転生公爵令嬢の憂鬱 作:フルーチェ
まだまだ誤字脱字抜けきらないようで修正入れて下さる方々ありがとうございます。
財務局には事前の連絡も無しに押し掛けることになってしまったが、王国に多大な税を納める領地の当主を無碍に扱えるわけもなく事務次官、ラッセル・フォン・リッツバーグ氏との対談はあっさりと叶った。
忙しくしているところに仕事を増やされる苦労はよく分かるし、学院の規則どうこうが無くとも職権を乱用するような真似は好むところではなかったが今回は非常時、大目に見てもらいたい。
この間の即位お披露目会に挨拶に来てくれていたので面識はあったリッツバーグ氏は噂通り丁寧な物腰で対応してくれたが、こちらの話が進むにつれ表情を曇らせ、やがて頭を抱えこみそうなまでに落ち込んだ様子を見せる。
「あのカートがまさか……そんな振る舞いを」
息子の学院での振る舞いはラッセルにとって寝耳に水だったらしく、信じられないとばかりに呟く声は震えていた。
しかしこちらにそんな嘘をつくメリットも無く学院での騒動には目撃者も数多い、事実かどうかは調べればすぐに分かること。
やがて決心したように顔を上げたラッセルはカートを問い質し、態度によっては処分を考えると発言したがそれは留めておいた。
本当におかしくなっている人間は自分がそうであることに気づかないもの、下手に指摘すれば周囲こそがおかしいのだと暴走させる危険も予測される。
カートの言動は問題は問題だが、かろうじてまだ致命的とまでは至らない、まずはさり気なく何かあったか聞き出す程度にしてほしい。
そして父にとって意外だったように、中等部時代のカートは悪評とは無縁なぐらいに真面目だったようだ。
そんな彼が変調する切っ掛けとなったことに心当たりが無いか、尋ねてみた結果――
「はい、先生でしたらまだ学内に、研究室の方ではないでしょうか」
「そうですか、ありがとうございます」
対応してくれた教員に礼を言って、中等部学院の校内に足を踏み入れる。
名門であるこの学院には貴族生徒が数多く通い、王子殿下やその護衛であるトール達、カートも在学していた。
聞けた話によるとカートはこの中等学院で三年の頃からとある研究会に通っていたという。
ラッセル氏も変化といえばそれぐらいしか心当たりがないというし、なにか手掛かりでもあればとこうしてやってきたわけだが。
「シュトローム先生はこちらにいらっしゃいますか?」
「――はい、何かご用でしょうか? 中にどうぞ」
研究室に割り当てられた部屋の扉をノックすると若い男性の声が返って来た。
了承も得たので扉を開き、中へ足を踏み入れると研究室を任されている、オリバー・シュトローム教師らしき人物がこちらに顔を向けていた。
聞いていた通りの一目で分かる風貌、白く長い髪に浅黒い肌、そして何より特徴的な両目を覆うゴーグルのような眼帯をしたオリバーは入室したこちらの姿に僅か居住まいを正したようだった。
しかし両目の視力を失っているにしては杖も持っていない、彼の方もなかなか異彩な雰囲気を放っている。
感知系の魔法を使用しているお陰らしいが、見た目からしていかがわしさを感じてしまうのは否めない。
胸の内で警戒心を少し強めておく、ともあれ受験前には家庭教師まで引き受けていたという、カートに何かしらの影響を与えた可能性があるこの人物から話を聞いておきたかった。
王都には自由に動かせるような人材をまだ配置していないので調査には時間もかかるし、事を急ぐなら自分が赴くのが手っ取り早い。
「お初にお目にかかります、オリバー・シュトローム先生でいらっしゃいますね?」
「ふむ……確かにそうですが、貴方は?」
「失礼、私はターナ・フォン・マーシァと申します。この度はこちらの卒業生であるカート君の事で少しお尋ねしたいことがあり参りました。良ければ少しお話を伺ってもよろしいでしょうか?」
名乗ってみせるとオリバーが控え目な驚きの反応を示すが、それがカートの事を聞かれたせいか、貴族が訪ねてきたせいかまでは判断がつかなかった。
目は口程に物を言うが、眼帯のせいで反応を窺いにくいのが面倒だ。
片目ではあるが同様に眼帯をしている私の言えたことではないかもしれないけれど。
「構いませんよ、そちらのテーブルへどうぞ、お茶でも淹れましょう。それにしてもかの公爵様が訪問されるとは、カートに何かあったのでしょうか?」
「私のことをご存知で?」
「はい、この学院には貴族の生徒が多いですから、そういった話題も自然よく耳にしますので」
愛想良さそうな微笑みを浮かべながら茶を用意するオリバーの所作は淀みなく、やはり盲人のそれとは思えないほどだった。
とはいえ実際に目は覆われているので、魔法の腕によほどの自信を持っているということだろうか。
応対用らしいソファに腰を落とし、ティーカップをテーブルに置いて対面へ座ったオリバーと向かい合う。
「それでカートのことでしたか――」
自ら切り出したオリバーに合わせ学院でのカートの横暴ぶり、過去の人物評との相違について触れるとこの人物もまた意外だったように驚いた素振りを見せる。
