終話.生日足日
穏やかな春を迎えた。
温もりに満ち溢れた太陽が愛おしい。この感覚は、きっと死ぬまで一生忘れないのだろうと、一人心の中で結論づけた。
「よし……」
良くできた木製の義手を一瞥し、紋付袴を身に纏った青年は見慣れた部屋の中、一人胸に手を当てた。
緊張が解けない。心臓の鼓動が全身に響き渡るほど、体は固まってしまっている。
何度深呼吸したことだろう。
それでも尚体の強張りが解けないと知ると、諦めるように天井を仰いだ。
(流さん……僕―――)
無惨との決戦から一年。
この世に鬼は、もう居なくなっていた。
***
「わあ、可愛い~!」
着物姿のカナエは満面の笑みを咲かせた。
自然と頬が緩み、にへらと口角が上がっただらしない笑顔。ほわほわとしているようで凛とした佇まいを崩さない彼女を、こうも無防備にさせる理由は、腕に抱かれる存在以上にないだろう。
「うふふ、温かい。ムスっとしたお顔はお母さん似かな? でも、目の色はお父さんに似たのね! 紅玉みたいにキラキラしてて綺麗ね……名前はなんていうのかしら?」
「
「うぅ~……」
「あらあら、お母さんに抱っこしてもらいたくなったのかしら。はい、つむじちゃん」
黒い隊服―――ではなく、女物の着物に身を包んだつむじは、ぐずり始めた赤ん坊「風火」を受け取る。
間を置かず揺らしてあやし始めるつむじ。すると途端に風火は泣き止み、母親譲りの仏頂面を浮かべるようになった。
「よしよし」
「それにしてもつむじちゃんがお母さんだなんて、時間が流れるのも早いものね……」
「そう?」
「ええ。何気ない日常だけれど、『これが私たちが求めていたものなんだ』って。まあ、平和になったらなったで大変なことは色々あったけども、それも良い思い出だって言い切れる。それが以前と大きく違うものじゃないかしら」
感慨深そうに語るカナエは、蝶屋敷の庭に広がる花畑を見遣る。
一年も前は無惨との決戦で負傷した隊士の治療で、ベッドのシーツや着替えの洗濯物で溢れかえっていた庭だ。幸いにも蝶屋敷までは伸びぬ鬼の手だったが、カナエとしては否応なしに決戦の多過ぎる犠牲に胸を痛めたものである。
救いきれぬ命も大勢在った。一命をとりとめた隊士も四肢を欠損するなど、日常に支障をきたす重傷を負った者も居る。
それでも今では前を向けて歩く者がほとんどだ。
両腕に癒えぬ傷跡を負ったつむじも、こうして自分の子を抱き上げ、ふとした瞬間に母親らしい穏やかな笑みを浮かべる。
長年傍らで成長を見守って来た一人であるカナエは、それだけで胸がいっぱいになるような思いになった。
「……それにしても旦那さんの方が来るのが遅いわね。何かあったのかしら?」
「仏前式なんてするの初めてだって言ってた。多分その準備」
「お坊さんはお坊さんでやることがあるのね。彼のことだから張り切り過ぎてるのかもしれないけれど」
「十中八九それ」
「うふふ、お嫁さんが言うんだから間違いないわ。ねぇ~、風火ちゃ~ん!」
母親に抱かれて眠る風火の頬をつつくカナエ。
死にゆく者が大勢居た時代を経験したからこそ、生まれる新たな命の尊さに目頭が熱くなる。
「ヤダ、私ったら……」
「嬉しいの?」
「あら、分かる?」
「うん。だって……」
慈愛の眼差しを浮かべるつむじは、力強く、それでいて優しく我が子を抱きしめた。
「私もそうだったから」
***
「……胡蝶」
「お久しぶりですね、冨岡さん」
「……要らないだろう」
「……はぁ。相変わらず言葉が足りませんね。」
スッと机に差し出された祝儀袋を受け取りつつ、しのぶはため息を吐いた。
「『畏まった挨拶は要らないだろうから祝儀を受け取れ』……そういう意味ですね?」
「? 始めからそう言ったつもりだが」
