鬼滅の流儀   作:柴猫侍

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弐拾壱.勇往邁進

「それじゃあ、今日は私とつむじちゃんが一緒に指導するわね!」

「ん」

 

 いつもと変わらぬ風景の訓練場。

 炭治郎と伊之助に加え、善逸も参加するようになった機能回復訓練であるが、今日は

普段見ない人物が一人居た。

 何を隠そう、カナエに紹介されたつむじである。

 下弦の壱・芙蓉討滅の際に受けた血鬼術の療養で大事を取っていた彼女であるが、晴れて彼女も訓練に参加するという訳だが……。

 

「ひぃ……」

「善逸、失礼だぞ……」

 

 完全に目の敵とされている自覚がある善逸は炭治郎の背中に隠れてガタガタと震えていた。ほとんど彼の自業自得であるが、ここまで恐れている様子を見ると哀れに思えてくる。

 一方で伊之助は依然意気消沈したままだ。那田蜘蛛山にて、父蜘蛛に殺されかけ、喧嘩を吹っ掛けた義勇に手も足も出ず、あまつさえ貧弱そうなカナヲに連戦連敗を喫し、自尊心がズタズタにされてしまっているのだ。

 

(なんとか二人共頑張ってくれればいいんだが……)

 

 先日、凛が知り合いに自分達を指導してくれるよう頼みこんでくれると約束してくれたが、これでは先が思いやられる。

 彼の思いを無下にしない為にも、二人にはやる気を出してほしいところではあると炭治郎は考えたが、良い考えが浮かぶよりも前に話は始まった。

 

 口火を切るのは、しのぶの実姉・カナエである。

 炭治郎の目から見ても別嬪であるのは明らかであり、善逸に至っては初めて目の当たりにした際、「姉妹揃って別嬪さん!!」と歓喜の絶叫を上げていたほどだ。

 ややキツい性格のアオイやしのぶとも違い、性格もほんわかしており、非常に接しやすい。

 鬼との戦いで受けた傷で床に臥す傷病者にも献身的に看護する姿から、「蝶屋敷の女神」と呼ばれているとかいないとか。

 

 閑話休題。

 

「凛君に頼まれてね。今日から善逸君も訓練に参加するみたいだし、三人には全集中の呼吸・常中を教えようと思うの」

「失礼してもよろしいでしょうか!」

「はい、炭治郎君!」

「常中とはなんですか?」

「良い質問ねっ。これから説明するわ」

 

 学校の先生を思わせるやり取りを経て、カナエの口から常中とは何かが語られる。

 内容自体は簡単だが、実際にやるとなると難しい。四六時中、全集中の呼吸をする―――それこそが“常中”。

 柱への第一歩であり、これを会得したならば、鬼殺の剣士として他の隊員達よりも一歩抜きんでることができる。

 

 しかし、いざ始めてみれば広がるのは死屍累々たる光景。

 

「ぜぇー!! はぁー!!」

「ひっ……ひっ……!! あっ、無理だわコレ!! 俺の肺が悲鳴を上げてる!! 紙風船みたいに割れる!! これ四六時中!? 無理無理無理無理!!」

「……」

「伊之助? 伊之助ぇ~~~??! 早く!! 早くその猪の被り物を脱ぐんだ!!」

 

 窒息しかけて倒れている伊之助に駆け寄り、息苦しさの根源たる被り物を脱がす炭治郎。

 善逸は始めてから半刻で悲鳴を上げ、訓練場の床に転がっている。

 余りにもみっともない泣き様であるが、彼がこうなるのも仕方がないと思える程、常中の会得は困難で根気が要る。

 

「こればっかりは地道にやっていくしかないから……。無理をし過ぎると肺も痛めちゃうわ」

「はい!! 俺無理!! 肺が爆裂しそうカナエざぁん!!」

 

 常中会得の心得を語るカナエに泣き言を吐いて縋る善逸。

 同期三人の中で、唯一進んで鬼殺隊に入った訳でない彼は、こうした地道な鍛錬への目的意識が低い。

 すでに彼の心はバキバキだ。割れせんべいの如きバッキバキだ。

 

 しかし、そんな彼の頬に手が添えられた。

 なんと優しく温もりに溢れた掌だろうか。

 ハッと見上げる善逸の目線の先には、菩薩を彷彿とさせる―――否、それ以上に慈愛に満ちたカナエの笑顔が咲き誇っていた。

 

