視点・北条加蓮
別館4階のミーティングルームには、なんだかどんよりとした空気が溜まっていた。
あ、いや、「なんだか」ってのは変だよね。なんでかってのはわかってるから……。
この場にいるのは、主にアブソリュートナインのメンバーだ。それに私と、なし崩し的についてきた未央、みりあちゃん、莉嘉ちゃんが加わっている。奈緒はちょっと飲み物を買いに行った。
時刻は午後の1時半過ぎ。私たちアイドルには、あの後4階のミーティングルームで待機の指令が下っていて、それがまだ解かれていない。
解散の命令が出るまではまだまだかかりそうだった。社内での、アイドルの持ち物の盗難っていうのは前例のない事態らしくて、対応を決めかねているっぽい。メディア対策とか難しいことはよくわかんないけど、早いとこ警察に届けた方が良いと私は思う。
ミーティングルームのアイドルたちは、普段ならこんなに集まったら色々お喋りとか遊びとかが始まるんだけど、今はお通夜みたいにしんとしている。誰も何も喋らない。スマホを弄っていたり、文庫本を開いていたり、それぞれ静かに時間を潰している――時間を待っている。腕を組んでじっとしている人もいる。
正直、空気が重い。私も飲み物買いに行くとか言ってちょっと抜けようかなあなんて考えだしたところで、バン、と誰かがテーブルを叩いた。
拓海だった。
「こんなとこでぼさっとしてても仕方ねえ。アタシたちも行くぞ!」
「行くってどこへ?」
拓海の隣に座っていた周子がスマホから目を上げて訊く。
「泥棒を捜しに行くんだよ! 入口の守衛さんはまだ不審者見てねえんだろ? じゃあまだ346のどっかに隠れてるってことだ」
「必ずしも『隠れてる』とは限らないんじゃない?」
そう言ったのは志希だ。人懐っこい、それでいて何を考えているのかわからない笑みを浮かべている。
「どういう意味だよ」と拓海。
「案外堂々とこの部屋でだらだらしてるかもしれない――って意味」
志希の眼つきが一瞬、氷のように冷たくなった気がした。
皆、それぞれにそれぞれの反応をとる。拓海はわけがわかっていないっぽくて、「は……はあ?」と不思議そうな顔をする。周子は志希の方に注意深く視線を向けていた。卯月はおろおろしながらきょろきょろする。みくは深刻な顔で俯く。美嘉が「志希!」と志希を叱咤して、その声に莉嘉ちゃんがびくっと反応する。みりあちゃんは心細そうに未央を見上げた。未央がみりあちゃんに「心配ないよ」って笑いかけるけど、苦しい色が抜けていない。楓さんが静かに文庫本を閉じた。夕美さんは神妙な顔をして目を伏せている。凛は困ったようにあたしの方を見てきた。
「どういうことだよ志希……まさかテメエ、あたしらん中に犯人がいるとか思ってんのか」
拓海がすごむ――かなり恐くて、関係ない私までビビりかけるんだけど、志希は普通に笑いながらへらへらと喋り出す。
「天下の346プロに部外者が紛れ込んだなんて、一番最初に考える可能性じゃないデショ。今回は特にさ――あたしたち全員の物が盗まれてたとかならまだしも、狙われたのは卯月ちゃん一人だし」
「卯月を狙うやつがいるってのかよ!」
「無差別的じゃなかったってことが言ーたーいの。閉じられたロッカーが全部無理やり壊されて貴重品とか替えの下着とかがさっぱり無くなってたとかなら、そりゃあ外部犯の変質者を疑ってもいいさ。でも、閉じられた全部のロッカー番号が『0424』に合わせられていて、卯月ちゃんのバッグに入っていた貴重品だけが無くなってるんだよ? 346に忍び込む労力と対価が釣り合ってない。外の変態を犯人にするのはナンセンスだよねえ」
拓海が志希に近づいて志希の胸倉を掴む。美嘉が「ちょっと拓海! それは駄目!」と仲裁に入った。部屋が殺気立つ。志希は怒れる拓海に物怖じするどころか「あれえ? 拓海ちゃん何で怒るの? なんかやましいことでもあるのかな?」なんて挑発する。「テメエ、いい加減にしろ!」と拓海が拳を振り上げたところで、ガチャンと部屋の入口が開いた。
奈緒が戻ってきた。
なんてタイミングだ。
「え?」
一瞬皆の視線が奈緒に向く。拓海の注意も――直後、拓海たちの方からガタッて音がした。何だろうと思ってそっちを向くと、志希と拓海の間に夕美さんが割って入っていた。
「落ち着こうよ。拓海も、志希ちゃんも。落ち着いて話をしよう」
夕美さんの声には静かな迫力があった。
場が一瞬しんとなる。
拓海は「お、おう……悪かった」って言って席に戻る。志希もそれ以上は何も言わず、黙って着席した。
2人と、そして奈緒が自分の席に座るのを見届けて、夕美さんはにっこりと笑った。
「私たちの中に泥棒がいるかもしれない。志希ちゃんはそう言いたいんだよね?」
「……可能性があるって話」
志希はさっきよりも警戒心をあらわにしていた。慎重に言葉を選んでいるのが私にもわかった。
「『絶対ない』、なんて現時点じゃ言い切れないから」
「どうしてそう思うのか、もう一回、みんなをあまり怖がらせないように説明できないかな」
「……」
夕美さんに言われて、志希は皆を見渡す。最後に夕美さんの方を見て、そんで目を閉じた。ふっと短く息を吸って、目を開く。
「犯人が外部犯だとして、今回の犯行をやり遂げる上での一番の難関は346の警備システム。エントランスビルの途中までなら誰でも入れるけど、そこから先は社員証とかゲストカードとかが必要になる。それなしで入ろうとすると守衛さんに押さえつけられてアウト。おまけに監視カメラがついてる。裏のゲートもおんなじ仕様だし、それ以外の地点、例えば塀を乗り越えるとかをすると防犯システムに引っかかる」
「塀に防犯システムなんてあるの?」
未央が初耳だという風に訊いた。
「あるよー。塀の上に張られたワイヤーあるでしょ。あれに触れると警報がなるの。何回か鳴らしたことあるから間違いナイ」
「何で鳴らしたことあるんだよ」
拓海がツッコむ。志希はにへらと笑っただけで、それについてはノーコメントだった。
「だから結構盤石なんだよね。今までこんなアクシデントが一回も起きたことなかったっていう事実が何より346の警備レベルを証明しているわけで。『外部の人間が忍び込んだ』っていうのにそもそも違和感がある」
「でも、現に事件は起きたじゃんか。346の警備だって万全じゃないってことなんじゃないのか」
珍しく奈緒が反論する。教室みたいに右手を自信なさげに挙げているその恰好はちょっとまぬけだけど、言っていることは真面目そのものだった。
銀行の大金庫じゃないんだし、入ろうと思えば入れるんじゃないかとも確かに思う。いつだったか、頼子さんが「ここの警備ですけど、それなりの装備があれば気づかれずに侵入可能ですね」と言っていた。どんな文脈の会話だったかはさっぱり思い出せないけれど、頼子さんの顔が妙に真剣だったからその台詞だけはよく覚えている。何で頼子さんがそんなことを批評していたのかも思い出せないけど。
「まあ偽造の社員証とか、ヘリとかパラシュートとかトンネルとか、そういうのがあれば侵入できなくはないと思うよ? だけどそういう事前の準備を外部犯がしていたとして、盗品が卯月ちゃんの財布とスマホだけっていうのはおかしい。卯月ちゃんには悪いけど、盗まれた物と盗む労力が見合っていない。このプロダクションにはもっと価値のある情報がごろごろしてる筈なんだよ。卯月ちゃんしか狙わなかった理由もわからないし、事前に準備しているなら、ロッカーの鍵に誕生日を入力してくなんて不確かなことしないで、もっとちゃんとした道具を使うと思うんだよねえ。そんなに頑丈なロッカーでもないんだしさ」
確かにそうかもしれない。そもそも、外部犯だったとしたらその人はどうやって卯月が今日ここの更衣室を使っていることを知ったのだろう。本館の地下一階にあるシンデレラプロジェクトの部屋にはみんなの予定が書かれているホワイトボードがあったけど、あれを見る為には当然本館の地下まで来なきゃいけないわけで。
346のコンピュータをハッキングして予定を確かめたとか? いや、それこそ志希の言っている通り釣り合っていない。卯月の財布とスマホは卯月の個人情報が入った大事なものだけど、高校生の財布の中身なんてたかが知れているし、スマホだって盗まれたとわかれば対処法はある。スマホのパスワードは、流石に誕生日じゃないみたいだし、ジャンク屋に売られるくらいの被害に終わるのでは?
