濃厚な死の臭いが場に充満している。
(こんな鬼が……!)
今まで相対した鬼とは格が違う。
すぐにでも逃げだしそうになる衝動が胸の内に渦巻くが、血を流すカナエと涙を流すしのぶの姿を目にし、欠片ほど残っていた闘争心を奮い立たせる。
「ッ……鬼殺隊、階級“庚”!! 氷室凛だ!!」
「おやおや、これはまた丁寧にありがとうね」
緊張や恐怖、その他諸々の感情が入り混じり強張っている凛とは裏腹に、にこやかな笑みを湛える童磨はそう口にした。
「ん~、でも君は男の子かぁ。女の子の方が栄養たくさんあって美味しいんだよねぇー」
「……は?」
「ん? 言ってる意味がわからなかった? いや、いいぜ。こういうのはしっかり説明してあげなきゃな」
鬼とは思えぬ穏やかな口調のまま紡がれるのは、聞くに堪えない悍ましい鬼の食性だった。
「誰にだって好き嫌いはある。俺にも好き嫌いがあって、男より女の方を好んで食べるっていう簡単な話さ」
―――だから、さ。
含みがある言い方で、童磨は倒れるカナエの方を見やった。
「綺麗な子だよねぇ。是非とも食べてあげたいと思ってたところなんだよ。そうなれば皆幸せだろ?」
「……どういう……意味……」
「鬼は不死。なら、鬼に喰われた人間も鬼の血肉となって永遠を生きられる。喰われた人間は今生の苦しいことや辛いことから逃げられるし、俺の体の一部になって永遠を生きられる。これって幸せだろ?」
さも当然。そう言わんばかりの物言いに、次第に凛の顔から血の気が引いていく。
こいつは何を言っているんだ?
頭がおかしいんじゃないのか?
言っている意味が一つも理解できない。
噛み砕くことも叶わぬ内容に唖然としていた凛であったが、次第に沸々と、死の予感よりもたらされる寒気を上回る赫怒の熱が全身を巡り廻る。
「……お前の考えは身勝手だ……反吐が出る……!!」
「えー。辛辣だなぁ」
「命を!! 何だと思ってるんだ!!」
「何って……言っただろ。俺にとって人間は食べ物。好き嫌いはあるけど、しっかり残さず食べてあげるんだぜ。当然だよなッ!」
「そんな弄ぶような真似を!!」
「んー。じゃあさ、君らは牛や豚とかが可哀そうだからって、喰べる部分だけそぎ落とす訳? おいおい、そりゃないぜ。そっちの方がずっと残酷だろ?」
「想像するだけで痛い痛い」とおどけたように童磨は応える。
その一挙手一投足が凛の神経を逆なでた。
こいつは口先だけ。大層な御託を並べたところで、心の奥底ではなんとも思っていない―――そのような“熱”を感じる。いや、“熱”を感じられないからこそ、そう断じた。
そして不意にしのぶへ目配せをする。
―――逃げて。
負傷したカナエをこの場から連れ出す。それこそが最優先の事項だ。
(十二鬼月……上弦……どれだけ時間稼ぎができる……!!?)
柱でさえ倒されてしまう相手に自分が稼げる時間等はたかが知れている。
それでも、失いたくないという一心を体が突き動かす。
(一瞬も気を緩めるな!! じゃなきゃ、死―――)
刹那、視界から童磨の姿が消えた。
瞠目する暇も惜しい。息をするのも忘れ―――それでも常中を会得していたお陰で強化されていた―――体が自然と動く。
金属が衝突する甲高い音が悲鳴のように、宵闇の空に響きわたる。
一瞬爆ぜた火花に目が眩むのも束の間、凛の視界には月光を照り返す刀身が墜落する光景が映った。
弾かれるように、無意識の内に自身が振り抜いた日輪刀に目を遣る。
折れていた。
次第に平静を取り戻す思考が、柄を握る手に広がる痺れと、同時に右肩に奔る猛烈な痛みを覚えさせた。
舞い散る血飛沫が頬に血化粧を施す。
「え……?」
「わっ。柱でもないのに大した動きだねー。まあ、刀は折れちゃったみたいだけどさ」
「っ―――」
サッと顔から血の気が引くと共に、全身に虚脱感が襲い掛かる。
堪らず膝から崩れ落ちた凛は、斬られたと思しき右肩に手を当て、必死に止血を試みる。
(止血の呼吸を……! 流さんに教えてもらったんだ……! 早く……早く……!)
