鬼が跋扈する無限城の中、一陣の炎と風が駆け抜けた。
炎の呼吸 壱ノ型
風の呼吸 壱ノ型
互いの刃を干渉せぬよう、それこそ神業的な阿吽の呼吸で型を繰り出した燎太郎とつむじの二人は爪を掲げていた雑魚鬼を斬り伏せる。
「ええい! 鬼の出没が止んだと思えば……これだけの鬼を揃える為だけに大勢を犠牲に! 無惨め……あの鬼畜! 必ずやその頚を斬り落としてくれる!」
「まずは目の前の鬼に集中」
「分かっている!」
珍しくつむじに宥められながらも、燎太郎の苛烈な攻撃の手は正確に鬼の頚を刎ね飛ばしていく。
敵陣のど真ん中に引きずり込まれたとは言え、この獅子奮迅ぶり。否応なしに始まった決戦に恐れおののいていた隊士たちも二人の戦いぶりを見てみるみるうちに士気を高めていく。
「あれが炎柱の継子……す、すごい!」
「そりゃそうさ! 時期が違えば柱になっていたような人たちだ!」
「続け! 鬼共を駆逐してやるんだ!」
おぉー! と日輪刀を掲げる隊士。
当のつむじはと言えばふんと鼻を鳴らすだけ。淡々と下弦程度の力を持たされた鬼を一匹、また一匹と屠っていく。
しかし、広大な景色の奥から湧き出てくる鬼の数は夥しいの一言に尽きる。さながら蟻のようだ。
「キリがない」
「知能がない分倒しやすいが……これで消耗を狙っているつもりか!」
「残っている上弦はいくつだっけ?」
「壱から参だ! だが、空席が補充されている可能性も無きにしも非ずだ! どの道有象無象を相手取っている余力はないぞ!」
「そっ」
頚を斬っても無惨は殺せない。
陽光で焙ることでしか、奴は死なない。
その為には是が非でも夜明けまで鬼殺隊が無惨を無限城から引きずり出さなければならないのだろう。
しかし、敵も黙ってやられる訳ではない。杏寿郎に深手を負わせた猗窩座に加え、流を含め大勢の人間を殺した上弦の弐、その上姿や持ち得る力さえも未知の上弦の壱が控えているのだ。彼らを倒さなければ無惨の下まで辿り着いたところで邪魔されるのは目に見えている。
故に可能な限り迅速に、それでいて戦力を温存した状態で上弦を殲滅しなければなるまい―――それでどれだけ地獄を見ようとも。
「カァー! 蟲柱、胡蝶 シノブ! 栗花落 カナヲ! 氷室 凛ト上弦ノ弐トノ戦イニ参戦!」
「! 凛のところに……!」
「しのぶ……カナヲ……!」
先程から鎹鴉を通じて知らされる戦況。
その中でも最初に上弦と遭遇したのは、同僚でも友人でもある特別深い親交を有す凛であった。しかも相手は流の仇敵。怒りが、そして憎悪が喉から絶叫と化して吐き出したい気分に苛まれて仕方がない。
(だが俺なんぞより凛が心配だ……!)