「そういう理由で、犯人が346外部の人間だっていう説は弱い。逆に一番疑わしいのは、今日、大手を振って更衣室を利用していたあたしたち。『他のアイドルの財布とスマホをパクって売りさばいて小遣いの足しにする』――更衣室で起きた盗難の動機にしては、いかにもありそうでしょ?」
部屋の中に沈黙が訪れる。誰も何も言わない。志希の言っていることが理解できたからだろう。私も何も言えなかった。私自身が、犯人がこの中にいると信じている節があるからだ。
きっと皆、卯月の財布がなくなったとわかった時からずっと頭の片隅にはその可能性があったんだろう。でも敢えてひっくり返したくなかった。仲間を疑うのは嫌だから。眼を逸らそうとした――けど、やっぱり無理だった。
ここにいる全員、卯月の誕生日が4月24日だってことは知っている。卯月が設定しているロッカーの番号を盗み見る機会だって多分あった。何度も一緒に練習しているから。
何度も同じ更衣室を使っているから。
「あ、あの、志希ちゃん。私は別に、大丈夫ですから! 誕生日なんて簡単な数字を使ってた私が悪いんです。お財布にもそんなにたくさんお金が入っていたわけじゃないですし、スマホだって――」
「泥棒と一緒に仕事はできねえ」
卯月の声を遮って言ったのは、拓海だった。
「少なくとも、卯月に詫びを入れるまではな。おい、本当にこん中にいるんならさっさと名乗り出ろよ。こそこそ隠れてるなんて、一番タチが悪い」
拓海はぎろりと一同を見回した。
誰も何も言わない。身じろぎ一つしようものなら、拓海に睨まれると思ったから。
嫌な沈黙が流れる。みりあちゃんなんかは泣きそうな顔をしていた。未央が「大丈夫」と小声でみりあの背中に手をあてる。
「最後に更衣室を出たのは私」
沈黙を破って凛が言った。凛の椅子には、松葉杖が2本立てかけられていた。
ちなみに凛の足の怪我だけど、安静にしてれば治るやつらしい。松葉杖なんか突いてるから最初はどんな大けがだと思ったけど、そんなに大事はないってことだ。
「私が最後まで更衣室に残ってた――だから、一番怪しいのは、多分、私……だと、思う……」
誰かに指摘されるより先に自分から言ってしまおうってことだろう。凛は強い表情をしていたけれど、それは怯えの表れだ。長い付き合いだからわかる。
「最後から2番目に更衣室を出たのは誰?」
凛は清水の舞台から飛び降りるくらいの覚悟で告白したんだろうに、志希は凛をいったん無視して、他の皆に問いかけた。
みくが「みくにゃ」と手を挙げる。それを確認して、志希はようやく凛の方に向きなおった。「みくちゃんが更衣室を出てからどれくらい後に出たの?」
「……2分後ぐらいかな」凛が空中を睨みながら答えた。
「トレーニングルームに来たのも、それくらいの時間差だったよ」
凛の証言を美嘉が裏づける。拓海や夕美さん、楓さんも頷いていた。「55分より後だったね」と周子が言う。アブソリュートナインのレッスンは十時から始まったのだから、55分とは9時55分のことだろう。
「だったらクロとは言いづらいかな。さっき更衣室でやった持ち物検査でも、凛ちゃん卯月ちゃんのスマホと財布持ってなかったし。一人だけになった時間で盗品をどっか他の場所に隠さなきゃいけないわけだけど、聞いてる限りじゃそこまで余裕はないよね――それに、あたしのロッカーのダイヤル錠も0424になってたから」
私はその台詞に引っかかるものを覚えた。『志希のロッカーの番号も0424になっていた』? どうしてそれが凛の無実を証明する材料になるのだろう。
「しきにゃんのロッカーの数字が0424だったって、どういうこと?」
私より先に未央が質問した。奈緒も首を傾げている。
「志希ちゃんは遅刻したんだよ」周子が言った。「顔出したの、停電のちょっと前ぐらいだったよね」
「「えっ?」」と、奈緒と私の声が重なる。おかしい。朝、奈緒は志希の姿を見たと言っていた。
「お、おい。志希、9時ちょっと前ぐらいには346にいたよな? あたし、エントランスビルで見かけたぞ」
奈緒が言った。みんな一斉に志希の方を見る。志希は緊張した様子なんか毛ほども見せずに「それ多分あたしが346を出るとこだよ。昨日346の地下室で遅くまで薬品弄ってて、気づいたら朝になっててサ。着替えがなかったからいったんフレちゃん家に行ったの」と釈明した。
「フレデリカの家?」
志希はこくりと頷く。「あたしん家より近いからね~。ほらこれ、フレちゃんに貸してもらったジャージ」
志希は一度机の下に手を伸ばすと、鞄からごそごそとくしゃくしゃに丸まったジャージを取り出した。それは確かにフレデリカがいつも着ているジャージだった。
「なんだったらフレちゃんに確認してもらってもいーよ」
私と奈緒は顔を見合わせる。お互いに困惑の表情を浮かべていたと思う。志希の言う通り、フレデリカに確認をとるべきなのか――そこまでしなくてもいい?
「こいつ、フレデリカん家で寝てたって言うんだぜ。アタシたちが心配してる時にさ。連絡ぐらい入れろっていつも言ってんのに」
拓海が呆れ果てたように言ったけど、遅刻そのものには大して怒ってないみたいだった。
「あ、もしもしー? シューコでーす。フレちゃん?」
私たちが戸惑っている間に、周子がスマホを耳にあてた。フレデリカに電話をかけたらしい。
「今日、志希ちゃんが押し掛けてきたでしょ? 大体何時から何時くらいまでいたか覚えてる?」ここで周子は電話をスピーカーフォンに切り替えた。フレデリカのしゃぼん玉みたいにふわっとして透明な声が聞こえる。
『えっとねー、ピンポン鳴ったのが朝の9時過ぎで、シキちゃん出て行ったのが11時前だったよ。10時……45分? とかそんくらーい。何でこんなこと訊くのー?』
「色々こみいってるから、ワケはまた今度会った時に話すよ。教えてくれてあんがとねー」
そう言って周子は通話を切った。
「ここからフレちゃん家まで、歩いて10分とか15分ぐらいだったよね?」と周子が皆に同意を求める。私はフレデリカの家がどこにあるのか知らないから首を縦にも横にも振らなかったけど、志希とか拓海は頷いていた。
「志希がトレーニングルームに顔を出したのっていつぐらいだったっけ?」
「11時頃だ」と拓海が言った。「凛が転んだのが11時頃で、凛を医務室に連れてく途中、志希とすれ違ったからな」
「ああ、そうだったみたいだね」と周子。凛が転んだのは11時過ぎか前か、そんくらいだったんだ――拓海の言った通りなら、志希の行動に不自然な箇所は無くなる。容疑者から外れるわけじゃないけど……、それは、まだ仕方がない。もう少し時間がかかる。
今の会話で得る物はあった。「犯行時刻」ってやつだ。
志希のロッカーの番号も0424に合わせられていたということは、泥棒は志希がロッカーを使った時間より後に更衣室に入ったってことだ。勿論、志希の覚え違いの可能性だってあるけれど……。
そういえば、私のロッカーの鍵の数字はどうなっていただろう。
覚えていない。一度ロックした後は数字なんてぐちゃぐちゃにしてしまうから特に意識して見ていなかった。奈緒はどうだっただろう?
