転生公爵令嬢の憂鬱 作:フルーチェ
前話と引き続き進展薄い回なので早め投稿します。
魔人が再び現れたという事件は瞬く間に王都全域に知れ渡り世間を震撼させている。
内の一方、昼過ぎに教室移動中だったシン達の前に現れ、彼らの目の前で魔人化したというカートの件。
事件を隠蔽することは不可能だったが、オリベイラの犯行であることが確定的であったので魔人となったのが被害者と言えるカートであるということについては箝口令が敷かれた。
現れた魔人が一人でなく、しかもそれが人間社会に紛れ込めるほど完全な理性を有していたという事実は国王陛下を始め首脳部の人間にも信じがたいものであるらしかったが、多数の目撃者が居る以上認めざるを得ないだろう。
王国は過去に魔人が現れた際に崩壊寸前にまで追い込まれている、そんな魔人を倒せなくとも撃退したことが捜査局や魔法師団の人間を通じて知られてしまっていたせいで私自身も随分と関心を引いてしまったような気がする。
シン・ウォルフォードがカートを――あまり好ましい言い方ではないが、討伐していたことが無ければ単独の魔法使いがそんなことをやってのけたとは信じてもらえなかったかもしれない。
と言っても、シンの評するところカートは魔人化してなお一国を滅ぼせるほどの力量を持っていたようには感じられなかったらしく、過去の事件と同列に扱うには疑惑が残る。
魔物も元になった生物が強靭な種であればあるほど脅威度は増し、虎や獅子の類であれば災害級と呼ばれるような軍を挙げて討伐に望まなければならない程だ。
一介の学生でしかなかったカートではそこまで至らなかったということだろうか。
一方で、ブルースフィア帝国方面に離脱したとしか足取りが掴めなかったというオリベイラの方は確実に国王軍では太刀打ちできないだろう実力を持っていた。
彼ならばこの時代の一国程度、私や賢者の孫のような例外が居合わせなければ滅ぼすようなことも可能かもしれない。
それはすなわち、私やシンもまたやろうと思えばそれぐらいの事が出来るということなのだから他の人間にとっては恐ろしい話である筈なのに、それを指摘する声が全く上がらなかったのは信用されていると喜ぶべきなのか、危機感の無さを嘆くべきなのか。
「――まあ、余所様の事を言ってばかりもいられないか」
ようやく帰り着いた自室でため息交じりにそんな愚痴を漏らす。
報告や聴取を済ませ、陽も完全に落ち切った頃合いの帰宅となった。
これで一段落、とするわけにはいかない、机上に置いてある固定型の通信機を取りある連絡先を呼び出す。
短い呼出音の後に通信は繋がり、見知った声が受話器から聞こえてくる。
『は~い、こちらヒルダです。閣下ですよね? こんな時間に珍しい』
「こんばんはヒルダ。夜分にすまないね、取り急ぎ連絡しておきたいことがあったから」
マーシァ工房の総責任者は私であるが、今後の展開には開発主任である彼女に話を通しておきたかった。
急な予定変更は私にとっても忌むべき所業だったが、そうも言ってられない時もある。
「特許の取得を早めたい品がいくつかあるんだ、リストにして渡しに行くから後日確認して欲しい」
『ああ、それぐらいなら構いませんよ。皆いつになるかって心配してましたし』
すんなりと了承が得られた事にほっと胸を撫で下ろす。
今日は厄介な事ばかりあったせいか、急な連絡に難色を示すでもなく応じてくれる彼女の存在がありがたく思える。
「ありがとう、それと隊に回してる装備のハイエンド品を増産したい」
『んん……? いいんですか、そっちは工房じゃ全部用意できませんけど』
「構わないよ、現場の皆には申し訳ないけど素材の調達と加工をお願いしたい。私も空いた時間はそちらの付与にあてるから」
『……ちょっと……お嬢? 少し、いいですか?』
不意にヒルダの声調が変わる。
流石に性急に頼み過ぎただろうか、彼女だっていきなりあれこれと依頼されれば気を悪くもするだろう。
謝りを入れようかと考えた矢先、受話器からの言葉が続く。
『お嬢が居るのは王都の別邸ですか?』
「ああ、今は自室の通信機から繋いでるよ」
『それは好都合、私は工房の自室にいますから、ちょっとあの魔法でそちらと繋げてもらえます?』
それきり通信が切られてしまう。
直接話したいということだろうか、よっぽど腹に据えかねるような発言でもしてしまったのか、会話を思い返してみるがそれらしいことが判別できない。
