鬼滅の流儀   作:柴猫侍

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弐拾漆.血脈相承

「よろしくお願いします、冨岡さん!」

「……ああ」

 

 千年竹林の奥に佇む冨岡邸。

 人の立ち寄らぬ、それこそ俗世から隔離されたような幻想的な空間は、義勇という人間を表しているようだった。

 一言で言えば寡黙。極度に口数の少ない彼の真意を汲み取るのは、深く冥い水底から一つの石ころを拾い上げるに等しい。

 

「ここでの柱稽古は何をするんですか?」

「……反射神経を鍛える。できて当然の修行だ」

「なるほど……」

「……」

「……」

 

 静まり返る場。

 淋しく吹き渡る風は、竹林の水分を含んでいるからか生温かい熱を孕んでいるように感じた。

だが、場に流れる気まずい空気がそれだけでは理由ではない。

 てっきり内容についても触れられると考えていた凛は、さわりにすら触れず口を噤んだ義勇を前に立ち尽くす。

 

 と、その時、助け舟を出す人間が一人。

 

「『自分が育手の下で修業していた頃の稽古だから、皆もそんなに身構えなくていいよ』って意味だよ」

 

 義勇の隣に立っていた少女・真菰が、彼の言葉を通訳した。

 胸中でこそ思っているが、口に出さない内容がほとんどの彼の意図を汲み取れるのは、長年継子として傍に居た彼女だからこそ出来る芸当と言えよう。

 

「なるほど。ありがとう、真菰」

「ううん、気にしないで」

 

 礼を告げられ、ほんのり頬を紅潮させる真菰は凛から視線を逸らす。

 得も言われぬ気まずさを漂わせるのは、どうやら義勇だけではないようだ。

 しかし、他人にはあずかり知らぬ事情を抱えている真菰は、気を取り直すように呼吸を整える。

 

(凛ったら、私にあんなこと言ったのにどうして普通にできるんだろう……?)

 

 全集中とも違う熱が全身を駆け巡る。

 それは昨日の出来事。他愛のない会話の途中で告げられた一言が原因であった。

 

 

 

―――僕と……結婚してくれないか

 

 

 

 突然の告白。

 まったくの兆し無く告げられた言葉に、真菰は大いに戸惑った。

 凛とは良い友人として付き合ってきたことは事実だが、自分も向こうも異性として意識はしていなかったはずだ。

 それが突拍子もなく結婚を申し込まれたのだ。戸惑わない方が無理という話である。

 

 出会いに恵まれない鬼殺隊の剣士として、あるいは一人の女性として添い遂げる意志を伝えてくれた異性が居る事実は喜ばしいだろうが、それにしても急だった。

 

 一体いつから心に決めていたのだろう。

 そんな考えが昨晩から脳裏を過り、真面に眠れぬまま夜が明けてしまった。

 

 このような浮ついた話、鬼狩りとして生きる道を選んだ以上、鬼を滅殺し尽くすまで断ろうと決めていた真菰であったが、いざ面と向かって婚姻を申し込まれると断れないものだ。

 一晩持ち越した問題は胸の中でどんどん膨れ上がり、今や彼の顔を直視することさえ叶わない。

 

 自分に斯様な乙女心が残っていたとは―――そのような驚きと羞恥で早鐘が打たれる。

 

(どうして? 凛……)

 

 告白され、自覚する恋慕。

 特段彼に好意を寄せていた訳では―――特別ではなかった。

 それでも、彼にとって自分が()()だった事実が、どうしようもなく嬉しくも思えてしまう。

 家族としての愛情は、鱗滝や義勇、そして錆兎に与えてもらった。

 だが、きっと彼が与えようとしている愛情は、それとはまた違うものなのだろう。

 

(私……)

 

 潤んだ瞳で見据える彼の背中は、やけに歪んで見えた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 義勇が課した修行は、要約すれば山の中を駆け抜け、目的地まで辿り着くという至って分かりやすいものであった。

 だが、そこは柱稽古だ。ただ駆け抜けられるはずもなく、道中には至る場所に罠が仕掛けられている。丸太が降ってきたり、時には落とし穴が彫られていたり―――といった具合だ。

 

 鬱蒼と木々が生い茂る山の中は視界が悪く、一町先まで見渡す等もってのほか。

 不明瞭な視界の中、上手く隠された罠を回避するにはかなりの神経を注がなければならない。

 

「よっと!」

 

