鬼滅の流儀   作:柴猫侍

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弐拾肆.被星戴月

 

(東雲さんはどうなったんだ!? この音はもう誰かが猗窩座と斬り合っているはずだけれど……!!)

 

 砂煙を突き破るように走る炭治郎。

 依然として視界は不明瞭であるが、大気を伝わって響いてくる振動で戦闘の有無は感じ取れる。

 

「ぐッ!?」

 

 一際激しい振動が体に襲い掛かり、思わずたじろいでしまう。

 同時に砂煙も晴れ、視界が澄み渡った。

 夜明けまであと少し。やや白んできた空の下、死闘を繰り広げているのは凛と猗窩座だ。つむじがどうなったかと入念に見渡せば、地面に倒れている姿が目に入った。

 

「っ……!!」

 

 ギリッと歯軋りの音が鳴り響く。

 体に力を込めれば、体中のあちこちが痛むが関係ない。

 

(どうにかして、俺も援護を……!)

 

 並走する伊之助と共になんとか助太刀できないものか。

 今の今まで静観することしかできなかったとはいえ、そのお陰で当初追い付かなかった目も微かにだが動きを捉えられるようになった。

 夜明けまでもう少しとは言え、猗窩座という鬼を前にして日の出を待つなどという悠長な真似をする訳にはいかない。

 体が追い付くかは分からないが、それでもやらなければならないのだ。

 

 黒刀の柄を握りしめ、いざ大地を踏み抜こうとした、その瞬間。

 

「待機!!」

「っ、煉獄さん!?」

 

 突き抜ける大声を発する杏寿郎にたたらを踏んでしまう。

 

「君らは東雲少女を頼む!!」

「っ……はい!」

 

 端的な指示を飛ばし、凛に加勢する杏寿郎。

 すでに満身創痍であることは見て取れる。炭治郎の鼻は、彼のむせ返るような血と汗が混じった匂いを捉えていた。

 それは命の匂い。一滴まで絞り出される生命の雫。

 柱が命を削りながら刀を振るっても限限以上に瀬戸際な死闘を繰り広げなければならない相手なのだ。

 それでも杏寿郎は助太刀ではなく負傷者の救護を求めた。

 ならば、応えるしかないではないか。

 

「伊之助!!」

「っ、~~~!! 分かるっきゃねえだろうがよおおおッ!!」

「すまない!!」

 

 猪突猛進な伊之助が覚悟を決めた上で飛び出したにも拘わらず、振り翳した刀を収めた。

 血が滲むほどに柄を握る伊之助。猪頭で表情こそ窺えないが、体の震えや滴り落ちる血が、彼の悔しさや怒りを如実に表していた。

 杏寿郎の願いや伊之助の怒りを無駄にしない為には、早々につむじを安全な場所まで運ぶしかない。

 

「いいか、伊之助! そっと運ぶぞ!」

「あぁん!? 俺はどう持ちゃいいんだ!?」

「俺が運ぶから背中を守ってくれ!」

「おっしゃあ!」

 

 万が一に備え、伊之助を護衛に回す炭治郎。

 だが、つむじを背負った瞬間、背後から途轍もない鬼気を感じ取った。

 

「弱者など構うな!!」

 

 そう吼えるのは、無論、猗窩座であった。

 未だに炭治郎達を気に掛ける杏寿郎に業を煮やしたのだろう。凛と杏寿郎の二人との剣戟を繰り広げていた彼は、一旦距離を取るように飛び退くや否や、炭治郎―――もとい、彼等の向かう先に居る乗客ごと屠ろうと力を溜める。

 

(まずい!!)

 

 刮目する杏寿郎は、咄嗟に猗窩座が繰り出そうとする技の射線上に入る。

 回避に徹すれば生き永らえるかもしれないが、それでは後輩や乗客を犠牲にしてしまう。

 

(氷室少年は一人で動ける!! 俺は―――!!)

