鬼滅の流儀   作:柴猫侍

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拾伍.回心転意

『燎太郎は強い子じゃ。大きくなれば、きっと世の為人の為と働けるじゃろうて』

 

 微睡みを(いざな)う声を思い出す。

 いつもニコニコと笑っており、怒ったところなどついに見たことはなかった。

 真っ先に火光(かぎろい)を浴びては、孤児であった子供たちの朝餉を作る。毎日毎日老骨に鞭を打ち人の為にと働く彼の姿は、昇り行く朝日よりも輝いて見えた。

 

 そんな彼が陽光を避けるようになった異変を、もっと早く気が付けたなら―――今になっても後悔が胸を締め付ける。

 

『いいか、燎太郎。力はな、自分の為に振るっちゃいかん。そんな悪いことをな、お天道様は見逃さないんじゃ』

 

 彼の説教は、今でも鮮明に思い出せる。

 優しい声音や、緩やかな所作。その日に吹いた風の香りや、他の子供たちの遊んでいる姿。

 忘れようとすればするほど脳裏に焼き付く思い出だ。

 

 忘れたい。全部。

 でなければ、彼が鬼になった事実を受け止めなければならないからだ。

 

 ある日を境に寝たきりになった彼は、流行り病が移ったら不味いと説き、万が一ために離れに住むようになった。

そんな彼のため、自分を含めた子供たちは必要になりそうな薬草を探しに森に出かけるようになった。

 

 まずは一番年上の者から。

 特に和尚を慕っていた彼は、それっきり帰ってこなかった。

 熊に襲われたか、はたまた崖から滑り落ちたか。なんにせよ、死体が見つからないのだから理由は闇の中だ。

 

 そうしてまた別の者が別の者がと、行ったきり帰ってこなくなりを繰り返し、とうとう寺には燎太郎しか居なくなった。

 

『お前は探しに行かんでいい』

 

 沈痛な声を聞き、寧ろ探しに行かなければと出かけたのが間違いだった。

 待ち受けていたのは野犬でも熊でもない。

 

『じゃから、探しに行かんでいいと言ったじゃろうに』

 

 涎を垂らす彼が居た。

 ひどく病んだように血色の悪い顔。そこにかつての優しい面持ちはなく、ただ餌を前にして獰猛になる獣の姿があった。

 

 逃げた。逃げた。必死に逃げた。

 草履の塙が千切れても、足裏が切れても逃げ続けた。

 息を切らし、辿り着いたのは寂れた寺だった。後から聞いた話では、そこは()()()を打ち取って来た武具を供養する寺だったという。

 今になってみれば、それが鬼を討滅した日輪刀などを供養する場所だったのだろう。

 

 死に物狂いで供養されていた刀の一つを取り、彼と対峙した。

 しかし、当時剣の手ほどきもなにも受けてない自分には、鬼と戦えるだけの力は当然のようになかった。

 刀を手にしても逃走を余儀なくされ、最早打つ手なしか―――そう思った時だ。

 

 元々、岩壁に近い場所に建てられた寺だった。

 その日は打ち付けるような雨が降っており、近所の住民は「あそこが崩れないか」「山に出かけるのは止そう」等と噂していた。

 

 襲い掛かってきた彼は、轟音と共に岩が転がり落ちてきた岩の下敷きになった。

 体の大部分を潰され、身動きの取れない彼は苦悶の声を上げていた。これでは鬼も動けない。再生するにも人を喰らわねばならないのだから。

 

 動けぬ鬼を前にし、刀を携えた自分は未だに狼狽えていた。

 が、未だに人外の形相を浮かべる彼を前にし、見るに堪えなくなって刃を振るった。

 その時抱いていた想いは鬼を討ちとろうなどという勇猛な考えではない。もうこれ以上彼を苦しめたくないという介錯の意思だった。

 

 何度も振り、やっとの思いで斬り落とした頚。

 灰と化していく体を目の当たりにし、自分が彼を殺したのだという罪悪感が頭を埋め尽くす。

 と、その時だった。

 

『それでいい』

 

 床に転がり、尚も塵となっていく中で、彼は自分を見上げて告げた。

 

『お前にやられるのなら……本望だ』

 

 残された時間の短さを悟り、到底伝えきれない想いの丈をその言葉に注いだのだろう。

 あの時はただ茫然としていた。意味がわからなかった。

 彼が寝たきりのフリをしていた離れから、行方不明になった子供たちと思しき骨が丁寧に骨壺に納められているのを目の当たりにしても、頭が理解を拒んだ。

 

 何を。何を伝えたかったんだ?