「ねえ、奈緒のロッカーは0424になってた?」
奈緒はうーんと唸って腕を組む。「なんか違和感はあったような気がするんだけどなぁ、よく覚えていないよ」奈緒も私と同じような感じか。まあ、覚えていないのが普通だろう。
「アタシも、志希が声かけてくれなかったら気にせず鍵開けてたかな……」
美嘉が呟く。なるほど、まず志希が気づいたから、アブソリュートナインの他の皆も鍵の番号が変わっていることを知ったらしい。確かに志希ならそういう変化にも気づきそうだ。
「奈緒ちゃんと加蓮ちゃんは、2人一緒に更衣室を出たの?」
唐突に志希が訊いてきた。彼女の爛々とした大きな眼がこっちを向いている。「銃口を突きつけられている感覚」――ってほどじゃないけれど、それなりの恐怖と緊張が私の身体を重くして、私の思考を鈍くした。
「ああ」奈緒が硬く頷いた。「あたしたちは基本的にずっと一緒だったよ――だ、だから無実だ!」
「いや、別に奈緒ちゃんたちを犯人だって言ってるわけじゃないんだけどサ」
志希の言葉に、奈緒は顔を赤くして俯いた。「犯人だって言ってるわけじゃない」……、それは全く疑っていないわけでもないってことだ。仕方が無いことだとはわかっているけれど、やっぱり胸の奥がきゅっとする。
奈緒の言う通り、私と奈緒は今日ほとんどずっと一緒にいた。トイレのタイミングとかは一緒じゃないから、完全にお互いのアリバイを証明することはできないけど、でもかなりそれに近いことができる。
「まあそうビビんないでよ。更衣室に出入りした人は等しく怪しいんだからさ――あたしだって、かなりクロっぽいし」
けらけらと笑う志希。彼女はこの事件をゲーム感覚で楽しんでいるのかとも思ってしまう。でも、ちゃらんぽらんな表層に覆われた彼女の友義の厚さを私は知っている。きっと志希も心の中では怒っていて、悲しんでいるのだろう――怒って悲しみながら楽しんでいる気もするけれど。
「で、その怪しい人たちの中から、どうやって犯人を特定すんの? 明智君」
周子が冗談っぽく志希に訊いた。
「とりあえず防犯カメラの映像を見ようと思っているよ、小林君」
視点・神谷奈緒
防犯カメラの映像は比較的簡単に見ることができた。
あたしたちには見せてくれないものだと思っていたけれど、大人たちに向かって、らしくない真剣な眼差しになった志希が「あたし達、お互いの無罪を確信したいんです!」って歎願したらオーケーサインが出た。志希の演技力が抜群だった――ってわけではないとは思う。多分、カメラの映像だけじゃ誰が犯人とは特定できないってことなんだろう。まあ、停電の時間はどうしたって何も映らないんだから、当然か。
「じゃ、映すよー」
ミーティングルームの映写機にPCを繋いだ志希が緩い声で言った。さっきの真剣さはどこいったんだ。うきうきでマウスを動かしている。他の皆は――あたしも含めて、まだ何も映し出されていない真っ白なスクリーンに目を向けていた。
何度目かのクリック音と共に、スクリーンに画像が映し出された――いや、画像じゃない、映像だ。別館2階の更衣室の入口前の廊下の映像。画面枠の右上から左下にかけて廊下が伸びていて、廊下の左側に更衣室の扉が見える。男子更衣室が手前で、女子更衣室が奥。勿論、どっちの扉も閉まっている。全く動かないから画像かと思ったけど、よく見たら右下の数字がどんどん変わっている。日付と時間だ。時間は秒数まで表示されていて、どんどんカウントが進んでいた。
現在の表示はAM8:01:20。「早送りするね」という志希の声と共に、カウントは一気に速まった。しばらくは何も映らない――誰も通らない。8時半をちょっと過ぎた頃、早送りの映像を始めて何かが映った。
「今、誰か通ったにゃ!」
みくが叫ぶ。志希が手早く巻き戻して等倍速で再生した。画面の右上――廊下の奥から、画面の左下――廊下の手前に向かって歩いてきたのは明さんと聖さんだった。今日、あたし達のレッスンをみてくれたトレーナーさんと、アブソリュートナインのダンスレッスンをしてくれたトレーナーさん。ジャージ姿で、まあまあな大きさのスポーツバッグを肩にかけている。何か談笑しているけど声までは録音されていない。出社した姿だろう。彼女は更衣室には目もくれず、廊下を通り過ぎていった。
このカメラの位置だと見えないけど、右奥に階段があるんだよな。で、別館二階にはトレーナーさんの事務室? みたいな部屋もある。画面からフェードアウトした明さん達は事務室に入ったのだと思う。
正確には午前8時32分02秒、二人は画面から姿を消した。
それから約15分後――8時45分39秒、あたし達のマネージャーさんと、シンデレラプロジェクトのプロデューサーさんが映りこんだ。
「あ、プロデューサーさんと……トライアドプリムスの?」
未央が呟く。プロデューサーさんとマネージャーさんはスーツ姿だった。右奥から姿を現した。どっちも真顔で、会話をしている様子は無い。2人は、更衣室には目をくれることなく左下手前に消える。1分ぐらい経って、2人はまた姿を見せた。8時46分25秒、今度は左下手前から現れて右奥に消える。
「トレーナーさんに挨拶しに来たんでしょ。『本日はどうぞよろしくお願いします』って」
美嘉が言った。まあそうだろう。
志希はまた映像を早送りした。少し経って、また何かが映りこんだ。
志希は映像を巻き戻して等倍で再生。あたしと加蓮が映っていた。2人とも鞄を抱えている。2人の全身が映った時刻は8時48分28秒。確か346の敷地に入ったのが45分。加蓮が途中でトイレに行ったのを考慮すれば自然な時刻だ。
あたし達は明さん達やプロデューサーさん達と同じように画面の右奥から現れた。だけど左下にフェードアウトはせず、女子更衣室の扉を開けて中に消えた。あたし達は既に練習着を着ていたから、荷物を中に置くだけですぐに出てきた。更衣室に入っていた時間は、1分もなかった。
あたし達が更衣室の中に入っている僅かな時間に廊下を通る人がいた。トレーナーさんだ。彼女はタオルと水筒を持って左下手前から右奥に歩いて行った。後ろ姿しか見えなかったけど確かに女性だ。明さんか聖さんのどちらかだろう。多分明さんだ。あたし達が4階のトレーニングルームに入った時、明さんは既に居たからな。
更衣室から出てきたあたしと加蓮は鞄を持っていない。加蓮は水筒を持っていて、あたしは手ぶらだった。あたし達はまた右奥の方に消えていった。画面から2人が完全に消えた時刻は8時49分53秒。
それからまたしばらく何も映らない時間が続く。退屈で、あたしの口からあくびが出かかった――やばいやばいと噛み殺す。鼻で呼吸をするとあくびは出ないんだ。経験則。
次に何か映ったのは午前9時27分56秒。あたしが持っているのと同じ鞄を持った、普段着の楓さんが画面右奥から登場した。映像の楓さんが更衣室に入ったのを見届けると、皆の視線がそこに座っている楓さんに集まった。
「一番早く来られたの、楓さんだったんですか」
卯月が言う。
「はい……。本日は私だけ早めに上がらせていただくので、その分早く来て、少し自主練をしようかと思ったんです」
楓さんが言った。流石は楓さんだ。一流だなあ。あたしも見習わなきゃいけない。
映像の楓さんは更衣室に2分ぐらいいた。9時30分01秒、ジャージ姿になった楓さんが水筒とタオルを持って更衣室から出てきた。彼女もまた右奥に消えていった。
次に現れたのは夕美さん。夕美さんも右奥から登場。まあ右奥の階段が入口から一番近いし当然の流れだ。夕美さんはジャージ姿だった。鞄を持って更衣室に入り、水筒とタオルを持って更衣室から出てくる。彼女が更衣室に入った時刻は9時42分16秒。例に倣って――ってわけじゃないんだろうけど、夕美さんもまた右奥に消えていく。それの1分後ぐらいに今度は周子がジャージ姿で右奥から現れる。眠そうな顔をしてた。更衣室の扉を開けながらあくびをしている。羨ましい。鞄を持って更衣室にIN、水筒とタオルを持って更衣室からOUT。右奥に消えていく。特別なことは何も無い。
お次は美嘉。周子が画面から消えて数秒後に美嘉が映った。「この時覚えてるよ。あたし美嘉に『おはよー』って言ったから」と、周子が言った。美嘉もそれに同意した。
美嘉は普段着だった。彼女が更衣室に入ったのは9時45分36秒。出てきたのは9時48分44秒。ジャージ姿で、手に水筒とタオルを抱えている。美嘉も右奥に消えた。
9時55分20秒に、凛とみくと卯月が現れた。みくと卯月はジャージ姿で、凛は普段着。三人とも、何だか急いでいる風に見える。
「おっと、楓さんが一番乗りで、年下組が最後か~?」
