騙す気満々ですね。
視点・神谷奈緒
あたしの家は346プロからけっこう離れていて、最寄り駅の路線も違うから加蓮や凛と比べるとちょっと通いにくいところにある。
そのくせ346プロの最寄り駅に特急列車は止まらないから、私が346に電車で行くにはいろいろ路線を乗りかえた末に、最後、特急から各駅停車に乗りかえなきゃいけない。
特急が止まる駅だったらもうちょっと寝坊できるんだけどなあってな感じのことを考えながらあくびをして、あたしは改札出てすぐの鉄パイプみたいな手すりに腰掛ける。鞄は電車を降りてからも前にかかえたままだ。
耳につけたイヤホンのコードを辿って、ポケットからスマホを取り出す。音楽を止めないまま、なんとなくツイッターを開く。あたしがアイドルになる前からずっと使っているアカウントだ。アニメの公式アカウントとか、芸能人の個人アカウントとかしかフォローしていないから、いちおう「趣味垢」ってことになるのか? それとも、これしかアカウント持っていないからそういう分類はしなくてもいいのか? よくわからない。
ツイートはせずに、タイムラインを流し読んでいく。元々そんなしょっちゅう呟く使い方をしていなかったけど、アイドルになってからもっと呟きをおさえるようになった。フォロワーたった三人のアカウントだけど、慎重になりすぎて悪いことはないと思うんだ。
「やほ」
と声をかけられて、あたしはスマホから顔をあげる。赤っぽい茶髪を、お菓子の角みたいなツインテールにまとめた女の子。服装はあたしと同じジャージ。お揃いだけど、心なしかあたしより似合っている気がする。
「加蓮」
あたしはスマホをちょっと弄って、イヤホンに流れている音楽を止める。サビの前までさしかかっていた空色デイズがちょっと名残惜しいけど、イヤホンしたまま友達と歩くなんてあたしには荷が重すぎる。危ないしな。
あたしは手すりから立ち上がった。鞄を後ろにまわしながら加蓮の隣まで近づいて、一緒に346プロがある方向へ歩き出す。
「電車、空いてた?」と訊いてみた。
「うん。土曜だしね。でも座れるほどじゃなかった。奈緒はどう? 座れた?」
「最後の各駅だけは座れたよ」
二駅だけだから、あんまりありがたみは感じられないけど――とは、わざわざ言わなかった。
「それほど混んでないのは良かったけど、今日電車の冷房がきつかったなあ。弱冷房車に乗ればよかった」
あたしとしてはけっこう暑かったから電車の冷房もちょうどよかった。加蓮に共感できなかったから、「そうか、まだ初夏だもんな」とお茶をにごす。
「今日は晴れたね」と加蓮が言った。あたしは空を見上げる。梅雨の合間の日差しが光っていた。そう、今日は晴れなんだ。あたしの髪もそこまでぼさぼさになっていない。
「こんな日にレッスンっていうのも、なんだか勿体ないな」
なんとなく呟いたあたしの言葉に、加蓮が「午後はレッスン無いし、どっか行こうよ」と乗ってきた。
「でもお金ないぞ」
「お金なくても楽しめるとこに行こうよ。例えば……うん、上野とか?」
「上野かぁ……」
346プロからならわりと行きやすい。上野公園の中には、けっこう安く一日費やせる施設が盛りだくさんだ。最悪、街頭の大道芸を見物するだけでもわりかし楽しい。
あたしが「いいんじゃないか」と賛成したら、加蓮はらんらんと光る太陽に負けないくらいの笑顔で「よし! 決まりね!」と言った。ちょっと見とれてしまうくらい良い笑顔だった。
「でもあたし今、本当にお金ないからな。お昼ご飯は安いとこ行くぞ?」
「わかってるって」
