漆.多生之縁
凛が蝶屋敷を発ち、半年が経った。
常中を会得したこともあってか、戦闘で後れを取って大きな傷を負うこともなくなった彼は、東奔西走して各地の鬼を滅殺。鬼殺隊としての任務にそれなりに慣れてきた。
「お、ここかぁ」
そんな彼が訪れたのは藤の花の家紋が掲げられた屋敷。
少し早く任務を終え、まだ日が昇る前に訪れた凛は、屋敷から漂ってくる藤のお香の匂いを感じる。鬼の嫌う匂いだ。大抵の鬼であれば、夜間にお香を焚くだけで近づくことさえ叶わなくなる。
そうした鬼についての知識にも世間より精通している者達が住む屋敷──―訪れた目的は休養だ。
「夜分遅くに失礼いたします。鬼殺隊の―――」
「よくぞいらっしゃいました」
「わ!」
立派な門の前に立っていた凛であったが、話しかけてきた者が出てきたのは少し離れた戸口からだった。
穏やかな笑みを湛えた男性。普通、このような時間に家を訪ねられれば怪訝に思うはずだが、男性は寧ろ歓迎するような雰囲気を放って凛を手招く。
「どうぞ、こちらへ」
「はい。鬼殺隊階級“癸”、氷室凛です。よろしくお願いします」
「氷室様ですね。かしこまりました」
軽い自己紹介も済み、中へと案内される。
藤の花が咲く庭園は、実に雅な光景だ。石造りの灯篭や苔むした石がこれまた風流さを醸し出す。
蝶屋敷とも違う良さがある―――そうウンウンと頷いていれば、
「氷室様。夜食は如何ですか?」
「夜食ですか?」
「はい。鬼殺とは我々のような凡夫には想像を絶する激務……もしやと思い、夜にいらっしゃった隊士の方々のために夜食も用意しているのです」
「へぇ~! それじゃあ、是非とも!」
「かしこまりました。それでは、お着替えが済み次第料理のある部屋へとご案内いたします」
そう言われて凛が案内された部屋には、すでに誰かが着ているのか、日輪刀らしき刀と隊服が畳まれていた。
別の鬼殺隊士も着ているのなら、後で挨拶しておこう―――そう思いつつ隊服から寝間着へと着替えてから、迎えに来た男性に再度案内される形で食事部屋までやって来た。
すでに入る前から香ばしい香りが漂ってきている。
(あぁ、この匂いはお味噌汁だな……)
任務後の味噌汁は体に染み渡る程に旨いというものだ。
味噌汁があると分かっただけで気分が高揚した凛は、浮足立ったまま男性の手によって開かれた障子の奥に目を向ける。
「あ」
「む?」
中にはすでに食事している人間が居た。
凛よりも早く夜食を取り始めていたのか、用意された品々の大部分を食べ終えている少年。暗がり故に分かり辛いが、ゆらゆらと燃えているろうそくの光が、特徴的な赤みがかった髪と瞳を照らし上げている。
いわゆる「赫灼」と呼ばれる特徴を持った少年―――だが、重要なのはそこではなく知り合いであったということだ。
「燎太郎!?」
「おぉ、凛か! 久方ぶりだな!」
最終選別で出会った少年・燎太郎。
彼との再会に、食事のことも忘れて彼の目の前まで小走りで駆け寄る。
「本当に久しぶりだね!」
「ああ! お互い、無事で何よりだな!」
はっはっは、と笑う燎太郎。その快男子たる様に、思わず凛もにっこりとする。
周囲の人間を明るくさせる温もりに溢れた少年。それが彼なのだ。
まさか任務後の休養地で出会うとは思いもしなかったが、これもまた縁というものなのだろう。
「燎太郎も任務の帰りで?」
「そうだ! 近くの鬼を滅殺してな! なに、俺の手にかかれば赤子の手をひねるに同然だ!」
「そっか……怪我はないんだね」
「当然! そういうお前も怪我はないようだな! 安心安心! っと……それではさっき用意されてた料理はお前のものだったんだな! さぁ、話に花を咲かせるのもいいが、冷めない内に頂いておけ! 作ってくれた人に失礼だからな!」
「うん、そうするよ」
このままではついつい話が長引いてしまいそうだ。
