鬼滅の流儀   作:柴猫侍

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漆章.新鋭
拾玖.竜闘虎争


 淡い月の光が道を照らす。

 とは言え、突き進むのは道なき道。森の中だ。木漏れ日のように差し込む光は心許ないが、それでも躓かぬ理由は慣れの一言で済むだろう。

 

「カァー! 那田蜘蛛山ァー! 目的地ハァー! 那田蜘蛛山ァー!」

「……うん、分かってるよ。急ごう」

 

 静寂に包まれる中、唯一騒がしく声を上げる鴉。

 彼を一歩先行くように走り抜ける青年は、波紋が広がる模様の羽織を靡かせていた。

 されど、不思議な程に足音は聞こえてこない。刀を二振りも腰に下げているにも拘わらず、だ。

 

 まるで彼がこの世の者でないかと疑う異様な光景。

 だが、あくまでそれは長年培ってきた技術によるもの。

 人ならざる怪物を討たんが為の御業の一端にしか過ぎない。

 

「先遣隊……無事な人が居ればいいんだけれど」

「ナラ急グノデス! 急グノデス!」

「そんなに急かしてもなぁ……案内役置いていったら本末転倒だよ?」

「カァーッ!!」

 

 やんわりと応答する青年。

 彼の煽りとも受け取れる反論を聞いた鴉は、怒りに身を任せ、彼を先導せんと前へ飛んでいく。

 

「さて……」

 

 森の中からでも僅かに覗く山。

 どうにも近寄りがたい雰囲気を漂わせるが、その山こそ青年の向かっている場所。

 人喰いの化け物―――「鬼」が巣食う那田蜘蛛山だ。

 既に数多の人間が犠牲になった上、鬼の討伐に向かった隊員達が戻ってこないと聞いている。

 向かった隊員の人数からして、相手は上級の鬼。

 それでいて隊員が戻っていないとなれば、それこそ“柱”が向かい、迅速に討滅に向かう案件であるが―――。

 

(鬼と出るか蛇と出るか……)

 

 彼が向かわせられているのは―――つまりは、そういう意味だ。

 担当区域がある柱とは違い、自由にあちこちを動け、尚且つ確かな腕を持った隊員。万年人手が足りていない鬼殺隊からすれば徴用しない訳がない。

 

「煉獄さんや皆……元気にしてるかな?」

「カァー! 気ヲ緩メナァーイ!」

「はいはい……無事に帰らなきゃ、だね」

 

 柔和な笑みを湛えた青年は、次の瞬間には凛然な面持ちへと変わり、闇に溶け込むように森の最奥へと入り込んでいく。

 魔の潜む森。

 心なしか血生臭い木々の間を駆け抜けていけば、森も思わずゾクリと寒気を覚えたかのように葉擦れの音を響かせた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……!」

 

 走る。走る。走る。

 奴らの手から逃げるべく全力で。

 

 既に仲間は散り散りになってしまった。

 頭の中で繰り返されるのは「どうして」という思考だけ。

 

 鬼にならば立ち向かえる。命など惜しくないと何度も心に言い聞かせ、これまでも刀を振るってきた。

 だけれども、味方を手にかけることだけは堪らない。

 傀儡のようにして操られている仲間。「逃げてくれ」と絶叫する者、あらぬ方向に手足が曲がる者、既に事切れているにも拘わらず弄ばれる亡骸。全てが目にすることさえ憚られた。

 

 こんなの自分達でどうにかなる相手ではない。

 気づいた時には全てが遅かった。

 

「ひっ……はっ……っ……!」

 

 茂みへ飛び込み息を潜める。

震えでぶつかり合う歯の音を押さえんと口を手で覆う。

しばらく静かにして居れば、ぎこちない足取りで歩み寄って来る人影が見えてきた。

 

 来た。

 

「っ……っ……っ!」

 

 どうすればいいかと必死に思案を巡らせるが、焦燥と恐怖が入り乱れた中では大した打開策も思い浮かばない。

 

―――ピンッ。

 

「えっ……?」

 