その後は動物園のパンダをあたしがまだ一度も見たことないっていう話とか(加蓮に驚かれて自覚したけど、あたしが行ったことある動物園って旭山動物園だけだ)、つい二週間前、トライアドプリムスの新しい専属マネージャーになった人が――女の人なんだけど、真面目すぎて頭が下がる話とか、昨日の金曜ロードショーでやったサマーウォーズの入道雲の絵が奇麗で、今日は久々の晴れだしああいう雲が見られるかもねっていう話とか、あたしの新しいネイビーブルーの鞄の話とかをした。ちなみに、鞄に関しては加蓮に「奈緒にしては落ち着きすぎている」って言われた。うるせえ。駅から346プロまでは、あたしの脚だと大体歩いて十分、走って六分。今日は加蓮とお喋りしながらだったから十二分くらいかかった。
あたしたちが着いた時、346の特徴的なエントランスビルの大時計は八時四十五分を指していた。
「ゴメン、ちょっとトイレ行かせて」と、エントランスビルに入ってすぐ、加蓮が駆け足でトイレに向かう。
あたしと加蓮が目指しているのはここを抜けた先の建物、346の敷地の奥の方にある別館だ。あたしは「ああ」と頷いて加蓮の用が終わるのをロビーで待った。
ちょっとの時間、暇になる。スマホを取り出そうとポケットに手をいれた時、向こうの方から女の子が一人、歩いてやってくるのに気づいた。
一ノ瀬志希。
あたしと同じ、346プロダクションのアイドルだ。あたしより一つ年上。アメリカの頭の良い大学に通っていたらしい。天才ってやつだ。そんなに頭が良いのになんでアイドルの仕事をしているのかわからない――ああいや、アイドルを悪く言っているつもりはなくて。そうじゃないんだ。そういう意味じゃなくて……、志希がすごくて、それでもってちょっと変だっていうことを言いたいんだあたしは――ああいやいやいや、違う、違うんだ。変っていうのは、その、悪い意味で使ったんじゃなくて……志希はいい奴だぞ!? 初めて会った時も、「『志希さん』って呼び方かた~い。呼び捨てで構わないぜ奈緒チャン」って言ってくれたんだ。そのあと一緒にするはずだった食レポの仕事をすっぽかされたけど……。
志希は何だかゴキゲンな顔をしていた。化学の実験で使うような白衣をなびかせながら、るんるんで歩いている。彼女の髪は、なぜか寝起きのあたしみたいにボッサボサなんだけれど、そんなことは微塵も気にしていないようだ。もうちょっと近づいて来たら挨拶しようと心の準備をしたんだけど、彼女はあたしに気づかなかったみたいで、すぐに道を折れて姿を消してしまった。加蓮が向かったのと同じ、トイレの方向。
志希もトイレかな? なんて考えていたら、加蓮がハンカチで手を拭きながら戻ってきた。「お待たせ」と言う加蓮に「志希見なかった?」って訊いてみる。「シキ――志希? いや、見てないけど」
「え、そうか? トイレに入ったと思ったんだけどな……」
「ああ、隣の個室に誰かが入ってくる音はしたな。それが志希かも」
「ふうん……」
まあ、いいか。
そろそろ移動しないとレッスンに遅れてしまう。あたしと加蓮は少し駆け足で別館の二階にたどり着いた。二階の更衣室に荷物を置くと、四階まで階段で昇る。「おはようございます」と言いながらトレーニングルームの扉を開けると、中から「おはようございます」という声が返ってきた。トレーナーの明さんは、いつもあたしたちより先にトレーニングルームにいて、あたしたちを待っていてくれる。
「えっと、今日は二人だけでいいんですよね」
明さんの言葉にあたしと加蓮は頷く。今日のレッスンはあたしと加蓮だけ。凛は「Absolute NIne」のメンバーで合同レッスンらしい。今度やる音楽番組で、久しぶりにあの歌を歌うというのだ。今日一日で勘を取り戻して息を合わせるんだとか。
本当ならあたしと加蓮は今日、休んでも良かったのだけど、それだとなんだか悔しくて、結局346プロに出社した。
