鬼滅の流儀   作:柴猫侍

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捌.三界火宅

 

 藤の家紋の家の庭。

 そこで二人の少年が木刀を構えて向かい合っていた。

 片や構えるは凛。もう一人は燎太郎である。

 神妙な面持ちのまま睨み合う彼等であったが、刹那、静寂の中に逆巻く風の音が鳴り響く。

 

 呼吸が整った。

 

 先に動いたのは燎太郎であった。地を踏み砕く勢いで駆け出した彼は、燃え盛る炎の如き激しい一閃を走らせる。

 

 炎の呼吸 壱ノ型 不知火

 

 対して凛は、燎太郎の剣閃を斜めにした刀身で逸らしつつ、一歩前へと踏み込む。

 

 氷の呼吸 壱ノ型 御神渡り

 

 鋭い一閃。真剣であれば紫電が見えていたであろうが、木刀でもその迫力は目を見張るものであり、閑々としていた庭に風を斬り裂く音が響き渡る。

 しかし、燎太郎も繰り出された一撃を紙一重で躱すように後退する。

 そこへ追撃と言わんばかりに肉迫する凛は、返す太刀でもう一撃繰り出す。

 だが、燎太郎もまた振り落とされる一撃に対し反撃した。

 

 氷の呼吸 捌ノ型 氷瀑

 

 炎の呼吸 弐ノ型 昇り炎天

 

 打ち合う刀身。一瞬の拮抗の後、押し勝ったのは―――

 

「あっ!?」

 

 凛の手元から木刀が離れる。真正面からの打ち合いの末、燎太郎の一撃が彼の力を上回ったのだ。

 

「あっちゃー……負けたかぁ……」

「はっはっは! 今回は俺の勝ちだな!」

 

 痺れた手で木刀を拾い上げる凛に対し、勝利して気を良くした燎太郎が呵々として笑っている。

 技の繊細さでは凛の方が勝るが、どうやら単純な膂力では燎太郎が勝るらしい。

 今まで他人と打ち合う経験はあったものの、同門以外と相手する経験がなかったため、凛にとって燎太郎との鍛錬は貴重なものであった。

 自分に足りないものは何か気付ける一方で、相手にも足りない部分を教えられる。まさに一石二鳥だ。故に二人は時間があればこうして打ち合い稽古を行っていた。

 

 今度はつむじも誘ってみようか―――そのように思案しつつ、一先ず凛は燎太郎と共に休憩することにした。

 

「それにしても燎太郎の力は強いなぁ……僕も常中を使ってるのに」

「なに! 俺に剣を教えてくれた師が常中の存在を予め教えてくれていたからな! 会得して半年の者に超えられては、俺の顔が立たん」

「それもそっか」

 

 意外にも燎太郎は常中を既に会得していた。その為、後になって会得した凛よりは身体能力が高い。

 完全に扱えるようになったのはつい最近とのことだが、これで最終選別での力強さにも合点がいくというものだ。

 

「燎太郎はいつも全力だね。尊敬するなぁ」

「尻の穴が痒くなるようなことを言うな。俺はただ鬼を滅殺して市井の人々の安寧を守らんとしているだけだからな!」

「あははっ、そういうところが立派なんじゃないか」

「それを言うならお前も……ええい、この話題は止めだ止めだ!」

 

 真っすぐな称賛を受け、若干照れた様子の燎太郎が無理やり話題を終わらせようとする。

 しかし、終わらせられては凛が困るのだ。

 

「ねえ、燎太郎。聞いていいかな?」

「ん? なんだ、改まって……まあ、いいぞ」

「なんで燎太郎は鬼殺隊に入ったの?」

「だからそれは今言ったように―――」

「違う。もっと()の話だよ」

 

 「詮索するのは悪いと思ってるけれど」と凛は続ける。

 

「燎太郎が鬼を憎んでるのはなんとなくわかる……でも、心の底から憎んでいるのとは少し違う気がするんだ。できればその理由を教えてほしい」

 

 燎太郎から感じる“熱”は不思議だった。

 藤襲山と戦っている時、彼からは他の受験者同様に鬼に対する激烈なまでの憤怒を感じていた。

 しかし、その一方で倒された鬼に拝む自分へと投げかける視線には、形容しがたい複雑に入り混じった感情が込められていたと覚えている。

 

()()()()

「!」

「あの時の燎太郎の目……そう言ってた気がするんだ」

 

 鬼に同情する凛に対し、憤る訳でも憐れむ訳でもない―――存在の拒絶。それに似た感覚を覚えた。

 

「この前、つむじに鬼殺隊になった理由を聞いたんだ」

「あいつに? ふんっ、どうせ大した理由ではないだろう!」

「確かにつむじは『食い扶持を稼ぐため』って言ってたけれど……そう単純な話でもないんだよ。燎太郎ならわかるでしょ?」

「分かりたくもない!」

 

 つむじに対して必要以上に拒絶するような態度を見せる燎太郎。余程、彼女とは馬が合わないのだろう。義侠心に溢れた男と協調性も共感性もない女―――そういう関係になることは大して難しい予想ではなかったが。

 しかし、つむじに関しては過去の境遇からそうならざるを得ない環境で成長した経緯があると分かったのだ。

 欠如した人間らしい感性は今からでも十分取り戻せる。

 そのためには彼女と距離を取るのではなく、寄り添うことが必要だと分かったのだから、その事実を是非とも燎太郎に伝えて誤解を解きたい。

 

「そうそんなに邪見にしないであげて……つむじは―――」

「そもそも! 俺はあいつが嫌いだ! なんというか……こう! 絶望的なまでに性格が噛み合わない!」

「う~ん、それは……」

 

 燎太郎がここまで頑固なのは想定外であった。

 やはり第一印象は大切なのだということがはっきりと分かる例だ。好きになったものを嫌いになるにはそれなりの理由が必要となるが、それ以上に嫌いなものを好きになるのには難しい。