 腕が何かに引っ張られる感覚に襲われる。

 弾かれるように振り返り、違和感を覚えた箇所に視線を向けた。

 黒い隊服に纏わりついていたのは、白を基調とし赤い模様が刻まれている蜘蛛。今日まで目にしたことのない色合いの蜘蛛であるが、それはこの山へ立ち入った者にとっては、恐怖の象徴であった。

 

 悲鳴すら上げる暇なく茂みから引きずり出される。

 程なくして、とても膂力では引きちぎれない糸で四肢の自由を奪われた。

 既に彼女は傀儡だった。怨敵に操られるがまま仲間を屠る為の。

 

「い、いやぁぁぁあああ!!!」

 

 天を衝く勢いの悲鳴。

 せめて自分の居場所を知らしめ、仲間に逃げてもらおうと反射的に発した信号だったかもしれない。

 だが、それも間もなくして無意味だと悟る。

 音もなく忍び寄ってきた蜘蛛は、この山のあちらこちらに存在し、鬼に侵入者の居所を教える伝達役も担っているのだろう。

 操られる彼女が強引に向かわせられた先には別の隊員が居た。

 しかも二人。

 彼等は戦っていた。一人は仲間相手に刀を振れず防戦一方の隊員。もう一人は蜘蛛の糸に操られ刀を振るう隊員。

 これでは最早戦いとすら言えない―――そんな場所へ、無情にも彼女は引きずり出されたのだ。

 

「逃げてぇーっ!!」

「くっ……!?」

 

 数の上で不利になり、絶望を面に出す隊員。彼は今の今まで、仲間を助けられないかと奮闘していた仲間思いの男だ。

 だからこそ刀を振れなかったのに、その上で相手が増えたとなれば、一旦退くしかない。

 そう考えたのだろう。背中を向けて逃げ出そうとしたが、

 

「うわあああ! やめてくれえええ!」

「ぎゃあ!?」

 

 操られる隊員の絶叫と共に振り下ろされた斬撃が、退こうとした隊員の背中を斬りつける。

 血飛沫が上がると共に、辺りへ生暖かな鉄の香りが広がった。

 悲惨な光景を目の当たりにした彼女の顔からは血の気が引いていく。その上で胃から胸へ込みあがってくる感覚を必死に我慢したが、自分を操る悪意は彼女の気持ちを当然尊重しない。

 

「え?」

 

 飯事(ままごと)で操られる人形の如く、たどたどしい動きのまま斬り伏せられた隊員の下へ歩み寄らされる。

 背中の傷にもがき苦しむ隊員は真面に動けない。

 彼の命を摘み取ることなど、赤子の手をひねるように容易いことだろう。

 

 やおら、刀を引き抜いた腕が振り翳される。

 

「や、やめっ」

 

 懇願する。

 されど、体は言うことを利かない。

 

「い、いやぁ!! お願い、逃げてぇ!!」

「う、うぅ……!」

 

 自分も動けず、相手も動けず。

 詰みだ。どう足掻こうとも自分は彼の命を摘み取ってしまう。

 

 こんなつもりで鬼殺隊に入ったつもりではないのに。

 この命、鬼を滅す為だけに捧げるつもりだったのに。

 決して志を共にする仲間を殺す為では……。

 

「いやあああ!!」

 

 刃が振り下ろされた。

 刹那、闇の中に閃く紅。

それは血飛沫―――ではなく、鉄と鉄がぶつかり合い瞬いた火花の色だ。

 

「え……?」

 

 気づかぬ間に自分と倒れていた隊員の間に人が立っていた。

 (しろがね)に煌めく刃を構え、優しくも固い意志を感じさせる瞳を浮かべる青年が。

 

「ふっ!」

「あぁッ!?」

 

 すると青年は受け止めていた刀ごと彼女の体を押し返した。

 あれだけ抗っても微動だにしなかった力の糸で繋がれている体を、だ。

 心なしか糸も動揺しているかのように小刻みに震えている。

 が、現れた青年を脅威と断じたからこそ、次の行動へ移すのが早かった。

 これまでの比ではない力で体を操られる彼女は、肉が、そして骨が軋む激痛に苦しみながらも声を上げた。

 