 

 自分に残されたものは鬼への憎悪と自責の念。

 あの時の彼の言葉を理解しようとすればするほど、それらが真夏の路傍に転がった死体のように膨れ上がり、思考の邪魔をする。

 

 でも、今ならば。

 凛やつむじ、しのぶ、カナエ、流といった鬼にまつわる悲劇を胸に抱く彼等と過ごした今ならば、少しずつ整理がつけられる。

 

 

 

 彼が何を思っていたのかを―――。

 

 

 

 ***

 

 

 

 宵闇に響く不気味な翼の()

 重く、鈍い。その姿を目にしていなければ、誰かの呻き声と錯覚するかもしれない。

 いや、そうでなくとも醜く膨れ上がった腹部に浮かぶ顔が発する唸り声があるのだから、結局のところ不気味なことに変わりはない。

 

 下弦の弐・姑獲鳥は、そうした悍ましい姿を晒しながら、取り込んだ我が子たちを愛でるように腹を撫でていた。

 

「私のかわいい坊やたち……もう安心していいのよ。貴方たちはお母さんと一緒。もう誰にも渡さない。離れ離れになんてさせないんだから」

 

 酷く歪んだ笑顔で、そう告げる。

 すると、

 

「気持ち悪い」

 

 つむじが歯に衣着せぬ声音で言い放った。

 感性に素直というべきか、他の者達の代弁を果たしてくれたというべきか。

 どちらにせよ、姑獲鳥の姿に対して抱く感想が四人一緒であることには間違いなかった。

 

「さて! だが、どうやって倒したらいいものか! 困った困った!」

「相手に聞こえる声で言わないでください!?」

 

 清々しい程に打つ手がないことを悟る杏寿郎。

 そんな彼に対し思わずツッコんだ凛であるが、事実手の打ちようがないことは確かである。

 

 相手が居るのは空中。単純に刀が届かないのだ。

 

「ううむ! 飛び道具の一つや二つ打診しておくべきだったか!」

「今考えられても……!」

「その通り! つまり、今持てる全てを駆使して戦えということだ!」

 

 後悔先に立たず。しかし、それでも前を向いて力を振るうのが杏寿郎だ。

 柱は折れない。杏寿郎は揺れない。

 己が見せる背中こそ後輩の道標と知っているが為、先んじて刃を振るうのが彼だ。

 

 爆ぜるように跳び出す杏寿郎は、飛燕の如き軽やかな身のこなしで廃寺の屋根へと飛び移り、

 

「いざ往かん!!」

 

 足場を踏み砕く脚力で跳躍した。

 瞬く間に加速する杏寿郎は姑獲鳥に肉迫する。余りに人間離れした跳躍力に、凛たちのみならず姑獲鳥も目を白黒とさせたが、迫りくる刀身を目の前に、鋭い爪を携えた脚を突き出す。

 

「喰らえ!! 今まで鬼狩りを引き裂いた爪をな!!」

 

 吼える姑獲鳥。

 鈍い赤黒い光沢を見せる爪は、確かにこれまで人を無惨に引き裂いたであろう鬼気を感じられる。

 だが、それで臆する杏寿郎ではない。

 

「ふんッ!!」

「ぐッ!?」

 

 空中では当然の如く足の踏み場がない。

 故に、杏寿郎は腕力だけでなく体も捻り、可能な限り斬撃の威力を高めた。

 その甲斐あってか、姑獲鳥の独壇場であるはずの空中において、彼女の蹴撃を返り討ちにするように脚を斬り落とす。

 

(でも……ダメだ!)

 

 真下から両者の攻防を見届けていた凛が心の中で叫ぶ。

 彼の考え通り、杏寿郎は重力に引かれて落下。その間、姑獲鳥は意趣返しと言わんばかりに四つある内の翼の二枚から羽根の雨を降らせる。

 これを杏寿郎は盛炎のうねりで迎え撃ち無傷で済むが、状況が芳しくないことは彼自身悟ったのだろう。「むぅ」と考え込むように喉を鳴らす。

 

「届かんな!!」

「なら、私がもう一回……」

「待って、つむじ! 迂闊に近づいたら危ない!」

 

 一度やって見せたように木を切り倒そうとするつむじを制止する凛。

 姑獲鳥の姿を見るからに、取り込んだ三体の鬼の能力を内包していると推測するのは容易い。仮に同様の手段で近づいたとすれば、今度は宙で咆哮を上げられ、動きを封じ込まれる可能性がある。