しかしながら、我が身の不快感よりも友への心配が勝る。
三人の中で最も流と親しかったのは紛れもなく凛だ。一見温和に見える彼も、実は激情に駆られる場面も少なくない。剣の腕こそ信頼しているが、鬼の戯言に耳を貸して怒り狂っていないか―――それが燎太郎の抱える懸念。
「逸るなよ、凛……」
「燎太郎、凛のとこに急ごう」
「む?」
「私たちなら、三人で戦った方がいい。違う?」
「―――いいや、違わないな!」
しかし、つむじの一言が燎太郎の不安を払い去る。
生まれ落ちてから今日までの年月と比べ、三人共に過ごした時間は長いと言って差し支えないだろう。四六時中寝食を共に過ごした訳でこそないが、常に頭の片隅には互いの存在があった。
―――心は常に一つ。
歯が浮くような台詞が脳裏に過る程、三人の絆は固く結ばれていた。
だからこそ断言できることもある。如何なる苦難に直面しても三人一緒なら乗り越えられると。
皆までは言わない。だが、他ならぬ
「行くぞ!! 俺達は……上弦の弐を討ち取りに行く!!」
「そういうこと。雑魚はお願い」
さりげなく道中の雑魚鬼を他の隊士に任せるつむじだが、士気が上がった彼らにとってはさほど苦戦せず倒せる相手だ。
意図せず合理的な采配をかませつつ、二人は鎹鴉の先導の下、仇敵と刃を交える友の加勢へ向かう。
「おおおおお!!! 待っていろ、凛ぃぃぃいいいん!!!」
「上弦……流の……仇……!!!」
赫怒のままに炎と風は駆け抜けていく。
心を燃やす氷。彼が命の灯火を削っているとは露知らず。
***
「はああああ!!!」
鬼気迫る叫び声が部屋を貫く。
振るう刃は結晶ノ御子の扇とぶつかり、悲鳴に似た金属音を奏でた。
氷の呼吸 肆ノ型 搗ち割り
息を吐く間もなく奔る紫電。
その度に舞い散る氷の破片が辺りに散らばること数秒、守りの薄かった部分を削られた御子は両腕を切り落とされる。
こうなれば頚はがら空きだ。血走った眼を見開く凛が剛力を発揮する腕を振り抜き、金剛のように硬かった御子の頚を刎ね飛ばした。
「わあ、凄い凄い! その子、俺と同じくらいの強さの技を出せるのに」
軽い声色で賞賛する童磨。
屈託のない笑みを浮かべながら両手の鉄扇で二人の鬼狩りをいなす彼は、続けて悪戯な笑みを湛え、扇を仰いだ。
「それなら次は……
「ッ……!!」
たった今倒れた御子だけでなく、また新たに生み出された御子が凛の前に立ちはだかる。
“痣”を発現させ、ややもすると並みの柱以上の力を発揮する彼であったが、童磨の繰り出した血鬼術を前に攻めきれずに居た。
血鬼術 結晶ノ御子
童磨よりも小さな御子を生み出す血鬼術。
しかし、それは囮でもなければ単なるお飾りでもない。
矮躯から繰り出される数々の冷気や氷を伴う血鬼術は、主である童磨と比べても遜色ない。加えて一体だけでなく複数体―――それも際限なく生み出せるのが、この血鬼術の恐ろしい所以であった。
(くそ! なんて出鱈目な能力なんだ!)
余りにも凶悪な血鬼術に凛は内心吐き捨てた。
上弦の恐ろしさは猗窩座との戦いで身をもって知ったつもりだったが、童磨はまた別の意味で太刀打ちできない。
現に自分は自立行動する御子の相手で手一杯だ。
だからこそ加勢に来た二人へ視線を送るが、
蟲の呼吸 蜂牙の舞い “
花の呼吸 伍ノ型
神速の刺突と、その周りから生えるように繰り出される斬撃の繚乱。
蟲柱、胡蝶 しのぶとその継子、栗花落 カナヲの連携だ。師弟関係にある彼女たちの連携は圧巻の一言。常人であれば反応することさえできぬ連撃は、回避を許さぬと言わんばかりに童磨へ襲い掛かった。
「綺麗だね。見惚れちゃいそうだよ」
だが、彼は退かない。
血鬼術
迫りくる刺突と斬撃に応酬してみせる氷の波。
唯一、柱の中でも随一と謳われるしのぶの鋒だけは許してしまったが、カナヲの斬撃は全て防いでみせた。
「ぐっ!?」
だが、鬼にとって蟲柱の刃は毒牙に等しい。
刺突を受けた肩から全身に駆け巡る毒が童磨を蝕んでいく。毒々しい色合いに変色する肌に加え、吐血する姿はすぐにでも頚を斬り落とせると錯覚してしまいそうになる。
「カナヲ!!」
ただ、己の扱う武器が諸刃の剣と知っているからこそ、しのぶの掛け声には切迫した色が滲んでいた。
それに応えんとカナヲは跳んだ。
花の呼吸 陸ノ型
全身の捻りを活かした渦の軌跡が描かれる。
女性の体の特徴であるしなやかさを存分に発揮する一撃。それでいて
刹那、血と火花が咲く。
「うっ……!」
「カナヲ! 退きなさい!」
「惜しかったね。あとちょっとだったのに」
血を流したのは両者だった。
寸前で藤の毒を分解した童磨が振るった鉄扇が、カナヲの額を斬りつけたのだ。カナヲも童磨の腕の骨が垣間見えるほど深く斬りつけたものの、上弦の再生力を以てすれば大した傷とも呼べない。
分が悪いと飛び退く二人。決して彼女達が弱い訳ではない。柱と継子、そして痣を発現した者を同時に相手取れる童磨が異常なだけだ。
(毒の情報は鬼の間でも共有されている。調合を変えたところで組み合わせは限りがあるし、何度も使えば効力も薄れていく……! 毒でコイツは殺せない! 頚を斬るしかない! 斬るしかないのに……!)