「あやっ、操られているんです! 体に蜘蛛が! 糸が伸びて!」

「なんだって?」

「そこの人を連れて逃げてぇ!!」

「……なるほど」

 

 死に物狂いで情報を伝える女性隊員。

 片や青年は不気味に思える程に落ち着いていた。

 操られて襲い掛かって来る隊員は女性隊員に加え、背中を斬りつけた男性隊員と合計二人。

 しかし、余りにも鮮やかな剣技で捌いていく彼の面持ちに、劣勢といった類の言葉は一文字も浮かんでいない。

 彼の静謐とした瞳は、辺りの状況をつぶさに観察している。

 

(小さな“熱”が腕と脚に……)

 

 そして肌身で感じる。

 人間に害為す鬼気の存在を。

 

「うっ……」

「うん?」

「腕を斬って!! そうすれば……斬らなくて済むからァ!!」

 

 女性隊員の思わぬ提言。

これには流石の青年もぎょっとした表情を浮かべる。

 

―――成程。鬼殺隊らしく覚悟が決まっている者だ。

 

 そんな感想の中には、感心が半分と呆れが半分。

 だが、思いはしかと受け取った。

 

「その必要はないよ」

 

 もう一振りの日輪刀を抜く。

 刻まれた文字―――「悪鬼滅殺」を刀身は、月光に照らされては辺りに藍色を振り撒く。

 

 煌きは一瞬。

 

「刀、ごめんね」

 

 カラン、と甲高い金属音が響いた。

 その直前、肌が粟立つ寒気を覚えた女性隊員であったが、それよりも体に自由が利くようになった事実を悟る。

 

「え……?」

 

 確かめるように刀を握った手に視線を落とす。

 すると、日輪刀の鍔から先がなくなっていた。もっと正確に言えば、握っていた柄から先がばっさりと。

 

―――斬ったの? いつの間に?

 

 折れた訳ではない。綺麗な断面がそれを如実に示している。

 一体誰がという答えは、後ろからも聞こえてくる金属音に振り返ったことで明らかになった。

 

「ふぅ」

「う……うぅ……」

 

 膝から崩れ落ちる男性隊員を優しく抱き留める青年。

 よく見れば、抱き留められた男性隊員の日輪刀も、鍔から先が地面に斬り落とされているではないか。

 後から追いかけるように視界に映ったのは両断された小さな蜘蛛。

 こんな暗闇の中では目を凝らしても分からない小ささだ。にも拘わらず、次々と蜘蛛の死骸が風に靡いて地に落ちる。

 

(まさか……狙って斬ったの……?)

 

 操られて刀を振る隊員の刀―――正確には刀身だけを斬り落とし、無力化する。

 それでいて体を操っている糸を見極めて斬っているのだ。

 控えめに言って異常な程に正確な太刀筋である。味方であるはずなのに寒気さえ覚えてしまう。

 

(この人は一体―――)

 

「君は大丈夫?」

「え?」

「怪我のことなんだけれど……見た感じ、ひどい怪我はなさそうだね」

 

 腕から骨が飛び出てしまっている隊員の処置をテキパキと済ませた青年は、すぐに倒れている隊員の処置に取り掛かりながら、茫然と立ち尽くす女性隊員に問いかけた。

 目視で見る限り大丈夫というのは、長年培ってきた経験があるからこそ。

 概ね推測は正しく、女性隊員も「大丈夫です」と首を縦に振る。

 同時に、湧き上がってきた安堵の余りに嗚咽を漏らしながら涙を零した。

 

「ありがとう……ございます……!」

「……間に合ってよかったです」

「うぅ……貴方は?」

「僕ですか? 鬼殺隊階級“甲”、氷室凛です」

 

 甲。柱を除けば、鬼殺隊の最上位に位置する階級だ。

 柱に次ぐ剣士。通りで強い訳だ。

 

 一人納得する女性隊員は「尾崎」と名乗った。

 比較的無事な彼女に複雑骨折した隊員を任せた凛は、背中を斬られた隊員を背負い、細心の注意を払いながら山を下りることにした。

 

