肆.羞花閉月
凛の初任務に合流した鬼殺隊士・伴田流は、鬼殺隊の戦力の要“柱”であった。
そのような彼がなぜ自分のような新人の下へ?
疑問は尽きぬが、手助けされたことは事実だ。彼に感謝を伝えた凛は、そのまま次なる任務へと出向いたのだが、
「あの……、えっと、流さんも……ですか?」
「ああ」
なんと流が付いてきたのだ。
「その、こう言うのもあれなんですが、僕なんかの付き添いに来て大丈夫なんですか? お時間とか……」
「問題ない。お館様からの伝令だ」
「あ、はい」
どうやら鬼殺隊当主直々の指示によるものだったらしい。
となれば、凛もあれこれ言えなくなってしまった。
柱という立場に加え、寡黙な流が隣に居るのは些か居心地が悪い。
他愛のない話を振れば、彼なりに答えてくれるため、根は優しいのだろう。
(う~ん、どうしたものか……)
しかし、次なる任務地に行くまでの道中の間に会話を振るにしても、中々気苦労が絶えないものだ。
盲目に加え、義手と義足。それに関わるような話題はできるだけ避けた方が良いと意識すると、ふとした日常生活についての話題も途端に振り辛くなる。
さらには道中の一目だ。奇異の目に晒されることに凛は慣れていない。
もちろん、それが自分へと向けられている訳ではないと分かっていても、居心地の悪さは禁じ得なかった。
(それにしても、その『お館様』っていう人はどうして僕なんかに……?)
わざわざ柱を差し向けるのだから、それなりの理由はあるはずだ。
だが、幾ら考えども答えが出ることはなく、そうこうしている間に、二人は次なる任務地へとたどり着いた。
先の漁村よりも賑わいを見せる普遍的な町。このどこかに人食い鬼が潜んでいるのだ。
「流さん。じゃあ、二手に別れましょう」
「……」
「……あの、流さん?」
「……お前がそう言うのならそうしよう」
「は、はい! では、ご武運を!」
そう告げて鬼探しへと向かった凛。柱相手に「ご武運を」等と、何様のつもりだと勝手に反省しつつ、鬼が潜んでいそうな路地裏などを捜索する。
それから凛が鬼と会敵したのは、時刻で言うところの丑三つ時であった。
鬼は年端も行かないような少女の姿をしていた。
だが、鬼としての脅威度は先日の脚鬼をはるかに上回っていた。凛を見つけるや否や、全身の爬虫類を彷彿とさせる鱗を顕現させ、口には蛇の如き鋭い牙を生やしたのである。
鱗は頑強かつしなやかであり、凛の剣捌きでも中々斬り裂くことが難しく、あまつさえ牙からにじみ出る毒を喰らってしまった。
そんな蛇鬼を、途中で合流した流は一太刀の下に斬り捨てた。
四肢を斬り飛ばし、胴体を上と下に別つ。それをたった一撃で。
華麗だと感嘆した。流麗だと驚愕した。そして、余りにも洗練された動きに恐怖さえ覚えた。
蛇鬼はそれでも一矢報いろうと毒液を飛ばしたが、今度は凛が毒液を掻い潜り、蛇鬼の牙を斬り落とした。
「あ……あぁ……」
バラバラにされ武器すら失った蛇鬼は、最早抵抗する意思すら失い、地べたから流を見つめていた―――恐怖の色に染まった瞳を浮かべ。
一方流は情け容赦なく頚を跳ね飛ばそうとしたが、凛が待ったをかける。
「流さん、僕にやらせてください」
「……なぜだ?」
「これ以上戦う意志のない相手を苦しめるのは……なんて言うか……凄く嫌な気持ちになるから。だから、痛みを与えないように……」
「……そうか」
あっさりと頷いた流に背中を押された凛は、「安心してください」と優しい声音で囁き、一閃。
氷の呼吸 伍ノ型
苦痛を与えぬ一閃が、鬼としての生に幕を下ろさせる。
当の蛇鬼はと言えば、雪が降り積もり季節に備えて永い眠りにつく生き物のような安らかな寝顔を浮かべ、灰燼と化していった。
「……干天の慈雨に似ているな」
