明朝。それは小鳥の囀りと鉄を打つ音が交互に響く刀鍛冶の里のことだった。
「ふむふむ、なるほど……」
蟲柱・胡蝶しのぶは朝早くに訪れた鎹鴉より受けた伝令に相槌を打つ。
「しのぶちゃ~ん!」
「あら、甘露寺さん。おはようございます」
「おはよう! これからつむじちゃんと朝ご飯なんだけど一緒に……って、伝令?」
「そのようです」
朝から溌剌とした様子の蜜璃であったが、しのぶから只ならぬ雰囲気を感じ取ったのだろう。思わず神妙な面持ちとなる。
柱に通達されるのはそれだけ重要度の高く、なおかつ危険性が高い任務がほとんど。
「―――どんな伝令だったの?」
「あら、おはようございます東雲さん」
柱の任務ともなれば、平隊士は内容を聞くことを憚るであろうが、つむじはその限りではない。
平然と、そして正直に自分の疑問を投げかける彼女に対し、しのぶは隠す必要もないと断じ、あっさりと白状した。
「少々厄介な鬼が現れたようで……至急、薬学に精通した私を現場に寄越してほしいとのことらしいですね」
「しのぶちゃんが呼ばれたってことは……毒でも使う相手なのかしら?」
「さあ、そこまでは……とにもかくにも、私は日輪刀の調整も終わりましたので、早々に此処を発とうと思います」
花弁を模した細身の日輪刀を手に立ち上がるしのぶ。
その際、ふわりと風に舞うかのように靡いた羽織は、引退したカナエから譲り受けたもの。
実物以上の重みを感じるのは、受け継いだ柱としての責務を実感しているが故か。なんにせよ、しのぶは今までも、そしてこれからも柱としての責務を果たさんと鬼が跋扈し、人が救いを求める場へと赴くのだ。
「それでは甘露寺さん、東雲さん。武運長久を」
「うん! 気を付けてね、また会いましょう!」
「ん」
簡潔な別れの挨拶を済ませると共に、しのぶは風に吹かれるように姿を消した。
彼女にもたらされた任務とは一体なんなのか?
未だその疑問が頭に浮かんでいるつむじであったが、間もなくして関係しているのではないかと邪推する情報を鉄火松から聞かされた。
「弾の材料がない?」
「ええ……申し訳ないんスけれど」
ひどく申し訳なさそうに項垂れる鉄火松に、つむじは口先を尖らせて問う。
「なんで?」
「それがですね、定期的に仕入れてくる砂鉄と鉱石が届かなくて……」
言わずもがな、その二つは猩々緋砂鉄と猩々緋鉱石のことだ。
「採れなかったの?」
「採れなかった……という訳ではないんでしょうがねぇ。東雲さん、陽光山は知ってます?」
鉄火松の口から出て来た単語に、つむじはかぶりを振った。
「じゃあ、そこから説明をば」
陽光山とは一年中、雲もかからず雨も降らぬ山のこの世のどこかに存在すること。
刀鍛冶の里同様、その場所は鬼殺隊士どころか、陽光山から採掘される砂鉄と鉱石を用いて日輪刀を打つ刀鍛冶の里の者にも秘匿されている。
山の歴史は非常に長く、分かっている範囲でも百年以上は陽光山から必要な鉄鉱石を採掘していた。
だが、鉄鉱石とは自然の恵み。延々と掘っていれば無くなっていくのが自然の摂理というもの。
そうした関係もあり、時折採掘場を変える都合もあって鉄鉱石の送られてくる量が激減することはあった。
しかし、今回のようにそもそも運び込まれてこないのは稀有な事態。
「なにかあった」
「っスね。鉄珍様に聞いたら、いつもの運搬用の道が使えないとか……」
一般的に考えられるのは土砂崩れだ。
けれども、今回はそういった異常とはまた別の問題らしい。
「なんていうか、こう……変な色の煙が、いつも立ち寄ってる村に充満してて……みたいな」
「変な色の煙?」
「そっス。何なんでしょうね? 毒
「毒瓦斯?」