 宙で身動きがとられなくなるのは死に直結する。例え平衡感覚が優れたつむじとあっても、追撃の羽根を踏まえれば、致命的な隙となり得よう。

 

「もう少し様子を……」

「そんな余裕ない」

「なら俺が作る」

 

 凛の訴えに端的に反論するつむじであったが、即座に燎太郎が話をまとめた。

 

「それでいいだろう」

「うむ! 役割分担、その意気やよし! ならば俺から伝えることが一つ!」

 

 羽根の驟雨を斬り払う杏寿郎が、弾丸のような口調で語り始める。

 

「戦いとは相手を“見る”ことから始まるのはわかるだろう! ならばどう見るか!? 必要な目は三つだ! 鳥の目! 虫の目! 魚の目!」

 

 指折り数えるように語る彼は、未だ疲労の色を見せず、姑獲鳥の攻撃を凌いでいく。

 しかし、より巨大になった翼から放たれる羽根の数が増えたからか、致命傷にはならないと踏んで見逃した羽根が、彼の隊服や羽織を浅く切り裂き始めていた。

 この均衡状態は杏寿郎が居てこそだ。だからこそ、彼のおかげで余裕を持てている三人が見極めなければならない。

 

 そんな意図も含んだ教えを杏寿郎は続ける。

 

「鳥の目とは“全体”を見渡す目! 今どんな状況かを見極めろ!」

 

 とうとう姑獲鳥は咆哮を上げ始める。

 慟哭にも似た耳を劈く声。それでも杏寿郎の声ははっきりと伝わる。

 

「次! 虫の目とは“点”を見る目! 狭く、そして深く! 敵の一挙手一投足を観察しろ!」

 

 全ての羽根を撃ち尽くす勢いで仕掛けた姑獲鳥が、近くの木の天辺にとまる。

 しかし、鬼の再生力を以てみるみるうちに羽根は元通りの数に達した。

 

「最後だ! 魚の目とは“流れ”を見る目! ()()()()()()()()を念頭に置け! そうすれば敵の動きの予測もできる!」

 

 充填完了。

 再び舞い上がる姑獲鳥は、杏寿郎を特に敵視しているような動きで、彼の手の届かない場所から一方的に攻撃を仕掛ける。

 

(鳥の目……)

 

 燎太郎の瞳が凛を、つむじを、杏寿郎を、そして姑獲鳥を捉える。

 

(虫……)

 

 つむじの細められた目が、酷くやせ細った姑獲鳥の向かう先を追う。

 

(魚の目……流れを―――見極めろ!!)

 

 凛の見開かれた目が、姑獲鳥の立ち回りを―――流れの先を見据えた。

 

―――見えた。

 

 三人の目が活路を見出す。

 

 

 

 ***

 

 

 

(しぶとい奴ら……特にあの男。柱……あいつを殺して喰えば、あの御方に喜んで頂けるというのに……!)

 

 ギリ、と奥歯を噛みしめる姑獲鳥は、不意に東へと目を遣った。

 まだ日の出にはほど遠い時間であるが、万が一にも鬼狩りを殺せなかった時の逃亡時間も考慮しているのもあり、時間には気を配っている。

 所詮は人間と高を括っていたが、柱の体力を侮っていたことは否めない。

 

 鬼殺隊の主戦力たる柱との交戦経験がないまま十二鬼月の一員となった姑獲鳥だが、心のどこかで容易く殺せると安易な考えを抱いていた。

 そもそも彼女が、鬼狩りの武器たる日輪刀の間合いに届かぬ位置から一方的に攻撃できる手段を持っているため、そういった思考を抱くことは不思議ではない。

 

 しかし、ここまでとは。

 

(私の再生能力も無限じゃないのよ……再生した分食べなきゃ、坊やたちの分が……!)

 

 焦燥が脳裏を過る。

 だが、

 

『かぁさ……かぁさ……』

『オナカ……スイタヨゥ』

『いたい……いたい……』

「あぁ! かわいそう……かわいそうな坊やたち……大丈夫よ、すぐに人間(えさ)()ってきてあげるから……!!」

 

 呻き声を上げる子供の声に奮い立つ。

 所有物と言い切った子供だとしても、愛情だけは本物だった。

 例えそれが歪んだ愛だとしても―――。

 

 子に愛を注ごうとする余り、空高く飛び回る翼を得ながら堕ちるところまで堕ちた姑獲鳥は、苛立ちを隠せぬ形相のまま羽根を一斉掃射する。

 何度見たかもわからぬ光景を前に、杏寿郎はたった一振りで一掃する。

 それが彼女の苛立ちを一層濃くさせるのであったが、木の天辺にとまった彼女は、ハッとした様子で辺りを見渡す。

 

(あの男の部下が……!?)

