鬼滅の流儀   作:柴猫侍

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拾弐.涙血漣如

 水柱・伴田流の訃報は、直ちに輝哉と柱達へと伝えられた。

 

 柱の中でも古株であり、その実力も認められていた彼の死と、それを代償に負傷したカナエが持ち帰った上弦の弐の鬼の情報には、衝撃が奔った。

 ある者は悲しみ、ある者は悼み、ある者は憤る。

 鬼殺隊において人の死は、一般人よりも身近なものであった。しかし、それを踏まえても彼の死の余波は大きい。

 

こうして柱を一人失った鬼殺隊は、否応なしに鬱屈とした雰囲気となるもの仕方ないのかもしれない。

 

 

 

 そしてここにも、未だ立ち直れない隊士が一人……。

 

 

 

 ***

 

 

 

 蝶屋敷の庭は、解放感がある。病室で寝ている間に覚えていた閉塞感を晴らすかのように、この庭は広くゆとりをもった造りになっている。

 その中で、かれこれ数時間も一定の間隔を刻むようにしてとある音が鳴り響いていた。

 

「五千七百三十一……五千七百三十二……」

 

 桁違いの数を数えながらも、依然として木刀を振り続けていたのは凛だ。

 童磨との戦いで浅くない傷を負った彼であるが、木刀を振り回せる程度には快復していた。

 だが、それにしても病み上がりにしては過剰な回数だ。このままでは折角塞がった傷も開きかねない。

 

 それでも一心不乱に彼は木刀を振るっていた。

 

『―――俺が育手の下に居た時は、一日に六万回刀を振るっていた』

『ろ、六万!? ……あ、そのくらいたくさん振れっていう心構えですか? はぁ、吃驚したぁ……』

『……』

『……ほ、本当なんですか?』

『どっちだろうな』

『えぇー!? そこは大事ですよ、流さん!! はっきりしてください!!』

『フッ……―――』

 

 今は亡き男との会話が、何度も何度も脳裏を巡る。

 凛がこうして木刀を振るっているのも、彼の言葉を習っての鍛錬であった。今は病み上がりもあり、行っても一万回程度である。だからこそ、流が口にしていた六万という数字がどれだけ膨大な数であるか、まさに身に染みて実感していた。

 

 滝のように汗を流し、腕が千切れそうな程に力を振り絞っても、未だ彼の足下にも及ばない。

 

「……諦めるな」

 

 回数を数える合間に、ボソボソと小さな呟きが入る。

 

「諦めるな……諦めるな……」

 

 呪われたように「諦めるな」という言葉を繰り返す凛。

 美しい言葉だ。しかし、それを紡ぐ凛は平静とは考えられない雰囲気を漂わせていた。

 狂ったように素振りを続ける。目は血走り、隈も出ているではないか。ろくに休息を取っていないのは明らかであった。

 

「ちょ、氷室くん! また病室を抜け出して!」

 

 そんな凛の下へ駆けよって来たのはしのぶであった。

 額に青筋を立てる彼女であるが、その表情の奥には心配が潜んでいる。

 

「倒れるまで素振りなんかしても強くなれませんよ! 少し良くなったと思ったら倒れるまで鍛錬して……全快するまで大人しく寝ていてください!」

「ご、ごめんなさい、しのぶさん……で、でもね、もうちょっとで六千回行くから……」

「そしたら次は七千、八千、九千、それでもって一万回って言うわよね?」

「うっ……」

 

 図星を突かれたように肩を竦める凛。何度も介抱する羽目になったしのぶにとっては、全てお見通しのようであった。

 

「いい加減にして!! 伴田さんとの鍛錬でも休憩を挟んでいた意味がわからないの!?」

「で、でも、しのぶさん」

「?」

「諦めるなって……言われたんだ……!」

「っ……!」

 

 凛の言葉に瞠目するしのぶ。

 一見凛の姿は、残された者が先立ってしまった者の言葉に従い、ひたむきに努力するという素晴らしいものに見えるかもしれない。

 しかしその実、彼は本質から目を逸らしてしまっている。

 

 だが、その気持ちはしのぶにもよく理解できるものであった。

 だからこそ、

 

「氷室くん……仕方ないわね。はい、これ」

「?」

「脱水症状になったらいけないから、お水を入れてきたの」

「うわぁ、ありがとう!」

 