「善逸君」

「は、はいィ!!」

「大変だよね。辛くて苦しいと思うわ……私も皆が無理しているのを見るのは辛いわ。でも、これも善逸君の為なの」

「お、俺の……?!」

「善逸君に死んでほしくないから。私、たくさん善逸君のことを応援するわ。だから……一緒に頑張ってくれる?」

「っしゃ―――っ!! やってやる!! やってみせるぞォ!! バリバリ頑張っちゃいますよ俺!!!」

「善逸君、頑張れっ! 頑張れっ!」

 

 善逸、復活。

 

(善逸……)

 

 カナエの言葉で完全復活を果たした善逸を目にし、炭治郎は何とも言えない瞳を浮かべる。

 女好きも、あそこまで努力の活力へと変換できるのであれば天晴だ。

 できれば、そうでなくとも頑張ってほしいところではあるが、本人がやる気になった今、それを告げるのは無粋だと踏みとどまった。

 

 残るは伊之助だ。

 未だ立ち直っていない彼を再起させるのはどうすればいいのか?

 

 そんなことを考えていれば、離れた場所から風を切る凄まじい音が聞こえてくる。

 弾かれるように振り向けば、薬湯の掛け合いが行われる机で目が点になる激戦が繰り広げられていた。

 

「……」

「……」

 

 互いに無言のつむじとカナヲ。

 一方、交差する腕の動きは熾烈そのもの。一瞬持ち上げられた湯呑を押さえる度に、湯呑の底と机がぶつかる音は、心の蔵が跳ね上がってしまう程に激しく、よもすれば砕け散ってしまうのではないかと錯覚してしまう。

 

(あ、あれで病み上がりなのか……カァー!)

 

 カナヲの凄まじさは何度も体感しているが、そんな彼女と病み上がりで拮抗勝るとも劣らない俊敏な動きを披露するつむじの身体能力には目を見張ってしまう。

 内心驚嘆の声を上げる炭治郎は、延々と続く激戦に釘付けとなっていた。

 すると、床の上で伸びていた伊之助がのそのそと観戦しにやって来た。

 猪頭を被っている為、どのような表情を浮かべているかは分からない。

 それでも、被り物越しで熱心に注がれる視線に気がついたつむじが、横目で一瞥した後、フンと鼻を鳴らす。

 

「観てる暇なんてあるの?」

「ハァ?」

 

 伊之助の声にあからさまな苛立ちが滲む。

 

―――この女、何を言いやがった。伊之助様に向かって。

 

 握る拳が如実に告げている。

 しかし、彼の苛立ちを前にしても平静を崩さないつむじは、一瞬の隙をついてカナヲへ湯呑の中身をぶちまけた。

 が、中身は空。長い激戦の間に薬湯がほとんど零れてしまっていたからだ。

 それはそれとして勝敗は決した。

 未だ()()()()()()()()()()()に向け、()()()()()()()つむじは言い放つ。見下す訳でもなく、嘲笑する訳でもなく、ただ淡々と。

 

「常中もできないのに」

「……ハァ゛~~~ンッ!!?」

 

―――伊之助は激怒した。必ず、かのクソ生意気な女を見返さなければならぬと決意した。

 

 図らずも伊之助を奮起させたつむじは、休憩がてらに用意されていた茶を啜る。

 一方で、腸が煮えくり返る伊之助は、鼻息を荒くしながら訓練場で雄叫びを上げていた。

 

「ウオオオオ!! この伊之助様にできねえことなんざ一つもありゃしねえんだよおおお!!」

「おおっ、伊之助! やる気十分だな!」

「見てやがれ、この石仏女!! おい、紋次郎!! 俺についてこい!! あのスカしたアマを見返してやんだよ!! ジョッチュウってヤツをできるようになってやるぞ!!」

「その意気だ! でも、ジョッチュウじゃなくて常中だ、伊之助!」

「うるせえ、炭八郎!!」

 

 こうして伊之助は、怒りを原動力に常中会得に取り掛かった。

 紆余曲折あったものの、一つの目的に向かって三人の気持ちは一緒になった訳だ。

 

 機能回復訓練と平行しての常中会得。

 体にかかる負担は並ではないが、士気の高い彼等は失神することなく、定められた時間を過ごした。

 しかしながら、訓練はこれだけでは終わらない。

 

「……じゃあ、次は私」

 

 場所は変わって、蝶屋敷の庭だった。

三人を見下ろすように―――さながら教壇に立つ位置に立っているのはつむじだ。

 

 誰かに教える経験のない彼女が、このような真似をしているのは、同期が頼み込んできたからの一言に尽きる。

 多少の億劫に思いはしたが、他ならぬ友人の頼みだ。今度見舞いに来る際に美味しい土産をと約束されもすれば、教鞭をとることは(やぶさ)かでない。

 

「あ、あの……」

「何?」

 

 恐る恐る挙手したのは善逸だった。

 心なしか顔色が悪い彼が懸念しているのはただ一つ。

 