「吸ったら体に悪い空気のことっス。炭鉱とかだと時々事故があるとは聞くんスけど、陽光山近くで毒瓦斯が出るなんては聞いたことないっスね……」
「どうにかできないの?」
「うーん、流石に人の手じゃあ……それに、なんでも辺りの地形が盆地らしくて」
高い山地に囲まれた盆地は、吹く風も弱く、空気が同じ場所に留まってしまう。
とどのつまり、現状お手上げという訳だ。
「別の道用意するにもそれなりの時間が必要っスからね~。しばらくは里にある分やりくりするしかないっス」
「? ……あるの?」
「ん? あぁ……さっきのは、アタシが刀打つのに使う分以外がないって意味っス。すみません」
鉄火松が担当する刀は一本だけではない。
にも拘わらず、まだ実用性もはっきりとしていない武器のために、在庫がない砂鉄と鉱石を使う訳にはいかない。彼が始めに言ったのはそういう意味だった。
「とってくる?」
「いや、流石に他人様の分を盗む訳には……!」
「ううん、山に」
「へ?」
お面の奥で目を白黒させる鉄火松。
「それは……陽光山に行くと?」
「うん」
「……ほ、本気っスか?」
「向こうで弾作れる?」
「まあ、さして難しい作業ではないんで……」
「道具さえあれば」と付け足す鉄火松に対し、つむじは能面のように動かぬ顔ながらも、これから行おうする行為を悟らせる雰囲気を漂わせる。
「じゃあ、行く」
善は急げと鎹鴉を呼び寄せては、陽光山へと向かう許可をもらえるように輝哉の下へと飛ばせる。
これは大変なことになったと頬を掻く鉄火松であるが、日輪銃の完成にここまでつむじが乗り気だとは思っていなかった為、内心浮足立っていた。
「いやぁ、何から何まですみません」
「なんで謝るの?」
「ん? 言われてみれば……それじゃあありがとうございますっスね、東雲さん」
「ん」
照れながら感謝を述べる鉄火松に、つむじは素っ気ない返事をする。
と、ここまでは良かったものの、これからすることがない。少なくとも鎹鴉が戻ってくるまでは暇を持て余すことになる。
温泉に浸って英気を養うべきか―――それにしては、まだまだ体力が有り余って仕方がない。
やはり温泉は適度に疲れた体にこそ染み入るというもの。
「つむじちゃーん!」
「蜜璃」
「お昼ご飯まで時間があるから一緒に稽古しない?」
「する」
ちょうどよく訪れた蜜璃の誘いに乗ったつむじは、そのまま彼女の背中を追いかけて外に出ていった。
麗しい少女が二人で稽古に励むとは、如何せん女っ気がない気がしなくもないが、それでこそ鬼殺隊。
「さて、アタシは諸々の準備を済ませましょうかね……」
二人を見送った鉄火松は、陽光山に向かう支度を整えるべく、日輪刀の調整や道具の準備の為に腰を上げるのであった。
***
つむじが向かわせた鎹鴉が戻って来たのは明後日のことだった。
「東雲ツムジヲ、陽光山ニ立チ入ルコトヲ許可スルゥー!」
「ん、わかった」
「モウ一ツ、オ館様カラ伝令ェー!」
「?」
陽光山入山許可を貰えた以上、鎹鴉から聞くことはないと断じていたつむじであったが、敬愛する輝哉の伝令となれば聞かない訳にもいかない。
普段の鎹鴉に対する態度が一変して、素直なものとなる。
これには流石の鎹鴉も呆れた表情を見せるが、余りもったいぶると首を絞められないとも限らない為、口早にとある
「恋柱・甘露寺蜜璃ト共ニ蟲柱・胡蝶シノブト合流シ、鬼ヲ討滅セヨォー!」
「……蜜璃としのぶと?」
「合流場所ハ藤ノ花ノ家ェー! 急グベシ! 急グベシィー!」
カァーカァーと騒々しい鎹鴉を余所に、伝令に聞き耳を立てていた鉄火松はこてんと首を傾げる。
「へ? 柱二人と合流して鬼を倒しに行くんスか?」
「みたい」