そこそこで話を区切り、用意してもらった料理に手を付ける。
ご飯、味噌汁、漬け物、煮物。任務後とは言え、夜に食べる分にもそれほど胃もたれしなさそうな品揃えだった。
「いただきます」と手を合わせ、味噌汁に一口。
熱さが喉を通り抜けると同時に、味噌の芳醇な香りが鼻を抜ける。だが、それだけではない。僅かに主張する出汁の香りもまた、香りに彩りを加えている。こうした出汁の存在や山岳部に近い場所で育った凛にとっては滅多に入れないものだった。
故に、自分が作ったことのある味噌汁とは一味違う味わいに半ば驚くのだった。
「んっ……おいしいです!」
「ありがとうございます」
作ったと思しき女性が礼を述べる。
そうしてパクパクと夜食を食べ進める二人。皿の上の品がなくなるのにそう時間はかからなかった。
「ふぅ、食った食った。絶品だったな!」
「うん。ここ最近はついつい簡単なもので済ませちゃってたから……」
近頃は時間も惜しいと食事に余り気をかけていなかった凛であったが、改めて食事の重要さに気が付く。精が付かねば鬼も倒せぬ。食事は体の資本とはよく言ったものだ。
「それじゃあ、寝る前に腹ごなしとして雑談に華を咲かせるか! はっはっは!」
「そうだねぇ~……このまま寝たら牛になっちゃいそうだから」
食事をとってすぐに眠るのは勧められたものではない。
そこで、多少床にはいる時間が遅くなったとしても、満足できる睡眠を取られるようにと、これまであったことについて語り合うことにした。
流やカナエ、しのぶとの出会い。
一から語れば、きっと一時間では済まない出来事がこの半年で起こった。
それは燎太郎も同じようであり、二人の語らいは夜が更けても尚白熱していった。
その途中であった。
「ん」
ガラリと障子が開けられる。
誰かと二人が目を遣れば、そこには仏頂面にも見えてしまう表情をした少女が立っていたではないか。
(あれ? この子……)
どこかで見たことがあると記憶を掘り返す凛。
その一方で現れた少女は、部屋の中をぐるりと見渡した後、部屋の隅に用意されていた寝間着の下へ歩み寄る。
隊服である姿を見る限り、彼女も鬼殺隊士のようだが、
「……あっ! 君はあの時の!」
「ん?」
最終選別の時、刀鬼の頚を斬り落とすトドメの役を担った風の呼吸の使い手。
ようやく思い出せた少女を前に、なんとまた数奇なめぐり逢いだと感心していれば、
「ねえ」
「どうしたの?」
「これ、どう着るの?」
「どう着るのって……それは素肌に着るものだよ」
「ふ~ん」
ここで凛は思い至る。
「あ、ごめん。ここに
女性の着替えの場に居るのは不味い。そう思い至り、一旦部屋から出ようとした凛であったが、なんと少女が目の前で男性陣の視線も憚らず隊服を脱ぎ始めたではないか。
黒い布地より現れる白磁の肌。ところどころ傷が窺えるものの、その年相応のきめ細やかさまでは失われていない。
と、ここまではっきりと見えるには、それだけ少女が豪快に素肌を晒した訳であって……
「見えるから! って言うか、その……!」
「下も脱ぐの?」
「え? うん、そうだね下も―――って、なんの躊躇いもなく下も脱がないで!! 居るから!! 男が二人!! 目の前に!!」
「? 男が目の前に居ると何かあるの?」
「お嫁に行けなくなっちゃうから!! それより早く着て!!」
ここまで騒ぎ立てる凛に首を傾げる少女であるが、如何せん間が悪い。現在、少女はすっぽんぽんの状態だ。その素肌を出し惜しみすることのない生まれたままの姿で堂々と立っている。
女性の裸を見たことのない凛に至っては真っ赤に赤面し、燎太郎はと言えば、
「燎太郎! ちょっと、君も何か言ってあげて!」
「……」
「燎太郎? ……!」
やけに静かだと思えば、燎太郎は鼻血を出して倒れていた。
見えたのだろう。きっと。
「燎太郎ぉー!」
