……最早「執念」の域に達する感情を原動力が彼女を突き動かしていた。

 

「凛が、私の所為じゃないって言ってくれたのは……情けないけど……本当に嬉しかった……心が救われた……でも……でもね……!」

 

 ギリッ、と鳴り響く歯軋りは、他者に齎される慰めと己の内に渦巻く自責の念の歯車の不和が奏でるもの。

 

 慰めで済まされるものであってはならないのだ、この感情は。

 錆兎が殺されたことも、義勇と鱗滝が悲しんでいることも、自分が怒りの余り鬼に不覚をとってしまったことも、

 

「『仕方なかった』じゃ……済ませたくないの……ッ!」

「ッ……!」

「誰かが死ぬのも……私が殺されるのも……全部他人の所為にしたらッ! 逃げ道ばかり作ったらッ! なりたい自分から……どんどん遠くなっちゃいそうな気がするから……!!」

 

 血反吐を吐く勢いで想いを吐露する真菰は、日輪刀を杖に立ち上がった。

 痛み止めを塗り、包帯をきつく巻いて処置した手足であるが、常人では立つことさえままならない激痛に苛まれているはずだ。

 それでも真菰は立ち上がったのだ。今ここで立ち上がらないことを「仕方なかった」で済ませたくない―――その一心で。その道の先にある目的はただ一つ。

 

「私は仇をとる……! あの鬼を……斃す!!」

「真菰……」

「ありがとう、凛。貴方に会えてよかった。それと、ごめんなさい。貴方の気持ちを無下にするような真似をして……でも、これは誓ったことなの。私がやらなくちゃいけないって。仇をとって帰るんだ」

 

 そう告げて真菰は凛の前から立ち去ろうと踏み出した。

 向かう先は当然、先ほど相対した手鬼の下。先ほどは怒りで不覚を取ったが、今度はそうはいかない。

 しかし、それを帳消しにするほどの負傷を真菰は負っている。

 全快でも頚を斬れるかどうかの相手に対し、今の真菰が手鬼に勝てる確率は―――零に等しいだろう。

 それでも真菰は止まらない。今の彼女は誰が止めたとしても突き進む。

 そのような頑な意思(ねつ)を凛は感じ取った。だからこそ、

 

「待って」

「止めないで。私は―――」

「違う。君が行くことは止めないよ」

「え?」

「僕も付いて行くよ」

 

 思わぬ申し出に、真菰の翡翠色の瞳が見開かれた。鳩が豆鉄砲を食ったような顔とはまさにこの顔だ。

 

 自分の復讐に他人を付き合わせていいのだろうか?

 

 自問自答する挙動を見せる真菰に対し、凛はフッと微笑みを零す。

 

「怪我した女の子をほっとけないよ」

「……そっか。ありがと!」

「でも、約束して」

「?」

 

 首を傾げる真菰に対し、凛は小指を差し出す。

所謂、指切りげんまんだ。

 

「自分の命を捨てるような真似だけはやめて。わかった?」

「……うん」

「もしもの時は……僕が君を守るから。絶対。約束する」

 

 とことん目の前の少女の心中を慮る言動をする凛。

 そんな真っすぐな少年の姿に、真菰もついに温かな笑顔を浮かべることができた。

 そのまま二人の小指は結ばれる。少しばかり固くなった皮が擦れてこそばゆい感覚がするものだから、思わず笑い声も零れてしまった。

 

 穏やかな温もりが二人の間に流れるのも束の間、空気は一気に引き締まる。

 

 

 

 日輪刀を握り、いざ赴かん―――鬼退治へ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 手鬼は憤っていた。

 折角捕まえた狐娘(まこも)を、どこの馬の骨とも分からない鬼狩り()()()に奪われたことに。

 

「ひひひ。だが、まだだ……あいつは来る……絶対に……!」

 

 しかし、同時に真菰が自分を討ち取りに来ることを確信していた。

 この悶々とした気分は、再来する怨敵の弟子を殺すことで晴らそう。

下卑た笑みを浮かべ、そう誓う手鬼であったが、

 

「―――来るのが早かったなぁ」

 

 ざりっ、と砂利が踏みつけられる音のする方向へ振り返る。

 そこに居たのは、自身から少女を奪い去って行った少年であった。

 

「お前……お前お前お前えええええ!! よくものこのこと顔を出しに来たなあああああ!!」

 

