みりおんらいう゛ 作:ennashi
そのひとは鏡のような眼をしていた。
――瞳の中に、私の輝きを見た。
※
私をどう言い表せばいいのか、という問いが近頃、私の目の前にずぅっと横たわっている。
ぽつねんとそれを前にして私は立ち止まっているのだった。
そう聞かれたとして、私自身ではない私の周りのひとはどう答えるのだろう。
“元”スター子役。
あるいは子役にしては演技が上手い子だとか、○○アワードを受賞した子だとか……まぁ、そういうことを言うんだろう。
でも、それは役者としての“周防桃子”についての話でしかない。
そうだ、要するに――“私”はどういう人間なのか。
私は私自身が何者なのか、どう形容すればいいのか。
――未だに分からないでいる。
「……やっちゃったなぁ」
マネージャーとは駅で別れ、とぼとぼと家路を辿っていた。
けれど誰もいない家に帰っても憂鬱が募るばかりだと分かっていた私にとって、いつも右折する交差点の左側に伸びる道が、今日ばかりは妙に魅力的に映った。
そうやって当てもなく歩いて、夕刻に辿り着いた海辺の公園。フェンスの向こう側に平らなコンクリートで出来た底を持つ海が見えるベンチに座って、私はぼぅっとオレンジ色の空を眺めていた。
緩やかに流れる影を帯びた雲。
ささくれ立った私の心とは大違いだった。
私の前の石畳で舗装された道を、ランニングする男性や、犬を散歩しているお婆さんが横切っていく。
私が“周防桃子”だと気付かれないだろうか――そんな風に心配しながら帽子を深くかぶり直そうとして、すぐにやめた。
私が子役というものの絶頂から滑り落ち始めて、多分一年くらいが経過していた。
……今の私はもう芸能界の端っこにしがみついているような端役でしかないし、あれから背丈も随分伸びて、長かった髪も切って、服の好みだって結構変わった。
だから――気付かれる訳がないのだ。
自意識過剰に気付いて、苦々しい味が口の中いっぱいに広がった。
「……」
――なんてことをしてくれるんだ!
「あぁ、もうっ」
先ほどの事を思い出して、無意識に大きな声が出ていた。
近くにいた野良猫が驚いてにゃあと声を上げて逃げていく。
周りに人がいなくてよかった、という気持ちと、私は何をしているんだろう、という葛藤が心の内側でないまぜになって、言いようのない気持ちが生まれてもやもやとする。
大きなため息を吐いて、私は背もたれにもたれたままずるずると深く座り込んだ。
――オーディションを勝ち抜き、久しぶりに貰ったとあるドラマの役。
その撮影の途中で、アクシデントが起こった。……いいや、私が起こしてしまったのだ。
私が演じるのは仲のいい双子の女の子。だから当然もう一人、私と同じく双子の役を貰った同い年くらいの子が撮影に参加していた。
……私に、“周防桃子”に問題はなかった。
あるいは問題がなかった事が問題だったとそう言うべきなんだろうか。
その子の演技は正直言ってお粗末なものだった。棒読み。台詞を飛ばす。監督の言うことに従わない――まるで素人だ。
けれど問題だらけのその子に周囲は誰も何も言わなかった。鬱陶しそうにする人は何人もいたし、ため息を吐いていたり、苦笑している人を何人も見た。
それなのに、彼女に直接文句をつける者は誰一人としていなかった。
まったく不思議で、だから私が言ってやったのだ。
とはいえ別に叱るような強い言葉だったわけじゃ、ない。
そりゃあ語気は少し強めだったかもしれないけど、もうちょっとここはこうしたら? という程度の、文句やお小言というよりアドバイスに近いようなことを言っただけ。
……私自身、同じ意味の言葉を同年代の子からもっと口汚く言われたことだってあるような――演技の世界に身を置く上で、一度は受けて当たり前の言葉。
それを聞いたその子がどうしたのかというと、すごく単純だった。
私の言葉を聞いた途端に――泣いたのだ。
まず頭が真っ白になった。
どうしてこの子は泣いているんだろう。そんな疑問が頭の中を埋め尽くして、私は周りの人に助けを求めて振り向いて、そこで自分のやらかしに気付いた。
――突き刺さる大人たちの視線。
さぁっと、自分の血の気が引いていく音を聞いた。
……その少女がドラマのスポンサーさんの娘で、無理矢理ねじ込まれた異物だというのは、その少し後にマネージャーから知らされた情報だった。
たまたまスポンサーさんが見学に来ていた、というのも最悪だった。
娘を泣かせた私に罵詈雑言を浴びせるスポンサーさんの隣で、泣いていたはずの彼女はけろりとした顔で私を指差しながら嗤っていて――。
「……、やめよ」
未練の糸を断ち切るように、私は記憶を辿ることをやめる。
――結局、微妙な雰囲気のまま今日の分の撮影は早めに終了。
私は苦い思いを抱えたまま現場を後にすることになり、こうして今、ここでツンとする鼻の奥の痛みを必死にこらえている。
……今にして思えば違和感はあった。
台本がなんだか不自然だったのだ。そして恐らくそれは、私が演じる子供に双子の妹がいる、という情報自体が後からスポンサーさんの意向で書き加えられたものだったからなんだろう。
自分の娘にせがまれたのか、あるいはスポンサーさんが自分の娘を出したかったのか――そこまでは分からないけれど。
……普段の私なら、違和感を覚えた時点で自分で調べるなり、マネージャーや他の誰かに聞くなりして気付いていたと思う。
余裕がなかった。
だから周りを気にする事を忘れていた。
言い訳だなぁ、と自嘲する。
……過ぎたことをうじうじ考えていても仕方がない。
大事なのはこれからの身の振り方だ。
下手をすればせっかく手に入れた役を降板させられることすらあり得るかもしれない――とはいえどうすればいいのかも分からない。
そんなことを微妙に地面に届かない足をぱたぱた前後させて考えていたところで、ポケットの中のケータイが震えた。
確認すれば、監督さんからメッセージが一件届いている。
“スポンサーは明日以降見学に来ることはないから、今回のようなことにはならない。明日からも頑張って撮影に望んで欲しい”――と、文章をざっくりとまとめればそういう事らしい。
――要するに、お咎めなしということ。
「……」
ケータイを膝の上に置いて、日が暮れなずむ空を眺める。
何だか拍子抜けで。
そして、ぎゅっと胸が切なくなる。
――理不尽に振り回されることには慣れている。
というかそんなのしょっちゅうだった……そう、ずっとずっとそんな感じだった。
だから、分かるから、分かったから――私はけろっとした顔で、明日も撮影に参加出来る。
あれは仕方がなかった、だから私は大丈夫ですと、いつも通りに笑っていられる。
……、でも。
周防桃子はそうあれるのだとしても。
“私”は。
「……行きたくないな」
「どこに?」
「――」
横を見ると、何故か男物のスーツを着ている知らない女性が座っていた。
や、と私に気さくに会釈したその人の瞳は濁り切ったドブ川のようだった。
ひっとか細い悲鳴が零れた。