気を抜けば失血で死にかねない状況。
それ以上に背後に上弦の鬼が居るともなれば、本来は一瞬でも隙を晒すべきではない。
しかし、一方で童磨は「ん?」と頓狂な声を漏らし、舌なめずりをする。
「美味しいねえ! なに、君ってもしかして稀血かな? わぁー、これぞまさしく僥倖ってね! 俺も稀血の子はあんまり食べたことがないからさ……って、あれ?」
返り血を舐り味わっていた童磨であったが、ゆっくりと凍り付く舌先に首を傾げる。
「なにこれ? 俺のじゃないよね。となると君のか。人間なのに血鬼術みたいな能力があるんだね! 凍らせるのか。うーん、新感覚……癖になりそうだな。そうだ! 俺が紹介してやるからさ、君も鬼になってみないか? 鬼は楽しいぜ? 老けないし病気にもならない。人間よりも辛い目に遭わずに済むんだ」
胸に手を当て、穏やかな笑顔を浮かべている姿は、一見慈悲深い男のように見える。
―――とんだ役者だ。
血反吐を吐きだしそうになりながら、俯いた凛は震えた声で紡ぐ。
「僕が……鬼に……?」
「ああ。俺が紹介して鬼にさせてもらった奴も、今は人生楽しんでるぜ!」
「……」
「どうだ? 悪い話じゃないと思うんだけどなー」
後ろから凛の肩に手を置く童磨は、ヘラヘラと笑いながら勧誘を勧める。
いや、勧誘とは言ったものの、実際のところは脅迫に近い。鬼になることを断ればすぐにでも殺される。現にそれだけの実力差を思い知らされたのだから、誘われている者にしてみれば内心平静ではいられないだろう。
「君も鬼になろうぜ」
甘い囁きが鼓膜を揺らす。
「っ……氷室くん!!」
「待ちなさい、しのぶ……っ!」
絶体絶命の友人の姿を前に、堪らずしのぶは抜刀して駆け出す。
そんな彼女を制止するカナエもまた、童磨に刻まれたと思しき傷を押して動き出した。
「さあ―――」
最後通告。
血生臭い口から発せられた誘いを耳にした凛は、ゆっくりと振り向き
―――ブッ。
「わっ」
童磨の顔面に、口に含んでいた血を霧状にするように吹きかけた。
一気に血塗れになる童磨の顔。瞬く間に彼の顔面は凍てついていく。
完全に虚を突かれ、僅かに後退する童磨に対し、凛は傷口から血が噴き出すのも厭わず―――否、寧ろもっと噴出させることで眼前の鬼を凍らせんと、全力で日輪刀を振るった。
血塗れの折れた刀身は赫刀のように煌き、童磨の頚を狙いすませて宙を奔る。
「巫山戯たことを……抜かすなああああああああああああ!!!」
世界にどれだけ鬼になることを望んでなかった鬼が居るか。
その中で、自分の可愛さを理由に鬼と化すことを所望するのがどれだけ愚かしいことか。
そして、そんなこともわからず鬼殺隊士を勧誘することが、どれだけ自分を侮辱する真似か。
恐怖や焦燥を払いのける赫怒が、凛の全身に満ち満ちる。
氷の呼吸 壱ノ型 御神渡り
怒りの一閃が迸る。
一方、凛に駆け寄ろうとしていたしのぶもまた、童磨が晒した隙を察して構えた。
蟲の呼吸
しのぶが、自身の戦い方に合わせ編み出した呼吸法・蟲の呼吸。
蝶の如き華麗で機敏な動きと、蜂の如き鋭い刺突により、敵を貫き、毒殺する特徴的な呼吸である。
上弦の鬼に対しどこまで通用するか分からないものの、試さなければ何も分からない。
何より、この隙を見過ごせば凛が殺されてしまう。
友を見殺しには出来ない―――その想いが、直情的なしのぶを突き動かすに至っていた。
が、
「吃驚―――したなぁ」
「くっ!?」
眼球の表面が凍っているはずの童磨が、凛の一閃を鋭い鉄扇で軽く受け止める。
鬼としての身体能力の高さは勿論のこと、相手は上弦。負傷している身の凛では敵の防御を突破するには力が足りなさ過ぎた。
「いやはや。でも、やっぱり君を鬼にしときたいな。なんだって、俺達似た者同士だしな!」
「なにを……!」
「証拠にほら。俺の血鬼術」
「!! しのぶさん、危ない!!」
鉄扇を構える童磨。
それと同時に、彼の周囲が瞬時に凍えていくことを感じ取った凛が、攻撃を繰り出そうとするしのぶ目掛けて飛び込み、無理やり止めてでも童磨との距離を離そうとした。
自分の鋭敏な温度感覚が告げている。
近付けば―――間もなく凍死する。間違いない。凍りついた挙句、全身が裂けて血塗れになる未来がありありと見えるようだった。