そういえば志希もアブソリュートナインのメンバーだった。だから346にいたのかなと、今更ながら納得する。
「志希さんを見かけたんですか? へえ……アブソリュートナインの練習は、確か十時からって姉さん言ってたんだけどな……。かなり早いですね」
あたしはトレーニングルームの壁にかかった時計を見る。時刻は九時五分前。よく失踪するので有名な志希が集合時刻の一時間前にいるなんて珍しいこともあるもんだ。
雑談をしているうちに、時計は九時を指し示した。346プロダクション中に開業の報せを告げるチャイムが鳴る。するとメイさんが言った。
「それではレッスンを始めましょう。まずは発声練習から――」
視点・北条加蓮
停電があったのは十一時十分のこと。
トレーニングルームの時計が十一時十分を指したまま止まっていたから、間違いない。
一度歌い、録音した自分たちの声をヘッドホンで聞いていたら、いきなりぶつりと途切れて、部屋の灯りも消えた。私と同じように隣でヘッドホンをつけていた奈緒が、短く「うお」と呟いたのを覚えている。窓の外が晴れているから真っ暗になったわけじゃないけれど、さっきよりちょっと暗くなった。
「停電……ですか」
明さんが少し不安げに言った。私は部屋の扉に近寄り、がちゃっと開けて外の様子を見る。廊下の電気も消えていた。電気が点いていた時より静かな感じがする。
「ブレーカーってどこでしたっけ」
明さんに訊いてみる。「えっと、確か……」と言いながら、彼女は私の脇を抜けて廊下に進み出る。そして、隣のミーティングルームに入っていった。
三十秒ぐらいして、彼女は廊下に出てきた。
困った顔をしていた。
「おかしいですね……ブレーカーは落ちていないみたいです。何が原因でしょうか」
私に訊かれてもわからない。お互いに困った顔を見合わせていたら、後ろから「電気室に問題があるんじゃないか?」と、奈緒が声をかけてきた。
「電気室ってどこだっけ」と奈緒に尋ねる。奈緒は難しい顔をして「ええーっと……?」と首を傾げた。場所までは知らないらしい。
代わりに明さんが答えてくれる。
「確か、地下一階だったと思います。大浴場の隣にあった覚えが……」
そう言われてみると、たしかに「電気室」って文字を見かけた気がする。「様子を見に行ってきます」と言う明さんについていこうとしたら、明さんに止められた。
「お二人はここで待っていてください。何かあるといけないので」
私と奈緒は顔を見合わせた。一瞬でアイコンタクト。また明さんに視線を戻し、「わかりました。気をつけてね」と、彼女を見送る。明さんは満足げに頷いた。
彼女が去って少し経ち、私たちは部屋の隅にならんで座って待っていた。
「やっぱ電気が使えないと不便だなあ」と奈緒がぼやく。
「……これ、どれくらいの範囲で停電なんだろう」
私が呟いた。「どれくらいって?」と奈緒が訊いてくる。
「この階だけなのか、このビルだけなのか、346プロの建物全部電気止まってるのか、それとも街じゅう停電なのか、日本中電気が使えなくなっているのか」
「さ、さすがに日本中ってことはないだろ」
奈緒はそう言って否定したけど、彼女の声は普段より少し上ずっていた。
「わかんないよ? もしかしたら世界中が停電しているのかもしれない」
「そ、そんなわけないだろ? 発電所が違うんだからさ。一番広くて関東エリアだけじゃないか」
私は無言で奈緒に左腕を見せる。そこにはこの前父から貰った腕時計をつけていた。私がいきなり動いたから「な、なんだよ……」と奈緒がビビる。私は一段暗い声で「この腕時計、ソーラー式だってこの前言ったよね?」と言う。
「あ、ああ……、はっ!?」
そこで奈緒は初めて事態の恐ろしさに気づいたらしい。彼女の眼は見開かれ、口はあんぐりと開いた。
