転生公爵令嬢の憂鬱 作:フルーチェ
広範囲の魔法無効化は味方にも影響を及ぼすが、こちらの魔道具装備は全て、内蔵された魔石から出力を得る付与を施した特別仕様。
一般的に魔道具に組み込む魔石の用途としては、人の手を介さずとも起動状態を保てるよう微弱な魔力を流し続けるためのもの。
しかしこちらの装備においては、付与魔法が消費する魔力までも魔石から供給させる機能を追加したことで、大気中の魔力が停止した状況下でも使用可能にしている。
当然ながら魔石の消耗は激しくなり、燃費は劣悪。
一般的に魔石は稀に産出し、高価で取引される希少資源として知られて来たので、少し前までの常識で見ればとんでもない散財をしでかしているように思われることだろう。
が、うちの工房では魔石を人工的に生み出すことに成功しているので、実際の出費はごく僅か。
以前にヒルダから公開時期を聞かれたときは時期尚早と答えたが、昨今の魔人騒動への対応で通信機と共に早くも日の目を見ることになってしまった。
その甲斐はあって魔人達の反応は、戦意を喪失し嘆く者、あるいは悔しさに激情を浮かべる者、様々だがもはや勝ち目が無い事を十分に示せたようだ。
「さてターナ、問題はあやつらが大人しく捕まってくれるかどうかだが、素直に投降してくれると思うか?」
「難しいでしょうね」
捕縛を目的と掲げたわけだが、それが一筋縄ではいかないことは分かっている。
魔法こそ封じたが、魔人の驚異的な身体能力までは抑えきれない。
全力で抵抗されでもしたらこちらも相手も、無傷では済まないだろう。
「……投降? まさか、奴らを生かして捕えるおつもりなのですか? ご冗談でしょう?」
こちらの会話が聞こえたラルフが耳を疑うようにしている。
帝国を滅ぼした魔人達に対して、その反応の方が自然なのだろう。
魔人とは人にあらず、速やかに討伐すべきであるのだと。
でも私は、そんなことのためにこの膠着をつくり出したわけじゃない。
彼ら、魔人となった帝国民たちの境遇を思えば、とてもそんな気にはなれないだろうに。
「司令。一時この場を、私に預けて下さいませんか?」
「なんだと?」
「確かめたいんです。本当に彼らが、言葉の届かない存在になってしまったのか」
少なくとも、オリベイラという名の魔人は違ったと、私は考えている。
復讐に囚われてこそいたのかもしれないが、言葉を交わす中で響き、通じるものがあった。
魔人を人類に仇名す存在であると、一括りにしてしまうのは本当に正しいのか、疑念が生まれるぐらいには。
私の提案を受けた祖父は顔つきを険しくしたまま暫しの間、黙り込んでしまう。
やがて重々しく開かれた口から、返された言葉は。
「……いいだろう」
「ありがとうございます」
こちらの意思を尊重してくれた祖父に感謝の意を伝え、魔人達が身を寄せ合っている方へ足を向ける。
「待て。今、護衛を――」
「いりません。私の魔法の腕はご存知でしょう? 兵も、良いと言うまで動かさないようお願いします」
「な――」
私が一人で行くとまでは想定していなかったのか、流石の祖父も面食らった様子で言葉を失くしている。
だが常人離れした魔法を扱えることも理解しているせいか、止めるべきか迷っているらしい内に、こちらは陣を抜けていた。
引き止めたいのか同行したいのか、動揺しながら足を浮かせる皆を手で制しつつ、まっすぐに歩く。
何が起こっているのか分かっていない風な魔人達の元に辿り着く、前に。
「――解除」
魔法の無効化を解く。
これから臨む彼らとの対話に、この魔法はきっと邪魔になるだろうから。
魔力の変化に気づき、僅かに活力を取り戻し始めた魔人達の視線がやってきたこちらにも集まってくる。
そこには好意的な感情とは程遠い、肌に刺さるような敵意が明確に込められていた。
「皆さま初めまして。私はターナ・フォン・マーシァ、若輩ながらこの地の領主を任されている者です」
こちらの名乗りに魔人達は意表を突かれた様子だったが、すぐにその表情へと怒気を滲ませていく。
その源はやはり、こちらの素性によるところが大きいだろう。
「王国の、貴族か」
「はい、公爵の位を戴いております」
魔人達の間をどよめきが駆け抜ける。
まだ年若い身で、貴族家の当主だと主張しているのが信じがたかったのかもしれない。
だがそんなことを気にする余裕は無いのだろう、近い位置に居た一人の男が拳を握りしめながら発したのは今の状況について誰何する言葉だった。
「何のつもりだアンタ、攻撃を止めて……俺達をじっくりいたぶろうってのか?」
自分達から攻めてきておいて随分な言い草だが、平静を欠いていそうな相手にそんなことをわざわざ指摘するのも面倒だ。
「降伏を勧告しに参りました」
「……降伏、だと?」