 

 守りに徹する。

 

 刹那、杏寿郎は爆ぜる花火を幻視した。

 それは猗窩座が繰り出す拳の連撃が生み出す光景。

 

 破壊殺・終式 青銀乱残光(あおぎんらんざんこう)

 

「オオオオオッ!!!」

 

 炎の呼吸 肆ノ型 盛炎のうねり

 

 途轍もない範囲、そして破壊力。

 柱として鬼の攻撃に慣らした瞳でさえ、捉えるのが容易ではない神速の乱撃だ。

しかし杏寿郎は、自分に当たる攻撃以外の撃墜に専念する。自身に命中する拳は、己を盾にすればいい。甘んじて受け止めよう―――異常とさえ思える責任感を源に、彼は刃を振るった。

 

 肉を穿たれようと、骨を穿たれようと。

 

「あああああああ!!!」

 

 まさに鬼気迫る形相で刃を振り続ける。攻撃の余波の一片さえも後ろに逃さぬと言わんばかりに。

 命を容易く踏みつぶす拳撃を、怒涛の攻めを以て斬り落とした杏寿郎。

 最後の一撃を叩き切った瞬間、悪鬼滅殺と刻まれた赫刀は、苛烈な暴力を遮る盾としての役目を終えるかの如く、(きっさき)から柄尻まで刀の原型を留めぬ程に粉々と化した。

 

「煉獄さん!!!」

「ギョロ目ぇ!!!」

 

 炭治郎と伊之助の悲鳴に似た声が空を衝く。

 

 唯一形を保っているのは、揺らめく炎を象った鍔ぐらいか。

 だがしかし、それこそが彼の生き様を象徴している。

 その身を打ち砕かれようと、精神は、心は砕かれやしない。

 

(俺は、俺の責務を……)

 

 朦朧とする意識をなんとか保ちながら、猗窩座へと目を遣った。

 すると、最早戦える体ではなくなった自分に代わり、悪鬼羅刹へと立ち向かう人影がはっきりと窺える。

 

「君は、君の責務を果たせ……氷室少年!!」

 

 血反吐を吐きながらの激励を送った。

 その言葉に背を押されるよう奔る凛は、たった一人で猗窩座に対峙する。

 

「はああああ!!!」

 

 既に凛も満身創痍であるが、激痛に苛まれる体に鞭を打って刀を振るう。

 極限まで感覚を研ぎ澄ませろ。

 いらない感覚は捨て置け。

 痛みなど感じぬ程に―――。

 

(痛くない)

 

 言い聞かせるように念じる。

 瞬きすら惜しい刹那の攻防の中、拳が頬を掠めて皮が抉られても、痛みに揺らぐことのない凛は反撃した。

 

(痛くない)

 

 痛覚が鈍化していく中、呼吸は加速度的に研ぎ澄まされていく。

 時間がある日であれば、日に六万と刀を振った成果が発揮できたと捉えるべきか。

 水面斬り、御神渡り、水車、搗ち割り、雫波紋突き、氷瀑、流流舞い―――怒涛の剣舞は終わることを知らない。

 

(痛くない)

 

 顔面を貫こうとする拳に対し、膝を折るようにして上体を反らし、両手の刃を交差させて斬り落とす。

 この時、僅かに猗窩座の顔に驚きが滲んだ。

 鬼と違い、人間の体力は有限。これほどの長時間戦っていたとなれば、自分の方が優位に立てるはず。

 にも拘わらず、この人間は食い下がる。否、喉笛を食い千切ろうと果敢に攻め込んでくる―――それこそ互角以上の戦いを演じて、だ。

 

(こいつは一体……)

(負けない)

(どこにそんな力が……!)

(絶対……負けない……!)