「それってもしかしてもしかしなくても危ない奴っスよね?」
「知らない」
「そこいい加減じゃ駄目な奴じゃないスか?」
あっけらかんと言い放つつむじに、流石の鉄火松も困り果てた様子だ。
だが、それ以上に困ったように眉尻を下げるのは、偶然同じ部屋に居た蜜璃であった。
「私も一緒に行くのね! でも、確かしのぶちゃんって前に鬼退治に……」
一昨日任務の為に里を発ったの姿が記憶に新しい。
彼女の口からも「厄介な鬼」とやらが出てきたが、恐らくはそれに関連しているであろうことは想像に難くない。
「なにかあったのかしら? ……ううん、今考えても仕方ないわ。とにかく、まずはしのぶちゃんと合流しましょ! つむじちゃん!」
「ん」
深刻そうな面持ちの蜜璃とは裏腹に、つむじは至って平然だ。
この呑気さが吉と出るか凶と出るかは、まだ誰にも分からない。
なにはともあれ、任務を伝えられたとあっては現場に赴かなければ話にならない。
「よーし、やるぞぉー!」と意気込む蜜璃は、鉄珍の打ちたてホヤホヤの日輪刀を手にし立ち上がった。
一方で、つむじもまた鉄火松に打ってもらった日輪刀と、試作型日輪銃を腰にぶら下げて腰を上げる。
「よしっ、じゃあ行こっ」
「あぁ……アタシが任務に付いて行くかどうかについての言及はないんスね」
「最初から来るって話でしょ?」
「……まあそうなんスけど」
鬼に脚をやられた身としては、柱二名に加え、柱に匹敵する隊士が徴集される鬼が居る現場に向かわなければならないのは中々複雑だ。
しかし、しかしだ。
それ以上に為すべきことが自分にはあると、鉄火松は自分を奮い立たせるように言い聞かせる。
「ふぅ~……こうなりましたら、アタシも腹を括るっス! 付いて行く以上、何かしらの役には立てるよう頑張るっスよ!」
「別に大丈夫」
「東雲さん、そりゃないっスよ」
「ま、まあお気持ちだけ……! ね!? つむじちゃん!」
歯に衣着せぬ正直なつむじによる傷心を慰めるように、蜜璃が鉄火松に応える。
と、他愛のない一幕を挟んで、一行はしのぶとの合流場所になっている藤の花の家紋を掲げる家を目指すこととなった。
刀鍛冶の里から隠に連れ出してもらい、途中から自らの足で歩くことになった一行は、道中特に問題事もなく藤の花の家に到着する。
が、合流するはずのしのぶの姿が見えないではないか。
どうしたのかと家の者に聞けば、どうやら少し前に出かけてしまったとのことらしい。
そういう理由もあり、しのぶが帰ってくるまで家で待つことになった三人は、
「いやぁ……やっぱり甘露寺さんの刀いいっスねぇ……流石は鉄珍様が打った刀……ここまでの造詣、中々見られるもんじゃないっスよ……」
「そ、そうかなッ!?」
自分の日輪刀を褒められ、なぜかポッと頬を染める蜜璃。
この会話から分かる通り、始まっていたのは鉄火松による蜜璃の日輪刀の鑑賞会であった。
「はい、その通りっスよ。はぁ、美しい……素晴らしい……この溜め息が出る完成度……あぁ、刀の色も鮮やかだ。色も濃い……まさしく刀鍛冶と所有者の力があってこそ成り立つ究極の美……」
「鉄火松さんって刀に目がないのね」
「たまにそう」
あからさまに蜜璃の日輪刀に見とれてしまっている鉄火松の横で、茶請けの煎餅を齧る女二人は、違う世界に入ってしまっている彼を得も言われぬ瞳で見つめていた。
だが、見慣れている二人はともかく、刀の造詣に深い者が蜜璃の刀に見惚れてしまうのは致し方がないと言えよう。
「これほど細くしなやかや刀を打つにはどうすれば……」
一見すれば鞭に見えなくもない細長い形状。
しかし、実際は鞭のような革紐ではなく猩々緋砂鉄と猩々緋鉱石によって打たれた刀身を有している。