その予感を現実にせんと、童磨の周囲に氷の蓮の花が咲き誇る。
血鬼術 蓮葉氷
「っ……あ゛あ゛ッ!!」
「氷室くん!?」
寸前でしのぶを庇った凛は、童磨の近くに居た所為か、背中の大部分に冷気が直撃した。
鋭い激痛を覚えるも、次第に感覚が薄れていく。危険だと全集中の呼吸で少しでも体温の上昇を図ろうとするが、それでは肩の傷から血が溢れ出す。
この危険な状況を脱するには、呼吸で肩の止血を試みる一方で、体温上昇を図らなければならないが、
「ダメだ……しのぶさん、逃げて……!」
「そんな……こと、できるはずないでしょう!!」
相手が悪過ぎると撤退を促す凛に対し、しのぶは反発する。
これだけ距離が近ければ、今から自分だけ逃げたところでやられるだけ。それを知っているからこそ、今度は凛を庇うような位置を取って日輪刀を構えた。
「う~ん、美しい友情って奴だな! 羨ましいぜ」
そんな二人の姿を讃えるような言い草をする童磨であるが、当の二人からすれば嘲笑以外の何物でもない。
「でも、そっちの男の子苦しそうだしなぁ。どうする? なんなら一思いに二人とも首を落として―――」
と、語を継いでいた童磨と二人の間に割って入るカナエが刃を振るう。
花の呼吸 陸ノ型
妹とその友人に歩み寄る鬼を突き放さんとする斬撃。
思わず魅入ってしまいそうな程に華麗な剣舞は、童磨を引き下がらせるのみならず、周囲に溜まっていた冷気を払いのけていく。
それは童磨の血鬼術が冷気によって相手を凍らせるものである故、少しでも冷気を寄せ付けぬようにと、僅かな手がかりを元にカナエが打って出た行動であった。
しかし、その代償としてカナエの傷口は悪化していく。柱として洗練された呼吸法を持ってしても、無理を押していることには違いなかった。
「う……ごほっ!」
「カナエ姉さん!」
「しのぶ……氷室くんを連れて逃げるの」
「で、でも!!」
「しのぶ」
「!」
いつもとは毛色の違う落ち着いた声に、しのぶは思わず固まった。
こんな姉の声は聞いたことがない。そして、それだけ切迫した状況であるということを理解せざるを得なかった。
「―――お願い」
嘆願のように紡がれる声が静かに響く。
瞠目し、今にも泣き出しそうな表情を浮かべたしのぶは、
「―――氷室くん、肩を貸すわ……早く手当をしなくちゃ!!」
「っ……カナエさんっ!!」
「……私が
カナエが告げる言葉が、暗に何を意味しているのか。
それを察した凛は、自分の傷を厭わず声を荒げる。
しかし、最早自分で体を動かすことさえ叶わない状態では、しのぶに連れて行かれるがままだ。
ただ見ることしかできない。
遠のいていく背中を。
母のような温もりを与えてくれた人を。
「待っ―――」
手を伸ばす。どれだけ伸ばしても届かぬ場所へ行ってしまいそうな背中を求めて。
その時、空で光が流れた。
水の呼吸 捌ノ型 滝壺
風が逆巻く音が鳴り響いたかと思えば、舞い降りた人影が童磨目掛けて紫電を走らせる。
「おっとっと」
怒涛の斬り落としを軽やかな身のこなしで躱す童磨に対し、現れた人物は羽織を靡かせつつ、更なる追撃を繰り出す。
水の呼吸 参ノ型 流流舞い
流れるような舞いと共に繰り出される剣閃が童磨に迫る。
その斬撃に対し、童磨は両手に持っている鉄扇で防御を試みる。が、
(剣の軌道が……不規則!!)
受け止めるべく構えた鉄扇の合間を縫うように、刃が童磨の頚を狙うように滑り入る。
「!」
あともう少しで刃先が頚に達さんとした時、刃を振るう人影は咄嗟に飛び退いた。
それは童磨の周囲に咲いていた氷の蓮から、蔓のように氷が伸びていたからだ。あのまま振るえば、刃が頚を断ち切るよりも前に腕が凍らされ、鬼を倒すことは叶わなくなっていた。
刹那にも等しい攻防の中で引き際を見極めた人影は、カナエの前にて呼吸を整え、口を開いた。
「無事か」
「伴田さん……!」
「燎太郎が呼びに来てな。つむじはあいつに任せて先に来た」
水柱、伴田流。
盲目に右手が義手、両脚が義足の身でありながら柱を務める、鬼殺隊随一の鬼才を有す男。
彼の救援に、緊張で強張っていた体が僅かに解れるカナエ。
しかし、すぐさま気を取り直して日輪刀を構えて見せる。
