鬼滅の流儀   作:柴猫侍

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拾肆.四鳥別離

「……」

「あら、しのぶ。お手紙読んでるの?」

「ちょ、カナエ姉さん! 後ろから覗き込まないでよ!」

 

 縁側で手紙を読み耽っていたしのぶの背後から、音もなく現れたカナエ。

 気配の消し方については流石柱と言ったところであるが、それを覗き見に利用される側からすれば堪ったものではない。

 思わずしのぶは青筋を立てる。

カナエはどうどうと妹を落ち着かせる挙動を見せ、しのぶは「まあいいわよ」とため息を吐いた。

 

「どうせ見られても構わないもの」

「あら、そうなの? うふふ、姉さんはてっきり恋文なんかじゃないかと……」

「違うから」

「もう……そんな怖い顔しなくてもいいのに。ほら、笑顔笑顔!」

「姉さんのせいでしょ!」

 

 と、ツッコミを入れてからしのぶは手紙を見せつけるように差し出す。

 

「恋文もなにも、煉獄さんのところに行った三人からの手紙よ。やましいことなんて書いてないから」

「ふむふむ。なんて書いてあったの?」

「なんてって……当たり障りのないことよ。元気にやってるらしいわ」

「そっかぁ、よかったわ~! 私が紹介した手前、三人に何かあったら、姉さん気が気じゃなかったもの」

「……」

 

―――まったくもってそのような顔には見えない。

 

 そう言わんばかりのしかめっ面を姉に向けるしのぶであるが、当のカナエは一切気にしない様子で、受け取った手紙に目を通す。

 

 綴られていた内容は、しのぶが言った通りこれといって取り上げるような話題がある訳ではない。

 稽古の内容や、杏寿郎と接してみての感触、彼の弟・千寿郎とのたわいのない触れ合い。

 筆を執ったのは凛だろう。事こまやかに綴られている仔細に、煉獄家での彼等の姿をありありと想像できたカナエは、ふわりとした花のような笑みを湛えた。

 

「……三人とも、元気に過ごしてるのね。本当に良かった」

 

 実はと言えば、彼等を杏寿郎に預けるにあたって色々と不安を覚えていた。

 

 流と付き合ってきた彼等が、新たな柱の下でうまく付き合っていけるのか。

 柱と言えど指導する立場としては新米の杏寿郎が、一斉に三人もの隊士の面倒を看られるのか。

 その他にも、ちゃんとご飯を食べているのか、睡眠はとれているのか、怪我はしていないか、好き嫌いはしていないか等々……数え上げればキリがない。

 

 しかし、そんなカナエの心配を余所に、三人は杏寿郎の継子として順風満帆な生活を送っているようであり、胸には安堵がこみ上げてきた。

 同時に感慨深くも思う。

 

「……あの子たちも、いつまでも子供じゃないのね」

 

 無力に打ちひしがれていたあの日の三人の姿が目に浮かぶ。

 そんな三人を慰めたのは、他でもない流の言葉だ。

 誰もが子供を―――無力の時間を経験する。だからこそ焦る必要はない。大人へと―――無力ではない時が来るのを待てと彼は遺した。

 

 遺言に準じた彼等はひたむきだった。

 そうした努力の甲斐があったと証明するように、数多くの任務をこなし、人命を救ってきたが、成長とは体や力だけを指すものではない。

 

 心も、また―――。

 

 鹿威しが木霊し、一拍。

 

「そりゃそうよ。だから姉さんも、私をいつまでも子ども扱いしないで」

「……もう、しのぶったら。自分の感情を制御できない者は未熟者ですっ」

「私のどこが感情制御できてないって言うの!」

「そういうところよ、うふふっ」

 

 むきになる妹を宥めるカナエ。

 

 そうしてしのぶを相手する傍らで、頭の隅では三人の無事を祈っていた。

 だが―――きっと大丈夫。

 

 凛は心優しい人間だ。時に優しさや思いやりが仇となり傷つくこともあるが、また立ち上がる力を彼は身に着けている。

 燎太郎は熱く義勇に満ちた人間だ。その真っすぐさ故頑迷になってしまうこともあるが、根っこにある人を助けたいという気持ちが曇ることはない。

 つむじは淡々と己の使命を果たす人間だ。最初こそ合理性を突き詰める余り非情だった頃もあるが、今は友と過ごし、人の心の痛みを共感できる人間に育っている。

 

 彼等三人ならば、どんな壁でも超えられるだろう。

 

 カナエは、手紙の最後に綴られている内容に目を通してから、徐に面を伏せた。

 どうかこの想いが彼等まで届きますように、と。

 

 

 

 任務から無事生きて、そして笑って帰られるように―――と。

 

 

 

 ***

 

 

 

「先日、この辺りに巣食う鬼を討滅すべく派遣された十名ほどの隊士たちが戻らなくなる事案があった!! 今日は、彼等の雪辱を果たさんと、俺たちが赴いたという訳だ!!」

 

 眠気を吹き飛ばす喝の如き指令に、やや圧倒される凛たち。

 彼等がここにやって来たのは、たった今杏寿郎が話した通りだ。要するに、少なくとも下級ではない強力な鬼を退治するためにやって来た。そういう訳である。

 

 鬼殺隊にとって十名の損失は大きい。

 それほどの相手となれば、柱が居るとしてももう少し人員を増やすべきではないのか?