 

「話すと長くなるけれど、つむじにも色々事情があるんだよ。性格はさ……ほら、本当にダメなところは今からでも直せるし……」

「いいや、無理だ! ダメなところが多過ぎる!」

「多過ぎるって……例えば?」

「風呂に入る時間が短すぎる! と言うか、そもそも入ってないだろう!」

 

 これには凛も「えぇ……」と声を漏らす。

 

「えっと、どうしてそんなこと言えるの……?」

「あいつが風呂へと出かけてから戻るまで五分と経たない! 烏の方がもっと丹念に行水するだろうに!」

「あぁ……」

 

 言われてみれば、つむじの入浴時間は短い。

 風呂場まで赴き、脱衣と着衣の時間を考慮すれば、実際の入浴時間は二分もないだろう。それだけで一体何ができると言うのだ。

 

「他にもあるぞ! 服は散らかす! 食べ方は汚い! 寝相も酷い! 人に礼を言わん!」

「……」

「あんな女を好きになれという方が難しい話だ!」

「……僕よりずっとつむじのこと観察してるね」

「なにィ!? き、気持ちの悪いことを言うなぁ!」

 

 次から次へと出てくるつむじへの不満。しかし、それらはよく彼女を観察しないと出てこないものばかりだ。

 嫌う人間を見ていると嫌な部分ばかり見えてしまうのは悲しいことであるが、完全に彼女を拒絶して無視しないだけ、まだマシと言えるかもしれない。

 

「ともかく! 俺とあいつの関係はこの任務切りだ! 口出しは無用!」

「そ、そんな……もうちょっと話を―――って、行っちゃった……」

 

 ぷんすこと怒る燎太郎は、そのまま凛の下から立ち去って行った。

 ああ見えて彼も―――というか、凛とつむじも十代前半。まだまだ精神的にも幼いのだから、致し方ないとも言える。

 

「―――ってことを言われたんだけれど」

「ふ~ん」

 

 燎太郎との出来事を一部省略と改変しながら、つむじへと伝える。

 具体的には、彼がつむじを嫌う理由を仲良くなれない理由といった風に置き換えた。

 伝えられた当人は、感情を読み取り辛い顔で煎餅をバリボリと貪っている。確かに燎太郎の言う通り、食べカスを床に散らかす等、食べ方が汚い。

 しかし、これらを直せば二人の関係はグンと良好なものに変化する―――かもしれないと、凛は続ける。

 

「だから、つむじもできるだけ今言ったことを直してほしいんだ」

「……なんで?」

「二人には友達になってほしいと思ってるから……」

「友達……土産に食べ物もらえる?」

「え? あ、えっと、うん、多分……」

「わかった」

 

 ちょろい。そして悪い人間に引っ掛けられないかと心配になる思考回路だ。

 そんな脳みそまで胃袋で出来ていそうなつむじに対し、まず教えることは、

 

「『ありがとう』をたくさん言おう!」

「……どういう時に?」

「それは感謝を覚えた時にだよ」

「ほとんどない」

「え゛」

 

 まずい。詰んでしまう。

 

「い、いやいやいや……それなら……そうだ! 何かしてもらった時に言うといいよ!」

「何かって何?」

「そうだなぁ……料理を作ってくれた人には『料理を作ってくれてありがとう』。布団を敷いてくれた人には『布団を敷いてくれてありがとう』……みたいな?」

「そのままのことを言えばいいの?」

「そうだね! あ、でもちゃんと感謝して言わなきゃダメだからね? 相手が自分のために苦労してくれてるんだなぁ~って想ってこそ、言葉に心が込められるものだから」

「ふ~ん」

 

 今まで感謝などしてこなかったつむじは、凛の力説にも心響かないと言わんばかりの無表情で五枚目の煎餅を手に取る。

 「食べカスを零さないようにね」と注意しつつ、話は次なる改善点へと移った。

 

「それと、あんまりこういうことを女の子に言うのはあれなんだけれど……お風呂はしっかり入った方が……ね?」

「ヤダ」

「拒否が早い!?」

 

 まさかの即答である。

 ここまでの早さで答えるということは、それなりに嫌がる理由があるのだろうか?

 

「な、なんで……? お風呂気持ちいいのに……体も綺麗にできるし……」

「行水で足りる。それに……」

「それに?」

「昔、煮えた風呂釜に沈められて殺されそうになった」

「………………ごめん」

 

 嫌がる理由は単純。トラウマだからだ。

 まだやんちゃしていた頃、怒り狂った町人に報復としてグラグラと煮えたぎった風呂釜に沈められ、溺死させられかけた。

 それ以来、熱い湯の張った風呂釜には拒絶反応を覚えるようになり、今の今まで行水で済ませるようになったらしい。

 

 過去の嫌な思い出を口に出させてしまったことを申し訳なさそうにする凛。

 だが、だからといって引き下がるのも彼女のためにならない。

 

「つむじがお風呂嫌いなのは分かったよ。でも、水で洗うよりお湯で洗った方が綺麗になるよ?」

「お湯は、飲んだり食べ物を煮るのに使うもの……煮られるつもりはない」

「違うから! お風呂入ってる人が皆煮られてる訳じゃないから!」

 

 かつてないほど神妙な面持ちで言い放つつむじに、思わず凛もツッコまざるを得ない。

 

「じゃあ、無理に湯船に浸からなくてもいいから、桶とかに掬ったお湯を使って体とか洗ってくれないかな?」

「善処する」

 

 入浴を強制させるのは不可能だが、なんとか一歩前進した。

 その後も一点一点直した方がいい部分を優しく教えていた凛であるが、次第につむじの顔は険しいものとなる。

 