これが甘露寺蜜璃の日輪刀。大半の刀工が思い浮かべる刀とはかけ離れた形状、そして性質。極めて薄く柔い刀身は、刀としての切れ味を持ちつつ、蜜璃自身の強靭な肉体により振るわれることにより恐ろしいまでの技の速さを出すことを可能としている。
そんな日輪刀を、好奇心旺盛な子供のように爛々とした瞳を眺める鉄火松は、しきりにため息を零し、うっとりしたような挙動を見せるばかりだ。
人によれば距離を取りたくなる姿。
すると、つむじが一言。
「蜜璃みたい」
「えっ!? なにが!? どこが!? どんな時!? 私だと思った部分!」
「……」
「沈黙しないでよ、つむじちゃん! そういう具体的な部分が分からないままなのが一番怖いのよォ~!」
あのような変態に見えなくもない姿のどこと自分を重ねたのか。
不安で胸がいっぱいな蜜璃は、その胸をプルプル震わせながらつむじの肩に手を置く。
しばらく蜜璃は喚いていたが、彼女が静かになるより前に鉄火松の鑑賞が終わったようだ。
丁寧な所作で刀を鞘に戻した彼は、「いい物を見させてもらったっス」と感謝を告げてから、興奮より滲み出ていた汗を懐にしまっていた手拭いで拭く。
「いやはや……年月を積み重ねた人の技術の凄まじさの何たるか」
「満足?」
「ええ。そして確信しましたよ」
一拍置く。
もったいぶった訳ではない。否、寧ろその一瞬こそが、演じているかのようなわざとらしさを振り払う静寂と化す程、彼の声音は真剣そのものだった。
「人は鬼に勝てる」
「……」
「あ、視線が冷たいっス」
つむじの「何言ってんだこいつ」という視線を前に、すぐさま剽軽な様子に戻る鉄火松。
しかしながら言葉自体を否定するつもりはさらさらなかった。
「あっはっは、つむじさん。アタシが言いたいのは、いつか人の作りだす技術が鬼を凌駕するって意味っスよ」
「具体的に」
「人は鉄で強い武器を作るようになった。薬で病を治せるようになった。電気で夜の闇を克服できるようになった。日夜技術の発展に汗水流して取り組んでいる方々のおかげで、人の世ってのは豊かになってきたっス。それはこれからも同じでしょう」
特にここ数十年は、外国から流入してきた技術により、日本という国は目覚ましい速度で文明が発展していった。
夜は蝋燭か月明りしか光源がなかった人々に齎された電気という存在は、まさしく人が夜を克服する大きなものであったのだ。
そして今も尚、技術は進化し続けている。
それは鬼殺隊や刀鍛冶の里も例外ではないが、あくまでそれらは洗練された剣士や職人の技術とは別の方向だ。
もしも今よりも技術が革新し、人が跋扈する世の中となれば、人に害為す鬼に世界はどう動くであろうか?
「今の世の中、鬼との戦いの最前線……そして瀬戸際に居るのが鬼殺隊でしょう。でもね、お二方。アタシはたとえ鬼殺隊がなくなったとしてもね、人は自分たちが築き上げる技術で鬼を滅ぼせる……それだけの可能性を秘めてると思うんスよ」
「遠くない未来にね」と鉄火松は締めくくった。
「あッ! だからって鬼殺隊の方々が要らないって意味じゃないっスよ! これはあれっス! 鬼なんかに負けないぞ! みたいな意気込みっていうか」
「どうでもいい」
「え?」
「その前に私が鬼を殺すから」
慌てる鉄火松に対し、平然と言い放つつむじ。
その堂々たる様に蜜璃は思わずプッと吹き出してしまった。
(変わらないなぁ)
初めて会った時からそうだ。
どこか素っ気なく冷たい風を彷彿とさせる言動。しかし、実際は空にかかる暗雲を吹き払し陽光を人々にもたらしてくれる強風の如く力強い。それが蜜璃の抱く―――否、彼女を知っている者ならば誰もが抱く印象であった。
(私も頑張らなくちゃ!)