 何名かは思い至りそうな考えではあるが、他でもない指令を出したお館様こと産屋敷輝哉が、彼等ならばこなせると信じて送り出したのである。

 

 下手に人員を削ぐよりも少数精鋭。三人は、己が思っているよりも上からの信頼は厚かったという訳だ。

 

 そうしてやって来たのは、薄気味悪い廃寺。

 辺りを見渡せば、暫く手入れもされておらず苔むした墓石がずらりと並んでいる墓地が見えるではないか。

 今日の雲行きが怪しいこともあり、一層不気味さを醸し出す廃寺に、人喰らいの悪鬼は潜んでいる。

 

 そう思うだけで唇が渇き、掌が湿っていくようだ。凛は、日輪刀の柄の握り心地を確かめながら、自分の緊張を自覚した。

 

 と、緊張する凛を気遣ってか否か、杏寿郎は「よし!」と一際夜空に響きわたる声を上げる。

 

「散開して鬼の手がかりを探すぞ! 俺は北! 氷室少年は東に―――」

 

 捜索する方角を決める最中、辺りの空気が一変する。

 おどろおどろしい粘着質な熱。真夏の夜の湿っぽさに勝る不快感を催す“熱”は、間違いない。

 

「……向こうから出迎えるとは。が、都合はいい!!」

 

 揺らめく炎を象った鍔の日輪刀が抜かれる。

 その切っ先の向く先には、三体の鬼がゆらりと立ち尽くしていた。

 

 一人は鷲を彷彿とさせる脚を持つやせぎすの男。

 その隣に立つのは、これまた鳥のような翼をはためかせる頬のこけた女。

 最後に、彼等の三歩後ろに隠れるように身を屈める、異様な形をした喉を持つ男児。

 

 その異形の姿は勿論のこと、総毛立つような寒気を放つ彼等が鬼であると断ずるには、鬼殺隊ではない者でされ時間がかかることはないだろう。

 

 すでに杏寿郎に続いて、三人も日輪刀を抜いている。

 

 と、明らかに自分たちを打ち取りに来たと思しき剣士たちを前に、女鬼が口を開いた。

 

「お兄ちゃん。()()()()()?」

 

 酷く枯れた声だった。

 

「ぁ、あぁ、ぁあ」

 

 対して、問われた兄鬼はどもるようにして応える。

 

「こ、こい、こいつらも……おれたちを、を、殺そうとしてるんだ」

「えぇ……!」

 

 非難するような目つきで兄鬼が、杏寿郎たちを指さす一方、背後で屈んでいた鬼が涙に濡れた顔で驚愕の声を上げた。

 

「殺されるの? ()()?」

「あ、あぁ、そうだ。きっとそうだ」

「やだ、やだ、やだやだやだやだ……! こいつらなんかやっつけてよ、兄ちゃん、姉ちゃん……じゃないと、ぼく、ぼく……!」

 

 次の瞬間、異様にたるんだ弟鬼の喉が膨らんだ。

 さながら息を吹き込まれた紙風船のような様相。

 その異変に最も早く感づいたのは杏寿郎であった。凛の“熱”や燎太郎の“痒さ”よりも早く、彼の勘が危険信号を訴えた。

 

「耳を塞げッ!!!」

 

「―――ッ!!!!!」

 

 絶叫さえ生温い轟音が辺りに響きわたる。

 耳を塞いでも眩暈を覚えるほどの咆哮が辺りを揺るがし、眠りについてきた獣たちは一斉に目を覚まし、逃げ惑うばかりであった。

 中には気絶する動物も居り、視界の端では意識を失った小鳥が墜落する様さえ伺える。

 その光景を作り出す元凶の間近に立つ四人は、迂闊に動くことができぬ状況に陥ってしまっていた。

 

「ちぃ!」

 

 だが、どうにかしなければやられる。

 鼓膜が破れるのも厭わぬ覚悟で杏寿郎が駆け出そうとするが、そんな彼の横っ面のすぐ傍を紫電が流れていく。

 ハッと瞠目するも束の間、視線の先で血飛沫が上がると同時に、辺りを揺るがしていた大咆哮が止んだ。

 

「ぎゃあ!?」

「……るっさい……!」

 

 喉に刃物が突き刺さりのたうち回る弟鬼に殺意の籠った視線を投げつけるのは、日輪刀とは別に隠し持っていた暗剣を投擲したつむじであった。

 常人とは隔絶した平衡感覚を有す彼女は、相応の三半規管を有している。そのため、杏寿郎でさえ身を竦めるような轟音の渦の中でさえ、ただ一人身動きがとれた。

 

 そんな彼女の暗剣は、見事弟鬼の鳴き袋に傷をつけて封じる。

 鬼にとってはすぐさま再生できる僅かな傷であるが、柱を目の前にしているとすれば、致命的な隙ではあった。

 

「よくやった!」

 

 爆炎を幻視させる勢いで疾走する杏寿郎が、つむじの作った隙を無駄にしまいと構える。

 が、彼の前には弟鬼を庇うかの如く兄鬼と姉鬼が立ちはだかる。

 

「さ、させ、させるかよ」

「そうやってあたしたち家族を引き裂こうとする奴は……死んじゃえ」

 

 まず、兄鬼が前に繰り出す。

 鳥のような脚で地面を蹴れば、見事なまでの足跡が残るほどに地面が凹む。途轍もない脚力だ。故に、迫りくる杏寿郎の眼前まで迫るのも一瞬だった。

 相対す両者。

 兄鬼は柱ほどの闘気を当てられても怯える様子を見せず、地面に蜘蛛の巣が広がるように罅割れるほど踏み込んでは、天を衝かんばかりの角度と勢いの蹴り上げを繰り出した。

 