「俺達、もうボロボロのボロ雑巾みたいなんですが」

「ん」

「まさかとは思いますが、死ぬような訓練はしないですよね……?」

「最初は滝行とか丸太担ぎとか大岩を押す訓練とか考えてた」

「おおおっ!? た、滝行!? 丸太担ぎ!? 大岩!? 何言っちゃってんのアンタ!?」

「でも、凛に『やめてあげな』って言われた」

「ありがてえ!! とんでもなくありがてえ!!」

 

 掌を組み合わせ、天に向けて感謝の祈りを捧げる善逸はとめどなく涙を流した。

 「うるせえなぁ」と漏らす伊之助の一方、話の流れを察した炭治郎は首を傾げてつむじに問いかける。

 

「じゃあ、どんな訓練を?」

「押し相撲」

「押し相撲……ですか」

 

 押し相撲。四つ身に組まず、相手に体に手をあてがい、押し出しか押し倒しで勝負をつけるアレだ。

 機能回復訓練に含まれている鬼ごっこの如く、まさか児戯が出てくるとは予想にしていなかった。

 

「でも、どうして押し相撲を?」

「鬼にすぐ殺されない瞬発力と、どんな体勢でも刀を振れる平衡感覚を鍛える」

「なるほど!」

「だから()()()でやる」

()()()?」

 

 つむじが指さす先。そこにあるのは、蝶屋敷の敷地とそれ以外の土地を隔てる役割を果たす塀―――の上だ。

 割と高い。しかも、竹で組み立てられた塀である故、立てたとしても踏ん張りが利かないだろう。

 

 当然、押し相撲は塀の上で行うものではない。

 

(やべぇ人だ)

 

 何を当たり前みたいな顔しちゃってんの?

 押し相撲なんなのか知ってるの?

 顔が良くなかったら、俺もうちょっと罵詈雑言吐いてたぞ?

 

 とどまることを知らない文句が善逸の脳内に次々と過る。

 

 一方で、破天荒な場所にて行われる押し相撲には、流石の炭治郎も難色を示した様子だった。

 

「塀の上……ですか」

「できないの?」

「や、少し難しそうかなぁと……でも、やってみせます!」

「ん。それでいい。落ちても落下中の姿勢制御の訓練になる」

「なるほど! 色々考えてるんですね!」

「………………ん」

 

 大分間を開けての頷き

 

(やべぇ炭治郎だ)

 

 なんで納得できちゃうんだよ。

絶対あれ考えてないよ。

 ちょっと、いや、結構こじつけてるよ。

 私できるからお前らもできるようになれよっていう圧力だよ。やってらんねえよ。

 

 炭治郎の姿に戦慄する善逸。

将来、彼は詐欺に遭いそうだ。その時は自分が傍にいてなんとかしてやらねば。そのような考えが過ったところ、不意につむじと目が合う。

 

「善逸。最初お前」

「えええええっ!!? なんで俺ぇ!!?」

「一番平衡感覚強そうだったから」

「やってないのにわかるそんなことぉ!!? 絶対目ぇ合ったからだけだよぉ!!」

「五月蠅い。さっさと来い」

「……はい」

 

 死に物狂いの抗議はあっけなく一蹴された。

 トボトボとつむじを追いかけ、震える足で塀の上に立つ善逸。

ちょっとでも気を抜けば滑りそうだ。少しでも平衡を保とうと腕を広げる彼は、微動だにせぬまま直立する彼女に合わせ、なんとか腕を体の前まで持っていく。

 当然、足は肩幅に広げられない。これでは左右の踏ん張りなど無に等しい。

 

(うっそだろ、コレ!? これでホントに押し相撲やんの!? 瞬殺だぞ!? 俺が!!)

 

 戦う前から敗北を予感する善逸だが、無情にも押し相撲は始まる。

 始まりは、つむじが軽く善逸を押すことから。

 ちょっと押されただけで大きく後ろにのけ反る善逸であったが、炭治郎と伊之助の声援を受け、なんとか姿勢を戻す。

 

「い゛い゛い゛い゛い゛ッ!?」

「おおっ! 結構戦えてるぞ、善逸!」

「これを! どう見たら! 戦えてると! 思うん! デスカァ!?」

 

 善逸は、逃げ腰ではあるものの、瀬戸際で落下せぬまま奮闘する。

 口では炭治郎の声援を否定しているが、実際初めてにしては押し相撲として成り立っていた。

 

「中々やるじゃねえか、紋逸!」

「あああいいいうううえええおおおっ……!!?」

「「あ」」

 

 伊之助も応援していたが、姿勢を崩した善逸が、前方へと倒れてしまった。

 迫るのはつむじの体―――否、

 

 ムニッ。

 

「へ?」

 

 支えを求めて前へ突き出していた手が、何か柔らかいものを掴んだ。

 自分が倒れている途中であったことから、手はガッツリと謎の物体を握ってしまう。

 

 これは一体なんなのだろう?