「十二鬼月……それも上弦の弐です。伴田さん、しのぶ達は引かせてここは私達で……!!」
盲目の流に代わり、敵の階級を告げるカナエ。
その瞬間、僅かに流の目が見開かれるものの、すぐさまいつも通りの雰囲気に戻った流は「そうか」と端的に応えるだけだった。
ここ百年討伐を果たせていない上弦の鬼―――それも上から数えた方が早い階級の相手に対し、柱一人では心許ない。
例え傷を負っているとしても、流に加勢するべきだろう。
そう考えたカナエであったが、
「お前は撤退しろ」
「え……!?」
まさか撤退を推奨されるとは思っていなかったカナエが、面喰らった顔を浮かべる。
が、畳みかけるように流が語を継ぐ。
「呼吸の乱れで分かる。お前は重傷だ。すぐにでも手当しろ。そして鬼殺隊に上弦の鬼の情報を持ち帰れ」
「で、ですが……貴方一人を……」
「
「!!」
それ以上、流が口を開くことはなかった。
「んー、君も柱かな? 今日は色々ある日だなあ。どうする? 二人で来る? それとも一人?」
一方、童磨はと言えば凍てついた顔面を鉄扇こそぎ落とし、凍結部位を剥がすことで顔の再生を完了していた。
凛が決死の覚悟で作った猶予もなくなったことで、ここからは純粋に流の実力で立ち向かわなければならなくなった訳であるが、百年不倒の上弦の鬼を目の前にしても尚、流の心には波風一つ立ってはいない。
「……水柱、伴田流。お前を滅殺する」
「水柱か! うんうん、俺が今まで殺してきた鬼殺隊の中でも水の呼吸使いは多かったな―――」
水の呼吸 漆ノ型 雫波紋突き
話を遮るように繰り出された、水の呼吸最速の突き。
それは童磨さえも慌てて身を傾ける程に洗練された刺突であった。
「っと、義足とは思えない速さだ!」
「……」
水の呼吸 肆ノ型 打ち潮
冷静に流の体を観察する童磨に対し、大波を打ち付けるかの如く放たれる一閃。
しかし、童磨も守勢に徹するばかりではない。
「目も見えてないのに凄いなあ。いや、可哀そうだ。そんな五体不満足な体で
血鬼術
冷気を纏った鉄扇で、真正面から童磨と刃を交える流。
童磨の言う通り、本来であれば鬼と戦うことすら叶わぬ体だ。過去にも片足を失い柱を引退した隊士は居る。にも拘わらず、流は現役の柱であり、上弦の鬼と対等に戦えている。それがどれだけ凄まじいことか。
ここまで僅か数秒にも満たぬ攻防。
一連の流れを観戦していたカナエは、血が滲む出るほどに唇を噛みしめ、踵を翻す。
「待っていてください! すぐに応援を……!」
「おっと、逃がさないよ」
「させると思うか」
水の呼吸 陸ノ型 ねじれ渦
撤退するカナエに追い打ちをかけようとした童磨に、それを許さんと、彼の標的を自身に向けざるを得ない程の猛烈な斬撃を繰り出した。
これには童磨も応戦せずには居られない。
「んー、あんまり邪魔されたくないんだけどなー」
「……」
「寡黙だねぇ。ま、いいや。君も幸せにしてあげるよ。そんな体じゃ生きてるの大変そうだしね」
「断る」
口を噤んでいたかと思えば、間髪入れずに応答する流。
鬼との戦いの果てに光を失ったはずの瞳は、確かに眼前の童磨に対し眼光を走らせ、逃がさんと言わんばかりに彼をねめつける。
「俺は……お前に哀れに思われるほど不幸じゃない」
「そんな強がらなくてもいいのに」
「生憎、お前と俺では幸福に対する価値観が違う。俺は死を救済とは思わない……これ以上の問答は無意味だ」
「えー」
「だが、一つ教えてやる」
まだ喋り足りないと言わんばかりに眉尻を下げる童磨に対し、凛然と構える流は告げる。
「本物の不幸に見舞われた者は、自らの意思で何かを選ぶ事などできないものだ」
それはかつて自分を拾い上げ、剣士として育ててくれた者の言葉。
そして、
「俺がお前と戦うのは他でもない……俺の意思だ」
自分の戦う理由を思い返す。
一つは國一番の剣士となる為。
もう一つは、
―――流さん! わぁー、会いたかったです!
―――言われた通り……一万回……素振りしてきました……!
―――僕もいつか流さんみたいに強い剣士になれるよう頑張ります!
―――流さんは國一番の剣士になるんですよね?
―――じゃあ、流さんを超す剣士になれたら、僕が國一番の剣士になれるんですかね? あはは!
―――その時は、僕が流さんを……皆を守りますから!