周子がにやりと笑って言った。
「す、すみませんでした!」
卯月が謝る。「シンデレラプロジェクトの部屋に長居しすぎちゃったみたいで」凛が言った。
「まだ大丈夫だって思ってたら、時計がちょっと遅れてたの。それで遅れたにゃ!」
「ふーん」
みくの弁解を周子は適当に聞き流す。まあ、周子が本気で言ってるわけじゃないってことは皆わかっている。
シンデレラプロジェクトの3人組のうち、既にジャージ姿だったみくと卯月は更衣室に入ってすぐ出てきた――特に、卯月がすぐに出てきた。入って30秒も経ってない。卯月は走って右奥に消えていった。それから1分ぐらい後で、みくが水筒とタオルを持って現れた。
凜が更衣室から出てきたのは、みくの1分と52秒後。ジャージ姿になっていた。
「これ卯月ちゃんどうしたの?」
夕美さんが訊いた。
「しまむー、シンデレラプロジェクトの部屋に忘れてたタオル取りにきたんだ」
未央が答えた。
「みりあちゃんと莉嘉ちゃんと一緒に部屋で遊んでたら、凄い勢いでしまむーが部屋に入ってきたからびっくりしたよ」
卯月は恥ずかしそうに笑った。確かに、映像の卯月は水筒しか持っていない。志希が丹念に巻き戻して確認した。
「……あの」
凛も更衣室から出てきて、画面右奥にフェードアウトしていった後。さてまた早送りしてみようかって志希がPCを弄り始めた時、みくが手を挙げた。
いや、画面の中のみくじゃなくて現実のみく。あたしの隣の隣の隣に座っている彼女だ。
みくは何かを思いつめたような顔をしていた。皆の注目が集まって一度萎縮したけど、意を決したように話し始めた。
「卯月チャンのロッカーを閉めたのは、みくにゃ」
「え?」って誰かが声をあげる。ちょっとした衝撃が部屋に走った。
「卯月チャン、急いで出て行ったからロッカーの鍵閉めるの忘れたの。みくはそれに気づいて、凛チャンと相談して代わりに閉めちゃうことにしたにゃ」
「ただ『鍵閉め忘れてるよ』って教えてあげればよかったんじゃない?」
志希が突っ込む。口調こそ穏やかだったけど、彼女の眼は探究者の鋭い光を宿していた。
「最初はそうしようと思ったにゃ。でも……」
「……私が、卯月はいっつもダイヤル錠を0424にしてるからそれに合わせちゃえばって言ったの」
凛が言った。
「卯月チャンはタオルを取ってきたら更衣室には寄らないで、直接トレーニングルームに行くと思ったし、開けっ放しにしてる時間ができるのはまずいと思って、0424で鍵をかけたにゃ」
「卯月はそのこと知ってるのかよ?」
拓海が卯月の方を見て言う。卯月はびくっと電気を受けたような反応を取り、「は、はい! 知ってます! トレーニングルームに入った時、教えてもらいました! みくちゃん、凛ちゃん、ありがとうございました!」と、二人に向き直って頭を下げた。
凛とみくはどうリアクションをとればいいのかわからないという顔で卯月を見ていた。
「それじゃあ、凛ちゃんとみくちゃんが卯月のロッカーを0424で施錠したんだね?」
夕美さんが包括するように言う。凛とみくは複雑な表情をしていた。どうも夕美さんのまとめは少し間違っているらしい。
「0424って数字を合わせて鍵をかけたのは、みくにゃ。卯月ちゃんのすぐ隣で着替えていたから……。凛ちゃんは、多分、鍵の番号を見てないにゃ」
みくが歯切れ悪く言った。
あたしは凛の方を見た。他の皆も。凛はさび付いたロボットみたいな動きで頷いた。
「なるほど」
志希が呟いた。何かわかったのか? と思い、次なる言葉を待ったけど、志希はただ「じゃあ映像に戻ろうか」とだけしか言わなかった。
映像はしばらく何も変わらなかった。10時になり、11時になっても誰も通らない。ただ、右下の時刻が11時を示した時、志希は早送りをやめて等倍速に戻した。11時02分05秒、志希の姿が映りこんだ。
映像の志希は鞄を持っていて、ジャージ姿だった。02分11秒に更衣室の中に入って、02分53秒に更衣室から出てきた。
この時、志希には犯行が可能だった。卯月のロッカーには財布とスマホがあって、志希を監視している者はいない。
……だけど、この間に鞄をロッカーに入れて、10人分のロッカーのダイヤルを0424にして、卯月のロッカーを開けて、財布とスマホを盗み出して、また閉められるかというと……。
志希に与えられた時間は42秒。相当急いでも無理じゃないかな。
あたしは頭の中で志希を容疑者候補から外した。
「もうすぐ停電だね」
加蓮が呟いた。
11時8分、9分……10分になった次の瞬間、時刻は11時20分に変わっていた。
停電の時間だ。志希は映像を止めて巻き戻す。何回か巻き戻して再生してみる――停電は11時10分04秒から11時20分04秒までのようだった。
「きっかり10分。やっぱり何か人為的なものを感じるねぇ」
周子が言った。あたしも同意見だ。
「これって何が原因だったの?」
美嘉が誰にともなく訊く。すると志希が「みくちゃん、さっきのあれ出して」とみくに言った。あれって何だろう。不思議に思っていると、みくは自分の鞄から小さめのビニール袋を取り出した。
「原因は多分これ」
志希が言う。これって、ビニール袋が原因? と、勘違いしかけたけど、志希はそのビニール袋の中に入っているものを指して言っているらしい。
みくが袋を掲げて見せた。袋の中には黒い……スイッチ? みたいなものが入っていた。横に「池袋」って書いてある。
池袋?
「これは多分晶葉ちゃんの発明品。もうすぐ連絡取れると思うから、聞いてみようと思う」
志希は自分のスマホをぶらぶら振って見せた。
「晶葉は今どこにいるんだ?」
拓海が志希に訊いた。「今日はずっと京都のイベントに――おっと」志希のスマホから着信音が鳴りだす。液晶画面には「晶葉ちゃん」と出ていた。丁度いいタイミングだ。志希は通話の設定をスピーカーフォンに変えて机に置き、「もしもーし?」と話しかけた。
『やあ志希。私の失くした発明品を見つけたと聞いたよ。礼を言わせてもらおう』
晶葉――池袋晶葉。ロボット工学に明るい346のアイドルだ。ロボット工学に明るいアイドルなんて結構なパワーワードだと思うけど、そうなんだからしょうがない。ロボというか、メカ全般に詳しくて、志希とは別方向の天才。
志希は「見つけたのはみくちゃんだよ」と晶葉の言葉を訂正してから説明を求めた。「このスイッチ――さっき画像を送ったこの装置、どんな装置なの?」
『あれは暴走したロボットを緊急停止させるために造った装置だ。その装置のスイッチを押すと、周囲の電化製品の一切が機能を停止する』
晶葉はさらっと言った――けど、それって物凄い装置じゃないか? 電灯もスマホも時計も止めるってどんな技術が使われているんだ。
「何それ、電磁パルスでもまき散らすの?」
『原理的にはそうとも言えるが、少し違うな。そもそも電気というのは――』
ここから先の話は、あたしにはさっぱり理解できなかったから割愛。ただただ晶葉の天才っぷりを思い知らされるだけの時間がだいたい5分ぐらい流れた。志希と晶葉は本当にあたしと同じ高校生なのかって疑いたくなる。魔法使いが呪文を唱えているみたいな会話だった。
あたしに理解できたのは、あの装置がスイッチを押すと周囲の電化製品を10分間使えなくする便利グッズだったってことぐらいだ。まあこれだけわかってればいーだろ? 今回は。
『失くして困っていたんだが、まさか盗まれていたとはな。もっとちゃんと管理しておくべきだった。346の地下室にほっぽりだしておいたのが間違いか』
あの装置は、晶葉が研究室代わりに使っている346プロ本館地下の一室に置いてあったみたいだけど、いつの間にかなくなっていたらしい。あの装置から脚が生えて自分で歩き出さない限り(その可能性も結構高いとあたしは思うけど)、誰かが晶葉の部屋から盗み出したと考えるのが普通なんだろう。
ちなみに、横に置いておいた説明書も一緒に消えていたらしい。最悪だ。
「効果範囲はどれくらい?」
『大体周囲8メートルくらいだな。障害物があるとどうなるかわからないが。どちらかというと上方向に強く効果を及ぼす。下方向には弱くてな、1メートル効果が及べばいいくらいだ』
「犯人の特定とかできない?」
『不可能だな。地下室(ラボ)には監視カメラも無い――そうだ、指紋で特定するのはどうだ? 志希、君ならできるだろう』
「拭き取られちゃってると思うけどねえ。まあ一応やってみようか」
指紋の採取ができるアイドルも珍しいよな。
