ジャングルにかかる朝靄に混じって新鮮な血の匂いがする。ジャングルの外れでは昨晩獲物の横取りを企てたカムフラージュビーストが力なく横たわっていた。愚行の代償は高く付いたらしく、腹部から折れた肋骨が飛び出し一目で致命傷だとわかる。仲間はとっくにジャングルの奥へ姿を消しているため助けは期待できない。そもそも普段は単独性のカムフラージュビーストが繁殖期以外に同族と遭遇しようものなら流血沙汰になることは免れず、最悪の場合は片方の死によって終局を迎えることもある。そういう意味ではこの個体は悪運が強いのかもしれないが、野生動物がこれ程の深手を負ってしまえば助かる可能性は万に一つもない。もはや痛覚すら鈍くなったのかカムフラージュビーストは朝日が登るのに合わせて眼を閉じ、心拍を弱めていった…
こうしてジャングルに新たな犠牲者 ――もとい食料が供給されたが、それを巡る争いは時間との勝負になる。
湿度の高いジャングルではカビやバクテリアが容赦なく死体を分解し土に還そうとし、シデムシは死体を我が子のベット兼ベビーフードにするために骨から肉を引き剥がし、肉団子にして持ち去ろうとする。更にハゲタカは湾曲した嘴に物を言わせて死体を手早く喰い尽くそうとする…それぞれ用途は違えど死骸に依存する者ばかりであり、同時にプロの掃除屋(スカベンジャー)である。
だが真っ先に姿を現したのは珍しい生物だった。規則正しく土を踏みしめる足音がそのことを告げている。全身を迷彩色に身を包んだその生物は慎重に死体へ近づくと、食べるわけでもなく注意深く観察し始めた。
正体は人間だった。亀裂からコチラの世界に足を踏み入れた者なのか、それとも未来世界の生存者なのかはわからない。ただ迷彩服と背中に背負ったリュックサック、そして腰にぶら下げた工具類と銃火器は彼が軍人。もしくは傭兵といったタイプの人間であることを示している。やがて男の後方から数人の部下が藪を抜けて姿を現した。全員フル装備であり、何人かはEMDすら装備している。
「全く蒸し暑いったらありゃしないですね隊長。」
「減らず口をたたくなビリー、これも任務だ。さっさと政府のお偉方が欲しがっているものを調達するぞ。」
「はいはい。さっさと要件を済ませますか…」
どうやら彼らは別の時代からやって来たらしく、部下の一人がリュックから注射器を取り出したかと思うと死体から血を採取し、別の部下がカムフラージュビーストの牙を手早く抜き取ってポーチにしまった。この間僅か1分足らず。
しかし未来の住人にとっては充分すぎる猶予だった。
不気味な羽音が兵士の真上で鳴り響き、思わず顔を上げてしまった一人の顔面に異形の蟲が襲いかかる。それは兵士の顔を鎌のような脚で斬りつけるが、敵があまりにも激しく暴れるため危険を感じて飛び退いた。すかさず兵士達が一斉発砲で迎撃するが、蟲は淀みない動きで躱し木立の向こうへ姿を晦ました。
「待て!!」
と隊長が怒鳴ると銃撃が止んだ。
すると隊長は銃を構えたままの部下達に詰め寄ると容赦なく怒鳴りつけた。
「貴様ら…死にたいのか!?」
「「「「!?」」」」
言葉の意味がわからず、部下達は困惑しながらも隊長に反論した。
「死にたいも糞もないですよ!」
「一体あいつは何ですか?」
「撃たなきゃコッチが殺られてますよ。」
「隊長!!どういうことか説明してください!!」
口々に文句と疑問をぶつけてくる部下を片手で制すると隊長は語りだした。
「あれはメゴプテラン、別名『悪魔の天敵』だ、一口に言ってしまえば人食いスズメバチだな。 さっきのは1mくらいの子供だったが大人になれば2mを超す化物さ。」
「あれで子供ですか!?」
「そうだ、奴らは子供一匹でも人間を余裕で殺傷できる。」
その言葉に部下の一人が首をかしげながら質問した。
「じゃあ何故さっきは始末しなかったんですか、奴を始末する絶好の機会でしょう?」
「…危険過ぎるからだ。」
と隊長は重々しく答えた。
「メゴプテランは負傷すると体液と一緒にフェロモンを周囲に撒き散らす。それは本隊、つまりはメゴプテランの群れを引き寄せかねない。いくら我々の装備が整っていようと奴らの群れに取り囲まれたら一巻の終わりだ…」
衝撃的な事実を聞いた部下達は、先程の行為が正に『愚行』だったことをようやく理解した。そして隊長が続ける。
「奴の狙いは我々の側にある死体だ。サンプルも確保したことだし、今すぐこの場から離脱すれば深追いはしてこな…」
だが隊長の話が終わる前に再び子供のメゴプテランが飛び出してきた。ギチギチと関節を鳴らしながら兵士達に接近する。見ると歩脚の一本が銃撃によって失われているが、怯む様子は全くない。