不意に脳裏を過る、自分を慕う者の声。
その声が久しく忘れていた感覚を呼び起こす。
―――誰かを想う心こそが、無限に突き進む原動力だったと。
「っ!!!!!」
「おっと!」
光を宿さぬ瞳が刮目したかと思えば、一瞬の内に流が童磨との距離を詰めた。
目を見張る疾さに驚嘆した面持ちの童磨は、次々に繰り出される正確無比な斬撃を両手の鉄扇で受け流していく。
壮絶な剣戟だった。
彼等だけが別次元に存在しているかのような時の流れを錯覚させる速さで動き回り、命を賭けて刃を振るう。
刃が交わる度に、鉄火が爆ぜ、金切声に似た金属の悲鳴が響き渡った。
その他にも、激しい衣擦れの音や羽織りが靡く音、地面を踏み穿つ轟音が立て続きに、白み始める空の下で奏でられる。
「本当に凄いよ、君。義肢なのにそんなに動けるだなんて、人間も舐めた目で見るものじゃないね」
死闘の最中でも笑顔を崩さぬ童磨。時折体を掠める刀傷も、鬼の身をもってすれば傷の一つにも数えられない。
上弦相手にここまで食らいつく流の剣技も相当であるが、それ以上に彼の剣をいなす童磨の地力もまた驚愕に値すべきものだ。
加えて、童磨の血鬼術がまた厄介だった。
体が凍えればそれだけ動きのキレが悪くなる。そうなれば上弦相手には隙を晒したも同然―――すなわち、死に直結するのだ。
(夜明けも近い……時間はかけられない。ならば)
童磨から
全身全霊を以て頚を斬る。
その流の意気は、童磨に彼の背後に龍が佇んでいると幻視させた。
全集中・水の呼吸 拾ノ型 生生流転
斬撃を重ねるほど威力の増していく、水の呼吸の奥義に等しい型で、童磨の鉄扇ごと彼を斬らんと肉迫する。
その闘気には童磨も後退り、血鬼術を繰り出して迎撃を試みるほどだった。
しかし、流へと延びる氷の蓮の花は次々に斬り砕かれ、粉々になって辺りに散らばっていく。それに伴い辺りの気温が一層低くなるが、流は構わず突き進む。
距離を詰める僅か数秒の間に振るった斬撃は二十にも及ぶ。
それだけ回転を重ねた斬撃は、童磨の有す鉄扇をも斬り裂く―――まさしく斬鉄剣と呼ぶに等しい威力を秘めていた。
これで決着はつく。
どちらに転んだとしても―――。
「動きが鈍ってるよ」
血の香りが鼻をつく。
唐突に体を軽く感じたのは、多量の血が噴き出たからだけではない。
(腕が)
どれだけ凍てつこうこと握りしめていた日輪刀の感触を感じることができない。
(肩から先が)
ボトリと生々しい音が鼓膜を叩く。
その際、同時に聞こえてきた金属音から全てを察した。
「―――」
「うわーッ!! 斬り飛ばされた腕でも刀握ってるよ。凄い執念だねぇ。でも、その体じゃあ拾いあげることなんてできなくなってしまったな。可哀そうに」
流の左腕を斬り飛ばした童磨の軽薄な声音が響く中、流はゴロゴロと血が転がる肺の音に耳を傾けた。
(成程。奴の冷気そのものが呼吸器に干渉して……)
鬼殺隊の戦法の要たる全集中の呼吸にとって、天敵といって過言でもない能力。
短い時間ながらも、童磨を倒さんと近距離で戦っていたのが仇となったか―――流は血の気が失われ、体の感覚が薄れていく中で省みる。
(ヘマを……踏んだな)
功を急いたか―――それが命取りだった。
(伴田……さん……)
ふと、心の中で呼ぶ。
『一緒に行く道は……』
『地獄の道だ。苦しい事しかないだろう』
『その道を行った俺はどうなる』
『この國にいる誰よりも強くなる』
長く暗闇しか映さなかった瞼の裏に、恩人との日々が走馬燈のように蘇る。
親に捨てられた自分を教え導き、結果的に柱になる礎となった人物を。
(震えながら蹲っていた俺が……こんなに戦えた……誰かの願いを叶える事ができた……)
最終選別で一人の受験者を守り抜いたが為に右手と両脚、そして両目から光を失っても、彼のことを恨んだことなどない。
(伴田さんが強くしてくれた……育てて、くれた……)
そして、誓ったのだ。
無様になろうとも、自分に力を育ませてくれた彼の力を証明すると―――勝ち続けることで。
鬼殺隊の“柱”になると。
「―――ッッッッッ!!!!!」
雄叫び。
凍える大気を震わせる声を迸らせる流が、勝ったものだと油断していた童磨に肉迫する。
しかし、尚も童磨は動く気配を見せない。何故ならば、流の左腕はないのだから。剣を握る腕がない以上、警戒しろという方が無理な話だ。
もっとも、流の
袖の長い羽織が唸る風に煽られて捲られた。
刹那、覗いたのは深い青色に染まった刀身―――日輪刀だ。
(仕込み刀!!)