ともあれ、これで停電の原因はわかった。誰かが晶葉の研究室からその装置を盗み出して、今日の午前中に別館でスイッチを押したんだ。電池で動いている時計とか、スマホまで動かなくなったのもその装置がはたらいていたから。とんだオーバーテクノロジーもあったもんだ。志希はその後もちょっと晶葉と会話をかわしながらうんうんと頷き、最後に「ありがとー」って言って通話を切ろうとした。
けどその前に、「あ、そだ」と何かを思い出したように呟く。
「晶葉ちゃん、今日一日ずっと京都にいたの?」
『不在証明か。私はずっと京都にいたよ――『みやこめっせ』という展示場だ。ライラと一緒にMCを担当させてもらった。ロボットのイベントなんだが――』
晶葉のアリバイに不確かなところはなかった。ライラっていうのもあたし達と同じ346のアイドルだ。今日は2人での仕事だったらしい。
志希は通話を切った。みくは袋を机の上に置いたままにしておいた。
「じゃ、再生するよ」と言って志希がPCを弄る。また映像が動きだした。しばらく何も変わらない――志希が早送りをかける。
11時30分31秒。楓さんが首にかけたタオルで汗を拭いながら右奥から現れた。楓さんは練習を途中で抜けたのだ。更衣室に入った楓さんは、大体4分後――11時34分27秒、普段着になって鞄を持って出てきた。
楓さんが犯人じゃないか? と、突然とんでもない考えがあたしの頭の中に生まれた。楓さんならこの時間で卯月の財布とスマホを盗めるのでは……? 楓さんがそんなこと摺る筈ないって何度も考え直そうとするのだけれど、一度生まれたアイデアはもう止まらなくて――あ、いや。
駄目だ。楓さんは犯人じゃない。
「楓さんなら財布とスマホ、盗めたよね」って志希があっけらかんと言った――みんな、いやそれはないでしょうって感じで志希の方を見る。楓さんは精悍な表情で志希を見つめていた。「楓さんがそんなことするわけねえだろ」と拓海が言う。
「人柄とか身分で容疑者から外すのはナンセンスだよ。楓さんが絶対やっていないと言い切ることはできない。現状ではね」
「楓さんは犯人じゃない」
あたしが言った。
皆が一斉にこっちを向く。視線の多さにちょっとビビるけど、でもこれだけは言わなきゃいけない。
「あ、あたし、楓さんの鞄の中身を見たんだ。卯月の財布とか、スマホなんて入ってなかった」
「それ、いつの話?」
志希が訊いてくる。彼女の鋭い眼が、今はあたしに向いている。怖い。
「レッスン終わって、346カフェで鞄を取り違えた時の話だ。あたしが勝手に取り違えたんだ! 今日、楓さんと鞄が同じだったから」
あたしは足元に置いといた自分の鞄を突き出す。
「楓さん、鞄を机の上に出してもらえますか?」
志希の注文に、楓さんは「はい」と言って従った。
同じネイビーブルーの鞄が机の上に2つ出る。よく見ると、あたしの鞄のほうが新しいってわかるけど、でも咄嗟に見たら間違えてしまうと思う。実際、あたしは間違えた。
「楓さんと奈緒ちゃんが346カフェで隣あったのは偶然?」
志希が訊く。あたしはこくりと頷いた。
「奈緒ちゃんは鞄の中を見たって言ったけど、チャックを開けてぱっと見ただけ?」
「いや……、横のポケットも、タオルの入ってるビニール袋の中も探ったよ。中身がすり替わったと思って、パニックになってさ。ごそごそやったんだ」
志希はちょっと黙った後、「そう」と呟いた。
「じゃあ、後は346カフェに行く途中で卯月ちゃんの財布とスマホを別の場所に隠していないことがわかれば、楓さんの容疑は完全に晴れる」
志希は言った。
楓さんは表情を変えなかった。
また映像を再生する。
次に映ったのはあたしと加蓮だ。12時03分19秒。あたし達は何か喋りながら右奥から現れて、更衣室に入っていった。出てきたのは5分後、12時08分27秒。あたし達が更衣室にいる間に、明さんが更衣室前を通る。トレーナーさんの控室に戻るんだろう。彼女は廊下を歩きながら伸びをした。
仮にあたしと加蓮が共犯者だったら、このタイミングで卯月の持ち物を盗むのは容易い。だけどあたし達は
そんなことやっていない。加蓮が盗みを働いているところも見ていない。
誰か何か言ってくるかと思ったけど、誰も何も言わなかった。志希は黙ってスクリーンを見つめている。
「きょーはんの可能性に言及するのは、単独犯じゃ不可能という確信を得てから」
志希が言った。
「奈緒ちゃんは楓さんを庇っているしね」
映像は続く。
12時33分11秒。美嘉と志希を先頭に、アブソリュートナインのメンバーが更衣室にやって来た。談笑してる奴もいれば、いかにも疲れたって表情をしているのもいた。凛は松葉杖をついているけど、普通にみくや卯月を喋っている。ぞろぞろと更衣室の扉をくぐっていく――あ、いや。なんか人数が少ない。
楓さんがいないのは当然として、夕美さんと拓海がいない。
「あれ? 拓海ってどうしたんだ?」
あたしが言った。
拓海は一度もこのカメラの前に姿を見せていない。本当に皆と一緒にトレーニングしてたのか?
「アタシは地下で着替えてたんだ。ほら、大浴場のやつがあるだろ?」
拓海が言った。この建物の地下一階と二階には大浴場がある。B1が女湯でB2が男湯だ。
「トレーニングルームから地下まで、聖さんと一緒に直行したんだよ。ひとっ風呂浴びようと思って。だからこの部屋にも途中から合流したんだ」
そういえば最初、このミーティングルームに拓海はいなかった。人数が多くて気にしてなかったけど、そんな理由があったのか。
「夕美はこの時……トイレだっけ」
凛が夕美さんの方を見て言った。夕美さんは頷く。映像の夕美さんは皆が更衣室に入ってから1分とちょっと経ったくらいに姿を見せて、皆と同じように更衣室の中に消えていった。
「卯月のスマホとかが無くなったのに気づいたのって、わりとすぐだったよね」
美嘉が言った。
「皆で更衣室の中を探したんだけど見つからなかった」
「シキちゃん監督下で、二人一組で探したんだよ~」
志希がへへんと得意気に胸を張って言った。二人一組って……単独犯に隠されないようにってことだよな。ちゃらんぽらんに見えて、周到なやつだ。
みくが「停電スイッチ」を見つけたのはその時らしい。
12時39分55秒、あたしと加蓮、未央とみりあと莉嘉が画面右奥から現れた。
「これ、加蓮ちゃんたちは凛の容態を見に来たんだよね」
周子が確認するように言った。あたしと加蓮は頷く。未央たちもうんうんと何度も首を縦に振っていた。
「あたしたちが入った時、凛が電話をかけててさ。卯月の物が無くなったーって」
それから映像はちょっとの間変化がなかった。この時、あたし達は全員で各々の持ち物検査を行っていた。アブソリュートナインは勿論、あたしと加蓮も、未央たちも。誰も卯月の財布とスマホは持っていなかった。
12時41分35秒、シンデレラプロジェクトのプロデューサーさんと、あたし達トライアドプリムスのマネージャーさん、トレーナーの明さんが画面に映った。マネージャーさんが一歩進み出て更衣室の扉をノックする。夕美さんが顔を出して、何かをマネージャーさんに言った。夕美さんが引っ込んで扉が閉まる。12時45分29秒、あたし達は更衣室から出てきた。さっきあたしたちが体験した光景だ。プロデューサーさん達が来たのは凛が呼んだからだし、特に変わったものは映っていない。
全員出てきたところで、映像が止まってスクリーンが暗転する。
「他のも見てみようか」
志希が言った。
他の映像。別館に設置されてるカメラは2階更衣室前以外に、地下の更衣室前、一階入り口、エレベーター。そして何故か8階渡り廊下前。
地下2階の映像には誰も映らなかった。8階渡り廊下前の映像も。この2つのカメラは晶葉の「停電スイッチ」の範囲外にあったらしく、更衣室前のカメラにあった10分間の空白が存在しなかった。
つまり、今日に限って言えば地下2階の更衣室は誰も使わなかったし、8階の渡り廊下は誰も通らなかった。
地下1階のカメラには9時43分01秒、拓海の姿が映った。ジャージ姿。運動部の男子が持ってそうな、でっかい鞄を抱えている。更衣室に入った拓海は、数十秒後、タオルと水筒を肩にかけて出てきた。
地下1階もスイッチの効果範囲外だったようだ。11時10分を過ぎても、映像は飛ばなかった。
12時33分58秒、さっき拓海が言った通り、拓海と聖さんが2人そろって地下1階のカメラに映る。聖さんは風呂道具が一式入った桶を抱えていた。
時刻が12時45分を超えた辺りで志希は映像を切った。
「何時までお風呂にいたの?」
志希が拓海に訊く。
「さあ……そんなに長風呂はしてねーけどな。15分くらいか?」
「どっちが先にあがった?」
「アタシだ。多分、アタシのが5分くらい早かったと思うぜ」