「……そんなに覚えられない」

「あぁ、ごめんね! こんなにたくさん急には覚えられないよね……」

「必要に迫られれば覚える。でも、今言われたことに必要性を感じない」

「で、でも、それじゃあ燎太郎と友達に―――」

「友達って絶対必要なの?」

 

 僅かに眼光が鋭くなったつむじが問いかける。

 

「食べ物みたいに必要? 水を飲まなきゃならないのと同じくらい? 私はそう思わない。だって、友達が居なくても今まで生きてこられたから」

 

 つむじの感性は、人よりも獣に近しいものかもしれない。

 生きるために必要か否かで物事を判断する。

 鬼を殺すのも、鬼殺隊としての給金を貰って生きていくための行いだ。盗みも働いたのも、人を殺したのも、全ては生き抜くための行為。

 だからこそ、今のつむじにとって“友”が絶対必要と断じられない以上、必要でないものを得るための努力は無駄だとしか思えないのだ。

 

「そこまで友達を作らせようとするのって、なんで?」

 

 純粋過ぎる瞳が凛を射抜く。

 

 友が必要な理由―――凛はすぐに答えられなかった。確かに、二人に友達になってほしいと考えてこそ居るが、それが絶対に必要な理由については深く考えていなかったのだ。

 ただ仲良くなってほしい。その無垢な願意は誰に咎められるべきものではないが、だからといって押し付けていいものでもなかった。

 

(それでも―――)

 

 吹き抜ける風が止んだのと時を同じくし、凛は口を開いた。

 

「楽に生きられるから……だと思う」

「楽?」

「うん。楽って言っても、簡単に生きられるとかそういう意味だけじゃなくて……人生が楽しくなる、って感じかな」

「なにが違うの?」

 

 チンプンカンプンなつむじが腕を組み、首を傾げる。

 その様子に「はははっ」と笑いながら凛は語を継ぐ。

 

「辛い苦難に直面しても励まし合う友達が居たら、一人よりもずっと楽に苦難を乗り越えられる……そう思うんだ」

「……」

「だから、つむじも一回だけでいいから……僕たちと友達になって生きてみてほしい。そこからどうするかはつむじが決めていい―――ううん。つむじだけにしか決められないから」

 

 月並みな言葉を紡いだ凛は、今話した内容がきちんと伝わったのかを、一旦自分の脳内で反省する。

 しかし、それよりも早く思案中で固まっていたつむじが動き出す。

 

「わかった。一回試す」

「そう!? ありがとう!」

 

 どうやら真摯に説いたことが幸いしてか、つむじが首を縦に振ってくれた。

 相手を慮ってとは言え、やや押しつけがましい願いを口にしたにも拘わらず、このように承諾してくれた事実は非常に嬉しいことであろう。

 凛は感動の余り、顔が緩んでしまうのを止められない。他人の心を動かす経験は、これが初めてだった。

 そうした感動の余韻にも浸ることなく席を立ったつむじは、さっさとその場から立ち止まろうとしたが、

 

「あ」

 

 廊下に向けてきた踵を返し、凛と視線を交わす。

 

「えっと……ん~、色々話してくれてありがとう?」

「へ……?」

「で、いいの?」

「っ……うん! ばっちりだよ!」

 

 不慣れな感謝の言葉が鼓膜を揺らし、一層心が震えるようだった。

 歓呼したい衝動を必死に抑え、最後に「どういたしまして」と告げる。それを聞いてつむじは刻み足で去ってしまったが、一人きりになっても尚、凛はぽわぽわとしながら正座していた。

 

(これでつむじは……! あとは燎太郎だけれど……ん?)

 

 しばし感動に浸っていた凛であるが、またもや背後から向けられる視線に気が付いて振り返る。

 障子の隙間から覗いていたのは、やはりと言うべきか、何故か鬼殺隊に対して気受けが良くない良樹であった。

 

「どうしたの?」

「っ!」

 

 良樹は早々に気づかれてビクリと肩を跳ねさせるが、そのまま逃げさる素振りを見せることなく、片陰に半身を隠しながら口を開いた。

 

「……まだ帰らないの?」

「え? あ……うん、そうだね。この家の警護も任務の一つだから。まだ安全だって断定できない内は離れられないかな……」

「あんなに仲悪いのにこの家を守れるの?」

「うっ」

 

 痛いところを突かれてしまった。

 傍目から見て自分達の仲が悪そうに見えるとは、早々に関係改善が求められる。

 思わず押し黙る凛だが、そんな彼を刺すような視線で睨みつける良樹は続けた。

 

「鬼狩りは自分の身も守れないって知ってるよ」

「それは……鬼も一筋縄じゃないかない相手なんだ。どれだけ鍛錬しても……勝てない時もある。でも、絶対に君たちのことは―――!」

「鬼狩りは嘘つきだ!!」

 

 凛の声に被せる形で良樹が声を荒げる。

 感情が高ぶったのか、心なしか瞳が濡れてきている。

 そんな彼から感じる“熱”は、怒りと―――哀しみ。

 

「……どうしてそう思うのかな?」

 

 穏やかな声音で問う。

 

「君の気持ちを分かってあげたい」

 

 実際に言葉を交わす大切さは嫌と言うほど理解しているからこそ。

 

「教えて……くれないかな?」

「っ……」

 

 優しい笑顔を浮かべた凛に、怒りと悲しみに歪んでいた良樹の表情が緩む。

 それと同時に目じりに溜まっていた雫が零れそうになったが、直前に袖で強引に拭った良樹は、呼吸を整えて凛の前に歩み出た。

 そんな彼に「座って」と促す凛に従い、行儀よく正座する良樹。以前は初対面の相手に無礼な物言いをした彼であるが、こうして見れば根はいい子だと分かる。

 

 何が彼を鬼狩り嫌いにさせたのか―――それが今から語られる。

 

「……昔、あんちゃん達みたいにウチに住み込んでた鬼狩りが居た」

 