完全に意識の外であった流の義手。その義手は、
まさしく最後の手段であり、流の鬼殺に対する執念の象徴と言っても過言ではない武器だ。
虫の息とは思えぬほどの速さで肉迫する流は、童磨の懐へと入り込み、その仕込み刀を頚目掛けて振り抜く。
水の呼吸 壱ノ型
決死の、一撃。
***
殴られたかのような鈍痛を覚えると共に目が覚めた。
「ぁ……」
「! 氷室くん!」
肺から空気が漏れるように出た声に反応したのは、カナエの体に包帯を巻いていたしのぶであった。
手際よく巻き終えた彼女はすぐさま凛の元に駆け寄り、心配そうに顔を覗きこんでくる。
「だ、大丈夫……!? 途中で意識を失ったから、私……!」
「……流さんは!?」
涙目になるしのぶの言葉に耳を傾ける途中、気を失う前の記憶を思い返し、居てもたっても居られないと飛び起きる。
と、同時に肩に鋭い痛みを覚え、再び地面の上に寝転ぶ形で悶える目に遭う。
どうやら現在地は人通りの少ない路地のようだった。そこで負傷した凛とカナエを護衛するように、前と後ろに燎太郎とつむじが日輪刀を構えて立っている。
「目が覚めたか!」と声を上げる燎太郎に対し、つむじはどこかそわそわとした様子を見せつつ、周囲に警戒を払っていた。
だからこそだ。唯一この場に居ない人物の安否が気になる。
そんな凛の問いに答えるのはカナエだった。
「伴田さんは、私達を退かせるために上弦の鬼と一人で戦っています」
「……一人、で……」
「ですが、応急処置も済んだ以上、私は加勢に戻るつもりです」
「カナエ姉さん!?」
流の元に赴く旨を告げるカナエに、今度はしのぶが声を荒げた。
「そんな体なのに戻って戦おうだなんて……死にに行くようなものよ!!」
「しのぶ、あの鬼の能力は手当の間に話した通りよ」
「姉さん!!」
「しのぶ」
悲痛な声を発するしのぶに対し、カナエは酷く落ち着いた声音で紡ぐ。
皆までは言わない。しかし、姉の柱としての責任感を覚えさせる真っすぐで澄んだ瞳に、しのぶは何も言い返すことができなくなってしまった。
「ごめんね、しのぶ」
俯く妹に端的に謝るカナエは、意を決して立ち上がった。
と、その時だ。
「! 音が……」
瞠目するカナエは今一度耳を澄ませる。
が、先ほどまでけたたましく鳴り響いていた戦いの音が、めっきりと聞こえなくなってしまったのだ。
「まさか、もう……!?」
戦闘の終結。それが意味するものは何か。
最悪を想定したカナエは血相を変えて駆け出していった。負傷しても尚、この速さ。流石は柱だ。
しかし、彼女に負けじと傷を押して立ち上がる凛が、全身に襲い掛かる激痛に歯を食いしばりながら耐え、カナエの後を追おうとする。
「流……さん……!」
「氷室くん! 動いたら駄目よ! 傷が開くわ!」
「それでも……行かなくちゃ……!」
「氷室くん!」
最早悲鳴に近いしのぶの訴えを聞いても尚、凛は弱弱しい足取りで流の下を目指す。
ここまで強情な彼の姿はしのぶも初めて見た。
だが、だからと言って行かせる訳にもいかず、キュッと凛の袖を掴んで止めようとする。
「お願い、だから……」
「……!」
また大切な人々を失いかねない状況を心の底から恐れているしのぶの様子に、凛の歩みも思わず止まった。
「―――ごめん、なさい」
「!」
それでも凛は歩み始めた。
「待て! お前という奴は……!」
鞘を杖代わりに歩く凛に肩を貸す燎太郎。彼もまた平静では居られないのか、深刻そうな面持ちであった。
「お前が行くというなら俺も付いて行く! もうすぐ日の出だ! 鬼が襲って来ることもない! 日陰を避けて進めばいいだろう! つむじ、周りを頼む!」
「……ん」
これまた普段とは様相の違うつむじに周囲の警戒を任せ、燎太郎に肩を貸された凛は、流の下へと向かう。
逸る気持ちを断続的に襲来する激痛が彼を死に急がせない程度に抑える。
それが幸か不幸か定かではないものの、着実に一歩ずつ歩んでいく凛は、見たことのある街並みを目にした。
もうすぐだ。
流が鬼と戦っていた場所まであと少しというところまで来た凛は、必死に辺りを見渡す。
すると、なぜか地面に座り込んでいるカナエの背中が目に入った。
「カナエさ……ッ」
名を呼ぼうとした瞬間、彼女の傍らに血溜まりができているのを目にし、ヒュッと息を飲んだ。
見慣れた刀を握ったままの左腕。千切れた瞬間身に纏っていた衣服であろう羽織の袖も、幾度となく目にした、波紋が広がるような柄のものであった。
言葉を失いながらカナエの下へ。
凛を支える燎太郎もまた、彼と同じく体を小刻みに震わせている。
脳裏を巡るのは、「嘘だ」「そんなはずない」と
しかし、カナエの下に近づくにつれ、視界に入る全貌とむせ返るような鉄臭さが現実を突きつけてくる。
「ぁ……」
必死に絞り出した声もそれ以上言葉を紡ぐことはできなかった。
燎太郎も、つむじも、一拍遅れてその光景を見たしのぶも。誰もが絶句するのは、唯一残っていた四肢をも失い、血沼の中に沈む流の姿だった。