柱であるとはいえ、つむじは蜜璃にとって先輩だ。
強さとは違った負うべき背中を彼女は見せてくれる。
これからの任務への士気が高まると共に、普段は鷹揚たる様子が一変して頼り甲斐のある姿を見せる先輩にキュンと胸をときめかせる蜜璃。
と、そこへ足音が近づき、間もなくして三人が居る部屋の扉が開かれた。
「失礼。遅れてしまいました」
「しのぶちゃん! 大丈夫? 怪我はない?」
「ええ、大丈夫ですよ甘露寺さん。……ところで、何故鉄火松さんが?」
「あ、お構いなく」
「? ……そうですか、分かりました。兎も角、早速ですが本題に入りましょう」
どこか甘ったるい匂いを漂わせるしのぶ。徐に腰を下ろし、ふぅと一息吐いてから話は始まる。
「如何せん標的の鬼が厄介でして……人員が―――それも腕の立つ方々が必要だと考えたので、お館様を通じて応援をお願いしたんです」
「その鬼って……」
「ちなみにお二方、本来陽光山から日輪刀に必要な鉄鉱石を運ぶ道が使えなくなっているのはご存知ですか?」
「あ、それ」
しのぶの問いにピンと来たつむじが声を上げる。
「存じているようですね」と応えたしのぶは、普段のキビキビとした様子とは違う倦怠感を面に滲ませて続けた。
「まさに今回の任務はそれに関係しています。その道が……正確には立ち寄らざるを得ない位置にある村が鬼の襲撃を受け、とても通れる状況ではないんです」
鉄鉱石を採掘する者達の里は陽光山の麓に存在する。
そして太陽の光を吸収する鉄鉱石が多く埋まっている山は、鬼にとっては近づくことさえままならない聖域と化しているのだ。と、里自体は鬼の襲撃を警戒しなくてもよい立地だが、鉄鉱石を運ぶ為に里から出る際はその限りではない。
今回襲撃を受けたのは、里から最も近い村。里から険しい山道を超えてようやく休息できる一つの拠点となっている。その村に立ち寄らなければ、次の人里までの道のりは長く険しく、山道で鍛え上げられた健脚を以てしても日が落ち、鬼が―――鬼ではなくとも狂暴な獣が動き始める時間帯になってしまう。
刀鍛冶―――延いては鬼殺隊にとって重要な資材である鉄鉱石を安全に届けるには、何があっても立ち寄るべき。そういう場所だった。
「具体的に述べるなら……そうですね、村全体に瘴気のような煙が満ちています」
「しょうき?」
「端的に言えば吸ってはいけない空気です」
「あー」
刀鍛冶の里で鉄火松から似たような存在の説明を聞いていたおかげもあり、すぐに合点がいったつむじは、赤べこのようにコクコクと頭を上下に振る。
と、説明していれば蜜璃が話に割って入った。
「もしかして出かけていたのって……」
「はい。少しでも煙の正体を探ろうとしていました」
行き違いの理由は煙の正体を暴くが為だったようだ。
そして、薬学に精通したしのぶだからこそ得られた情報が、
「性質として……あくまで類似しているという意味ですが、
「「……?」」
「所謂、麻薬ですね」
目が点になって首を傾げる二人にすかさず補足が入った。
「慢性中毒は一旦置いておくとして、吸煙等で一度に多量の阿片を摂取して引き起こされる急性中毒は呼吸麻痺で死に至ります」
「吸煙……えっ!? もしかして呼吸使えないの!?」
「明答です、甘露寺さん。長時間の戦闘となれば私達が不利になるのは明白でしょう」
鬼殺の剣士にとって呼吸ができないのは一大事だ。
村全体を包み込む血鬼術らしく煙を発生させるほどの鬼に対し、呼吸を使えぬとあれば苦戦は必至。
「私より先に派遣された十名の隊士はまだ戻ってきていません。恐らくは既に……」
犠牲はすでに出ている。今回の鬼が強大であると断じたのはそれ故だ。
「本当であれば宇髄さんが適任だと考えたのですが、生憎遠方に出ているとのこと」
最初の腕利きを必要とする旨に繋がった。
しのぶが口にした音柱・宇髄天元は、元忍という経歴があり、身体には毒物に対する耐性が付いている。彼が居れば今回の鬼に対して比較的安全に立ち向かえたであろうが、遠方の鬼の討滅に出ている為、すぐには戻れない。
