転生公爵令嬢の憂鬱   作:フルーチェ

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今回はあまり間を置きたくなかったので、気持ち早めの投稿になりました。


第二の魔人

 その男の紅い眼に気づいた他の客が呆然と動きを止め、我が目を疑うように擦る者も居た。

 見間違いでないことを悟ると、談笑の声は止み周囲は水を打ったように静まり返る。

 それも一時のことで魔物の特徴を有する人間、魔人の存在を知覚した誰かの絹を裂くような悲鳴が上がった。

 

 一気にカフェを中心に喧騒が広がり、辺りの客は我先にその場から逃げ出していく。

 そんな中に取り残されてしまった、わけだが。

 

「この状況で茶を嗜む余裕がおありとは、流石ですね」

 

 まだ飲みきっていなかった紅茶に口をつけていると魔人、オリベイラが感心したような声を掛けてくる。

 事態に追いついていない思考を整理する時間が欲しかったところなので、まだ声をかけないで欲しかった。

 パニックになりそうな頭を落ち着けながらさてどうしたものかと考える。

 

 怪しいとは思っていたが、まさか魔人とは。

 過去王国を滅ぼしかけた魔人は実験に失敗したことで魔力を暴走させ理性を失い、衝動のままに破壊を振り撒く災害のような存在だったという。

 しかし目の前の人物はどうか、先程まで至って普通に会話出来ていたし、そもそも学院の教師を務め人並みの日常生活までこなしていたのだ。

 

 外見的なもの以外に特徴は一致しないが、隠すことを止めたのかオリベイラが周囲に集める魔力からは背筋に悪寒を走らせるような寒気を感じる。

 確実に言えるのは、大人しく捕まってくれる気は無さそうだということぐらいか。

 

「――閣下、お退がり下さい!」

 

 様子を窺っていたのだろう、石畳を踏み鳴らし警備局の捜査官、朝に屋敷まで報告に来たオルトが駆けて来る。

 同時に周囲から通行人に扮し、あるいは建物の影に潜んでいた騎士団、魔法師団の兵士達が飛び出しオリベイラを遠巻きに囲んだ。

 しかし魔人という伝説級の存在を目の当たりにし、怯えが拭いきれていない者も居るようだ。

 

 そんな彼らに任せてしまうのは若干不安だったが、ひとまずはオルトの声に従うことにしよう。

 こちらが椅子から立ち上がり、場から退くのをオリベイラは悠然と余裕に満ちた佇まいで見送っていた。

 民間人の避難誘導を始めているらしい、警備局に連絡を繋いでくれたオルソンがすぐに傍へ寄ってくる。

 

「閣下、ご無事ですか?」

 

「大事ないよ、伝えてくれてありがとう」

 

 魔人の目の前からは脱したわけだがまだこの場を離れるわけにはいかないだろう。

 あれが伝え聞く通りの能力を有するのなら、とても放置しておけるものではない。

 

「シュトローム、いやオリベイラ・フォン・ストラディウス、貴方がカート・フォン・リッツバーグの失踪に関与しているとして間違いないか?」

 

「ええ、彼を昨夜の内に連れ出したのは私ですから」

 

 事も無げに答えるオリベイラに対してオルトが憤りを露わにする。

 

「彼をどこにやった! 実験とは……一体何をするつもりだ」

 

「答える義理はありませんね」

 

 素性を明らかにしたものの、やはり大人しく投降するつもりではないらしい。

 そんなオリベイラの態度に苛立ちを募らせた様子で、囲む兵の中から黒いコートを纏った魔法師らしき男が一歩歩み出る。

 

「貴族子弟誘拐犯の捕り物になるかもしれんと聞いて来てみれば……魔人だかなんだか知らんがふざけやがって……退がれ、オルト!」

 

 男――魔法師団長であるルーパー・オルグランは巨大な火球を無詠唱でオリベイラへ向け放つ。

 流石に学生とは比べ物にならない魔法行使の練度だったが、それもオリベイラが自身の周囲に展開させた魔力障壁によって呆気なく防がれる。

 

「チッ……これを防ぐか」

 

「ルーパー様……」

 

「ぼさっとするな、相手は魔人だぞ! 確保、あるいは討伐を最優先、総員でかかれ!」

 

 その号令を皮切りに、魔法師達が一斉に放出魔法を打ち込んでいく。

 しかし、そのいずれもオリベイラの魔力障壁を突破できる気配は無い。

 それもそのはず、障壁に込められている魔力量がそこらの魔法使いとは桁違いだ。

 