(届かない……これだけ近づいても!)
二人がかりでも喰らい付くのが精いっぱい。
しかも、それができるのも血鬼術で生み出された御子を凛が相手取っているからこそ。仮に二人だけで戦っていれば、結晶ノ御子だけで手一杯だったに違いないだろう。
しのぶはギリギリと歯噛みする。己の手で止めを刺せない不甲斐なさは勿論、カナヲへ託す手を変え品を変えての補助も通用しない理不尽さ。
頭では分かっていたはずだった。上弦はこれまでに戦ってきた鬼とは比べ物にならない強さであると。
だが、いざ目の前にして刃を交えたからこそ、このどす黒く渦巻く悪感情を吐き出したくもなるというものだ。
「―――さっさと死んでくれません?」
蟲の呼吸
童磨の体に風穴が六つ開いた。
毒を一か所に打ち込むのではなく、複数箇所―――全身に満遍なく行き渡るように打ち込む。
しのぶが刃を引いた時には、童磨の上半身から六つの血柱が上がった。
例え毒がなくとも体勢を崩すには十分な連撃。受け切れなかった童磨も後退る勢いだ。
「いやあ! 本当に速いね。でも、速いだけじゃあ俺は殺せないかな」
血鬼術 冬ざれ氷柱
体を毒に侵されても平然とする童磨が鉄扇を構えれば、氷柱と呼ぶには巨大な氷の槍が浮かび上がる。
「師範!!」
花の呼吸 弐ノ型
突きを主体とするしのぶには捌き切れない氷柱の雨に、カナヲが割って入る。
間一髪、氷柱はただの氷の欠片となって降り注ぐ。
「助かりました」
「いえ。それより……!」
「うーん、息ぴったし。『師範』って呼んでいたけれど、君ってそっちの子の弟子か何か? それにしては呼吸が違うみたいだけれど……」
警戒する二人に童磨は話しかける。
さながら往来を歩む町娘に声をかける軟派者のような振る舞い。生死を分かつ戦いの中でするのだから、敵対する身としては気分が悪いことこの上ない。
不快を隠さぬ面持ちのしのぶは、今一度日輪刀を鞘に納めて毒の調合を変える。
(確実に毒の効果は薄れてきている……あと何回通用するか)
毒の原料が一緒である以上、どれだけ配合を変えても鬼の体は耐性をつけてくる。
持久戦は圧倒的に不利。
部屋に満ち満ちる極寒の冷気は確実に体から体力を奪い去っていく。体力面や戦術面から見ても長期戦になれば勝ちの望みが薄れていくジリ貧な戦い。しのぶも毒づきたくもなろう。
(それよりも氷室くんの体力が持つか……!)
斯様なジリ貧な戦いも、実際は凛が結晶ノ御子を一手に担っているからこそ。
そんな彼の体力も、人間の全力疾走が短時間しか続かないように永遠ではない。
“痣”。
それは寿命と引き換えに鬼神の如き力を得る呼吸法の極致。しかし、発現の条件そのものが人体の限界に差し迫る厳しいものだ。
心拍数が居百以上であることに加え、体温が三十九度―――常人ならば命に関わる状態。
この戦いに分岐点があるとすれば、それは確実に凛の体力が尽きる瞬間だ。
(コイツを倒せる可能性が一番高いのは彼……でも、その彼が足止めをくらっている!)
