転生公爵令嬢の憂鬱 作:フルーチェ
迂闊にあつ森を起動してはならない戒め……。
国内の貴族が治めていた町々、全てを攻め滅ぼしたオリベイラは帝都へと戻り、魔人と化した元帝国民達もほとんどがその後に続いていた。
これまで自分達を苦しめてきた貴族達を赤子の手をひねるがごとく葬り去ったことで、元平民達の中には魔人となったことで得た力の全能感に酔いしれる者も少なからず出てきている。
そうした影響もあり、帝国を滅ぼしたならば次は世界統一かと浮かれる魔人達だったが、対照的に玉座に腰掛けるオリベイラの瞳からは感情の色が消え失せていた。
「さて……皆さんのお蔭で無事に帝国を滅ぼすことが出来ました、これは大変喜ばしいことです」
そう淡々とオリベイラが告げると、広間に集まった魔人達は口々に彼を称え追従する言葉を上げていく。
一方で以前からオリベイラに従っていた者達、ミリアやゼスト率いる諜報部隊はそんな様を冷ややかに眺めていた。
「しかし……帝国を滅ぼすことが私の目標でしたからねえ……この後はどうしましょうか?」
オリベイラが続けたその予想外な発言に、熱狂していたはずの魔人達が困惑していく。
逆にその反応が理解できないとばかりに首を傾げるオリベイラへ、一人の屈強な体格をした魔人が問い掛けた。
「お、お戯れを……シュトローム様、私達魔人の力で、世界を統一なさるのでは?」
「世界統一? 何故そんな面倒なことをしなければならないのですか?」
もとよりその題目は魔人となった者達の間で囁かれていた、もしかするならという願望の一つでしかないもので、オリベイラがそんな野望を漏らしたことなど一度たりとも無い。
それがいつしか独り歩きし、彼らが思い違いしてしまっただけのことだったが、身勝手なことに憤慨する者も少なからずその場には居た。
「……だったら、なぜ、私達を魔人にしたのですか!?」
「帝国を確実に滅ぼすための手駒が欲しかっただけです。私は貴族を打倒する為の力を与えると言っただけですよ? 一体どうしてそんな話になっているのですか」
こちらの方こそが心外とばかりに告げるオリベイラに、呆気に取られる魔人達だったが、手駒というその言葉が気に障ったのか、その一部が激昂しながら魔力を集め出す。
「貴様……そんな事の為だけに俺達を……っ!」
しかしその魔力は鬱陶しそうにしながらオリベイラが手を振ってみせただけで制御権を奪われ、霧散してしまう。
同じ魔人でありながらその圧倒的な力量差に呆然とする元平民達へ向けられるオリベイラの瞳は、敵意を向けられながらも変わらず感情の色を宿していなかった。
「迷惑です、あなた方がどういう野望を抱こうと自由ですが、それを私にまで押し付けないで頂きたい」
反感を覚えようとも、対抗することすら出来ないことを理解した魔人達は歯噛みすることしか出来なかった。
「分かりました……ならば私は好きにやらせて頂く!」
「最初からそうして下さい」
離反を宣言した一人が出ていくと、集まっていた元平民の魔人達は動揺しながらも、やがて出て行った男の後を追って行く。
集まっていた魔人の大半を占めていた元平民達が去ったことで、静けさに満ちた広間でオリベイラはうんざりとしたように嘆息を漏らす。
「まったく、一体何を考えているのやら」
「恐らく不相応な力に酔っているのでしょう。ここに残っている者達と違って、出て行ったのは今まで戦闘経験など全く無かった者達ですから」
「……あの反応を見るに、自分は必要な存在として選ばれたとでも勘違いしていたのかもしれませんな。搾取され続けてきた反動もあるのでしょうが、唐突に力を得たことで自尊心ばかりが膨れ上がったと見える」
冷徹に評したように、玉座の傍らに控えていた男女、ミリアとゼスト、そして元諜報部隊の者達はオリベイラが彼らに対してなんら執着心を抱いていないことを分かっていた。
魔人となり膨大な魔力を制御できるようになりながら、それを扱う術に関してはまったくの素人である元平民達に何の指導もしなかったのは、彼女達もまた相手を駒としか見ていなかったことによる。