「事件を知ったのはいつ?」
「風呂あがって更衣室出てスマホ開いた時だ。ウチの――炎陣のPから、『4階のミーティングルームに集まっといてくれ。ニュージェネの島村さんが盗難被害に遭ったらしい』ってラインが来た」
拓海はスマホをいじってその文面を皆に見せた。
あたし達に待機命令が出て、このミーティングルームに押し込められて、大体10分ぐらい経ったころに拓海が来た……気がする。あたしの感覚だから、正確ではないと思うけど、まあそんくらいだ。
次に、志希は別館1階の映像を流した。
朝の7時28分41秒、別館の管理人さんがやって来てビルの正面入り口が開く。別館の出入り口を開錠した管理人さんは、入口横の事務室の扉を開けて中に入った。
「別館ってこの正面口以外に出入り口って無いの?」
周子が誰にともなく尋ねる。この問いには志希が答えた。
「裏口が一つあるよ。でもそっちは施錠されてて、鍵は管理人さんが持ってる。合鍵とか、壊して侵入とかは現実的じゃないね。うちの警備体制がけっこうしっかりしてるってのはさっき言った通りだし、壊された形跡があったらさっきプロデューサーさんたちが教えてくれている筈。なんせあたしはこの映像を、『みんなの無実を確認したい』って言って借りたんだからねえ。裏口がどうなってるかなんて、あたしの有能なプロデューサーさんなら真っ先に確認してるだろうし。外部犯だった形跡があったらあたし達アイドルにそれを教えてくれないわけない。自衛の為にもね」
志希の言っていることはもっともだ。
午前8時31分37秒、明さんと聖さんが別館に入ってくる。
8時48分03秒、あたしと加蓮が別館に入ってくる。
9時27分32秒、楓さんが別館に入ってくる。
9時41分45秒、夕美さんが別館に入ってくる。
9時42分36秒、拓海が別館に入ってくる。
9時43分17秒、周子が別館に入ってくる。
9時44分57秒、美嘉が別館に入ってくる。
9時55分01秒、みくと凛と卯月が別館に入ってくる。この時、よく見ると卯月の右手にスマホらしき物が握られていた。
「これスマホ?」と夕美さんが卯月に訊く。
卯月は「は、はい! 時間が気になったので、画面を点けたんです!」と答えた。
9時56分12秒、卯月が走って外に出て行く。その3分後、卯月が戻ってくる。
10時20分12秒、事務室の扉が開いて管理人さんが出てきてカメラ外へフェードアウト。トイレかな。
10時21分35秒、管理人さんが戻ってくる。
11時01分03秒、志希が別館に入ってくる――別館に入ったところで、志希は立ち止まった。数秒後、聖さんと拓海に支えられた凛の姿が画面に映る。凛は右足が裸足で、聖さんが片手で靴を持っていた。
「医務室に行く時だな」
拓海が言った。
「1階から医務室に向かったんだ」
加蓮が呟く。
ちなみに、医務室は本館の1階奥にある。
11時01分36秒、志希が画面から消える。2階の更衣室に向かったんだろう。
11時8分42秒、再び凛たちが現れる――外から別館に戻ってくる。凛は右足に白いテープを巻いて、松葉杖を突いていた。
するとシンデレラプロジェクトのプロデューサーさんが画面手前側――階段側から現れた。
「あ、プロデューサーさんだ」
みりあが言った。
「P君来てたの?」
莉嘉が美嘉を見て訊く。
「うん。聖さんから凛の怪我の連絡受けたらしくて、飛んできたよ。もっともその時もう、凛は医務室に行ってたけど……」
「だから別館の1階にいたんだろ。医務室から帰ってくる途中でアタシらと鉢合わせたんだ」
「この後、4人まとめてエレベーターに閉じ込められるんだよねー」
周子が言った。時刻はあと30秒で11時10分。凛を支えながら画面から消えた一行は、これから運悪く停電に遭うのだろう。
「聖さん閉所恐怖症の気があるらしくてな、珍しく弱ってたよ」
拓海が言った。まあ、真っ暗だったし、10分も閉じ込められたらあたしだって泣くと思う。
1階のカメラの映像も停電の被害に遭うことなく、11時10分から20分までも普通に記録できていた。
11時11分36秒、画面に明さんが現れて事務室の窓口に何か喋りかける。しばらくして、管理人さんが事務室の扉から手に鍵を持って出てきた。そして2人は画面外に消える。電気室を見に行くんだろう。
11時16分50秒、2人が再び画面に戻る。明さんが管理人さんに何やら頭を下げて、管理人さんの方は「いやいや」というふうに右手を振って、頭を下げ返して恐縮している。管理人さんを連れ出して電気室を開けてもらったことに対するお礼と、停電の原因がわからなかったことに対する謝意だろうか。
「明さん、階段通ったんだよな。誰か変な人影を見たとか言ってなかったか?」
拓海があたしの方を見て訊いてきた。「いや……特には」あたしは答える。
「そうか……」
11時20分43秒、明さんがまた画面に映る。確か、彼女は電気が復旧したことを管理人さんに伝えにいったのだ。
「明さんが犯人だとしたら」
志希が呟いた。
「そんな時間は無かったと思うよ。明さんが私たちのトレーニングルームに戻ってきて、大体2分後ぐらいに電気が点いたから」
加蓮が言った。
「晶葉のスイッチだって、明さんは持ってなかったと思うぜ。停電した時、明さんはあたし達の目の前にいたけど、そんな物を押したような素振りは無かった」
あたしが言った。明さんには随分お世話になってるんだ。犯人扱いしてもらいたくはない。
「スイッチを押すだけなら、何らかの時限装置を仕掛けて何とでもなりそうだし、スイッチを押した人がイコール犯人とも断定できないんだけどねえ……、でもちょっと時間が足りないか」
志希が言った。
明さんが1階のカメラから消えたのは11時17分13秒。階段を駆け上がるとして、1階から4階まで急いでも20秒はかかる。2階更衣室に寄るとすると移動時間はもっとロスがあるだろう。あたし達は明さんが戻ってきてから2、3分で電気が点いたと思っている。実際はもっと短かったとしても、時間が足りない気がする。
よしんば卯月の物を盗むだけの時間はあったとしても、全員のダイヤルを0424に合わせる時間は無さそうだ。
11時34分48秒、楓さんの姿がカメラに映る。2階更衣室前のカメラから消えてからおよそ20秒。更衣室前、階段、別館1階――財布とスマホを隠せるような場所は無い。
12時39分25秒、あたし、加蓮、未央、みりあ、莉嘉が外から別館に入ってくる。
そして、12時45分を超えた辺りで志希はまた映像を切った。
別館1階の映像は、特にあたし達に新しい手がかりをもたらしてはくれなかった。それどころか、この中に泥棒がいる可能性を更に強くしてしまった気がする。
今日、卯月の被害が発覚するまで、1階の入り口から別館に足を踏み入れたのは、トレーナーさん2人と管理人さん、シンデレラプロジェクトのプロデューサーさん、あたし達トライアドプリムスのマネージャーさん。そしてこの部屋にいるアイドルだけだった。
「まあ、土曜日だからねえ……」
美嘉が複雑な表情で言った。
本館の方は346の社員もそれなりにいたらしい――午前中に会議が2つあって、それに出席する人は出社していたって、さっきマネージャーさんが教えてくれたけど、別館のオフィスは本日休業。容疑者はかなり絞られた。
「5階の渡り廊下があるじゃん。あそこからなら、別館の1階にいた人以外でもこっちにこれるでしょ」
凛が言った。
確かに、本館から5階の渡り廊下を通ってくればあたし達以外でも別館に侵入できるけど――事実、プロデューサーさんやマネージャーさんはこのルートで来たのだろう。だけど、外部犯がそのルートを通ってやってくるかと言うと……だいぶ不自然だ。
梯子をかけて2階から侵入っていうのも一瞬思い浮かんだけど、梯子の調達方法がわからないし、「目立ちすぎるだろ」ってツッコミが入る。
志希は他の映像も再生した。エレベーターのカメラ、346カフェのレジを映したカメラ、本館1階のカメラ、守衛さんがいる346正門、裏門のカメラ――だけど、新しい収穫は無し。これまでの証言を補強するだけだった。
ああ、346カフェのカメラには、カフェに入ってくる楓さんの姿が11時35分37秒に映った。別館から直でカフェに行ったことの証左だ。楓さんの容疑がまた少し晴れた。
「状況を整理してみようか」
志希が言った。
「卯月ちゃん、自分の財布とスマホを最後に見たのはいつ?」
「え、ええと……どちらも、更衣室でです。ポケットから出したスマホとお財布を、ロッカーの中に置きました」
「自分のスマホと財布がなくなっているのに気づいたのは?」