女性の裸を直視して気絶した燎太郎を抱き上げる凛の声が木霊する。
「……?」
尚も少女はしばらくすっぽんぽんであったとさ。
***
「東雲つむじ。階級“癸”。以上」
酷く端的な自己紹介する少女、もとい東雲 つむじ。彼女こそ、最終選別にて刀鬼の頚を斬った鬼狩りだ。
「ひ……氷室凛……よろしく」
「あ、明松燎太郎だ……」
そんな彼女へ赤面しつつ自己紹介を返す二人。
当人こそ気にしていないが、女性の裸を見たとなればこうなるのも無理はない話だ。青少年には刺激が強すぎる。全集中の呼吸とも違う熱さで体が火照るようだった。
しかし、いつまでもぎくしゃくしていられないと凛が話題を振る。
「つむじも任務の帰りだったの?」
「ん」
「そうなんだ! 奇遇だね。僕たちもなんだよ」
「ふ~ん」
端的な応答の傍らで日輪刀の手入れをするつむじ。淡い緑色に彩られた刀身を布巾で入念にふき取る。血糊とは厄介なものであり、ただ乾いた布巾で拭うだけでは完全に汚れを取ることは叶わず、拭き取ったと思っても残っていた汚れが納刀した際に鞘の内側に脂がこびりつく。それが刀や鞘がダメになるのを早めるのだ。
それを知ってか否か、つむじは一度熱湯で刀身を洗ってから今の作業に取り掛かっている。
丹念に手入れするのはいいものの、その集中力の一かけらくらいは自分の方へと向けて欲しい―――そう思う凛であるが、中々叶いそうにはない。
「そ、それにしても鬼殺隊が三人も集まるなんて珍しいね」
「そうだな! 今まで藤の家紋の家に訪れてもすれ違いもしなかったからな!」
「偶然……なのかな?」
「それにしては同期が三人と都合が良いな」
「お館様の采配」
「「え?」」
半ば二人きりの会話になっていた凛と燎太郎に、日輪刀の手入れが終わったつむじが割って入る。
「お館様……って、鬼殺隊当主の?」
「ん」
お館様とは、鬼殺隊当主・産屋敷輝哉のことだ。
彼がどのような役割を担っているか具体的に把握していなかった凛は、こうして自分たちが集まったのが彼の采配であると教えられ、目が点になっている。
「一体どうしてだろう?」
「カァー! 説明ェー!」
「わっ!?」
首を傾げていた凛の隣に飛び立ったのは、ややくたびれた様子の鴉……もとい、鎹鴉だった。
自分の鎹鴉ではないと燎太郎に視線を向ければ、彼もまた自分の鎹鴉ではないと首を横に振る。つまり、つむじの鎹鴉なのだろう。若干疲弊しているように見えなくもないが、今は気にするほどのことでもないだろう。
そう思って居れば、続けざまに凛と燎太郎の鎹鴉もまた降り立ってきた。
三羽の鎹鴉が並び立つ様はそこそこ壮観である。
「最近、藤ノ家紋ノ屋敷デ不審火ガ見ラレルノデス!!」
「警護ダゼ!! 手前等ミタイナチンチクリンデモ居ナイヨリハマシダト警護ナンダゼ!!」
「ソユコト! ソユコト! シバラク、オ前達ハ此処ヲ拠点ニ鬼殺ニ励メェー! ハゲメェー!」
「カーカー五月蠅い」
「ガァ!?」
けたたましく事の次第を説明してくれていた鎹鴉たちであったが、少々騒がしい鳴き声が癇に障ったのか、自分の鎹鴉の首根っこを掴んだ。
軽く虐待である行為に、即座に凛は「あわわ!」と狼狽しながらつむじを押さえる。
「ダメだよ! 鴉にそんな酷いことしちゃ!」
「いつも言ってるのに聞かないこいつが悪い」
「いつも!? 尚更ダメだよ!」
「何度焼き鳥にしようかと思ったか。焼いてないだけ有情」
「焼こうとしないで!! 鴉は食べられないから!!」
「食べられる。食べたことある」
「食べたことあるの!?」
「ガ、カァー……」
鴉の実食経験を告白され、彼女の鎹鴉はブルブルと震えている。
鎹鴉も仕事をしているのに、この仕打ちは哀れでしかない―――つむじの鎹鴉がくたびれている理由が分かった瞬間であった。
と、鎹鴉からつむじの手を引かせて話は戻る。