「それは確かにおかしいですね、彼は貴族としての自覚を強く持つ人でありましたが、民は守るべきものという認識も持ち合わせていた筈です。――かつて私が居た帝国の貴族達とは違って」
つい眉を顰めそうになったのを押さえ込む、座らず背後に立つオルソンからも少し緊張を強めた気配が感じられる。
この教師が生粋の王国民ではない、隣国ブルースフィア帝国からの亡命者であることは既に知り得ており、それこそが彼に対してやや慎重になってしまう理由だ。
帝国は近隣の小国へ侵略を繰り返している領土野心に溢れる国、アールスハイド王国に対しても隙あらば侵略戦争を仕掛けようと機を窺っている。
貴族と平民との間で身分格差が激しいかの国からの亡命者自体は珍しくもないが、そんな国からやってきた人間とあれば
そんな身の上をこちらが触れるまでもなく自分から明かしたのは表裏の無い人格故か、それとも素性を隠し疑念を持たれまいとしたのか。
それにしても、彼のような人間に若者に教育を行う学院教師という身分を与えている王国は実に寛大というか、危機意識が薄いというべきか。
「そうでしたか、つまり先生も彼の意識変化に心当たりはないのですね?」
「ええ、熱心な生徒でしたからね、高等学院の受験前には頼まれよく個人授業も行いましたが、そんな様子は見られませんでした。気づけなかったといえば不甲斐ない限りですが」
そんなことを言いながら消沈した様子を見せてはいるが、見た目そのままに受け取ることはまだ出来ない。
口ぶりでは帝国貴族の気性を嘆いているようだが、今のところカートに接点を持ち、何か彼に影響を与えることが出来そうな者は目の前の人物しか居ないのだから。
貴族とはいえたかが一国民にそんなことをして何になるのかと言う問題もあったが。
「しかし意外ですね」
「……意外とは?」
「お話を聞く限りマーシァ様は彼と付き合いがあったわけでもないようですが、ここまで気になさるとは。閣下ほどの身分の方であれば気に留めることでもないように思えましたので」
確かに、傍から見れば一貴族の子息が乱心している程度の問題、公爵自ら手を出すような問題でないように見えるだろう。
その辺り貴族が同じ爵位持ちであっても格下を見下す傾向にある帝国の民らしい物の見方とも取れる。
「そうでもありませんよ、ただ学院生活ぐらい平穏に過ごしたいだけです」
「平穏、ですか……それならばむしろ関わろうとしないものでは? 失礼ですが、閣下はこの問題で部外者と言って良いぐらいと思われますが」
「いいえ、平和に暮らしたいならその為の備えこそが肝要ですよ」
世の中自分一人で回っているわけではない、益となる人間も居れば害となる人間も居る、ただ仲良くしましょうと言って平和に暮らせれば苦労はない。
お隣の国が良い例だ、野心溢れる国が目と鼻の先にあるのに国防を疎かにするのは愚かとしか言いようがないだろう。
ただ王国はいかんせんその辺り緩い雰囲気があるので、いざという時うちの領でも対応できるよう私兵は整えている。
「誰にも迷惑をかけない生き方なんてなかなか出来るものではありません、たとえ理不尽に思えるものだとしても、不安の芽は潰しておくべきです」
カートの問題にせよ、放置しておけばどんなトラブルに発展するか分かったものではない。
累が及んでから文句を言っていては遅い、防犯意識を持つことは大切、それは前世から変わらない認識の一つだ。
「……閣下は珍しい考えをお持ちなのですね、王国でそのような発想を聞いたのは初めてですよ」
感心したようにオリバーが口にした言葉は嘆かわしいところでもある。
良くも悪くもこのアールスハイド王国は平和主義に染まり過ぎている。
利害関係というよりも、独自の善悪という観念で物事を判断しがちな国家は正直なところ――危うさを感じてしまう。
「残念ながら、そのようですね。では先生、こちらの学院にはいつ頃から――」
とりあえずそれは今考えるべきことではない、もういくつか確認しておきたいことを尋ね、結局この日の調査はあまり進展の無いまま終わりを遂げるのだった。
「……行きましたか」
訪問者の気配が学内から消えたのを確認できると、つい残された室内で独り言交じりのため息が漏れた。
まさかもう嗅ぎ付けられるとは、カートの仕上がりは順調というべきだがここまで見境を無くすほどシシリーという少女に執着心を抱いてしまったのは誤算だった。
そのせいで厄介そうな人間に目を付けられてしまった、表面上はこちらの元帝国民という素性にも関心を示さず大した疑いを向けていないようではあったが。
――お飾りの当主、というわけでもなさそうでしたねぇ。
若くして公爵に即位したという少女の噂は聞いていたが、僅かなやり取りだけでそこらの貴族よりも油断ならない相手と判断するには十分だった。
片目に眼帯をした特異な容姿にまず目を引かれるが、そんなことよりも年頃の若者離れした落ち着きぶり、平和に慣れた王国民らしからぬ視点、ぼろを出したつもりは無かったがあの用心深さからするなら明日にでも監視をつけられてもおかしくはない。
そうなれば動きにくくなり
事を急ぐ必要を感じたオリバーは足早に学院を後にすると、慎重に周囲の気配を探りながら夜の気配が滲み始めた王都のある地区へ歩を進めていった。