 

 ゆっくりと顔を上げる。

 

「おっ―――ッ!!?」

 

 皆までは言わない。

 自分が求めてやまない物体を、彼は今己の掌に収めていたのだ。事故という形であるが、確実に。

 しかし、善逸の胸の内に湧き上がるのは女体の神秘に触れた感動ではなく、

 

(殺される!!!!!)

 

 “死”を予感した。

 かつてないほどの“死”を。

 

 だが、

 

「大丈夫?」

「……うぇ?」

「ほら、立って」

「あ……はい」

 

 何事もなかったかのように直立姿勢に戻るよう告げるつむじに、言われるがまま戻る善逸。

 拍子抜けした面食らった彼であるが、みるみるうちに掌に残る柔らかな感触に、彼の頬は赫々を染まっていく。

 

「お、お、おっ……―――!!!」

「油断しない」

「おおおおおっ!!?」

 

 しかし、天国から地獄へ。

 掌に残る温かく柔らかな感触は、すぐさま地面の冷たく硬い感触に塗り替えられた。

 

「善逸ぅ―――ッ!!?」

 

 真面に受け身も取れず落下し、痙攣する友人に駆け寄る炭治郎。

 けれども、当の善逸はと言えば、鼻血を垂らしながらも、どこか恍惚とした表情を浮かべていた。

 

 

 

 ***

 

 

 三日後、新たに三人の下へ来客が現れた。

 

「俺が指導承った炎柱が継子、明松燎太郎だ!! 初めましてだな!!」

 

 目の前に居るだけ室温が何度か上昇したように錯覚する男。彼こそが凛とつむじの同期、明松燎太郎だ。

 炎を模した模様が描かれている羽織が、炭治郎と同じ赤色の髪と瞳と相まって、視覚的にも熱さを感じる。

 一方で数珠を手首に嵌めていることから、信仰心が高そうと窺える装飾品も身に着けているではないか。数珠に関しては、岩柱・悲鳴嶼(ひめじま)行冥(ぎょうめい)を彷彿とさせるだろう。

 

「はじめまして! 竈門炭治郎です! 本日は何卒よろしくお願いします!」

「俺は山の王だ」

「こっちは嘴平伊之助って言うんです」

「いい元気だな! こりゃしごき甲斐があるな!」

 

 さらりと頓珍漢なことを宣う伊之助を紹介する炭治郎。最早、彼は伊之助にとっての兄―――否、オカンのような立ち位置に居るのかもしれない。

 

 と、それはさておき。

 

「さて、俺から君達に教えるのは“反復動作”だ!」

「やばい訓練の上にまたやばいそうなの教えるつもりですか?」

「安心しろ! これは常中より簡単だ」

 

 善逸の問いに対し、燎太郎は快活に答えた。

 簡単とは言うものの、そもそも比較に出されている常中の会得難易度が凄まじいとは誰も口に出さなかった。

 

 しかし、聞いてみれば内容は単純だ。

 集中を極限まで高めるべく、予め決めていた動作を行うことで、全感覚を一気に開く技。全集中の呼吸の呼吸とは異なる極意であり、それ故に併用も可能。両方扱えれば剣士として一歩抜きんでることが叶うという訳だ。

 

「大方理解できたか? 分からないならもう一度説明するが」

「いえ、大体理解できました!」

「なら良かった! それでは木刀で素振りしながら訓練するとしようか!」

 

 各々の型を洗練させるついでに反復動作の訓練が始まる。

 炭治郎は水を。善逸は雷を。伊之助は獣を。

 全力を一瞬に引き出す為には数をこなすしかない。最初こそ反復動作で集中するのに時間はかかるが、やがてそれが一瞬にできるようになる。

 その時こそ、反復動作を会得したと言えるだろう。

 

「これは煉獄の兄貴が岩柱様から教えてもらったことでな! 要するに俺は人伝に知ったという訳だ!」

「な、なるほど……」

「ひっ……ひっ……!」

「ふぅぅうん゛っ……!」

 

 休憩の合間に世間話をする四人。

 蝶屋敷に住まう三人の少女、なほ・きよ・すみ達が持ってきた水を飲み、流れ出た汗の分の水分を補給する。常中と反復動作。二つの訓練をこなすことから、心拍数と体温は上がり流れ出る汗の量も尋常ではない。気を抜けばあっという間に脱水症状で倒れてしまうだろう。療養の為の入院というのに、合間の訓練で倒れたとあっては何の為に入院しているのだと、後からアオイやしのぶにどやされてしまうだろうから、三人もそこは気を付けていた。