「このまま鬼の下へ行きたいのは山々ですが、このまま三人を守り切るのは不可能です。安全な場所までは付いて行きますから」

 

 同士討ちを防ぐ為に日輪刀を使用不能にした手前、そのまま御免という訳にはいかない。

 助けた者には助けた者の責任がある。「助けたのだからあとはご勝手に」等と無責任な振る舞いなど言語道断。

 

「この辺まで来れば……あとは任せてもいいですか? もうじき隠も到着するはずですから」

「は、はい」

 

 鬱蒼とした木々を抜けた先。

 このまま道なりに進めば田畑が見えてくるであろう場所まで辿り着いた凛は、負傷した隊員を尾崎に任せ、再び入山するのだった。

 

(ん?)

 

 夜の冷えた空気の中、微かに漂う熱。

 視線を下へと落とせば、自分達のものと違う足跡が見えた。

 

(確か尾崎さんは十人で来たと言っていたっけ。でも、この足跡は三人分。しかも一人だけ歩幅が大きいな……走った? それに空気に残ってる“熱”も一人分。途中まで見かけた足跡が足並み揃っていたし、三人の内一人が山の手前で留まって、後から追いかけたって形かな?)

 

 異常なまでに鋭敏な温度感覚と観察眼が、大方の状況を把握する。

 どうやら自分とは違う増援が三人、新たに那田蜘蛛山へと突入したようだ。

 しかも、何を考えてか二手に分かれたらしい。

 余程腕に自信があるのか、はたまた作戦であるのか。どちらでもなければ戦力を分散させる悪手だろうに。

 

(近い方から応援に行くしかない)

 

 兎にも角にも合流が先決。

 そう考え軽やかに地面を蹴っていた凛であったが、

 

「!」

 

 突然陥没する地面から跳躍して避ける。

 土煙を上げながら露わになる穴はかなり深い。受け身を取れず落ちてしまえば一たまりもないだろう。

 

(罠……か)

 

 怪訝な眼差しで辺りを見渡すも、一瞥しただけではどこに落とし穴があるか分からない。

 だからこそ、一旦立ち止まって集中する。

 今は視覚も味覚も聴覚も嗅覚も必要ない。触覚―――その中の冷覚と温覚だけを研ぎ澄ませるのだ。

 

 

 

 氷の呼吸 (つい)ノ型 絶対温感(ぜったいおんかん)

 

 

 

 瞼さえ閉じ、必要な“(じょうほう)”だけを取捨選択。

 すると、辺りの地面とは違う―――穿たれた空洞に溜まった空気が放つ熱が、ありありと暗黒の中に浮かび上がってくる。

 

(数が多いな。気を付けなきゃ……ん?)

 

 設置された罠に注意を払おうと考えた矢先、極限に研ぎ澄まされた温度感覚が、これまた別の熱源を捉えた。

 

(人……この先に居るな)

 

 しかも戦っている。

 これには加わざるを得ないと断じ、急いで駆けつける。

 鬱陶しいくらいに張られている蜘蛛の巣を掻き分け、時には仕掛けられた落とし穴をも飛び越えた先で待っていたのは、

 

「あっ!」

「あれ?」

 

 子供用の花柄の着物を羽織のように靡かせる剣士が居た。

彼女は、絡新婦のような老婆の鬼―――婆蜘蛛と、刃のように鋭い六本の腕を振るう老爺の鬼―――爺蜘蛛と刃を交えている。

婆蜘蛛の放つ糸の網を軽やかな身のこなしで躱しつつ、爺蜘蛛の連閃も難なく受け流す女性は、少女と言われても疑わぬ可憐さを振り撒いている。

 

 だが、何より重要なのは()()()()()()()()だと言うことだ。

 

「真菰!」

「手、空いてる?」

「任せて」

 

 端的なやり取りを交わして参戦。

 視線で爺蜘蛛を相手取ると訴えた凛を確かめ、真菰は婆蜘蛛へと向かっていく。

 放たれる糸の網は粘着性も高く、少しでも触れてしまえば逃げることは難しい。

 ならば触れなければいい話だ。真菰の水が揺蕩うが如く流麗な動きが全てを表している。

 

