鬼滅の流儀   作:柴猫侍

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伍章.継子
拾参.日進月歩


 闇に乗じて鬼は動き出す。

 人間をしたためる化け物。かつて己が人間であったことを忘れ、欲のままに肉を貪り喰らう彼等に襲われた者達の怨嗟や嘆きの声は止まらない。

 だが、その連鎖を止めるべく鬼滅の刃を振るう者達は、何百年も前から存在している。

 鬼と同様、お天道様が顔を隠してから動き出す彼等は、獲物を求めて徘徊する鬼を斬る。

 

「ひ、ひぃ!」

 

 怯え竦んだ鬼が尻もちをつく。

 彼の目の前には、白銀の刀身を宿す日輪刀と、深い青色を宿す日輪刀を携える剣士が立っていた。少年と青年の間を移ろう最中の風貌。あどけなさと凛然たる知性を瞳に宿す彼は、ふと、鬼に問いかけた。

 

「―――貴方は、人を喰い殺したことを悔い改めますか?」

 

 不気味なほどに落ち着いた声音。

 鬼はこう返す。

 

「く、悔い改める! 反省する! だから、命だけは……!」

「……ごめんなさい。それはできません」

 

 必死の懇願を丁重に断る剣士。

 次の瞬間、鬼の纏う雰囲気が一変する。

 

「じゃあ……お前が死ねえええ!!!」

 

 鬼本来の獰猛な姿を露わにし、爪を振りかざしてくる。

 嗚呼、なんと虚しいのだろう。

 頬に伝う一筋の“熱”を覚えつつ、剣士は一閃する。

 

 水の呼吸 肆ノ型 打ち潮

 

 流麗な剣閃は、鬼の武器足り得る腕や足をバラバラに斬り飛ばした。たったの一瞬。瞬きする間もなく無力化された鬼は、全身に奔り抜ける激痛に顔を歪めながら咆哮する。

 

「ば、馬鹿なぁぁぁあああ!!?」

 

 その表情に浮かぶのは、紛うことなき絶望。

 これまで喰らってきた人間が、死の直前に浮かべていた表情そのものであった。

 しかし、それを鬼自身が確かめることはできない。

 何故ならば、すぐさま彼の命を絶つもう一振りの刃が迫っていたからだ。

 

 氷の呼吸 伍ノ型 (そそぎ)

 

 鋼の冷たい感触が頚を通り抜けるのも束の間、迸る血の生暖かい感覚を覚えた鬼は、間もなく地に転がった。

 不思議と痛みはない。久しく眠る必要のない体に、唐突に猛烈な睡魔が襲い掛かって来るではないか。

 

―――これが、死、か。

 

 悟った鬼は、目線だけでも己を切り捨てた剣士の方を向かせる。

 今にも泣きだしそうな顔を浮かべる剣士。彼の表情に浮かび上がるのは、確かな憐れみであった。

 散々人間を喰い殺した鬼に対して憐れみを覚えるとは―――なんと慈悲深い者なのだろう。

 と、人間らしい考えが脳裏を過ったところで、鬼の意識は途絶えた。

 最後の最後に人間を取り戻した鬼は、それはそれは安らかな寝顔を浮かべていたのだった。

 

「……よし」

 

 両手に携えていた日輪刀を鞘に納める剣士は、未だ刀を握っていた感触が離れない手を合わせながら黙祷する。

 長く、それは長く。

 今まで鬼に殺された者達への鎮魂も含んだ黙祷は、一分ほどで終わった。

 それが限界。次なる鬼を殺し、人を守るために許される猶予はその程度だ。

 故に彼は歩みだす。一度は止まりかけた歩みを、もう二度と止めないように。

 過去から背中を押してくれる大切な人々、そして未来を生きる者達を守るために進み始める。

 

「……今、帰りますからね」

 

 形見の日輪刀の柄を撫でながらつく帰路は、星明りに照らされていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ずるる」

「ぢゅるる」

 

 屋台でそばを啜る音を響かせる二人組が居た。

 若い男女が並んで食事をする様は、傍からみれば青春の一頁の真っただ中であることを錯覚させるが、実のところそのような訳ではなかった。

 

「ずずッ……んっ! それにしても帰りに会うなんて奇遇だったよ。一か月ぶりくらい?」

「ぢゅるるんッ! ……ん」

 

 母親の形見の(かんざし)で髪をまとめる凛は、一心不乱にかけそばを頬張るつむじに笑いかけた。

 二人とも任務帰り。その道中で合流し、こうして食事を摂っているという次第だ。

 余程腹を空かせていたのか、つむじはすでに三杯目を頼んでいる。あの華奢な体のどこに収まっているのか……出会って数年になるが、未だに疑問に思うことがある。

 