 

 目を覆いたくなるような凄惨な戦いぶりを見せる凛。

 一方猗窩座は、一度彼の血液に染まる赫刀の餌食になった経験から、腕を斬られるや否や飛び退き、もう片方の拳で凍結した断面を殴り飛ばす。

 そうして凍結部位を剥がしては再生するのだ。

 当然ながら人間の血液は有限だ。彼が止血の呼吸を会得しているとは言え、斯様に絶え間なく流血して戦っていれば、いずれは失血で死に至ることになるだろう。

 

 それでも、血の華を咲かせて刀を振るう彼の姿は流麗だった。

 敵ながら見惚れてしまうくらいに。

 

「惜しいな、凛!! やはりお前は鬼になれ!! 俺と永遠に戦い続けよう!!」

「どうして?」

「決まっている!! ()()()()()に踏み入る為だ!!」

「それに何の価値があるって言うんだ」

 

 淡々と応答する凛の一言に、猗窩座がピタリと止まる。

 

「……なんだと?」

「お前はその至高の領域っていうのを崇高なものみたいに思っている。けれど、僕にはなんの価値も感じない……そう言っているんだ」

「馬鹿を言え。武を極める者ならば切望しないはずがない。鬼殺隊(おまえたち)も求めているのだろう? 力をだ」

「力は、ただ力だ。価値は……もっと別のところで生まれる」

 

 失血死寸前の風貌を晒しながら、ひどく冷静に彼は続ける。

 血に濡れた隊服は朝の冷え込んだ空気に晒されて冷たくなっているが、凛は掌に触れる血に、それ以上の熱さを覚えていた。

 

「弱い自分を我慢しながら努力して得た力は、結果とは違う素晴らしい価値がある」

 

 ピクリと、血管が浮き出した。

 

「誰かを守る為に振るう力は、強さや弱さに関係なく愛おしい価値がある」

 

 拳を握る乾いた音が響く。

 

「死んでしまった人の想いを繋いで継がれる力には、それだけ……たったそれだけで尊い価値がある」

 

 苛立ちと赫怒に燃える炎の()が奔る。

 それは呼吸を荒げる猗窩座のものだった。

 あれだけ熾烈な死闘を演じた凛の息が穏やかな一方、呼吸さえ必要のない鬼が息をせききっている様は奇妙という他ない。

 何が猗窩座をここまで憤らせているのか―――本人でさえあずかり知らぬ逆鱗を逆撫でする凛はトドメに告げる。

 

「だけど、僕にとって人を傷つけるだけの力に価値なんてない。無価値以下だ。上弦の鬼は百年以上不変と聞いたけれど、なら、お前の百年に価値なんてなかった。無限の修練とやらも至高の領域とやらも全部だ。何の罪もない人の命を貪って肥やした力に……一体何の価値がある?」

「オオオオオ!!!」

 

 怒髪衝天。

 まさにそれが似合う形相を浮かべた猗窩座が、凛へ吶喊する。

 不愉快だ。これほど癇に障る剣士には出会ったことがない。

 激昂するままに拳を振るう。技でも何でもない。ただ感情に任せた一撃だ。それでも容易に命を奪うことはできよう。

 しかし、身構えた凛の日輪刀の煌きにたじろぐハメとなった。

 刀身に反射するは陽光。

 暁が迫る時刻だった。不快感とは裏腹に話へ聞き入り、平静を失ったことで失念してしまっていたのだ。

 眩い光に目が眩む。同時に早く陽光から逃げねばならないという焦燥が拳を迷わせる。

 その時、光が薙いだ。

 

「!」

「……ふぅー!」

 

 揺らいだ拳と言えど速さは凄まじかった。

 しかし、猗窩座の振り抜いた腕は宙を舞う。単純な話だった。彼の拳の速さを、凛が上回っただけだ。

 振り抜かれた刃は山の合間から差し込む朝日を反射し、猗窩座の瞳を()く。

 それが鬼として、太陽に対する恐怖を呼び起こす。

 

「チィ!!」

 

