鬱陶しい程の羽虫、立ち込める熱気、柔らかく不安定な地面…
そんな不愉快極まるジャングルの中を足早に進む者がいる。その輪郭は遠い昔に滅び去った大型類人猿に似ていなくもないが、明らかに雰囲気が異なる。大抵の類人猿が大人しい雑食動物なのに対して、彼らは獰猛な…否、凶暴な肉食動物である。事実その顎には円錐形の鋭い牙がこれでもかと並んでいる。
だが彼らの最大の武器は牙ではない。その姿を見たときに明らかに殺意を感じるのは彼らの前腕に装填された3本の鉤爪である。内2本は歩行兼攻撃用であり、残る1本完全な攻撃用として下腕の中程に突き出ている。
この未来の捕食動物はその外見からは想像がつかないが、唯一の飛行性哺乳類グループ。つまりコウモリの仲間にあたる。しかし外見にコウモリの特徴を見出すのは非常に困難であり、細く長い前腕や退化気味の眼の他には祖先との繋がりを示す特徴は存在しないようにも思える。
だが彼らの最大の特徴にして、祖先から受け継いだ唯一無二の能力が存在する。それは決して目に見えることはなく、感じることも困難。それは超音波を利用したエコーロケーション能力である。エコーロケーションとは自身が発した超音波の反響音の違いを探知して周囲の状況や物体の存在を把握する能力であり、人類時代においてはイルカやコウモリが行っていた。この未来の捕食動物も彼らと同等、もしくは彼ら以上に敏感な聴覚の持ち主であり、視界の効きにくいジャングルや廃墟の中であっても縦横無尽に動き回ることが出来る。
そんな未来の怪物は普段なら群れで行動しているが、今の彼はたった1頭でジャングルを徘徊している。これには理由があった。実はこの個体は近々1歳になる若者。性的な成熟も近く、親に頼らずとも食料を確保する技術を覚えるために普段の住処である岩山から麓のジャングル降りてきて狩りに勤しんでいた。
狩りを始めた頃には太陽は真上にあったが、今や地平線の向こうへと沈みかけている。彼が狙っているのはオカピにも似た未来の偶蹄類だった。何度かチャンスはあったものの、どれも忍び寄る途中で獲物に勘づかれて逃げられてしまっていた。残る体力は然程多くはない。夜の闇が一帯を呑み込もうとする中で彼に再びチャンスが巡ってきた。元々狙っていたオカピ似の動物の側に偶然未来の猪が姿を現した。本来は夜行性の動物であり日中は浅い巣穴に潜んでいるが、空腹に耐えかねたのか夕方にもかかわらず外に出てきたらしい。しきりに鼻を地面に突っ込み餌の地虫や果物を漁っている。先程のオカピ似の動物よりも小型のため狩るのは幾分簡単そうである。そこでこの若い狩人はターゲットを新手の猪に変更にすると、足音を殺して忍び寄り始めた。
10m…5m…3m…… 遂に射程距離に入った。どうやら獲物は自身の採食に夢中になっているらしく、今まさに狩られようとしている事に全く気づいていない。夕暮れの暗闇も捕食者に味方している。超音波を使って獲物の肉質を探ることで弱点を見抜いた。どうやら喉と後ろ足の付け根付近が柔らかく、反対に背中と肩は非常に硬いらしい。最終的に彼は獲物の喉に照準を絞ると決定的な隙ができるのを待った。
数分後、側にいたオカピ似の動物が藪の奥へと姿を消した。頼もしい見張り役を失ったことに気づいたのか猪が落ち着かなくなってきた。その焦りを感じ取ったのか、遂に捕食者が狩りの最終ステップに突入した。
全身をバネのように使って一気に獲物との距離を詰めて襲いかかると、その細い腕からは考えられない程の怪力で獲物の身動きを封じる。捕らえられた猪は死を招く鉤爪から必死に逃れようとするが、藻掻けば藻掻く程に鋭い爪が深々と食い込み逃げられなくなる。こうして獲物の自由を奪った捕食者はトドメの一撃を加えるために、喉元に喰らいついた。円錐形の乱杭歯が柔らかな皮膚を食い破って動脈を切断する。彼らの顎の力はお世辞にも強力とは言えないが、鋭い牙のおかけで軽い力でも難なく獲物に致命傷を与えることが出来る。やがて猪の動きが止まり数回痙攣したかと思うと完全に息絶えた。森に新たな犠牲者が出たことを暗示するかのように、夕日の残光が地平線の奥へと静かに消えていった。