「抵抗を止め、こちらの指示に従って頂けるのであれば、身の安全は保証します」
そこまで告げると、魔人達はしばらく意味が理解できなかったかのように固まってしまう。
やがて魔人の男が絞り出した声は、いかなる感情によるものか、微かに震えているように感じられた。
「正気かよ、俺達は魔人だぞ? どんな存在で、なにをやって来たのか、アンタらだって分かってんじゃねえのか?」
「理解しているつもりです。しかし貴方達の境遇を鑑みれば、情状酌量の余地はあると判断しました。罪を許すとまでは申せません、帝国貴族達を殺めた事実、そしてもし無辜の民にまで手をかけていたのなら、相応の処断が必要となるでしょう。しかし――」
先だって、この法を領内に公布した時にはやはり拒絶感を示す民もいた。
この地を離れた領民も一人や二人ではない、それでも私は彼らを獣のように扱うことはしたくなかった。
「我が領においては、意思を交わし得る限り、魔人であっても人間として扱われる。決して貴方がたの生命と自由を、不当に脅かすことはしないと約束します」
辺りがしんと静まり返り、遠くから息を呑む気配が伝わって来た。
おそらくはダーム王国の一行から、狂人とでも見られているのだろう。
本来なら、権力で人の行いを縛ることは控えるべきだ。
差別を恐れるあまりに、過剰な締めつけを行い生まれた反発は、逆に差別を助長させてしまいかねない。
だが魔人という存在を人々の間に受け入れるのに、この世界ではまだ互いの理解も余裕も足りていない。
魔人である彼らに対しても、多くの制約を課さなければならないだろう。
「このままでは貴方達にとっても未来はありません。どうか、従って頂けませんか?」
差し出した手に、目の前の男の目が見開かれる。
ほとんどの魔人達が仲間同士で顔を見合わせ、困惑を囁き交わしていく。
捨て鉢にならず、こちらの言葉に耳を貸して欲しかった。
こちらの手をじっと見つめていた魔人の男が不意にうつむき、肩を落として震わせる。
顔も見えず、どんな思いが彼の胸を満たしているのかは察し取れない。
程なくして、顔を上げた男の瞳には――
「――舐めてんじゃねえぞ、腐れ貴族がよ!」
滾るような憎悪で満たされていた。
瞬間、振りかぶられた男の腕が魔力を纏い、薙ぎ払われる。
差し出していた右手が打ち飛ばされ、激痛と喪失感がこちらの思考を一瞬白く染め上げた。
「ぁ――――く、ぅ!」
後方からこちらの名を叫ぶ声が遠く聞こえる。
紅い鮮血が手首の辺りから飛び散り大地を汚し、目をやった一瞬、肉とは違う、白いものが見えた気がした。
歯を食いしばって漏れだしそうな悲鳴をなんとか押しとどめるこちらの前で、男が激情を露わにしていた。
「何が人間としてだ……俺達が今さら、そんな虫の良い台詞に騙されるとでも思ってんのか!? 俺達が苦しめられてる間、のうのうと平和に暮らしてやがったてめえらなんかに、俺達の何が分かる!」
叩き付けられる拒絶。
こうなることを予測してはいた、伝え聞くだけでも彼らの受けてきた仕打ちは惨憺たるものだ。
貴族と言う存在に対する不信感、そして手を差し伸べることができなかった国外の人間に対する怨みは根深い。
積もり積もった憎しみこそが、彼らの暴走の原動力。
理屈だけでは感情を押し止められない、人はそういう生き物だ。
「総員――」
こちらの危機に、祖父が号令をかけようとしていた。
やはり魔人とは相容れないのだと、皆が感じたことだろう。
――けれど、まだ、終わっていない。
「……っ、全軍、停止!」
「――ターナっ!?」
魔力をたぐりよせて張り上げた声に、突撃しようとしていた兵達の足が威圧され止まった。
本当ならこんな愚行に耳を貸したくもないだろう皆には申し訳なく思う。
けれどまだ、尽くせる手はある、あるはずなのだ、この世界ならばこそ。
「くっ……まだ戯言を言い足りねえってのか? 哀れな平民に情けをかけるのはそんなに気持ちが良いのかよ」
煽るように男が重ねていく荒い言葉に、乱れる息を整えながら耳を傾ける。
「分かってねえなら教えてやる。俺達にとっちゃ、お前ら人間はもう別の生き物にしか見えねえんだよ。殺すか殺されるか、その選択しか残っちゃいねえ」
それは嘘だ。
今私に向けて振るった一撃は明らかに、殺すためのものでなく、脅すためのもの。
期待しているのだろう、私が掌を返すことを。
貴族とは醜いものだと、その正体を見せてみろとでも。
信じたくない、否定したがっている、揺さぶられている。
そう、こちらの言葉が全く届いていないわけではない。
ならばもっと踏み込むまでのこと、その手段ははじめからこちらの手の内にある。
ある青年は、魔人の魔力を邪悪と評した。
けれどゲームの中でもないというのに、絶対的な悪など存在し得ないはずだ。
