転生公爵令嬢の憂鬱 作:フルーチェ
入学試験の内容は大きく分けて筆記と実技の二種類。
筆記試験といっても近代化の進んだ前世日本のように、複雑な計算を要する数学や物理といった科目があるわけではないので実のところ難度はそう高く無い。
あくまで前世基準であるが、義務教育を修了したぐらいの理解力があれば満点近い点数を取ることは容易いだろう。
この世界の基準でも真面目に中等部までの教育をこなしていればそれに近い成果は得られる筈だ。
勉学に熱心な者なら言うに及ばず、上位成績者の点数はほとんど横並びだろう。
よって最もこの試験結果に影響を及ぼすのはこの後に行われる実技試験と言える。
学院に複数ある室内練習場、弓道場やクレー射撃場のように細長い間取りが取られたそこに五人の受験生たちが順に呼ばれ学院教師である試験官監督の元、攻撃魔法の実演を行わされる。
生活に貢献する魔法を付与した魔道具が広まった世の中で、魔法使いの技量を測るには攻撃魔法という評価方法は古くから続く悪習とも言えるものだったが、威力を左右するイメージの具体性、魔力制御力。
魔法を披露して見せる行為がそういった要素を測るのに有用なのは事実でもある。
分けられたグループの受験生たちに混ざり呼び出しを待っていると、やはり目立つ容姿をしている為かあちこちから視線を感じてしまう。
……もう少し地味なデザインにしておくべきだったかな。
あのシンという受験生も気にしていたし、特にこの右目を覆う眼帯は目を引く。
とはいえ粗末にしすぎても色々と差し支える事情があるので、我慢するほか無いだろう。
「――ね、貴女」
そう少しの辛抱だと思っていたのに、意外にも声を掛けてくる者が居た。
順番を待つ間知り合いでなくても雑談を交わす人間はそこそこ見られたが、よりにもよって自分に話しかけてくるとは珍しい。
顔を向けた先に居たのは明るい赤の長髪をした女の子、王都にいくつかある中等学院の制服を身に着けている。
少女は目が合うと一瞬どきりとしていたようだったが、物怖じしないタチなのかすぐに立ち直る様子を見せていた。
「急に話しかけてごめんね、一緒に来た子と別の組になっちゃってさ、他に女子はあんまり居ないみたいだし。――迷惑だったかな?」
彼女の言うように周囲は男子の比率が高いようだった、どういう基準で順番が決められているのか不明だが先に練習場に入ってしまった女子も居る。
そんな中で暇を持て余し、つい声をかけてしまったというところだろうか。
少女とは初対面だったが、邪険に扱う理由が特にあるわけでもない。
「構いませんよ、暇をしていたのは私も同じですから」
「そう? なら良かった、皆緊張してるみたいだけど、一人で考え込んでたら気疲れしちゃいそうなのよね」
リラックスの仕方は人それぞれということだろう。
こちらとしてはそれほど試験に気負いしているわけでもないので、僅かな時間彼女に付き合うぐらい問題は無い。
「貴女、あまり見ない顔だけど王都の外から来た人なの?」
「ええ、今まではマーシァの街で過ごしていましたから」
「ああ、あの最近有名な……だったらあの噂聞いてないかしら?」
少女が上げたのはここ最近で王都を賑わせている有名人物達の話題だった。
数十年前、王国を滅亡の危機に陥れたという存在、魔人。
魔物化するのは野生動物だけでなく、人間という種もまたそのリスクを孕んでいる。
過去、かつてない大規模魔法の行使に失敗した魔法師が集めた魔力を暴走させてしまい、魔人と化してしまったのだという。
理性を失くした魔人は湧き起こる破壊衝動のままに破壊を撒き散らす存在となり、人の限界を超え魔力を操る魔人は軍の力をもってしても止められなかったそうだ。
そんな災害と変わりない存在を討伐し、英雄として名を馳せることになった人物こそ。
「『賢者』マーリン様、『導師』メリダ様。かのお二人が今王都に戻られてるのよ。そしてなんと……そのお二人の御孫様が今年、この学院の試験を受けに来てるんだって」
目を輝かせながら語る少女の浮かれた語り調子は大袈裟なようにも聞こえるがこの国、いや周辺の国であってもそれは別段珍しいことでは無い。
賢者マーリンと導師メリダの英雄譚は本人達が未だ存命でありながらも数多く出版され、世界中に出回っている。
物語を盛り上げる為、明らかに誇張された部分まで見受けられる内容でありながら、魔人という実在した災厄を払った二人を英雄視する感情は広く人々に根付いていた。