失態を犯してしまったかもしれない予感に腹の内が冷えるような錯覚を覚えながら、部屋の壁と彼女の私室とを魔法で繋ぐ。
すぐに向こう側から姿を見せた白衣姿のヒルダは怒っているようには見えなかったが、こちらの顔を見るなり嘆くように眉根を顰めてしまう。
「はぁ……便利ですけど、遣り取りするのこればっかりじゃ、やっぱりいけませんね」
「ヒルダ? すまない、何か怒らせるようなこと――」
どうしてそんな顔をされてしまうのか分からずにいると、ついと伸ばされた手がこちらの胸を押す。
反応が遅れ、足をもつれそうになりながら後ろへ後退ると、そのまま迫って来たヒルダによって。
「う、わ――っぷ」
後ろにあったベッドへと押し倒されてしまった。
こちらの頭の両脇に手をついて見下ろしてくるヒルダの青い瞳と目が合う。
「お嬢、今日何か、あったでしょう?」
まだ魔人騒動については相談していないし、王都であった事件の情報などマーシァの街には届いていないだろう。
それでも彼女には何かあったと見透かされているらしい。
「……どうして、そんなことに気づいたのかな?」
「そりゃ気づきますよ、普段から無理するのは良くないって言ってる人があんなこと言い出せば。お嬢の付与がそんな楽な作業じゃないってことは私が一番良く知ってるんですよ」
大人げなく、不満そうに口先を尖らせて言うヒルダだったが、それは正確な指摘だったので反論できず黙らされてしまう。
込める魔法のイメージを文字によって刻み込むのが付与魔法、口にするのは簡単で何でも無い作業のようにも思えるが、これが意外に神経を使う。
何しろ付与の間は魔法のイメージを維持し続ける集中力が必要とされるし、イメージが複雑なほど、刻む文字数が多くなればなるほど、その負担は大きい。
米粒に般若心経を書く、とまではいかないにしても、それに近いレベルで精神的な消耗を強いられる。
そうでなければもっと多くの魔道具が世に出回っているだろう。
「それで、何があったんです? 差し障り無ければ話してみて下さいよ、溜め込むのは良くないですって」
誤魔化すには遅すぎたし、体勢を変えてくれる様子の無いヒルダもこちらを逃がす気はないようだ。
払い退けることは容易いけれど、彼女を相手にそんなことをしたくないし、する気も起きない。
「ちょっと事情があってね、全部は言えないんだ。ただ……」
守れたかもしれない命を失ってしまった。
違和感に気づいたときから手段を尽くしていれば名前を告げるわけにはいかない彼は助かったかもしれないのに。
もうそんな事態を招くわけにはいかない、だから全力を尽くそうとしていただけ。
そんな思いをどうにか口にしたのだが、ヒルダはまた嘆くように息を吐いて見せるのだった。
「一つ聞きますがそれ――お嬢は悪く、ないですよね?」
「……悪く、ない?」
「ええそうです、詳細は知りませんがその件、悪意を持ってたどなたかがいけないのであって、お嬢に非なんてこれっぽっちも無い、違いませんか?」
それは、正しい。
今回の事件に際して、少なくともカートのストーカー疑惑を調査こそすれど害そうとなど考えてもいなかったし、何より手を下したのはオリベイラという男。
いかなる動機があったとしても、カートを死に至らしめたのは間違いなく彼であり、彼がいなければカートは死ななかっただろう。
これでもしこちらに対して非があるなどと言われれば筋違いだと言わざるを得ない。
そう、理解は出来ている。
「……でも、全力でやっていれば、彼の死は防げたかもしれないんだよ。そうと知っていれば、気を弛めることなんて――っ」
出来ない、そう口にしようとした瞬間、顔を包み込むような圧力によって遮られてしまう。
目を白黒させながら状況を把握してみれば、どうやらヒルダの胸元に顔を沈めるようにして抱き締められているらしかった。
精神的な異性に、そんな事をされていることを知覚すると一気に思考が熱に染まる。
「ちょ……ちょっと、ヒルダ、何をやって……」
「無理することが全力だなんて、私は認めませんよ」
からかうような気配とは縁遠い、その静かな声に慌てていた頭が冷やされていく。
少なくとも今、彼女から自分は気遣われているのだと、否応なく悟らされてしまう。
服越しに触れ合った肌からは人肌特有の、気が休まるような温もりが伝わってくる。
年を重ねるにつれ気恥ずかしさが増し触れるのを躊躇ってしまいがちだが、それは何より安らげる暖かさだった。