 瓢箪を手渡してくるしのぶに礼を述べる凛。

 凛の立っている場所だけ泥濘になるのではないかと危惧してしまいそうになるほど、彼の足下は彼自身の汗で湿っていた。勿論、それほどの汗を流せば脱水症状になりかねない。最悪死につながる症状を、看護係も務めているしのぶが見過ごせるはずはなかった。

 

 そんな厚意に甘え、凛は手渡された瓢箪の栓を抜き、喉を鳴らして水を煽る。

 よほど喉が渇いていたのか、その飲みっぷりは中々豪快であった。

 と、その途中、

 

「ん? このお水甘いですね」

「あら、わかった?」

「はい。それに―――」

 

 突然糸の切れた人形にように崩れ落ちる凛。

 寸前で受け止めたしのぶは、「やっぱりか」と言わんばかりの表情で、彼の手から零れ落ちて転がる瓢箪に目を向ける。

 

「あんなにたくさん薬を入れた水を『甘い』だなんて……脱水真っただ中よ、もう」

 

 しのぶが手渡した水の中には、所謂睡眠薬と呼ばれる薬が入っていた。

 普通に飲めば、苦くて堪ったものではないが、甘くないものまで甘く感じてしまうのは、まさしく脱水症状によって引き起こされる味覚障害に他ならない。

 

「まったく、誰が運ぶと思って……」

 

 生憎今は燎太郎もつむじも任務で居ない。

 (薬の所為だが)眠りに落ちてしまった凛を病室に運び、汗を拭う等の諸々を行わなければならなくなったしのぶは、ぶつくさと文句を垂れながら、汗まみれの凛を運んでいく。

 また洗濯物が増える―――そう思いつつ歩いていた矢先、首筋にひたりと雫が伝う。

 

 これだから、と振り返り、硬直。

 

「――――めんなさい……」

「……」

「ごめん……なさい……ごめんなさい……」

 

 しのぶの瞳に映ったのは、寝言として何度も謝罪を述べながら、涙を流す凛の姿だった。

 誰に対して謝っているのか―――想像に難くない。

 

「……どれだけ汗を流したところで、涙は枯れないんですよ」

 

 そう優しく囁くしのぶ。慈しみや同情に満ちた声音を紡ぐのは、彼女もまた同じ経験を経たことがあるからだろうか。

 

 彼はずっと泣いている。見ているのが痛々しく思う程に。

 

 ()()()大切な者を失った凛の心の傷は、想像以上に深いものであった。

 彼が今まで大切な者を失ったことがないという訳ではないが、記憶にない家族を失うのと、心の底から信頼していた者を目の前で失うのとでは、不謹慎と思われるかもしれないが、断然後者の方が傷も深くなる。

 しのぶやカナエを始めとし、同期の燎太郎やつむじも彼を気遣ってはいるものの、未だ流を失った悲しみから立ち直れてはいない。

 

 それほどまでに、流という存在は凛の中で大きなものであった。

 

 既に失った者が多い鬼殺隊にて、凛のように鬼殺隊になってから失った者はある意味稀だ。

 今の彼は、鬼に対し恐怖を覚えて「隠」といった後方部隊になる訳でもなく、ただただ悲しみを紛らわせようと体を酷使した挙句、いつかはたりと死んでしまいそうな危うさがある。

 

 そんな彼を立ち直らせたいのは山々であるが、彼も中々聞く耳を持たない。

 悲しみの晴らし方を知らないとは、斯くも厄介なものか。

 

 体を拭き、病衣に着替えさせたしのぶは、ベッドの上で死ぬように眠っている凛に、今一度耳元で囁く。

 

「……私は、貴方の笑った顔が好きだなあ」

 

 もし、あの場でカナエが死んでいたなら、逆に自分が彼のようになっていたかもしれない。

 そのことを想像しつつ、しのぶはもっと親身になろうと胸に決めるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……」

「お帰り、つむじちゃん」

「ん」

 

 こっそりと凛の眠る病室を覗き込んでいた人影。それは任務帰りのつむじであった。

 そして彼女に声をかけたのは、偶然通りかかったカナエである。

 

「氷室くんが心配?」

「傷が治らない」

「ん?」

「いつまで経っても傷が治らない。何が悪いの」

 