「はい。お師匠様もその型から派生させたって……」
水の呼吸の伍ノ型・干天の慈雨は、自ら頚を差し出した鬼に繰り出す慈悲の剣撃だ。
喰らった鬼は、さながら乾いた大地に降り注ぐ優しくも温もりに溢れた雨に打たれるかのような感覚を覚え、苦痛など覚えることなく死ぬことができる。
雪もまた、鬼に対する慈悲を目的とした型だ。干天の慈雨との違いは、相手が頚を差し出さずとも繰り出せるという点である。
「鬼に情けをかけるのか」
「……全部否定したら嘘になっちゃいますけど、できるだけそうしたいなって」
やや厳しい声音で問いかける流にも臆さず、凛は続けた。
「鬼も人だったから……最期に一瞬でも人の心を取り戻してくれるのなら、まずは僕らが彼等を人として扱わなきゃって」
「……それはお前の経験か?」
「……どうでしょう」
はぐらかすような笑顔。
盲目の流には見えるはずもないが、それでもなにかと見透かしてくる彼の眼の前には、誤魔化さずにはいられなかった。
と、突然凛は眩暈を覚えて膝から崩れ落ちる。
「あ、あれ……なんだか、体が痺れて……」
「鬼の毒か……」
「そ、そういえば……」
蛇鬼の毒液を喰らっていたことを忘れていた。症状から察するに麻痺毒であるが、いつまでも放置していれば何が起こるか分からない。
このままどうなってしまうのかと凛が汗を流していると、徐に流が倒れた彼を担ぎ、走り始める。
「な、流さん……」
「喋るな、舌を噛むぞ。それともう一つ。呼吸で毒の巡りを遅らせろ。さもなければ後遺症が残るかもしれん」
「あ、あい」
若干舌足らずになりながらも、流に指示された通り呼吸を用いて毒の巡りを遅らせる。
そうこうしている間にも、流は竹製の義足で真夜中の町を駆け抜け、とある場所へと向かっていく。
どこへ行くのだろうと朦朧とし始めた意識の中で考えている間、義足とは思えぬ瞬足かつ無音の走りを見せた流は、とある屋敷へとたどり着いた。
(花の……いい香り……?)
意識が闇に落ちる直前、凛が流の背中越しに見たのは、
「―――大丈夫ですか?」
蝶を彷彿とさせる可憐で儚げな女性であった。
***
「う、う~ん……」
「お早いお目覚めですね」
「ん?」
窓から差し込む光に堪らず意識が覚醒した凛は、間髪入れずきつい声色の少女の声を耳にした。
寝ぼけたまま周りを見渡せば、簡素なベッドが並んでいる部屋の中で、一人真っ黒な装いをした少女の姿を目にした。
「えっと……ここは?」
「ここは花柱・胡蝶カナエが当主を務める蝶屋敷です」
「蝶……屋敷?」
「はい。貴方のように負傷した鬼殺隊士を運び込み治療する場所です」
「な、なるほど……」
若干刺々しい口調であることが気になるが、凛は一先ず笑顔を取り繕う。
「あの、治療してくれたんですよね? ありがとうございます。僕は氷室凛……よかったら、君の名前を……」
「胡蝶しのぶ。では失礼します」
「え!? あ、ちょっ……!」
名乗るだけ名乗り、「しのぶ」と名乗った少女はさっさと去ってしまった。
そんなに忙しいのだろうか?
見る限りベッドはそれほど埋まってないが、別の仕事があるのだろうか?
きっとそうだ。多分そうだ。
でなければ、単純に自分が嫌われているようで泣きたくなってしまう。
しばし打ちひしがれていた凛であったが、大分心が落ち着いてきたため、一旦考えをまとめる。
(流さん……どこに居るんだろう?)
義足の身でありながら自分を蝶屋敷まで運んでくれた流は何処へ?
お礼の一つも言わなければ気が済まさない凛は、体に若干の痺れを覚えつつも、少し動くには問題ないと判断するに至り、ベッドから抜け出した。
(う~ん、それにしても……)
始めて来た蝶屋敷を散策する中、凛は、
(ここどこだろう?)