「大体無理したところでどうにもならないことがあるって分かってるでしょう? 人は神様になんてなれっこないんですから」
「……そうだけど、それでも、俺は……」
「ほらもうボロが出た。
人前ではとても出来ない失態を犯してしまい、ぐっと息が詰まる。
私が前世の記憶を持つ人間であることを知っているヒルダはそんな情けない姿を見て笑っていた。
科学的な知識や機械の構造を伝えるにあたり、どうしてそんなことを知っているのかと疑問を持たれるのは当然のことだ。
だから彼女のように、一部の人間には私の転生事情を話してある。
今にして思えば前世の記憶があるなんてよくも信じてもらえたものだ。
――男性であったことも含めて。
それを気にしてないかのように、ヒルダはこちらを抱き締めたまま祈るように穏やかな表情で囁いてくる。
「お嬢は十分に全力でやっていますよ。だから無理はしないで下さい、貴女が辛いと同じように辛い人がたくさん居るんですよ、私も含めて」
そんなことではいけないと、叫ぶ理性があった。
祖父の教え、貴族として、大きな力を持っているなら、それを人の為に生かすべき。
けれど今自分がやろうとしていたのは、本当にその道に相応しいものだっただろうか。
こんな風に我が身を省みるのを忘れ、身近な人に気遣われてしまうようなみっともない人間に、ついていこうとしてくれる人なんて――居ないのではないか。
「……ヒルダ」
「はい?」
「少し、休むよ。落ち着いてから考え直すから、さっきお願いしたことは少し待って欲しい」
「承知しました、ごゆっくりお休み下さい」
思えば今日は気を張り詰め過ぎていた。
少しだけ頭を休めようと決め、気が抜けると一気に睡魔が押し寄せ、ヒルダの微笑みを最後の記憶にして意識が微睡の中へと沈んでいった。
それに思いを馳せるようになったのはいつの頃からだっただろうか。
決定的だった出来事だけは鮮明に思い出せる、幼い頃に連れて行ってもらったお祭りで買ってもらった風車の玩具。
うっかりと坂道で落としてしまったそれが川の岩場に引っかかり、水面に浸かった羽車がぐるぐると回っているのを目にした時だ。
人が息を吹きかけずとも、風車は回る、絶え間なく。
なんでもない光景であるはずなのに、飽きることなくその光景を眺めていた。
川を水が流れていくのはごく自然なこと、けれどそこには人のように息切れしない力が働いているのだと初めて知覚する。
彼らはどれほどの力をもっているのだろうと、家にあった荷車の車輪を外して水路に据え付けてみたときは盛大に叱られたものだった。
祖父だけはそんなタチの悪い悪戯にしか見えないような真似をした私を怒らず、子供の戯言にもよく付き合ってくれたが。
そんな祖父の力を借りて初めて組み上げた、水の力を羽車が麦を突く杵へと伝えてくれる絡繰りは不格好で出来の悪いものだったが、感じたことの無い昂揚をもたらしてくれた。
けれど父と母はそんな私の成果を喜んではくれなかった。
『こんなもので遊んでいる暇があったら、魔法の勉強でもしなさい』
幼い私はにべもない両親の言葉に愕然とした、けれど今にして思えばそれも無理からぬことだったように思う。
広大な農地を持つ私の生まれ故郷には当時既に偉大な付与魔法使い、導師が開発した魔道具が広く普及していた。
麦を挽くのに杵を突き臼を回すのはとっくに時代遅れ、風が凪いでしまえば風車は無力だが、魔力を通すだけでいい魔道具ならいつでも上質な粉が加工できる。
私が夢中になっていたのはそんな時代遅れの産物だったのだ。
そんな現実を知ると、今まで輝いて見えた世界が急に色褪せて見えた。
あんなにも惹かれた、魔法という技術に依らない自然にある力は世の中の誰もが下らない、役に立たないと切り捨てているもので。
それが無価値だと、否定されたのが悔しくてならなかった。
苦労して作り上げた絡繰りが、邪魔にしかならないから解体されるのだと知った時には思わず家を飛び出していた。
何の考えがあったわけでもない、ただ嫌だった、納得できなかった、それだけ。
子供の現実逃避でしかない、けれど逃げた先、不出来な水車小屋の前で、その出会いはあった。
羽は不均一で、回転も安定していないそれを立ちつくし眺めていたのは仕立ての良い服を着た、自分より少し年下に見える少女。
長い黒髪は艶やかで、畑仕事を手伝わされる農家の子と違い手肌に荒れも無く、育ちの良さが傍目にも窺える。