 しかし、実際この屋台のかけそばは美味い。出汁が効いている。任務帰りの疲れた体に染み渡るような風味だ。

 二人一緒に替え玉を頼んでから、話題を投げかけるのはやはり凛だ。

 

「そう言えば、つむじは読んだ?」

「ん?」

「燎太郎からの手紙」

「ううん」

「……そっか」

「ん~」

 

 半ば予想通りの結果に苦笑が浮かぶのは仕方がない。

 主に蝶屋敷を拠点として任務に向かう三人であるが、任務地によってはしばらく蝶屋敷から離れることもある。そうなれば、互いの任務で行き違いとなり、長期間顔を合わせないという事態も少なくない。

 流が死んでから一年以上経つが、何度かそういった経験があったため、カナエから「互いの近況を伝えるために置手紙をしてはどうか?」と提案されたのだ。

 

 どんな任務で、どんな場所に向かうのか。

 病気やケガはしていないか。

 ちゃんと好き嫌いなく食べているのか。

 しっかりと睡眠や休息はとっているのか……等々。

 

 師と言っても過言ではない男を亡くし、頑張り過ぎてしまいそうな互いを適度に注意する意味も含めた手紙は、それなりに機能していた。

 が、つむじは必要最低限のことしか書かず、あまつさえ他人の手紙を読むことを忘れがちだ。

 

 それを踏まえても、つい最近燎太郎から伝えられた内容をつむじが知らないのも仕方のないことだ。

 

「燎太郎が炎柱の継子になったって話なんだけれどね」

「……炎柱?」

「うん! 凄いよね、知らない間に継子にしてもらっちゃって……だって、継子って才能ある人しか選ばれないし!」

「……炎柱ってなに?」

「……うん、そこからだね」

 

 最早清々しささえ覚える。が、だからこそつむじだとも言える。

 

「要するに炎の呼吸を使う柱の人だよ」

「柱……強い人」

「うん。流さんとかカナエさんみたいに」

「ふ~ん……」

 

 二人の名前を耳にし、僅かにつむじの瞳に興味の光が宿る。

 彼女もまた、教示してくれた流のように強くなろう努める剣士の一人。同じ組織内の強者(つわもの)には相応の興味を示す訳だ。

 

「名前」

「炎柱の人の?」

「ん」

「確か……」

 

 綴られていた文字を思い出す。

 その名は、

 

 

 

 ***

 

 

 

「俺が炎柱、煉獄杏寿郎だ!」

 

 溌剌とした声が部屋に響きわたる。

 じーんと鼓膜を揺らすような声には、少し離れた場所に座っていたカナエすらも若干顔を歪めるほどだ。

 

 そうした大声を発した男、彼こそが新たなる柱―――炎柱・煉獄 杏寿郎その人だ。

 揺らめく炎を彷彿とさせる癖のある黄金の御髪に、これまた煌々と燃ゆる炎を模した色の羽織が特徴的だった。

 情熱を絵に描いた正義漢。

 彼から受け取った印象はそれだった。

 

「は、初めまして……氷室凛です」

「東雲つむじ」

「氷室少年に東雲少女か!! 相分かった!!」

 

 一挙手一投足が力強い。

 仰々しい訳ではない。どっしりと、己の身の振る舞いに堂々たる自信を覚えているような―――そういった身振り手振りなのだ。

 

 思わず気圧される凛は、何故このような状況になったのか説明を求めるように、杏寿郎の隣に座っている燎太郎へと目を向けた。

 

 しばらく見ない内に、また精悍な顔つきとなったものだ。

 隊服から覗く地肌に細かな傷跡が覗くが、それは今日までの戦いの軌跡―――彼曰く、勲章のようなものだという。

 

 そんな彼は、ふとした瞬間に雲の切れ間から差し込む陽光の如き眩しい笑みを湛える。

 

「この人が俺を継子にとってくれた煉獄の兄貴だ!」

「それは分かったけれど……えっと、なんでここに……?」

「それは俺から説明しよう!」

 

 ぎょろりとした瞳を向けてくる杏寿郎にたじたじとなりつつ、「はぁ」と応える凛。

 わざわざ柱が赴いてくるにとどまらず、指名された意図を勘ぐっていた凛に対し、杏寿郎は明朗な声音で告げる。

 

「単刀直入に言う! 俺の継子になってみる気はないか!」

「継子……え、継子!?」

「ああ! 継子だ!」

 