 片や凛は、鋭い爪を振りかざす爺蜘蛛に相対す。

 得物の長さは明らかに相手が上。

 しかも数が多いときた。脇差の一振りを加えても、凛は二本しか刃がない。

 だがしかし、然したる問題ではない。

 

 水が逆巻く音に遅れ、吹雪が荒れ狂う音が響き渡る。

 

 周囲が一気に冷え込んだと錯覚する轟音だ。

 夜冷えでは説明付かぬ急激な冷え込み―――それは、彼等を目の前にする鬼が放たれる威圧感に寒気を覚えたからだろう。

 

「キィィィイッ!」

「ぎゃぎゃぎゃ!」

 

 この世のものとは思えぬ雄叫びを上げる婆蜘蛛と爺蜘蛛。

 しかし、それを上塗りにするかのような鋭い風切り音が夜空に奏でられた。

 

 水の呼吸 肆ノ型 ()(しお)

 

 氷の呼吸 壱ノ型 御神渡(おみわた)

 

 真菰の降りかかる網を掻い潜る滑らかな剣閃が婆蜘蛛の頚を。

 凛の六方向から襲いかかる腕全てを斬り飛ばす剣閃が爺蜘蛛の頚を。

 

 ほんの短い時間の剣舞が、この山に巣食う鬼の二体を土に還した。

 

「ふぅ」

 

 鞘に日輪刀を収める真菰が振り返るや否や、時を同じくして振り向いた凛に微笑んだ。

 

「久しぶり」

「うん」

 

 思わぬ再会だった。

 

「凛()一人?」

「うん。真菰の他にも誰か来てるの?」

「そうだね」

 

 彼女の口振りから増援が彼女だけではないと悟った。

 そんな凛の問いに対し、にこやかに答える真菰。

 

「義勇としのぶさんが」

「そっか。じゃあ、もう安心だね」

「そうだね。途中で三手に別れてきたんだけど、凛も来てたなんて思わなかったよ」

「僕も」

 

 偶然を素直に喜ぶ彼女に、凛も満更ではない表情を浮かべる。

 だが、このような世間話をする為に集まった訳ではない。

 

「真菰。何か知らされてることはある?」

「十二鬼月が居るかもしれないからーって。お館様が」

「……僕は知らされてないんだけどなぁ」

「信頼されてるんだよ」

「前向きに捉えたらね。まあ、それはともかく……僕達も行こう」

「そうだね」

 

 意図せぬ人物との合流だが、今からわざわざ別れる理由もないことから行動を共にする。

 こうして二人一緒に山を駆けまわる等、まるで最終選抜の時のようだ。

 

(……随分長い付き合いだなぁ)

 

 不意に思う。

 あれから数年経ち、自分も彼女も大人びたものだ。今日まで生き残っているのも鬼殺隊としては奇跡的と言えるかもしれない。

 だが、そんな奇跡を積み重ねて自分が生き残った理由は必ずある。

 

(流さん……)

 

 恩師の顔を思い出し、柄を握る手に力が入る。

 那田蜘蛛山に十二鬼月が居るとして、その鬼はあの時の―――上弦の弐だろうか。

 だとするならば気を引き締めてかからなければならない。

 今のところ、あの日の夜のような冷たさは感じないが―――。

 

『そんなだからみんなに嫌われるんですよッ!!』

 

 突然聞こえてきた若い女性の声。

 間違いない、しのぶだ。

 一体誰に向かって放った言葉かまでは分からないものの、穏やかでない状況であることには間違いない。

 

「急ごう、真菰」

「そうだね。この先から義勇の匂いもするけど、万が一に備えて」

「だね」

 

 物々しい雰囲気の中に飛び込んでいくには相応の覚悟が要るが、進まなければ話は進まない。

 いざ、二人は戦火の中へ飛び込まんと駆けていくのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 鬼殺隊の新人、竈門炭治郎は酷く困惑していた。