「と、と、と、止まってる!?」
針が動いていない私の腕時計を指さして叫ぶ奈緒。
「そう――止まってるの。これがこの停電と原因を同じくするものだとしたら……発電所は関係がなくなる」
「なんだ!? 何が原因なんだ!?」
「もしかしたら……某国の電磁パルス攻撃」
「ひいぃ!?」
「もしくは太陽風による地球規模の災害」
「うわぁ!?」
「あるいは宇宙人の侵略」
「ひぁああい!?」
私がぼそっと呟く度に、奈緒は身を縮こめる。本気で怖がってる奈緒のリアクションが面白くて、私はついにぷっと吹き出してしまう。「ふっ……、くっ、あっはっはっはっはっは!」
いきなり狂ったように笑い出した私を見て、奈緒は最初「おい! からかったな!?」と糾弾するのだけれど、私はそれでも笑うのを止めなかった。「あはは、あっはっはっはっはっは! あっはっはっはっはっはっはっハハハハハハハハハハヒヒヒヒヒヒヒヒハハハハハ」みたいに、試しに狂ってる感じを出してみる。すると奈緒の視線が怒りから怯えに変わっていく。
「だ、大丈夫か加蓮……? まさか……! 宇宙人に!? お、おい! しっかりしろ!」
ちょろいを通り越して最早別の何かだ。
奈緒は私が変になった――宇宙人の電磁攻撃を受けておかしくなったんじゃないかと勘違いしたっぽい――一応狙っていたけど、本当にそう思うなんて美味しすぎる。この機を逃す手はない。私はいきなりガバッと立ち上がると、笑うのをやめて冷たい目で奈緒を見下ろした。
「か……加蓮? ……だよな?」
『……だよな?』の辺りでまた笑いそうになるけど、今度は耐える。ちょうどいいので奈緒の豊かな想像力に乗ってみることにしよう。
「誰だ、加蓮って」
「……!!!???」
奈緒は座った姿勢から一気に三メートルくらい飛び退いた。壁に背中を貼り付ける奈緒。恐怖に顔が引きつっている。うわあ、いいリアクション。今度ドッキリ企画の仕事が無いかマネージャーさんに聞いてみよう。
「か、か、か、加蓮を返せ!」
限界まで身体を仰け反らせながら叫ぶ奈緒。撮影して保存したいけど、残念ながらスマホは更衣室のロッカーにある。記憶に焼きつけておこう。
私はまた口を開く。
「そうか、この身体の名前か……。ふむふむなるほど。お前は奈緒というらしいな」
奈緒がびくりと反応する。狙いが自分に定まったとわかったらしい。私は舌なめずりをしてみた。奈緒は泣きそうになる。「あたしはおいしくないぞお……うう、アニメばっかり観ててあんまり運動しないから……」
「油ばっかりでギトギトしているというわけか」
「そ、そう! そうなんだ! 実は昨日体重計に乗ったら2㎏増えてて――」
こんな風に奈緒をからかって楽しんでいるのも束の間、少し経って、ガチャリと扉が開いた。
「すみません、原因は電気室でもないみたいで……一階まで行ったら普通に電気も点いていて、何ともないようなんですが――あれ? どうしたんですか?」
明さんは私と奈緒を見比べて目をぱちくりさせる。私は「ああいえ、別に何でもないです」といつもの調子で応えた。奈緒が困惑しているのがわかる。奈緒だけじゃない、明さんも微妙な雰囲気を感じ取ったっぽい。
話題を変えないと。
「じゃ、じゃあ練習続けましょうか。別に夜じゃないし、手元が何も見えないわけじゃないですから」と強引に練習再開を切り出してみる。
私に言われて明さんは「え? ああ。そうですね、時間は有限ですから」と壁の時計を見る――だけど時計は止まっている。今何時かわからない。明さんは部屋の隅に置いておいたスマホのスイッチをつけた。だけど電源がつかない。え? 本当に電子機器が動かないの? 私の腕時計は父さんのお古だからいつ止まっても不思議じゃなったけど、スマホもつかないの?