 突拍子のない提案に一度は茫然としたが、否応なしに正気を取り戻らせる声に、凛は体の芯が震えるような感覚を覚えた。

 まさに青天の霹靂。流が存命の内は叶わなかった継子という立場―――次期柱として現柱に直接稽古をつけてもらえる立場は、凛にとっても願ってもないものである。

 しかし、懸念もあった。

 

「あの、ちなみに煉獄さんの呼吸は……」

「炎だ!」

「僕、氷なんですが!」

「なに、同じ呼吸でなければ継子にしてはならない決まりはないと彼女に聞いたのでな!」

 

 大丈夫だ、問題ないとでも言わんばかりの声音だが、凛は若干気が引けているような面持ちを浮かべている。

 

 と、彼からカナエへと目を移す杏寿郎。

 カナエが花柱を引退するのと入れ替わる形で炎柱となった杏寿郎は、少なからず彼女と面識があったのだろう。

 そして、それ故に今の状況があると言っても過言ではない。

というのも、

 

「私が皆を継子にしてくれそうな人に掛け合ったのよ」

「カナエさんがですか?」

「ええ」

 

 朗らかな笑みを湛えるカナエ。

 柱を引退し、膨大な任務から離れることになったカナエは、有り余る時間をしのぶの稽古に費やしていた。

 柱の後継に恥じぬ人材―――すなわち、後の柱としてつける稽古は地獄の一言。それも偏に唯一の肉親である(しのぶ)に死んでほしくない一心故だ。

 

 だが、そうした鍛錬をつける一方で、蝶屋敷に運び込まれた隊士にも元柱として稽古をつけていた。となると、相対的にしのぶ以外の隊士にかけられる稽古の時間が少なくなる訳であり……。

 

「それに、私から教えられることはほとんど教えたから……それなら、他の柱の人の継子になった方が勉強になると思ったの!」

 

 いぇい! と拳を掲げるカナエ。

 とどのつまり、カナエとしては三人に対して免許皆伝を言い渡したつもりなのだ。

 花の派生である蟲の呼吸ならば兎も角、氷や炎、風といった呼吸を扱う三人につけられる稽古には限界がある。

 ならば他の呼吸法を扱う者に託した方が成長を望めるのではないか。カナエなりに色々と考え、便宜を図ってくれたのだった。

 

「本当は皆それぞれの柱がいいと考えたんだけれどね……」

「悉く断られたと聞いてな!! ならばいっそのこと俺が全員の面倒を看ようと!!」

「な、なるほど……」

 

 カナエは風柱や水柱に打診したものの、

 

『俺は継子なんざとるつもりはねえぞォ』

 

 と言われたり、

 

『……必要ない』

 

 と突き放されたりしたと言う。

 

 そして巡り巡って柱としては新参の杏寿郎へと話が回って来た。

 結果、杏寿郎は彼女の申し出を了承。偶然任務先で出会い、図らずも燎太郎を継子にしていたこともあり、とんとん拍子で話が進んだらしい。

 

「なに、そう心配そうな顔をするな! 俺が面倒を看る限りは絶対に見捨てん! いずれ柱足り得る剣士に育ててみせる! 約束しよう!」

「……ッ」

 

 気圧される余り、言葉すらも出てこない凛。

 その横でつむじは「暑い……」と胸元を手で仰いでいる。燎太郎もそれなりに熱い人柄であるが、杏寿郎はそれを遥かに上回る。

 まるで太陽のような人間だ。目を背けたくなるほどに眩い存在。

 

 なるほど。一隊士としては余りにも無礼な考えであるかもしれないが、彼も流のように柱足り得る剣士だ―――凛は心で理解した。

 

「……わかりました」

 

 元々、断る理由もない。

 

「不束者ですが、よろしくお願いします!」

「うむ! ……して、そちらの君はどうする?」

「……二人が行くなら私も」

「決まったな!!」

 

 バンッ! と振り下ろされた手で太腿を打ち鳴らす乾いた音を響かせる。

 それは三人の新たな激闘の日々の出発を報せる閧か、はたまた―――。

 

「三人とも! 今日から俺の下で励むといい! 柱までの道は長かろう! 百歩や千歩は優に超える道のりを歩むだろう! だが案ずるな! 俺が居る! 俺と共に立派な剣士を目指し歩んでいこう!!」

「押忍、煉獄の兄貴!」

「は……はい!」

「ん」

 

 それにしても熱い人だ。

 いつまでも同じ感想が頭の中を巡るのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 煉獄杏寿郎という男の第一印象から想像できる稽古とは、どのような内容だと考えるか。

 とことん根性や意思で回数をこなそうという、俗に言う根性論主体の稽古を想像していたことを、凛は否めなかった。

 