望ましい人員が確保できない中、これ以上の被害を防ぐには、血鬼術が身体を蝕むよりも早く、鬼を討ちとることができる強靭な精神の持ち主のみ。すなわち柱か、彼等と同格の剣士。
話を聞いていた蜜璃は、自分が呼ばれた理由に喉を鳴らした。
今まで何体もの強敵を相手にした彼女でも、今回のような鬼は相手にしたことがないのだろう。
柱と言えど緊張はする。
だが、ここで緊張とは無縁の女が満を持して口を開いた。
「作戦は?」
「まずは出来る限り煙を吸わないよう準備を整えましょう。それから私が使っている藤の毒をお二方の分も調合しておきました」
しのぶが扱う藤の毒であれば、頚を斬れずとも鬼を殺せる可能性がある。
呼吸も満足にできない環境下では頼りになる奥の手だ。特に蜜璃のように間合いの長い武器であれば尚更であるだろう。
「量こそ少ないですが、ぜひとも役立ててください」
「ありがとう、しのぶちゃん!」
「前から欲しかった」
毒を預かる二人。
と、その横では何やらうずうずした様子の鉄火松が。
「あの、東雲さん」
「ん?」
「これ……弾っス」
大事そうに包まれていた袋の中から手渡されたのは、いくつかの弾丸であった。
弾の大きさは日輪銃とピッタリだ。
「材料足りなかったんじゃないの?」
「いやぁ、そこらへんは……」
「……盗んだ?」
「いやいやいや、盗んでないっス! 断じて!」
何やら言いにくそうにしていた鉄火松であったが、つむじの頓狂な誤解を他二名に共有されるのは堪らないと白状することにした。
「そのぅ、アタシのお古を材料にして……えぇ」
「お古?」
「日輪刀を……」
はははと誤魔化すような笑い声を上げる鉄火松が言うに、なんと彼が鬼殺隊時代に使っていた日輪刀を融かし、弾丸の材料にしたとのことだ。
彼が日輪刀を握っていたのはそれこそ数年以上前の話だ。
後進に譲渡することなく己の手元に置いていたのは、それなりの愛着があってこそ。
「よかったの?」
「いいんスよ、宝の持ち腐れっしたから。使われないままの道具程悲しいモンはないっス。例え形を変えても人の役に立つ……それが道具のあるべき姿だと思うんス」
故に惜しくとも託した。
「……ありがとう」
「いえ。察するに敵は強大。少しでも東雲さんのお役に立てば幸いっス」
「これは責任重大ですね」
素直に感謝を告げるつむじ。
そんな彼女へしのぶは冗談めかせた言い回しをする。それも否応なく重々しくなっていた場の雰囲気を和らげる為。
と、肩の強張りを解したところで柏手を打つ。
「さて! 出立についてですが……可能な限り煙が薄くなっている時間帯に勝負を決めたいところ。明日の夕暮れに到着するのを目安にしましょう」
「昼の方が風は強い。けど、それじゃ鬼も警戒してる」
「そういう訳です。……けれど、盆地ですから期待し過ぎるのはやめましょう」
希望的観測で段取りを決めるのは自殺行為に等しい。
最大限の警戒を以て事に当たるのが生き残る鍵だ。
「準備を整えて今日は早く休むことにしましょう。明日はよろしくお願いします」
「勿論よ! 私、頑張っちゃうわよぉー!」
「ん」
三者三様の意気込む姿を見せ、早速準備に取り掛かる。
「あのー」
「はい、鉄火松さん?」
「アタシに出来ることがあるなら言ってください。道具作りの手伝いくらいなら喜んでするんで」
「あら、ありがとうございます。それじゃあ、その時はよろしくお願いしますね」
「いえいえ」
手伝いを申し出た鉄火松は、女性三人が居る部屋からそそくさと退出する。
流石に、あの華々しくも強かな面子と同じ場にいつまでも留まる度胸はなかった。
トボトボとした足取りで廊下を歩む。
床を踏む度に軋む音が木霊する。
「はぁ~」
零れるのは深いため息。
共に無力感を吐き出そうと試みたのだが、寧ろ肩に得も言われぬ重みが圧し掛かるようだった。
「材料さえあれば……」
「おじちゃん、どうしたの?」
「ん?」
不意に声を掛けられて振り向くも、目線の先には居ない。が、視界の下に先ほど通った時には見なかった影を望み、視線を落とす。
幼い少女だ。
こちらを見上げる少女は鞠を大事そうに抱えながら、爛々とした瞳を浮かべている。