 

「それにしても、東雲さん……速いですね」

「おぉ、あいつはそうだな! まあ、慣れている! そんなものだろう!」

 

 縁側で座る炭治郎が眺めていたのは、三人とは別に黙々と素振りに打ち込んでいたつむじだ。

 炭治郎達よりも速く、それでいて多く数をこなしているにも拘わらず、流れ出ている汗は微々たるもの。寧ろ、涼しささえ覚えるような爽快感がある。

 自分もあれくらいできるようになりたいと切望する炭治郎は、「そうだ!」と燎太郎に問う。

 

「明松さん達は普段どのくらい反復動作の訓練をしているんですか?」

「俺達か? う~む、任務の合間……それでいて師範の稽古を除いたら、そうだな。素振りだったら五千回くらいか」

「五千」

「一刻の間にな。凛だと一日暇な時、六万回こなしてたらしい」

「六万」

 

 桁違いの数字に炭治郎は目を白黒させる。

一方、聞き耳を立てていた善逸は口の端から水を垂れ流す。逆に伊之助は「それくらいやりゃあいいのか!」と明確な数字に奮起した。

 

「って、アホなのか!?」

「なんだとォ! このたんぽぽ頭!」

「六万って数字分かって言ってる!? 六万だよ、六万! 一、十、百、千、万! 百を百回! を、六回! 一刻に五千振ったとして半日! 半日だぞ!?」

「う、ううっ……!? わ、訳分かんねえ難しいこと言ってんじゃねえ!」

「分からない!? じゃあ分かりやすく言うよ!? 六万回やったら俺達は死ぬっ!」

「それはてめぇが軟弱なだけだろうが!」

「軟弱の意味知ってるかお前!?」

 

 ギャーギャーと庭先で騒ぐ二人。最早見慣れた光景だと言わんばかりに炭治郎が仲睦まじげな子供の喧嘩を見る兄に似た目で眺める。

 

「ははっ、二人は元気だなぁ」

「喧嘩する程仲が良いという奴だな!」

「はい。明松さんも、東雲さんや氷室さんとは喧嘩したりしたんですか?」

「俺達か? そうだな……」

 

 しみじみと過去を振り返ってみれば、今は信頼し合っている仲の相手とは言え、衝突した場面は数えられないだろう。それこそつむじとは……。

 

「したなぁ」

「へぇ~、俺はとても想像できないです……!」

「だがまあ、腹を割って話せば案外分かり合えるものだ! 肝要なのは相手の考えに寛容であること! 頭ごなしに否定しては歩み寄れるものも歩み寄れない。若い頃の俺に是非とも言ってやりたいな、ははっ!」

 

 紆余曲折を経た今だからこそ、心の底から思う。

 そんな燎太郎の思いをひしひしと感じ取った炭治郎は、今一度友人を大切にしようと胸に誓ったのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 燎太郎の指導から一週間後。

 常中と反復動作の訓練は酷であるが、少しずつ全集中の呼吸を続けられる時間は長くなっている。

 両方に必要なのは()()()()。地道に繰り返していく行為こそ、会得への最短距離だ。

 

 と、僅かながら成長がみられる三人の下へやって来たのが、この二人。

 

「今日は僕とこの人が指導するよっ!」

「みんな、こんにちは! はじめまして、甘露寺蜜璃です!」

 

 凛の横に並ぶ見慣れぬ女性。

 奇抜な髪色は、一度見たら忘れられぬ衝撃を受けるだろう。

 何を隠そう、彼女は恋柱の蜜璃だ。つむじの見舞いついでに指導するとかねがねより申し出てくれたのだ。

 そんなはち切れそうな捌倍娘の登場に、善逸はと言えば。

 

「か、か、か……可愛いが詰まってらっしゃるうううっ!!」

 

 主に胸元を見ながら発狂していた。

 

「善逸、柱の前だぞ」

 

 そんな友人を窘める炭治郎。

 いつぞや隠に言われた言葉で善逸を静かにさせる彼の一方で、蜜璃は「元気な子達……」と頬を染めていた。彼女は惚れっぽいのだ。

 

「ちなみに、蜜璃さんは僕の後輩だけど立場上は上司だね。柱だから」

「もう、そんなの関係ないよ~! 遠慮なんかしなくていいんだから!」

「って言ってくれたから、今日来てもらった訳なんだ」

 

「ありがとうございます!」

「あああありがとうございますっ!! 会えて光栄です、ホント!!」

「おめぇ強ぇのか?」

 