 しかし、実際は違う。

 

「よし! そこまで!」

「ん゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」

 

 汚い雄叫びを上げて担いでいた丸太を下す凛。

 隣でも同じことをしていたつむじと燎太郎が、片や死んだような瞳を浮かべ、片や我ここに在らずといった面持ちで丸太を下す。

 

 杏寿郎に言われて行っていたのは至極単純、丸太を担ぐ鍛錬だ。足腰を鍛えるためには重い物を担ぐのが手っ取り早いというのが杏寿郎談である。

 

「まずは己の限界を知る! そして、知った限界を超えるべく決められた回数を全力でこなす! これが肝要だ!」

 

 彼のつける稽古は、どれも基礎的な部分を鍛えるものであった。

 

 体を安定させる足腰を鍛えるための丸太担ぎ。

 何度剣を振ってもキレが衰えぬ筋力をつけるための素振り。

 呼吸法の要である心肺機能を高めるための走り込み、等々……。

 

 どれも普段から行っているような鍛錬を、あえて杏寿郎は三人に課していた。というのも、彼も柱であるため四六時中三人の面倒を見ることができる訳ではない。

 そこで、対面で行える稽古以外を予め定めておくことにより、三人を鍛えようという魂胆で、前述の稽古をつけられていたのだ。

 

 しかし、これが死ぬ程きつい。死ぬ程きついのである。

 

 定められた時間に定められた回数をこなし定められた休憩を取り―――それの繰り返しだった。

 全てを全力で行う。というより、全力で行わなければ成し遂げられない回数を課されていた。

 しかし、それでも自分に甘えなければこなせる絶妙な回数である。

故に自分に鞭を打って体を奮い立たせる凛たちであったのだが、初日の稽古を終えた段階で、体は襤褸雑巾もいいところの有様になった。

 

 だが、杏寿郎も考え無しではない。

 次の日は前日行った稽古とは別の部位や機能を鍛える稽古を課す。そうすることにより、酷使した部位を休ませつつ、他の部位を鍛えられるという訳だ。

 凛たちよりも回数をこなしているからこその知恵なのだろう。

 もっとも、その回数にこそ凛たちと杏寿郎の間には天と地の程の差があるのだが。

 

「一年経って前より動けると思ってた自分を殴りたいよ」

「ふ、普通の人よりは十分動けていると思うんですけれどね……あ、お茶どうぞ」

「ありがとう、千寿郎くん……」

 

 大分息が整ってきたところに茶を差し入れてくれたのは、杏寿郎の実弟である千寿郎だ。

 溌剌とした兄とは裏腹に、歳不相応に落ち着いた性格の子供であった。

 

 杏寿郎に稽古をつけてもらうに辺り、三人は杏寿郎の実家―――もとい、煉獄家へと拠点を移した。

 何を隠そう、煉獄家は古くから鬼狩りの剣士を出す名門一族。どの時代にも存在している炎柱の大半が、この煉獄家から輩出されているというではないか。

 炎の呼吸は勿論、数百年にもわたり受け継がれてきた鬼狩りの知識の“畜”がある場所だ。鬼狩りの剣士としての力を高めるには、この上なくぴったりの場所と言えよう。

 

 広々とした庭では、現在杏寿郎とつむじが木刀で切り結んでいる。

 えげつない風を切る音を響かせるつむじを歯牙にもかけない様子の杏寿郎は流石と言えよう。

 燎太郎はと言えば、現在厠に向かっているため、実質縁側に居るのは凛と千寿郎の二人だけ。

 比較的落ち着いた性格の二人が共になっている場には、ほんわかとした空気が流れていた。

 

「煉獄さん、凄い人だね」

「ありがとうございます。そう言ってもらえると僕としても嬉しい限りです。兄にも是非直接言ってあげて下さい」

「そう? 煉獄さんみたいに凄い人はもうたくさんの人に凄いと言われてそうだけれど……そうだね、後で直接言ってみるよ」

「はい!」

 

 嬉しそうに笑う千寿郎。が、その笑顔の裏には何か隠されているように感じた。

 というのも、

 

「……槇寿郎さんは、煉獄さんのことを褒めてくれないのかな」

「え、父ですか……!? そ、それは……」

「いや! 言いたくなければいいんだけれど……」

「……いえ、隠しても仕方がないですから。はい、父は余り……」

 

 言葉尻がすぼんでいく、紡いだ言葉も風の中に消えていく。

 杏寿郎と千寿郎の父の名が槇寿郎だ。容姿は息子にそっくりで、無精ひげを生やしている。

 人当たりのよい杏寿郎たちの父であり、加えて元柱であると聞いた時には、それは立派な人間だと当初は思った。

 しかし、実際会ってみたところ、その幻想は打ち壊されてしまったのである。

 

