転生公爵令嬢の憂鬱 作:フルーチェ
学院生活二日目にして気の重さを感じながら教室の扉をくぐる。
学校が嫌いだからとかではなく、一番乗りだったらしく無人の室内で別の理由に頭を悩ませているとすぐにアウグストがトール、ユリウスらと共に登校してきた。
「おはようございます殿下」
「早いなマーシァ、おはよう。それと学院ではそんな敬称を使わなくても構わないぞ」
「殿下のお気持ちはありがたく思いますし、配慮はさせて頂きますが最低限の礼儀は必要かと存じます。この程度はご容赦下さい」
へりくだりアレルギー持ちの殿下はこちらの態度にあまり納得がいかないご様子だったがこれ以上譲る気はない。
誰もかれもが殿下のように寛容な態度を取れるわけでは無いし、公衆の場で下手にタメ口を聞いてこちらが常識を疑われるような羽目になるのは勘弁だ。
「それはさておき殿下、朝方屋敷に警備局の者から報告がありました」
「警備局から? シュトロームとかいう教員の監視を依頼したという話だったな、奴に何かあったのか」
「氏とは別件、になるかどうかはまだはっきりとしませんが――カート・フォン・リッツバーグが消息を絶ち、伯爵から捜索依頼が出されたそうです」
こちらが出した依頼との関連性があるかもしれないと、警備局のオルトという捜査官が情報を持ってきてくれた。
伯爵家に余計な風聞が立たないよう極秘で捜索が始まっているとのことで、無暗に言いふらさないよう頼まれたが関係者には伝えておくべきだろう。
「カートが!? また何か企みを――いや誘拐でもされた可能性もある、か?」
「それも踏まえて捜索中とのことです、彼が自ら出奔したのか、何者かが関与したのかは今のところ不明です」
貴族家の嫡男が誰にも何も告げず雲隠れしたなど十分に異常事態だが、行方が分からない以上報告を待つしかない。
こちらに出来るのはせいぜい関連がありそうなシシリー嬢の周辺で警戒を強めておくぐらいだろうか。
関与した可能性のある人物として挙げられるのはやはりシュトロームだが、昨日中等部を出てから今日の朝までの時間はその行動が把握できていない。
今朝は中等部へ普通に出勤していたらしいが、空白の時間が少しばかり気になる。
そんな時に当のシシリー、そして彼女を護衛することになったというシンにマリアの三人が教室に姿を見せた。
「おはよう、どうしたんだオーグ? 朝から怖い顔して」
「ああシン、クロードにメッシーナも今来たところか。まず聞け――」
カートが失踪したという話を聞かされるとシンらも顔色を変える。
「マジか……これなら朝も教室までゲートで来れば良かったな、何も無かったわけだけど」
「お前が居るのだからそうそう滅多なことにはならないだろうがな、警戒はしておけ。マーシァも、もしカートがよからぬ行動に出てくるような事があればクロードを守ってやってくれ、あの転移魔法なら逃がすのも容易いだろう」
牽制しておこうと口を開きかけたが間に合わず、ぐっと息を詰める。
案の定シンがきょとんとした顔をこちらへ向けていた。
あっさりと転移魔法が使えることをバラしてくれた王子を密かに呪っておく。
「転移魔法って、まさかターナさんもゲートが使えるのか?」
そんな君が勝手に命名した魔法は知りません、としらばっくれたいが王子の手前それも出来ない。
ため息を吐きたいのを我慢しつつ観念して問い掛けに応じる。
「……ええ、それらしきものは扱えます、もしもの際はそのように致しましょう」
「すごいな、爺ちゃんでも真似できなかったのに、同い年で使える人が居るなんて思わなかったよ」
それで終わりとしてくれたら良かったのに、シンは興味深そうに突っ込んでくる。
その隣ではシンが他の女子と接近するのを危うく思っているのか、シシリー嬢がハラハラとした様子を見せている。
彼と交際を始めたというわけでは無いらしかったが、嫉妬心を抱くには早すぎやしませんか。
「思えばそれだけの魔法使いが二人も居る学院は賢者様の住まいと同じぐらいには安全かもしれませんな」
「確かに。それにしてもお二人はその年でそれだけの魔法を修めていらっしゃるわけですが、特別な訓練でもされているのですか? シン殿は賢者様のお孫ですから少しは分かりますが……ターナさんまでとなると、何か上達の秘訣でもあるのでしょうか?」
トールが気になったらしいことを尋ねてきたが、差し障りない範囲でなら答えても構わないだろう。
どうしてか近年の魔法使い達は訓練の方向性が誤った方にいっているようでもあったし。
「別に特別なことをしているわけではありませんよ、魔法はイメージも大事ですが、何より魔力制御の訓練さえしっかりしていれば確実に向上します」
「魔力制御の、ですか?」
「ええ」
放出魔法を防ぐ単純な魔力障壁にしても、扱える魔力の量が増えるだけで強度は格段に上がる。
前世由来のイメージが無くともそちらを鍛えるだけで魔法の威力は上るものだし、むしろ余計な知識は無い方がいいかもしれない。
現象の仕組みを知ることは出来ない事を知るということでもあるので。
例えば王都はたいして水回りの良い土地になく、消費される生活用水はその大部分を魔法使い、あるいは魔道具で生み出すもので賄っている。
水を生み出す魔法というと私なら大気中に含まれる水分を集めて、なんてものを想像してしまいがちだが本当にそんな理屈で水が生み出されているわけがない。
そんなことをしていればあっという間に大気は乾燥しまくり引っ張れる水分の方が簡単に底をつくが王都の気候にそんな気配は見られないのだから。
