「いらっしゃいましたね、私達の屋敷に」
見目麗しい美貌より放たれる笑顔は、さながら剣山に生けられた花のように気品に溢れていた。
「お久しぶりです、しのぶさん」
「えぇ、本当に。まあ、剣士にとって蝶屋敷に来ない以上に安否を報せるものはありませんから。ささっ、それよりも中へ」
出迎えてくれた蟲柱・胡蝶しのぶに案内され、修行場となる道場へと赴く凛。
平時とは別の意味で賑わっているように思える蝶屋敷。
胡蝶邸としても用いられている蝶屋敷だが、今回の稽古は何度も世話になった此処で執り行われる流れになっている。
看護婦として働いているアオイや三人娘も、柱稽古の間は大忙し。
てんやわんやとなって屋敷と道場を往復している姿が窺える。
「ここでするのって、心肺強化訓練でしたっけ」
「はい、そうですよ。要するに、“常中”を使えるよう……あるいは長続きするよう指導するのが私の稽古です。まあ、私は私で別の用事がありますので、ほとんどはカナエ姉さんに任せていますが」
「なるほど……」
「元々常中を会得している人には退屈かもしれませんけれど」
「氷室君のように」と胸を突いてくるしのぶは、そう締め括った。
彼女の説明通り、蟲柱の稽古は全集中の呼吸・常中を使えるようにする修行だ。
剣士にとって鬼と対峙するに必要不可欠とも言える呼吸―――それを四六時中行い、身体能力を向上させられるのが常中であるが、当然ながら隊員全員が扱える訳ではない。
基本的に剣士が育手の下で育てられ、選抜に赴くまでの期間が半年。
その間に呼吸や型を覚えた上で常中を身につける等、土台無理な話であることは、凛もよく理解していた。
故に、常中会得の機会は入隊してからとなるのだが、いざ入ってみれば立て続けに下される任務や会得した者と会う機会に恵まれない場合がほとんどである。
元花柱・カナエも懸念していた状況であったが、晴れて柱稽古という一堂に会し、常中を教えられる機会が設けられた。
単純に強くなる利点もあるが、応用すれば止血もできる万能の技術だ。教えぬ道理はない。
「という訳で、出来ない方々には瓢箪を吹かせてもらっています」
「わぁ~、懐かしぃ~!」
隊員が顔を真っ赤に染めて瓢箪に息を吹き込む光景を目の当たりにし、凛は懐かしむような声を上げる。
他人からすれば正気を疑われる言動でしかない。だが、漏れなく常中を会得している者は同様の感想を抱くに違いない。彼等はこれから同じ穴の狢となるのだ。
「たまに酸欠で倒れる人もいらっしゃって、その人はアオイたちが面倒を見てくれているんですよ」
「あぁ、だからアオイちゃんたち、あんなに忙しそうにしてたんですね……もうちょっと手心とか加えてみるとかは……」
「私が厳しく指導しているとでも? 違いますよ。ほら、
「
呆れたしのぶが指差す先。
そこに佇んでいたのは、
「みんな、頑張ってぇ~! 肺の中の空気、全部絞り出す感じでフゥゥゥウって!」
『はぁ~い!!!』
「……」
「姉さんが焚きつけてるから、無駄に頑張って倒れる人が出るんですよ」
「なんていうか……その……」
「気にしなくて構いませんから」
しのぶに勝るとも劣らぬ美貌、そして殺伐とした世界で生きてきた剣士にとって、骨抜きにされるのも致し方ない振る舞いで士気を高めるカナエ。
柱稽古の補助として買って出た彼女のおかげもあり、当初予定していたよりも多くの隊員が常中を扱えるようになった反面、無理をして倒れる者が続出したという訳だ。
しかも、具合が悪くなってもカナエに介抱してもらえると、彼女に魅了された隊員は、修行を達成しても倒れても役得と奮い立たざるを得なかった。
男の欲のなんたる凄まじさ。
同時に魔性の女というの言葉の意味をはっきりと理解できた瞬間であった。