 ポツリポツリと紡ぐ良樹の瞳には、どこか懐古の念が浮かび上がっているように見えた。

 

「気のいいあんちゃんだった。鬼を倒しに行くたびに怪我して帰って来たけど、その度『鬼を倒し人を守るのが誇りだ!』って言ってさ……俺もそんなあんちゃんに憧れて……姉ちゃんは惚れた」

「姉ちゃんって……あの美人なお姉さんのことかな?」

「だろ? でも、昔はもっと明るくて……今みたいに具合悪そうな顔なんてしたことなかった」

 

 そう語られ、凛はなんとなく思い至るが、あえて口には出さない。これは良樹の口から語られなければならないことだから。

 

「姉ちゃんは鬼狩りのあんちゃんに惚れて……そのあんちゃんも姉ちゃんに惚れた。婚姻まで話も進んでたんだ。それを家の皆が喜んでた。でも―――そいつは祝言上げる前の任務に行ったっきり帰ってこなかった」

 

 膝の上で握る拳はブルブルと震えている。それに伴い、一度は引っ込んだ涙も滂沱の如く溢れ出してきた。

 

「姉ちゃんは『鬼狩りに嫁ぐ以上、それも覚悟してた』って……でも、嘘だ!! 姉ちゃんは見るからに気を病んで……!! こうなったのは全部あの鬼狩りのせいだ!!」

 

 自分の膝を殴る良樹。

何度も何度も乾いた音を響かせるのは、鬼狩りを恨んでか、はたまた自分の無力を嘆いてか。それは赤の他人の凛には推し量るも憚れることだった。

 

「絶対帰ってくるって……言ったのに……!!」

 

 悲嘆するように話は締めくくられた。

 姉を悲しませた鬼狩りへの憤りと、義兄になるかもしれなかった男を失った悲しみ。それが良樹という少年を思い悩ませ、鬼狩りに忌諱の念を覚えさせる理由であった。

 

 語るのも憚れる過去を紡いでくれた良樹の肩に手を置いた凛は、彼の涙が止まるまで、しばし静かに寄り添う。

 痛いほどの沈黙を経た良樹はすっかり意気消沈していた。

 

「……だから俺は鬼狩りが嫌いだ。ここに来た鬼狩りはみんな得意げに言うんだ。『鬼を倒す』って。でも……できっこないことを言う奴は嘘つきなんだ。嘘つきは泥棒の始まりって言うよな。姉ちゃんは……大事なもんを鬼狩りに盗まれてった」

「それは……」

「分かっただろ? 姉ちゃんは鬼狩りを見る度に辛い思いするんだ。さっさと帰っておくれよ」

「……できない」

「なんでだよッ!」

 

 大声を上げる良樹。無論、それは姉を想うが故とは言え、一人よがりな我儘であると本人も理解している。

 しかし、しかしだ。それ以上に鬼殺隊の姿を見る度に沈痛な想いをして苦しむ姉の姿が見るに堪えない。

 

「帰れよ……帰ってくれよぉ……!!」

 

 ボロボロと零れる涙が畳みに無数の染みを描く。

 その姿が凛には、鬼殺隊の目の前で涙を零せぬ姉の代わりに彼女の苦痛を伝えようとしている姿に見えた。

 数秒、逡巡する。

 だが、自分もまたこの姉想いの少年に伝えなければならないことがあると、凛は紡ぐ。

 

「ごめんね、良樹くん。君がどれだけ鬼殺隊(ぼくたち)を嫌っても……僕たちにはやらなきゃならないことがあるんだ」

「なんだよ……この家を守ることかよ?」

「違う」

「? だったら……」

「命をかけて、鬼から人を守ること」

 

 一瞬、瞠目した良樹が何か言いたげに口を開こうとしたが、被せるようにして言葉が紡がれた。

 

「それはとても……とても大変なことなんだ。死ぬ思いをして鍛錬しても、鬼と戦って命を落とすこともある……それくらい鬼殺隊が戦うのは、守りたい人の命があるからだよ」

「ッ……だからって、自分も死んじゃったら意味ないじゃないか!! 死んじゃった人が……一番大事な人だって人も居るのに……ッ!」

「そうだね。でも、良樹くんのお姉さんの婚約者だった人は、きっと自分の命以上に大切な人を守りたかったから戦ったんだよ」

「……それって」

「うん。君のお姉さんと、その家族の皆……勿論、良樹くんも含めてね」

 

 命を賭して、最期まで。

 

「だから、証明したい」

「証明って……なにを?」

「亡くなった良樹くんのお義兄(にい)さんの分まで、鬼殺隊が鬼から人を守ってるんだ、ってこと!」

 

 「だから邪険にしないでくれると嬉しいかな」と、苦笑した凛は締めくくった。

 

(ここ最近、誰かに話してばっかりだなぁ……)

 

 そこまで得意ではないのだが。

 と、頬を掻いていれば良樹が徐に立ち上がる。

 

「……わかった」

「良樹くん……!」

「でも、嘘だったら針千本飲ましてやる」

「うん、約束する」

 

 どうやら彼なりの理解を得られたようだ。

 これにて藤の家紋の家で任務を遂行する上での心配が一つ減ったこととなる。

 

(あとは燎太郎だけど……)

 

 頑固な一面があると分かった彼を説くのは並大抵の労力では済まない。長丁場になるなと考えつつ、凛はふと外に目を向けた。

 青く塗りたくられた景色には、鱗のように細やかな白い雲が点々と浮かんで流れている。

 

(鱗雲……数日後には雨が降るな)

 

 鱗雲は数日の内に雨天が訪れる兆候。鬼殺隊の隊服は濡れにくいものの、だからといって雨が降りしきる中で活動するのは憚られる。

 鬼殺隊としてはそこまで喜ばしい天候ではないものの、百姓にとって―――否、生き物にとっては天からもたらされる恵みだ。

 