畜生! と今にでも叫びたい気分だ。
喉まで出掛かった言葉を寸前で呑み込み、しのぶは平静を取り繕った。
「お前に応える義務はありません」
「えー、つれないなぁ」
「どうしてもというのなら、さっさと自分でその頚を掻っ切っていただけません? 死体の貴方とだったらお喋りに付き合ってあげますよ」
「過激だなぁ。そんなしかめっ面をしていたら美人が台無しだよ」
軽口を叩いている間にも、可能な限り複雑な調合で毒を配合する。一秒でも毒で動きを止められる時間が増えるように、と。
(もしもこれで通用しなかったら……仕方ありません。
腰に下げた袋を意識するしのぶ。
無惨との決戦が近づき、鬼である珠世との薬の共同開発を始めてから、いつ戦いが始まってもいいようにと入念な準備は整えてきた。
鬼の情報共有能力から鑑み、無惨との対決まで可能な限り温存はしておきたかったが、使う間もなく殺されてしまえば元の木阿弥。
自分は弱い。理解している。
小さくて貧相な体では相応の力しか発揮できないことも重々承知だ。
それでも、それでもだ。
それでも怒りから発露する力の限りなさを、この鬼畜生に教えてやらねばなるまい。
しのぶとて数多の犠牲を目の当たりにしながら生きてきた。目の前で死に絶えた隊士や継子は数知れず。懸命に看護した者が本懐を果たせぬままに死に絶えていく遣る瀬無さや、その冷たい体を見送った虚しさ―――その全てを胸に刻み込んできた。
傲慢かもしれないと自嘲する。が、今まで眼前の鬼畜生を含めて遍く鬼の犠牲者の無念を晴らすべく、自分はこの場に立っているのだ。
しのぶは、そう己に言い聞かせた。
「カナヲ、構えなさい」
「っ……はい!」
しのぶの雰囲気が変わり、カナヲの目の色も変わる。
―――次で決める。そのような覚悟を匂わせる佇まいに、童磨も咄嗟に身構えた。
しかし、彼女の影は童磨の視界から線となって消える。
(速い!! 今までのどの攻撃よりも!!)
橋が踏み砕かれ、その度に舞い上がる木片と轟音が、辛うじて彼女の所在を知らす
複雑な軌道を描くしのぶの姿は、例え童磨の目を以てしても見切ることが叶わない速さ―――神風に乗り、翅を広げる蝶は舞う。
(氷室くん、今だからこそ言えることがあるんです)
ともすると、自分自身の骨が砕けそうになる脚力で
(私は―――貴方のことが好きだったんですよ)
線と化す景色の中、不意に走馬灯のように昔の思い出の場面が呼び起こされる。
淡く、鮮やかな日々の出来事。
その中で一際眩く輝くのは、彼の屈託のない笑顔。
(だから、人伝に貴方が真菰さんを想っていると知って……その時に初めて自分の気持ちに気がついたんです)
馬鹿だと笑ってください、としのぶは心の中で自分を嘲る。
(でも、後悔はないです。不思議と認めてしまったんですよ。だって
自分はどこまでも非力だった。愚図だった。
きっと彼が初恋。いつ死ぬと分からぬと覚悟した人生における最初で最後の恋だったはずなのに、気付いた時には手遅れであった。
けれど、悲恋に喘いで崩れ落ちる醜態など晒さない。
今胸に抱えるのは鬼狩りの剣士―――“柱”としての責務や、一個人の復讐心の他にもう一つ。
一人の女としての意地が。
(私に貴方の“心”は救えなかった。だから、せめて体を癒せるようにと……!)
彼は優しい人だ。自分の幸せそっちのけで他人の幸せを願う莫迦な人。
そして心が叫ぶのだ。
だから
(生かして……貴方を彼女の下に!!!)
ついに辿り着く童磨の懐。
視界の端で鉄扇を振り下ろす彼の姿が窺えるが関係ない。
咄嗟に風に煽られる羽織を投げ捨て視界を塞ぐ。姿勢は低く。小さい体だからこそ放り投げた羽織に隠れてしまえる。
たった一瞬であるが、敵の視界から彼女の姿は消え失せた。
最速を誇る蟲柱・胡蝶 しのぶにとって、敵の一瞬は毒牙を叩き込むのに十分過ぎる時間だ。
蟲の呼吸
振り下ろされる鉄扇も厭わず、鬼の弱点である頚目掛けて日輪刀を突き出す。
肉を掻き分け、骨に蜂が突き立てられる感触。手応えはある。このまま骨を貫かんとする勢いのまま足元を蹴り飛ばすしのぶは、追い打ちにと手元を捻った。
ゴリッ、と響く鈍い音。
頸椎を潰されたからか、童磨の体が大きく跳ねる。
明確な好機。これを見逃さぬのがカナヲだった。生まれつき特殊な“目”を持つカナヲの動体視力は並外れている。
童磨が鬼殺隊を観察して情報を得ているように、カナヲも無為に時間を費やしているだけではない。
僅かな筋肉の動きや姿勢から、次へつながる動作を予測する視覚の力。
神の寵愛を受けたかのような超人たる目を以てして、今の童磨は無防備であった。
(しのぶ姉さんが作った隙……必ず仕留める! カナエ姉さん、私を見てて! 私はもう……)
花の呼吸 肆ノ型
(自分の―――心のままに戦えるから!!!)