「更衣室に帰ってきて、ロッカーを開けた時です――あの、鍵がかかってなくて……、みくちゃんがかけてくれたのに、おかしいなって思って、開けたら、かばんの手前に置いてたお財布とスマホが……なくて」
うんうんと大きく頷く志希。
「事件は更衣室の中で起きた。これは確定。異論ないよね?」
誰も何も言わない。
「犯人が誰であったにせよ、そいつは必ず更衣室に入った。停電の間に犯行があった可能性が高いけど、それ以外の時間でも犯行は可能だった。停電時以外で卯月ちゃんの財布とスマホが置かれた更衣室に入ったのはあたし――一ノ瀬志希、加蓮ちゃんと奈緒ちゃん、楓さん、凛ちゃん、みくちゃん。あたしは誰もいない時に一人で更衣室に入った。楓さんもあたしと同じ。加蓮ちゃんと奈緒ちゃんは2人同時だけど、共犯なら可能性がある。凜ちゃんは卯月ちゃんが財布とスマホをロッカーにしまった後、1人になった。みくちゃんは卯月ちゃんのロッカーを代わりに閉めた」
あたしは少し怖くなった。楓さんはあたしが「鞄の中を見た」ってアクシデントがあったからほとんどシロだ。志希も、更衣室にいる時間が短すぎて盗みを働けるとは思えない。凛とみくは怪しいけど、後から来たはずの「志希のロッカーのダイヤルも0424になっていた」って事実が2人を容疑者から外す。
あたしと加蓮はお互いの無実を主張できるけど、2人が共犯だったって言われたら何も言い返せない……。
志希の語りは続く。
「停電時に犯行があった場合、犯人は勿論、停電時のアリバイが無い人ってことになる。さっき、本館にいた人はその時間全員アリバイを証明できるってプロデューサーさん達が言ってたよね。今日本館に出社していた美城の社員は、午前中に予定されていた2つの会議に出席する筈だった人だけで、その2つの会議は、停電があった時間どちらも行われていた。楓さんのプロデューサーさんも、トライアドプリムスのマネージャーさんも、今西部長も、美城専務も、他の人も、みんなどちらかの会議の部屋にいた。
停電時、別館にいたことがわかっているのは15人。まず、管理人さんは事務室にいたことがカメラの映像でわかっている。明さんに呼ばれて外に出たけど、外にいる間はずっと明さんと一緒にいただろうから犯行は不可能。明さんには空白の時間があるけど、更衣室のロッカーをしらみつぶしに荒らせるほどじゃない。聖さん、拓海ちゃん、凜ちゃん、凛ちゃん達のプロデューサーさんはエレベーターの中に閉じ込められていた。奈緒ちゃんと加蓮ちゃんは4階のトレーニングルームにいて、お互いのアリバイを確認している。3階のトレーニングルームも似たような状態だったけど、あの時2人ほど姿を消した人がいたよね」
志希はとある人物の方を向いた。その人物以外のアブソリュートナインのメンバーは志希の言葉ですぐに察しがついたみたいで、彼女の方に注目する。彼女は緊張していた。顔をこわばらせていた。
「美嘉ちゃん。トイレにしては少し長かった気がするんだけど」
志希が言った。
視点・北条加蓮
「凜ちゃんが怪我して、聖さんがそれに付き添って行ったから、練習が一時止まったんだよね――あたしは来たばっかりだったからよくわかんなかったけど、とにかくちょっときゅーけーしようって話になった。その時トイレに立ったのが周子ちゃんと美嘉ちゃん。これは覚えてるよ。停電の直前だったよね。聖さんから言い渡された練習メニューが終わって、はい休憩ってなって、美嘉ちゃんと周子ちゃんはトレーニングルームから出ていった――美嘉ちゃんが先に出て行って、それから30秒ぐらい後に周子ちゃんが出て行った。これはみんな覚えてるよね? うん、覚えてる。んで、周子ちゃんが出てってちょっと経った頃に停電。合ってるよね? 部屋が暗くなってすぐに周子ちゃんは戻ってきた。でも美嘉ちゃんが戻ってきたのは、停電して5分ぐらい経ってからじゃなかった?」
「お、お腹の調子が悪かったの! 別にやましいことなんてないから!」
美嘉は憤慨して言った。
怒れる美嘉は猛々しかったけれど、その暴れ方はどこかぎこちなかった。
「美嘉ちゃんはふつーにトイレだったと思うよ? 停電になった時、何かゴトッて音が隣の個室から聞こえてきたし」
周子が美嘉の援護に回る。だけど志希は鋭い眼つきを崩さずに「美嘉ちゃんが個室に入ったの見た?」と周子に問うた。
「いや……それは見てないけど」
「声とかは聞いた?」
周子は微妙な表情をして首を横に振る。
「周子ちゃんがトイレに入った時、隣の個室の鍵はかかってた?」
「うん。かかってた。間違いない」
さっきの証言が不発に終わったのを気にしているのか、周子は力強く断言した。
だけど、それだけじゃ……。
「ふうん……」
志希の視線はまた美嘉に戻る。心なしか、その瞳に籠められた疑いの意味合いが、さっきよりも強くなっている気がした……いや、うん、それは多分、私もだ。
皆美嘉を見ていた。
「ちょっと待ってよ! アタシは本当にトイレにいたの!」
誰も何も言わない。
「さっきアタシたち持ち物検査したでしょ。卯月のものが無くなったって時点で、更衣室閉めて検査したじゃん。持ち物だって……アタシは卯月の物なんて持ってなかった! ねえ、みんな知ってるよね!? アタシ、アタシは違うから!」
美嘉の顔は青ざめていた。呼吸も乱れている。
美嘉以外、誰も何も言わない。皆無言で美嘉を見つめていた。皆の視線が、美嘉の精気を吸っているみたいだった。
「何……? 何でみんな、何も言わないの……?」
何も言わない……そうだ。
何も言えないんだ。
美嘉を庇う武器を、私たちは持っていない。
ゆっくり、弱弱しく首を振りながら「違う……」と呟く美嘉。
「違う、アタシじゃない、アタシじゃない……!」
美嘉の目元にうるっと涙が溜まったところで、「お姉ちゃんは犯人じゃない!」と叫ぶ声があった。
皆そっちを見る。ここに集まっているアイドルの中では、二番目に背の低い彼女を。
莉嘉ちゃんは震えながら、でもしっかり皆を見据えていた。
「お姉ちゃんはそんなことしない……! 何でお姉ちゃんを疑うの!?」
誰も何も言わない。今度のそれは多分、気まずさとか後ろめたさから来る沈黙だった。
「お姉ちゃんを疑う前に、アタシを疑ってよ! 本当はアタシが犯人なの! みんな騙されちゃって、ばっかみたい!」
「莉嘉!」
とうとう自分が真犯人だと名乗り出した妹を姉が叱咤する。
「やめなさい。そんなこと言っちゃ駄目」
「お姉ちゃん、でも――」
「アタシは大丈夫だから」
美嘉は笑った。
美嘉は強く笑った。
「ありがとう」
それこそ嘘だ。強がりだ。美嘉の声は震えている。自分が犯人にされてしまうんじゃないかって恐怖で今にも圧し潰されそうになってるのが私にもわかる。
「美嘉がこんなことする筈ないよ」
気がつけば、私の口からそんな言葉が出ていた。
「美嘉は犯人じゃない」
断言する。根拠なんて無いけど、それだけはわかる。
志希が私の方を見た。彼女の黒い瞳が私を射抜く。
「美嘉ちゃんは犯人じゃないよ」
私以外にも美嘉の無実を主張する声があった。
夕美さんだ。
「少なくとも、トイレに行ったっていうのは本当だと思うな」
「……どうしてそう思うんですか?」
志希が訊く。感情を殺した声だった。
「証拠があるから」
夕美さんは言った――だけど、それ以上は何も言わなかった。何だ? なんで夕美さんはそれ以上の情報を言わないんだろう。
「どんな証拠ですか? 口に出してもらわないと、志希ちゃんわからないんですけど」
志希に訊かれて、夕美さんは美嘉の方を見る。夕美さんに見つめられた美嘉は――美嘉も何が何だかわかっていないみたいで、不思議そうに首を傾げた。夕美さんは困った表情になった。何かを言いたそうなんだけど言えない、みたいな……。その時、美嘉が「ああっ!」と声をあげた。
「いい?」
夕美さんが美嘉に問う。美嘉は「えっ? あ、いや、え? 本当ですか!?」と、逆に夕美さんに何かを訊いた。夕美さんはこくりと頷く。残念そうというか、気の毒そうというか、不思議な表情だった。なんでだろう。犯人じゃない証拠があるんなら、喜ぶのが普通なんじゃないだろうか。
「――ぷっ、あっはっはっはっはっはっは! え!? ホントですか!?」
唐突に志希が笑い出す。志希には意味がわかったらしい。美嘉が慌ててる。「ちょ、志希! 笑うな!」
「あはは、いやごめんごめん! まあ仕方ないんじゃない? いきなり停電になってパニくってたんでしょ? そういうこともあるって」
美嘉は恨めしそうな表情で志希を睨む。だけど私にはまだ何が何だかわからない。なんなんだろう? 美嘉の容疑はどうして晴れたんだ?