 

 杏寿郎に固執する余り、三人の姿を見失っていた姑獲鳥が辺りを見渡す。

 程なくして凛と燎太郎の姿は見つけられたが、

 

(あの小娘は……!?)

 

 癪に障る仏頂面を浮かべる女が居ない。

 と、悟った瞬間に聞いたことのある轟音が鼓膜を揺らす。

 

「ッ……二度も同じ手を喰らうと思って!!?」

 

 地面をひっくり返すような音を轟かせて傾く木の幹を駆け上がって来るつむじ。

 姑獲鳥が木の天辺にとまっていたこともあり、ぐんぐん距離を詰めてくる彼女を前に、当の姑獲鳥は咄嗟に飛び退いた直後、喉の鳴き袋を大きく膨らませた。

 

 それは咆哮の予備動作。

 

(二度と音の聞こえない世界を見せてやる!!)

 

 完全体へと変わった今ならば、咆哮の威力は姉鬼のそれを遥かに上回る。

 さらに、飛翔に用いる以外の翼を構えることで指向性を持たせられるのだ。真面に受ければ全身が痺れて型を繰り出すどころではなくなる。

 

(死ねッ!!)

 

 カァァアッ! と開かれる口腔。

 同時に夜天を貫く絶叫が響き渡った―――が、直前で宙がえりし、指向性を持たされた咆哮から辛うじて回避してつむじは、そのままの体勢から一閃。

 

 風の呼吸 漆ノ型 勁風・天狗風

 

 空が斬り裂かれる音は、絶叫よりも甲高く奏でられた。

 

「なッ……!?」

 

 右側の翼を二枚斬り落とされた姑獲鳥は、体勢を崩して落下を始める。

その間、僅かにつむじの側頭部が目に映ったが、

 

(耳栓……!)

 

 咆哮対策と思しき即席の耳栓がはめられているのを目の当たりにし、ぎりぎりと歯噛みした。不意に振り返り、ベッ、と舌を出してみせるつむじの姿がこれまた姑獲鳥の赫怒を煽る。

 

 と、用意周到な準備をしていたつむじであるが、そうした対策を講じたのは彼女自身ではない。

 

『あの鬼は出来るだけこっちと距離を取って戦おうとする。だから攻撃もほとんど羽根を撃ってくるものばかりだ。でも、羽根をほとんど打ち尽くした後じゃ自重を支えられなくなるから、再生するまで木にとまってる! その時を狙うべきなんじゃないかな?』

 

 姑獲鳥の動きの流れを把握した凛の言葉を思い出すつむじは、うんうんと頷く。

 

「ん、言ってた通り」

 

 翼を斬られて墜落する姑獲鳥と対照的に、優雅な身のこなしで着地したつむじは、入れ替わるように空へ駆けだす明星を見上げる。

 

「燎太郎!」

「応!!」

 

 墜落し、彼の跳躍で届く距離まで落下した姑獲鳥に向け、燎太郎は口から気炎を上げる勢いで猛々しい呼吸音を響かせる。

 その圧を身に受ける姑獲鳥は、咄嗟に残った翼と四本の腕で身を守ろうと構えた。

 

(つむじの言う通りだ!)

 

 狙い通り、特に腹部を守る体勢をとる姑獲鳥に確信を得た燎太郎は、一層腕に込める力を高める。

 

『あの鬼、しきりにお腹を庇ってる。一気に()()ならその時を狙うべき』

 

 姑獲鳥を観察していたつむじの言葉を思い出す燎太郎が繰り出そうとしているのは、一気に多くの面積を削る炎の呼吸の奥義。

 

「はああああッ!!!」

 

 炎の呼吸 玖ノ型 煉獄

 

「ばッ……!?」

 

 足場のない空中での一撃だったにも拘わらず、全力で振り抜かれた燎太郎の一閃は、己が身を守ろうとした姑獲鳥の翼と腕を派手に斬り飛ばす。

 同時に刃先は風船のように膨れ上がった腹を斬り開いた。

 怨念のように浮かび上がっていた子鬼たちの顔ごと斬り開いた先から現れたのは、

 

「ギギッ……!!」

 

(赤子……!?)

