転生公爵令嬢の憂鬱   作:フルーチェ

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公爵令嬢ターナ

 賢者宅で成人祝いが催された日の夜。

 アールスハイド王都の貴族住居が集中する区画、ある屋敷に大量の馬車が乗りつけていた。

 貴族のものであるだけに豪華な邸宅が数多い地区の中にあって一際大きいその屋敷を所有するのはこの日、当主が代替わりすることになったマーシァ公爵家。

 

 新当主のお披露目挨拶という題目のパーティーに招かれ、大広間に集まった貴族達の注目を集めているのは来賓と挨拶を交わし続ける齢十五の成人を迎えたばかりの少女。

 癖の無い艶やかな黒髪を靡かせドレスに身を包んだその新当主、ターナ・フォン・マーシァは幼い頃に家族らが予想した通り、誰もが目を引くような美しい容姿に成長していた。

 しかしそうして目を引かれた者達のほとんどは一瞬痛ましいものを見るような目をしてしまう。

 

 その原因はターナの片目を覆う眼帯、瀟洒な金糸の刺繍があしらわれ装飾品のような趣きを呈してはいるが、隻眼という障害は妙齢の女性が負うものとして重い。

 にも拘わらず当のターナにそれを気負っている様子はなく、年上ばかりの王国貴族と向かい合う様は立場に遜色ない堂々としたものだった。

 若輩者が公爵家の代表となることを不安視していた者達も少なからず居たが、その立ち振る舞いに考えを改めさせられている者も多い。

 

 開宴から少し遅れ、広間へやってきたある人物の姿に会場がざわめきを見せた。

 姿を見せたのは新当主と変わらない年頃に見える整った容姿の青年だが、この場にその人物を知らない人間は居ない。

 アウグスト・フォン・アールスハイド、現国王ディセウムの長子であり後継となることが確実だろう王子だ。

 

 背後に護衛らしき二人の青年を従え参加者達が空けた道を進み、広間の中央へと進んだアウグスト王子をパーティー主催者であるターナが迎え、恭しく礼の形を取る。

 

「顔を合わせるのは交流会以来か、久しいなターナ嬢――いや、マーシァ公」

 

「はい、本日はようこそお越し下さりましたアウグスト殿下」

 

「ああ、急用で来られなくなった父上に代わり、このアウグストがそなたの爵位相続を祝わせてもらう」

 

「――勿体無きお言葉、光栄に存じます」

 

 アウグストの言葉に一瞬眉端を震わせるターナだったが、頭を下げた瞬間のことでその感情の揺らぎに気づくものは居なかった。

 そんな気配を察した様子も無くアウグストは顔を上げたターナに言葉を重ねていく。

 

「それにしてもその年で爵位を継ぐとは大したものだ、人づてには聞いているがそなたが領政を取り仕切るようになってから公爵領の収益は右肩上がりらしいな」

 

「お褒め頂き恐縮ですが、父と祖父の人脈、何より盛り立ててくれている領民達の尽力あってこそと思っております」

 

「そう謙遜するな、大したことのないように言われてしまっては立場の無くなるものも出てしまうぞ、こいつのようにな」

 

「で、殿下、要らぬことを仰らないでください」

 

 口元を意地悪そうに歪めたアウグストに示された背後の護衛の一人、中性的な顔立ちをした青年が慌てて首を振る。

 その顔を見たターナは、ああと彼の言わんとするところを悟る。

 控えた青年の名はトール・フォン・フレーゲル、フレーゲル男爵家の嫡子だ。

 

 職人の街として知られるフレーゲル男爵領の優れた工芸品は国内外で高い人気を誇っていた。

 しかし最近になり台頭してきたマーシァ商会、その名の通りマーシァ領に拠点を置く商会の扱う品々にその座を脅かされつつあるのが現状だった。

 彼自身に含むところがあるかは分からなかったが、短期間で目覚ましく発展した分だけお株を奪われてしまった者達に妬みや恨みを覚えるものが居たとしてもおかしくはない。

 

 急成長の代償として避けられない事態ではありターナに悪びれた素振りは無かったが、むしろこんな場で臣下をからかうような真似をするアウグストに驚かされている。

 肝の太さに感心するべきか、不躾と呆れるべきか、判断に困るところだった。

 

「まあそれはそれとして、そなたも高等魔法学院の試験を受けるらしいな?」

 

「ええ、母上の要望でして。領政については父と祖父に一時預けることになっております」

 

「ならば来年からは同級生となりそうだな、公なら心配無用だろうが合格を祈っている。それと学院は貴族の権威が及ばぬ所だ、入学できたら王族相手と気兼ねすることなく学友として接してくれて構わん」

 

「――ご配慮痛み入ります」

 

 「ではな」とその場を離れ他の貴族に挨拶を受ける王子の後ろ姿を見送ったターナは思わず漏れそうになったため息をぐっと呑み込み押し殺す。

 王子と会話した直後にため息など吐いている姿を見られればどんな噂を立てられるか分かったものではない故に。

 しかしアウグスト王子殿下、世間一般では立場に驕ることなく勉学に励み、魔法の訓練も人一倍に打ち込む傑物として知られ中等学院では首席も取っている彼と対面したターナの内心は明るいものではなかった。