淡い桃色が線を描く。
刹那に放つ色は桜の花弁が舞うが如く。
(届……ッ!!?)
刃が童磨の頚へ達しようとする、その瞬間の出来事であった。
途轍もない寒波がカナヲを、そしてしのぶに襲い掛かる。完全に意識の外からの攻撃だった。何事かと目を向ければ、また新たな結晶ノ御子が扇を振るっている姿が垣間見えた。
「残念だったね」
喉に風穴があいている童磨があっけらかんと言い放った。
つまりこれは仕込まれた罠。二人はまんまと誘い込まれてしまったのだ。
(そんな……まだあの人形を出せるの!!?)
(糞!! 冗談じゃない!! 毒も大して効かずにこれほどの戦力を……ふざけるな!! なんで、なんでこんな奴が!!)
徐々に体が凍り付き始める。
一刻も早く退かねば凍り付くことは容易に想像できるが、カナヲと違ってしのぶの日輪刀は童磨に突き刺さったまま。加えて満面の笑みの彼が細身の日輪刀をがっちり握っているときた。これでは引き抜こうにも引き抜けない。
―――ならば、押すだけ。
「さっさと……死ねええええええッ!!! 糞野郎おおおおおおおおお!!!」
「あははっ、いじらしいなあ!」
ギリギリと柄を押し込みながら絶叫するしのぶを、童磨が嗤う。
「無駄なのは最初から分かってたはずだろう? いやあ、涙が出てくる! 無駄と分かってやり抜こうとする愚かさに! これが人の生の儚さ! 素晴らしさだ!」
「―――置き土産です」
「うん?」
童磨が血を被った。いや、
不意にしのぶが取り出した試験管。それを顔面に叩きつけられるや、ガラスが砕け散り中身―――血がぶちまけられたのだ。
「……お? この味わい深さ……さては稀血かな? でも風味からして男のかぁ。女の人の稀血の方が栄養もあるのに」
顔を滴り落ちる血液を味見する童磨が告げる。
対して、今も尚童磨に日輪刀を握られたままのしのぶは、型を繰り出す途中で身動きが取れないカナヲを蹴飛ばす。
「師っ……!?」
驚愕で目を見開くカナヲに、しのぶは左手で何かを訴える。
以前ならば平隊士でも使える者が多かった指文字。血鬼術という名の初見殺しを仕掛けてくる鬼に、鬼殺隊が長年戦ってきた中で受け継がれてきた確かな傳承だ。
鬼に知られることなく伝える情報。
それが窮地を打開する策だと道を拓くしのぶは、あれよあれよという間に凍り付いていってしまう。
(嫌だ!! そんな!! 逝かないで、しのぶ姉さん!!)