 

 姑獲鳥とへその緒で繋がった胎児の姿をした子鬼。

 母に比べれば、鬼らしき特徴も額の角だけと控えめであるが、充血した瞳とゆがめられた口から覗く鋭い歯が、その胎児が鬼であることを証明していた。

 

(こいつ()本体だったのか!)

 

 姑獲鳥の頚を斬っても死ななかったのは、まさしく腹の中に隠れていた最後の子鬼が理由だろう。これが本体か、もしくはこれも斬らなければならないかのどちらかだ。

 どちらにせよ、斬れば分かる。

 

「―――凛!!」

「任せて!!」

 

 ギリッ、と感情をかみ殺すような表情を浮かべていた燎太郎が、最後の刃に繋ぐ。

 

『あいつを落とすなら、つむじが適任だ。俺はつむじに続いて出来る限り奴の守りを削ぐ。凛……お前がこの中で一番繊細な太刀筋を極めている。〆は……お前にしか任せられない』

 

 凛の脳裏に燎太郎の言葉が過る。

 繊細な太刀筋故に、露わになった弱点なり守りが手薄になったところへ“凍血”を用いたトドメを刺すなり、トドメの一手に相応しいと告げられた。

 緊張がないと言えばウソになる。

 しかし、信頼している友に言われたのだ。彼が信じる自分を信じないでどうする?

 つむじと燎太郎が繋げてくれた流れを途絶えさせる訳にはいかない責任感もあるが、それ以上に湧き上がる「自分ならできる」という自信が、体の強張りを取り除いていく。

 

 最早、彼の動きには一糸の乱れもなかった。

 刀は叩くことで不純物を取り除く。氷も可能な限り気泡を取り除くことで、どこまでも透き通る逸品を作り上げることができるのだ。

 それと同じことは人間にも言える。

 

 邪魔な考えを捨て置け。斬ることのみを考えろ。

 

 雑念を取り除いた一閃ほど鋭い刃は―――無い。

 

 

 

 氷の呼吸 拾ノ型 紅蓮華

 

 

 

 血の華が咲き乱れる。

 

「ギギャ……!!?」

 

 短い呻き声。

 その声の主である子鬼は、間もなく灰燼と帰す。余りにも呆気なく、余りにも簡単。

 

「あ……あぁ……あ……」

 

 その光景を目の当たりにした姑獲鳥もまた、体の端から灰と化していく。どうやら彼女の体は胎内の子鬼と繋がっていたようだ。

 母も兄も姉も弟の全員が胎の子鬼の傀儡だった。

 子鬼の死こそ、彼女たちの死。

 間もなくして彼女もまた同様の末路を辿ることになるだろう。

 

「よくも……」

「!」

「よくもよくもよくもよくもよくもおおおおおッ!!! 私のかわいい坊やをおおおおおッ!!!」

 

 発狂したように声を荒げる姑獲鳥は、まだ宙に留まっていた凛の体を脚で掴んだ。

 加えて、斬り落とされた翼も歪な形に再生するではないか。最期を目の前にし、死力を尽くした再生なのだろうか。最早鳥ではなく蝙蝠といった類の肉の翼をはばたかせ、姑獲鳥は低空飛行のまま凛をどこかへと連れ去ろうとする。

 

「くっ……!?」

「凛!」

「明松少年!!」

 

 肩を掴まれ身動きの取れない凛を追いかけるのは、最も近くに居た燎太郎であった。

 そんな彼へ向けて、全力で駆け寄っても尚離れた場所に位置する杏寿郎の声が響く。

 

「斬れ!!」

「ッ……!!」

 

 心に残る僅かな躊躇いを見透かすような声音。思わず燎太郎は沈痛な面持ちを浮かべる。

 鬼になっても尚、子を想う親。

 例え歪んでいたとしても、その愛情に嘘偽りはなく。

 

(やれ。やるんだ。お前しかいない。あの鬼を殺さなければ、凛が―――!!)