「貴方の『つもり』ほど信用できないものはないんですよ! 誤解を生みたくないんだったら脳内に浮かんだ全文を口に出してください!」
「……変わったな」
「何が変わったんですか?! そういうのを一から十まで話してくださいと言ってるんです!」
再会して一分も経たずに烈火の如く怒るしのぶ。
どちらかと言えば穏やかな性格と見られる彼女だが、本来の性格の方は義勇にとって珍しいものだったらしい。
「……肩の力が抜けている。柱だった頃はどこか寄せ付け難い雰囲気があったが、不思議と表情が柔らかくなったな」
「初めからそう言えばいいんです! 初めから!」
「っ……!」
「心外そうな顔をしないでください。一体私が柱の頃にどれだけ貴方と組まされて苦労したか知ってます? なんでしたら今から溜め込んできたもの全部吐き出しても構わないんですよ」
「……不死川からもある」
「祝儀が、ですね。仲が良くなったようでよろしいですね!!」
微妙な間に実弥から預かって来た祝儀袋を差し出してくる義勇に、しのぶも苛立ちは収まらない。とは言え、これも慣れたものだ。
「はぁ……私、貴方みたいな人が鬼殺隊以外でやっていけるとは到底思えないんですが。そう言えば炭治郎君たちは? 一緒に来ると聞いていたんですが」
「表で鱗滝さんと話している。ちょうど煉獄も来てな。話が弾んでいるようだ」
「ああ、成程。それで話に混ざれないからさっさと祝儀を渡しに来たと」
「……」
「冗談ですよ。さあ、立ち話もなんですし、積もる話は中で聞きますよ」
「恩に着る」
今回の仏前式において受付の役割を担っていたしのぶは、自分の後を通りがかったアオイに任せ、屋敷の中を案内する。
「冨岡さん、妹弟子の晴れの日ですがお気持ちは?」
「めでたいことこの上ない」
「……いつもそのくらいに喋ってくれたら」
「何か言ったか?」
「いいえ、何も」
「……用意はどうなっている」
「衣装の方は滞りなく。着付けの方は甘露寺さんと宇髄さんの奥方たちに任せてますので大丈夫でしょう。一つ心配なことがあるとしたら燎太郎君が仏前式をやるのが初めてで、しっかり進行できるかくらいですが……まあ、どうとでもなるでしょう」
身内だけの式だ。最悪グダグダになっても笑い話の種になりいい思い出となるだろうと、もしもの話を想像したしのぶは頬を綻ばせた。
「それにしてもここ最近色んな人が結ばれてますね。大丈夫ですか、冨岡さん? 祝儀を払ってばかりで……ちゃんと自分の分のお金は残っていますか?」
「問題ない」
「そうですか」
「……良かったのか?」
「……何が、ですか?」
「風の噂でお前があいつを好いていると聞いた」
「どこから流れた噂ですか、まったく……」
義勇の口から飛び出す突然の噂話。
これにはほとほと呆れたとしのぶのため息も止まらない。
「いいですか? 確かに私は
「無理はしてないな?」
「なんでこういう時ばかり優しいんですか……ええ、無理はしてませんよ。寧ろ清々しています」
「清々だと?」
「初恋が彼で良かった、って。心の底から祝福できるんです。だから、私の気持ちはこれでお終い。これからは心機一転して、新しい出会いに期待するつもりです」
「そうか……俺は?」
「そうですねぇ……冨岡さんは……え? 冨岡さん? 冨岡さんですか?」
―――正確には『俺は結婚できると思うか?』だが。
見事に言葉足らずが故の勘違いを起こしたしのぶは、いつものように彼の言葉の裏を読むことなく、思考が停止してしまった。
「あ……え……」
「どう思う?」
「その……ちょっと、無理かなぁと」
「!? ……そうか」
哀れ。
勘違いから生まれた悲しいやり取りに、一人肩を落とす義勇。