『お前らのような才の無い者が教えを請うたところで、大したものにはなれん』

 

 開口一番に告げられた言葉だった。

 凛と燎太郎は唖然とし、つむじに至っては即座に臨戦態勢に入った。辛うじてすぐさま二人が我に返って止めに入ったものの、初日で先行きが不安になってしまったことは、言うまでもないだろう。

 

 そんな槇寿郎は一日中私室の傍の縁側で酒に入り浸っているばかりだ。

 何度か会話を試みたものの、返って来るのは当たりの強い言葉ばかり―――というより、罵詈雑言に等しいものだった。

 無気力と虚無感の間に苛立ちが挟まれている。それこそ凛が槇寿郎から感じ取った“(いんしょう)”であった。

 

 妻―――もとい、杏寿郎たちの母である瑠火(るか)という女性が先立っていることも理由の一つかと考えたが、真実を聞こうにも槇寿郎があのような様子であるため、おいそれと聞けはしない。

 

「二人とも頑張ってるなら、ちょっとくらい褒めても良さそうだけどね……父親も難しいんだね」

「……はい」

 

 実の父親こそ居なかったが、父親のように愛情を注いでくれた存在が居たからこそ、槇寿郎のように実の父親にも拘わらず子供たちに愛情を注がないことに、抱いていた勝手な夢想への僅かながらの落胆と現実の難しさへの苦悩を覚える。

 

「父も昔は情熱を持っていた人だと聞いたんですけれどね」

 

 と、千寿郎は語を継いだ。

 すると、頭の中で暗雲の如く立ち込めていた問題が晴れ渡った気がした。

 

「―――そっか。じゃあ、分かる気がするなぁ」

「え……?」

 

 ぱちくりと目を白黒させる千寿郎に対し、凛は杏寿郎たちの方に視線を向けたまま続ける。

 

「どんなに情熱を持っていても、ふとした瞬間にそれが冷めてしまうような感覚。凄く分かるよ」

「凛さん……」

「大切な人を守れなくて、自分が無力なんだって現実を叩きつけられると、それまでが嘘みたいに立ち上がれなくなる」

 

 未だ癒えぬ傷がじくりと痛む。

 忘れられぬ傷を思い出しながら紡がれる凛の言葉は、酷く生温かった。

 

「柱だったお父さんなら、きっと何度かそういう経験があってもおかしくはない……と思うよ」

「父が……」

「ホントにただの予想だけどね」

 

 そう言って笑う凛の笑顔は、取り繕われたものであるように見えた。

 同時にそれとなく彼の経験を察する機会にもなった。

 

「……母は、僕が物心つくより前に先立たれました」

「……うん」

「兄から聞いた話では、それは立派な母だったと。弱き人々を守るのが強き者として生まれた責務だと教えられたそうです」

「弱き人々を……」

「ええ。その言葉を糧に、兄は柱にまでなった。本当に僕の誇りです。草葉の陰で母も喜んでくれていることでしょう」

 

 はぁ、と一息吐いた千寿郎は「でも」と語を継いだ。

 

「あの兄でさえ人を守れなかったことはあるんだと確信しました。表立って言わないだけで……だって見たことが無いんです、そういった姿を」

「心配?」

「はい。父のこともあります。きっと気弱い僕を気遣ってくれてるのでしょう。でも……でも! 僕はそんな兄を守りたい! いつかはたりと消えていなくなってしまったら、僕は悔やみきれません」

 

 握る拳は小さく震えていた。

 彼もまた煉獄家に生まれた者として、鬼狩りになるために鍛錬を積んできているのだろう。

 

 しかし、感じる“熱”は歳を考えても強者と呼ぶには程遠い。

 

「……だけれど、どれだけ兄を守りたいと願っても、僕には才能がない。兄は大丈夫だと励ましてくれます。それで毎日毎日頑張ってみては居るのですけれど、日輪刀の色も変わったことがありません」

「千寿郎くん……」

「僕は弱い。僕は兄を守れない」

 

 心底悔しそうな声音で吐露される思いの丈。それは名門の家に生まれた者として。

 そして、

 

「じゃあ、兄は誰が守ってくれるんでしょう?」

 

 たった一人の弟としての苦悩。

 

 兄の強さを最も信頼している千寿郎だが、同時に鬼殺隊が柱でさえ容易く殉死する場であることを理解している。

 今日まで自分が健やかに育ってこられたのは、偏に偉大な兄が居るおかげだ。

 その兄が、もしも永遠に帰ってこないことがあったならば―――そうした考えが脳裏を過るたびに、胸が締め付けられるような痛みに苛まれる。

 