事が済めば用済みとなる存在でしかなく、処分されてしまう可能性すら視野に入れていた。
だからこそ彼らをあっさりと野放しにしてしまったことを気になりもしたのだったが。
「そういうものですか……あなた方は、行かなくてもよろしいのですか?」
「……私達はシュトローム様の御力に心酔する人間ばかりですから」
その場に残ったのは皆やはり、平民であるというだけの理由で帝国の体制に虐げられてきた者達ばかり。
命懸けの任務を与えられながら、まともに見返りを与えられることなく酷使されてきた者。
貴族の私欲によって自身の自由、家族の命までも奪われてしまった者。
そんな彼らにとって、帝国を滅ぼす機会を生み出し、その為の力を与えてくれたオリベイラは紛れも無く救いだった。
加えてかつてオリベイラが帝位継承権を持つ帝国貴族でありながら平民の地位向上に奔走し、それが故に他の貴族に陥れられた過去を知ってからは忠義に近い感情まで抱くようになっている。
それだけに、彼が自分達に対して他の魔人達同様に、まともな関心を示していないことが苦痛でもあったのだが。
「それより、よろしいのですか? 彼らをあのまま放置してしまっても」
「構いませんよ、彼らが私の障害になる訳でもないでしょうし。むしろそうなってくれた方が暇潰しになっていいのかもしれませんがね」
離反した魔人達が反旗を翻す可能性を暇潰しと称したオリベイラをミリアは痛ましい思いで見てしまう。
帝国を滅ぼすという目的を果たした彼は目標を失い、すべてがどうでも良くなっているかのようですらあった。
「まあ遠からず自滅してしまうのが関の山でしょう。アールスハイドのカート君も賢者の孫とやらにあっさり殺されてしまったようですし、あの国には私を追い詰めた閣下もいらっしゃることですしねえ」
薄く笑いながらオリベイラが語った言葉に、他の面々が目を見開き驚愕を露わにする。
先程の光景を見るまでも無く、並の魔人と比しても一線を画するオリベイラの実力を知る彼らにとって、それほど信じがたい内容だった。
「シュトローム様が実験台とした魔法学院生の
「私も全力を出し切ったわけではありません、しかし正面から勝ち筋を見出せなかったのは事実ですよ。なにか隠し玉も用意していたようですしね」
オリベイラの脳裏をよぎるのは眼帯を外し、白い眼を晒した少女の姿。
相手の口ぶりから、ただの義眼ではなく魔道具の類、それも相当な効果を秘めたものと推測される。
圧倒的な魔法の技量に加え、そんなものまで備えている人間という彼らにとっての紛れも無い脅威だが、その人物を回想するオリベイラの口端にはそれまでとは僅かに趣きの異なる微笑が浮かんでいた。
「シュトローム様……?」
「私が言うのもなんですが、魔人といっても絶対的な存在ではないということでしょう。そんな彼らが踊る様を精々楽しませてもらいましょうか」
変化は一瞬の事で、すぐに表情を嗜虐的なものに戻したオリベイラは離反していった魔人達の未来を嘲笑う。
自身にとっても脅威となる存在を語りながら危機感を見せない姿に、ミリアが気遣うような視線を向ける一方で、元諜報部隊の長、ゼストが密かに思考を深めていた。
玉座の間を離れたゼストは帝城の廊下を伴った三人の部下と話しながら歩いていた。
「任務ですか?」
「そうだ。ローレンス、アベル、カイン、お前達にはこれから出て行った魔人達に紛れ、奴らの行動を誘導してもらう。我々の脅威となる者達の戦力確認の為にな」
まだ若い、青年頃の三人は告げられた言葉を一瞬不可解そうにしていたが、すぐに顔色を変えてゼストへ問いただす。
「脅威って……まさか!」
「アールスハイド王国、正確には賢者の孫シン・ウォルフォード。そしてマーシァ公爵だ」
「……それらに対してシュトローム様に手を出すつもりはないようでしたが?」
「そうであってもだ。あのお方がそれほど力を認めるまでの人間、いずれ必ず我々の脅威となる。危険の芽を摘めるのなら早いに越したことはない」
いくらオリベイラに他国を侵略する気が無かろうと、彼ら魔人は人々にとって災厄に他ならない。
他の国々が将来的に自分達を排除しようと動き出すのを予測していたゼストにとって、それは必要な行いだった。