「とまあ、あっちは姉さんに任せるとして、常中が使える氷室くんは二段階目からです」
「二段階目?」
「えぇ。私の修行は二段階に分かれていますから」
瓢箪を拭いていた隊員が集っていた庭先からの移動。
隊員を応援するカナエの声を背に、やって来た先は見慣れた場所―――もとい道場であった。
「さて」と振り返るしのぶが微笑みを湛える。
「一段階目は、先ほどご覧になった通り常中の会得。二段階目は……鬼ごっこです」
「鬼ごっこ? って、それじゃあまるで……」
「機能回復訓練、と言いたいのでしょう。そうです、私の修行はそれを踏襲した内容になってます。た、だ、し……」
―――相手が私であることを除けば、ですが。
そう告げるや浮かべる妖艶な笑顔。
甘く囁く声に、鼓膜から伝播するように全身がぶるりと震える。
「……なるほど」
「私は逃げる役です。制限時間内に捕まえてくださいね」
揶揄うような声色で告げる。
それに対し凛は、やる気が出てきたと言わんばかりに体の節々を鳴らす。
「本気でするのは何年ぶりですかね……」
「あっ、でも道場は壊さないで下さいよ。もしも床を踏み抜いたりなんかしたら、弁償してもらいますから」
「えっ!」
「当然でしょ」
驚く凛に思わず素を出すしのぶ。
しかしながら、しのぶの足は速いのだ。それこそ柱の中でもかなり上位に位置する程度には。
だからこそ手は抜けないと意気込んでいた凛であったが、“道場を壊さない”制限を設けられた途端、彼女に手玉に取られる己の未来を幻視した。
「それはまた……」
「やる前から負けを認めます?」
「いえ」
「よろしい」
難色を示す顔色であった凛であるが、しのぶに問われた途端、闘志に溢れた面持ちに変貌する。
一方、しのぶは予想していたと言わんばかりに応答するや、鬼ごっこを始める準備として距離を取った。
ふわりと羽織を靡かせて舞い降りる様は、さながら花にとまる蝶の如く。
「さ、始めましょうか」
―――捕まえられるものなら。
そう言わんばかりに浮かべられた挑発的な笑みもまた絵になるものだ。
「……やっぱりしのぶさんは綺麗ですね」
「……は?」
「あぁ、いや、聞き流してください」
「……ふんっ。挑発か何か知りませんが、貴方もそういうことが言えるようになったんですね」
ふいに漏らした褒め言葉に目を丸くするしのぶであったが、すぐに取り繕う凛の様子に、面白くなさそうに唇を尖らせた。
だが、当の凛はカラカラと笑って言い放つ。
「別に本心ですから。ただ、今まで口にしたことなかっただけで」
「……場違い、って言葉知ってます?」
「……ご、ごめんなさい」
「まったく、慣れないことをするから……でもまあ、ちゃんと褒め言葉として受け取っておきますよ。手加減なんてしませんけどね」
「それは勿論」
意図を汲めぬ言動を見せる相手を、一刀両断するしのぶ。
褒められて嬉しくないことはないが、それにしても時と場合がある。
(姉さんに注意されたばかりなのに……)
感情を制御できない剣士は未熟。
侮辱といった汚い言葉には慣れたものだが、それ以外となるとてんで弱いものだと悟ったしのぶは、頬を忙しなく上下させながら稽古をつけるのであった。
どうも彼の様子がおかしい―――一抹の不安を覚えながら。
***
「凛の様子がおかしい?」
「えぇ」
それは蝶屋敷に凛が訪れた日の夜であった。
怪我人の居ない蝶屋敷は、柱稽古のために訪れた隊員の寝床として開放されている。
日中の疲れを癒そうと誰もが寝静まる中、しのぶが訪れたのは凛の親友たる燎太郎の下。岩柱の修行を最も早く課題をこなしたのは、炎柱の継子の中で凛が一番であった。燎太郎は、それに続く形で蟲柱の稽古に来た訳であるが。
「何か知りませんか?」