「僕は……悔しいです。誰も守れないことが」

「そんなことないよ」

 

 自嘲気味に言い放たれた言葉は、即座に否定された。

 弾かれるように千寿郎が顔を向ければ、隣に座っていた凛が、穏やかな笑みを湛えてこちらを見据えている。

 同情している様子ではない。

 どこまでも爽やかな印象を与える笑みのまま、凛はこう告げる。

 

「守るってのは、鬼の手から人の命を救うっていうだけの意味じゃないと思うんだ。千寿郎くんは、任務で忙しい煉獄さんのために家を守ってる……違う?」

「そ、それは……その気になれば兄もできることですし」

「でも、実際に守ってるのは千寿郎くんだよ。その事実に間違いはない」

「……そう、ですかね」

 

 僅かに千寿郎の面持ちが柔らかくなる。

 どうにかして兄の力になりたい。その一心で日々努めてきた千寿郎。しかし、兄以外に労ってくれる者など、誰一人としていなかった。兄に労われているとしても、心優しい兄のことだから気遣ってくれているのではないかと邪推するばかり。

 だが、こうして余所から来た他人から告げられることで初めて実感できた。

 

「僕は……兄を守れてるんでしょうかね?」

「うん。きっと煉獄さんも、たくさん千寿郎くんに守られてきたと思うよ」

「それなら……よかったです……ッ!」

 

 安堵が胸に込みあがると同時に、千寿郎の瞳から雫が一粒溢れ出す。

 兄を想うが故に堪えていたものが、彼にもあった。

 それを今、やっと彼は吐き出せたのだった。

 

「ありがとうございます、凛さん。貴方と話して大分楽になりました」

「ううん。来てまだちょっとの奴が何言ってるんだって感じだけど……」

「いえ、そんなこと!」

 

 

 

「みぎゃ!!!」

 

 

 

「「!!?」」

 

 ただならぬ悲鳴を聞き、二人の視線が庭へと向く。

 すると視線の先では、これまた立派な松の枝に引っかかるつむじの姿があった。さながら、もずの早贄のようだ。

 

「一体なにをどうやったらそうなるんですか!?」

「はっはっは! 少し力が入り過ぎてな!」

 

 力が入り過ぎたら人を木の上まで弾き飛ばすとは、どれだけの膂力があれば為せるのか。

 これから彼と稽古をする凛が戦々恐々するのも致し方ないことだろう。

 

 が、格上と打ち合うのは初めてではない。

 

「ふぅ……千寿郎くん。伸びてるつむじのことお願いしてもいいかな?」

「は、はい! もちろん……!」

「それじゃあ……」

 

 縁側から腰を上げる凛は、傍に置いてあった()()の木刀を手に取った。

 

「―――よろしくお願いします」

「……ああ、来い!」

 

 明朗な杏寿郎の雰囲気が一変、喉が焼け付くような闘気が辺りに満ちさせていく。

 流を全てを圧砕する激流、カナエを幻惑的な花弁の繚乱と例えるならば、彼は天地を焼き焦がす業火だ。

 よもすれば塵もないほど燃やし尽くされる闘気にあてられ、凛の頬には真夏の炎天下に立ったかのように汗が滲み出る。

 

 しかし、不思議と体は緊張していない。

 格上と戦った経験は何度もある。ちょうどこのような熱さを発する相手とも。

 

―――今まで乗り越えた壁は決して無駄ではなかった。

 

 確信した刹那、体が動き出す。

 

 あの日から歩み続けた自分こそが、今日この場に立っている。

 託され、繋いできた己が。

 だからこそ研ぎ澄ませた刃がある。

 

 水の呼吸 壱ノ型 水面斬り

 

 大火に放たれるは流麗な一閃。

 それを杏寿郎は難なくいなすが、肉迫した凛が続けざまに真下から仕掛ける。

 

 氷の呼吸 漆ノ型 垂氷

 

 尖鋭な刺突が人体の急所である顎を狙う。

 が、杏寿郎も後手に回ってばかりではない。

 刺突であるが故、攻撃範囲が狭いことを見極めてから最小限の動きで躱し、お返しと言わんばかりの斬撃を繰り出す。

 

 炎の呼吸 肆ノ型 盛炎のうねり

 

 凛の猛攻を一蹴する強烈な斬撃。

 真面に受ければつむじの二の舞になる威力を前に、木刀を二本携える凛は左手の木刀で受け流す。

 杏寿郎から見ればまだ拙さの残る刀捌きであるが、たった一年の鍛錬で炎柱たる自分の一撃を受け流していると考えれば、十分驚嘆に値すると彼は心の中で思った。

 

(“剛”の氷と“柔”の水……二つの呼吸を使いこなす二刀流! 何度か見ているが……やはり面白い!)