 これではいくら魔法を撃ち続けたところで徒労にしかならない、魔法師団も王国ではエリート揃いの筈だが、彼らとオリベイラとの間には制御できる魔力量にそれほどの差がある。

 一応話が通じる相手に警告も無く攻撃を仕掛けたことは嘆かわしく思うが、始まってしまったものはしょうがない。

 

「オルソン」

 

「……はっ」

 

「すまない、離れていてくれ」

 

 護衛である彼にこう命じるのはとても心苦しい。

 オルソン自身も不甲斐なさそうに厳めしい顔つきを歪めている。

 しかし残念ながら、今はそれが必要な時だ。

 

「っ!? 避け――」

 

 ルーパーが兵士達に警告を発するも間に合わない。

 オリベイラが腕を払うと、当然のように無詠唱で生じた炎が太い鞭のようにうねり、囲んでいた魔法師達はその一薙ぎで魔力障壁を打ち砕かれ地べたに這いつくばってしまった。

 圧倒的な力量差を前に軽傷で済んだ兵士達の顔にも戦慄が浮かび、ルーパーやオルトも憔悴している様子だ。

 

 そんな皆の前で、更に驚くべき光景が広がる。

 

「やれやれ……精強と知られるアールスハイドの兵であってもこの程度ですか、大したことはありませんね」

 

「な――」

 

 ため息を吐いて見せたオリベイラの体が浮き上がり、宙へ舞う。

 浮遊魔法、それはこの世界で未だ実現させた者の居ないとされる魔法の一つだった。

 

「もう十分でしょう、そろそろお暇させて頂きましょうか」

 

「いいえ」

 

 流石にこのまま見逃すわけにはいかない。

 

「どうか投降願えませんか? オリベイラ・フォン・ストラディウス殿」

 

「おや、残られていたとは勇敢なことですね。しかし残念ながらその申し出を受ける必要性は感じません――失礼」

 

 こちらへと向けられたオリベイラの掌から放たれた炎の奔流が熱波を撒き散らし、瞬きの間に目の前へ迫る。

 

「閣下――!」

 

 着弾した爆炎が広がり土煙が舞い上がる。

 とてつもない威力を秘めたであろう魔法が直撃するのを目の当たりにしたオルトが叫びを上げた。

 

「……存外に、呆気ないですね。これでは――」

 

「野郎、女子供にまで容赦無く……あ?」

 

 オリベイラに僅か遅れ、その違和感にルーパーら他の人間も気づいていく。

 土煙が晴れ無傷のまま何事も無かったかのように立っているこちらの姿が露わになったことで、泰然とした態度を保っていたオリベイラも目を瞠る。

 

「――魔力障壁を張ったようには見えませんでしたが?」

 

「答える義理はありませんね」

 

 わざわざ手の内を明かす必要は無い、先程彼が口にした言葉をそのまま返し反撃に移る。

 イメージ通り広げた掌に生じたのは紅く光る、小さな蛍火の群れ。

 

惑火(フレア)

 

 ふわりと鼓草が種を散らすように飛び散った蛍火が目標を包み込むように広がり、収束していく。

 狙いのオリベイラが全周囲に展開した魔力障壁に接触した瞬間、火の粉が目を灼くような光を放ち爆散する。

 咄嗟に顔を覆ったオリベイラは、その魔法を受けても自身の魔力障壁に揺るぎないのを感じ取ると怪訝そうに眉を顰めた。

 

「初めて見る魔法で驚かされましたが、どうやら見掛け倒し――っ!?」

 

 その通りである。

 

封入(パッケージ)削岩錐(ドリル)

 

 爆炎が晴れた先で準備を終わらせたこちらを見て顔色を変えるのが見て取れた。

 必要魔力は少ないが、見た目が派手なだけでろくに威力は無い今の魔法の目的はもちろん目眩まし。

 人一人倒すのに周囲を焼き尽くすような規模のド派手な魔法を用いるなんて時間と魔力の無駄だ。

 

発射(ファイヤ)!」

 

 尖る先端から炎の帯が螺旋状に広がるその弾を撃ち放つ。

 初めて表情に焦りを浮かべ、回避が間に合わないことを悟り魔力障壁を一面に収束させるオリベイラだったがそれは悪手だ。

 

「なっ――」

 

 高速で回転しながら障壁に到達した火炎錐は一瞬で障壁を削り穿ち突破する。

 驚愕するオリベイラは目と鼻の先で弾けた魔法の爆発に打ち飛ばされ、地へと叩き落された。

 間近で爆発を受けた上に地面へ叩き付けられる衝撃は肉体が強靭になっているであろう魔人といえども耐え難いものである筈だ。

 