 踵を返す猗窩座が、陽光の陰になる場所へと遁走する。

 だが、その背中も今の凛にははっきりと見えなかった。

 血を失い過ぎたのだ。猗窩座が逃げ、炭治郎が何か叫んでいるものの、今の彼には遠い世界の出来事のようにおぼろげだ。

 

(―――誰かを救うことで価値を得られるなら)

 

 日輪刀に縋りつきながら反省する。

 

(彼の死が無価値にならないんじゃないか……そんな風に考えていた時期がなかったと言えば嘘になるけれど……)

 

 吐き出しそうになり血反吐を呑み込む。

 口の中に広がる血の味をしっかりと味わう目にこそ遭うが、それでも命を繋ぎ止められるなら、存分に堪能してやろうと天を仰いで飲み込んだ。

 

(そんなの……昔の僕に申し訳ない。彼が守ってくれた昔の僕に……)

 

 痛みも苦しみも噛みしめて、意地汚く意識を繋ぐ。

 

「ですよね……な……さん……」

 

 燦々と光り輝く朝日を見つめるも、気がついた時には視界が晦冥に包まれた。

 深い深い闇の中へと―――。

 

 

 

 ***

 

 

 

「少なく見積もって、全治三か月と言ったところでしょうか」

 

 淡々と、それでいて怒気を孕んだ声音でしのぶが告げる。

 柱の放つ怒気は並みではない。黙って聞いていた()()は、グルグルに巻き付けられた包帯の下で滝のような汗を流していた。しのぶは怒ると怖いのだから―――。

 

「打撲に擦り傷に骨折多数。内臓も損傷、漏れなく全員失血死寸前。一体どう無茶をしたらこうなるんですか……」

 

 しかし、途端にヘナヘナと椅子に座る彼女の声音には安堵が滲んでいた。

 それもそのはず。つい先日見送った友人や同僚が、傷だらけの襤褸雑巾のような状態で運び込まれれば、彼女でなくともこうなってしまうだろう。

 

「いやあ、面目ない!! 俺も柱としてまだまだ―――」

「静かにしてください、病室ですよ煉獄さん」

「すまない、胡蝶」

 

 溌剌とした声を上げる杏寿郎だが、しのぶに鋭い眼光を向けられるや否や、口を閉じた。

 ただ、一見では杏寿郎だと分からない。骨を固定するための添え木が、ほぼ全身に添えられた上で包帯を巻かれているのだ。左目も潰れ、今や隻眼。喋らなければ、十中八九包帯の化け物と見間違う。

 と、杏寿郎も散々たる有様であるが、他三名も彼に負けず劣らず酷い状態だ。

 

「痛い……お腹痛い……痛い……お腹が痛い……」

「痛い痛い言ってもすぐには治りません、東雲さん。脇腹を抉られたんですからね?」

「痛い……ご飯……美味しいの……いっぱい持ってきて……たくさん食べて治す……」

「お腹裂けますよ? いいんですか?」

「痛いぃ……うぅ……」

 

 特に酷いのは、四六時中激痛に悶絶して呻き声を上げるつむじだ。

 破壊殺・滅式と真正面からぶつかった彼女であるが、奇跡的に生存していた―――というよりも、

 

『当たる瞬間になんか……()()()

 

 生かされた。

 それが意図的か偶然かは猗窩座しか分からないが、彼女を死に至らしめるだけの攻撃は、猗窩座本人の手で逸らされたことにより、脇腹が抉れる重傷で済んだ。

 内臓こそ欠けてはいないが、衝撃で痛めつけられた事実に変わりはない。

 つむじにしては珍しくさめざめと涙を流すくらいには堪えている様子だった。

 

「つむじ、大丈夫だ。お前は強い子だ。我慢できる」

「もごもご」

「そこ。静かに」

 

 しかし、残り二名もどっこいどっこいだ。

 燎太郎は肋骨が数本折れ、凛も疲労骨折であちこちの骨が折れている。そうした痛みの衝撃で死んでもおかしくなかった状態に加え、多量の血を流しているときたものだ。治療にあたったしのぶとしては、ここ数日気が気がではなかったことは説明せずともいいだろう。