それが決死の特攻であることは火を見るよりも明らか。
銀色に覆われる景色に呑み込まれていくしのぶを見遣るカナヲは、くしゃくしゃに歪んだ顔のまま、例え届かいと分かりながらも必死に手を伸ばす。伸ばさずにはいられなかった。
だが、無情にもそのしのぶに突き飛ばされたのだ。今更彼女の下へ助太刀に向かうには間に合わない。
ただ見ていることしかできない―――最愛の家族の一人の死を。
そんな時だった。
不意に肩を後ろへ引き寄せる感覚が、彼女の視線を誘った。
(
血潮が尾を引き、遅れてむせ返る鉄臭さが鼻を刺す。
しかし、それ以上に目を引いた日輪刀の異変に釘付けとなったカナヲは、死地へと飛び込む男が繰り出す御業を目の当たりにした。
軋む悲鳴を上げる橋を蹴り飛ばし跳躍する凛。
身体の至る場所に刻まれた裂傷から血を流す彼は、流れるような太刀捌きで冷気を裂き、視界を切り開いて見せる。
(嘘)
そこからの光景は筆舌に尽くし難い光景が繰り広げられた。
超人たる動体視力を持つカナヲだからこそ、
零閃
御神渡り
霰斬り
細氷の舞い
搗ち割り
雪
白魔の吐息
垂氷
氷瀑
銀花繚乱
紅蓮華
白姫散華
流れ続く型が、童磨を守る厚い氷の壁を打ち崩す。
信じられぬ早業だった。そして流麗でもあった。
個々の型を無理やり繋げるのではなく、あたかも初めからそうあるべきだったかのように。
「―――へぇ、凄いね」
童磨でさえ、彼の剣技に目を奪われた。
本来繋がるはずのない型を、凍てつくような殺気と、燃えるように
金切り声が上がった。
カナヲは、童磨の武器である鉄扇の一部が腕ごと落ちてくる光景を目にする。続けて、氷が割れる水飛沫が上がる音色にて我を取り戻す。
「凛兄さん……!?」
「しのぶさん!! しっかり!!」
「ッ……氷室、くん……」
「しのぶ姉さん!!」
そしてか細くも聞こえてきた姉の声に、希望が滲んだ声を上げた。
あの一瞬の間、苛烈な剣戟を童磨と繰り広げた凛は、怨敵の腕を斬り落とすことより前にしのぶを救い出した。
しかし、状況は芳しいものではない。
「あのまま……私を見捨てて……頚を狙っていれば……」
「滅多なことを言わないでください。それに狙っても仕留めきれないと踏んだから貴方を助けたんです」
「それなら……構いませんが……とりあえず、ありがとうございます」
「わあ、お熱いね。もしかして付き合ってる? それならそうと言ってくれよ。男の人はあまり食べないけれど、折角愛し合ってる二人なら話は別だ! 俺の中でなら血肉までも混ざり合いながら永遠に共に生きることもできるぜ。どうだい、悪い話じゃないだろ」
何かをほざいている、と凛は童磨を一瞥するだけだ。
(しのぶさんはこれ以上戦えない……)
隊服ごと腕や脚が凍り付いているしのぶ。日輪刀を離せぬほどに手元に氷が張り付いている彼女は、最早低体温症一歩手前だ。
凛の温度感覚を以てして危険だと言わざるを得ない状態。命に関わらずとも凍傷は免れないだろう。
すぐにでも温かい場所へ連れて行かねばなるまい。しかし、冷え切った空気が充満しているこの部屋ではそれもままならない。
「……ごめんなさい。もしも動けるのなら、少しでも遠くへ―――」
「心外ですね」
「え?」
「私は……足手纏いになる為に来た訳じゃありませんよ。この体を壁にしてでも隙を作るくらいのことならできます」
「それは……そんなこと!!」
「ええ、ええ。分かっています……ですから、これを」
「これは?」
「貴方なら……使い方も分かるはずです……」
息も絶え絶えとなっているしのぶは、震えた手でベルトに通していた小型の鞄を凛に渡す。
「さあ、私のことは放っておいて……!! 奴を……!!」
「しのぶさん……」
「愛の告白にしては味気なかったね」
「!」
血鬼術 散り蓮華
童磨が先程までしのぶに冷気を出していた結晶ノ御子と共に血鬼術を繰り出す。
狙いは凛、そして傍に居るしのぶだ。
(さっき一瞬刀が赫く染まっていたような気がしたけれど……血塗れだったからそう錯覚しただけかな? まあ、どうせあの子を連れて逃げられなさそうだし)
―――これで詰みだよ。
