ありふれた愛が欲しいだけの人生だった 作:愚か者
私たちは、オルクス大迷宮の入口がある広場に集まっていた。
そこは迷宮とは名ばかりの博物館を想像させる入場ゲートがあり、受付窓口では制服を着た女性が出入りする人達を確認していた。なんでも、ステータスプレートを確認して出入りを記録することで、死亡者数を正確に把握しているのだとか。思いのほか管理はきちんとなされているようだ。
入口付近の広場ではまるでお祭りのように露天が並び建っているが、今回の目的はこれではない。
お祭りを知らない私としては後ろ髪を引かれる思いだったが、メルド団長と共に先へと進むクラスメイトを見て渋々ついて行った。
……なんて、浮ついた気分で迷宮に入った先程までの自分を叱りつけてやりたい。
私たちは今、メルド団長も含めて皆が絶体絶命の窮地に立たされていた。
──この迷宮の二十階層に辿り着くまでは順調だった。
オルクス大迷宮の上層での実戦訓練は、神の使いとして召喚された私たちならば余裕を持って倒せる魔物ばかりだった。
豊富な経験と情報を持つ騎士団の人たちのおかげで、迷宮内の正確な位置の把握や魔物との戦い方を学べたのが大きい。周りに気づかれないよう使用した『読心』が魔物相手にも効果があったことで、私自身は非戦系でありながらも戦闘に貢献できた。多用は避けるべきだろうが、要所要所では読心は使った方がいいかもしれないと考えを改める。
私たち後方支援組が魔法の力加減を間違えて魔物を魔石ごと破壊してしまった事で、団長に注意を受けるといった些細なトラブルが幾つかあったものの、大きな問題は起こらずに目的地の二十階層まで辿り着くことが出来た。
しかし、そこで遭遇したロックマウントという魔物を倒すために天之川君が放った大技。洞窟内という崩落の危険がある場所で感情のままにその技を使用し、魔物ごと奥の壁を破壊し尽くしたことを団長に咎められていたのだが、崩れた壁の奥から出てきた鉱石が問題だった。
鉱石に見蕩れた白崎さんの声を聞き、団長の制止を無視してそれを回収しようとする檜山君。騎士団員の警告も空しく、鉱石に仕掛けられた罠で私たちは巨大な石造りの橋の上に転移させられていた。異世界においても美味しい話などはない、という事だ。
上階に続くであろう階段側の入口に現れた夥しいほどの魔法陣からは大量の骨の魔物が出現し、奥へ続くと見られる通路側に現れた十メートル近くある魔法陣からは一体の巨大な魔物が出現した。
団長がベヒモスと呟いたその魔物は、瞳は赤黒い光を宿し、鋭い爪と牙を打ち鳴らしている。頭部の兜から生えた角は炎を放っており、魔物の知識がない私でもあの魔物と戦ってはいけないと理解できる。
私たちは今、この異世界に来て初めて、死の恐怖を味わっていた──。
ベヒモスがけたたましい咆哮を上げる。
クラスメイトがパニックを起こし動けない中、メルド団長が私たちを生存させる為に矢継ぎ早に指示を飛ばす。この状況下で素早く判断を下す彼らは流石と言うべきか。しかし、経験のないクラスメイトたちはそうもいかない。アランと呼ばれた騎士が生徒たちの下にやってきて何とか混乱を抑えようとするが、前方に立ちはだかる不気味な魔物と後方から迫る恐ろしい気配という恐怖によって、彼の言葉に耳を傾ける者はいなかった。
こういう時こそ天之川君のカリスマが必要だというのに。彼はメルド団長の側で駄々をこねるようにその場から引こうとしない。
彼は役割分担という言葉を知らないのか。
経験豊富な騎士団の人がベヒモスを足止めし、その間に人数が多い私たちがトラウムソルジャーというあの骨の魔物を倒して退路を切り開く。その際の騎士団員の連携を邪魔する訳にはいかない事くらいは分かるだろうに。
……それとも、自分ならベヒモスを倒せると思っているのか。
流石にそれは自らの力を過信しすぎだ。いくら天職が勇者とはいえ、ハイリヒ王国の騎士団長であるメルドさんが撤退を指示しているのだ。
彼は私たち全員の力を加味した上で、ベヒモスには敵わないと判断したのだろう。ここで天之川君がわがままを言ってもこちらの全滅の可能性が高くなるだけだ。