 しかし、まんまと喰らう杏寿郎ではない。

 顎目掛けて繰り出された一撃を、頭を逸らし、紙一重で躱し、反撃の一閃で片腕を斬り落とす。

 

 と、そこへ割って入るように追撃を仕掛けるのは姉鬼だ。

 バサリと広げる翼を杏寿郎目掛けてはばたかせる。すると、弾丸の如き勢いで無数の羽根が放たれるではないか。

 純粋な脚力で勝負する兄鬼に対し、姉鬼は鋭い羽根による遠距離攻撃での支援。本来、そこへ弟鬼の咆哮による拘束が加わることで、彼等の連携が完成するのだろう。

 

 なるほど、階級の低い隊士たちが何人も集まったところで勝てない訳だ。

 敵の危険度を確かめた杏寿郎は、迫りくる羽根をしっかりと見据え、機を見計らって剣を振るう。

 

 炎の呼吸 肆ノ型 盛炎のうねり

 

 円を描くようにうねる斬撃は、無数の羽根をいとも容易く斬り落とす。

 これには姉鬼も予想していなかったのか、驚愕の色が顔に浮かんだ。

 

「こいつ……強い……!」

「くぉっ!?」

 

 明らかに今まで相手した隊士と格が違う杏寿郎に動揺する兄鬼と姉鬼。

 そんな彼等を切り捨てる―――かと思いきや、杏寿郎が狙ったのは弟鬼だった。

 

「―――最も厄介なのは君なのでな」

「ひぃ!?」

 

 応戦しようと身構えるも、すでに杏寿郎の準備は整っていた。

 

 炎の呼吸 壱ノ型 不知火

 

 低く唸る斬撃が頚を跳ね飛ばす。

 残像を残す速さで回転する頚はそのまま近くに茂みへと落ちていき、頭部を失った体はと言えば、力なくその場に倒れ込んだ。

 

「お、おま、お前ぇぇええぇぇえ!!」

「よくも……きぃぃぃいいいいい!!」

 

 弟鬼の頚を斬られ激昂する兄鬼と姉鬼。

 だが、そんな二人の背後に迫る影があった。

 月光によって描き出される人影に気が付き、弾かれるように振り向く二体の鬼。彼等の視線の先には、すでに日輪刀を振りかぶる凛と燎太郎の姿が映っていた。

 

 氷の呼吸 壱ノ型 御神渡り

 

 炎の呼吸 伍ノ型 炎虎

 

 自分を犠牲にしてまで隙を作ったつむじに代わり、彼女の分の力を込めんとする勢いで奔った一閃は、余りにも呆気なく兄鬼と姉鬼の頚を跳ね飛ばした。

 

 訪れる静寂。

 その間も警戒を緩めることのない四人は、刀身に滴り落ちる血を振り払うなどして、体勢を立て直す。

 呼吸を整える息遣いも響く中―――異変は唐突に襲い掛かる。

 

「! 来るぞ!!」

 

 一際響きわたる杏寿郎の声を皮切りに動き出す面々。

 そんな彼等に襲い掛かるのは、頚を斬られたはずの鬼たちの体であった。それらはぎこちなくも、鬼の剛力を存分に活かすかのように縦横無尽に暴れ狂う。

 

「どういう訳だ!? 頚は斬ったぞ!?」

「本体が別の場所にあるのかもしれない!」

 

 困惑する燎太郎に、凛が即座に応えた。

 一度、そういった類の鬼を倒した経験がある凛は、頚を斬っても死なない鬼の絡繰りがどういったものであるかの推測ができたのだ。

 それは経験豊富な杏寿郎も同じ。

 

「俺も同意見だ、氷室少年!」

 

 飛び掛かる弟鬼の体を、動けないよう一瞬の内にバラバラに切り刻む杏寿郎は吼える。

 

「そもそも鬼が群れで現れるのが異常だ!! 裏で束ねている者が居るとみて間違いない!!」

 

 鬼は群れず、仮に居合わせでもすれば縄張りを争う形で戦うか、飢えのままに共食いするかのどちらかだ。

 しかし、現に鬼は徒党を組んで四人の前に現れている。

 これが普通の鬼の常識が通用しない何よりの証拠。そして、頚を跳ね飛ばされても生きている―――その矛盾を看破する手がかりとなろう。

 

「誰かが本体を―――」

「なら、僕たちがこの鬼の相手を!!」

「!」

 

 激闘の中、凛が叫ぶ。

 と、それに燎太郎が続く。

 

「あそこから只ならぬ鬼気が!! 煉獄の兄貴!!」

「なるほど! 君たちの()()とやらは見くびれないからな! この場は任せた!」

 

 鬼の探知能力に秀でている二人の内、燎太郎が鬼が居ると踏んだのは、墓地の中央にポツンと佇んでいる寂れた廃寺。

 彼の鬼気を察知する“痒み”が、三体の鬼を討滅する手掛かりとなる存在が居ると訴えかけているのだから、杏寿郎も行かずにはいられまい。

 

「敏いね……そういう奴はかわいくないのっ!!」

 

 翼を存分に活かした飛翔能力で三人分の頚を回収した姉鬼が吼える。

 廃寺へと一直線に駆けこむ杏寿郎の行く手を阻むよう、羽根の雨を降らせようとする姉鬼―――だったが、背後でメキメキと軋む音を怪訝に思い振り返った。

 迫りくるのは数十年かけて成長したと思しき木が、自分目掛けて倒れてくる様。

 圧巻の光景だが、度肝を抜かれるのはその次だ。

 倒れる木の幹を駆けのぼり、空高く舞い上がる姉鬼に迫りくる人影―――つむじが、軽やかに跳躍してきたではないか。

 