「ふむ、不審火か……それも藤の家紋が掲げられている家で……」
「ただの泥棒……ってことじゃないよね?」
「鬼」
「む? 鬼だと明らかになっているのか?」
「勘」
「っ……お前なぁ!」
「ま、まあまあ……」
何の確証も無しに不審火を鬼と決めつけるつむじに、燎太郎は青筋を立てる。
そんな彼を宥める一方で、凛は思案を巡らせていた。
(藤の家紋の家が不審火……盗みって訳じゃないなら怨恨が理由? 確かにつむじの言う通り、鬼が下手人なら鬼殺隊に手を貸す人たちは邪魔だろうけど、藤のお香が焚かれている以上そう易々と近づけないはずだ)
雑魚鬼であれば藤のお香が焚かれている家の周辺に近づくことさえ容易ではない。
加えて、わざわざ火をつけるといった回りくどい方法を取るのも疑問だ。
(もし下手人が鬼ってことになれば、相手はかなり知能が高い相手……それに藤の家紋の家を狙って、少なからず鬼殺隊に打撃を与えようとしている。これは―――)
―――一筋縄ではいかない相手だ。
冷や汗が頬を伝う。
果たして自分達が相対したとして、倒せる相手であるのだろうか?
(……いや、違う。倒すんだ。僕も強くなったんだ)
瞼を閉じれば、この半年間の出来事が走馬燈のように思い浮かぶ。常中を体得し、明らかに実力が上がったのも実感できた。その一方で互角以上の相手と対峙し、命からがら朝日を拝むことも少なくなかった。
生傷の絶えない日々。しかし、それだけの死線を潜ったという経験が確固たる自信を沸き上がらせる。
同時に、
(今回は僕だけじゃないんだ! 二人が居る!)
癖は強そうだが心強い味方の存在。
一人でないというだけで不思議と心が軽くなる。
「よし……燎太郎! つむじ! やって来るのが何だとしても、みんなでこの家を守ろう!」
「む、そうだな!」
「……」
一人反応がない。
「あの、つむじ……?」
「なに?」
「この家に鬼が来るかもしれないから、その時は三人で家を守ろうって……」
「そう。勝手にすれば」
凛と燎太郎が意気込んだのとは裏腹に、依然淡々とした様相のつむじ。
ここまで来ると毛嫌いしているのかと疑ってしまう。
乾いた笑いしか出てこない凛。すると、燎太郎が我慢ならないと言った面持ちで口を開いた。
「お前! もう少し協調しようとする気持ちはないのか!」
「別に」
「りょ、燎太郎……無理強いするものじゃないから、その辺に……」
このままでは二人に角が立ちそうな気配を感じ取り、間に割って入り宥める凛であるが、それだけで燎太郎の“熱”は止まらなかった。
「お前も鬼を滅殺して人々を守ろうとする鬼殺隊の一人じゃなのか!」
「ん」
「ならば! 人を守ろうと決起する素振りも見せないのは何故だ!?」
「私は鬼を殺すだけだから」
過剰なまでに憤る燎太郎に対し、つむじは至って平然としていた。
「『鬼殺隊』って名前だから、それだけじゃないの?」
不気味な程、淡々と。
「協調? とか、そういうのも必要性を感じない」
温もりなど一切感じさせぬ声音で。
「鬼を殺せば、それだけでいい」
翡翠色の眼が燎太郎を射抜く。
「鬼を殺す邪魔をするなら、諸共斬り捨てる」
酷く、とても酷く冷めた視線だった。
「
「っ……!!」
息を飲んだ音鳴り響くも束の間、燎太郎がつむじの胸倉をつかみ上げた。
最早「怒り」等という言葉さえ生温い赫怒を浮かび上がらせる彼に対し、つむじは不服そうな目を浮かべる。
「……なんで掴むの?」
「分からないか? 俺が怒る理由が」
「放して」
「分からない理由こそが、俺が怒っている理由だ」
「放せ」
「お前のような奴が鬼殺隊に居るなんて―――」
「ねえ―――」
刹那、場に殺気が奔る。
カッと見開かれたつむじの瞳には、胸倉をつかみ上げる燎太郎に対する明確な殺意が現れていた。
不味い―――そう凛が割って入ろうとした時だった。
「あ、あの……」
「!」