見事迷子になった。意外と広かったのだ。
頃合いを見て戻ろうと思っていた手前の迷子。どうしたものかと悩みつつも歩いていれば、縁側にたどり着いた。
「あれ?」
そこで見つけたのは一つの人影。
目を凝らすと、長い黒髪を側頭部でまとめた可憐な容姿の少女が、縁側で一人日向ぼっこしているではないか。
髪留めも、先ほど去っていったしのぶと着けているものに酷似している。恐らく、蝶屋敷の住民なのだろう。
彼女に話を聞こうと決心した凛は、笑顔を湛えたまま座っている少女の隣で屈み、視線を合わせてから口を開いた。
「こんにちは」
振りかえる少女もまた笑みを湛えていた。
そして―――。
***
「それにしても伴田さん。どういった風の吹き回しなんですか?」
「何のことだ」
「またまたぁ。連れて来た子のことですよ。継子はとらないって言ってたじゃないですか」
「
「あら、そうなんですか?」
ほわほわとした雰囲気の女性が、茶を啜る流の前に座っていた。蝶を模した髪飾りを両側の側頭部に留めている彼女は、見るからに容姿端麗の美女。たたえる笑みは花のように穏やかであり、一挙手一投足に女性らしいたおやかさが見て取れた。
寡黙な流とは真逆な雰囲気の彼女もまた、鬼殺隊の隊服を身に纏っているが、その実只者ではない。
「それを言うならばだ、胡蝶。お前も何故しのぶを継子にしない。同門なんだろう?」
「それは……」
胡蝶 カナエ。“水柱”の流に対し、“花柱”と呼ばれる柱の一人である。
一般的に男性よりも筋肉量が少ないとされる女性の身でありながら、柱まで上り詰めた実力は本物。まさに才女。それがカナエであった。
だが彼女は、流に痛いところを突かれたと言わんばかりに沈痛な面持ちを浮かべ、ふと庭に目を向ける。蝶屋敷と言われるだけあって、傷病者の心の癒しとなるようにと植えられた色とりどりの花畑には、ひらひらと舞う蝶が集まっている。
そんな蝶に重ねるのは、たった一人の肉親である妹であった。
「しのぶには……普通の女の子になって、結婚して、子供を産んで、おばあちゃんになって……そんな普通の幸せを掴んでほしいんです。本当なら鬼殺隊だって辞めてほしい」
「だが、それを妹は納得しないだろう」
「ええ。最近では藤の研究も始める始末で……それが鬼の毒にも効く薬になるのは大発見だとは思うんですけれど、あの子の姿……とてもじゃありませんが見ていられなくて……」
カナエの妹・しのぶもまた鬼殺隊である。
しかし、華奢で小柄な体故か鬼の頚を斬るに足りる筋力を得られなかった。両親を殺された憎悪を原動力に、花柱まで上り詰めたカナエとは裏腹に、未だ鬼の頚さえ斬られないしのぶは途轍もない劣等感と焦燥に苛まれていた。
それ故に手を出したのが、鬼が苦手とする藤の花の研究。鬼が苦手であることには相応の理由があるはず。そう踏んだしのぶは、ここ最近時間を見つければ研究に没頭し、無ければ傷病者の看護にかける時間をギリギリまで切り詰めてまで時間を作った。
その鬼気迫る姿に姉のカナエは心配していた。
姉として妹を応援したいと思う気持ちもあるが、家族を危険な仕事に巻き込みたくない気持ちも譲れない。
板挟みになる想いから、カナエはしのぶを自分の継子―――柱が直接指導する将来有望な隊士として育成することに、あまり気が進んでいなかった。
「……暗い話になっちゃいましたね。話を変えましょうか! 伴田さん、どうしてあの子と一緒に居られたんです? 継子じゃないなら一体どうして……」
「お館様の伝令でな。あいつは稀血だ」
「稀血? 確かに稀血は鬼に狙われやすいですけれど、だからって伴田さんがわざわざ出向くようなことでしょうか……?」