奈緒が私を見る。
疑惑の視線。
明さんはしばらくの間つかないスマホを不思議そうに眺めていたけど、とうとう顔を上げた。時刻を確認するのは諦めたらしい。「アカペラで練習しましょうか」と彼女が言う。
「あ、はい」
ちょっと暗い部屋の中で、私たちは歌のレッスンに戻る――前に。
「加蓮!」と叫びながら、奈緒が私を羽交い締めにする。
「いだ、いだだだいたいいたい! ごめん! 謝る! 謝るから!」
「うるせえ! よくもあたしを騙したな!」
ノリが男子だ。明さんが呆気に取られてる。この時はまじで苦しかった――だけど、それに見合ったものは見られた。
それから2分くらい経ったぐらいに、電気が復旧した。
「あ、ついた」
私が言った。
トレーニングルームの外も、扉を開けて確認してみる。廊下の電気もついていた。
「じゃあ管理人さんに電気が戻ったって報告してきますね」
明さんがそう言って一度トレーニングルームを出る。彼女が戻ってきたのは1分ぐらい後かな。
何だったんだろうと不思議に思いながらも、この時は停電の原因について大して深く考えなかった。私には関係のないことだったから。寧ろ横で「もう何も信じてやらない」って感じの、怒りの目つきをしている奈緒をどうするかの方が重要だった。
停電が復旧した2、3分後に偶々様子を見に来たマネージャーさんにも「北条さん、神谷さんと何かあったんですか?」って訊かれるくらいにはヤバかったからね。
視点・神谷奈緒
「ったく……」
加蓮のやつには本当に参る。あたしのジュンジョーを弄びやがって。
「ごめんって。もうしないから」
口ではそう言っているけど、どうせまたあたしをからかうんだ。加蓮の言うことにはもっと気を付けないといけない。
時刻は十二時過ぎ。練習が終わって、あたしと加蓮は二階の更衣室に移動するべく階段を降りる。九時から十二時までの三時間コースは本来けっこうきついレッスンメニューだけど、トレーナーの明さんがたびたび休憩を挟んでくれたからそんなに大変じゃなかった。あの人はトレーナーさん達の中でも一番優しくて、あたしたちに無理をさせないんだ。
「お昼どうする? 私、今けっこうお腹空いててさ。こっちで食べてから遊びに行かない?」
「あたしは美味しくないぞ」
「ごめん。本当に」
頭を下げる加蓮――なんだかきまりが悪くなる。
「奢ってくれたら許してやる」と言うと、加蓮は「ありがと」と言って笑顔になった。
「346カフェのスペシャルマンゴーパフェな」
「えっ……」
加蓮が絶句するけど気にしない。この夏新しくメニューに加わったスペシャルマンゴーパフェ。定価1530円。仕事をしているとはいえ、高校生にはちょっと手を伸ばしにくい値段の一品だ。ちょうどいいからこの機会に食べてみよう。
更衣室に到着して自分が荷物をいれたロッカーの前に立つ。すぐ隣には加蓮が使ったロッカーがあって、加蓮はそこの前に立ったまま口をもごもごさせていた。何か言いたいことがあるらしい。
ちょっと高過ぎたかな?
不安になってくる。「……半分は加蓮にあげるよ」と言ってみると、加蓮は深刻そうな顔をこっちに向けた。
「カロリー大丈夫?」
「……」
……。
まあ、大丈夫だろ。
「三時間もレッスンしたしな」
実質ゼロカロリー。かな子ちゃんだって「美味しいから大丈夫だよ」って言ってたから。
でも2㎏太ったんでしょ? という眼で見てくる加蓮。
「な、なんだよ。別にいーだろ?」
あたしは加蓮からロッカーの鍵に視線の向きを変える。さっさと着替えて346カフェに直行だ。
「……ん?」
ロッカーの鍵――四ケタの数字を合わせて施錠するタイプの鍵なんだけど、その数字を合わせる時、あたしはなにか違和感を覚えた。なんだろう? 設定していた番号が変わっていたわけじゃないんだけど……。
「じゃあカフェ行こっか」
腹を決めたっぽい加蓮に急かされて、その時はあんまり違和感の原因について考えなかったけど、あとから思い返せば、これはすごく重要な気づきだったのだとわかる。