剣呑な空気の中、か細い声が部屋の中に響く。
三人の視線が一斉に向いた先には、やや疲れた様子の女性が正座していた。
「お、お食事のご用意ができたのですが……」
「あっ……はい、わかりました! ほら、二人とも。もう喧嘩しないでっ、ねっ!?」
「……くっ」
「ご飯……!」
不承不承と詰め寄るのをやめた燎太郎とは裏腹に、つむじは食事と聞いて喜々として立ち上がる。表情から察するのは難しいが、普段の眠たげな瞳が爛々と輝いていることから余程食事を楽しみにしていたのだと分かる。
対照的な二人の大喧嘩が勃発することは避けられたが、先行きが不安になる一幕だった。
(つむじが色々と淡白だってことはわかったけど、燎太郎もあそこまで怒るなんて……)
扞格してしまいそうな気配がするのは、きっと気のせいではない。
なんとか間を取り持ちたいところではあるが、生憎凛自身燎太郎の事情もつむじの事情も把握していないのだから、下手に踏み込む訳にもいかないだろう。
(ちょっとずつ仲良くしていってもらうしか……)
この協調性皆無の状態のまま鬼が来てみろ。最悪、仲違いが原因で死人が出かねない。
なんとしても彼等の関係改善を進めなければ―――凛はそう固く心に誓った。
(まあそれはともかくとして、ご飯を食べようっと―――ん?)
気を取り直そうとした瞬間、不意に視線を覚えた。
徐に振り向けば、障子の隙間からこちらを覗く小さな人影が居た。男の子だ。何かを訴えるような視線を投げかけてくる男の子に、凛は申し訳なさそうに肩を竦める。
(騒いだから来ちゃったのかな?)
燎太郎とつむじの衝突の騒ぎで来たとなれば、後で謝らなければならないだろう。
藤の家紋の家の者達は鬼殺隊を歓迎してくれるが、だからといって迷惑をかけていい訳ではない。
最低限の礼節を持たなければ鬼殺隊の格を下げることとなる。
そう危惧した凛が謝罪するべく立ち上がろうとした時だった。
「あんちゃん達……鬼殺隊?」
「え? あぁ、そうだよ。ごめんね、少しうるさくして―――」
「いつウチから出てくの?」
まるで「邪魔だ」と言わんばかりの言い草。
決して男の子は自分達を歓迎していない。不服そうな目つきと僅かにいら立ちが孕んだ“熱”を覚えた凛は、数秒固まった後、「なぜ?」という疑問が頭に浮かんだ。
そこまで悪いことをしてしまったか―――いいや、理由は別にあるのだろう。
「こ、こら! 鬼狩り様になんて口を……」
凛が理由を推し量ろうとしたが、その前に三人を食事に呼びに来た女性が窘めるように声を上げる。
しかし、男の子は謝ることもせず、寧ろ一層不機嫌そうに眉間の皺を深くするではないか。
「姉ちゃんだって本当はさっさと帰ってほしいと思ってるんだろ? こんなただ飯食らい……」
「良樹!!」
「フンッ!」
女性がそのお淑やかそうな風貌とはかけ離れた形相で声を荒げるも、良樹と呼ばれた男の子は鼻を鳴らし、謝ることなく去っていく。
「申し訳ございません! 後できつく叱っておきますから……」
「い、いえ……お気になさらず」
子供のしたことだと割り切る凛であるが、依然男の子、もとい良樹の過剰なまでの鬼殺隊への嫌悪感の理由は気になる。
だがしかし、
(こっちもこっちで問題は山積みだなぁ……)
燎太郎とつむじの仲を取り持たなければならないことも考え、凛は深々とため息を吐くのだった。
***
前途多難な共同生活が始まった。
しかし、四六時中三人が屋敷の警護をするという訳でもない。隊士は何人居ても足りない程、各地では鬼による被害が発生している。
故に三人は、屋敷を中心とした周辺での鬼殺を鎹鴉より伝令されるのだ。
最低でも一人は屋敷に残り、他二人は各々の任務へと出向く。
そうした実情もあってか、凛による燎太郎とつむじの仲の改善は中々進むことがなかった。
(いいや! こういうのはまず段階を踏まなきゃ!)