朝冷とも違う冷たさが頬を撫でる。
その冷気のせいか、流の体表に纏わりついている氷も凍りかけていた。
しかし、季節外れの周囲の気温の低さもあってか、辛うじて流が息をしているだけは分かる。
「ッ……流さんっ!!」
「―――りん、か」
か細く紡がれる言葉。
彼の下へ駆けよる凛は、痛みも忘れて隣に座り込む。手を握ろうと震える指で辺りを探る凛であったが―――そうだ、と先ほど目にした千切れた左腕を思い出す。
最早、握ることのできる腕さえない。
時折、自分を褒める際に頭に乗せてくれた大きな掌は、もう二度と、あの温もりを宿すことはないのだと、否応なしに理解してしまった。
「な、流さんっ……流さんっ……て、手当……を……カナエさん……!!」
「いや……いい……」
「何がですか……手当します……しますから……!!」
「わかるんだ……俺はどうにも助かりそうには……」
「諦めるなって言ったのは流さんじゃないですか!!!」
「っ……」
突然発せられる怒号に、細められていた流の瞳が見開く。
何も映さぬ瞳であるにも関わらず、その瞳孔は確かに凛の方へと向いている。
もしも見えていたとするならば、涙でくしゃくしゃに歪んだ情けない姿を見られていたことだろう。
恥も外聞も捨てるかのような姿を見せる凛は、握る先を失った掌を流の胸に当てる。
刻一刻と失われている生命の“熱”。死が近づいていることを理解させる現象を前にしても尚、凛は諦めずには居られなかった。
―――諦めの悪さは誰に似たのか。
―――いや、俺が教えたか。
フッと思わず笑みが零れ落ちる。
そうだ、誰かの教えは脈々と受け継がれていくのだ―――そう確信した瞬間であった。
悟ったかのような面持ちの流は、カナエに視線で訴える。
するとカナエも全てを理解し、覚悟した顔で流の手当てへと取り掛かる。後ろで待機していたしのぶも、言われるまでもなく手当の手伝いに移り、僅かな時間でも流の生命の灯を長く灯し続けられるようにと尽くし始めた。
誰が見ても手遅れな状態。
それでも未だ生きているのは、流の並外れた生命力のお陰だろう。
しかし、それも今となっては風前の灯に等しい。
故に流は、残された時間で
「とうとう取り逃したが……カナエ……あの鬼の能力は……さっき言った通りだ……」
「はい」
すでに童磨の能力について、明らかになった事実は伝え終えていた。
「長期戦は……不利になる……奴が様子を見ている内に……油断している内に……叩け……」
「はい……!」
紡がれる一言一句を忘れぬように、頭と心に叩き込むカナエ。
全力を尽くしても尚、討滅こそ叶わなかったが、上弦の弐の能力について得られた情報は確実に鬼殺隊を前進させるものであることには間違いない。
他に残すべき言葉は、
「……凛」
「っ、はい」
「……済まない」
「え……な、なにが……ですか……?」
「俺の力が足りないばかりに……」
「っ……そんなこと!」
突然の謝罪は、自分の無力を悔恨する内容であった。
無論、凛は叫喚するように反論する。
貴方は強い。
自分は貴方に強くしてもらった。
貴方に育ててもらった。
貴方に返しきれない恩を感じている。
恩を感じることはあっても、恨みに思うことなど一つもない。
寧ろ、自分の力が足りないばかりに―――とまで語った時、分かっていたとでも言わんばかりの笑みを流が浮かべた。
「そうだ。子供は誰しも無力だ。誰もがかつては無力な子供だった」
「流さん……」
「焦るな。逸るな。生きていれば人間はいつか大人になれる。少なくとも無力ではなくなる」
親に廃寺に捨てられた時、家に戻ろうともしなかったのは、非力な自分の存在に罪悪感を覚えていたからこそ。
流は昔の自分に、今の凛を重ねていた。
故に先達として伝えられることもあった。
「だが、力というのは不平等だ。どれだけ努力しても足りないと感じる瞬間はある」
「……はい」
「だからこそだ。時を……無為に過ごしてくれるな。時間ほど残酷で平等なものはない」
悲しむ時があってもいい。挫けそうになる時があってもいい。
それでも、前へと進むことだけは、
「
「!」
「お前は……今の己に疑問を抱いているかもしれない。それでいい。それでいいんだ。今は大いに悩め。だが、今の己を此処まで導いたのは他でもない、確かに過去の己自身だろう。ならば、いいじゃないか。己の意思が自分を導いたのだと気が付いた時、お前はすでに掛けがえのないものを手に入れるだろう」
時間はかかるだろうがな、と締める流。
この間にも、流の体を巡る血の勢いは衰えていく。
しかし、昇り行く朝日の温もりが、冷えて死に行く彼の体に“熱”を与える。
まだ天は、彼の訪れを認めてはいない。
「……燎太郎」
「っ!」
「お前は……恩人を手にかけたことに酷く気を病んでいるだろう」
「……はい」
毅然とした態度を装うも、ボロボロと涙を零す燎太郎にも流は告げる。