 凛を指さし、カナエに問うつむじ。

 彼女は、凛がいつまで経っても任務に復帰しないことを疑問に思っていたようだ。体は問題ないにも拘わらず、病室で眠る―――それがつむじには理解しがたかった。

 であれば、目に見えない部分が原因ではなかろうか。彼女はそう考えたようだ。

 

「そう、ね……氷室くんは心の傷がまだ治っていないの」

「心の傷? ……薬はないの?」

「残念だけれど。心の傷を治す薬はないの。だから、時間が必要なの……とてもとても長い時間がね」

「ふーん」

「つむじちゃんはもう大丈夫なの? 私には貴方も伴田さんを慕っているように見えていたから」

 

 凛を心配するつむじだが、そんな彼女に対してもカナエは心配していた。

 彼女はカナヲに似ている。端的に言えば、感情の起伏が乏しいのだ。

 しかし、カナヲとは違いまったくないという訳でもない。故に、他人には見え辛いものの、流が死んだことで辛い思いをしているのではなかろうかと案じたのである。

 

 数秒沈黙するつむじ。

 

「……わからない」

「わからない?」

「これがどういう気持ちかわからない」

 

 俯きがちにつむじは語を継ぐ。

 

「この辺りがいっぱいなのに」

 

 胸を押さえてから、

 

「この辺が、ずっと空いたままなの」

 

 腹に手を当てる。

 

「なんで?」

 

 単に腹を空かせている訳ではない―――が、強ちその認識は間違っていない。

 

『つむじ、あんまり食べ過ぎたらダメだよ……』

『んーん』

『そうだぞ! 流さんが土産を持ってきていると言っていた!! 今腹八分目にしておいて、後でたんまりと食べろ!!』

『ん……んぐっ。わかった』

 

 このような微笑ましい三人の姿をカナエは見たことがある。

 これ以来、つむじは流が来る時に限り、食事を程々に済ませるようになった。

 

(この子も()()()()()んだわ……)

 

 言葉にはしない。いや、できない。

 それでも確かにつむじは悲しみを覚えている。言語化できない感情に心を悩ませていた。

 

「つむじちゃん……それはね、貴方も氷室くんと同じように悲しんでいるからなの」

「心の傷」

「そう」

「治る?」

「治るかもしれないけれど、治らないかもしれないわ」

「じゃあどうすれば……」

()()()()()()

「!」

「伴田さんの言葉。私達は、一生この傷と一緒に歩いていかなきゃならないの。だから、時間をかけて向き合っていくしかないわ」

 

 両親を鬼に殺され、悲しみに明け暮れた経験があるからこそ、カナエの言葉には重みがある。

 なんとなくつむじも彼女の声音に思うところがあったのか、しばらく考え込むように俯いた後、弾かれるように面を上げた。

 

「鴉……」

「え?」

 

 何事かとつむじの視線を辿れば、半開きになっている病室の窓の縁に、一羽の鴉が降り立っていたではないか。

 

「イツマデ寝テルノデス! 未熟ナ貴方ノ為ニ、任務ヲ斡旋シテキマシタヨー!!」

 

 どうやら凛の鎹鴉らしい。

 まだ復帰していない凛に対して任務を携えてくるとは、彼の鎹鴉も中々行動が積極的だ。

 しかし、鍛錬の疲れと睡眠薬で眠らされている凛にとって、傍で鴉に騒がれるのは寝心地が悪いことこの上ないであろう。その上、鎹鴉は薬云々を知らない。つまり、ただただ騒がしいだけである。

 

「あらあら……ちょっと静かに……って、あれ? つむじちゃん」

「……」

 

 カナエが静かにするよう歩み出そうとする前に、つむじが鎹鴉の下へ駆けよっていた。

 刹那、彼女の右手が鎹鴉の首根っこを掴む。これには鎹鴉も驚きの表情だ。

 

「ガァー! ガァー! 何ヲスルノデス! 暴力反対! 暴力反対ィー!」

「五月蠅い」

「放スノデス! 放スノデス!」

「焼かれたい?」

「……カァー」

「……私が行く。任務」

「カァー?」

 

 突拍子のない申し出に、これには鎹鴉も困惑した表情だ。

 そこへ遅れてやってきたカナエが、つむじの手から鎹鴉を放させ、やんわりとした口調で問いかける。

 