 

「……とにかく、全員一か月は絶対安静ですからね。何か用があっても起きないように。いいですね? 絶対ですよ?」

 

 年に念を押すしのぶは、苛立ちを隠さない足取りで廊下へ出た。

 そのまま少し歩けば、突き当りに直面する。

 しかし、道なりに進む訳でもなければ、方向転換して来た道を戻る訳でもない。

 ペタリと汗の滲んだ手を壁に当てるしのぶ。次の瞬間、彼女は膝から崩れ落ちるように壁へ寄りかかった。

 

「はぁ~~~……」

 

 彼らが上弦の鬼と交戦したと聞いた時、生きた心地がしなかった。

 いずれ相まみえる敵とは言え、いざ仲間が戦ったと分かれば、()()()の出来事を思い出してしまう。

 だからこそ良かった―――誰も死ななくて。

 四肢を失っても、戦えなくなったとしても、生きて帰ってきてほしい。今までカナヲ以外に継子として育ててきた弟子の何人もが帰ってこなかったからこそ強く願った日々が、少しでも報われた瞬間だった。

 

「本当に……どいつもこいつもよ……!」

 

 誰にも聞かれぬように声を押し殺すも、涙だけは押さえられはしなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 無限列車での任務から一か月。

 猗窩座と戦った四人も、毎晩激痛に魘されなくなる程度には回復し、その他の者達も機能回復訓練を行えるくらい回復していた。

 

「それで炎柱の書は読めなかったということだな!」

「は、はい……千寿郎君が修復するとは言ってくれたんですが……」

「それは済まないことをした! わざわざ出向いてまでくれたのにな! 後で千寿郎にも謝らねばな!」

 

 病室の中、快活な口調で話す杏寿郎に対し、炭治郎はどこか浮かない面持ちを浮かべていた。

 理由は会話から分かる通り、ヒノカミ神楽の手掛かりになるかもしれなかった炎柱の書から情報を得られなかったから。正確に言えば、書物が読み取れる状態ではなかった故である。

 

「でも、日の呼吸がなんとかかんとかと槇寿郎さんが……始まりの呼吸って」

「始まりの呼吸?」

「なにそれ。強いの?」

「呼吸に強いも弱いもないだろう。大切なのは自分に合ってるかどうかだ」

 

 だが、まったく手掛かりがなかった訳ではない。

 書物をボロボロにした張本人である槇寿郎が、さわりだけ語った―――というより、一方的に喋っただけとのこと。

 凛とつむじは聞いたこともない呼吸に首を傾げ、燎太郎は毅然と持論を口にする。

 攻めや受けの観点から、呼吸の型に得手不得手こそあれど、結局のところは使い手の実力に依存するのが全集中の呼吸だ。

 

「そう……そうなんですね! ありがとうございます!」

「俺もまた別の機会で知ったら、その都度報せよう!」

「ありがとうございます、煉獄さん!」

 

 ペコリと一礼する炭治郎。

 その際、外行きの恰好である羽織の陰から一振りの刀が見えた。どこかで見たことのあるような鍔の形に、杏寿郎は刮目する。

 

「竈門少年! その日輪刀、さては千寿郎のでは!?」

「あ……はい! 実は千寿郎君からいただいて……」

 

 若干申し訳なさそうに眉尻を下げる炭治郎。

 彼曰く、

 

「『使わない日輪刀を持っていても仕方がない。それより世の為人の為に振るわれる方が』と……煉獄さんとの思い出の品でしょうから、遠慮しようとは思ったんですが」

 

 目を伏せる炭治郎が、神妙な面持ちで杏寿郎を見つめる。

 

「彼の想いも……無駄にはしたくない。だから受け取ってきました。もし、煉獄さんがよろしいのであれば―――!」

「いいぞ!」

「早い!?」

「千寿郎がそう言ったんだ! それはあいつが決めたこと! 俺が口だしする余地はない!」

 