「こいつッ!?」

「落ちて」

 

 優雅に舞う翼を捥ぎ取る四連閃。

 

 風の呼吸 弐ノ型 爪々・科戸風

 

 両翼と両腕を斬り落とす斬撃を受け、間もなく姉鬼は墜落を始める。

 それはつむじも同じだが、自分も墜落するヘマを踏む彼女ではない。落ち行く姉鬼の背を足蹴にして跳躍した後、今度は倒木に着地したかと思えば、地面に激突する直前で衝撃から逃れるように跳んだ。

 姉鬼が無様に地面に激突する一方、つむじは神楽を舞うかの如く戦場を我が物顔で動き回る。

 彼女の身のこなしの軽さも、一年の間に随分と成長した。その成長を感じることができた一幕であった。

 

 一方、地でもがく姉鬼は、潰れた体の前面を再生しつつキャンキャンと泣き喚く。

 

「ぐ、ぐぅ……! お兄ちゃん……! あいつッ! あいつゥッ! あたしを蹴った! 酷い! 痛い! 痛ィイ! 可愛そう! 許せない!! あたしが可愛そう!! 許さないッ!! あたしったら可愛そうゥ!!!」

 

 只管に己に降りかかる災禍を嘆く姉鬼。

すると、凛と相まみえていた兄鬼が飛び退いてくるや否や、叫喚する彼女を宥めるように頭を撫でる。

 

「か、かわい、可愛そうだ……」

「うぁぁああぁぁあ! そうでしょう!? ねえ!? あたし可愛そう!」

「お姉ちゃん……ひどい、いじめられて……」

 

 そうこうしている間にも、再生を終えた弟鬼が兄鬼と姉鬼に合流する。

 姉としての尊厳をかなぐり捨てて泣き喚く彼女を、同情するような瞳を浮かべて眺める弟鬼。

 

「ひどい、ひどいよぉ……ひっ―――」

 

 しゃくりあげる挙動を見せた瞬間、やらせまいと三方向から同時に迫っていた三人が、日輪刀を構えた。

 例え鬼を殺せずとも、頚を跳ねれば相手の戦力を削ぐことはできる。

 杏寿郎が本命を仕留める間、時間を稼ぐのが自分たちの役目なのだと心に言い聞かせ、ここ数週間の稽古で研ぎ澄まされた型を繰り出す。

 

 氷の呼吸 弐ノ型 霰斬り

 

 炎の呼吸 壱ノ型 不知火

 

 風の呼吸 伍ノ型 木枯らし颪

 

 もっとも早く鬼へと迫ったのは燎太郎の刃だった。

 弟鬼の咆哮を真面に食らえば鼓膜が破れかねない。あの攻撃だけはさせてはならぬと狙いを定めた一閃が宵闇を駆け抜ける。

 

 しかし、切っ先が膨らんだ鳴き袋に触れた瞬間、異形の脚が燎太郎の一閃の軌道を弾く。

 兄鬼の強烈な蹴撃。刃を弾かれた燎太郎は、柄を握る手が痺れるような感覚に顔を歪める。

 その間にも弟鬼の咆哮の準備が整っていく。

 姉鬼も、墓石さえ豆腐のように斬り裂く羽根を有す翼で弟鬼を庇護するように覆って守る。

 

 そこへ閃くのは凛の日輪刀。弟鬼を防御する翼を、瞬く間に切り刻んでいく。

 そうして開かれた視界の先では、とうとう弟鬼の準備が整っていた。鳴き袋だけに留まらず、肺一杯に取り込んだ空気は、その矮躯に見合わぬほどに胸を膨らませている。

 いざ―――そう言わんばかりに上体を逸らす弟鬼であったが、そこへ振り下ろされるのはつむじの刃。

 

 ただ、弟鬼もまんまと喰らうつもりはない。

 一歩引き、彼女の刃から逃れようとする。

 一発でいい。自分の一発さえ鬼狩りへ浴びせられれば勝敗は決する。

 そう確信しているかのように、歳不相応な邪悪な笑みを湛えた弟鬼は嗤う。

 そして、背後の兄鬼に手を引かれたのもあり、つむじの刃から逃れた弟鬼は―――。

 

「ぴッ……!?」

 

 風船が爆ぜるような音を鳴らし、割れる鳴き袋。

 それに伴い咆哮は失敗に終わった。

 だが、そんな弟鬼の失敗を補うように、再生した翼から羽根の弾丸を全方位に解き放つ姉鬼。

 

 否応なしに鬼から離れる三人は、各々避けるか受けて攻撃を流す。

 そうしている間、自然とまとまる陣形をとった三人は、日輪刀を構え直す。

 

「あの鬼たち……連携が取れてる! 油断しないで!」

「関係ない」

「ああ、そうだな! 連携が取れてるのはこちらも同じだ!」

 

 鬼と戦う中で意識したことのない相手側の連携。

 普段と違うことを意識して戦わなければならないのは明白であるが、三人は()()()()()()()()()()にうまく戦えていることに、一つの確信を覚えていた。

 

 

 

『―――呼吸(いき)を合わせるぞ』

 

 

 

 口を揃えて紡ぐ勝利への(こたえ)