近所で噂になっていた、どこかの国からやってきているという貴族様だと一目で分かった。
どうしてこんな一農家の敷地にそんな子が来ているのかは不思議だったが、気分がささくれだっていた私は大切な場所に踏み入られたような気がして、散々やってはいけないと注意されていたはずの失礼な振る舞いをするのだった。
「……何やってるの? ここ、私のウチなんだけど」
びっくりとした様子でこちらを見返してきた少女は声を掛けたこちらが驚くぐらいに整った顔立ちをした女の子で、乱暴に声をかけてしまったことにチクリと胸が痛んだ。
それでも荒れていた気分は言うことを聞いてくれず、睨むような顔をしてしまっていた私にその子はぺこりと頭を下げ言うのだった。
「勝手にお邪魔してしまいすみません、こちらのものが気になってしまったものでつい」
年下なのに、大人みたいな喋り方をするその子が気持ち悪くてたじろいでしまっていた。
そんなこちらの気持ちなど知らず、顔を上げた少女は言葉を重ねる。
「お聞きしたいのですが、こちらの絡繰りを造られたのはどなたか、ご存知……知っていますか?」
途中でようやく自分が子供離れした言葉遣いをしていたことに気づいたようにして言い直していたのは子供相手の話し方ではないと思い直したせいらしい。
そんな配慮に気づく由もなかった私はぶっきらぼうな答えしか返さない。
魔道具をたくさん持ち合わせている貴族がどうしてこんな無駄なものを作ったのかと聞いているのだとばかりに思っていたから。
「私」
「……?」
「だから……私だよ、それ、造ったの! おじいちゃんに手伝ってはもらったけど……あなたに迷惑かけたわけじゃないでしょ、文句あるの?」
まだ子供だったとはいえ、年下相手に大人げない態度。
けれどそんな態度にショックを受ける様子も無く――いや、別のことに衝撃を受けていたその少女は暫くの硬直の後、飛びつくようにこちらの肩をひっつかんだのだった。
「君が!? 本当に、これを、作ったの? 一から?」
「っ!? え、う、うん……そう、だけど……」
「――すごいよ。おれ……私なら、絶対にこんなの無理だ、君みたいな人が居るなんて……」
相手を怒らせてもしょうがないと、幼いながらに自分でも分かる態度をとっていたから、その反応は予想外すぎて呆気にとられてしまう。
そうしているうちにすっかりと感動した様子のその子は一人頷きを繰り返し、告げるのだった。
「お願いします、どうか君の力を私に貸して下さい」
懐かしい夢から覚め、瞼を開くと目の前には成長したあの日の少女が寝息を立てている。
男性の心を持つという彼女からしてみれば嘆かわしいことなのかもしれないが、その寝顔は未成熟ながら見惚れる程に女性的な魅力が溢れている。
やたらと自己評価の低い彼女は自分が人にどれほどの影響を与えているか、理解していないのだろう。
そんなに結果を求めるまでもなく、支えてくれる人なんていくらでも居るのに、相談もなく無茶をしかける。
困った雇い主だが、折れかかっていた自分に手を差し伸べてくれたこの人のことを見放す気なんてさらさら起きない。
こんな機会も滅多に無いので、そんな寝顔を存分に眺めているとやがてその瞼が震えうっすらと開いていった。
「お目覚めですか?」
「……うん? ああ……ヒルダか、おはよう」
ぼんやりとした様子で目覚めの挨拶を交わし、身を起こした公爵たる少女はややしてからようやく同じベッドで横になっている人物の存在に気づいたらしく、かっと目を見開いてその場から飛び退きそのままベッドから転がり落ちた。
こんな姿はとても人前に晒せまい、日頃必死に保っているらしい落ち着いた佇まいで醸し出している大物感が台無しである。
「――痛っつぅ……、い、や……ヒルダが何で? あぁ変なこと……いやいや出来るわけが無いし!」
すっかりとパニックに陥り顔を真っ赤にして慌てふためくその姿に笑ってしまうのが抑え切れない。
彼女の魔法に頼らなければマーシァ領には帰れないことだし、一晩共にさせて頂いたわけだが寝間着にシャツ一枚になっていたことで妙な誤解までさせてしまっているらしい。
間違いなんて起こりようも無いわけではあるが。
「隣で寝てただけですから大丈夫ですよ。ただ――お嬢が相手なら私はいつでもその気になって頂いて構いませんけどね?」
冗談めかして告げさせてもらった言葉には偽りの無い気持ちが込められていた。