すぐ間近の床が叩き壊された音に、ハーマイオニーは絶望感と恐怖を募らせた。ついさっきまでその場所にいたマーガレットがどうなってしまったのか、恐ろしくて確かめられなかった。目を瞑って蹲ったまま動けない自分は格好の的だろう。きっと次は自分の番なのだ。同じ様に棍棒が振り下ろされるに違いない。そう思って、いよいよ絶望した時だった。
「──アグアメンティ!!」
絶対に死んだと思った。それも原型を留めないスプラッタな死に方をしたと私自身が思い込んでいた。何せ私の真下の床は粉々になっているのだから、普通に考えたら私は無残なミンチになっていても何らおかしくはない状況だろう。それこそ、私が
だから、我に返った時に無傷の五体満足だった事に気付いた時、逆に呆気に取られてしまった。一瞬、ゴーストにでも化けたかと思ったが、至って健康な生身の肉体だ。
(あ、あれ?私、生きてる……?というより貫通した……!?)
何が起きたのか全く理解出来ていなかったが、茫然自失になっている場合じゃなかった。何故か私ではなくハーマイオニーの方が標的になってしまっている。ほとんど一か八か、前に教科書で見た事のある呪文をトロールに向かって叫んだ。
どう見てもぺーぺーの一年生の魔法なぞ雀の涙にもならない抵抗だろうがやらないよりマシ、という感じで叩きつけた咄嗟の魔法だったが、運は私を見捨てなかったらしい。私の杖は買った時から水に対してやたらと親和性の高さを垣間見せていた。そんな中で一切コントロールするつもりもなく唱えた水の魔法。しかも今いる場所は、破壊された洗面台というか水道から水が溢れ続けている。
その結果、何が起こったのか。とてもシンプルだ。
圧倒的な水量で、物理的にぶん殴る。以上。
たかが水、されど水。その質量と圧力を甘くみてはいけない。
私の渾身の一撃は思いがけず水壁と化して、さながら石盤でも叩き付けるかの如く力任せにトロールの頭へとぶちかました。流石にそのまま一発ノックダウンとまではいかなかったものの、怯ませて私達から意識を反らさせるには十分だった。
「こっちに引き付けろ!」
「やーい!ウスノロ!」
ちょうど良いタイミングで助けに来たと思われる男の子達が転がり込んで来た。二人が落ちている物を手当たり次第投げ付けている間に、もう一人が上手く死角を通って私達の方に駆け寄ってきた。
「二人とも無事ですか!?」
レイの顔を見て思わず脱力して泣きそうになったけど、何とか堪える。ハーマイオニーも未だに真っ青だったものの、震えながら気丈に頷いていた。今の私達ではこれ以上の対抗はかえって危険なのは分かっていたから、とにかく物音を極力立てない様にしつつ脱出を試みるものの、膝が震えて上手く立てそうにない。
そうこうしているうちに、トロール相手に時間稼ぎしていてくれた二人が奇跡的な立ち回りの後、見事にトロールをぶちのめした。決定打は浮遊呪文。全く思い付かなかった。
飛び込んで来たのは、レイを含めてグリフィンドールの子達だったらしい。一人は名前が分からないけど、もう一人は日々噂に登場しているハリー・ポッターだった。
(初対面の筈なんですけど、やっぱり見覚えあるような……)
私が首をひねって考える傍ら、各々が安堵の雰囲気に包まれていた。が、唐突にハーマイオニーはハッと私の方を見てパタパタと全身を確認し始めた。男性陣が若干呆気に取られているが、彼女は至って真剣そのものだ。
「マーガレット、あなた怪我は無いの!?さっき明らかに直撃していなかった!?」
直撃と聞いて、周りも一気に青ざめた表情で私を見る。かくいう私は、奇跡の謎回避で無傷だ。
「いえ……勢いでも余ったのか、床を砕いただけで私は無傷ですので大丈夫です。何が起きたのか分かりませんが──」