 ここまでの腐れ縁が日の目を見るときだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 剣呑な空気が満ち満ちる廃寺の中。

 ボロボロに朽ちた床や壁には目もくれず、それでいて踏み抜くといった下手を踏まぬよう、杏寿郎はしっかりとした足場を選んで突き進む。

 目を遣る先には鬼が居た。

 長い濡羽色の髪を下す一体の女鬼。巨大な翼や鶏のような脚と、つい先ほど立ちはだかった三体の鬼の特徴をまとめたような姿かたち。身に纏う衣は血に濡れており、むせ返るような鉄臭さを放っていた。

 

「なるほど。君が彼等の親玉という訳か」

「……私のかわいい坊やたちは何をしているの?」

 

 杏寿郎の問いに答えるでもなく、女―――否、母鬼は彼を恨めしそうにねめつけた。

 

「ああ……母が悪漢に襲われようとしているのに、なんて不甲斐ない坊やたち。あとでおしおきが必要ね」

「その必要はない。済まないが、俺も待たせている者たちが居るのでな」

 

 母鬼の今にも事切れそうなか細い声は、杏寿郎の日輪刀を構える音に掻き消される。

 今、こうしている間にも継子が子鬼たちと刃を交えているのだ。彼等の意気に応えるためにも、僅かな時間さえ無駄にはできない。

 

 炎が燃え盛るような猛々しい息遣いが、廃寺の中を反響する。

 

「悪鬼滅殺こそ柱の責務。いざ!」

 

 床が弾け飛ぶ轟音と共に、塵や埃が宙を舞う。

 時を同じくして、部屋の中央に腰を下ろして佇んでいた母鬼の頚に刃を奔らせる。

 強靭な鬼の肌も、彼の刃の前では無意味。肌に食い込み、肉にするりと刃が入り込んでいく感触の後、硬い骨を断つ鈍い手触りが伝わって来た。

 

(やったか!?)

 

 手応えはあった。

 狐につままれてでもいなければ、確かに自分の眼は鬼の頚が絶ち斬られている景色を目の当たりにしている。

 

 が、奇妙な違和感は拭えぬままだ。

 

「!」

 

 直後、杏寿郎の目に映ったのは信じがたい光景であった。

 断面が露わになっている母鬼の頚から噴水のように噴き出た血が、宙を舞う頚に繋がったかと思えば、そのまま頚を元通りの位置に引っ張り戻したではないか。

 

(なぜだ? 頚は斬ったぞ。こいつも本体ではないのか?)

 

 刹那の間に思考を巡らし、経験則から様々な理由を導き出す。

 そんな彼を邪魔するように、母鬼は翼をはばたかせ、羽根の雨を降りしきらせる。

 

「むんっ!」

 

 攻撃の鋭さで言えば姉鬼の遥か上を行く。

 が、一度目にした攻撃をまんまと喰らうはずもなく、盛炎のうねりで全てを叩き落した杏寿郎は、再び母鬼に肉薄して紫電を奔らせる。

 そして瞬く間に母鬼の四肢を斬り落とした。が、これでも即座に斬られた四肢は、断面から生き物のように蠢く血に繋がれ、元通りの姿へと戻る。

 

「奇怪な体だな! 一体どのような絡繰りなんだ!」

 

 自分に問いかけるように叫ぶ杏寿郎。

 思いついた考えから試していくように日輪刀を振るうこと、数分。何度も四肢を薙ぎ、胴体を泣き別れにしても、母鬼の体が灰燼と化す気配は一向に窺えない。

 

(体のどこかに本当の頚を隠しているのか? そもそも本体が別の場所なのか? しかし……)

 

 実力では杏寿郎が圧倒的に上を行くが、三人に任せている状況を踏まえれば、持久戦に持ち込む訳にもいかない。

 

 何度も何度も母鬼の体を斬り刻む。

 その度に鼻を刺す鉄臭さが周囲に振り撒かれ、流石の杏寿郎も生理的な嫌悪感を覚えざるを得ない。

 

 と、必死の試行を繰り返す中、不敵な微笑みを讃える母鬼が口を開いた。

 

「あぁ……かわいい坊やたちはまだかしら? 流石に貴方を殺すには私一人じゃ叶わないから……」

「残念だが、君の坊やとやらがこちらに来ることはない! なぜならば、俺の優秀な継子が相手をしているからな!」

「信頼しているのね。愛しているのね。うふふ、でも親子の絆に比べれば薄っぺらいものだわ」

 

 耳を貸す価値もない言葉とは言え、自分と三人の絆を否定された杏寿郎は眉を顰める。

 

―――いや、この悶々とした胸の疼きは、もっと別の……。

 

 刹那、僅かな動揺を見せた杏寿郎の頬を、打ち落とす損ねた羽根の一枚が薄く切りつける。

 じんわりと滲み出る血。頬の刻まれた一文字に沿う灼熱を覚える杏寿郎は、目を見開いたまま、左手で滴る血を拭った。

 

 そんな彼に対し、母鬼はクツクツと嗤う。

 

「親と子は血の繋がり。誰よりも強く結ばれている唯一無二の関係。子は親が居なければ生まれてこなかった。そうよ、親が居なければ生まれてこなかった。親こそ子を支配して然るべき存在……子は親が死ぬ瞬間まで、親の所有物として在るべきなのよ」

「何を言うかと思えば!」

 

 カッと目を見開く杏寿郎。すると、瞬く間に血が溢れ出していた頬の出血が止まった。

 羽根の凹凸によって治りにくい傷口を刻まれていたにも拘わらず、だ。

 

