転生公爵令嬢の憂鬱 作:フルーチェ
どんな風に続くのだろうか……
昼休みに学院を抜けてやってきたのは平民向けの商店が多く軒を連ねる商業区。
その通りにあるオープンカフェで目的の人物は待っていた。
浅黒い肌に白の長髪、両目は眼帯に覆われているが見える範囲の顔の造作は端正に整い、他のテーブルからチラチラと視線を向ける女性客も見られる。
カフェの敷地内に足を踏み入れたところでこちらに気づいたようにして男、オリバーが顔を向けてきた。
相変わらず、盲目とは思えない感知力だ。
「来て下さったのですね、閣下のようなお方をこのような形でお呼び立てして申し訳ありません」
「いえ、今は学生の身分でもありますし、お気になさらず結構ですよ」
ぶっちゃけると本心では公爵相手にこんな呼び出しなんて随分大胆だなと思っているが、アールスハイド流ならこの対応も間違ってはいないだろう。
帝国なら無礼打ちで首が飛んでもおかしくはなさそうだが、こっちでは王子がアレであるし。
感化されたわけでなく、目の前の相手の意図を測らなければならないので今回はこうして応じたわけだが。
ウェイトレスに紅茶を注文しオリバーの対面に腰掛けると少し周囲から視線が集まってくるのを感じられる。
眼帯をつけた男女が顔を突き合わせている絵面なんて奇異そのものだろうし、無理もない。
「それで、直接話したいご用件とは?」
「はい、折り入ってご相談したいことが。これを話すには私にもいささか迷いがあったのですがね……ブルースフィア帝国が諜報機関を抱えていることはご存知ですか?」
逡巡しているような素振りを見せながらオリバーが切り出した言葉に頷いて返す。
その存在は各国でそれなりの立場に居る人間ならほとんどが知る話だ。
国家の安全保障の為にそういった情報収集を担う立場の集団を備えるのは何ら不自然なことではないし、むしろそれがないアールスハイドを含めた他の国の方が心配になる。
「もしかするなら彼らが王国内に入り込み、何かしらの工作活動中で、カート君の件もその一端ではないかと懸念しまして」
「……なかなか突拍子の無い話のようにも思えますが、今は一般人である貴方が何故そんな心配を?」
「とある事情で、そういった気配に敏感にならざるを得ないのですよ――信じがたいと思われるでしょうが、私はかつてかの国で帝位継承権を持つ公爵でありましたから」
動揺を顔に示してしまいそうなのを押しとどめる。
皇帝が世襲ではなく、議会の選挙で選ばれる帝国においてそれは紛れもなく貴族として最高位に属する立場である筈だ。
事実とするなら、そんな人間が王国に亡命しているとは一体何故。
「私にとって平民が貴族に虐げられることなく暮らせているこの国は理想でした。帝国にもこの景色を広げたいと、奔走していた時期もあったのですがね」
素直に信じることは難しいがオリバーの語る様子は与太話という雰囲気でもない、一旦疑惑を棚に上げ彼の言うことを事実と考えるなら。
平民を搾取の対象としか見ない貴族が大半を占める帝国において、彼の存在は異物であっただろう。
ならば亡命に至るまで、何が起こったのか想像するのは難しくない。
「……謀略ですか」
「ふふっ、察して頂けて助かります。その通り、私の行いを快く思わなかった他の貴族たちは民を扇動して暴動を引き起こし、私を陥れました」
大多数の帝国貴族からしてみれば平民優遇の政策など自分達の立場を脅かす害悪でしかない。
いかなる手管が用いられたのかは知る由もないが、満足に教育を受ける機会の無い帝国の平民なら操るのはおそらく難しくもなかっただろう。
情報を得る手段が限られた文明レベルなら風説を流布するだけで信用を失墜させることも出来る。
「結果として私はこの国に逃れることとなったわけですが、それでも生きていることが知られれば私を陥れた貴族達から命を狙われてもおかしくはありません。ですので彼らの手先が自由にならぬよう、閣下のような立場のあるお方にお頼みしたかったのですよ」
そんな話ならば私ではなく王城に報告を入れるべきではないかと思うが、自分の立場が明るみになるのを避けたいにしてもいささか腑に落ちない。
それにしても抑揚なく淡々と語る様は自身の境遇を不幸と感じていないかのよう、あるいは感情を押し殺してでもいるのか。
「話すべき立場の方は他に居るようにも思えますが、なぜ私にそんな事情を?」
「そうですね……昨日言いましたように、お会いするより以前から閣下のことは人伝に聞いたことがありました。この方ならば真摯に受け入れて下さるのではないかと考えた次第です、不遜な物言いになりますがこちらの国の方はいささか防諜意識が低いように感じておりましたので」
額面通りに受け取るなら評価されているらしく普通なら面映ゆくもなるのかもしれない。
しかし怪しい人物から褒められて素直に喜ぶ気にはなれず、そんな不審感が伝わったのかオリバーは苦笑しながら言葉を重ねていく。
「これは余計な世話かもしれませんが、お気を付け下さい。力を増せばそんな王国であっても妬む者は出てくるでしょう、人というものは簡単に掌を返す生き物だ、下らない姦計に踊らされた我が領民のように」
忠告のようなその言葉には何処かこちらを憐れんでいるような響きがあった。
そして人に対する不審感を示す瞬間、声音こそ変わりないものだったが、微細な魔力の揺らぎを肌に感じ取ってしまう。
押さえ込んでいるようだが、これは間違いなく湧き起こる感情によるもので、おそらくその源は怒り。