いささかその持ち上げぶりが不自然なまで過剰に思えるのは魔人と言う災厄を体験しておらず、伝聞の風評に疑念を持ってしまう前世の感性によるものなのだろうか。
とはいえそんな気持ちを口に出すのは心からその存在を信じている人に対して無粋だ。
それに賢者などと呼ばれる人物の孫がどのような人物なのかは少し興味がある。
しかしそのお孫さんについては王都でもあまり知られてはいないらしく、適当に相槌を返している内に試験の順番が回って来た。
「あ、順番みたいね、行きましょうか。それと名乗り忘れてたけど、私はマリア・フォン・メッシーナ、よろしくね、同級生になれるようお互い頑張りましょ」
屈託の無い笑顔を浮かべ握手の形にした手を差し出してくる少女、マリア。
名前からして貴族の令嬢であるらしいが、カートのようにそれを鼻にかける様子は無い。
そもそも国王主導により貴族の意識改革が進められている王国では彼女のような貴族の方が主流なのだった。
「――ありがとう、私はターナ・フォン・マーシァ。よろしくマリアさん」
アウグスト殿下が言うように、全く気にしないとまではいかなくとも仰々しくなり過ぎないように挨拶したつもりだった。
しかしマリアの方はそうもいかなかったようで。
「え……? マーシァって……あの公爵様、本人!?」
最年少で爵位を継いだ自分の名は知られていたらしく、手を握ったままマリアが硬直してしまう。
貴族の娘と当主では立場も遥かに異なる、無理もないが当然の反応が何故か新鮮に感じてしまってつい苦笑など浮かべてしまうのだった。
「では一人ずつ、得意な魔法をあちらの的に向けて撃ってもらう。目標は破壊だが、出来ずとも練度が基準に達していれば合格とする」
魔法師の象徴でもある、ローブを纏った試験官が練習場の奥を示しながら試験内容を説明する。
標的として用意されているのは衣類展示用のトルソーを思わせる半端な人型、それが五体紐に吊るされ並んでいた。
まず指名を受けた男子が前に立つと、息を整えて魔法の行使へと移る。
『全てを焼き尽くす炎よ! 我が意に従い敵を撃て――ファイヤーボール!』
威勢良く詠唱と魔法名を唱えた男子の手元に、拳程の大きさの火球が発生し撃ち出され、命中した的が表面を焼き焦がされながら衝撃にふらりと揺れ動く。
破壊には至らなかったが、魔法と呼び表せる体裁は整った一撃に他の受験生たちは感心したように息をついている。
共に練習場入りしたマリアはもっと実力を秘めているのか、そこまで大した反応は見せていなかったが。
後に続く他の受験生も大仰な詠唱の割に、魔法そのものの威力は控え目で滑稽にも見える。
しかしそれはあくまで前世の創作物に影響を受けた感性がそうさせるのであって、彼ら自身は大真面目だ。
一般的に詠唱を工夫し、それに見合ったイメージをすることが強力な魔法を使う秘訣であると信じられていることによるのだろうが、詠唱に凝る余り抽象的なものとなり、肝心のイメージが全く追い付いていないのが惜しまれる。
必要となる魔力もあまり十分な量を集められているようには見えず、制御力もこれでは大きな威力を望めるわけがない。
「――よっし!」
そんな中で唯一、的を粉砕するほどの威力で魔法を放ってみせたマリアが快哉を上げる。
伸ばした腕から槍のように放たれた火炎は余波で吊るし紐を焼きちぎり、打ち砕かれた人形が地へと転がり受験生たちが大きくどよめく。
「お見事ですメッシーナさん、次は……マーシァさん、前にどうぞ」
魔法技術で同年代の平均を大きく上回っているらしいマリアに拍手で賞賛を示していると、照れ臭そうにしながらも拳を握り反応を返していた。
権力の及ばない規則はあるものの、公爵という身分に少しばかり気が引けている試験官の気配を感じながら入れ替わり前に立つのだったがその時、大きな揺れが起こった。
「なっ……なんだ!?」
地面から響くようなものではない、そもそも火山だらけの日本のような環境に無いこの国で地震などそうそう起こるものではなかった。
校舎全体が何らかの衝撃を受けたかのような揺れはすぐ収まったものの、異常事態に受験生だけでなく試験官までも慌てふためいている。
「――っ、落ち着いて! 無暗に動かず待っているように、外へ確認してきます」
若年者ばかりの受験生と違いすぐに落ち着きを取り戻した試験官が指示を飛ばすと練習場の外へ駆けていく。
試験中だというのにとんだアクシデントだ、まさか貴族の子女が集まるのを狙ったテロでも起きたというのか。