 止血の呼吸法。柱ともなれば当然体得している、全集中の呼吸の応用。

 それを用い、流れ出る血を押しとめた杏寿郎は、ギラリと閃く眼光を母鬼へと向ける。

 

「親が子の所有物だと? 馬鹿馬鹿しい! 子は何よりもまず、一人の人間だ!」

「でも、一人前に育てるのは親の役割……立派な大人になるまで親が庇護するのは間違っていない……誰の手にも渡さない。あの子たちは私の手で育てるの! 私の物なのよ!」

「一人の人間として意思を尊重できない者が親を騙るな! 親とは子を支配するのではなく―――」

 

 駿馬の如く軽やかに懐へと入り込み、一閃。

 

「教え導く者だッ!!!」

 

 炎の呼吸 弐ノ型 昇り炎天

 

 体を左右へと別つ豪快な一太刀。

 

「ギッ……!」

 

 流石にこれには堪えたのか、母鬼は苦悶の表情を浮かべる。

 しかし、その表情の歪みも別の意味へと移り変わった。

 

「い、ま……刀、ブレた……わ、ねッ!」

「!」

 

 馬鹿な。

 声にこそ出さぬものの、杏寿郎は自分の太刀筋がブレた事実を否定したい想いに駆られていた。

 自分ともあろう者が、まさか。

 

 が、両親の姿が交互に脳裏を過る。

 強き者の責務を説いてくれた母と、そんな母が死んでから無気力に生きるようになった父と。

 

 矛盾。杏寿郎の刃に迷いを持たせたのは、まさしくそれであった。

 

「隙だらけよッ!」

 

 ほんの僅かな時間、硬直したかのように立ち尽くす杏寿郎へ、母鬼は鋭い爪を携えた脚を振るう。

 狙いは―――頚。さんざ鬼狩りが鬼殺に狙う場所は、獲物を人間に置き換えても通用する。

 

「坊やたちの餌にしてあげる!!」

 

 愉悦に満ちた笑みを湛えて吼える母鬼。

 が、彼女の振るう脚は、気付かぬ間に膝から下が消え失せていた。

 

「ッ!?」

 

 何事かと目を見張る。

 と、直後に天井から何かが突き立てるような音が聞こえた。

 面を仰げば、血を滴らせる脚が天井に元々存在していた装飾品のように突き刺さっているではないか。

 

 「そんな」と口を開こうとすれば、不意に細い影が驚愕を浮かべる顔に差す。

 

「鬼を前にして隙を見せるとは……柱として不甲斐なし!!」

 

 そこには自己矛盾に芯が揺らいだ男の姿はなかった。

 柱としての気概を持ち直し、一層激しく心を燃やす杏寿郎。その面持ちは、迷いも憂いも振り払ったかのように清しいものであった。

 

「俺の体は俺一人の物ではない! ましてや、親の物だけでもない! 俺はこの身を……骨肉の一片までも世の為人の為に揮わなければならんのだ!」

 

 紅蓮に染まる刀身を斜に構える。

 闇でさえ隠し切れぬ情熱の色を前にし、母鬼は獰猛な肉食獣を前にしたかのように強張った。

 そして、

 

「鬼にくれてやる身は持ち合わせていないッ!!」

「ッ!!?」

 

 ビリビリと肌が焼け付く闘気に充てられ、母鬼は無意識の内に後退った。

 

「言わせておけば……」

 

 より苛烈になる戦いを予感し、母鬼の頬を大粒の汗が伝っていく。

 だが、まだ焦るほどではないと自分に言い聞かせ、不敵な笑みを浮かべる。長期戦になれば鬼が有利になる。例え柱と言えど例外ではない。

 継子を三人ほど連れて来てはいるものの、必然的に彼等は目の前の柱よりも劣るのだから、時間を稼げばその内子鬼たちが仕留めてくれるだろう。

 そうなれば、後は多勢に無勢。容易に看破できない絡繰りを隠し持ったまま、じわじわと嬲り殺しにするだけである。

 

 日の出までざっと数時間はある。それまで果たして柱の体力が持つのか―――実に見物だ。

 邪悪な笑みが浮かべば、杏寿郎も自然と表情を険しくする。

 

 これより改めて覚悟を決めた男と、歪んだ親子愛を持った母鬼の死闘の第二幕が切って落とされる―――両者共に悟った瞬間だった。

 

 

 

『ぎゃあああああ!!!』

 

 

 

 一際響く絶叫が外から聞こえて来た。

 ただならぬ声色。どこか心に余裕を覚えていた母鬼も、血相を変えて外の方へと振り向いた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 時は数分前まで遡る。

 

「チィ!」

 

 燎太郎は柄にもなく舌打ちをしながら刃を振るっていた。

 それは頚を斬っても死なぬ鬼に対する苛立ちが半分。もう半分は、

 

「お兄ちゃん、危ない!」

「よ、よく、よくも妹を……!」

 

 鬼の不死性を存分に活かし、代わる代わる互いに身を呈して庇い合う兄弟鬼の光景。

 人間に置き換えれば、なんと美しい兄弟愛だと感動さえ覚えたであろうが、それが鬼なら話は別だ。

 