346カフェはいつもそれなりにお客が入っている。めちゃくちゃ混んでるってわけじゃないけど、閑古鳥が鳴いてるわけでもない。特徴として、社内のカフェだからアイドルやモデル、俳優とかタレントが大手を振ってコーヒーとか飲んでる姿をよく見かける。かくいうあたしと加蓮もそのクチだ。まあ、あたしの場合は街でファンに声をかけられた経験なんて一回しかないし、「プライベートな時間を邪魔されたくない」っていう感覚はまだ味わったことない。単に雰囲気が好きなのと品ぞろえの充実度がこのカフェを利用する理由だ。いや、まあ正直そんなに頻繁には通っていないんだけどな。
「あら? 奈緒さん、加蓮さん。お二人とも、今日はいつもよりな(、)お(、)一段と可憐(、、)ですね」
適当な席に座ったところで、隣に楓さんがいるのに気づき、あたしと加蓮は思わず「い゛いっ!?」と仰け反る。
高垣楓。346プロきってのトップアイドル。
眼鏡をかけてたから気づかなかった。
彼女の向かいには担当プロデューサーかマネージャーらしき男の人が座っていて、テーブルにはなにかの資料が広げられていた。打ち合わせをしているんだ。邪魔しちゃ悪いと思ったあたしたちは席を移ろうとしたんだけど、「そんなに気を遣わなくても大丈夫ですよ」と、楓さんに優しく止められた。向かいの男の人も「どうぞ、気にしないでください」と言ってくれた。そう言われると席を立つに立てない。あたしたちは恐縮しながら浮かせかけた腰を下ろす。
そこへ「いらっしゃいませ~」と、菜々ちゃんがお冷を持ってきてくれる。
「ご注文が決まったらお呼びくださいね!」
爛漫な笑顔の菜々さんに生返事をして、あたしと加蓮はメニューを開く。横では元モデルのトップアイドルがにこやかに打ち合わせをしている――……メニューに集中できない。ただ単に萎縮してるっていうのもあるんだけど、時折聞こえてくるダジャレが気になってしょうがない。「それはいけません。カレーを食べながら大事な話はしちゃ駄目ですよ。スパイ(ス)が聞いているんですから――」……絶妙に下手なダジャレを楓さんの声で聞くと、なんというかこう、脳が混乱するんだ。
「……加蓮、決まったか?」
「え? あ、うん――あ、いや。ごめんちょっと待って」
加蓮も上の空みたいだった。
菜々さんを呼んでオーダーをする。あたしはサンドイッチとコーヒーとスペシャルマンゴーパフェを、加蓮はカレーライスと食後に紅茶を頼んだ。
「加蓮ちゃんはカレーライスですか。カレンライス、ふふっ」
楓さんが横で呟く。
「楓さん、意味不明です」と、男の人がちょっと呆れた風に言う。「そうですか?」楓さんは笑みを絶やさないまま男の人の方に顔を向けた。
あたしと加蓮は苦笑い。本当、この人はちぐはぐだ。
「楓さん、アブソリュートナインのレッスンは終わったんですか?」
加蓮が楓さんに訊く。そういえば、楓さんも志希や凛と同じアブソリュートナインのメンバーだった。
あらためて思うけど、凛ってすごいメンバーの中にいるよな。
楓さんは加蓮の言葉を「いいえ、違うんです」と否定した。
「私だけ無理を言って、先に抜けさせてもらったんです。ええと、今は……」と、楓さんはテーブルの隅っこに置いてあったスマホをつけて時刻を確認する。
「十二時十五分。まだレッスンは終わっていないと思いますよ。今日は十時から十二時半までの予定だったので」
「そうなんですか」
「ちなみに言うと、この打ち合わせも十二時十五分までの予定だったんですけどね」
楓さんは悪戯っ子っぽい眼で向かいの男の人を見る。男の人は、「長引いて申し訳ないと思っていますよ。ですが、もう少しだけお付き合いください。今度のイベントの大幅な変更点は把握しておいていただかないと大変ですから」と言った。
「今日は私持ちでいいので」男の人は更にこう付け足す。楓さんの表情が輝いた。
「本当ですか? じゃあパフェでも頼もうかしら」
意外に俗っぽいところがあるな、楓さん。
それにしてもアブソリュートナインの練習は十二時半までか。凛も大変だな。あ、いや、時間的にはあたしたちの方が長いのか?