あくまで向けられた憎悪や殺意、感じ取った好ましくない感情を彼がそう評したに過ぎない。
つまり魔力とは制御した者の感情を伝達しうる物質なのだと仮定できる。
ならば軸の異なる感情を伝えることができたとしても不思議はない。
「……それぐらい、おかしな話ではありませんよ。魔人となる以前まで、貴方達には帝国の貴族が自分と同じ人間であるように見えていたのですか?」
「はっ……そ、それとこれとは話が違うだろうが!」
「いいえ、生まれ、血筋、肌の色、思考の違い、この世界に一人として同じ人間など存在しない。迫害される理由になることがあったとしても、別の生き物であることは共存できない理由にはならない」
あくまで理想のお話だ、互いが互いを完全に尊重し合える世界なんて、前世でも実現できていなかった。
けれども私はその綺麗事を通したいのだ。
鼻で笑われてしまいそうな言葉だとしても、この気持ちに偽りはないと、集めた魔力を魔力のままに、広げていく。
右手の痛みを止めるのも、身を守る障壁を纏うのも、全ては後回しだ。
攻撃を防ぐ魔力障壁の魔法にはどうしても拒絶の感情が付きまとう。
気持ちを伝えようという時にそれをすれば、不審感となって彼らに伝わりかねない。
無理をしなくても良いと言ってくれた人がいる。
それでも出来る限りの手は尽くしたいと思った。
だからこそ、こうして何の防御魔法も付与されていない、ただの服を着てここまでやってきた。
「確かに、私に貴方達の気持ちを理解することはできないでしょう」
彼らと違い私は今世、恵まれてきた。
そんな私がどうして奪われ続けてきた彼らの気持ちが分かるなんて言えようか。
「それでも――」
残っている左手を差し出すと、目の前に立った彼が目に見えてたじろぐ。
「この手を取ってくれるのなら、引き上げてみせる。貴方達が人として、生きられる世界まで」
不幸の果てに行き着いたのだとしても、この手の届く場所まで彼らは来てくれた。
全ての人を救うことが出来ないとしても、目の届くところぐらい、この理想を押し通したい。
魔人達、そして目の前の男が赤い目を呆然と開きこちらを見ていた。
それまでと違い、怒りの中に深い迷いをたたえながら。
「……なんだってんだよ、今さら……今さら、そんなこと言われようが……は……帰ってこないんだ」
震える声音で、誰かの名前を男が呟く。
口ぶりからして、すでにこの世に居ない、虐げられる生活の中で失った、奪われた人の名だろう。
元平民の魔人達のほとんどは、そうした経験を持つ人々であるはずだ。
「人間を止めちまったあとで、人間扱いされるなんて……ふざけてやがる、腹が立ってくる……嘘に聞こえねえのが、気持ちわりいよ」
呻くようにして、男は胸の内の鬱憤を吐き出していく。
誰かを想う気持ちを残していた彼は気づいた上で、ここまで来たのかもしれない。
魔人となった自分達もまた、滅ぼされるべき存在であるのだと。
「怨みを晴らすためだけに貴族共を殺して回った、俺達だってもう、あいつらと同じクソ野郎だ。アンタみたいなやつから、救われるいわれなんて、ないだろ」
「言ったように、罪を赦すわけじゃない。それでも――どうせ生きるのなら、幸福を求めて生きて欲しい」
不幸に生まれて、不幸なまま生き、不幸に死ぬ人生なんて、あんまりだ。
せめて彼らには、そこから抜け出す道を、自分達で選んで欲しかった。
視線を合わせていた男ががくりと膝をつき、うなだれた瞬間、周囲を漂っていた魔力を通して伝わっていた悪寒が和らぐ。
「アンタの目を見てると、自分がガキになったみたいで、うんざりしてくるな」
男の雰囲気が変わったことに気づいた魔人の一人が、険しい顔つきで声を落とした。
「……いいのか?」
「死にたいなら好きにしろよ、あんな真似をした相手からこんな情けをかけられたら、俺はもうどうしたらいいのか分からなくなっちまったよ」
仲間に素っ気なくそう返した男はこちらを見上げ、血をとめどなく流し続けている右手を痛ましそうに一瞥する。
「……その手を借りる気になるかは、まだ分からねえ。けど……逆らう気も失せた。投降、させてもらう」
死にたくはなかったのか、それとも同じように抵抗の意思を失ったのか。
投降の意思を示した男に、やがて迷いながらも他の魔人達も行動を同じくしていった。
次々と魔人達が膝をついていく姿に、信じられないものを見るような目が兵士達の陣中から向けられていた。
全員が全員、こちらの言葉を信じてくれたのかまでは分からない。
けれどどうにか、私は目的を達成することが出来たらしい。
「――それでは私、ターナ・フォン・マーシァの名において、貴方達を拘束させて頂きます」
こうして、マーシァ領における魔人達の侵攻は終結した。