(二人には任務の時に笠でも被っていくように伝えておこうかな)

 

 もしも雨の降る日に任務があるとするならば、その時他の二人に雨具を持たせよう。

 天の恵みに対する細やかな抵抗を考えつつ、凛の口元はフッと緩むのであった。

 

 

 

 雲行きは―――僅かに乱れている。

 

 

 

 ***

 

 

 

 藤の家紋の家に滞在してから、早一か月。

 家に居る時は鍛錬し、伝令が来たら任務に出向く。当初はいつ鬼の襲撃が来るのかと緊張感に漂っていたものの、こうも何事もないと拍子抜けと言わざるを得ない。

 だがしかし、討伐報告が上がっていない以上、藤の家紋の家を襲撃する鬼が健在していることは明らかだ。

 

 いつ鬼が襲撃してきてもおかしくはない―――気を入れ直すように自身の頬を叩く凛は、他二人が任務に赴いている留守の警護役として、辺りの気配に気を配る。

 

(……それにしても、もうすぐ雨が降りそうな空模様だなぁ)

 

 数日前の雲行きの通り、夜中ながらも今にも雨が降り出してきそうな厚い雲が空を覆っている。

 

(濡れない内に帰ってきてくれればいいけれど)

 

 雨の中では鬼の痕跡も探しにくくなる。

 そうなれば必然的に鬼までたどり着くのに時間がかかり、結果的に帰還までにかかる日数が増えてしまうことだろう。

 それに風邪も引いてしまうかもしれない。燎太郎はともかく、自分の身に無頓着そうなつむじはずぶ濡れで帰ってくる姿が容易に想像できてしまう。

 

(その時は温かいお茶でも淹れてあげようかな)

 

 この一か月で彼女との仲も大分進展したように思える。

 つむじから感じる“熱”は、最初こそ他に興味を抱いていないと言わんばかりの冷めたものであったが、ここ最近では逐一反応が“熱”に現れていた。

 特に美味しい食べ物を贈った時は、見るからに嬉々とする。常時仏頂面の彼女の喜ぶ姿は、見ているだけで微笑ましいものだ。

 

 と、つむじとの進展を振り返っていれば、背後から美味しそうな香りが漂ってくる。

 

「あんちゃん」

「良樹くん。どうしたの?」

「姉ちゃんが夜食に持ってってあげろってさ。これ」

 

 子供にとってはそろそろ瞼が重たくなる時間であるにも関わらず、夜食の差し入れに来てくれた良樹。

 皿の上に乗ったおにぎりは、炊き立ての物で握ったためか、ホカホカと白い湯気が立ち上っている。

 たくあんも傍に添えられた皿を受け取った凛は、立ち上る食欲をそそる香りに思わず腹を鳴らす。

 

「あははっ、ありがとうね」

「……本当に鬼狩りって一晩中起きてるんだな」

「ん? まあ、そうだね。鬼が活発になるのは日光のない夜の間がほとんどだから」

「昔、鬼狩りのあんちゃんが昼間の間グータラ寝てる姿見て怠け者だなって思ってたけど……そりゃ、夜の間ずっと寝てなけりゃ昼間眠るしかないよな」

「だね。昼間はお天道様が鬼が暴れないように空から見張っててくれるから、夜中は代わりに僕たちが頑張らなきゃ」

「……そっか」

 

 受け取ったおにぎりを口に含む凛の横にちょことんと腰かけた良樹は、はぁ~と深いため息を吐いて夜空の暗雲を見上げる。

 

「俺、知らなかった。知ろうともしなかった。鬼狩りが本当に大変な仕事だって……」

「良樹くん……」

「一方的に恨んでさ。良いところ見つけようとするより、悪いところばっか見つけちまう……俺って本当に嫌な野郎だ」

「それは違うよ」

「え?」

 

 弾かれるように面を上げた良樹に、凛は笑顔で告げる。

 

「確かに良樹くんは鬼殺隊(ぼくたち)の嫌なところにだけ目を向けてたかもしれないけれど、今はそんな自分を省みてるじゃないか。自分の嫌なところを認めて、直そうとする……それって案外大変なことなんだよ。だから、ほんの少しでも自分の非を認めて直そうって一歩踏み出すことは、とても尊いことだって……僕は思う」

「……あんちゃん」

「鬼殺隊の嫌なところも良いところも見てくれた良樹くんは、きっと良い方向に成長できるって、僕は信じてるよ」

「……あんちゃん、随分臭いこと言うんだな」

「え゛っ。そ、そんなに臭いこと言っちゃったかな」

「でも―――悪い気はしねえや」

「! ……そっか」

「ははは!」

「あはは!」

 

 初対面が嘘のように打ち解けて笑い合う二人。

 

 しかし、生温い夜風に乗って漂ってきた臭いに、良樹が顔をしかめた。

 

「なんだァ? 焦げ臭え……姉ちゃんが台所でなんか焦がしたのか?」

「……良樹くん」

「な、なんだよ?」

 

 神妙な声音になった凛に声を掛けられ、思わず肩を竦める良樹であったが、次第に焦げ臭さが増していく場の空気に不穏な気配を覚え始める。

 異常だ。調理で食材を焦がした程度では、ここまで漂ってくるはずはない。

 

 刹那、険しい面持ちの凛が声を上げる。

 

「僕は臭いの下に行く! 良樹くんはお姉さんのところに行ってみてくれ!」

「う、うん!」

 

 手に持っていたおにぎりを口に詰め込んだ凛が、日輪刀片手にその場から駆け出していく。

 少なくとも焦げ臭さの原因は台所ではない。風向きを確かめる限り、それは間違いない。

 

(方角は……向こうか!!)