しかし、その傍らを歩むしのぶは「まさか冨岡さんが……」と予想外の事態に動悸を激しくしていた。
それがときめきか、はたまたただの驚愕から故か。
真相は恋の波動を感じ取る恋柱にさえ判断できないが、今後、ほんのちょっぴりだけ彼女が義勇を意識してしまうようになるのはまた別の話。
***
「覚えてるか? 藤の家紋の家で、俺とつむじが喧嘩したこと」
「うん、覚えてるよ。あの時は本当に焦ったよ……二人ともピリピリしててさ」
「はははっ、済まんな! どうも頭に血がカッと上ってしまってな!」
「それが今や夫婦なんだよね。縁ってのは不思議なものだね」
「ま、まあな! まだ実感は湧かないが……」
「二人ともお似合いだよ! ずっと一緒だった僕が保証する」
「……ああ、ありがとう! だが、今日は他でもない
蝶屋敷の一室。
新郎が準備する部屋の中、互いを親友と疑わない男二人が談笑していた。
両者、左腕は木製の義手がはめられている。かなり精工な作りであるが、これは刀鍛冶の里に住む少年・小鉄が魂をかけて製作した逸品だ。祖先が絡繰りに精通している彼が、鬼との戦いで四肢を失った剣士のため、不器用ながらも魂を作り上げた義肢は、こうして二人の日常を支える役目を存分に担っていた。
負った傷は浅くないが、未来への歩みは確かに進んでいる。
「いやぁ、めでたいめでたい! 俺も今日の為にどれだけ仏前式がどういったものか、他の寺の坊さんに聞きに行ったか……」
「ありがとう、燎太郎。ホント……ホントに嬉しいよ」
「おっと! 涙を流すのはまだ早いぞ! そいつは式が終わった後の席までとっておけ!」
「うんっ……そうだね」
童磨との死闘の後、凛は生死の境目を彷徨った。
辛うじて意識があった燎太郎とつむじとは違い、鬼殺隊と無惨の決着がつくまで目が覚めず、その後も蝶屋敷に搬送された後も何度臨終しそうになったことか。
だが、傷口が凍結していたことで失血死する段階まで血を失わなかった凛は、奇跡的な回復を遂げて目を覚ました。
それが鬼の居ぬ世界となって三か月後の出来事。
それからは失った左腕にと義手を受け取ったり、師の下へ帰ったり、保留していた答えに色よい返事を返した真菰と交際を始め―――結婚するに至った。
「流さん、喜んでくれるかな……」
「ああ、きっとな」
未だに世界から鬼が消えていなくなった実感が湧かない。
無惨が消滅する瞬間を目の当たりにした者は兎も角、決着の瞬間を目にすることなかった凛は特に。
「……僕は何かできたかな?」
「なんだと?」
「童磨を倒した後……僕は殺された人たちに何もできなかった」
そして、失われた命も大勢いる。
普通の隊士も、柱でさえも。強大な上弦と鬼の始祖を相手取るには、今後鬼殺隊が成り立たなくなるほどの犠牲を払い、ようやく仕留めることができた。それも幾重にも重なった奇跡と数百年来の執念によって。
誰が死んでもおかしくなかった。誰も帰ることができなかった可能性だってあった。
それでも生き残った。生き残ってしまった。
復讐を果たした今、“復讐”を理由に生きる道もなくなった訳だ。
「時折思うんだ。僕だけのうのうと生き残っていいのかなって」
「凛……何を言ってるんだ。この世にはまだ鬼が蔓延っているぞ」
「え?」
伏し目がちになっていた凛が顔を上げれば、ドッ、と胸を小突く燎太郎の姿があった。
「お前の……俺達の胸には、まだ鬼への恨みや怒り……奴らに大切なものを奪われた悲しみが残ってる。それらが消えるまで、完全に鬼が消えたとは言い切れない」
胸に響く声が凛の瞳を揺らす。
拠所なく揺らいでいた光が焦点を合わせ、輝きを取り戻す。
その瞳が捉える先には、
「だからだ、凛。俺達に遺された役目は、そんな悲劇の記憶を後世に遺さないことだと思うんだ。戦いはまだ終わっていない。俺達が死ぬまでな」