 鬼が、家族を、庇う。

 鬼を絶対悪をみなして剣を振るってきた燎太郎には、にわかには信じがたい光景だ。

 故に戸惑う。故に揺らぐ。

 鬼とは貪欲で、利己的で、本能のままに人間を喰らう醜い化け物。

しかし、今戦っているの鬼は、家族を守り合い、命を狙う者に対して立ち向かう姿を見せる者達だ。

家族を傷つけられれば怒り、涙を流し、仇を討つために拳を振るう。

頭がこんがらがり、気が狂ってしまいそうだった。

 

「燎太郎!」

「ッ!?」

 

 凛の声にハッとしながら、兄鬼の蹴りを迎え撃つ。

 一撃一撃が強力であるが、燎太郎の力を以てすれば真正面からの応戦にも耐えられる。

 だが、戦いの最中に戸惑いと動揺の“熱”を発していた様相を呈していたからこそ、凛が声を上げたのであった。

 

「しっかりするんだ! 気を緩めないで!」

「ッ……済まない!!」

「私は緩めてない」

 

 凛が叱咤の声を上げる間、つむじはいつも通りの様子で姉鬼と戦り合っている。

 こうした時に、感情や状況に左右されない人間とは心強いものだ。疲労をおくびにも出さず、ただただ相手を斬り刻む。味方でさえ不気味さを覚える姿も、長い付き合いの二人からすれば「いつも通りだ」と安堵を覚えるほどだ。

 

 しかし、そんなつむじでも一つばかり思うところがあった。

 

「斬っても斬っても死なない……しのぶから毒貰っておけば良かった」

「確かに試してみる価値はありそうだけれど……!」

 

 頚を斬らずとも鬼を殺せるしのぶの藤毒ならば、目の前の鬼を死に至らせたかもしれない。

 珍しく戦略的に頭を巡らせるつむじに感心しつつも、ないものねだりだと諦める凛は、「仕方がない」と自身の日輪刀に目を落とす。

 

「でも、僕は僕でやりたいことがある! 二人とも! 手を貸して!」

「なんだ!?」

「ん」

 

 同時に応える二人の声を耳にしつつ、もう一振りの日輪刀を抜く。

 右に(しろがね)を。左に青を。

 

「―――露払いを」

 

 頷く暇も惜しいと燎太郎とつむじが駆け出す。

 そんな二人を前にし、姉鬼が鋭い歯を食い縛った。

 

「まんまと近づけさせるとでもッ!!?」

 

 癇癪を起したかのような声音で叫ぶ姉鬼は、翼に生え揃う分を全て解き放つ勢いで、羽根を射出した。

 視界を埋め尽くす羽根の雨。何度も見た光景だが、今回ばかりは桁が違う。

 しかし、数の多い少ないでやられるのであれば、三人は今この時まで生き延びてはいない。

 

 炎の呼吸 肆ノ型 盛炎のうねり

 

 風の呼吸 陸ノ型 黒風烟嵐

 

 豪快に広範囲を斬り伏せる軌道の燎太郎の刀の合間を縫うように、つむじのしなやかながらも激しい刀が踊り狂う。

 旋風に煽られる大火を幻視する姉鬼。気が付いた時には、羽根は全て叩き落されていた。

 

「そ、そんなッ……!?」

「お姉ちゃ―――」

 

 姉鬼を援護すべく、鳴き袋を膨らませる弟鬼であったが、宵闇を銀色が走り抜ける。

 飛び散る血飛沫。その元である弟鬼の喉には、これまた暗剣が突き刺さっているではないか。

 投げつけたのは当然つむじ。数に限りのある暗剣であるが、出し惜しみなどはしない。

 

 これで飛び道具は封じた。

 刹那、三体の鬼に突き刺さる凍てつく殺気。同時に漂う誘惑的な芳香が頭を惑わす。

 

 香りに導かれる視線の先には刀があった。凛の日輪刀。銀の刀身に彫られた血流しへ滴らせるは、彼自身の血。

 鬼を凍てつかせる類稀なる血の名は―――「凍血(とうけつ)」。

 鬼と化した母の胎から産まれたが故に継ぎし血が、鬼滅を果たさんとする刃を赫々と染めていく。

 

「「!」」

 

 紅蓮と青藍が宵闇を駆け抜けた。

 

 

 

 氷の呼吸 参ノ型 細氷の舞い

  水の呼吸 参ノ型 流流舞い

 

 

 

 流麗な舞いの中で煌めく刀身の瞬きが三体の鬼の間を通り過ぎる。ともすれば、清流から弾かれた水滴が、瞬きの合間に凍り付いたかのような幻想的光景だっただろう。

 が、間もなくして、鬼の頚がするりと体から転がり落ちた。

 

「なッ……!?」

「い、痛ァい!! あッ、あッ、付かない!! 頚が付かないッ!! 付かないぃぃいい!!」

「お゛にいちゃん! お゛ねえちゃん! いたいよ! 助けて!」

 

 斬り落とされた頚を一心不乱にくっつけようとするも、切断面に付着した凛の血が断面を凍結させているため、それまでのように元通りになることはない。

 いつぞやの上弦の鬼のように凍結部分を削ぎ落されれば話は別だが、それを知らぬ鬼からすれば混乱は必至。

 

(通用する! これなら他の場所も……!)