「凛も呼ぼうかって思ったんですけど、それじゃあ無理っぽいですね」
加蓮は少し残念そうに笑う。すると楓さんの表情から緩やかな微笑みが消えた。その変化を加蓮も読み取ってちょっと顔をこわばらせる。剣呑な雰囲気。
「凛ちゃん、転んで怪我をしたんです」
楓さんがそう言った直後、あたしは「本当ですか!?」と身を乗り出してしまっていた。
「足を挫いちゃったみたいで……。医務室で手当てを受けた後、またトレーニングルームに戻ってきたから、大きな怪我ではなさそうでしたが、それからは凛ちゃん、ずっと見学でした」
適当な言葉が出てこなくて、あたしは口を開いたまま黙ってしまう。加蓮もおんなじ感じだった。
「停電の時ですか?」と、楓さんの向かいに座っている男の人が楓さんに問いかける。凛の怪我は彼にとっても初耳の情報みたいで、さっきより一段真面目な表情になっていた。
「停電のちょっと前でした。凛ちゃん、医務室から戻ってくる途中で停電に遭って、エレベーターに閉じ込められてしまったんです」
「凛、一人でですか?」
今度は加蓮が訊く。
「いえ、聖さんたちと一緒に閉じ込められたみたいです。停電になって、凛ちゃんたちの帰りも遅くてとても心配でしたね。大事なくてよかった」
あたしは自分が息を吐くのを忘れていたのにそこで気づいた。ほっとため息をつく。とりあえず、凛の安否がわかったからだ。
「……それにしても、停電の原因は何だったんでしょうか」
男の人が呟く。たしかに、それはあたしも気になっていた。
宇宙人の侵略はさすがにコートームケーだけど、納得のいく答えがまだ出ていない。加蓮の時計が止まったのは偶然だったのか?
楓さんも加蓮もあたしも男の人も、四人とも首をひねるだけだった。それっぽい推論も出てこない。ちょっと気まずくなったところに、菜々さんが「お待たせしましたー!」と料理を運んできてくれた。
楓さんたちはまだ話し合うことが残っていたみたいだったから、あたしと加蓮はひとまず会話の輪から出て、お昼ご飯を食べることに専念しようとした。だけど一度生まれたもやもやは、綺麗なサンドイッチを前にしても頭の中から消えてくれなかった。
それから十数分後。
パフェも食べ終えて、食後のコーヒーと紅茶も飲み切ったあたしと加蓮は、どちらともなく席を立った。脇に置いといたカバンをつかむ。
「それじゃあ、私たちはこれで……」
まだ隣で打ち合わせをしている楓さんたちに会釈する。楓さんはいつもの柔らかい微笑みの表情になっていて、「今度は一緒のテーブルでご飯を食べながらお話ししましょう」と言ってくれた。男の人は「凛さんのこと、お大事に」と頭をあたしたちにさげる。あたしと加蓮はなんだかわちゃわちゃと手を動かしながら「あ、はい、ぜひ!」とか「あ、いえ! はい!」とかわめいていた。これでも前よりは緊張しないようになったんだけどな、まだ全然だめだ。
「お会計は別々にしますか?」
レジを挟んで立っている菜々さんに訊かれて、加蓮が「はい」と頷く。何を頼んだか訊かれて、加蓮は「カレーと紅茶、あとスペシャルマンゴーパフェです」と答えた。約束通り、パフェは奢ってくれるっぽい。店を出たら「ごちそうさまでした」って言わなきゃな。
「奈緒ちゃんがサンドイッチとアイスコーヒーですね?」
加蓮の支払いの前に、菜々さんがレシートを見ながらあたしに確認してくる。あたしは「はい」と答えて、今のうちに財布を出しておこうと鞄のポケットを開ける――あれ?
「奈緒?」
変だ。
財布が入ってない。白黒のハンカチしかなかった。あれれと思いながら今度は一番大きな袋のチャックを開ける。シンプルなカバンだからもう他にポケットはない。おかしい。あたしが入れておいた、ジャージと捨てそこなったペットボトルはどこにも無い。代わりに入っているのは水筒、古い文庫本、眼鏡ケース、そしてビニール袋に入った知らない柄のタオルとジャージ。
あれ?