「愚かしいほど真っすぐなお前のことだ……まだ時間はかかるだろうが、彼が死に、お前が生きて鬼狩りを志した意味を……納得できる日が来るだろう」
「っ……ご教示、ありがとうございます!!!」
地に額がつく程、深々と頭を下げる燎太郎。
彼を見やった後、視線を向けた先は―――つむじだった。
盲目の流に彼女の表情を汲み取ることはできない。
だが、今まで見たことのない歪んだ面持ちの彼女からは、尋常ではない動揺を窺うことができた。あれほど感情の起伏に乏しい彼女がここまで狼狽するとは。それだけ、この数か月の間に時を過ごした流との間に、特別な想いを抱いていたということなのだろう。
「つむじ」
「ん……」
「お前の境遇もある……他人に隔たりを覚えるのも仕方がない。だが、そんな自分を心配に思う必要はない。何故ならば……お前にはもう友が居る。間違いを犯せば、道を正してくれる……な」
「……」
「それはかけがえのないものだ。替えはきかない。努々……大切にしておけ」
「……んっ」
カタカタと小刻みに震える刀身。
よく見れば、つむじの鼻面が赤く染まっていた。いつもは眠たげに半開きな眼も、今ばかりは差し込む朝日により、光が宿っている。
だからこそだ。潤む彼女の瞳をありありと周りの者達に見せつけていた。
無論、流には見えない。
が、見透かしたように微笑む流は、ふぅと大きく一息吐いた。
「―――俺は……よく永らえた方だ」
一通り、この数か月の間可愛がった三人へと伝えることは大方伝えられた。
思い残すことは―――一つを残して、無い。
「それでも……國で最も強くなることは……叶わなかった」
一筋の涙が頬を伝う。
「それだけ……が……」
「そんなこと、ありませんっ!!!」
が、凛の声が静寂を切り裂いた。
「僕は!! 右腕を……脚を……目も失くしても戦う人を見た事がありません!!!」
喉が裂けんばかりの声量が、感覚が薄れていく流へ確かに言葉を届ける。
「貴方みたいに、ずっと諦めずに戦い続けた人を……!!!」
どうか、どうか届いてほしい。
「貴方みたいに、絶対に挫けない意思を持った人を……!!!」
彼が少しでも安らかに逝けるように。
「流さんみたいに強い人を見た事がありませんっっっ!!!!!」
「……!」
風に吹かれて消えゆく命が、もう少しだけと駄々を捏ねる。
まだだ。まだ、伝えてないことがある。
伝えない方が良かったと黙っていたことが―――。
「り、ん……」
「はい゛……!!」
「俺が……選別で他人を守って手足を失くしたのは……聞いたな」
「それが……」
「そいつは……
「!!」
稀血。鬼に好まれる特別な血を有す者。
凛もまた稀血と呼ばれる血を有しているが、
「ど、どうし、て……」
「……」
「それなら……どうして……」
血の気が引き、真っ青になった顔で凛は問う。
凛は稀血。
流は稀血の者を庇って手足と目を失った。
そして流は凛が稀血であると知っていた。
何故。
何度も何度も頭の中を巡る「何故」の一言。
稀血と関わったばかりに多大な代償を払った流が、何故自分と関わっていたのか?
過去の悲劇を思い出させるような相手に稽古までつけて。
今までの思い出を振り返り、凛は失神してしまいそうな気さえした。
ともすれば、恨んでもおかしくない相手を前にしていたというのに。
―――僕は、何も知らないで流さんに笑顔で接していた。
―――それがどれだけ残酷な真似をしていたか。
次第に呼吸が荒くなっていく。
過呼吸となってしまいそうな程に息が乱れてきた凛。
突然の告白は、それほどまでに凛を追い詰めるに至っていた。
しかし、「違う」と流が否定するように口火を切った。
「お館様が……気を利かせて……」
「え……?」
「結局……守り抜けず……死なせてしまったことに病んでいるおれに……がはっ!」
あくまで凛と関わったのは己の意思だと。
血反吐を吐きながら続ける。
「はぁ……だが……事実は……変えられない……初めてお前と出会い、守ったところで……彼を……死なせたことは……」
「流さん……! もういい、もういいですから……!」
「お前を守っても……心の穴は……開いたままだった……」
「もう……!!」
「でもだ、凛……お前達と過ごした日々こそが……おれの……」
その後も、何かを伝えようとした流であったが、最早聞き取ることさえ叶わぬほどに彼の声は消え入るようにか細かった。
だがしかし、
「―――本当に……出会えてよかった。ありがとう」
万感の思いを込めた一言だけは、はっきりと凛に届いた。
次の瞬間、朝日を照り返して宿っていた光が、流の瞳から零れ落ちた。
「……流さん?」
応えは―――返らない。
呼べども呼べども、いつまで経っても、返事は訪れない。
「流、さん」
“熱”は、もう感じられない。
「―――――」
彼は帰ってこない。
そう気づいてしまった瞬間、悲嘆の聲は白む天を衝かんばかりに響きわたるのだった。