「う~ん……これといって思い当たる節はないがなっ! 因みに如何様におかしかったんだ?」
「……私に面と向かって『綺麗だ』などと」
「……口説かれたのか?」
「そういう訳じゃありませんが」
思わず語気を強めるしのぶ。
揶揄おうものなら、明日の朝餉に薬でも混入されかねない。そう直感した燎太郎は、喉まで出かかっていた言葉を唾と共に飲み込んでから、しばし考え込む。
「……すまん、分からんっ!」
「そうですか……」
「誰も彼も鬼の動向で神経質になってる時期だ。あいつも例外じゃないだろう」
「年相応に色気づいたとでも考えておきますか……」
「それはそれで凛も嫌だろう」
真面目な顔をして告げられる冗談に、思わず燎太郎が止めに入る。
身内が恋路に目覚めたなど、これまで無頓着であった反動から、やけに生々しく思えてしまう。
しかし、結局のところ凛の異変は堂々巡りで答えが出てこない。
うんうん悩んでいる間にも月は昇り、また日付が変わろうとしていた。
「何してるの?」
「あら、東雲さん。こんな時間にどうされたんです?」
「厠」
「花を摘みに行ったと言え、つむじ」
と、そこへやって来た厠帰りのつむじ。お淑やかさの欠片も感じない言葉遣いは相変わらずだ。
「そうだ、東雲さん。氷室君の様子がおかしいんですが、何か心当たりはありませんか?」
「凛?」
「些細なことでもいいんです」
細やかな変化の発見が得意なつむじだ。
きっと、何かしらの違和感を覚えているはずだと踏むしのぶは問いかけた。
一方、突然心当たりだなんだの聞かれたつむじは、適当に返事をはぐらかすつもりもなく、ここ最近の彼の様子を真面目に振り返る。
食事中や修行中、果てには挨拶の一挙手一投足まで。
確信を持って言い切れる違和感こそないが、喉に小骨が引っかかったような感覚を覚えたとすれば、
「岩柱……」
「悲鳴嶼さん? 彼が一体どうしたんです」
「痣を出す修行に混ぜてもらってた。私と燎太郎もだけど、凛だけさっさと終わらせてしのぶのところに行っちゃった」
「私、痣出なかった……」としょんぼりするつむじの証言。
聞く限り、痣を出す修行をしたものの、思うような成果が出なかったことから、次なる柱稽古へと向かったように聞こえる。
そもそも、本来柱以外に痣を出す修行をする指示は出されていない。
柱以下の階級の隊員は、例え継子とて柱稽古が優先されるだろう。
責務と感情を天秤にかけた際、前者を取るくらいには精神的成長を遂げている凛のことだ。痣を出す修行をするとは言え、先に柱稽古を全て済ませようという魂胆なのかもしれない―――しのぶはそう考えた。
「でも、痣が出なかったからというには気色が違うような気がしますけれど……」
「ん」
「どちらにせよ、俺達でも中々気づけない変化なんだ。上弦の鬼との戦いの前に色々思うところがあるんだろう」
「だといいんですが」
しのぶにとっても凛は気の置けない友人だ。
自分が出来ることならば、手を貸してやりたい気持ちもある。
だがしかし、彼も彼で助けが要る時は素直に口にする性質だ。現に何も相談してこない以上、むやみやたらと詮索するのは無粋とも考えられる。
ただ待ってあげるだけ―――それも淋しい気がするが、自分達も立派な大人と呼んで差し支えない年齢だ。
もしも普通の暮らしをしていれば、殺し合いとは無縁の世界で金を稼ぎ、美味しい物を食べ、好きな人と結ばれ、子供を設けて―――そうした日々を過ごしていたかもしれない。
そうでなくとも、一人で生きていけるだけの力や知識を身につけたはずだ。
自分の行動に責任を持つ。それが当たり前になるのが大人というもの。
(だとしても、私には青く見えますね……)
それでも、良い意味でも悪い意味でも青々しさを残す大人は居る。