「これに関しては俺個人の問題だ。寧ろ、俺がお館様に気を遣わせてしまっている」
「そうなんですか? でしたら余り詮索はしませんが……ちなみにどんな子なんです?」
「……鬼にも慈悲深い奴だ」
「あら! 優しい子なんですね……」
「そうだな。お前とは気が合うだろう。なんなら、お前が継子にでもすればいい」
「随分話が急ですね……その子が何の呼吸かもわからないのに」
継子とは柱から直接指導を受ける手前、一般的には同じ流派の呼吸である場合が多いのだ。絶対に同じでなければならないという決まりはないものの、同じに越したことはない。それが柱たちの共通認識である。
「氷と言っていた。水の派生らしい。花の呼吸は水の派生だったろう。そこまで問題はないはずだ」
「水なら伴田さんの方が得意ではなくて?」
「俺はこの体だ。根本的に五体満足の者とは体の使い方が異なる。変な癖をつけさせる訳にはいかない」
「ああ、だから前に勧められた子を断って……確か冨岡くんでしたっけ?」
「あいつはもう俺の指導を受けなくてもいい剣士だ。俺が死ねば、次の水柱はあいつだろう」
「もう、縁起でもないことをおっしゃって……伴田さん。貴方は水柱なんです。鬼殺隊の宝なんです。力だけじゃない……貴方の中に生きる経験こそが、次代の剣士を育てるのに何より必要なものでしょう。だから伴田さんは頃合いを見計らって水柱を冨岡くんに任せて、育手になっちゃえばいいんですよ!」
ポワポワとした空気を放ち、育手になることを勧めるカナエ。
しかし、流の表情は依然険しいままだ。
「それはならない」
「どうしてです?」
「約束したからだ。勝ち抜くと……勝ち抜いた先で証明すると」
「……一体、なにを」
「最強を」
盲目の瞳から放たれる視線がカナエを射抜く。
大正時代になる前―――明治時代から鬼殺隊として活動している流は、鬼狩りとして重ねた時間はカナエを遥かに上回る。
しかも、盲目に義手と義足と、本来であれば引退して然るべき身を押してだ。“柱”の中には盲目の者がもう一人居るが、それを踏まえても流の状態は凄絶である。戦うために血反吐を吐くような努力を重ねたことは想像に難くない。
だからこそ、彼が口に出す言葉の重みをひしひしと感じ取っていた。
「それは……修羅の道ですよ」
「安心しろ。修羅の道に入るより前に、疾うに俺は地獄を見ている」
「……」
流は顔面に刻まれた傷跡を指でなぞる。彼は本来盲目ではなかった。鬼から受けた傷により失明した身だ。
最後に目にしたものは鬼だったはず。それ以降、光を失った体で鬼と戦うのはどれだけ恐ろしいことだったろうか。“柱”であるカナエでさえ身震いするような寒気を覚えた。
「……止めはしません。でも、命を捨てるような真似だけは慎んでくださいね」
「ああ。でなければ、俺は無様に今日まで生きられていない」
自嘲するような言葉を吐きつつ、流は立ち上がった。
そんな彼を前にカナエは「そう言えば」と口を開く。
「あの子はどうするんですか?」
「……」
「ふふっ、考えてなかったんですね。とりあえず彼も伴田さんにお礼を言いたいでしょうし、病室に行ってみてはどうですか?」
「……ああ、そうしよう」
カナエに言われるがまま病室に向かう流。
一方、彼の背中を見届けたカナエはと言えば、
「そうだ、そろそろカナヲのところに……」
もう一人の大切な家族と昼餉を共にとるべき、いつもの縁側へと向かうのだった。
***
「え~っと……こんにちは」
「……」
返答はない。ただ、ニコニコと笑顔を浮かべる少女を前に、凛はどうしたものかと困っていた。
警戒されているのだろうか。それにしてはそういった様子は見られない。
(聞こえなかったのかな?)