「もしかして美嘉ちゃん、流し忘れたん?」
……。
「美嘉ちゃんの後に3階のトイレ使ったの、夕美さんだよね」
ああ……。
……ああ。なるほど。
周子の発言は、志希が笑い出した理由とか、夕美さんが躊躇してた理由とか、何で美嘉が慌ててたのか――とか、美嘉への疑惑とか、この場の雰囲気とか、色々なものを一度に破壊したんだけど、何より粉々に砕け散ったのは多分、美嘉のプライドだった。
「いやああああああああああああああああああああ!!!!」
「そういえばお姉ちゃん、最近便秘気味だって言ってたね」
「いやああああああああああああああああああああ!!!!」
「停電にパニクって流し忘れかあ。まあ、ありえない話じゃないかな」
「ま、待って! 違う! 違うから!」
「違ったらまずいだろ。美嘉、お前いま結構危ない立場なんだからよ」
「夕美さん、それ、どれくらいの量でした? ってか流しちゃいました? モノによってはアリバイにならないかもしれないんで、確認したいんデスケド」
「うああああああああああああああああああああ!!!!」
「あ、そーですか。流そうとしても流しきれなかったくらいの量。まだ残ってると思う? うひゃあ」
「あああああああああああああああああああああ!!!!」
「ああ良かった、美嘉ちゃんの無実が証明されて。美嘉ちゃん、運がついていましたね」
「あああああああああああああああああああああ!!!!」
美嘉は机にバタンキューと突っ伏した。
「ブツが別人のものって可能性はないのか?」拓海が訊く。
「大便なら腸内の細胞が付着してるから、DNA鑑定もやろうと思えばできるよ。まあ、わざわざ本館から別館3階のトイレを使いに来る人はいなかっただろうし、この中で美嘉ちゃんより後に3階のトイレ使った人も夕美さん以外にいないから、ほとんど美嘉ちゃんので確定だよね」
死体蹴り。美嘉は顔を伏せて何やら唸っていた――しばらくそうしていたけれど、やがてゾンビみたいに起き上がって席を立つ。
「どこいくの?」
周子が尋ねた。
「3階のトイレ」
美嘉の眼が「何しに行くかは訊くな」と言っていた。
「あ、そだ。ついでに莉嘉ちゃん達のアリバイも聞いとこうか」
自分の鞄から取り出した何かの検査キットを美嘉に放り投げながら志希が言った。
「まず、今日はなんで346に来たの?」
「莉嘉ちゃんと遊ぶ約束してたから!」
みりあが言った。
「ずっと部屋で遊んでたよ! 宝探ししたり、トランプしたり、将棋したり! 未央ちゃんが奢ってくれたジュース飲んだりした!」
「途中から外に出たでしょ」
莉嘉が訂正した。
「私はしまむーと午後にどっか行こうって計画しててさ。午前中はシンデレラプロジェクトの部屋に行けば誰かいるでしょって思って、入り浸ってた」
未央が言った。
「なるほど」
志希は卯月の表情を見ながら頷く。
「外に出たのは何時くらい?」
夕美さんが訊いた。
「12時くらい……?」
「もうちょっと前じゃない? そんなにお腹空いてなかったし」
「そうかも。12時より前くらい!」
「本館一階のカメラに3人が映ってたじゃん。11時45分くらいに、外に出てたよ」
志希が言った。そういえばそうだった。みりあと莉嘉が元気よく表に飛び出して、それの30秒ぐらい後に未央が走って2人に追いついていた。
「じゃあ、今日はずっと3人一緒にいたわけだな」
拓海が確認するように言う。
「……あー、私一回5分ぐらい抜けたんだ」
おずおずと未央が手を挙げた。志希が食いつく。
「一回っていつ、何で?」
「ジュース買った時?」
「いや、ジュースは一緒に自販機前まで行ったから、3人ゴエツドーシュー。それより後。で、ええといつだったっけ……美嘉ねえと同じで、ちょっと長めのトイレにさ――宝探しごっこの後だったかな?」
未央は莉嘉とみりあの方を見た。「うん。そーだった」とみりあ。
「アタシ覚えてるよ。11時18分!」
莉嘉の言葉を聞いて、私は思わず「えっ」と言ってしまった。
停電の時間。
「莉嘉ちゃんはどうしてそれを覚えていたの?」
夕美さんが優しく訊く。「宝探しは制限時間でやってたから。時計をよく見てたんだ」と莉嘉は答えた。
「未央ちゃん、部屋出る時お腹抱えて唸ってたよ!」
「ちょ、みりあちゃん、あんま言わないどいて」
未央が頬をかきながらみりあを制した。未央にも羞恥心はあるらしい。
11時18分……停電が終わるまで2分。2分あればシンデレラプロジェクトの部屋――本館の地下室と別館の2階更衣室を往復できる。できる――けど、5階の渡り廊下しか経由できないとなると、往復だけで時間切れになってしまいそうだ。
ああいや、往復はしなくていいのか。更衣室のカメラから映らない場所まで移動できれば――んん、それでもちょっと無理があるかな。明さんや志希と同じで、犯行に充てられる時間は無さそうだ。
そんなことを考えていると、部屋の扉がガチャリと音を立てて開いた。美嘉が戻ってきたのかと思ったけど違った――あ、いや、美嘉もそのタイミングで部屋に戻ってきたんだけれど、美嘉以外でミーティングルームに入ってくる人がいた。
卯月たち、シンデレラプロジェクトのプロデューサーさんだった。
「失礼します……島村さん、申し訳ないのですが、一緒に来ていただいてもよろしいでしょうか。美城専務がお呼びですので」
彼は一同を見渡して卯月を見つけると言った。
「え、はい」
卯月が立ち上がり、皆の椅子の後ろを歩く。プロデューサーが開ける扉を潜る前、彼女は不安そうにこちらを見た。
「では、申し訳ありませんが、皆さんはここでもうしばらく待っていてください。まもなく解放されると思いますので……」
彼はそう言ってこちらに頭を下げると、静かに扉を閉めた。
少しの間、部屋の中が静かになる。
しばらくして再び扉が開き、誰かが入ってくる。
卯月と美城常務だった――あ、いや、役職が上がって今はもう美城専務か。
美城専務の様子は普段と変わらなかった。卯月の様子は――……とても描写しづらい、微妙な表情をしていた。私の語彙力じゃ上手く表現できない。ただ一つ私にも言えるとすれば――その時の卯月の顔に、笑顔は無かった。
「長く待機させてすまなかった。皆、今日のところは帰宅してくれて構わない。ご苦労だったな」
「帰宅……って、え? いいんですか? 何か話とか聞かないんですかね」
周子が言った。美城専務は僅かに頷く。
「ああ」
「犯人が見つかったんですか?」
志希が訊く。美城専務の視線が志希に向けられた。
「君たちが知る必要はない」
「質問なんですけど、美城専務は今日どこで何をやってたんですか?」
美城専務の圧を無視して突っ込む志希――専務はため息をついた。
「探偵ごっこは終わりだ」
「今日は会議が2つあったらしいですね。そのどっちかに出席されてたのは知ってるんですけど、どちらに出席なされてたんですか?」
「しつこいぞ」
「渡り廊下前の会議室で行われていた会議に出られていたとすれば、誰かを目撃したりしていませんか?」
専務は口をつぐんだ。何かを考えているようだった。けど何を考えているのかはわからない。しつこく食い下がる志希にお怒り? だとすると、志希の立場が危うくなるんじゃ……、
「『5階渡り廊下前の会議室』が第4会議室のことを指しているのなら、確かに私はそこにいた」
専務は言った。
意外にも彼女は証言をしてくれた。一ノ瀬志希というアイドルは、力で押さえつけるよりもある程度の餌を与えた方が御しやすいことを知っていたらしい。
「会議中は部屋の外の様子になど気を払っていない。故に、大した証言はできない――ただ、会議の休憩時間に関してなら多少は物が言える。少なくとも武内君が別館に行って返ってくるまでの間、5階の渡り廊下を往来する人間はいなかった」
ああもう後戻りできねえ