しかし、ここで諦める凛ではない。流の教えに従い諦めない意気に溢れる凛は、一先ず作戦を立てることにした。
半ば犬猿の仲となってしまった燎太郎とつむじ。彼等を仲直りさせるためには、最初に彼等を理解する必要がある。
燎太郎に関しては、凛自身彼との仲は良好なため、それほど時間がかかることはないだろう。
問題はつむじだ。終始つっけんどんな彼女と一から関係を作るのは容易な真似ではない。
燎太郎と違い、向こうから話しかけてくることはまず皆無。聞くとしても厠の場所を訪ねる時のみだ。
そんな彼女と仲良くなるために凛が考え出した案―――それは、
「つむじ! お土産にお饅頭買って来たんだ! 食べる?」
「食べる」
食べ物である。
万事は食べ物で解決する―――とまでは言えないが、つむじに至っては半分冗談ではない。見た目に似合わず三人の中で最も食い意地を張っている彼女を手籠めにするには、美味しい食べ物で餌付けするのが一番だ。
若干邪道な気もするが、この際やり方にこだわっている場合ではない。
お互い任務帰りで屋敷に戻る道の途中だ。
疲れた体に甘い物は麻薬に等しい。
目を爛々と輝かせ催促する掌を差し出してくるつむじに、「はい」と凛は饅頭を一個手渡す。一気に全部は渡さない。渡せば最後、全て食べ終えるまで口を開いてくれることはないからだ。
(勝負は饅頭が無くなるまで……!!)
お分かりの通り、凛の気分は若干おかしい。果たして勝敗の境目を饅頭の個数とする者が居ただろうか?
と、凛が変に意気込んでいることを知る由もないつむじは、任務で疲弊した体に糖分を補給するべく饅頭をパクパク食べ進める。清々しい程の食べっぷりだ。
「凄い勢いで食べるね……饅頭好きなの?」
「んんん。ふふう」
「な……なんて?」
「んぐっ。ううん、普通」
「えっ、じゃあなんでそんなに急いで食べるの……?」
「食べられるものは食べられる時に食べる。昔の生き方は早々直らない」
「昔の生き方?」
怪訝に眉を顰めれば、さらなる饅頭を求める掌が差し出される。
その掌の上にポンと饅頭を置いたつむじは、これまた凄まじい勢いで饅頭を食した後、薄皮がこびり付いた指を舐りながら話を続けてくれた。
「掃き溜めみたいなところで、ひとりぼっち」
執拗に指を舐る仕草は、腹を空かせても尚口に入れるものがなく、口淋しくなった幼子を彷彿とさせる。
「誰も……私を助けてなんかくれなかったから、独りで生きるしかなかった」
そう紡ぐ彼女の瞳が、僅かに揺れていた。
ほとんど感情を面に出さない彼女であるが、それにも理由があった。
親も友人も居ない中、誰にも面倒を見られず幼子が一人生き抜いていくのは過酷という言葉さえ生温かった。
泣いても誰かが助けてくれる訳ではない。
怒っても薄汚れた自分を罵倒する声が止む訳ではない。
いつしか、感情を面に出すことを無駄だと悟った。体力の無駄だ。その力を生きる力に注ぐしかない、と。
「泥水を啜って虫も拾って食べてたけれど、お腹がいっぱいにならないから盗みも始めた」
「……」
「スリもしたし、置き引きもした。人を殺したこともあった。だから、『鬼』なんて罵られたこともあった」
「!」
額に嫌な汗が滲み出る。
得も言われぬ嫌悪感のようなものが胸中で渦巻く。
だが、
「でも、お館様は『仕方ない』って言ってくれた」
「お館様が?」
「ん。強盗しようとした相手が鬼だった時があった」
「え……」
「その鬼を朝まで粘って殺した後、噂を聞きつけたお館様が拾ってくれた」
日輪刀もなしに鬼を倒すことにも驚愕だが、彼女が鬼殺隊当主に拾い上げられた経緯にも愕然するより他ない。
凄絶。もしかすると、流に匹敵する過去かもしれない。
幼子でありながら満足な食事を摂れぬ環境の中で生き抜き、挙句の果てにはその生命力で鬼を粘り殺した後、鬼殺隊当主に目をつけられるとは。