「奈緒さーん、それ私の鞄でーす」
楓さんが、あたしが今持っているカバンと全く同じカバンをかかげながら手を振っていた。「え? あ!」思考停止状態になってビニール袋の中までまさぐっていたあたしはそこでようやく楓さんの鞄と取り違えたんだと気づいた。我ながらどんくさい。菜々さんにちょっと待っててもらって、急いで楓さんのもとに戻る。
「す、すみません!」
「いえいえ~。謝らなくてもいいですよ。何故って、既に奈緒さんは誤っていますから」
「楓さん、それちょっと責めてる感じになってますよ」男の人が言った。
「そうですか?」
平謝りしてカバンを戻してもらう。恐縮しながら駆け足でレジに戻って、「すみません!」と菜々さんにも謝る。
菜々さんはサムズアップして笑顔で「大丈夫です!」と言ってくれた。
「730円になります」
今度はちゃんと自分の財布を取り出せた。千円札と十円玉を三つ出す。三百円のおつりを貰って、ようやく会計を終わらせられた。
「悪い、加蓮。待たせた」
「いいよ別に」
カフェを出て、あたしと加蓮は346プロの敷地の出口を目指して歩き出した。
「楓さんと同じ鞄だったね」
「ああ」
「偶然?」
「偶然だな……」
でも思い返すと、店頭で手に取った時に既視感を覚えたような気もする。あれの正体は楓さんのカバンだったのか。
「まあ、そういうことってあるよね――あ、」
「ん?」
加蓮が急に立ち止まった。どうしたんだろうと思いあたしも足を止める。加蓮は元来た道をくるりと振り向いて、「アブソリュートナインの練習終わった頃じゃない?」と、道のわきに建っている時計を指さした。
時刻は十二時三十八分。たしか楓さんは十二時半にレッスンが終わると言っていた。
「そうだな」
「ねえ、ちょっと行ってみない?」
加蓮の顔には「凛の様子が心配」と書いてあった。もちろん、反対する理由なんかない。あたしは二つ返事でその提案を受け入れた。
道中、知り合いのアイドルに会う。
「あれ、おーい。かみやーん、かれーん!」
346プロの敷地内にある、ちょっとした広場の横を行く途中で、広場の向こう側から声をかけられた。
そっちを向く。いつもと同じジャージを着ている未央が大きく手を振っていた。
本田未央。シンデレラプロジェクトのアイドルで、「ニュージェネレーションズ」のリーダー。
広場の向こうにいたのは未央だけじゃない。ちっちゃい影があと二つ見えた。「あ、奈緒ちゃんと加蓮ちゃんだ!」「本当だ!」――あれは……みりあと莉嘉だな。彼女たちもシンデレラプロジェクトのアイドルだ。
急ぐ必要なんてどこにも無いのに、三人は広場を走って越えてくる。元気だ。
「今日はレッスン?」
未央が訊いてくる。
それなりの距離を走ってきたと思うんだけど、未央は息をまったく切らせていない。
「レッスンはもう終わったんだけど、ちょっとな」
「『ちょっと』って何~?」
今度は莉嘉が訊いてくる。あたしの言葉に、なんだかオトナな雰囲気を感じたっぽくて、「自白しちゃいなよ☆ うりうり」的な表情でこっちを見てくる。そういうんじゃないんだけどな……。
「凛が足挫いたらしくてさ。様子見に行こうかと思って」
加蓮がそう言うと、三人の表情はわかりやすく変わった。
「凛ちゃんが!?」「ケガしたの!?」「え、ちょ、何で!? しぶりんが!? 大丈夫なの!?」
「楓さんから話を聞いたんだ。多分軽いやつだと思うんだけど」
あたしたちもまだ実際に凛の容態を見たわけじゃないことを説明すると、三人は口をそろえて「ついていく!」と言った。まあ、断る理由はない。二人から五人になったあたしたちは、別館を目指して移動を再開する。
別館の一階のロビーに入って、奥の階段を昇る。女子更衣室は地下一階にもあるけど、そっちは大浴場の為のやつだからレッスンを受けに来たアイドルはあまり使わない。階段で二階にあがってすぐ横の更衣室の扉を開けたのは、一番先頭を歩いていたあたしだった。
ガチャリ。案の定そこにはアブソリュートナインのメンバーが何人もいた。
みんな着替え終わっていた。周子、志希、みく、夕美さん、美嘉、卯月、凛。入口に近い周子と夕美さん、それと一番奥――すりガラスの窓際にいた志希がこっちを振り向いた。三人の顔はなぜだか曇っていた。
みくが卯月の背中に手をあてている。卯月にはいつもの元気がない。深刻そうな顔をしてうつむいている。それを美嘉が心配そうに見ていた。
椅子に座った凛がそっぽを向きながらスマホを耳に当てていて、誰かと通話している。
滅多に聞かない、切羽詰まった声だった。
「プロデューサー、どうしよう――卯月の、卯月の財布とスマホが盗まれちゃった……!」
あー矛盾が無いか心臓バックバクですよ。