「燎太郎……」
「だって俺達は“鬼殺隊”なんだからな」
「―――うん」
頷く凛。
再び顔を上げた時、彼の面には満面の笑みが咲いていた。
鬼から生まれた剣士。
鬼に育てられた剣士。
鬼と呼ばれた剣士。
彼らは鬼が消滅した世の中においても、鬼の遺した傷跡と戦う為に生きている。生き続けていく。
『きゃあああ!!! 真菰ちゃん綺麗!!! 可愛い!!! 素敵!!! 早く凛君にお披露目してあげようよ!!!』
『う、うん……!』
「お、向こうの用意が済んだようだな」
「う、うん……!」
「なんだなんだ! 緊張しているのか!? まあ気持ちは分からんくはないがな……しかぁーし!!! 一生添い遂げる花嫁の晴れ姿だ!!! しっかりその目に焼き付けるんだぞ!!!」
「あ、熱い……! もうちょっと、こう……厳粛な雰囲気とかはないの?」
「俺にそんなものを期待するな!」
「一応お坊さんでしょ! 仏前式、本当に大丈夫なの!?」
「気合いで乗り切るに決まっているだろう!!!」
「ヤダ、気合いで乗り切る仏前式なんて! 初めて聞いたよ!」
「親友のよしみだ、悪いようにはしない!!!」
「言い方! うわぁ、すごい不安になってきたぁ……!」
上り行く朝日を眺める、そんな日々の愛おしさを知るからこそ、彼らは内なる鬼の記憶を滅殺するべく、より良い幸福な思い出を追い求めていくのだ。
それこそが彼らなりの―――鬼滅の流儀なのだから。
***
時は現代。
「おっはよぅ、しの!」
「おはよっ、
「燎佳は部活の朝練があるからって先に行っちゃっててさ。ほら、新体操の全国大会が近いし。颯太郎は家のお寺の手伝いがあるって断られちゃった。しのも今日はカナミさんと一緒じゃないの?」
「お姉ちゃんも部活。折角だし、途中まで一緒に登校する?」
「そうしよっかな。あっ、そう言えば聞いてよ! この前部活の顧問の伴田先生って人がさー……―――」
平穏な日常は、今日も今日とて巡っている。
*鬼滅の流儀 完*
*あとがき*
こんにちは、柴猫侍です。
この度は『鬼滅の流儀』読了していただき誠にありがとうございました。昨今では原作を終えても尚凄まじい勢いを見せる鬼滅の刃ですが、そのような作品を元にして執筆する時間は楽しかったの一言に尽きます。
三人の主要人物、彼らを導く師の存在、オリジナルの呼吸・型、そして鬼の存在……特に吾峠先生の短編集をオマージュした部分もあり、短編集を読まれている方はその点に気付いておられる方も居ると思われますが、気付いていただければ作者冥利に尽きます。
そのほかにも原作の雰囲気を大事にしてみたり、三人の鬼殺に対する姿勢の違いからの衝突、オリジナルの鬼と彼らのバックボーンであったり、力を入れた部分は多々あります。
ただ、何より筆が乗っていたのは氷の呼吸の型を出していた時ですね! 毎度ひゃっはー! となりながら技名を綴っておりました。それぞれの名称の由来はまた活動報告にでもまとめてあげようと思いますので、気になる方がおられたら後日投稿される活動報告の方を読んでいただけたら幸いです。
途中、私事で投稿期間が空いたりもしましたが、なんとか完結にこぎつけました……。
これも全ては読んでくださった読者の皆様のおかげです!
寄せられるコメントの中には『鬼滅原作の中でも一番好き』ともあり、非常に嬉しかった記憶があります。
これで凛たちの物語は終幕でありますが、私個人の執筆活動は今後も続いてまいりますので、また別の作品で出会うことも、私も心待ちにしております。
それでは長々と失礼しましたが、改めてお礼の言葉をば。
読んでいただき、大変ありがとうございました!!!
柴猫侍でした! また別の機会に!