彼女に「おじちゃん」と呼ばれたこと自体には不服だが、だからと言い返しては大人げないと言葉を呑み込んだ鉄火松は、彼女からしてみれば見えぬ笑みを湛えて返事する。
「おやおや、これはこれは可愛らしいお嬢さん。ここの子かな?」
「うん。おじちゃんも鬼狩り様?」
「おじちゃんはねー、昔は鬼狩りだったんスけどねー。今は刀鍛冶っス」
「かたなかじ?」
「そうそう。鬼狩り様が使う刀を打ってるんス」
「へぇー」
「でも、鬼のせいで刀を作るのに必要な材料がないんスよ。困っちゃうよねー」
「材料?」
「陽光山っていうお山から採れる鉄鉱石なんスけどねー」
「あたし持ってるよー」
「へ?」
彼女の一言は霹靂。そして光明であった―――後に彼は語った。
***
「……ッ」
あからさまに嫌悪感を表情に出すつむじ。
彼女の目の前にはあるのは、三丈先が見えぬ程に不明瞭となる視界を生み出している桃色の煙であった。
夕暮れ時というのもあり、まだ完全に色彩が窺えるが、見れば見るほど現実離れした光景としか言いようがない。
「この先ですね、鬼が居るのは」
「ひぇっ……私の髪の毛より桃色……」
「蜜璃の髪はこんなに濁ってない」
「えっ!」
キュン! と胸がときめき赤面する蜜璃はさておき、煙を吸わぬよう即席の防毒面―――とはいうものの、何枚か重ねた口布の間に粉末にした炭を挟むという粗末な装備で煙の中を進む一行。
これでもないよりはマシだ。しかしながら、息苦しさは拭えない。全集中の呼吸・常中の維持も今だけは厳しく感じてしまう。
加えて臭いが酷い。
酷く甘ったるい。汚物とは別の方向性の臭さだ。
「うぅ……変な気分になりそう」
「引き際も大事です。万が一には撤退も」
「んー」
「……具合が悪くなったら言って下さいね、東雲さん?」
二人に警告しつつ先導するしのぶ。
しばらく走っていれば、人の暮らしていた形跡が至る所に見えてきた。
(そろそろ……ですね)
ふと横に目を遣れば、見るも無惨な姿の死体が転がっている。
煙もかなり濃くなってきている。それだけ敵が近いことは全員が察していた。
その時であった。
「お二方」
口布越しのくぐもった声が響く。
やおら立ち止まり、つむじと蜜璃を制止するように手を横に突き出したしのぶは、そのまま手を日輪刀の柄に下した。
続いて聞こえてくる複数の足音を耳にし、すぐさま二人も刀に手を掛ける。
敵の襲撃だろうか。
しかし、聞いている限り
「―――これは」
瞠目するしのぶ。彼女が目にした者は、
「人ッ!?」
「……!」
青白い顔を浮かべ、涎を垂らしながら歩み寄って来る群衆。
それは紛うことなき人間であった。
とても生者のような生気を感じられこそしないが、現在三人に群がって来る人々に鬼殺隊の隊服を持っている者も窺える。
全員が虚ろとした瞳を浮かべ、しかしながら、三人を敵と見据えるかのような視線を向けてきていた。
人間であるならば、斬るのは言語道断。
かつては任務遂行の為ならば人殺しも已む無しという価値観を持っていたつむじも、ここでは抜きかけた刀を収める。
だが、
『―――嗚呼、哀れな者が迷い込んだなぁ』
「!」
煙の奥から痰が混じった声が響いてくる。
鬼だ。間違いない。確信した三人の目は獲物に狙いを定める鷹よりも鋭く閃く。
『わざわざ死にに行くような鬼狩りになるなんて、それはそれは悲しい過去があったんだろう……哀れだ、悲しいなぁ。心底同情するぞ。だが、どうしてそうも自ら苦しい道を進む? もっと肩の荷を下ろせよ』
「……」
なんだ、こいつは。
それが三人の鬼に抱いた印象であった。
一体誰の所為で。
心の中で同じことを考える三人の瞳が、逆鱗を触れられた龍の如く、猛々しく揺らめく赫怒の炎を灯したそれになる。
けれども、そんな彼女たちに臆することもなく、それはもう憐れんだ声音を紡ぐ鬼が続けた。
『救いがない現世にいつまでも縛られている道理はないんだぞ。さあ、おれたちと一緒に痴れようじゃあないか。ここは鬼も人も関係ない桃源郷だ。五体不満足も大罪人も白痴も等しく天人だ?』
「手短に。散開しましょう」
「うん!」
「ん」
『―――現世に未練がある。いや、いい。それもまた人の愛いたる所以。だが、それ以上に哀れで度し難い』