「つむじちゃん、どうして? 貴方も任務から帰ってきたばっかりでしょう?」

「燎太郎もそうしてる」

「え?」

 

 ここ最近、蝶屋敷に中々帰って来ていない燎太郎はと言うと、ずっと任務に入り浸っている。

 

『凛が傷を癒すまでの間、俺があいつの分まで鬼を狩る!!! いいや、流の兄貴の分……いいや、カナエさんの分も!!! 俺はやる!!! やってみせるぞぉ!!!』

 

 そう意気込んでいた。

 立ち直るまでの時間がかかることに理解があったのだろう。故に、見舞いの時間を惜しんで世の為人の為に鬼を狩っている。

 

「流に、友は大切にしろって言われたから」

 

 つむじもそれに倣い、凛に持ち寄られた任務を代わろうという魂胆だった。

 そうした彼女の気遣いに、カナエは泣きそうな笑みを湛えながら、そっとつむじの頭を抱き寄せた。

 

「とても優しいのね」

「ん……」

「大丈夫……貴方なら……貴方達ならきっと乗り越えられるから。どんな苦難も、絶対―――」

 

―――お前が繋げ。

 

 三者三様の歩みを見せる三人に、カナエは今一度、流に託された言葉の重みを実感する。

 どうか繋いで行かなければならない。生き残った者達しか繋いで行くことはできないのだから。

 

 カナエは自分が今何をすべきか熟考せんと誓うのだった。

 でなければ、あの世の流に合わせる顔がない。

 

 

 

 ***

 

 

 

 立ち止まっていることが、途端に苦痛に思うようになった。

 ならばと体を動かし汗を掻いてみるのはいいものの、それ以上に溢れる想いが毎晩目から零れ落ちる。

 

 しかし、立ち止まってはならないと己に言い聞かせて刀を振るった。

 だが、気持ちだけがどんどん前へと進むばかりで、心は取り残されたままだ。

 

 まだ自分の心は、流が死んだ時から一歩も動けてはいない。

 理性と感情が離れ離れだ。こんな感覚は生まれて初めての経験だった。

 

 夢を見ることさえ恐ろしい。

 だから、夢など見ぬ深い眠りにつくよう、罰ともとれる鍛錬を己に科した。

 その度、自分の限界を思い知らされては自己嫌悪が襲い掛かってくる。

 まるで生き地獄のような気分だった。

 

(流さん……どうして……)

 

 兄とも父とも違うが、心より信頼を寄せていた男。

 彼の死を思うと、鬼への怒りよりも、ただひたすらにとめどない悲しみが押し寄せてくる。

 

(僕はまだ……貴方に……)

 

 ズキリと頭が痛む。

 そうして意識が覚醒した凛は、朦朧とした意識の中、ぼやける視界の中にとある人影を望んだ。

 

(……流さん?)

 

 彼によく似た風貌の男に見えた。

 が、視界が明瞭になるより前に男は凛の視界から去ってしまう。

 

 次第に目が冴えていく内に、自分が見つめていた場所が病室から廊下へとつながる廊下だと気付く。

 その時だった。

 

「あ、起きてる」

 

 ひょっこりと物陰から覗きこんでくる少女。

 突然目が合ったことに固まる凛であったが、足早に歩み寄って来る少女は、凛のベッドに近くにあった椅子に腰を下ろす。

 

「え、と……君は……」

「あれ? まだ寝ぼけてるのかな?」

「う~ん……」

 

 覗き込んでくる少女の顔をじっと見つめる凛。

 花のように朗らかに笑う可愛らしい印象の子だ。

 確かに、この“熱”には覚えがある。

 

 瞼を閉じ、思い出す。

 そうだ。この“熱”は藤の花の香りに満ち満ちる山で感じていた。

 

 次第に感覚が鋭敏になっていくにつれて、目の前に居る相手が何者であるのか、

 

「……真菰?」

「久しぶり」

 

 にっこりと白い歯を覗かせてはにかむのは、最終選別で一週間共に過ごした真菰であった。

 本当に久しく会っていない。

 同じ同期である燎太郎やつむじとは共に過ごしていた時間が多いにも拘わらず、真菰とは選別以降一度も会わなかった。

 

「どうしてここに……? 怪我でもしたの?」

「怪我じゃないけど。付き添い、かな?」

「付き添い……そっか」

 