 蜜璃に対し、三者三葉の態度。

 そんな彼女も交えて行う今日の訓練内容とは、

 

「ずばり、呼吸についてだね」

「全集中の呼吸ですか? 常中以外にも何か……」

「ううん。それとはちょっと違うかな」

「ははあ」

「正しい呼吸……って言ったらあれだけど、皆の呼吸について色々教えるよ!」

 

 その為に集まった面子と言っても過言ではない。

 

「僕が使ってる呼吸は“水”と“氷”……水は竈門君も使ってるよね?」

「はい!」

「呼吸には水の他に、炎・雷・岩・風があって、それら五つを基本の呼吸って言ったりするね。大抵育手が教えてくれるのはこのどれかだけど、剣士は自分に合わせて呼吸が派生させたりもする!」

「もしかして、それが氷の呼吸ですか?」

「そうだね! 僕の場合は氷。水の呼吸の派生だね。そこで蜜璃さんの使う呼吸……恋の呼吸っていうんだけれど、これは炎の呼吸の派生なんだ」

「なるほど!」

 

 基本は五つなれど、真に己の体に合った呼吸を追求していけば、生まれた派生の呼吸は星の数ほどもあるだろう。

 だがしかし、自らの呼吸を生み出す真似は並大抵の努力では叶わない。

 派生の呼吸を身につけたとしても、凛のようにあくまで生み出した人物から学んだ場合がほとんどであり、蜜璃や伊之助のような場合が稀なのだ。

 

「へへっ、やっぱ俺って天才なんだな!」

「うん。確かに嘴平君は色々とぶっ飛んでるね」

 

 ふんぞり返る伊之助だが、それをして然るべき天性の才能が彼にはある。

 将来が楽しみだと頷く凛。

 すると、徐に彼は木刀を二本手に取り、一本を炭治郎に投げ渡す。

 つむじとの押し相撲で少なからず反射神経が鍛えられた炭治郎は難なく受け取ったが、渡された意図を察しあぐねたかのように首を傾げた。

 

「竈門君。これから呼吸の違いを体感してもらうよ」

「えっ!?」

「って言っても、ただ斬りかかって来てくるだけでいいから! 大丈夫、痛くはないから!

「は、はぁ……」

 

 呼吸の違いとは一体?

 

 その言葉に秘められた意味を考えた炭治郎であったが、答えが出るよりも前に、体が無意識の内に木刀を構えていた。

 

「……行きますっ!」

 

 悩んでいても仕方がない。

 言われるがまま木刀を振りかざした炭治郎。狙うのは勿論、同様に木刀を構えていた凛だ。

 次の瞬間、彼の姿が消えたかと思えば、振り下ろした木刀が何かに軌道を逸らされてしまう。

 

「えっ!?」

 

 気が付いた時、首筋を冷たい風が撫でた。

 それは、自分の背後に佇んでいた凛が、木刀の切っ先を首にあてがっていたからである。

 いつの間に? と疑問が浮かぶが、それよりも気になるのは剣閃を逸らされた理由だ。

 

「な、なにが……」

「竈門君。木刀にどんな感触を覚えた?」

「木刀にですか? う~ん、突然グッて滑ったというか……あの、凍った水たまりを踏んで滑ったみたいな感じでした」

「言い得て妙だね! 今のは氷の呼吸の零閃って技なんだけれど、水から氷に派生する途中で生まれたんだ」

「へ~!」

「じゃあ、次は()()()()()みるね。もう一度斬りかかってきて」

「水と……? 分かりました、はい!」

 

 言われるがまま、今一度相対して斬りかかる。

 訓練と言えど炭治郎は本気だ。全集中の呼吸と反復動作を意識し、もてる限りの全てを振り絞って一閃を解き放つ。

 

 カッ、と僅かに木刀同士が触れる感触が掌に伝わる。

 

 だが、今度は押し負けぬと炭治郎は全身全霊の力を腕に込める。

 

―――イケる! 押せる!

 

 頭が相手の木刀を押し返していると感じ取る―――が。

 

―――あれ? どこまで押すんだ?