 

 鉛のように重く感じていた足が、不意に羽根のように軽くなった。

 

「え?」

 

 気が付けば跳んでいた。

 無意識の内に跳躍していたようだ。()()()()()()()()()()()()()()()、前へと跳び出して。

 背中に残る温もりは錯覚か、はたまた―――。

 

(……お師様)

 

 鮮明な記憶が呼び起こされていく。が、胸の痛みが増していくにつれて、どんどん体は軽やかに感じられていく。

 すでに高さは姑獲鳥に届くまでに達していた。

 あとはこの刃を振るうのみ。

 

 鬼を殺すだけでいい。そして、人を救えばいい。

 

(なんだ、単純な話じゃないか)

 

 胸が熱くなっていくのを感じ取りながら、燎太郎は日輪刀を振るう。

 

(醜い心を許さず、尊い心を認めて)

 

 過去を省みて、繋ぐ一振りを。

 

(そんな簡単な話だったのに)

 

 過去の愛おしさと、現在への慈しみを込めて。

 

(未熟でごめんなさい、お師様)

 

 鬼の心を斬り、人の心を救う型を繰り出す。

 

(貴方の馬鹿息子は……御蔭様で鬼を討ち、人を救っています。どうかこの青二才を草葉の陰から見守っていてください……! 貴方の喜びそうな土産話をたくさん持って逝きます!!)

 

 

 

 炎の呼吸 拾ノ型 焔口冥陽(えんくめいよう)

 

 

 

 清廉な一振りが姑獲鳥の頚を薙ぐ。

 それまで見せていた豪快な太刀筋とは、明らかに毛色の違う型だった。

 しかし、確かに頚は斬り落とされ、それに伴い拘束されていた凛は解き放たれる。

 

 凛と燎太郎が大事なく着地する間、歪な翼を広げて墜落する姑獲鳥はと言えば、

 

(―――暖かい)

 

 苦痛を感じてはいなかった。

 それまで斬られる度に味わった灼熱のような激痛を、今さっき喰らった燎太郎の一太刀から感じることはない。

 何故ならば、焔口冥陽は燎太郎だけが考えた型。凛の用いる(そそぎ)や干天の慈雨を模した、炎の呼吸における慈悲の太刀だからだ。

 血途(けつず)を歩まざるを得なくなった鬼たちへ差し伸べる、せめてもの救いの剣閃。

 

 明松燎太郎が過去を克服した証。

 

 そうした一太刀を受けた姑獲鳥は、日向に佇む温もりを覚えながら眠りにつく。

 炎に焼かれたように灰と化す体が、魂が向かう先は―――。

 

 

 

 ***

 

 

 

『ここは……』

 

 どこまでも冥い世界に彼女は居た。

 辺りを見渡しても光が見えることはない。

 道標も当然ない中、一人狼狽える彼女であったが、不意に聞こえて来た泣き声にハッと面を上げる。

 

『坊や! 私の坊やたち!』

 

 間違いない、愛する我が子たちの泣き声。

 私を呼んでいる。

 子供が呼んでいるのだから、母が赴かない理由などない。

 例えどれだけ醜い母だったとしても、赴かざるを得ない衝動に駆られていた。

 

 なんと言おう?

 なんと謝ろう?

 

―――酷い母親でごめんなさい。

 

―――守ってあげられなくてごめんなさい。

 

―――美味しいご飯をたくさん作ってあげたかったのに。

 

―――綺麗な着物を着せてあげたかったのに。

 

―――偉いことをすればたくさん褒めて。

 

―――悪いことをすればたくさん怒って。

 

―――そして最後はたくさん「愛している」と伝えて抱きしめてあげたかった。

 

―――それと……。

 

 暗闇を進み続け、やっとの思いで屯している子供たちを見つける。

 鬼だった時の姿とは違う。

 真っ当に人間として生きていれば、()()()()()()()()()姿の子供たちは、確かに我が子だった。

 

 そんな我が子が―――四人。

 

『あ……あぁ……あぁあぁ……!!』

 

 涙が溢れて止まらない。

 死ぬ思いで産んだ三人に対し、たった一人だけ―――産声を上げることも許されなかった我が子がいた。

 優しい笑みを浮かべる兄と姉に囲まれ、最後の子供がこちらに気が付いた。

 覚束ない動きで立ち上がり、よたよたと……縋るように両手を掲げる我が子が、満面の笑みで歩み寄って来ては言う。

 

『おかー……さん!』

『ッ……ああぁああぁぁああぁああ!!!』

 

 どうしても聞きたかった言葉を前に泣き崩れる。

 そして抱きしめた。壊れないよう、二度と離さないよう。

 そんな親子に残った三人も愛おしげに抱擁に加わる。

 例え自分の意思で鬼になった訳でなく、それで償えぬ罪を犯し地獄に堕ちたとしても―――今度こそ離れ離れにならぬようにと。

 

 

 

 だが不思議と、家族を包み込む業火は温もりに溢れていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「そうか。杏寿郎と一緒に、継子になった剣士(こども)たちが十二鬼月を打ち取ったんだね」