 

 肌身で感じ取る“熱”が異常な熱さを教えてくれる。

 ここまで離れているにも関わらず、ピリピリと肌を焼き付けるような感覚。空気中に水分が一斉に逃げ場を求めて上空へと昇っていく。心なしか肺に取り込まれる空気も乾燥している

 

(火事か……まさか!?)

 

 不意に足を止めて見上げた先では、家の周りに生えていた木々に炎が灯っている。

 山火事など、人為的でなければ起こり得ない事象だろう。しかし、現に木々は燃え盛り、どす黒い黒煙を立ち上らせているではないか。焦げ臭さの原因は間違いなくあれだ。

 

「鬼が……来たのか!」

 

 先手を打たれたことに歯噛みする凛であるが、今は立ち止まっている時間が惜しい。

 町から少し離れた場所に位置するこの家には、火消しがやって来るにも相応の時間がかかる。

 早々に家の者を避難させなければ―――そう思った時であった。

 

「! 別の場所でも火が……くそっ!!」

 

 ゴウッと風が逆巻くような音が鳴り響くと同時に立ち上った火柱が、また別の木々に炎を灯す。青い青い悍ましい鬼気を覚える炎の色。それを一目見れば、一般人でもただ事ではないと理解できるだろう。

 火柱は藤の家紋の家を囲むように次々と立ち上る。恐らく逃げ道を塞ぐように炎を灯しているのだ。

 

(鬼を倒さなきゃ……でも、まずは家の人を避難させなきゃ!!)

 

 火元の鬼を倒さなければ、この回禄の災いは止まらない。

 しかし、吹き荒れる熱気で鬼の居所を特定できない以上、逃げ道がある内に家の者を逃がすのが先決だ。

 燎太郎かつむじのどちらかでも居れば状況は変わったかもしれないが、ないものねだりをしても仕方がない。

 

(今僕が出来ることを精一杯やることだけ考えろ!!)

 

 踵を返し、家へと戻る凛。

 一刻の猶予もない。その事実が、凛の足を一層前へと突き動かす。

 

「死なせない……誰も……死なせるもんかあああああッ!!!」

 

 

 

 ***

 

 

 

 糸遊の如く景色が揺らぐ。

 燃え盛る炎を突き進むのは、眼前の家を塵も残さず焼き払わんと全身から蒼炎を迸らせる一人の鬼だった。

 眠れぬ鬼が夢見心地で揺らぐ景色の奥に幻視するもの。それは今の彼を突き動かす、とある者との思い出だ。

 

『―――黒縄(こくじょう)。邪魔な鬼狩りに与する藤の家紋を掲げる家の人間を殺せ。そうだな……十軒ほど屠ったならば、お前を十二鬼月に入れることを考えてやらんでもない』

 

 その声音は妖しくも心地よい。人生―――否、鬼になってからこうも心奪われたのは、その者との過ごした刹那に等しい時間だけだ。

 

「十二鬼月……いいよなぁ~~~、強ぇんだよなぁ~~~。俺よりずっと前に鬼になってよぉ、人間いっぱい喰ったんだろうなぁ~~~。羨ましいなぁ~~~、妬ましいなぁ~~~」

 

 木の幹に突き立てる腕から、燻る妬心に比例して迸る火勢が強まっていく。

 自分の身をも焼き焦がす業火であろうと、鬼の体はすぐに再生する。しかし、絶え間なく燃え盛る炎に焦がされる身は、一層黒々としたものへと変貌していくではないか。

 

「でもなぁ~、これでやぁ~っと十軒目……()()()()のおっしゃった数に届く……クク、クヒ、クヒヒヒヒッ!」

 

 鬼の爪を突き立てられていた木の幹はみるみるうちに炭化していき、最期には鬼の握力によって炭化した部分を砕かれたことにより、自重を支えられなくなって倒れていく。

 そんな木に灯った炎は、家を囲んでいた木製の塀に移らんと燃え盛る。

 

「藤臭ぇなぁ~~……でもよぉ~、こうして燃やせば関係ねぇよなぁ~~~? 蜂の巣燻すみてぇによぉ~~~」

 

 藤のお香を無力化するための策として、鬼は燃やした木を倒すことで家に炎を燃え移らせようとしていた。例え鬼自身が近づけなくても、こうすれば間接的にお香を無力化することは叶う。

 だからこそ、彼―――黒縄は「あの御方」と呼んだ者に指示され、藤の家紋の家を燃やしていた。

 

「良い家住んでなぁ~。金たくさんもらってるんだろうなぁ~。妬ましいなぁ妬ましいなぁ。そりゃ大層幸せに暮らしてんだろうなぁ~~~」

 

 次々に木に炎を灯す黒縄は、妬心の余り血涙を流しながら辺りを燃やし続ける。

 

「許せねえぁ~~~。俺より幸せでよぉ~~~……家も物も金も人間も全部燃やしてやるからよぉ~~~……それでやっと俺と同じ土俵だぁ……いや、俺の方がもっと不幸だぁ! クソッ、クソッ、クソッ!! あぁ、燃やし足りねえなぁ~~~……!!」

 

 ガシガシと頭を掻きむしりながら、一層苛烈になる炎を解き放ち、黒縄は突き進む。

 その足が向かう先は藤の家紋の家の方だ。最早、藤のお香が役立たない程に火が燃え広がっている。

 赫々と燃え盛る景色は地獄そのもの。

 その炎熱地獄を進む黒縄もまた、地獄に囚われた咎人の如く悍ましい。

 

「妬ましいなぁ……妬ましいぁ……」

 

 焼け落ちた塀の残骸を雑多に蹴り飛ばす黒縄。

 そんな彼の傍を、原型も残らぬほど焼け焦げた藤の花の塵が舞い散った。

 

 

 

 ***

 

 

 

「あ……あぁ……あぁぁ……」

 