 

 学院は完全な実力主義、優れた魔法師育成の為に王国の定める法により権力を用いて他者に圧力をかけるようなことは出来なくされている。

 そんな権威の及ばぬ地だからとて、彼が無二の王族であることには変わりなく、大抵の人間は対等に扱うようなことなどできるはずもない。

 であるのに気兼ねなく接するように求めるとは、それ自体が特別扱いを求めているのと大差ないことに気づいているのだろうかと、垣間見えた無自覚な傲慢さがターナを嘆かせるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「昨夜はご苦労だったねターナ」

 

「ええ、立派な晴れ姿でしたよ」

 

「ありがとうございます、父上、母上」

 

 パーティー翌日、王都を出立した馬車内で対面する父エリックと母ロジーヌから改めて褒め言葉をかけられた。

 悪い人ではないがいささか私に対して甘すぎるきらいがある両親はパーティーが終わってから終始この調子で、面映ゆくてしょうがない。

 まだ成人してすぐに爵位を譲り渡すと相談されたときは本気なのか再三確認したが、決意は変えられなかった。

 

 急遽都合しなければならなくなった相続税を考えると今でも頭が重くなるが、いずれは通る道だと割り切るしかないだろう。

 貴族のお歴々と顔を突き合わせなければならなかったことによる精神的な疲労が残っている気がして体はだるかったが、領へと戻る両親を無事に送り届けなければならないので我慢する。

 

「ターナの制服姿を一番に見れないのは残念だけど……合格したら顔を見せに来てくれるわよね?」

 

「もちろんです、どうか期待して待っていて下さい」

 

 快く返すとパッと表情を華やがせるロジーナは嫁入り前余程の箱入り娘だったのか、幼くすら感じられる気性の人だ。

 世間知らず、というわけではないようだったがその素直に感動を表す様にはよく和まされる。

 当初の予定では高等学院へ入学するつもりもなかったのだが、人並みの青春を体験して欲しいと強くお願いしてきたこの母に押し切られる形になってしまった。

 

 公爵家を継ぐ決意をしたあの日から、年頃の少女らしからぬ行動ばかりを見せ心配をかけてしまったことはずっと引け目に感じていたし、ある事情によりこの右目を失ったときには卒倒までさせてしまっている。

 前世で親孝行を十分に出来なかったツケが回ってきたのかもしれないが、喜ぶ母の顔を見るのは悪い気がしなかった。

 申し訳ないことに孫の顔を見せてあげることはできないだろうし、無理のない範囲で母の望みには応えるように務めている。

 

 ともかく公爵家の当主となったからにはこの両親の為も含め、これから一層気を引き締めなければならない、が。

 昨夜のパーティーで肩透かしを食ったことを思い出すとつい気を張り過ぎているのだろうかとも考えてしまう。

 マーシァ公爵家は十年前からその勢力を大きく伸ばし今や王国の筆頭貴族、その気になれば王政に口出すことも出来るし、王家もこちらを軽んじることは出来ない。

 

 それだけに当主の代替わりとなれば釘の一つや二つ刺されることを覚悟していたのだが、やってきたのは国王ですらなく代理の王子殿下。

 しかも本当に爵位相続を祝いに来ただけらしく、予想された肚の内を探るような声かけは一切なかった。

 もちろんこちらから妙な企みを起こすつもりはないものの、あの無警戒さは臣下として心配になってくる。

 

 ――それにしても、『急用』ねえ。

 

 国王陛下が頻繁に護衛を連れ王都からお忍びで出歩いていることは把握していたが、どこへ向かっているかまでは調べていない。

 まさか印籠ぶら下げて世直しに出てるわけじゃあるまいが、最高位貴族の世襲を放ってまで出向く用件とは一体何なのか。

 興味はあったが、知ってしまうと後悔してしまいそうな予感がして、結局使いを出す気にはなれなかった。

 

「――っ」

 

 その時、常に周囲へ張り巡らせている感覚にある反応が引っかかった。

 

「ん? どうかしたかいターナ」

 

 馬車の前方風防へ目を向けると、それに気づいてはいない父が気遣ってくる。

 同時に車両脇のドアが小さくノックされ、外から呼びかけてくる声があった。

 

「おじょ――閣下、少しよろしいでしょうか?」

 

「分かってる、すぐに行こう」

 

 騎乗し随行していた護衛の声に立ち上がると、流石に何か起こったらしいと察した母も眉根を寄せ心配そうな顔をしてこちらを見上げてくる。

 

「大したことではありませんよ。そろそろ馬達が疲れてきたようです、休憩に丁度良さそうな場所を相談してきますので母上達は中で待っていて下さい」

 

 安心させるために微笑んでみせるがそれでも二人の顔にはいくらかの心配が滲んでいる。

 自信ありそうに笑えていないのか、まだまだ修行不足らしい。

 