凛の甘さを見抜いての広範囲攻撃。
助けた人を犠牲にしなければ生きられないだろう冷徹な寒波が、二人へと襲い掛かっていく。
「氷室くん!!」
「分かってます!!」
如何に凛が御子二体を倒した実績があるとはいえ、さらに本体が加わり、手負いの味方を守りながらでは話が違う。
ましてや、彼女を守るつもりなら尚更だ。
『―――ぉぉぉぉおおおおおお!!!!!』
(!? この声は)
だがしかし、
「おおおおおおおお!!!!!」
「ッ……燎太郎!」
「突っ込みすぎ」
「つむじ!」
三人なら、話は別だ。
三位一体の剣技が輝く。
「
「応!!!」
「うん」
氷と炎と風。
それぞれの呼吸の奥義と呼んで差し支えない大技が、迫りくる氷の花を蹴散らす。
「次から次へと湧いて出てくるね。キリがないや」
「爆ぜろ」
「ん?」
直後、発砲音が轟くと共に童磨の頭部が吹き飛んだ。
鉄扇で口元を覆っていたお陰で顎から下は無事だったが、それでも頭半分が一山いくらの肉塊と化したのは、童磨からしても今日が初めてであった。
「ごれはっ……半天狗と戦ってた子と同じ……銃って武器だね。中々面白い!」
短時間で再生する眼球は、銃口から煙を燻らせる日輪銃を構える女剣士を見つめる。
その間、童磨の懐へ滑り込むつむじ。銃の扱いに慣れてきたとは言え、やはり鬼の頚を斬り落とすには刀が一番だ。
旋風が吹き荒ぶ呼吸音を響かせ、緑色の日輪刀が牙を剥く。
風の呼吸 肆ノ型
疾風の如く振り上げられる斬撃。
だが、鋭い一閃は間に割って入る御子に受け止められる。
「
「頭を下げろ、つむじ!!」
炎の呼吸 肆ノ型
もう一体が逆につむじの頚をつけ狙っていたが、一拍遅れてやって来た燎太郎の剛腕から振るわれる斬撃が阻止してみせた。
(うーん、頭数が増えてきたなぁ。倒す分には問題ないけど、ちょっと面倒になってきたかな)
御子が二人を食い止めている間も頭部は完治した。
脳味噌が元通りになれば、それだけで思考が鮮明になる。
なる―――はずだった。
「っととと……?」
突如、足が
危なげによろめく童磨。
先程まで鮮明に澄み渡っていた思考や視界が、どんどん歪に歪んだものと化していく。色の境界さえ曖昧な惑いの世界へ。
(なんだ、これ? 頭がグルグルして……毒? いや、これは……)
思い当たるもの。
あの女の毒―――は、すでに耐性がついて大した影響は表れないはずだ。
ならばなんだ?
(血……脳髄が甘く蕩けるような味……まさか)
記憶力に長けた童磨が導いた
顔にぶちまけられた試験管の血、あれだ。
そこに何か絡繰りがあると踏む童磨だが、彼の―――いや、この場に居る全員の意表を突いたのは
「どぉありゃアアアア!!! 天空より出でし伊之助様のお通りじゃあアアア!!!」
『!!?』
天井を突き破り現れる猪の化け物……否、伊之助がちょうど真下に居る童磨目掛けて刀身が欠けた日輪刀を振り下ろす。
獣の呼吸 伍ノ牙
乱雑な太刀筋。故に読み難く、不意を突かれたこともあって童磨の体には無数の刀傷が刻まれる。
「ッ……!!」
「今だ、畳み掛けろォ!!」
燎太郎の掛け声と共にこぞって童磨へ押しかける鬼狩りの剣士。
総勢五名。今ならば御子の数と合わせても凛たちに分がある。
やるなら今しかない。好機が五人を駆り立てる。
(これは……不味いかも)
平衡感覚を失っている今、五人もの剣士に斬りかかられようものなら童磨と言えど危機感を覚える。
稀血から搾り取ったと思しき血液の幻惑作用は強烈だった。
恐らくは稀血本来の効果に加え、何者かの手によって追加の毒が盛られている。それは藤の毒とは別の代物。いや、もしかするとこれもまた“血”なのかもしれない。
(確か、流れ者の血鬼術が……)
迂闊だったと反省するも、時を遡ることはできない。
こうしている間にも刃は迫りくる。
頚を、鬼の命を焼き切る陽光を宿す刀が。
現状死の淵に立たされているのは
(仕方ない)
―――遊びはお終いにしよっと。
「なっ……!!?」
突如として水面より湧き上がる
彼らの振り下ろす手刀と口から紡がれる冷気は好機を一転させる。
“地獄”はまだこれからだ、と。