中々数奇な人生だ。
「じゃあ、つむじはお館様のために鬼殺隊に?」
「そういう訳じゃない。ただ、お館様が食い扶持稼ぐ手段に鬼殺隊を勧めてくれた」
「食い扶持……」
「『胸を張って生きていけるように』って」
鬼殺隊で働く理由に「食い扶持稼ぎ」を上げるとは思ってもみなかった凛だが、続けて紡がれたお館様がつむじに諭したであろう言葉に瞠目する。
そのまま視線をつむじへと向ければ、仄かに口元が吊り上がっているのを目にできた。
「お館様は、人として扱われてなかった人間が人として裁かれるのはどーたらこーたら言ってたけど……難しい話は分からない。でも、なんだかぽわぽわする」
「ぽわぽわ?」
「うん。鬼を殺すのが私に与えられた役目。だから、鬼を殺す度に……ここらへんが、ぽわぽわって」
そう言ってつむじは胸を押さえる。
「お館様が私をちゃんと見ててくれてる―――そう思える」
その一言には万感の思いが込められていたのだろう。
かつて覚えたことのないつむじの“熱”を感じ取った凛は、彼女の言葉を紐解かんと思案した。
辛い過去。
誰一人として助けてくれぬ罵詈雑言を投げつけられる過酷な日々。
そうした中、彼女を拾い上げたお館様が告げた「胸を張って生きていけるように」という言葉の意味。
そして彼女の胸中に沸き上がる温もりの正体は―――、
「……分かった!」
「なにが」
「友達になろう!」
「は?」
突拍子のない申し出に、つむじはこれでもかというほどのしかめっ面を披露する。
「……友達って、具体的になに?」
「具体的に、って言われると少し難しいけど……そうだなぁ」
あれじゃないこれじゃないと思考を巡らせて「友達」の定義―――否、自分にとっての友達とはなんたるかに答えを出す。
「一緒に居ると楽しくて」
「うん」
「離れ離れになるとちょっと寂しくなって」
「うん」
「友達が間違ったことをした時は本気で叱って」
「うん」
「一生ものの宝物みたいな存在……かな」
「うん、わからない」
思わずずっこける凛。
確かにつむじにとっては難しかったかもしれない。彼女の境遇を考慮するに勉学も人間関係についての経験についても乏しいはずだ。
それを熟慮した上で今一度述べる。
「えっと、つむじ風に言うなら……一緒に居ると心がぽわぽわする人……かな?」
「お館様みたいな人?」
「そんなに格上の相手じゃないけれども……!!」
「?」
気分としては、幼子に言葉の意味を教える親のそれだ。
人に言葉の意味を教えるのは案外難しい。普段、どれだけ感覚で言葉を使ってしまっているのだろうか。その感覚を言語化するのが非常に難しい。
しかし、意味だけ伝えても理解できる訳ではない。百聞は一見に如かず……という訳ではないが、実際に経験した方がつむじには理解できるだろう。
「ん~……そうだ! 友達なら、時折お土産に美味しい物を買って来るよ」
「!」
「時折! 時折だからね!? そんな毎回買って来る訳じゃないから!」
美味しい物と聞いて目を輝かせるつむじに、即座に訂正を入れる凛。
彼女に土産の品を貢ぐとなれば、新米隊士の月給では到底足りるものではない。というか、そんな現金な間柄を「友達」と勘違いしてほしくはない。
「ふ~ん……まあ、いいよ」
「そう? やった!」
「だから饅頭頂戴」
「早速? まあ、つむじの為に買ってきたからいいんだけど……」
めでたくつむじ公認の友人関係になった凛であるが、早速食べ物を催促されてしまった。
まだまだ箱の中身はあるとはいえ、これから何かある度に食べ物を催促されると思うと気が遠くなる。
(まあ、きっかけは作れたし善しとしよう……うん)
遠くを見つめる瞳を浮かべる凛。
そんな彼を横目に、頬に餡子をつけながら饅頭を食べ進めるつむじは、たった二口で受け取った分を食べ終えてしまう。