 とんだ八つ当たりだ。

 だが、手鬼は省みない。だからこそ平然と殺せる。喰らう。哀しいことに、鬼であればほとんどがそうなのだ。

 そんな実情を知っているからこそ、彼に兄弟子たちを殺された真菰の話を聞いた凛は、手鬼に相対しても尚、その瞳に憎しみは一変も宿っていなかった。

 

「ふぅー……」

 

 肺に空気を取り込む。取り込む。極限まで取り込む。

 すると全身に煮え滾るような熱が迸り、力が間欠泉の如く沸き上がって来る。

 これが“全集中の呼吸”の極意。人が鬼と戦う為、一時的に鬼に匹敵する力を得る為の技術だ。

 

―――ビュォォオ……!!

 

 そして息を吐き出せば、吹雪に似た音が周囲を奔っていく。

 これには手鬼も思わず身構えると同時に、体が凍てつくような錯覚を覚えた。

 

―――こいつは……不味い!

 

 脳裏を過るのは、怨敵・鱗滝の姿。

 使う呼吸の流派が違うのは知識に乏しい手鬼もなんとなくであるが理解できる。だが、この身の毛もよだつ寒気は、あの時と同じだ。

 

「う、うおおおおおおおおおお!!!」

 

 雄たけびが轟く。

 同時に、手鬼から伸ばされる無数の手が、地面を抉り、木々をなぎ倒しながら凛の下へ突き進んでいく。

 真面に食らえば一たまりもない。量も、質量も

 しかし、凛は面と向かう。極限まで研ぎ澄ませた集中力の前には、怖れや怒りさえも問題としない。

 

 

 

 全集中・氷の呼吸 拾ノ型―――

 

 

 

 月影を浴びる刃が閃き、宙に六花を描いた。

 刹那、凛へ群がるかの如く伸ばされた腕が斬り飛ばされ、鮮血が咲き誇った。

 

 これこそが、水の呼吸の派生―――氷の呼吸の十ある型の内の一つ。氷の如く滑らかに、それでいて鋭い斬撃を無数に繰り出し、相手に血の華を咲かせる奥義。

 

「―――紅蓮華(ぐれんげ)

「な……にぃ!!?」

 

 たった一瞬の内に無数の手が斬り落とされたことに、手鬼はあからさまに動揺していた。

 藤襲山に来てからというもの、最も手古摺った宍色の髪の少年と同等―――否、もしかするとそれ以上かもしれない剣の腕だ。

 加えて、

 

「!? 手、手が!! 手がぁ!! 手が再生しないいいいいい!!?」

 

 あれほど真菰を苦しませた再生能力を見せていた手鬼の手が、一向に生える素振りを見せない。

 一体なぜ? 何度も何度も疑問を解こうと思案を巡らすも、斬られた断面は仄かに煌めくばかり。それと関係するか否か、手鬼は腕が凍り付くような鋭い痛みに襲われていた。

 

 飲み込めない現実に狼狽するも束の間、凛の背後より小さな人影が飛び出した。

 それは真菰だ。手足には痛々さを感じさせる包帯が巻かれており、無理に動かしている故の激痛に苛まれているのか、表情も一段と険しい。

 

 凛が道を切り開き、真菰がトドメを差す。そういう算段なのだろう。

 

 そう思い至った瞬間、手鬼の顔からは焦燥が消え失せ、代わりに余裕が浮かび上がる。

 

(こいつは俺の頚を斬れはしない!)

 

 慢心。いや、先の一戦で得た事実を鑑みた上での余裕だ。

 少年ならばいざ知らず、この狐娘に俺の頚は取れない―――そう確信していた手鬼であったが、風の逆巻く音にハッとする。

 

 空気の流れが変わった。

 

 

 

 全集中・水の呼吸 拾ノ型 生生流転(せいせいるてん)

 

 

 

 うねるように龍の如く回転する真菰が、差し向けられて手を斬り飛ばした。

 

「馬鹿なっ……!?」

「はああああっ!!!」

 

 一閃、二閃、そして三閃と流れるように繰り出される真菰の斬撃は、次々に行く手を阻む手を斬り飛ばしていき、手鬼へと迫っていく。

 

―――不味い、不味い、不味い……!