鬼の話など聞いている暇がないと散開を提案するしのぶに、二人は反論することなく賛成した。
何故ならば、これから起こることを予想していたからだ。
『皆、聞けよ。そこに可哀そうな奴らが居るだろう。お前らの手で此方に連れてきてやるんだ』
「あぁ……」
「かわいそうに……」
「こっちに来な。気持ちいいぞぉ……」
幾重にも重なる呻き声。
初めこそ甘い猫撫で声にも聞こえなくもなかったが、逃げるように散開する三人を前にし、途端に暴徒の如き荒々しい喧騒と化す。
「あいつらも天人に!」
「阿芙蓉様の寵愛を受けさせよう!」
「苦難のない世界を!」
「見せてやれ!」
「味わわせてやれ!」
「芙蓉様!」
「芙蓉様!!」
「芙蓉様万歳!!! 万歳ィー!!!」
鬼の名と思しき単語を叫びながら、正気を失った群衆が一斉に三人を追いかける。
例え相手がアヘン中毒で動きが緩慢とは言え、殺してはいけないという制約の中、あの大衆に囲まれるのは危険だ。
それだけは避けなければならないと散開した三人の内、つむじは目をつけていた木に猿の如く俊敏な動きで、煙が薄い天辺まで登る。流石に追いかけて来た群衆もここまでは上ることは難しいだろう。
そして彼女は息苦しい要因であった口布を外し、指先をペロリと舐った。
濡れた指先を高々と掲げれば、盆地ながらも僅かに吹き抜ける風の流れを感じ取ることができる。
「……向こう」
口布を元に戻し、向かうは風上。
風の流れに影響を受けやすい血鬼術であれば、鬼は風上に居る可能性が高いはずだ。
そんな彼女の推測は―――的中した。
「おや?」
「居た」
軽やかな身のこなしで木から飛び降り、一軒の家屋の屋根に腰かけていた鬼―――芙蓉の前に降り立つ。
瞳に刻まれている「下壱」という字には気にもかけず、抜いた日輪刀の切っ先を向ける。
「臭いの垂れ流さないでくれる?」
気分を害す臭いに辛辣な言葉を投げかけるつむじ。
すると、芙蓉は涙を流す。震える手で面を覆い隠し、彼が紡いだ言葉は、
「哀れ……悲しいなぁ。いや、しかしそれが愛いぞ。子供が酒の旨さを知らぬのは道理だ……それにおれは憐れみではなく愛らしささえ覚える。今はそういう気分だ」
「は?」
「そう苦難を受け入れるな。人生は有限だ。時間は大切に使わなきゃあな。確かに苦難の道を進むのは尊い……が、なにも快楽を享受するのは罪じゃあないんだ。そう我慢するなよ」
―――つくづく
一挙手一投足が。
紡がれる声音が。
全てが癪だ。癇に障る。
臭いの所為だろうか?
いや、それとも……。
「―――とにかく」
刀を構え、踏み込む。
周囲の煙が、突風に吹かれたかのように形を変える中、つむじは一直線に跳躍し芙蓉の眼前まで肉迫する。
刹那、刃が奔った。
「死んで」
簡潔な想いの丈を述べて振るわれた刃。
型ですらない剣閃は、防御のために動き出していた芙蓉の腕ごと、彼の頚を呆気なく斬り飛ばす。
血をまき散らす頭部は驚愕するような顔を浮かべたまま―――煙と化して消えた。
「!」
「いい、もういい。鬼狩り、お前も良い夢を見ろ。幸せになっていいんだ」
どこからともなく現れた芙蓉。
それが本物か偽物かの区別もつかぬまま、つむじは振り返る。
が、突然視界が揺らぐ。平衡感覚を失ったかのような症状に見舞われた彼女は、体勢を崩して屋根から落ちてしまう。地面に激突する寸前でなんとか体勢を整えたものの、今までにない体の状況に、彼女は額に脂汗を浮かべた。
「……気持ち悪い」
「そうか。だが安心するといい。もう半刻もしない内にお前は」
「本当に―――気持ち悪い」
「……つくづく悲しいなぁ」
依然、芙蓉の血鬼術を前に屈しないつむじは日輪刀を掲げ、切っ先を向ける。
それこそが彼女が戦意喪失していない証拠。
一方で芙蓉は悲しみの余り滂沱の如く涙を流しながら、大仰と腕を広げるではないか。
「いいぞ。お前の苦しみはおれが受け止めてやる。おれがお前を救ってやろう」
「いらない」
毅然と彼女は応える。
「もう……救われてるから」
脳裏に過る仲間たちの顔を思い返し、つむじは吶喊する。
まだ夜は長い。