ローレンスらは一時難色を示しながらもその判断を理解すると、すぐに与えられる任務の内容へと意識を切り替えていた。
「ならその手段は、奴らにアールスハイドを襲わせでもするんですか?」
「いや、かの国は大国だ。賢者の孫や公爵が出てくる前に軍だけで討伐されかねん」
「てことはそいつらをおびき出せそうな状況を演出する必要がありそうですね……うへぇ、面倒な」
上司に対するものとしては軽薄な口の利き方をするローレンスだったが、ゼストに気を悪くした様子はなく、アベルらも軽く睨むだけにとどめている。
彼ら諜報部隊の人員はそのほとんどが平民にして特に貧しい出身の者達。
幼い内から両親を亡くすなどして生きる糧を得る術を失っていた所を、ゼストに拾われた者がほとんどだった。
彼らと彼らの為に諜報部隊の待遇改善を貴族相手に求めてきたゼストの間には立場以上の信頼があり、気安い間柄はそんな関係に来歴する。
「近くの国を襲わせる、ってところですかね」
「一方は公爵なんだ。簡単に身動きできないだろうし、それだけじゃ不足だろう」
「となると……ああ戦力を分ける必要もあるかもな、連中相手とはいえ余計に面倒そうだ」
具体的な指示を出すまでもなく、内容を詰めていく部下達に信頼を込めてゼストは後を任せる旨を告げた。
「お前達になら出来ると信じている、期待しているぞ」
「ま、やるだけやってみますよ。元は優~秀な貴方の部隊の一員ですから」
「必ずやご期待に沿えるよう努力します」
帝国が滅んでも従ってくれている部下達を見送ったゼストはその胸に、彼らに対する感謝と共にある念を抱いていた。
この任務は自分達、魔人にとって脅威となる存在の実態を把握したかったのは事実であるが、それ以上に新たな主と仰ぐ、オリベイラに対して報いたかったところが大きい。
自国の腐敗ぶりを理解しながらも、いつかは変わってくれるのではと愚直に職務を全うし続けていた彼は、踏み出すことのできなかった自分達に、変わる切っ掛けを与えてくれた主にミリア同様、深い忠誠心を持っている。
そんな主が目標を失くし、時に世界の全てに興味を失ってしまったかのようにしている姿が彼にとっての悩みの種であり、出来るなら新たな目標を見つけて差し上げたいとすら考えているゼストだったが。
そのために見出した相手こそが賢者の孫、そして。
「そして――閣下、か」
脅威と定めた存在、特にその一方は思わず独りごちてしまう程度には気にかかるものとなっていた。
その存在について触れるとき、あれほど貴族を憎んでいたオリベイラがむしろ表情を穏やかなものにしているように見えたのだった。
性根の捻じ曲がった帝国貴族とは違う、他国の貴族であるせい、それだけにとどまらないものがあるように思えるほどには。
考えても詮無い事と、ゼストは一旦思考を振り払い、放った部下達の成果に思いを馳せる。
元より彼も離反していった魔人達に戦力となることは期待していなかった。
無論並の人間には太刀打ちできない存在ではあるが、そんな事は他国にとっても百も承知に違いない。
全土に魔物が蔓延る地となった帝国ではあるが、他国へ逃れた平民も少なくは無い、大量の魔人の存在は世界に知れ渡っていることだろうし、対策は進められているだろう。
小国の一つや二つは滅びるかもしれないが、それに伴い犠牲となる人々に対して罪悪感を抱かなくなってしまっている自分にふと気づき、ゼストは眉根を寄せる。
初めて確認された魔人のように、理性を失うことこそ無かったが、魔人となったことで自身の価値観が決定的に変わってしまったことは彼らも気づき始めていた。
信頼関係にあった部下達、盟友であるミリア、主君となったオリベイラ。
それぞれに対して抱く情はまっとうな人間だった頃と変わらない。
しかしそれ以外の他者に対して、どうしてか同じ人間として扱おうとする感情が欠落している。
自分達が人々の暮らす世界に対する異物となってしまったかのような錯覚を覚えながら、ゼストは残った感情、オリベイラに対する忠義を果たすためだけに行動を開始するのだった。