おそらく何もないところから水を生み出すという魔法においては私よりも、それが出来ると当たり前に思い込めているこちらの世界の魔法使いの方が簡単に実現できる。
つまり魔法を構築するイメージに理屈はさほど重要ではなく、それが出来ると思い込めることの方が大事なのだろう。
そんな事情で私は科学的な観点を持ち込んでしまいがちな初歩的な火を生み出すだとかいった魔法はむしろ苦手で、科学的に証明できないような突飛な魔法の方が得手だったりする。
「そうそう、魔力制御は爺ちゃんにも鍛えさせられたよ。まあゲートみたいな魔法はイメージも過程をしっかりしないと発動しないみたいだけどね」
「――ゲートのイメージに過程、ですか?」
「うん、あれ? ターナさんもそこ苦労しなかった?」
そう言ってシンは適当な白紙を机に広げるとA、Bと示した二つの点を描き、この二点を最短距離で繋げるにはどうすれば良いかと言い始めた。
「それで俺の場合は……こう」
皆が注視する中でシンは紙を折り曲げ、二点をくっつけてみせる。
「紙を空間としたらこれで二か所の距離はゼロになる、それでこうして空けてやった穴が――ゲートだ」
ペンを突き刺し、二つの点を『繋げた』イメージを披露してみせたシンにそれぞれが呆気にとられた様子だった。
「確かに最短、だな、昨日の付与の時も言っていたが、これが発想の転換というやつか。全く、導師様も仰っていたが、お前の頭の中はどうなっているんだ?」
「私は説明されてもよく分からないわよ……ターナさんも自力でこんなイメージ編み出したの?」
「――え? ああ……どうかな」
あまりに呆気にとられていたせいでマリアの声に反応が遅れてしまう。
おそらく他の皆とは違う方向性で、だろうが。
本当に、見事なまでにこの世界の魔法の理不尽を体現してくれたものだ。
紙の上で二つの点を繋げることが出来たから、どうしたというのだろうか。
現実の空間は紙を折り曲げるように容易くねじ曲がらないし、理屈をすっとばしたこれは過程というよりもこんなことが出来たらいいなという願望でしかない。
まるで求めた結果に無理やり辻褄を合わせたような無茶ぶり、そんなイメージで空間転移が実現できてしまうのだから、魔法というものは恐ろしい。
キリっとした顔でシンは語ってみせたが、これなら卵を立てたコロンブスの方がよっぽど頭を捻っているだろう。
彼の言う「過程」がまともな理論すらを伴っていないことを他の誰も疑問に思っていないらしいのが辛いが、魔法とはそういうものなのだからしょうがない。
……誰も疑問に思っていないといえば。
「ウォルフォード君、これ――どうして
「え?」
「いや大したことではないのかもしれないけど、この
当たり前のように使われたせいで気づくのが遅れたが、シンが書いて見せたのは紛れもなくアルファベット、この世界で使われていない筈の言語だ。
少なくともアールスハイドと周辺国で異なる言語は使われていないし、聞いたことも無い。
仮に存在するとしても、ずっと森の奥で暮らしていたという彼がどうしてこの文字を知り得ているのか。
「あっ……」
指摘された意味に気づくと、シンはしまったといわんばかりの焦った顔になる。
それに何の違和感も感じていなかったらしいクラスメイト達もこちらが口にしてようやく奇妙さに気づいたらしかった。
優秀なSクラスの生徒にしては、随分と暢気ではないか。
「まさか、これもシン君オリジナルの言語なんですか?」
「……オリジナル?」
「はい、あっ……殿下、マーシァさんには……」
非常に気になることを口走ったシシリーが何か確認を求めるようにアウグストへ顔を向けていた。
「マーシァには昨日教えている、口止めも頼んであるから心配はいらんだろう」
「そ、そうでしたか。あの、シン君に付与魔法をかけてもらったときのことなんですけど」
なんでも、シシリー達の制服に付与を施す際にもシンは導師ですら理解できないという、未知の文字を使用していたらしい。
聞けばそれは彼が幼年の頃から開発したというオリジナルの言語で、それを用いることで文字数の大幅な短縮が可能になったとか。
「そ、そうそう、手癖でついこっちの字を書いちゃったみたいだ、ごめん皆」
そんな弁明をするシンに他の皆が彼ならしょうがないと言わんばかりにあっさりと納得する一方で、こちらの疑念はますます深まる。
幼い子供の一人遊びで、見聞きした創作物の影響を受け架空の設定を膨らませるということはままあること。
ひょっとしたら新しい文字、なんてものを考えることもあるかもしれない。
しかし付与の内容を信じるなら文字を置き換えたグ○ンギやアル○ド的な単純な代物ではない。
完璧に成立する言語を幼い子供が、ましてやサブカルチャーの発展に乏しいこの世界で生み出せるものだろうか。
――ひょっとして、こいつ。
「マーシァは居るか?」
お呼びがかかったのはその可能性に思い当たった時だった。
声の方に目を向ければ、教室の入り口に担任アルフレッドの姿がある。
「はい、こちらに」
「来ていたか。先程来客があったそうで、君宛に手紙を預かっている」
「手紙、ですか?」
シンに対する追及はひとまずおいて、何やら用件があるらしい。
「来客とは、どちら様からのものでしょうか?」
わざわざ学院を経由して私に手紙を送るような人物に心当たりはない。
そうして返された言葉は流石に軽視できないものだった。
「ああ、なんでも中等学院の教師で、オリバー・シュトロームと名乗っていたそうだ」
――本当に、学院生活というものはもっと穏やかなものじゃなかっただろうか。