「チッ、遅かったか…退却だ。 アンドレフ!スモークグレネードを使って奴を撹乱しろ!!」
「了解!」
指示を受けたアンドレフがスモークグレネードを投げ、一帯は白煙に飲み込まれる。そしてメゴプテランが敵を見失っている間に兵士達は駆け出した。目指すは時空の亀裂。そこさえ抜ければ例えメゴプテランの群れが追って来ようとも現代の重火器で楽々処理できる。
しかし、それを阻むように2mを超える大人のメゴプテランが飛来する。最後尾を走るウィルソンが最初の餌食となった。巧みな飛行で獲物の背後に回り込んだメゴプテランは、折り畳まれた捕脚をサッと伸ばすとウィルソンの上半身を挟み込む。
「ガッ!? てめぇッ!」
捕まれながらも渾身の蹴りをメゴプテランの腹部に当てて脱出したウィルソンは、後先構わずEMDを乱射した。だが大人がウィルソンの注意を引き付けている間に先程の子供がウィルソンに襲いかかった。今度は飛行しながら頭に飛びつき、執拗に喉を切り裂いていく。
声にならない悲鳴が漏れるがメゴプテランの攻撃は止むことなく続き、最終的にウィルソンは血塗れになって倒れた。
そこへアンドレフとビリーが突っ込みウィルソンを何とか救助しようとするが、そこへEMDを耐えきった大人が苛立ち紛れに捕脚を振り回した。運悪くそれに巻き込まれたビリーが一撃で両膝を砕かれ、ジャングルの奥へと叩き飛ばされる。どうやら付近には他のメゴプテランも潜んでいたらしく直後にビリーの断末魔が上がった。
忌々しい怪蟲を罵りながら生き残りの兵士達がジャングルを突っ切るが、周囲から否応なしに羽音が聞こえてくる。やがて彼らはジャングルに点在する泥場に追い詰められていた。
「何人生き残った?」
「私とアンドレフ、そして隊長だけです。」
「3人か…絶望的だな。」
暗雲立ち込める兵士達を他所にメゴプテランが狩りを続行する。もはや逃げ場を失った獲物にトドメを刺そうと、大人のメゴプテラン5頭と子供のメゴプテラン1匹が獲物の包囲して近づいてくる。
兵士達が覚悟を決めた…その時だった。
沼地にある何の変哲もない岩が突如として動き出した。岩は何も知らずに接近したメゴプテランの子供に向き直ると即座に長い舌を射出し、粘っこい唾液を使って藻掻く獲物を絡め取った。そして大口を開くと子供の振り回す鎌を意に介さず丸呑みにする。
いきなり子供が姿を消したことで混乱したメゴプテラン達は、周囲にある岩へ見境なく攻撃を開始する。
すると一部の岩から手が生え、足が生え、最終的には大きな目と大きく裂けた口を持った1mを超すカエルが姿を現した。通称『プレデタートード』 ――進化を遂げた未来のヒキガエルである。通常は木々の根本のような身を潜められる場所で手頃な小動物を待ち伏せして捕えるプレデタートードだが、今は彼らの繁殖期であり、繁殖相手を懸けた決闘を行うため成熟したオスが数多く泥場に集まっていた。オス同士の決闘に備えてアドレナリンを溜め込んでいたプレデタートードは目の前の相手を見境なく攻撃する。この場合ではメゴプテランがその標的となった。四方八方から飛びかかると大きな口でメゴプテランに噛み付く。牙こそ小さいが、粘着性の強い唾液と強靱な顎の力で倍以上の体格の持ち主とも互角に戦う。
慣れない相手に苦戦するメゴプテラン達だが、やがて反撃に転じた。強力な胸の筋肉を使って羽ばたいたかと思うと、目の前にいたプレデタートードに捕脚を勢いよく振り降ろす。プレデタートードは祖先よりも分厚い皮膚を手に入れていたが、流石に未来の捕食動物すら仕留めるメゴプテランの一撃は防ぎきれず、背中を切り裂かれた。
しかしプレデタートードには切り札があった。背中を切られた瞬間に毒液をメゴプテランに吹きかける。毒液はメゴプテランの硬い外骨格には浸透しないが、関節部や口器に付着すると瞬時にメゴプテランを悶絶させた。この毒液はやや酸性であり、プレデタートードが捕食した様々な小動物の持つ有害物質を自身の体内で混ぜ合わせることで作られる。そして毒液は背中に溜め込まれ、外傷を負うと瞬時に飛び出る仕組みになっている。ダメージ覚悟の奥の手だが効果は絶大で、相手に火傷のような痛みを数時間も与え続けることが出来る。
化学兵器で武装した岩石カエルと怪力を持つ殺人バチの戦争が始まった隙に兵士達が再び走り出した。さしものメゴプテランも乱戦の中では狩りを続行できず、プレデタートードとの戦争に突入するしかなかった…
最終的に3人は無事に現代へと帰還することができ、そして未来世界の戦争は多大な痛みと引き換えにプレデタートードを退けたメゴプテランの勝利となった。
未来の地球。 ――この世界では人類は餌にすぎない。