 

 触れている感覚はあるのに、一向に手応えを感じない。暖簾に腕押しに近い感触だ。

そうこうしている内に、確実に捉えていたはずの標的である凛の姿が知覚する間もなく消え失せた。

さながら神隠し。不思議を通り越し、不気味な感覚だった。

 

「……え?」

「―――これが水の呼吸も併せた零閃」

 

 彼は背後に居た。

 これまた木刀の切っ先を首にあてがいながら。

 

 もしも真剣だったら呆気なく自分の首が刎ね飛ばされていただろう。

 そう理解しているにも拘わらず、炭治郎の胸にはただただ彼の御業に対する感動しか浮かんでこなかった。

 

「凄い……!」

「最初のと違いが分かる?」

「はい! 一回目は力で攻撃を逸らされた感じが強かった……でも、今のは完璧に受け流されました! てっきり斬り込めると思ったから踏み込んで! それでいつの間にか受け流されて姿勢を崩されました!」

 

 嬉々として語る炭治郎への答え合わせとして、凛はにこやかな笑みを向ける。

 

「そうだね! 零閃は相手の攻撃を受け流すように回転してから斬りかかる技なんだけれど、僕の場合、氷の呼吸だけだとうまく受け流せなくてね。でも、水の呼吸と併用することで氷の力強さと水の滑らかさを両立させて、この技を使いこなせるようになったんだ」

「呼吸を……併せる……?」

「そう。一つの呼吸を極める……それも凄いことだよ。でも、二つの呼吸を併せたら、それぞれの呼吸の良いとこ取りができるかもしれないよ! っていうのが僕の伝えたかった話だね!」

 

 何も呼吸を一つだけ使わなくてはならないと決まっている訳ではない。

 取り込める長所はどんどん取り込んでいくべし。

 そうしていく内に自分の用いる型に適した呼吸が見つかるはず。それが凛の話のさわりだ。

 

 納得したように頷く炭治郎。

 しかし、善逸と伊之助は他の呼吸までも会得することに難色を示すかの如く、何とも言えぬ表情を浮かべている。

 確かに呼吸を二つ使う剣士等、鬼殺隊全体を見ても指で数える程だ。こうなるのも致し方ない。

 

「じゃあ、ここからは蜜璃さんから、実際に自分の体にあった呼吸を見つけるコツを話してもらうね」

「うん、任せちゃってよー!」

 

 そこで蜜璃の出番だ。

 既存の呼吸を二つ併せる凛とは違い、彼女は一つの呼吸を基に独自の呼吸を編み出した女傑。

 自分の体に合った呼吸を見つける点においては、彼女の方が適任であることには間違いない。

 

 袖を捲って気合いを表明する蜜璃は、いざ、正座して話を聞く態勢に入っている三人に対して口を開いた。

 

 一体どんな話が飛び出してくるのか?

 

 三人はいっぱいの期待を胸に抱いていた。

 

「合ってない呼吸はね、技を出す時に胸がモニャモニャ~、あれ、違うなぁ~? ってなるの! だから、そこからたくさん体動かして! するとね、色んな呼吸試してる内に体がメキメキィってなって、頭もピッカァーンってなるから、コレだぁ! みたいな!?」

「「「……???」」」

「……」

 

 すぐさま期待は崩れ落ちた。

 蜜璃も崩れ落ちた。

 辛うじておっぱいは崩れ落ちなかった。

 

 しかし、自分の話が微塵も伝わっていない後輩の様子に精神的負傷を受けた蜜璃は、床の上で丸まりながら悶死しそうな雰囲気を漂わせていた。

 

「穴があったら入りたい……」

「み、蜜璃さぁーん!!」

 

 補足しよう。残念ながら甘露寺蜜璃は感覚派の人間だ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 機能回復訓練が始まり一か月以上経った。

 最初こそカナヲには手も足も出なかった炭治郎であったが、今は違う。

 

「うおおお!」

「!」

 

 薬湯を掛け合う訓練に取り組む炭治郎とカナヲ。

 腕の残像が見える程に早い攻防。以前であれば、あっという間に炭治郎が薬湯を掛けられて決していた戦いが、今となっては互角といって過言でない光景を繰り広げているではないか。

 

 一方、善逸と伊之助はと言えば巨大な瓢箪に息を吹き込んでいた。

 

「んんんっ!」

「おおおっ!」

 

 小さな幼児ぐらいある瓢箪に息を吹き込んでいた二人であったが、次の瞬間、瓢箪は過剰に吹き込まれた空気に耐え切れなくなり、内側から爆発するように弾けて砕けた。

 

「やったやった!」

「すごい、善逸さん!」

「伊之助さんもできちた!」

 

 なほ、きよ、すみの三人は、常中の訓練の過程でもある瓢箪の破壊に成功した二人を祝福するように歓喜の声を上げる。

 

「で、できたぁ……はぁ~……!」

「うおおお! 見てたか紋逸! 俺の方がてめぇより先に瓢箪ぶっ壊してやったぜ!」

「そんな余裕俺にはなかったよ……」

「なんだとぉ!? だったらもう一回見せてやる!!」

「いや、いい! イィーっ!」

 