 誰の? と聞かなかったのは、まだそこまで頭が回らなかったからだ。

 

「途中で凛の名前を聞いたから、折角だしお見舞いに来たの」

「そうなんだ……」

「何か持ってきてあげればよかったんだけれど、ごめんね」

「ううん……」

 

 気にすることはない旨を伝え、凛は天井を仰いだ。

 久方振りの再会にも拘わらず、不思議な程に何も感じない。

 

 自分が冷徹になってしまったのだろうか。それではいよいよ鬼に近しいな―――と、自己嫌悪の波がまたもや押し寄せてくる。

 

「……お見舞いに来てくれてありがとう、真菰。元気が出たよ。僕はもう大丈夫だから……」

「嘘」

「……え?」

 

 独りになりたい凛の言葉に、真菰が即座に応える。

 余りにも速い応答に困惑する凛に対し、嘘と言い退けた真菰の面持ちは、酷く悲痛なものであった。

 

「何か辛いこと、あったんでしょ?」

「そんなこと……」

「そうじゃなきゃ、そんな顔しないよ」

「……どうしてそう思うのさ」

 

 思わず語気が強まる。

 掘り返されたくない―――否、思い出したくない。その考えばかりが過ってしまうが為に、柄にもない声音を発してしまった。

 「しまった」と咄嗟に口を手で覆う凛であるが、気にしていない様子の真菰は、「それはね」と前置きしてから、彼の肩に優しく手を置く。

 

「今の凛の姿が……私の大切な人によく似ていたから」

「真菰の……?」

「うん」

 

 見当もつかないが、真菰から感じる悲しい“熱”を受け、静かに聞く耳を傾ける。

 

「誰かが死んだのを自分の所為だってずっと……ずっと責め続けてるの」

「……!」

「守られて、死なれてしまって、だから自分が死ねばよかったって思ってる。そんなことないのに。でも、悲し過ぎるから……その人が死んだ現実に面と向かうと、悲しくて前に進めないから、って……」

 

―――一体、誰の話をしているんだ?

 

 まさか誰かが自分について真菰に語ったのではないかと疑う内容。

 しかし、真菰は実際に凛ではない()()()()()について語っている。

 

「そんな人の姿に似てる凛を……私は見過ごせない」

「真、菰……」

「良かったら聞かせて? 一人で抱え込まないで」

 

 そう言われた途端、凛の目から涙が溢れ出る。

 拭えども拭えどもあふれ出てくる涙は、まさしく凛の胸奥に押し込められていた悲しみに他ならない。

 一度決壊すれば、きっと溺れ死ぬまで身動きが取れなくなるだろう。そう予感していたからこそ、無理を押して鍛錬していた。

 

 が、零れ落ちてしまったものは仕方がない。

 

「うっ……う゛ぅっ……!!」

「ゆっくりでいい。ゆっくりでいいから……ね?」

 

 背中を擦る真菰に宥められながら、嗚咽に塗れた言葉を吐きだす。

 己の発する一言一句が胸を貫き、その度に心に猛烈な痛みが奔る。

 それでも吐露する想いは止まらない。流の死で感じた己の無力、もっと努力していれば彼を救えたのではないかという後悔、彼の死に立ち止まってしまうことへの恐怖、そして努力を重ねても実感できぬ鍛錬の成果への焦燥。それら全てを誤魔化す為に鍛錬に明け暮れていたことも―――。

 

 恥も外聞も捨てて語った内容は、痛みさえ伴ったものの、久しく感じていなかった生きている心地を思い出させた。

 だからこそ、より考えてしまう。

 

「僕は……あの人みたいに強くなれないんだ、きっと」

 

 四肢を失い、尚も鬼と戦う道を選んだ流。

 しかし、そもそもそれは心が強くなければ話にならない。

 その心が自分は弱い。凛はそう嘆く。

 

「心が……折れそうなんだ」

 

 だから、立ち直ることはできない。

 諦観していた。

 

 そう訴える凛を前に、真菰は得も言われぬ表情を浮かべる。

 しばし、熟考したのだろう。すぅ、と息を吸い込んだ真菰は、意を決した様子で口を開いた。

 

「……そんなことないよ」

「え……?」

「凛は強い子」

 

 フッと柔和な笑みを浮かべた真菰は、そっと掌を凛の頬に添える。

 