 しかし、気配に敏感な凛にとって、この修行を完遂するのはさほど難しい話ではなかった。

 一日ごとに難易度が上がっていく修行を大きな怪我もなくこなした彼は、早々に義勇の下から発ち、最後の柱稽古の地となる煉獄邸へと足を向けた。

 これまた久方ぶりの来訪となる。

 気分としては実家に戻るそれだ。杏寿郎は勿論のこと、千寿郎や槇寿郎に会うことも楽しみにしている。

 

(家族……かぁ)

 

 凛は昨晩の告白を思い出す。

 我ながら突拍子のない真似に出てしまった自覚はある。色恋沙汰に疎い自分でさえ、他人からの見聞で、もう少し段階を踏むべきものだと考えていた。

 しかしながら、結局のところは逸る想いのままに婚姻を申し込み、彼女を大いに困らせてしまった。

 

(……カナエさん辺りに相談するべきだったかな)

 

 今になって後悔が過る。

 が、言ってしまったものは仕方がない。後は天に任せて答えを待つばかりである。

 

「おーい、凛!」

 

 聞き慣れた声で呼ばれ、振り返る。

 

「冨岡さんの修行、終わったんだね」

「まあな!」

「ん」

 

 安心する面子が揃い、思わず頬が綻ぶ。

 兄妹か、はたまた姉弟のように並んで駆けつけてきた燎太郎とつむじ。

 

「……」

「凛、どうした? 急に黙りこくって」

「お腹痛い?」

「ううん、皆身長伸びたなぁ~って」

「なんだ、藪から棒に」

 

 急に口を噤んだかと思えば、己も含めた三人の成長を感慨深そうに耽っているらしい。

 

「本当……二人共立派になったよ」

 

 燎太郎は、義理人情に溢れた情熱的な男性に。

 つむじも、他者に理解を示す見目麗しい女性に。

 

「僕なんかと友達になってくれてありがとうね」

「……」

「……」

「あれ? 二人共、どうしたの」

「やっぱり変だな」

「うん、変」

「変? なにが……」

 

 目が点になる凛を前に、颯爽と詰め寄る二人。

 燎太郎のみならず、つむじでさえも深刻そうな面持ちを浮かべて詰め寄るものだから、凛も思わずたじたじと数歩後退る。

 しかし、それを許さずじりじりと距離を詰める二人は、逃げられぬよう両手を組んでまで囲い込む。

 

「さあ、観念しろ!」

「観念しろって言われても……ねぇ」

「白を切るつもりならお腹に風穴が空くことになる」

「脅迫……っ!?」

 

 こうも脅されれば、心当たりがなくとも最近の出来事を虱潰しに言わざるを得ない。

 

「え……真菰に申し込んだこと?」

「申し込んだ? 何をだ」

「何って……結婚」

「結婚」

 

 親友の口から告げられた言葉を、頭の中で何度も何度も咀嚼する燎太郎。

 血痕? いや、決闘の聞き間違いか? だが、確実に彼は「ケッコン」と言った。血痕では意味が通らない。そうなると必然的に残されたのは、

 

「け、結婚だとっ!? 誰にだ!!」

「真菰って言ったじゃないか……」

「真菰だと!? そういう仲だったのか、お前達!!」

「そういう訳じゃないけれども」

 

 慌てふためく燎太郎に対し、凛は「てへへ」と軽くはにかむ程度で済ませている。

 誰にでもときめいてしまう蜜璃も大概であるが、彼が見合いにおける仲介人のような存在も無しに結婚を申し込む積極的な人間だとは思っていなかった。

 なにが「立派になった」だ。お前の方が別の意味で立派になろうとしているではないか。燎太郎は今にでも叫びたい気分になっていた。

 と乱心になりそうだった彼は、一旦平静を保つ為、つむじとの包囲網を解いてから青空を拝み念仏を唱え始める。

 

 傍から見れば奇行そのものだが、大して気にしていないつむじは、凛に純粋な疑問を投げかけた。

 

「結婚って何?」

「血の繋がってない男の人と女の人が家族になること……かな?」

「じゃあ、私と凛と結婚してる?」

「う~ん……たぶん、家族は家族でも意味が違うかなぁ」

「へぇ」

 

 すぐに納得するつむじ。蝶屋敷で垣間見た家族―――カナエやしのぶのような姉妹関係とは違い、彼女達とカナヲやアオイのような関係を想像していたのだろう。

 なにはともあれ、つむじ自身は凛の答えに満足したようだった。

 だが、そうは問屋が卸さない。

 