 と言うのも、ここまで熾烈な死闘を繰り広げていたというのが理由の一つ。

 十二鬼月を名乗る少年の頚を、鬼となってしまった妹・禰豆子の力を借り、満身創痍の中で何とか斬り飛ばした。

 かと思えば、実は鬼は死んではいなかった。

 絶体絶命。

 まさにそんな時に現れたのが、かつて出会った鬼殺の剣士・冨岡義勇。

 彼は自分が死に物狂いでやっと太刀打ちできた相手を、目にも止まらぬ一閃だけで討滅。

 剣士としての格の違いや、死に逝く鬼の悲劇を悟りながら妹を抱きしめていれば、今度は別の剣士が禰豆子を狙って斬りかかってきたではないか。

 辛うじて義勇が守ってくれたものの、邪魔をされた女性は不服そうな声音で義勇に問いかける。

 

「……どうして邪魔をするんですか、冨岡さん?」

「……」

「なんとか答えたらどうなんですかー? いくら天然な貴方でも、まさか間違って鬼を庇うという真似はしでかしませんでしょうに」

「……」

「冨岡さーん? 聞いてますー? 聞こえてるなら返事くらいはしたらどうでしょうかー?」

「……立てるか?」

「え? あ、俺ですか?! なんとか……」

「あら? 私のことは無視ですか?」

 

 次第に女性の怒りが濃くなっていく匂いを、炭治郎の鼻は捉えていた。

 端正な顔に張り付けられた笑みも、彼女が怒り心頭であることを踏まえれば綺麗だなぁと呑気な感想を抱けるものではなくなる。

 

「冨岡さん……私は説明を求めるだけなんですが? 私が聞きたいのは『どうして鬼を庇ったのか』、この一点です。それに答えないというのは些か鬼殺隊としてどうしたものかと……」

「……炭治郎。妹を連れて逃げろ」

「い、いいんですか!? 俺のことよりあの人の応対とかは……」

 

 しかし、尚も義勇は女性―――もとい、しのぶに応答しないまま炭治郎に逃走を指示する。

 思わず炭治郎も聞き返してしまったが。

 

「ふ、ふふふっ……」

 

 穏やかな怒りが激怒に変わる。

 息の詰まるような匂いに、炭治郎は思わず身を竦めた。

 恐る恐る向けた視線の先には、取り繕っていた笑顔もだんだんと崩れていき、青筋を額に浮かべるしのぶの姿があった。

 

「―――そんなだからみんなに嫌われるんですよッ!!」

 

 開口一番言い放たれた……と言うよりも叫ばれた言葉に、炭治郎は目を見開く。

 

「……俺は嫌われて」

「嫌われてるんですよ!! 現に私は貴方が嫌いなんです!! 聞かれたことに答えもしない!! 答えたとしても言葉が足りない!! そんな人を好く人が居て堪りますか!!」

 

 義勇の肩がピクリと揺らいだのを炭治郎は見逃さなかった。

 表情こそ不動そのものだが、意外と心に大きな傷を負ったらしい。

 だが、日頃の鬱憤が積もりに積もっているしのぶの口撃(こうげき)は止まるところを知らない。

 

「人としてどうという話なんですよっ!! 最低限の礼節も弁えられない者が、よくもまあ『嫌われてない』なんて豪語できるものですねっ!! 私は柱合会議の時、いつもどれだけハラハラして冨岡さんの話を聞いてると思っているんですか!? 伊黒さんや不死川さんに突っかかれないかとそれはもう気が気ではないんですよ!!」

「……お」

「まだ話は終わってませんよっ!! 人の!! 話は!! 最後まで聞いてください!! そういうところですよ!!」

「……」

 

何故だろう。あんなにも頼もしく感じた背中が、今は流れ出る哀愁でとても直視できるものではなくなっていた。

 

(義勇さん……)

 

 出来れば彼に加勢したいところであるが、しのぶから彼女の苦労が滲んだ匂いが漂ってくる為、その意気を削がれてしまう。

 しかし、状況は最悪だ。

 例え逃げきれたとしても禰豆子の存在が鬼殺隊に知れ渡るとするなら、このままでは鬼の禰豆子が斬られてしまうのも時間の問題である。

 なんとか説得しようにも、口論において義勇は全くと言って頼りにならず、逆にしのぶは他人に有無を言わせまいというほどまくし立てている。これでは説得どころではない。

 

(! 誰か来る……?!)