 

 柔軟な対応が可能な水の呼吸と、柔軟さを捨てて剣閃の鋭さを極めた氷の呼吸。

 本来、後者の使い手だった凛であるが、流の死以降彼の用いていた水の呼吸を記憶とカナエを頼りに会得した。

 しかも、単純に一本の日輪刀を使い分けるのではなく、形見の日輪刀を携え、二刀流になることにより、同時に二つの呼吸を使うという荒業に打って出たのだ。

 

 傍から見れば奇想天外。一つの呼吸を究めようとしない、ひどく不合理な戦い方に見えよう。

 だが、彼は現に柱と打ち合っている。それが彼の戦い方が格上相手に通用している何よりの証拠。

 

 杏寿郎が初めて目の当たりにした時は、ただただ驚愕していた。

 そして一合で驚愕が驚嘆に変化したのは、今でも鮮明に覚えている。

 

「分かるぞ、氷室少年!! 君の刀捌き!! 一人で歩んできたものではないと!!」

「っ……はい!!」

 

 攻守が転じて守勢に回る凛は、杏寿郎の猛攻撃を受け流す中、彼が一際体に力を入れている瞬間を見逃さなかった。

 

 炎の呼吸 壱ノ型 不知火

 

 単純、故に強力な一閃が迫る。

 が、()()り反応できる。

 灼熱を確かに肌身で感じ取った凛は、無駄な思考を投げ捨て、ほとんど無意識に近い形で動き出す。

 

 氷の呼吸 零ノ型 零閃

 

 水から氷へ成る架け橋となった型も、水を極めんとする凛の練度が上がったため、杏寿郎の一閃でさえ受け流し、刹那の隙を突かんと凛の刃が彼の首目掛けて向けられる。

 しかし、

 

(!? もう……()()!!)

 

 すれ違う杏寿郎は不知火を放った直後で隙ができていたはず。

 しかしどうだ? 凛の零閃が杏寿郎へと届く前に、彼は体勢を立て直すどころか、応戦するように二撃目を繰り出している。

 

 炎の呼吸 弐ノ型 昇り炎天

 

 疾く重い一閃が、凛の一閃を上へと弾く。

 だが、それだけではない。そのままいけば、凛の顎に直撃する軌道だった。

 

 次元が違う―――凛は改めて実感する。

 体勢を立て直す速さはもとい、次の動きへの切り替えが異常に早い。これが幾度の修羅場を潜って来た柱の強さ。日が昇るより早く迫りくる鬼の魔の手から逃れ、返り討ちにしてきた強者の世界だ。

 

(まだだ!!)

 

 零閃は届かなかったが、刃はもう一つある。

 

 水の呼吸 弐ノ型・改 水車(みずぐるま)(ながれ)

 

「ッあぁ!!」

「なんと!」

 

 真下から迫る刃を受け止め、その勢いを殺さんととんぼ返りするように飛び跳ねる凛。斬り上げが巻き起こす旋風が舞い散る木の葉を巻き込み螺旋を描いていたが、それもすぐに止む。

 

 本来前方に宙返りする水車を、あえて相手の攻撃の勢いを活かし、回避へと持ち込むのは、他ならぬ零閃という型の存在を知っているが故だろう。

 

 こうして凛は食らいついていく。

 その姿に杏寿郎は奮い立っていた。

 本来、相手に食らいつかれる事態は歯痒いものでしかない。その他にも苛立ちや焦燥といった負の感情を生み出すのが普通だろう。

 

 しかしだ。現に杏寿郎が感じていたのは、高揚や興奮といった類のもの。

 寧ろ、もう相手を催促するような意気さえ感じられる。

 気が付けば己の口角が吊り上がっていることを自覚した杏寿郎は、猛る心のままに吼える。

 

「いいぞ、氷室少年! そうだ! 心を燃やせ!!」

「え!? あ! はい!!」

「君は火種だ! これから数多の人々の道を照らす光の! なればこそ、俺が心血を注ぎ君たちを育てる! それもまた……俺の責務だ!!」

 

 だから手加減はしないと斬り込む杏寿郎。

 対して、手加減なぞ無用と眼光を鋭くさせる凛が彼を迎え撃つ。

 

 けたたましい勇猛な男たちの激闘の音は、木刀が折れるまで青空に木霊し続けるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ふぅ、すっきりした!」

 