 倒れ伏したオリベイラはなんとか膝を立てていたが衝撃の抜けきらないその体は震えている。

 

「あの障壁を、抜いた!?」

 

「まさか……魔人に優ったというのか?」

 

 ボロボロだった魔法師達が信じられないとばかりの反応を見せながらも絶望的な状況がひっくり返されたことで歓喜する姿が見える。

 記録の通りなら国を滅ぼせるかもしれない化け物を相手にさせられていたのだから、その反動も大きいようだ。

 

「……くっ、ははは……まさか、賢者でも導師でも、その孫ですらなく、貴女のような人に追い詰められるとは、まったく予想外にも程がありますね」

 

 顔を上げたオリベイラの表情は痛みで歪みながらもどこか愉快そうなものだった。

 

「まさか障壁が耐えられないのではなく、貫かれるとは、一体どういう仕掛けなのです?」

 

「何、単純なことですよ」

 

 聞いた人間は皆、何言ってんだコイツ? みたいな反応を返してくるような代物だし、これぐらいなら言ってしまっても構わないだろう。

 

「ドリルに貫けないものがあるわけないでしょう?」

 

 魔法とはイメージの具現化、ならばドリル=貫くモノという概念を付与することぐらいできないわけがあるものか。

 それを聞いたオリベイラは虚を突かれたようにポカンと、初めて見せる顔をしていたが、やがて傑作そうに周囲へ響くほど大きな声で笑う。

 

「本当に、無茶苦茶なお方だ、やはり今日、ここに来て正解でした」

 

「――それはどういう意味です?」

 

「それにお答えする前に閣下、一つ気になっていたことをお聞かせ頂きたい。先程、貴女は民を導くと仰いましたが、一体何処へ導こうというのです?」

 

 まっすぐに向けられる紅い瞳には真剣な色が宿り、こちらの隙を窺うようなものではないように感じた。

 明らかに我を失い魔物と化した生き物の目つきではない――人として相応の態度で応えるべきだ。

 

「決まっています、より良き明日――未来へ、ですよ」

 

 とても素面では口にできなさそうな、青臭い台詞を自分でも驚くほど躊躇いなく言うことができた。

 それは前世か今世か、どこかで耳にしたことがあるものだったかもしれない。

 先行きが不安で、生きるのが窮屈な日常、誰もがうんざりとするようなそんな人生を強いる世界にはしたくない。

 

 何の才も智慧も無い、ただの一般人が夢見るには分不相応な夢。

 けれど散々うんざりとしていたからこそ、そこに手を伸ばせる力を得てしまった今――簡単に諦めたらきっと自分を嫌わずにいられない。

 何もかも放り捨て逃げ出してしまえるほど、この小市民は恥知らずになれなかった。

 

 言葉を聞き終えたオリベイラが沈黙し暫くの間、誰も声を発することなく静寂が訪れる。

 余計な問答をしてしまったせいか、周囲の兵士達からも妙な視線を感じるし、いい加減終わりにさせてもらおう。

 

「カート君の行方も含め、こちらも聞きたいことは多くあります、まずは身柄を抑えさせてもらいますよ」

 

「――ふぅ、恥を晒すことになるのが心苦しいですが、私はまだ捕まるわけにはいきません。貴女には敵いませんが――他の方はどうでしょうね?」

 

 ふらつきながらも立ち上がったオリベイラが魔力を集め始め、場の緊張が高まる。

 周囲には先程の魔法を受け倒れたままの兵士達も居る、オリベイラにとって彼らの命を奪うのは造作もない事だろう。

 大量の人質が辺りに転がっているようなものだ――普通なら。

 

「それは叶いませんよ、たとえ魔人であろうと、貴方が魔法使いである限り――私には勝てない」

 

 この期に及んでもすんなりと捕まってくれないというのなら、奥の手を切らせてもらうまで。

 眼帯の留め金を外し、隠していた右目が露わになると、険しい顔つきをしていたオリベイラだけでなくあちこちで息を呑む気配が伝わってくる。

 覆い隠していたそこにあるのは白、瞳を象った彫りのある真珠眼。 

 

 当然ただの義眼ではない、詰みの一手を指すべく右目へと魔力を通す――その時。

 

「――っ!」

 

 突如として湧き起こった反応が背筋に悪寒が走らせる。

 怖気を催す魔力の高まりがこの場ではなくある方角、高等魔法学院の方から発生していた。

 

「どうやら、成功したようですね」

 

 オリベイラの不敵な微笑みが、こちらの一つの敗北を教えていた。


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