 紅蓮に彩られる景色を前に、良樹の姉は膝から崩れ落ちた。

 絶望した面持ちを浮かべる彼女の瞳は現実を直視せぬようにと焦点があやふやとなっていた。

 曖昧になる景色。その先に幻視したのは、忘れられない藤の花が咲き誇る日の出来事。

 

『ボクはここの景色が好きだなぁ』

 

―――燃えて、消えて、無くなる。

 

『でも、君と見てるともっとずっと綺麗に見えるんだ』

 

―――あの人との思い出の場所が、全部。

 

『ここを……ボクの帰る場所にしてもいいかな?』

 

―――また、失われてしまう。

 

「い、いやぁ……いやぁあぁあぁああ……!!」

「姉ちゃん!! なにしてんだよ!! 早く逃げよう!!」

 

 髪を振り乱すほど気が動転した姉の手を引くのは、凛に言われてやって来た良樹であった。

 しかし、女と言えども体格差と姿勢の関係上、中々姉を引き摺ることができない。

 このままでは刻一刻と増す火勢が、家どころか自分たちをも焼きかねないだろう。

 ここに来て家族一人を助け出すことも叶わない事実に、良樹は途轍もない無力感に苛まれる。

 だが、

 

『―――と結婚したら、良樹はボクの義弟になるのかぁ』

『なんだか変な感じだよ……今まで兄ちゃんなんて居なかったからさ』

『それはボクも同じさ。だけど、嬉しいよ。家族が増えて……』

『……うん』

『なあ、良樹』

『なあに?』

『もしも……もしもだ。ボクになにかがあったら、キミが彼女を守ってくれ』

『え? で、でも……俺、いっつも姉ちゃんに面倒を見られてばっかで……』

『大丈夫。だって良樹はこれから、鬼から人々を守る鬼殺隊士の弟になる男なんだからな。それくらい強くなれる』

『俺が……ほんとに?』

『ああ、ほんとさ。だから約束だ』

『……うん、約束だよ―――』

 

 義兄になるはずだった男との思い出が走馬燈のように脳裏を駆け巡る。

 そうだ、約束したはずだった。彼を失った悲しみに明け暮れ、半ば忘れてしまっていた約束。

 無意識の内にその約束を果たさんと、姉を悲しませる鬼殺隊に強く当たってしまっていたが、それでは姉を守れるはずがない。

 

 愚かな過去の自分を殴り飛ばしたい衝動に駆られながら、良樹の掌が振り抜かれた先は―――姉の頬だった。

 それなりに手加減した平手打ちであったが、姉を一時的に正気に取り戻させるほどの衝撃はあったようであり、彼女の焦点が目の前の良樹に合う。

 

 そうすると徐に彼女の頬を、良樹の両手が挟み込む。

 

「しっかりしろ、姉ちゃん!!」

「よ、良樹……?」

「燃えた家は建て直せる!! 焼けてなくなった物も買い戻せるかもしんねえ!! でも!! 姉ちゃんが燃えたらどうやったって取り戻せないんだぞ!!」

「!!」

「姉ちゃんの方が分かってることだろ!!」

 

 失われた命は回帰しない。

 それを理解しても尚立ち上がり進められないのは、動き出してしまえばぽっかりと穿たれた心が瓦解してしまいそうだったから―――前に進もうとしたら、大切な人との思い出がいつの間にか色あせてしまいそうだったからだ。

 

 だが、きっとそれを()は望まない。

 彼はいつも未来を視ていた。美しい未来を作ろうと戦っていた。愛する家族のために、世界を変えようと抗っていた。

 そんな彼に囚われていつまでも変われないのが、最も愛された自分の世界だと彼が知れば―――彼を失った自分のように悲しみに明け暮れてしまうだろう。

 

 二度、頬を叩かれたような衝撃を覚えた。

 無論、良樹が再び姉の頬を叩いた訳ではない。

 しかし―――なんだ、意外と自分の心は崩れてくれるほどヤワなものではなかったらしい。

 

「ッ……ごめんなさい、良樹。取り乱したりして……」

「姉ちゃん……」

「早くみんなに逃げるように伝えましょう!」

「っ……うん……ッ!?」

 

 いつかの日のしっかりした姿に戻ってくれた姉を目の当たりにした良樹であったが、不意に背後で鳴り響く音に振り向いた。

 直後、轟音と共に壁が弾け飛ぶ。

 何が起こったのか目を凝らそうにも、眩い炎で視界を晦まされ把握することさえままならない。

 加えて、弾け飛んだ壁の破片が二人に襲い掛かって来たではないか。

 

「うわあああ!?」

「危ない!!」

「ね、姉ちゃ……!!」

「あうぅっ!?」

 

 咄嗟に良樹を庇うように覆いかぶさる姉であったが、苦悶の声を漏らしてしまう。

 そのままその場に蹲ってしまう姉を心配そうに見つめる良樹は、姉の脚から血が滲み出ているのを目の当たりにした。恐らく、破片の一部が脚に直撃してしまったのだろう。

 

「ね、姉ちゃん! 姉ちゃん!」

「―――おぉ? み~~~っけたぁ~~~……」

「ひっ……!?」

 

 姉の身を案じる良樹の一方で、グルグルと唸るような声音で紡がれる声が響く。

 上半身は半裸で、腰には注連縄のような縄が巻かれ、簡素な袴を穿いている肌黒の男が立っていた。

 しかし、鋭い爪はひび割れた皮膚から覗く煌々と明滅する赤い灯が、彼が人間でないということを容易に想像させる。

 

「お、鬼だ……姉ちゃん!! 早く逃げようよ!!」

「わ、私は……脚が……貴方だけでも逃げて……!」

「ヤだよ!! 約束なんだ!!」

「っ……!」

 

 誰のとは言わないが、その口振りで誰と交わした約束であるのか思い至った良樹の姉は、沈痛な面持ちを浮かべる。

 