 厠から出てきた燎太郎は、庭の方から聞こえてくる音に耳を傾けながら縁側を歩いていた。

 蝶屋敷も立派であったが、煉獄家も中々のものだ。流石は炎柱を数多く輩出する名家と言えよう。

 

 そのような家に継子として赴いた事実に、どこか感銘のようなものを覚える燎太郎は、打ち震える我が身を抑えながら、急ぎ足で杏寿郎たちの居る庭へと向かう。

 

 早く稽古をつけてもらいたい―――と駆ける燎太郎であったが、不意に見えた人影に立ち止まった。

 

「大師範! おはようございます!」

「……」

 

 不機嫌な眼差しを向けるのは、杏寿郎と千寿郎の父・槇寿郎であった。

 継子である立場上、師範である杏寿郎の父となれば「大師範」と呼ぶに値するだろう―――そう考え、燎太郎たちに大師範と呼ばれている彼であるが、

 

「まだ居たのか。朝っぱら騒がしくして」

「む! それについては誠に申し訳ございません! しかし、全ては師範のような立派な剣士に―――」

「あれのどこが立派な剣士だ。才能もないくせに剣士なぞになって……死に急いでいるだけだど何故わからん!」

「ッ……!」

 

 刺々しい言葉。歯に衣着せぬ雑言に、一瞬燎太郎の額に青筋が立つが、拳を握ってグッと堪える。彼もまた大人に移ろう途中の存在。すぐに突っかかるように子供ではなくなっている。

 しかし、感性までもが変わる訳ではない。胸の内に苛立ちが沸き上がる。

 

 そんな燎太郎に構わず、槇寿郎は酒を仰ぐ。

 四六時中酒を飲んでいる槇寿郎からは、常に酒気が漂っている。むせ返るような空気の中、グッと言葉を呑み込んだ燎太郎は、「そんなことはありません」と口を開いた。

 

「師範は強い方だ! 柱にもなったのだから、大師範にもお分かりになられるでしょう! 柱になるまでがどれほど辛く厳しい道のりか!」

「ふんッ! どうせあいつが柱になれたのは穴埋めに過ぎんだろうに。人手が足りなければあいつ程度でも不相応な立場に据えられる。鬼殺隊とはそういう組織だ」

「そんな……!」

「くだらん、実にくだらん。お前らも継子になって浮かれてるかもしれんが、所詮大したものにはなれんのだ。まったく……」

 

 ぶつくさと憎々し気に言葉を吐き出す槇寿郎は、重い足取りで燎太郎の前から去っていた。

 彼の姿が消えてから三拍。

 ギリ、と奥歯を噛みしめる音が辺りに鳴り響いた。

 

「それが……親の言うことか」

 

 普段の明朗な彼の姿からは考えられぬような声音。

 誰に言うでもなく紡がれた言葉は、徐に吹き渡る風の中へ溶け込むようにして消えていった。

 

「親は……子を……」

 

 瞼を閉じ、蘇る情景。

 

『お師様!』

 

『どうしたんだい、燎太郎?』

 

『俺、お師様みたいな立派な人間になりたい! どうすればいいかな?』

 

『嬉しいことを言ってくれるなあ、お前は。そうだなぁ……儂みたいになりたいんなら、弱

ってる人を助けてあげることじゃなかろうか』

 

『弱ってる人? 弱い人じゃなくて?』

 

『ああ。だってな、お前は儂のだ~いじな息子だ。儂が助けた子供たちが弱いなんてことは絶対にない。お前は将来絶対に立派で強い男になれる。親の儂がそう言ってるんじゃ。間違いない』

 

『お師様―――』

 

 頭に置かれる、大きく温かな掌。

 あれを親の愛情と知っているからこそ覚える、この違和感。

 

 余計なお節介だとは重々承知している。

 しかし、燎太郎は煉獄家の親子関係に異を唱えたい衝動に駆られているのだった。

 

「親は子を……信じるものでは……」

 

 心が、痛い。

 全ては、今は亡き義父からもらった温もりと、今の煉獄親子の関係の冷え込みの温度差が原因だ。

 愛を注がれなければ、人が育まれることはない。

 人が成長するにあたって、最も初めに愛を注いでくれる人物とは誰か?

 それは親に他ならない。

 杏寿郎と千寿郎は、まだ情熱があった頃の槇寿郎の愛と、先だった瑠火の愛を相互に分け与え、辛うじて育まれてきたのだろう。

 ひどく貧しい。柴に灯された炎のように吹けばなくなりそうな火勢の愛だ。

 

 どうにか間を取り持てないだろうか?

 

 そのような思案が頭を過る中、燎太郎は稽古へと戻るのであった。

 

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