 成し得た姿を誰かに見てもらいたかった伊之助は、競う相手と見なしている善逸が見ていなかったと口にしてムキになった。

 こうして二人が瓢箪破壊を済ませた一方、戦いの佳境に入っていた炭治郎は、ついにカナヲの手をすり抜けて湯呑を持ち上げる。

 

「おおおっ!!」

「!」

 

 いざ、薬湯をカナヲへ。

 しかし、薬湯の匂いのきつさを思い出した炭治郎は、寸前で中身をぶちまけることを止め、湯呑をカナヲの頭に置く。

 

「炭治郎さんも勝った!」

「これで皆常中できるようになったって言っていいよね!?」

「うん、そうだよ!」

 

 まだ拙い部分こそあれど、三人は全集中の呼吸・常中を会得したと言ってよいだろう。

 歓喜の坩堝と化す訓練場。ちょうど暇を見つけて訪ねていた凛、燎太郎、そして先に退院していたつむじの三人が、喜びのままに訓練場を走り回る炭治郎達を眺める。

 

「うん! ものになったようで良かったよ」

「忍耐強いし、いい剣士になるぞ! 煉獄の兄貴に紹介したら喜びそうだ!」

「……これ以上大所帯になるのは勘弁」

 

 炭治郎達を継子に迎える考えを口にする燎太郎に、つむじが難色を示す。

 

「……お前、そんなこと気にする性質なのか。女っ気を微塵も感じさせないのに」

「ん」

「そういう燎太郎は化粧したつむじを見て真っ赤になってたじゃないか。蜜璃さんがしてくれたヤツ」

「それは言わん約束だろう」

「ちょっ……! ゴメンって!」

「?」

 

 こちらもこちらで仲睦まじげな光景を繰り広げる。

 すると、喜びに舞っていた炭治郎が三人の下へ駆け寄って来た。

 

「あの! ご指導、本当にありがとうございました!」

「いえいえ。力になれてなによりだよ」

「それで厚かましいとは思うんですが、一つ訊きたいことがありまして……」

「ん、なんだい?」

「ヒノカミ神楽って聞いたことありますか?」

「ヒノカミ神楽?」

 

 初めて聞く単語に、凛のみならず隣に並んでいた燎太郎とつむじも首を傾げる。

 詳しく話を聞けば、全集中の呼吸と同じく体に力が満ちる呼吸法を、山奥に住む炭売りであった父が代々受け継いでいたとのこと。

 炭治郎もヒノカミ神楽があってこそ、那田蜘蛛山での任務で九死に一生を得たという。

 

「でも、聞いたことはないかなぁ……」

「えぇ!? じゃあ、火の呼吸とかは……!?」

「ないな」

「派生でも……?」

「ない」

 

 頼りにしていた三人全員が全滅。

 ヒノカミ神楽を知る手掛かりを掴めると思っていた炭治郎は、ままならない現実に直視し、落胆するように肩を落とした。

 

 このように後輩が落ち込んだとあれば、先達として何もせずには居られない。

 少なくとも凛や燎太郎はそんなお人よしであった為、力になれないものかと考えを絞り出す。

 そして、

 

「そうだ! 煉獄さんに聞いてみたらどうかな?」

「煉獄さんにですか?」

「ああ! 確か、煉獄邸には歴代の炎柱が遺した手記があると言っていた! 煉獄の兄貴なら読んでいるかもしれん!」

「なるほど!」

 

 現在に手掛かりがなくとも、過去まで遡れば手掛かりがあるかもしれない。

 兎にも角にも、手掛かりを得るには他ならぬ炎柱・煉獄杏寿郎と接触するしかない訳だ。鎹鴉でやり取りする手もあるが……。

 

「どうする? 実際に会ってみて話をした方がいいと思うんだけれど……」

「……分かりました! 俺、煉獄さんに会います!」

「それじゃあ決まりだな!」

 

 凛の提案に乗る炭治郎。待っていたと言わんばかりに燎太郎は柏手を打つ。

 のほほんと聞いていたつむじは、流れるままにと炭治郎の同行を認めるように「好きにすれば?」と告げる。

 その言葉に三人の了承を得られたと確信した炭治郎は目を輝かせた。

 

「ありがとうございます!」

「ふふっ。僕らも君達のこと、煉獄さんに紹介したいと思ってたからちょうど良かったよ。それじゃあ諸々の準備が済んだら会いに行こっか!」

「はい!」

 

 こうして蝶屋敷での訓練を経て、剣士として以前より一皮剥けた炭治郎は煉獄の下に赴くことになった。

 

 

 

 向かうは―――無限列車。

 

 

 

 醒めぬ夢幻が待ち受ける鬼の巣だ……。

 




*漆章 完*

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