 

 どうしようものかと思考が右往左往する時、近くの茂みから二人分の人影が現れた。

 男と女。それぞれ一人ずつ。

 まだヒノカミ神楽の反動で普段よりも繊細さを欠く嗅覚であるが、それでも義勇やしのぶに匹敵する強者と理解できる匂い。

 

「えぇっと、これはどういう……」

「あらあら、氷室くん。お久しぶりですね。ちょうどよかった」

「……何がちょうどいいんですか?」

「どうにも義勇さんとそこの少年が鬼を庇うもので口論になってたんです。手を貸していただけませんか?」

「えぇ……」

 

 来た傍から訳も分からない状況に巻き込まれた青年、もとい凛は顔を顰める。

 これは不味い。しのぶ側の戦力が増えれば、それこそ逃げる道筋が消されてしまいかねない。

 加勢するよう頼まれた凛と目が合う炭治郎は、咄嗟に立ち上がった。

 

「お、俺の妹なんです!! 鬼だけれど、まだ人は食べてないっ!!」

「!?」

 

 その驚愕は、鬼を連れていることか、はたまた人を食べていないことか。

 どちらにせよ、凛は必死に続ける炭治郎の話に耳を傾けた。

 

「禰豆子は人の役に立てます!! 俺と一緒に鬼とも戦ってくれます!! 誰にも迷惑をかけたりなんかしません!!」

「……」

「鬼を連れてたことが駄目だっていうのは分かりました……けど!! 悪くない鬼を殺すなんて道理を俺は認めない!!」

 

 魂からの叫びが那田蜘蛛山を駆け抜ける。

 渾身の演説。これで理解を得られないのであれば、とうとう最終手段に出るしかないが。

 

「……」

「真菰?」

「ごめんね、凛」

 

 やおら真菰が義勇側へと足を運び、しのぶに相対すかのように陣取ったではないか。

 

「私は()()()()なの」

「真菰さん? 正気ですか?」

「はい」

「……柱とその継子が鬼を庇うだなんて前代未聞ですよ。親切心から言います。もしそんな真似に出れば、育手の責任も問われますよ」

「百も承知と言ったら?」

「……成程」

 

 日輪刀を構えるしのぶ。

 いよいよ怒髪衝天といったところだろう。

 

「そこまで言うのであれば……已むを得ません」

 

 臨戦態勢に入るしのぶを前に真菰も日輪刀を抜く。

 すると義勇が固く一文字に結ばれていた口を開いた。

 

「……真菰」

「義勇が説得下手なのを踏まえてもこうなるのは分かってたしね」

「……お前も……俺のことが嫌いか?」

「え? どういう意味?」

「……」

「変な義勇」

 

 意図の分からない質問に首を傾げる真菰。

 そうこうしているうちに新手もやって来た。

 

「師範」

「カナヲ。あそこの鬼を斬ります。手伝いなさい」

「はい」

 

 蝶柱の継子・栗花落カナヲだ。

 すっかり大きくもなり、先の最終選別でめでたく鬼殺隊に入隊してからというもの、新人にしては破竹の勢いで階級を上げていると噂だ。

 継子として鍛え上げられた腕は本物。

 こうして水と蟲。それぞれ柱と継子という錚々たる面子が相対する形となった。

 

「さて……氷室くん。そろそろどちらにつくか決めてください」

「はい?」

「物見遊山を決め込む為に居る訳じゃないでしょう?」

 

 傍観者になりかけていた凛にしのぶが問う。

 ほぼ拮抗する戦力の中、彼がどちら側につくかで勝負が決まるというものだ。

 

 ピンと張り詰めた空気が辺りを支配する。

 誰もが凛に視線を向け、彼の言葉を待つ。

 

 有耶無耶な答えなど許さないと言わんばかりのしのぶ。

 考えを察せぬ義勇。

 考えを持たず指示に従おうとするカナヲ。

 申し訳なさそうに目を伏せる真菰。

 そして、妹を抱きしめる炭治郎。

 

 彼等の視線を一身に受ける凛が導き出した答えは―――。

 