彼がどちらなのか―――それはまだ、しのぶには知りようもないことであった。
***
鬼殺隊にちょっとした朗報が―――人によっては凶報だが―――伝わった。
それは水柱・冨岡義勇の柱稽古参加だ。当初、参加に消極的な姿勢を見せていた彼であるが、噂によれば同門の後輩・竈門炭治郎の説得により、決心がついたようである。
こうした事情もあり、急遽行く先を煉獄邸から冨岡邸のある千年竹林を目指す凛。
鬱蒼と生い茂る竹林は、その名に違わず空を衝かんばかりに高く伸びている。耳をすませば、笹が擦れる騒めきが耳を撫でる心地よさを覚える、何とも穏やかな場所であった。
「案内は要る?」
「わぁ、真菰!?」
颯爽と冨岡邸を目指す途中、突然前から現れた人影。
それは不死川邸で一度見かけた真菰であった。
口でこそ驚いた様子を見せる凛であるが、事前に気配を察していた為、表情はにこやかだ。
「こんなところでどうしたの?」
「どうしたもこうしたも、義勇の屋敷に向かう途中で見かけたから声を掛けてみたんだ」
「案内するかどうかって? よく訪ねるんだ」
「継子だからねぇ~。しょっちゅう通ってるよ」
「言われてみればそっか」
軽く談笑した後、歩幅を合わせて竹林を進む二人。
はらはらと舞い落ちて積もった笹を踏みしめながら、さらさらと竹林を流れる騒めきに耳を傾ける。
不思議と無言になる幻想的な空間。
舗装された道の両側には天高く伸びる竹が密集している訳だから、前後しか視界が開いていない。
後ろを振り返る理由もない為、ただただ前を見つめて進む。
代り映えのない景色は、ずっと眺めていればどこか見知らぬ世界へと続いていそうな気さえした。
「綺麗だね」
「うん」
「いつもこの道通ってるんだ」
「春には筍とかも取れたりしてね。今度ごちそうするよ」
「ふふっ、ありがとう」
「どういたしまして」
何気ない会話。
だが、鬼殺隊として生きる以上、
景色の美しさに胸を打たれる一方で、締め付けられる痛みも覚える。
平々凡々なやり取りの大切さを知った今だからこそ、凛は噛みしめるように真菰と歩む道を進んでいた。
すると、「あ、そういえば」と真菰が声を上げる。
「ずっと前、竹の花を見かけたんだ」
「花? 竹って花が咲くの?」
「咲くよ。何十年……ううん、百年に一回あるかないかって鱗滝さんから聞いたけど」
「わぁ……途方もない話だね。でも、真菰は運が良かったんだね」
「うん、凛のおかげだね」
「え?」
脈絡のない感謝に戸惑う。
が、揶揄うような笑みを浮かべる真菰が語を継いだ。
「あれ、違う? まさか、選別で助けてくれたこと忘れちゃったの?」
「あ……いや、そういう訳じゃないけど」
「あの時助けてもらえなかったら、竹の花を見ることもできなかった」
突然、凛の前へ躍り出る真菰。
随分と改まった様子の彼女は、姿勢を正し、深々と頭を下げる。
「ありがとう」
過去にも告げられた言葉。
たった五文字の言葉だが、それを告げられる為だけにどれだけ血反吐を吐き、どれだけ死にそうな思いをしたか。
そう考えると、今更になって感極まる感覚さえ覚える。
じんとする胸を押さえる凛。
彼を前に、やっと面を上げた真菰は清々しい笑顔を浮かべてみせた。
「凛に助けてもらった命、ちゃんと大切にしていくからっ! 凛も……」
「真菰」
「……凛?」
やや恥ずかしそうにはにかんでいた真菰の手を取る凛。
突然手を握られて困惑する真菰であったが、蒼玉の如く青い瞳に見つめられ、視線を外すことができなくなっていた。
時が止まったかのように、竹林の騒めきも収まる。
不気味なくらいの静寂の中では、早鐘を打つ鼓動の音で頭が狂いそうになってしまう。
掌を伝わる体温は、融けてしまいそうに熱く―――。
「―――僕と……結婚してくれないか」