問題が自分にあると踏み、凛は今一度挨拶してみることにした。
「こんにちは。蝶屋敷の子かな?」
「……」
またしても返答はない。それでも笑顔は向けてくれる。
単に無視をしているだけであるのならば、そのままいそいそとこの場から離れればいいだけの話なのだが、こうして笑顔を向けられている以上、「それじゃあ失礼して」と一方的に立ち去るのも何か違う。
なんとか場の流れを変えたい。そう思った凛は、挫けず話を続けることにしたのだった。
「僕は氷室凛。鬼殺隊の一員なんだ。よろしくね!」
「……」
「よかったら、君のお名前教えてくれるかな?」
「……」
「え、えっと……蝶屋敷に来てからしのぶっていう女の子と会ったんだ。知っている人?」
「……」
「あ……あはは。今日は……いい天気だね」
「……」
「……」
気まずい。ただただ笑顔を向け合う空間が生まれてしまった。
最終的に少女に何か喋れない理由があるのだと考えた凛は、笑顔の裏でどうしたものかと熟考する。
すると、
「あらら?」
と頓狂な声が背後から聞こえて来た。
「あ」
「あら、君は流さんが連れてきた……」
「氷室凛です! お邪魔しています!」
「うふふ、お邪魔されてます♪ いや、こっちがお邪魔しちゃったかな? 私は胡蝶カナエ。よろしくね」
「はい、よろしくお願いします!」
「そう固くならないで。カナヲとおしゃべりしてくれてたのね」
「カナヲ?」
現れた女性―――カナエが口にしたカナヲという名前に首を傾げていれば、カナエがずっと笑顔を顔に張り付けていた少女の後ろに座る。
「この子よ。栗花落カナヲって言うの」
「へぇ~、カナヲちゃんって言うんですね!」
「ごめんなさいね、氷室くん。カナヲはちょっと事情があって一人じゃ喋れないの……ほら、カナヲ。氷室くんに自己紹介して。『はじめまして、栗花落カナヲです』って」
「はじめまして、栗花落カナヲです」
「うん、はじめまして!」
カナエに促され、ようやく自己紹介してもらった凛は、得も言われぬ達成感を覚える。
と、続けざまにとあることに気が付いた。
「ん? カナエ……って、もしかして、貴方が蝶屋敷の当主ですか?」
「はい、そうですよ」
「じゃあ、花柱……」
「ええ、正解です」
笑顔で肯定するカナエに対し、またもや“柱”に対して失礼な言動をしてしまっただろうかと反省する凛。
だが、それ以上に彼はとあることが気になっていた。
「あの、カナエさん。少しいいですか?」
「はい? どうかしましたか?」
「風邪引いていたりします?」
「風邪? それはまたどうして」
突然風邪と疑われて困惑するカナエであるが、無論凛も当てずっぽうに質問した訳ではない。
「僕、温度に敏感で……人の体温とかもわかるんですけれど、カナエさん、凄くポカポカしてるなぁって……運動の後みたいに。でも、汗とかは掻いてないようですし、風邪かなと……」
「!」
「すみません、変なこと聞いちゃいましたね。あの、忘れてくださ……」
「ううん、いいところに気が付いたわね。本当に……
「え?」
目配せして微笑みを湛えるカナエの視線を辿り、自身の背後に佇んでいた流を目の当たりにし硬直する凛。
―――いつのまに背後に!?
彼の足音が不気味なほど聞こえない―――義足にも拘わらず―――のは既知の事実であったが、それにしても気配を消すのが上手い。
柱は全員気配の消し方が上手いのだろうかと現実逃避するような考えをしていれば、
「……病室に居なかったな」
「す、すみません! 流さんを探してたら迷ってしまって……」
「いい。気にするな」
気にするなとは言いつつも、流からは病室へ足を運んだことが徒労に終わってしまったことに対する虚脱感のような熱を感じる。
今一度謝罪の言葉を口に出すが、「まあまあ」と凛を慰めるカナエが話を続けた。
「氷室くん。じゃあ、流さんの体温はどう感じる?」
「はい。流さんも普通の人にしては体温が高いと思います。あ、勿論普通の人より体温が高い人が居ることは承知してますけど、柱の人……流さんもカナエさんも体温が高い理由はあるんですか?」
「うふふっ……」
凛の問いに対し、カナエは笑うだけで明確な答えを出さない。
と思いきや、徐に流の隣に移動したかと思えば、彼の義手を掴み、勢いよく手を掲げさせたではないか。
これには凛も当の流も驚いている。
そのように突拍子のない行動に出たカナエは、溌剌とした口調で告げる。
「その答えは……私と! 伴田さんによる! 特別柱稽古にて教えちゃいます!」
「!?」
「柱稽古……?」
場を盛り上げるべく拍手するカナエ。
驚く流。
首を傾げる凛。
それを漠然と眺めるカナヲ。
ここまで人の考えが通じ合っていない場があるというのかと疑問に思うほど混沌とした場で、類稀なるほんわか力を発揮するカナエは、どんどん話を進めていくではないか。無論、流が反論に出る間もなく……。
「それでは氷室くんには、まず私の妹のしのぶと機能回復訓練に取り組んでもらいます!」
「は、はい!」
「詳しい説明は訓練場でするからお楽しみに!」
カナエの口調から、ほんの少し楽しいことが始まるのではないかと考えた凛であったが、彼はこの時知らなかった。後々地獄を見ることになることを―――。
***
「へくちっ! あぁ、藤の花の粉末が! もぉ~~~!! きっと誰かが……いや、姉さんが噂したからだわ!!」
その地獄を生み出すことになる少女は、ちょうど苛立っていたとさ。