「凛!」

「そんなに大きな声出さなくなって聞こえるよ」

「それが出さずにいられるか! で、返事はどうだったんだ!?」

「まだ返って来てないけど……」

「断られたという意味か!?」

「そうならないことは願っているけれども!」

 

 やや早合点する燎太郎を抑えながら、凛は事の顛末を話すことにした。

 

「ほら、やっぱり鬼殺隊(ぼくら)って大変な仕事だし……結婚できるなら早めにした方がいいかなって」

「ううむ……そうか」

 

 昔―――それこそ、初めて三人が一緒に集まった任務で訪れた家。

 婚約を交わしながらも、残念なことに鬼に殺されてしまった隊員が居た通り、鬼殺隊はいつ死んでもおかしくない。

 ならば、結婚できる内にしておこう―――そう考えていることを、凛は告げたのだった。

 

「そういう訳なら納得だ。俺も縁があるよう祈っているぞ!」

「うん……ありがとう、燎太郎」

「頑張れ」

「つむじもありがとね」

 

 二人からの声援を受け、微笑みを湛える凛。

 それから三人―――特に燎太郎は、親友が結婚するかもしれないからと居ても立っても居られないようで、煉獄邸へ全力疾走で向かっていってしまった。

 当事者以上に落ち着きがない彼を追いかけ、凛とつむじは、いざ最後の柱稽古の地へと急いだ。

 

 三人を急かすように吹く風は、穏やかな熱を帯びていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 緊張した空気が場を支配する。

 息を飲むことさえ躊躇われる圧力が体に圧し掛かっていた。あるいは、覇気や殺気とも言い換えられるだろう。

 余りの“気”を発する彼の姿は、さながら陽炎のように揺らめいている。

 つま先から頭の天辺まで―――加えて、木刀の(きっさき)に至るまで微動だにしないにも拘わらず、だ。

 

 我が師ながら凄まじい。

 今まさに対峙していた凛は、水鏡か銀盤か。心の水面に波紋は立っていない。欠片も臆した様子を見せず、堂々と向かい合っていた。

 

 共に構えるは木刀。されど当たり所が悪ければ大怪我は必至。

 それを理解しているからこそ、巻き込まれぬ距離から見取り稽古をしていた隊員は、ゴクリと生唾を飲み込み、戦いの行く末を見守る。

 

 始まりは突然だった。

 ぐらりと揺れる杏寿郎。灯っていた日が吹き消されたのは、一瞬の出来事だった。

 遅れて聞こえる爆音より疾く刃を振るう。眼前にはすでに姿勢を低く構えて吶喊してきた杏寿郎が居た。

 

 振り上げられた木刀は流麗な弧を描く。

 幾百、幾千、幾万と振るってきた刀の道にブレはない。彼の人生が如く、只管に剣閃は真っすぐであった。

 

 そのまま振るい抜ければ顎を打ち砕く一閃。

 だがしかし、杏寿郎の動きに応じて身を反らした凛は、紙一重で剣閃から逃れた。直撃こそしていないが、斬撃の余波が肌を殴るような衝撃を覚えた。

 

 慣れたものだ。

 今更、この程度の衝撃に狼狽える自分ではない。

 避けられても尚仕掛ける杏寿郎に対し、凛は両手に握った木刀で次々に繰り出される斬撃を捌いていく。

 ただ受け止めるのではない。刀が摩耗せぬよう細心の注意を払い、最小限の力で()()()()

 

 絶えず流動し、変幻自在の型を為すのが水の呼吸。

 そして、水が凍てつけば氷と為る。

 

 音が変わった。

 刹那、攻勢から一転。杏寿郎は直感のままに身を屈む。

 目に見えぬ速度で後頭部へ刃が振るわれたのは、その直後だった。

 

 氷の呼吸 零ノ型 零閃

 

 見事。杏寿郎の頭に素直な称賛が過った。

 幾度となく稽古として刃を交えた。その度に目の当たりにした型であるはずなのに、今尚放たれる度に肝を冷やす。

 数を、そして時を重ねるごとに速さと正確さを増していく型。

 見る者の心を奪う剣舞は、滑らかで、それでいて力強い。

 

 ほんの数秒でも気を取られれば、瞬く間に激流に呑み込まれ、あるいは吹き荒れる吹雪にやられる目に遭うだろう。

 

(何故だかな。君の剣を振る姿には、君だけではない人の影が見えるんだ)