少なくとも、彼が人――帝国民に対して明確な敵意を抱いているのは確かなようだった。
「私のように貴方が――」
「忠告はありがたく頂戴しましょう、同意は出来ませんが」
言葉を遮るとこちらがそんな不躾な真似をすると思っていなかったのかオリバーは意外そうにしている。
どんな意図をもってそんな身の上話を始めたのかは分からなかったが、話を聞くのはこれぐらいで十分だろう。
「貴方の仰り様を聞くと、随分とかつての領民達を蔑まれているような印象を受けます」
「……そのような感情があるのは否定できませんね、彼らからはあまりにもあっさりと裏切られてしまいましたから」
運ばれてきた紅茶に口をつけ、一息入れる内に気持ちの整理をしていく。
この世界に生を受けて十五年、肉体的にはまだまだ若輩の身だが漫然と生きて来たわけではなく見て来たもの、教わったものは多くある。
「私は貴方の不幸を知らない、その思いの丈を推し測ることはできません。それでも彼らに憎しみの矛先を向けるのは間違っていると思います」
「――ほう?」
「彼らが貴方を裏切ったのは愚かだったからではなく、信じる力が足りなかったからでしょう。十分な教育を受け、世界を知ることができる我々と違い、彼らは道理を判断する知恵を積み重ねることも満足にできないのですから。真実を知ったなら彼らも貴方に詫びようとするのではないでしょうか」
思い当たるところでもあったかのようにオリバーの眉端がピクリと持ち上がる。
それがブルースフィアという国の現実だ。
搾取の対象でしかない平民は教育を受けられる機会など僅かで、何が正しいのか、何が間違っているのか、判断することもままならない。
「彼らは貴方を追い詰める道具とされたようなもの、であるなら恨むのは筋違いです。ナイフで人を殺めた咎人が裁かれることはあっても、ナイフを裁こうなどとは普通考えもしません」
オリバーが全て真実を語っているとしても罪の根源は帝国貴族にある、操られた民達に背負わせるべきではない。
人生を人の手に委ねるしかない人々はただ生きていくだけでも不安だらけで足元もおぼつかず、大きな意思の下では容易く流されてしまうものだから。
「貴族とは民を導くものと私は祖父より教わりました。始めはただ将来の危機から逃れるのに必死だっただけですが、今ではそうありたいと思っています」
足掻いてみたところでどうせ何も変わりはしないと、自分の生活に手一杯だったころとはもう違う。
ちょっと口が滑ってしまったが、少なくともこの手の届く範囲でそんな人生しか送れないような環境は無くしていきたいと思う。
「帝国で生きるのに、貴方は純粋過ぎたのでしょうね。民のことを守ろうと思うなら彼らの自由を脅かし、誤った方へ導こうとする輩とも戦わなければなりませんから」
私にとっての善行が彼にとっての悪行となり得る、人の世はそういうものだ。
とりわけ帝国のような国ではそれが顕著だろう、こちらの感覚でまっとうな人間ほど生きづらいに違い無い。
偉そうなことを言ってしまったが気に障っただろうか、先程からオリバーは仏頂面で押し黙ってしまっている。
感情持つ人間は理屈を説かれたからと言って、はいそうですかと納得できるものではないし、不幸を味わった人間にしか至れない境地もあるだろう。
憎い気持ちを抑えきれない人を責めるのも酷というものだ。
「……実に、珍しい見識をお持ちなのですね閣下は、改めて思いましたよ。確かに民の為と言いながら彼らの目線というもので物事を考えたことはこれまで無かったようだ。遅きに失したとはいえ、なかなか有意義な物の見方を教えて頂きました」
反感を買ったかと思いきや、予想外にオリバーの口調は柔らかく、いや愉快気なものになっていた。
どんな琴線に触れたのかは分からないが、それまでの態度が崩れたことに何故か神経が引き締まった。
念のため魔力を広げ周囲を探ってみるとオルソンに頼み手配した通り、警備局、あるいは魔法師団の人間らしい反応が感じ取れる。
それぞれ配置についたようだし、そろそろ切り出して構わないだろう。
「参考にして頂けたのなら幸いです。それと、つかぬことを伺いますが――昨夜どうしていらしたのかお聞きしてもよろしいでしょうか?」
過去に同情すべき経歴があっても、彼が現在疑わしい人間であることに変わりはない。
それらしい反応でも窺えればと尋ねてみたのだった、が。
「自宅で学院の授業計画を組んでいました。――と、言う予定でしたが、気が変わりました」
にわかに緊張する空気の中、オリバーは薄笑みを浮かべてさらりと言い放つ。
「昨夜でしたらカート君の家にお邪魔していましたよ、彼に対して行っていた実験の仕上げにね」
何を言っているというのか、告白する言葉だというのにすぐ中身を理解できなかった。
実験、という不穏な語句について思考を走らせるよりも先に、オリバーが立ち上がる。
「閣下には改めて名乗らせて頂きましょう。オリベイラ・フォン・ストラディウス、これが私の真の名、そして――」
持ち上がったオリバー――オリベイラの手が目を覆っていた眼帯を取り払う。
そうして露わになった目元は思わず息を呑み注視してしまうのを避けられなかった。
そこにあったのは赤い、瞳だけでなく眼球全体が紅く染まった眼、オリベイラはまるで魔物のようなその双眸でこちらを見据え。
「かつて王国を存亡の危機に追いやった魔人、その第二号が私です」
大胆不敵に、その言葉を告げるのだった。