何とか彼を下がらせようと八重樫さんと一緒になって説得するが、彼は聞く耳を持たない。それどころか坂上君が同調し始めたせいで、天之川君はさらにやる気を出して見せた。
そんな彼らの様子に苛立ちを募らせる八重樫さんと、心配そうな顔を浮かべる白崎さん。
その時、南雲君が天之川君の前に飛び込んできた。驚く私たちを前に、彼は必死の形相でまくし立てる。
どうやら南雲君はこの状況を正しく認識しているようだ。彼を言外に戦力外だと告げて撤退するよう促す天之川君に対して、南雲君は胸ぐらを掴みながらクラスメイトの状況を訴えかける。
それが功を奏したのか、彼がようやく撤退する意思を見せた。
しかし、直後に響き渡るメルド団長の悲鳴のような叫び声。彼らが展開していた障壁魔法が砕け散る中、私は無意識に読心を使用してベヒモスの攻撃を避けようとするが、一歩遅かった。
暴風のように吹き荒ぶ衝撃波を前に、南雲君が咄嗟に錬成による石壁を作り出すが、それはあっさりと砕かれて私たちは吹き飛ばされた。多少は威力を殺せたかもしれないが焼け石に水だろう。
舞い上がる埃がベヒモスの咆哮で吹き払われると、そこにいたのは倒れ伏し呻き声を上げる団長たち。それを見た私はすぐに起き上がると、白崎さんと一緒に彼らの下に向かう。南雲君もやってきて、戦いの余波が届かないように石壁を作り出してくれた。
私と白崎さんが団長たちの治療を行う中、天之川君たち三人は時間稼ぎのために懸命にベヒモスに挑んでいた。大技を使ったのか、辺りが光で塗りつぶされる。
しかしベヒモスには全く通じていないようで、光が収まったその先で低い唸り声を上げながら天之川君を睨みつけていた。どうやら怒りに火をつけてしまったらしい。炎を放つ角が赤熱化していき、兜全体が燃えたぎっていった。
急いで治療を進める私と白崎さんだったが、その怒りのままベヒモスは突進を始めたようだ。再度発生する衝撃波によって吹き飛ばされる天之川君たち。あれではまともに動くこともできないだろう。
どうにか動けるようになったメルド団長たちが駆け寄り声をかけるも、満身創痍の彼らは呻き声を上げるだけ。このままでは私たちは全滅してしまう。
メルド団長もそれを理解したのか、私たちに天之川君たちを連れて撤退するよう指示を飛ばす。彼の顔は、自らの死を覚悟したように悲壮な表情をしていた。
彼の意志を汲むために、私たちは急いで天之川君たちに駆け寄り治癒を始めた。
白崎さんと共に三人の治癒を進めていると、ベヒモスを引き付けているはずのメルド団長が何故かこちらにやって来て、天之川君を担ぎ離脱しようとする。
確認の為にクラスメイトの方を見ると、何人かは冷静さを取り戻したのか周囲に声をかけ、連携しつつトラウムソルジャーに対応し始めていた。ベヒモスの方は南雲君が健闘しているようだ。錬成を使って巧みにベヒモスの動きを止めている。
彼らの行動を見て納得した私は撤退の準備を始めるが、白崎さんは南雲君の様子を見て団長に猛抗議する。しかし、彼の思いを無駄にするなと諌められたことでその抗議を抑えた。
彼女は今にも泣きそうな顔で、それでもしっかりと詠唱を紡ぎ天之川君へ治癒魔法をかけている。
私は白崎さんに、月並みな言葉をかけることしかできなかった。
治療を終えた天之川君とメルド団長たち騎士団が戦線に加わったことで、トラウムソルジャーはその数を劇的に減らしていた。白崎さんが心を落ち着ける魔法を使用したこともあって、クラスメイトらはようやく訓練通りの動きができるようになったのだ。
私たちは隊列を組み魔物を殲滅していき、ついに階段への道が開かれた。
……ここまで長かった。あとは南雲君を助けるだけだ。
ここにいるみんなもそう思っているのか、彼を援護するために隊列を組んで、詠唱の準備に入っていた。
しかし油断は禁物だ。私は何が起きてもいいようにこっそりと読心の技能を発動させ、ベヒモスに最大限の注意を向ける。