 

 まさか、侮っていた女が―――しかも手負いの―――このような隠し玉を持っているとは夢にも思わなかった。

 それほどまでに手鬼を追い詰める真菰が繰り出したのは、水の呼吸最大の連続攻撃、「生生流転」。うねるように回転して繰り出される斬撃は、一撃目よりも二撃目が、二撃目よりも三撃目が……といったように、次第に威力を増していく。

 その反面、体に強いる負担は他の型の比ではなく、四肢を痛めた真菰にとっては諸刃の剣に等しい攻撃であった。

 

―――この一撃に全てをかける!

 

 痛む体に鞭を打ち、流れるような斬撃を放ちつつ前へ前へと突き進む真菰は、手鬼の頚に間合いが到達するもう少しというところまで迫り、飛び上がった。

 迫りくる死の気配。手鬼の掌には尋常でない手汗が滲む。

 だが、()()()は残してある。

 

「お前も……あの宍色の髪の餓鬼と同じように頭を潰してやるぅ!!!」

「!」

 

 本来、頚を斬られぬようにと頭部を覆っている手が、跳躍して宙に居ることで自由の利かない真菰へと迫っていく。

 少しでも真菰の行く手を阻むようにと広げられる掌。真菰の視点からすれば世界が暗転したも同然であった。

 

 それでも真菰は止まらない。止まれるはずもない。

 直前に手鬼が口にした宍色の髪―――錆兎のことだ。

 彼の殺し方を告げられ、冷静になどなれはしない。

 爆ぜる怒りが体を突き動かす。そのままでは頭部が掌にすっぽりと収まり、握り潰されるであろう軌道を描いていた真菰であったが、限界まで体を捻り、頭を傾けた。

 するとどうだろうか。完全に真菰を握り潰す算段であった手鬼が掴んだのは、真菰の側頭部にあった狐の面―――厄除の面であった。

 どれだけ目を見開こうとも、事実は揺るがない。

 自分が握り潰したのは厄除の面だけ。真菰は依然迫っており、頚を狙える間合いへと入り込んだ。

 

 刹那、手鬼はとある記憶を走馬灯のように思い出した。

 誰か―――とても親しい誰かが伸ばした手を優しく包み込むように掴んでくれる。温かく、それでいて途方もない悲しみを覚える思い出。

 だが、どうしてだろう。いつも手を取ってくれた者の顔を思い出せない。

 まるで、どれほど手を伸ばしても届かない場所に居るようで―――。

 

「あああっ!!!」

 

 鮮烈な痛みが頚に奔ったのは、そんな走馬灯が脳裏を過った直後だ。

 龍が尾を薙ぐような軌跡を描く刃が、今まで誰にも触れることを許さなかった手鬼の頚を斬り飛ばした。

 飛び散る鮮血が描く弧とは対照的に、真菰の振り抜く日輪刀の刃は月光を照り返し、淡い青色の残光の弧を描いている。

 

(やった……やったよ、錆兎……義勇……鱗滝さん……)

 

 限界以上の力を振り絞り、見事手鬼を討ち取った真菰は穏やかな笑みを湛えたまま重力に引かれて地面に落ちていく。

 

「っぶない!!?」

 

 しかし、彼女の体が地面に打ち付けられることはなかった。

 寸前で滑り込んだ凛が受け止めたのだ。何かがあった時のために駆け出しておいてよかったと安堵の息が漏れるのも致し方ないことだろう。

 

「……やったね」

「……」

「……真菰?」

「すぅ……」

 

 仇討ちを果たした少女に声をかけるも返答が来ないことを怪訝に思い、顔を覗き込んだ凛が目にしたのは、穏やかな寝息を立てて眠る真菰の顔であった。

 いくら安心したとて、今日出会ったばかりの男の腕の中で眠るのは無防備過ぎやしないだろうか。ましてや、鬼がうようよと居る山にて。

 しかし、不意に空が白み始めたのを目にし、杞憂だったかと頬を緩ませる。

 

 夜明けだ。

 陽光がこれほどまでに生命力溢れるものだとは、鬼を知る前は思いもしなかっただろう。

 なんと眩い。なんと温かい光。

 凛は差し込む朝日に目を細めつつ、眠り込む真菰の頭をそっと撫でる。

 

「……おやすみ」

 

 彼女はやっと眠れる―――夢を見られるのだ。

 仇を討った少女の眠りを妨げてはならない。そう自分に言い聞かせる凛は、しばらく上り行く朝日を見届けるのであった。

 

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