 

 それは弓で奏でられた弦楽器の音のような、心安らぐ声音であった。

 

「喜ばしい報せだよ。聞くところによれば、トドメは継子の子が刺したんだね? あまね」

「はい」

 

 彼の問いに答えるように、美人画からそっくりそのまま出て来たかのような見目麗しい白髪の美女が頷いた。

 鬼殺隊当主の御内儀・あまね。

 そして彼女に問いかける男こそ、当主である産屋敷輝哉である。

 血色の悪い顔の上半分には痣のようなものが浮き出ており、とてもではないが健常な体であるとは言い難い。

 それでも不思議と“力”を感じさせる彼は、瞼を閉じて言葉を紡いだ。

 

「次世代の“柱”が育っているようでなによりだ。子は何物にも代えられない宝だ。願わくば、彼等もまた新たな剣士(こども)たちを守り育てる剣士になってくれたらと思うばかりだね」

 

 自分が当主になってから、鬼との戦いで亡くなった隊士の名前全てを覚えている。

 数多の命が奪われた。

だが、当主として悲しみに明け暮れている時間は長々とない。

 柱合会議で集まった情報をまとめ、人員の配置といった采配に携わるのが仕事だ。

 そしてある時は、柱の心の支えとなるのも当主としての責務。

 

「そうだね……今度の柱合会議では柱の皆に薦めてみようか。杏寿郎や()()のように、積極的に継子を取ってみることを」

「畏まりました」

 

 忙しいことは承知しているが、それでも柱には次世代の剣士を育ててもらわねばならない。

 そうして鬼殺隊は繋いできた。組織や想いを―――。

 

「さて……そろそろ行こうか、あまね」

「はい」

 

 妻に支えられ、歩みだす輝哉。

 向かう先は、数百年未だ垣間見ることさえ叶わぬ鬼殺の夜明け。

 

 

 

 しかし、物語の歯車は終着へ向けて廻る、廻る―――。

 

 

 

 ***

 

 

 

「そうだ! 前よりも動きが良くなってるぞ!」

「はいッ!」

 

 遠くの庭から杏寿郎と凛が稽古している声が聞こえる。

 姑獲鳥との戦いを経て煉獄邸へと戻って来た四人は、十二鬼月の一角を落とした勢いのまま稽古に励んでいた。

 鬼の首領・鬼舞辻無惨直属の上級の鬼の集まり―――十二鬼月。その一体を大勢の協力を得つつも倒したとなれば、自然と不明瞭であった自信が確固たる実感が湧き上がるというものだ。

 

 凛は杏寿郎(かくうえ)との戦いの中で呼吸を一層洗練させよう励んでいるようだった。

 一方でつむじは、飛び回る敵と戦った経験を活かそうと、日輪刀以外の武器の構想や戦略を練っている。元々生き残れるようにと頭は回っていた方だ。時間と経験さえ重ねていけば、どのような鬼に対しても戦える剣士になれよう。

 

 そして燎太郎はと言えば、

 

「……」

 

 煉獄家にある神棚の前で拝んでいた。

 杏寿郎たちの祖先―――延いては、炎の呼吸の創始者が祭られている神棚だ。経緯はどうであれ、炎の呼吸を扱う者として拝んだところで罰は当たるまい。

 少し年季の入った数珠を片手に拝むこと数分。風通しを良くするようにと開かれていた縁側の方の障子越しに足音が響いてくる。

 

「……なんだ、貴様。人様の家の神棚の前で」

 

 姿を現したのは、酒を片手にする槇寿郎であった。

 変わらず昼から酒を煽る彼からは酒気が漂っている。

 そんな彼は酔っているのか否か、あくまで彼からすれば自身の先祖が祭られている神棚を、赤の他人である燎太郎が拝んでいることに不快感を隠さない。

 

「今すぐやめろ! 坊主の真似事なぞして……」

「俺は」

「?」

「貴方が羨ましい」

「……なんだと?」

 

 突然言い放たれた言葉に、槇寿郎は怪訝そうに眉尻を顰めた。

 彼が何を言わんとしているのか、酔っ払いの鈍重な頭で意図を汲もうと試みる。

 だが、当然のように燎太郎が語を継ぐ方が早かった。

 

「才能で得られないものを持っている。孝行してくれる子を」

 

 詰め寄っていく燎太郎だが、彼から威圧感といった類の圧を覚えることはなかった。

 ただ、邪気を払うたき火の燃ゆる音のように澄み渡って聞こえる声が、近寄るだけはっきりと、槇寿郎の鼓膜を打ち付ける。

 