そして、南雲君への危機は予想だにしないところからやってきたのだ。
その心の声は、南雲君がこちらに駆け出した時に、クラスメイトの中から聞こえてきた。彼に向けられた仄暗い悪意は留まる気配を見せずに、そのまま魔法の詠唱が始まる。
今からでは止められないと悟った私は、詠唱を止めて隊列から飛び出し南雲君に向かって走り出す。それと同時に、あらゆる属性の攻撃魔法が後方から殺到した。
流星の如く煌めく魔法の数々がベヒモスを打ち据える中で、後ろから聞こえる困惑の声を無視し彼の下へと急ぐ。
南雲君に辿り着く直前で、視界の端で火球の一つが軌道を曲げたのが見えた。
私は咄嗟に彼を突き飛ばす。同時に、背後で火球が地面に突き刺さった。着弾の衝撃波を全身で浴びたことで進行方向へと吹き飛んだ私は、南雲君にぶつかった後、彼の上に被さるように倒れ込む。
動揺する彼には申し訳ないが、先ほどの衝撃波で三半規管をやられたようで、上手く平衡感覚を保てない。
足もとが覚束無い中、少しでもみんなの所に戻ろうと立ち上がる。前へ進もうと私たちが足を踏み出そうとした直後、背後で咆哮が鳴り響いた。……ベヒモスだ。
振り返ると、怒り狂ったベヒモスが頭部を再度赤熱化させ、こちらに向かって突進してきていた。
南雲君の助力があってなんとかその場から飛び退くが、その攻撃は周辺のみならず橋全体に衝撃を与える。そしてベヒモスの足場を中心に亀裂が走り、橋は悲鳴を上げながら崩壊を始めた。
……彼を助けるつもりが、橋の崩落に巻き込んでしまった。これでは南雲君と白崎さんに申し訳が立たない。
クラスメイトたちの方に視線を遣ると、白崎さんが私たちの方へ飛び出そうとして、八重樫さんや天之川君に羽交い締めにされているのが見えた。
……彼女を安心させたかっただけなのにな。あの様子だと、余計に心配させてしまったようだ。
そしてついに、私たちの足場も完全に崩壊し、奈落へと落ちていく。せめて南雲君だけでも助けようと手を伸ばすが、その手が届くことは無かった。
──水の流れる音が聞こえる。
冷たい風が頬を撫でるが、首から下の感覚がない。指先すら満足に動かすことが出来ない体に苦笑しようとして、全身の痺れから咳き込んだ。
落下中に見かけた、鉄砲水のように壁から噴き出す滝。それに吹き飛ばされた際に、壁に体を打ち付けられた衝撃で気を失っていたのだが、再度身を襲った衝撃で意識が覚醒した。おそらく地面に激突したのだろう。
その時に背骨がやられたようだ。まるで力が入らない。
朦朧とする頭を必死に働かせて導き出した結論に、私は自らの運命を悟る。
……あぁ。死ぬのか、私は。
せめて、南雲君が無事だといいが……。
そんなことをどこか他人事のように考えていると、こちらに駆け寄ってくる何かの足音が。目だけを動かして音の方を見ると、南雲君が泣きそうな顔で私の傍にやってきた。
……無事でよかった。
彼が無事に地上へ帰れるように、咳き込みながらもなんとか治癒魔法である〝天恵〟の詠唱を紡いだ。体の傷と魔力を同時に回復させるこれならば、錬成しか使えない彼も少しはここから脱出しやすくなるだろう。
魔力を使い果たしたからか、もうすぐ命が尽きるからか。全身に疲労がのしかかり、急激な眠気が私を襲う。
その様子を見て、私の手を握り締め、涙を流しながら必死に声をかける南雲君。私に構わずに行ってくれと説得するが、彼は頑なな態度でこの場から動こうとはしなかった。
「……ろくに話したこともない私のために、ここまでしてくれるなんて。優しいんだな、君は」
「……え?」
その言葉に驚き、きょとんとした顔を見せる南雲君。
彼の表情を見て微笑みをこぼしながらも、私は睡魔に身を委ね意識を手放す。
……最期になってようやく、白崎さんが彼を好きになった理由が分かった気がした。
……失意の底にある南雲ハジメがその場から立ち去った後。
亡骸となった彼女の右目には、一輪の白い花が咲いていた──。
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