「はぁ~~~……美しい姉弟愛ってやつかぁ~~~……?」

 

 だが、そこに水を差す畜生が一人。

 

「姉にゃ弟が居てよぉ~~~、弟にゃ姉が居てよぉ~~~……そりゃあ毎日賑やかだったろうによぉ~~~……」

 

 黒縄の罅割れた皮膚から漏れだす血が間もなく沸騰して蒸発する。

 

「俺にゃ~家族なんて一人も居ねえのによぉ~~~……幸せだったよなぁ~、なぁ~~~?」

 

 それが瘡蓋(かさぶた)のように罅を塞げば、直後に真っ黒こげに炭化して剥がれ落ちた。

 

「妬ましいなぁ妬ましいなぁ。裕福な家に生まれてよぉ~~~。その上鬼狩りに手ぇ貸しては、人様守ってるお力添えになれて嬉しいですみたいに偽善に酔ってたんだろうなぁ~~~……人生楽しかっただろうなぁ~~~……!!」

 

 刹那、貯めきれなくなった蒼炎が黒縄の体から迸った。

 

「ダメだダメだダメだダメだぁ~~~……!! ぜぇ~~~んぶ台無しにしてやらねえと気が済まねぇ~~~……!!」

 

 血が出るほど頭を掻きむしった黒縄は、徐に片手を掲げる。

 すると、手の周りに不気味に揺らめく蒼い火玉がいくつか浮かび始めるではないか。さながら、その光景は鬼火のようであった。意思を持っているかのように揺らめく炎が、二人の瞳に映し出されている。

 

血鬼術・蒼鬼炎(そうきえん)

 

 数多くの人々を不幸のどん底に陥れた炎が今、二人に襲い掛かろうとしていた。

 

「良樹だけでも逃げて!!」

「嫌だ!! 姉ちゃんを守るんだ!!」

 

 絶体絶命の状況を前に互いの命を慮る二人であるが、それではどちらも守れはしない。

 黒縄にとっては動かぬ的だ。これ以上狙いやすい的はないと、彼の口角が歪に吊り上がる。

 

「安心しろぉ~……俺とおんなじくらいどん底に叩き落としてやるからよぉ~~~……簡単には死なせねえからよぉ~~~」

 

 浮かぶ火玉を投げつけんと、黒縄は振りかぶる。

 そして、

 

「二人仲良く……地獄を味わいなぁああああ!!」

「姉ちゃ―――!!!」

 

 戦火の中、空から吹雪が吹き荒れる音が奏でられた。

 

 

 

 氷の呼吸 壱ノ型 御神渡り

 

 

 

 黒縄の背後に奔る紫電が、彼の頚ごと手首を斬り落とそうとした。

 しかし、黒縄は寸前で奇襲に気が付いたのか、炎を操る腕で背後から振り抜かれる刃を受け止めた。

 刃が皮膚に触れた瞬間、人―――もとい鬼ではあるが、肉を斬り裂くような音ではなく、硬い物にぶつかったような甲高い音が鳴り響く。

 結果的に言えば、斬撃を受け止めることはできなかったものの、手首が斬り飛ばされる間の隙に頭を傾けることはできた。

 

 そうして窮地を脱した黒縄の一方で、練り上げていた火玉は霧散する。

 チッ、と舌打ちを鳴らす黒縄は、背後から襲い掛かって来た少年へと目を遣った。

 

「鬼狩りか……やっぱり警護してやがったかぁ~~~」

「人の……」

「あ?」

 

 脈絡のない言葉に、黒縄のみならず良樹達も首を傾げる。

 しかし、やや俯いているにも関わらずひしひし伝わって来る赫怒の気が、場に居る者全員を震え上がらせた。

 そのまま凛は紡ぐ。

 

「人の幸福を許せず……邪魔して……あまつさえ自分よりも不幸にさせようとするなんて……」

「あ? ……クヒ、そうさ。俺はなぁ~~~……自分よりも幸せそうにしてるやつを見るとなぁ? 腹の辺りが疼いて仕方ねえんだよぉ~~~……!! わかるよなぁ? 他人を羨ましく思う気持ちをよぉ~~~……妬ましくて妬ましくてどうしようもなくなって、他人を無茶苦茶にしてやりてぇってこの感覚がよぉ~~~……!!」

「……あぁ、そうか。だったら言うよ」

 

 鋒が黒縄に向けられる。

 同時に上げられた凛の面は、かつてないほど凄惨な表情を浮かべていた。凍てついた殺気が黒縄を突きさす。

 

―――殺気とは、斯くも純粋に在れるのか。

 

 (ごみ)を見ている方がまだ感情が籠っているだろうと思えるほどに澄み切った殺気を尖らせる凛が言い放った。

 

「お前は……鬼畜生以下の屑だッ!!!! 命を蔑ろにしてッ!!! 思い出を踏み躙ってッ!!!」

「―――!!!」

「お前には地獄すらも生温いッ!!! 斬る……絶対に!!! 今!!! 今だ!!! 今ここでだ!!!」

 

 鬼すらもたじろぐ鬼の形相で吼える凛は日輪刀を構える。

 噴火するような憤怒を映し出すように、普段は白銀に近い色の刀身が、今は燃え盛る炎を反射して紅蓮に染まっていた。

 

 斯くも、黒縄を斃す鬼滅の刃が構えられた。

 

「覚悟しろ、悪鬼め!!! 鬼殺隊の名に懸けて……お前を斬り、人を守るッ!!!」

「―――いいなぁいいなぁ……そういう奴ほど……堕とし甲斐があるんだよなぁあぁぁああぁあ!!!」

 

 紅蓮の炎を背景に、一人の鬼狩りと一人の鬼の戦いが始まらんとしていた。

 

 

 

 地獄に堕とされるのは、果たして―――。

 

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