 

 殺す方法が明らかでない相手ならば、殺そうと躍起になるよりも封じる方向に転じた方が賢明だ。

「凍血」が通用すると分かった以上、より危険を冒す手段で立ち向かう必要はない。

 このまま三体の武器たる部位を斬り落とそう―――そう踏み込んだ瞬間だった。

 

「キェァァァアアアアア!!!!!」

「なんだッ!?」

「見ろ! 寺から!」

 

 怨念かと錯覚するような奇声に振り返れば、廃寺の屋根を突き破り、夜空に駆け上がる影を目にした。

 続けざまに朽ちた壁を突き破る杏寿郎も、母鬼の奇声を上回る声量で吼える。

 

「構えろ!!」

 

 端的な指示。

 しかし、()()()()()()()()()()()()()()()と考えれば、三人の抱く警戒は一回りも二回りも膨れ上がった。

 と、そうした鬼狩りたちを見下ろす母鬼は、まさしく鬼のような形相を浮かべ、喉が張り裂けんばかりの金切り声を発する。

 

「取らせないィィィイイイ!!! その子たちは私の物よオオオオオオ!!!」

 

 空に浮かぶ月を覆うように翼を広げたかと思えば、次の瞬間には凄まじい速度で滑空する母鬼。

 杏寿郎が三人の下へ駆けよる速度を遥かに上回る速さだ。

 無理に反撃しようとすれば、掠った勢いで肉を削がれるかもしれない。となれば、

 

「避けて!!」

 

 凛の声と共にその場から飛び退く面々。

 万が一を見越しての回避行動であったが、一方で母鬼は三人に目もくれず、巨大化させた脚でもがき苦しむ三体の鬼を回収する。

 

「あぁあぁぁ……私のかわいい坊やたち……!!」

「か、かあ、母さん……!!」

「おかぁさん!! 痛い!! 痛いよォ!! なんとかしてぇ!!」

「痛いよォ……苦しいよォ……!!」

 

 母鬼に回収された三体は、甘えるような声音で苦痛を訴える。

 そんな子鬼たちに慈愛の瞳を向ける母鬼は、さめざめと涙を流した後、仏のような笑みを湛えた。

 

「大丈夫よ、私のかわいい坊やたち……痛みも苦しみもないよう―――お母さんと一緒になりましょう」

『!』

 

 一際高い木の天辺に留まった母鬼が、徐に翼を広げ、子諸共自分の姿を覆い隠す。

 と、間もなくだ。鈍い、不気味な音が闇夜に響きわたる。肉が捏ねられ、骨が砕けるような聞くに堪えない音の合間に、呻き声が挟まれるようにして。

 

「な、なんだ一体……?!」

「関係ない」

「待て、つむじ!」

 

 ただならぬことが起きていることは容易に想像できる。

 しかし、様子を見る時間も惜しいと、つむじは母鬼たちが留まっている木を切り倒そうと駆け出した。

 それほど時間もかからず根本まで辿りついたつむじは、杣人が木を切り倒す要領で、二回ほど刃を振って幹を削る。

 すぐに木は自重に耐えられなくなり、メキメキと音を立て、周囲の木々も巻き込みながら倒れていった。

 

 だがしかし、その直前で母鬼は天辺から飛び立った。

 月の淡い逆光が、悍ましい母鬼の姿を隠す。「悍ましい」と分かったのは、月光が暴く姿かたちが、元が人間であった事実を信じ難くさせるほど異形だったからに他ならない。

 

「ぁあ、そうよ……誰にも奪わせないの……誰にも、誰にも……」

 

 二対の翼をはばたかせ、四本の腕を蠢かし、三本の脚でとまっている屋根の瓦を踏み砕く。

 

「この子は私が孕んだんだから……私が産んだの……お腹を痛めて……かわいいかわいい私の坊やたち」

 

 愛おしそうに撫でる腹部は、餓鬼の如く膨れ上がっている。

 なにより目に付くのは、張り裂けんばかりに浮かぶ「顔」。苦悶の表情を浮かべる三つの顔は、引っ込んでは浮かび上がるのを繰り返している。

 そんな顔をひとしきり撫でた母鬼は面を上げる。

 まるで過去を思い出すかのように―――。

 

 

 

『子を間引かれるとは哀れだな』

 

『一時の悦に浸りながら、最後は勝手に殺す』

 

『なんだ、それなら鬼と些少も変わりはないな』

 

『神に縋っても、仏に縋ってもその有様だったのだ』

 

『ならば私に縋りつけ』

 

『子諸共、お前を救いあげてやろう』

 

『そして悠久の家族団欒を愉しむといい』

 

『お前の家族に害を為す者達を殺しながら、な』

 

『お前の名は……そうだ。『姑獲鳥(うぶめ)』。それがいい』

 

 

 

「―――そうよ……だのに、あんたたちの都合で……あんたたちが、あんたたちが……私の坊やを殺していい道理が!!! あってたまるかあああああア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッ!!!!!」

 

 額に形成されていた三つ目の眼球が、血涙をまき散らしながらグルリと裏返る。

 と、露わになった眼球には文字が刻まれていた。

 

 

 

―――『下弐』

 

 

 

「十二鬼月かっ!!」

 

 優れた夜目で階級を確認した杏寿郎が、肺一杯に空気を取り込んだ後、大気が震えるほどの大声量で吼える。

 

「気を引き締めてかかれ!! だが恐れるな!! 如何なる鬼だろうと君たちの前には……俺が居る!!!」

 

 心強い一言に奮い立つ面々は、日輪刀を構える杏寿郎に続く。

 

「はい、煉獄さん!」

「たとえ親子だろうと……鬼は鬼だ……ッ!」

「翼増えた……また飛んでる。面倒」

 

 真の姿を露わにした下弦の弐を相手に、炎柱と継子は立ち向かう。

 

 

 

 勝るのは、師弟の絆か親子の絆か。

 

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