「大切な人を失っても、必死に頑張ってる。それはゆるぎない事実だ」

「だけど―――」

「でもね、凛。俯いたままじゃ駄目。悲しいからって目を背けるみたいに俯いたら、進むべき道から逸れちゃうんじゃないの?」

「……!」

「今の凛は遠回りしてる。その流さんって人から本当に託されたものって何?」

 

 ヒュウ、と風が病室を吹き抜ける。

 

―――ああ、そうだ。流さんは……。

 

 諦めるなと。

 焦るな。逸るなと。

 本当の不幸は自分の意思で道を決められないことだと。

 

 彼を亡くした悲しみに急いて、無我夢中で自分を追い詰めることは、本当に彼が望んだことであるのか? いいや、違う。

 

「流さんは、僕に……」

 

 彼との思い出が走馬燈のように蘇る。

 どれも美しい、色あせない思い出ばかり。

 ここまで自分を導いてくれた彼が、最も自分に伝えたかったことは、

 

()()()()で……道を……選べって……!!」

 

 掛けがえのないものは、いつだって自分の意思で選んだ道の中で手に入れた。

 諦めないことも、全ては自分の意思だ。言われるがままのうのうと行っていた訳ではない。

 最近の自分は、選ばず逃げていた。それは最も不幸なことであり、流も望まぬことである。

 

 死しても繋いでくれるよう託してくれた彼への冒涜に等しい。

 

 「ごめんなさい」と繰り返し言葉にする凛。

 そんな彼を宥めるように、真菰は告げる。

 

「……私はその流さんって人の事をよく知らないけれど、きっとその人は凛の選んだ道を尊重してくれるはずだよ。このまま逃げることだって、進むことだって。絶対言えることは―――凛の幸せを願ってること」

「僕の……幸せ」

「うん」

 

 言い切った真菰を前に、凛はそっと自分の胸に手を当てる。

 鼓動が高鳴り、血が体を巡る感覚。

 そうだ、生きている。自分は生きているのだ。

 流に守られて繋がれた命を捨てるのは、余りにももったいない。

 彼の想いを蔑ろにしたくもなければ、このまま辛い想いをすることも御免。

 であれば、何をするべきか。

 すでに答えが出ている問いに対し、凛は己の中で自問自答を繰り返す。何度も何度も思い出し、心に刻む。

 

 二度と忘れるもんかと―――。

 

 その時だった。不意に廊下の方から物音が鳴り響く。

 何事かと二人の視線が廊下に向けられれば、何やら赤い突起が物陰から覗いているではないか。

 

「お面……?」

「あ、あのぉ~……失礼してもよろしいでしょうか?」

「鉄穴森さん!」

 

 正体は、凛の日輪刀を鍛えるのを任されている刀鍛冶・鉄穴森であった。

 病室内の雰囲気を察し、中々入れず二の足を踏んでいた彼であったが、凛達に気づかれたことで恐る恐るながら室内へと足を踏み入れる。

 

「その、氷室殿……新しい刀をですね」

「あ、ありがとうございます……! すみません、また刀を折ってしまって……」

「い、いえいえ! 刀はどれだけ丹念に手入れしてもいつか折れてしまうものです。折れるのは刀の性。しかし、その時はまた打ち直せばいいのです。人間も同じ。はい、私はそう思います。はい」

 

 どこか取り繕ったような言葉選びに、「ああ、あそこらへんから聞かれてたんだ」と察する凛は、恥ずかしそうに頬に朱が差した。

 

「と、私の話はいいのです、氷室殿。その~、他に話がありまして……」

「えっ」

 

 まさか、刀を折り過ぎて刀鍛冶が外れるという話ではなかろうか。

 冷や汗を流す凛に、「いえ、悪い知らせではない……と思うのですが」と言い淀むように前置した鉄穴森は、一振りの短刀を取り出す。

 

「ん? これは……」

「どうぞ、抜いてください」

「は、はぁ……」

 

 言われるがまま抜いた刀身は、すでに海のように深い青色に彩られていた。

 若干の年季を感じさせはするものの、使った回数が少なく、加えて手入れが行き届いているのかほとんど劣化していない。

 この新品同然の刀は一体なんなのか?