私の言葉は、血相を変えて猛然と飛び込んで来た先生方の登場によって、そのまま飲み込まれた。……トロールを見てへたり込んだクィレル先生はともかく、いや防衛術の先生がそれで良いのかという思いだが、何よりもマグゴナガル先生、スネイプ先生、両名の雰囲気が非常に恐ろしい。
スネイプ先生は無言のままトロールの検分を始め、マクゴガナル先生が私達を険しい表情のままその場にいる全員を睥睨してから口を開いた。
「一体全体、あなた方はどういうつもりなんですか」
冷静に激怒するとはきっとこの事に違いない。非常に怖い。
「殺されなかったのは運が良かった。ミス・ノリスが取り残されているとは確かに聞いていましたが、グリフィンドール寮にいるはずのあなた方まで、どうしてここにいるんです?」
誰もが上手く言葉が出て来ない中、一番冷静だったレイが説明しようとした。けれども、それよりも早く口を開いたのはハーマイオニーだった。
「あの……先生。聞いてください。三人は私を探しに来たんです」
男子二人組は絶句した様にハーマイオニーを見ていて、レイは事情を知っているのか静観の構えを見せた。だとしたら、同級生とのゴタゴタがあったらしいという事以外何も分かっていない私は余計な口出しをしない方が良いのかもしれない。
「私がトロールを探しに来たんです。本で読んでトロールのことはよく知っていたので、一人でも勝てると思って……。もし、三人が私を見つけてくれていなかったら、私は死んでいました。たまたまこの女子トイレに居合わせただけのマーガレットまで巻き込んでしまって……。結局私が震えている間にマーガレットが水を叩き付けて、ハリーがトロールの気を引いて、レイモンドが私達を庇ってくれて、ロンがトロールを気絶させてくれました」
いやいや、私に関しては本当に不幸な事故みたいなものなのだから、グリフィンドールの方々はともかくわざわざ私の事まで責任を追う必要なんて無い。思わず口を挟もうとしたら、レイに目線で制された。釈然としないが、それで良いらしい。
「ミス・グレンジャー、何と愚かしいことを。ましてや自分のみならず、他人の身まで危険にさらすとは。グリフィンドールから十点減点です!あなたには失望しました」
厳しい言葉にハーマイオニーは項垂れていた。
本当にこれで良いんだろうかと思っていたら、私達を一通り見回したマクゴガナル先生は静かに話を続けた。
「あなた達は運が良かった。しかし、大人のトロールと対決できる一年生はそう居ません。グリフィンドールとレイブンクローにそれぞれ15点ずつ与えます。レイブンクローに関してはミス・ノリスだけではなく、友人が取り残されている事を教員と監督生へ真っ先に伝えてくれたミス・フォーセットとミス・パークスの的確な判断の分も一緒に加点しています。二人ともあなたの事をとても心配していました。戻ったら忘れずにお礼を言うのですよ」
「はい」
「全員怪我は無いですね?ミス・ノリス、レイブンクローの監督生達があなたを迎えに来て廊下で待機していますから、彼らと一緒に戻ると良いでしょう。グリフィンドールのあなた方も速やかに寮に戻りなさい。パーティーの続きを寮で行っています」
どうやら、これで一件落着の運びとなったようだ。……本当に、誰一人として怪我せずに済んで良かった。
「助けてくれて、ありがとうございました」
寮に戻る前にお礼を言わねばと一声掛けると、近くにいたポッター少年が私の方を振り向いた。こう間近で見ると、私と同じ緑色の瞳が印象的な子で、噂に聞くよりもずっと大人しそうだった。
「あ……君も、ハーマイオニーも怪我していなくて良かったよ」
気を付けて戻ってね、という言葉に私も頷きつつ、皆さんもお気を付けてと返した。ハーマイオニーにも一声掛けようかと思ったけど、赤毛の男の子と何か真剣そうに話していたから、雰囲気的に今は良いと判断した。
砕けた床を見つめていたレイが、私の方を物申したそうな視線を寄越す。言わんとしている事は概ね予想が付いた。うん、私もこれに関しては要相談案件だと思っている。