しかし意外にもすぐに戻って来た試験官の表情は気の抜けたような疲れたような、緊張感のないものだった。
「先生、何があったのですか?」
「ああ中断させてすみません、今の揺れは……受験生の一人が試験で放った魔法によるものでした。怪我人などは出ていませんので、すぐに試験は再開させます」
その答えには尋ねた自分だけでなく、マリアを含めた場内の皆が呆気にとられてしまった。
群を抜いていた先程のマリアの魔法でもあの規模だというのに、その受験生は一体何者だというのか。
今大騒ぎになったようにこの試験内容、そして屋内という環境でそんな魔法をぶっ放したという事実も別な意味で驚きではあるが。
内容はともかく確認してきた教師の言葉に嘘はないようで、奇妙な空気になってしまったが試験は続行するらしい。
集中力を削がれた受験生が居なければいいのだが、当の自分がそうなってしまっては元も子もない。
公爵家の名を背負っている以上、不様な結果を晒せば家に迷惑がかかってしまう、そんなことになるのはまっぴらごめんだ。
深呼吸を挟み、自分の試験だけに集中する。
目標は無傷で残った的の一つ、腕を上げ指を伸ばし構えを取る。
先日遭遇した魔物に向けたものと違っているのはその形、掌を垂直に人差し指を前に、親指は上へ、残る指は握り込む。
撃つ、という行為を想起させるのに知る限りでこれ以上の挙動は無い。
拳銃を示す、その型を見慣れないマリア達や試験官が訝しむ気配を感じながら魔法を打ち起こしていく。
「
聞くだけで情景を想像できるような詠唱を思い付けるなら良かったのだが、生憎とそういった文章を組み上げる感性は持ち合わせていない。
私にとって詠唱は挙動と同じく補助としての役割しかないもの、ならばその文言はイメージに直結するような簡潔なものであることが望ましい。
今回、用いるのは炎、指先の空間に赤い揺らめきとして小さな灯火が生じる。
背後の受験生たちの間で失笑が起こったように、そんなものを放ったところで大した威力になるわけがないので、次の段階へ進む。
元庶民が理解している燃焼の仕組みなど大したものじゃない、可燃物、酸素、熱源といった三要素を理解していても、それらを現象として上手く組み立てるイメージは今一つ湧かなかった。
難しく考えすぎなのかもしれなかったが、解決策として選んだのは実に単純な手。
出力を上げたいなら、その源を増やしてやれば良いのだ。
「
急速な魔力の高まりを感じ取るだけの感覚を持ち合わせた試験官、マリアが顔色を変える。
それほど今集めている魔力は並の魔法使いが扱わない、扱えない規模のものだった。
通常魔法に必要な魔力はイメージに沿って定まり、術者が集めた魔力から必要な量が供給され発動する。
制御が甘く、魔力が足りなければ失敗するし、余剰ならば暴発を起こしてしまう、必要な魔力量の見極めも魔法師としての力量の一つ。
だがそもそも魔法とは道理を無茶で捻じ曲げるもの、ならば無茶に無茶を重ねるぐらいどうということはないのではないか。
どれほど理屈を頭の中で描こうとも、結局は無から有を生み出す魔力という万能物質に現実を改変させていることに変わりはないのだから、それこそ常識に捉われる必要は無い。
魔力により生み出された炎はより魔力を注げばその勢いも強くなるのが道理と、
ある事情により魔力制御にだけは自信がある、私によって集められた魔力を注がれた炎は瞬く間に火勢を増し、闇をほのかに照らす灯火から鉄をも鋳溶かすような炉炎へと姿を変えた。
「
揺らめく拳大の炎がぐにゃりと形を変え、指先に収束する。
円錐形の細く小さなそれは弾丸を思わせる形状に仕上がっている。
実体の無い炎に勢いを与え、物理的な破壊力を付与させることが誰にでも当たり前に出来るのだ、これぐらい発想一つで調整できる。
残る工程は撃ち出すのみ、それを表す言葉はやはり陳腐だが、これをおいて他に無いだろう。
「――
その軌跡に赤い光条を残して、放たれた炎の弾丸は瞬き一つの間に目標へと達する。
着弾と同時に弾けた熱量は放射状に人形を灼き溶かし、原型をとどめないまでに融解させた。
「よし」
弾の貫通はしていない、周辺への被害は無いので残る受験生の試験に差し支えは無いだろう。
試験官が絶句しているように、こんな魔法を扱える学生はそうそう居ないだろうし、良好な結果が期待できる。
――ただ一つだけ心残りがあるとするならば、魔法の腕に自信があったらしいマリアをがっくりとうなだれさせてしまったことだけは申し訳なかった。