ロクに咀嚼されていない饅頭が喉を通る音は、最早食べ物を嚥下する音には聞こえない。
その余りに豪快で人間離れした喰いっぷりに凛が戦慄していれば、
「おかわり」
「お、お腹壊さないの……?」
「壊したら吐けばいいから」
「……分かった。吐かないように僕が気を遣うね」
「?」
ちぐはぐな関係の二人を笑うように、こそばゆく頬を撫でる風が吹き抜けた。
***
暗い夜道には恐ろしい化け物が出る。
大抵は野犬や熊といった野生動物の類であるが、そうした生物とは比べ物にならない化け物も時には現れるだろう。
人気のない閑々とした山奥。
鬱蒼と生い茂る木々の群れは、月光さえも遮り、辺りを晦冥にさせている。
そんな中、青白い光が点滅していた。
一見、蛍の光に見間違えそうな光でもあるが、次第に光が強まっていく様を眺めればその考えが誤っていると気が付けるだろう。
光―――否、炎はグラグラと揺らめいている。
「おめぇ……肌きれえだなぁ~~~……」
「ひ、ひぃいいいい……!!?」
炭化したように所々肌が黒ずんだ男が、これまた怯えた様子の男の顔を両手で挟みながら言葉を紡ぐ。
「いいもん食ってんだろうなぁ~~~、毎日体拭いてよぉ~~~……洗って干した服着れてんだろうなぁ~~~……」
「や、やめっ、た、助け……!!」
「目ぇもきれいでよぉ~~~……病気に罹ったことなんてねえんだろうなぁ~~~」
「ぎゃ、あぁっ!?」
血管の浮かぶ手が、次第に怯えた男性の肌に爪を立てる。
黒ずんだ男―――もとい、鬼は血走った眼で男性の全身をくまなく観察する。
「爪もきれいだなぁ~~~。歯も白ぇな~~~。爪引っぺがされたことも歯ぁ引っこ抜かれたこともねえんだろうなぁ~~~……!」
「い、いぎゃあああぁぁ!!」
ブチブチと男性の肌に食い込んでいく爪。
しかし、鬼の怪力に一般人が太刀打ちできるはずもなく、男性はただただ激痛に悶え苦しみながら悲鳴を上げることしかできなかった。
「おめぇ今まで幸せに暮らしてたんだろうなぁ~~~何不自由なくよぉ~~~……俺はこんなに不幸なのによぉ~~~、許せねえな~~~、嫉妬しちまうなぁ~~~……!!」
刹那、鬼の黒曜石の如き肌から炎が噴き出る。
蝋燭に灯るような温かみ感じる赤い色ではない。炎ながらも凍えるような印象を与える青色。それが鬼の体から迸ると共に、掴まれて動けない男性は体を焼き焦がされていく。
「があ゛あ゛あ゛あ゛っっ!!?」
「あぁ~~~、俺って不幸だなぁ~~~。俺の周りの奴ら、み~~んな幸せそうな顔しやがってよ~~~。許せねえ許せねえ許せねえ~~~……全員俺みたいに不幸になればい~のによ~~~!!」
「―――っ!!?」
悲鳴とも呼べない叫び声が響いた一瞬、苛烈な炎が燃え盛る。
炎の噴出が終わった鬼の体は、所々ひび割れており、そこは燃えている炭のように赫々と染まっていた。
すでに男性は焼死体のように全身黒ずんでいた。
しかし、人間は全身を焼かれてもすぐに死ぬわけではない。全身を焼かれた激痛と真面に呼吸もできぬ地獄のような苦しみに悶えながら、数時間は生きると言われている。
男性は辛うじて生きていた―――が、
「苦しいよなぁ~~~、痛ぇよなぁ~~~。でもなぁ~~~、俺はもぉ~~~っと不幸だったんだぜぇ~~~?」
「っ……っ……」
「こんなんじゃ、ま~~~だ俺の足下にも及ばねぇからよ~~~……―――とことんどん底に叩き落してやるよ……なぁ~~~?」
自身の不幸を慨嘆して流した涙で瞳が濡れそぼっていた鬼は、途端に喜々とした色を瞳に浮かべる。
地獄とはこのことか。
一生分のどん底を肌身で感じている男性は、これ以上―――否、
鬼の目に涙など、誰が言った?
本物の鬼は―――涙を浮かべても尚、人を地獄に叩き落す畜生以下の化け物だ。