「……とりあえず、お互い刀を収めよう」

「はい? 何を悠長な―――」

「真菰の口振りからして、その鬼の子の所在は冨岡さんも真菰も……育手の人も知っているみたいだし」

 

 スッと細められた瞳が炭治郎を貫く。

 その視線に、嘘を吐けぬ性質の炭治郎はぎくしゃくとした動揺の動きを見せてしまう。

 そんな彼を見た凛は、掌に出来た()()も把握し、確信を得る。

 

「その子も水の呼吸の使い手だろうし」

「なっ……!?」

「僕も使うから分かるよ」

 

 ひらりと手を振る凛。

 歌舞伎の女形が似合いそうな顔立ちに似つかわしくない武骨な掌には、幾万も刀を振るってきた証であるたこが浮かび上がっている。

 

―――まさか、掌のたこで使う呼吸を見抜いたのか?

 

 もしそうであれば凄まじい観察眼だ。

 純粋に驚嘆する炭治郎に「素直だなぁ」とほぼほぼ良好な感想を抱いた凛は、不服そうに眉を顰めているしのぶへ向けて告げる。

 

「柱も継子も育手もぐる。それだけ必死になって庇う鬼を、お館様に話を通していないなんて不義理……僕はないと思う」

「それはあくまで憶測でしょう? 確証は?」

「ないよ」

「なら、何故彼等に肩入れするんですか?」

 

 只ならぬ怒気を向けられる凛。

 しかしながら、彼は涼やかな顔のまま、さも当然と言わんばかりに言い放つ。

 

「水柱だから」

「……はい?」

「それじゃ……駄目かな?」

「……」

 

 成程。言いたいことは分かった。

 常々、恩師から「自分の後任ならば」と語られていた男。

 

 水を継ぐに相応しいと断じられたのだ。それ以上に信じる理由は要らない。

 

 そう言わんばかりの瞳は、真っすぐにしのぶを見据えている。

 妄信している訳ではなさそうだ。

 ただ、なんとなく。

 ほぼ勘に等しい理由で、凛は義勇側につくことを暗に示していた。

 

 それに対ししのぶは、

 

「……はぁ、氷室くん。仕方ないですね」

「しのぶさん」

「本当に……―――残念でなりませんよ」

「!」

 

 しのぶの凛を見据える瞳が敵視の色に染まる。

 最早埒が明かないと判断したのだろう。

 毒に塗れた刃を構えるしのぶが構えれば、継子たるカナヲも構える。

 途端に戦場の空気に包まれんとする場。

 

 闘争が始まらんとする中、炭治郎は義勇に「根性で逃げろ」と逃走を指示されるなど、混迷とする状況となってきた。

 が、

 

「伝令!! 伝令!! カァァァ!! 伝令アリ!!」

『!?』

「炭治郎・禰豆子、両名ヲ拘束。本部ヘ連レ帰ルベシ!!」

 

 突然、鎹烏が甲高い声で伝令を伝えにやって来た。

 内容は拘束。つまり、滅殺は寧ろ命令違反と捉えられる。

 

 しのぶは不服そうにするものの、伝令であるならば仕方ないとようやく刀を収めた。

 その際、

 

「後で覚えてください」

「ひぇっ」

 

 凛を一瞥し、そう告げた。

 情けない声を上げる凛であったが、仲間同士で戦うという事態にならずに済んだことにホッと安堵の息を漏らす。

 それから九死に一生を得た炭治郎を見遣り、フッと柔和な笑みを浮かべる。

 

 慈愛に満ちた、それでいて悲壮感を漂わせる面持ち。

 それが何を意味するか、未だ感覚が鈍化している炭治郎には嗅ぎ取れなかったが、代わりに真菰が彼へと歩み寄った。

 

「ごめんね」

「ううん、気にしてないよ」

「でも、凛は……」

「大丈夫。それよりも今はあの子達が無事で済むかどうかだよ」

「……ありがとう」

「どういたしまして」

 

 彼の複雑な心境を真菰は把握していた。

 

 一体、彼が何を思っていたのか―――それを炭治郎が知るのはもっと後の話だ。

 

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