 そう訝しむ凛に対し、鉄穴森は深呼吸してから、いざと言わんばかりの気概を見せて語り始める。

 

「それはですね、伴田殿の日輪刀でして……」

「え!?」

「裏をご覧になってください」

 

 言われた通り刀身を裏返せば、根本に「惡鬼滅殺」と文字が彫られていた。

 この文字が刻まれるのは柱のみ。そして、この水の呼吸に適正を示す色合いと鍔の形状を考慮すれば、今凛が手にしている日輪刀が流のものであることには間違いなかった。

 

「ど、どうしてこれを……?」

「伴田殿の刀を担当していた方……鉄井戸さんという方なんですけれどね、仕込んでいた刀身と損傷が激しかった方の刀を組み合わせてですね、貴方に差し上げろと仰せつかりまして……」

「い、いいんですか? 僕なんかに……」

「それが刀も本望だろう、と……」

「!」

 

 流の右腕に仕込まれていた日輪刀の刀身に、千切れた左腕が握っていた日輪刀の流用できる部分を組み合わせて誕生した、流の形見とも言える代物。

 中々粋なことをしてくれると感じた一方で、これを使うのは少々気が重い。

 感嘆するような息を漏らして居れば、落ち着かない様子の鉄穴森があたふたと語を継ぐ。

 

「わ、私も貴方が喜んでくれるならばと、言いつけ通り持ってきたのですが……そ、そのう……気を悪くされたでしょうか?」

 

 凛が流の死に心痛めている旨は小耳に挟んでいたのだろう。

 それ故の気遣いが、この短刀という訳だ。

 

「……うっ……う゛ぅ……」

「氷室殿?」

「うぁ……あああぁぁぁああああぁぁああああ……!!!」

 

 突如として凛は泣き崩れる。

 託された短刀を抱きしめ、嗚咽を漏らしながら涙を零す。

 その様子にこれまた慌てる鉄穴森であるが、一方で真菰は「よしよし」と凛の頭を撫でていた。

 

 それから数分後、凛の涙がようやく収まった頃だった。

 彼が横たわるベッドには、無数の涙の痕が残っている。

 顔面も泣き腫らして真っ赤になっているが―――どことなく凛然とした佇まいが戻っていた。

 

「ありがとうございます……鉄穴森さん。その鉄井戸という方にもお礼を伝えていただけないでしょうか?」

「はえ? あ、あぁ、はい! 勿論!」

「それと真菰……ありがとう」

「もう大丈夫?」

「……うん」

 

 晴れやかな笑顔を浮かべる凛に、真菰もまた笑顔で返す。

 

 一度は立ち止まりかけた凛を再び歩み出させるきっかけは、他ならぬ彼が助けた少女であった。

 そして、流が遺した物もまた、再び歩みだす凛にさらなる力を授けるであろう。

 

(流さん……僕は今度こそ諦めませんから。どうか見守っていてください)

 

 二つの刀を手に、凛は再び鬼滅の道を行く。

 ここからが、再出発だ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 一方、産屋敷邸にて。

 ここでは数か月一度開かれる柱合会議が開かれていた。

 主な議題は、流を殺害した上弦の弐についての情報共有。

 そして、

 

「前任の水柱や、カナエからの推薦もあってね……水柱は彼に勤めてもらいたいと考えているんだ」

「冨岡義勇様、どうぞ前へ」

 

 玉砂利の敷き詰められた庭の奥から、当主の御内儀たるあまねに呼ばれ、八人の柱の間を抜けて、一人の青年が輝哉の前へと赴き跪く。

 静謐な印象を与える青色の瞳と、左右で柄の違う半々羽織が特徴的であった。

 

 抜けた水柱の穴を埋めるのは、同じ水の呼吸を究める青年。

 

「義勇。君を“水柱”に任命したい。これから鬼殺隊の“柱”として君を頼りにしたい。いいかな?」

「……御意」

 

 僅かに溜めた後、頭を垂れる義勇。

 大半の者は彼の逡巡を気にも留めず、新たな柱として受け入れるだけだった。

 

 このように時代は移ろう。

 鬼と戦い、誰かが死せども、死した者の想いを誰かが継いでいく。

 

 それが鬼殺隊。

 流の死は、とある鬼殺隊士達にとって大きな転換点となり、物語は次なる舞台へと移り変わるのであった。

 




*肆章 完*
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