 鮮明に、鮮烈に。

 

「俺は……孝行してあげたかった。でも、もう取り戻せない。人は唯一無二だから」

「ッ……」

「俺はまだ親じゃない。妻を娶ったことも亡くしたこともない。だが、これだけは言っておきたい……どうか、子の愛情を拒むことだけはやめていただきたい」

 

 言葉を失う槇寿郎の傍を通り過ぎる燎太郎が、最後に続けた。

 

「子にとって……親は永遠ではないから」

 

 重く、胸に響く声音。

 それから「失礼します」と去っていった燎太郎に、槇寿郎は振り返ることもできず、ただただその場で立ち尽くすばかりだった。

 ようやく動き出せたのは、手から滑り落ちた酒の入れ物が床に滑り落ちた鈍い物音を耳にした頃だ。

 

 導かれるように、槇寿郎の足は神棚の前へと向かう。

 ゆっくりと神棚の前に腰を下ろす。

 ()()()から全くと言っていい程拝むことのなくなった神棚であるが、千寿郎が毎日手入れしてくれているお陰だろう。埃一つ被っていない神棚は、外から差し込む陽光を浴び、燦然と輝いているように見えた。

 

「ッ……瑠火……!!」

 

 口に出すのは亡き妻の名。

 己の無能に打ちのめされている時期だった。そんな時、心の拠り所としていた彼女を失い、今のような体たらくへと落ちぶれるようになってしまった。

 不甲斐ない。黄泉の国に居る彼女や先祖に合わせる顔もない。

 すっかり酔いも醒め、省みれば省みるほど叩けば埃が出るように自身の至らぬ部分が垣間見える。

 だからこそ今までは酒に逃げていた。だが、彼女が。瑠火が目の前にしているのだ。再び酒に逃げることなどできようか。

 

「うッ……ううッ……」

 

 蹲り、嗚咽を上げる槇寿郎。

 零した先から溢れる涙が畳みに染みを作るが、そんな彼の背中を撫でるかのように優しい陽光が絶えず部屋には差し込んでいた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「おお! 戻って来たな、明松少年!」

「明松燎太郎、ただいま戻りました!! ご指導のほどよろしくお願いしまぁす!!」

「うむ、いい威勢だ!」

 

 地面で伸びている凛とつむじを余所に燎太郎は、意気込んだ様子で頬を叩く。

 

「どうした!? 凛! つむじ! 起きろ! まだまだいくぞ! 心を燃やせぇ! はい、復唱ォ!」

「ココロヲモヤセー」

「なんて心のこもってない復唱なの、つむじ……!?」

 

 二人を奮起させようと叫ぶ燎太郎。

 対してつむじは片言な口調で言葉を反芻するものだから、思わず凛がツッコミを入れてしまった。

 

 しかし、まだ出会ったばかりの頃を思い出せば、こうしてつむじが乗っかって来てくれるだけでも大分進歩したというものだ。

 うんうんと頷く燎太郎は感慨深そうに紡ぐ。

 

「よぅし! 一日一歩と言わず、千歩! いや、万歩進む勢いで鍛えていくぞ! オォー!!」

「あ、熱い……オー!」

「おー?」

「はっはっは!! 仲が良くて何よりだ!! これは俺も気合いを入れなければなッ!!」

 

 これ以上気合いを入れられれば死んでしまう―――そんな考えが脳裏を過った凛であるが、杏寿郎のにこやかな顔やなんだかんだ言っても一緒にこなそうと奮うつむじ、そして燎太郎の意気揚々とした姿を見れば、辛さなぞ吹き飛んでしまうようであった。

 

 炎柱・煉獄杏寿郎が継子三人は、鬼の手から救いを求める人を守るため、今日もまた精進に全身全霊を込めていく。

 

 

 

―――諦めるな。

 

 

 

―――心を燃やせ。

 

 

 

 二つの教えを胸に向かう未来(あす)が明るいものだと信じて―――。

 




*伍章 完*

*オマケ*

・炎の呼吸 拾ノ型 焔口冥陽(えんくめいよう)
炎の呼吸において燎太郎が編み出した慈悲の剣閃。斬られた者は痛みも感じず、日向で憩う温もりを感じる。
焔口(えんく)」とは、口から炎を吐き出す餓鬼の意。
冥陽(めいよう)」とは、飢渇に苦しむ餓鬼を救う法会である施食会(せじきえ)の別称「冥陽会」より。
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