 徐に炭治郎の手を掴む杏寿郎。

 厚い皮は何度も刀を振るってきた証だ。ゴツゴツとしているが、とても大きく、とても暖かい掌であった。

 

「どうか持っていってくれ! そして、千寿郎の分まで心を燃やして戦ってくれ!」

「……はい!」

 

 炭治郎は、あの戦いから己の弱さや不甲斐なさに打ちのめされたものだ。

 その度に杏寿郎が説く言葉に救われた。

 最後に告げられるのは決まって「心を燃やせ」。耳にタコができるほど聞かされたが、不思議と辟易もせず、何度も噛みしめるように心に刻もうとした。

 彼らの生き様を目の当たりにし、その一言がどれだけの重みがあるのかを理解したからだろうか。

 唇を噛む炭治郎は、そっと千寿郎から託された日輪刀―――炎を象った鍔の刀の柄を握って頷いた。

 

「はい! それと、煉獄さん……継子の件なんですが、俺は……」

「いい!」

「ええ!? ま、まだ何も言ってないんですが……!」

「君はすでに俺の継子だ!」

「えぇ……?」

 

 一か月前の返事を伝えようとしたが、満面の笑みを浮かべる杏寿郎が告げる。

 

「俺の継子と鍛錬を重ね、俺の教えを受けたのであれば……もう、君を俺の継子と呼んで過言ではないだろう」

「!」

「無論、直接俺の剣に鍛えてほしい時は遠慮せず言ってくれ! 喜んで稽古をつけよう!」

「っ……はいっ! よろしくお願いします!」

 

 感極まった様子で再度お辞儀する炭治郎。

 面を上げれば、微笑ましそうに眺めている三人と目が合い、「ふふっ!」と笑みが零れてしまう。

 ほのぼのとした陽気に包まれる病室。

 すると、音もなく炭治郎の背後から小柄な女性の人影が現れた。ただひとり、見える位置に寝転がっていた凛は、その影に笑顔を凍らせる。

 

「炭治郎君?」

「はぁあっ!? し、しのぶさん……!」

「そんな恰好して……どこまでお散歩に行ってたんです? 機能回復訓練に出られるとは言え、本調子じゃないんですよ?」

「そ、それは、そのぅ……」

 

 滝のような汗を流す炭治郎。

 彼の背後に立っていたのはしのぶだ。携えた注射の針を、彼の喉元にツンツンと笑顔で突っつく様は恐ろしい以外の感想が浮かんでこない。

 

「……それと、皆さん。どうして炭治郎君が遠出することを私に伝えなかったんです?」

「胡蝶! それはだな―――」

「煉獄さん、お静かに」

 

 有無も言わさず遮るしのぶの瞳はギラギラと燃えている。

 炎柱の杏寿郎でさえ慄く程の怒りの炎が―――。

 

「いいですか? 患者は、黙って、医者の、指示を、聞いていればいいんです。難しいことですかぁ? 子供じゃないんですから。それに報連相はしっかりしないと……」

 

 艶やかな声音と共に、甘い吐息が耳に触れる。

 しかし、一方で首筋にあてがった注射針から、栄養剤らしき液体がツーっと伝っていった。

 

「……ゴクリッ!」

 

 ぞくりと背筋を奔る悪寒に、炭治郎の顔からは血の気が引いていく。それを窺う四人の表情もまた、三者三様であれ全員が得も言われぬ面持ちであった。

 

「……やべぇ」

「しのぶが怒ってるぞ」

「あらあら。落ち着くまで皆でお茶しましょうか」

 

 偶然現場から離れており、一部始終を眺めていた善逸、伊之助、カナエの三人は、くわばらくわばらとその場から立ち去る。

 

「本当にしのぶさんには頭が上がらないよ」

「はい、よく理解しました」

 

 後に、凛と炭治郎はそう語ったという。

 




*捌章 完*
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