 

 二つの剣技を極める等、本来正気の沙汰ではない真似だ。

 しかしながら、彼はこうして刃を振るう。決して他者に見劣りしない―――いいや、寧ろ凌駕していると言って差し支えない程に。

 その所為だろうか。杏寿郎は、二つの呼吸を織り交ぜて戦う彼の姿に、自分の知らない誰かの影を幻視した。

 

 育手か、はたまた―――。

 

(……聞くのは無粋か)

 

 仮に、今の凛の原点となる人物が居たとして、それが誰かを詮索するつもりはない。

 生死も安否も眼中にはなく、ただひたすらに、彼の刀捌きを目の当たりにすれば幻影の御仁は喜ぶことだろう。それだけ理解できれば十分だったのだ。

 

 それからも二人は刃を交えた。

 飽くるまで、永く、永く……。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ふぅ、さっぱりしたぁ……!」

 

 杏寿郎との手合わせ後、千寿郎の好意に甘えて風呂に入っていた凛。

ホカホカと上気する肌からは、じんわりと汗が滲み出てくる。それが夕刻の涼やかな風に吹かれれば、ここは極楽だと思える清涼感を覚えた。

 

 まだ庭では修行が続いており、ひっきりなしに木刀を打ち合う音が響き渡っている。

 最後の柱稽古とあって、茜色に澄み渡る音も苛烈そのもの。

 まだまだ続きそうな予感にフッと笑みを零す凛は、代えの隊服に着替え、杏寿郎達が居る庭先を目指す。

 

「凛」

 

 その時、可憐な声が聞こえた。

 

「……真菰?」

 

 振り返った先に佇んでいたのは、俯いている真菰であった。

 震えた手で羽織を握っているが、何かに恐怖しているのではなく緊張している―――風に乗って運ばれる“熱”が教えてくれる。

 

「どうしたの?」

 

 と、上ずった声で問いかけた。

 だが、凛自身彼女がどういった要件で自分の下を訪ねたのか、まったく想像できない訳ではない。半ば、「あれかもしれない……」と推測しながら、彼女の答えをまった。

 忙しなく瞬きをする真菰。視線はあちらこちらへと泳いでおり、じっと自分の瞳を見つめる凛の視線から逃れているようであった。

 それから何度か金魚のように口をパクパクと開いていたが、聞こえるのは乾いた呼吸の音だけ。望んだ答えが出てくることはなかった。

 

「どうして……」

「?」

「どうして……私なの?」

 

 やっと出てきた言葉がそれだった。

 他にも相手は居たかもしれない。それこそしのぶのように気の置けない間柄の女性は居たはずだ。

 それが何故、よりにもよって自分だったのか。真菰は不思議で仕方がなかった。

 

 彼女の問いを聞いた凛は、口をあんぐりと開けたまま、しばし思案する。

 まるで明確な答えを持っていなかったかのように考え込む彼は、口腔の渇きに気がつき、一旦口を閉じてから紡ぐ。

 

 恥ずかしそうに、初々しい表情で。

 

「どうしてって……はっきりした理由を聞かれたら困っちゃうけど……」

「うん……」

「支えたいと思ったから」

「え……?」

「それに……支えてもらったから」

 

 支えたのは藤襲山で。

 支えられたのは流の死で。

 

「そういうのが、家族なんじゃないかなって」

 

 苦しい時や悲しい時、傍で支えた―――そして、支えてもらった相手が真菰だった。

 

「後はそうだなぁ……誰かと結ばれたいって考えた時、真菰のことが好きになってきた。そんなに感じかな」

「……ぷっ、なにそれ」

 

 大層な理由を期待していた自分が馬鹿馬鹿しくなり、思わず吹き出してしまう真菰。

 

(なんだ……そのくらいでいいんだ)

 

 誰かと結ばれたいと願うのは、思っていたよりもずっと……ずっと単純だった。

 

「私も……凛のこと好きになってきたかも」

「真菰……」

「答え……ここで返してもいい?」

「う、うん」

「私は―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「緊急招集―――ッ!! 緊急招集―――ッ!! 産屋敷襲撃……産屋敷襲撃ィ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「!!?」」

 

 終幕は突然に。

 想いを告げる暇もなく、決戦の狼煙は上げられた。

 

 鬼殺隊と鬼。

 

 長年に渡る因縁の決着が今夜、つけられようとしていたのだ。

 




*玖章 完*

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