「……出発前にマドレーヌを焼いてきてあるんです、休憩時には紅茶を淹れますから、良ければ召し上がって下さい」

 

「あら、ターナの手作り?」

 

「それは楽しみだね、期待して待っていよう」

 

 ころりと破顔し期待通りの反応を示してくれる父と母。

 あまりに期待通り過ぎて、実はこちらが気遣われてしまっているのかもしれない。

 どちらにしても気遣い無用になった両親を残し、ドアを開け車外へと向かう。

 

 既に馬車は停まりそこには馬から降りた二人の若い護衛、同年代である青年達が待っていた。

 

「確認した?」

 

「はい、猪型が一頭、魔物化しているようです、まっすぐにこちらへ向かってきます」

 

 応じたのは望遠鏡を手にした革鎧に身を包み、兵士然とした出で立ちの青年、グリード。

 生真面目そうに短い髪を整えた、専属の護衛としてついてくれている馴染みの一人だ。

 彼が報告したように何処から迷い込んだのか、街道の先から歪んだ魔力をその身にまとわりつかせた生物が駆けてくる気配が感じられる。

 

 この世界に生きる生物はほとんど例外なく魔力を扱うことができる。

 しかし人間と比べその制御能力が低い野生動物は過剰に魔力を摂取すると一種の暴走状態に陥ることがある。

 これが俗に言われる魔物化で、そうなった生物は体組織にも変化が見られ凶暴化し、元になった生物次第では一般人の手に負えなくなる。

 

 今こちらへ迫ってきている猪型は最大級の脅威度として表される災害級には及ばないものの、通常手練れの魔法師を揃えて対処するべき相手。

 

「どうします? 俺らで相手しましょうか」

 

 しかしもう一人の護衛、少し巻き癖のある短髪をしている青年グランは緊張した様子もなくそんなことを言ってのける。

 そして実際、領が抱える兵団の一員として常日頃訓練を重ねている彼らにはその程度の力量があるのだった。

 目視が難しい距離から接敵に気づいたように、魔力を周囲に広げ生物の気配を探る索敵魔法の心得もある。

 

 二人に任せても問題は無いだろう、しかし両親を待たせている今回はあまり時間をかけたくはない。

 

「いや、私がやるよ。グリードは休憩地の選定、グランは後始末を頼める?」

 

「――了解です」

 

 一瞬意外そうに目を瞠る二人だったが、すぐにこちらの意図に気づいたらしく声を合わせてきた。

 そうして護衛であるはずなのに退がった二人を置いて、馬車の前へと出る。

 心配そうに見てくる壮年の御者に微笑んでみせてから前方を見やると、彼方に見える小さな輪郭が徐々に大きくなりつつあった。

 

 迫る猪の脚は速く、間もなくこちらまで辿り着くだろう。

 赤く染まった瞳に殺意を滾らせ、駆けてくるそんな魔物に対し、ゆっくりと持ち上げた手の指を向け準備を整える。

 魔法という現象はイメージにより形を成すが、イメージとは頭の中だけで組み上げられるものじゃない。

 

 例えば挙動、両手を上げて見せれば喜びを示す万歳を連想する者もいればホールドアップ、降伏を連想する者だっているだろう。

 降伏を意味する白旗が所によっては相手を皆殺しにしてやるという宣言に――なんてのは極端な例だとしても、染み付いた認識は時として思考よりも早くイメージを構築する。

 強く認識していれば挙動だけでイメージを補強することができ、魔法を扱う上でそれは一つの武器だ。

 

 指を向ける、この仕草で言うなら指し示した相手に(まじな)いをかけるという、対象指定の補助動作。

 そうして矛先を定めなければこの魔法を使うのは躊躇われる、自分の体験が元になっているだけに、下手をすれば己に向けて放ってしまうような気がするから。

 練り上げた魔力に乗せるのはあの日、あの時、全てが終わってしまった瞬間の感覚。

 

 膨大な魔力が魔法へと変換されていき、視線の先で赤目の猪が畏怖に毛を逆立たせるのが見て取れたが既に遅い。

 ろくに魔力を制御できない魔物程度にこれを防ぐ術は無く、現象を表す陳腐な囁きと共にその魔法は放たれた。

 

「≪即死魔法(デス)≫」

 

 猪の体がビクリと震え、疾走していた脚がもつれたかと思えば勢いそのままに崩れ転がっていく。

 土煙を上げながら転がった猪が再び動き出す気配は無く、一瞬で決着は着いた。

 あまりにもあっけなく、理不尽な命の終わり。

 

 こんな殺し方をされるなんて、自分ならごめんだった。

 魔物ではあるが、せめてもの礼儀として掌を合わせ奪った命に詫びは入れておく。

 

「……こんな魔法が使えちゃう世の中は、どうにかしないとね」

 

「いや、お嬢以外にそんな魔法使える人間居るんですかい?」

 

 呆れるように突っ込みを入れてくるグランの声には正直傷ついた。


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