廊下に出ると、七年生のロバート先輩と五年生のペネロピー先輩が待っていてくれた。二人とも私を見るや否やほっとした様に息をついていた。
心配と迷惑を掛けた事を謝ると、ロバート先輩は無事で何よりと言いながら土埃で白っぽくなっていた私のローブを魔法で綺麗にしてくれて、ペネロピー先輩にはさっきのハーマイオニーと同じく怪我が無いか一頻り確認してから抱きしめられた。……途端に再び泣きそうになったのは内緒だ。
寮に戻ると入り口でうろうろしていたアミーとサリーに飛び付かれる。助けを呼んでくれた事のお礼を言ったら、アミーに怒られ、サリーに泣かれた。ここに来て、辛うじて持ちこたえていた私の涙腺があっさり陥落したのは、完全に不可抗力である。
◆
トロール騒動、もといハロウィンの翌日。
私はレイと図書室の人目に付きにくい席にて昨日の件について話していた。案の定というか予想通りと言うか、やっぱりレイはハーマイオニーの言っていた「直撃」という言葉と、見事に叩き割られた床から「貫通」疑惑に行き着いていた。
単に見た目が透明になるのと、物質的に透明になるのでは、正直言って雲泥の差がある。
「……で、メグ。実際のところはどうなんですか?」
「多分、
「やっぱりその結論になりますよね……まさか
「ただでさえ圧倒的な情報不足で暗礁に乗り上げているというか、煮詰まっているというのに、昨日の一件で
「とりあえず、『透明になる』という能力の定義や意味合いから考えてみましょう」
そう言うと、レイは羊皮紙にサラサラっとメモを走り書きしていく。どうでも良いが、単なるメモでも抜かりなく達筆だ。しかも羽根ペンを普通に使いこなして、滑らかとは言い難い羊皮紙で流麗な文字を書けるのだから羨ましい限りだ。……私?余りにもペン先の脆さにストレスマッハだったから、潔く諦めて授業中以外は万年筆を使っていますが何か?イリジウム最高。ブラボー白金属。
まぁ、そんな脱線したペン談義は置いておくとして。
レイは簡単に透明化の本質とは何かという考察を纏めていた。簡単なメモも付いていて、言語化すると思いの外イメージしやすい。
考え得るパターンとしては大まかに四つに分かれるようだ。
①隠蔽(目眩まし術、透明マントと同義)
②幻惑(マグルの応用光学に近い技術)
③透過(一時的に肉体を透過する素材に変えている)
④消滅
「……
「昨日ので完全にその二つは崩れたという事ですね……いくら目視不可能と言えども、そこに本体がある限り、魔法を受ければ効果が現れるし、物理的にも触れられますから」
「そうなると、肉体を霧にでも変化させていたり、とかですかね?空気中の水分子でカムフラージュしているって可能性はあると思います?そうなると私は一時的とはいえ、主成分不明の謎物質に変身しているって事になってしまうので、余り嬉しくないんですけど」
うっかり脳裏で想像してしまったスライム状の生命体擬きに化けている自分のイメージを、可及的速やかに頭から追放する。それはちょっと、いや、かなり嫌過ぎる。
レイは難しい表情で思案しつつ器用に羽根ペンを回していたが、ややあってから「その可能性も無い事はないか」と呟いた。
「まぁ、もしそのパターンだったら、どちらかと言えば君の考えている様なイメージではなく、守護霊に近い存在に変身しているのではないかと思いますが」
「守護霊?」
「難易度の高い上級魔法の一つです。術者の幸福な感情エネルギーから作り出される半透明で銀白色の存在で、闇の生物を追い払ったり、仲間へのメッセンジャーとして使ったりします。手順や性質こそ違えども、一時的に自我を持ったアストラル状態になっていると考えるならば、一応は棍棒が貫通した事への説明は付きます」
「……守護霊に関しては、感情エネルギーやらアストラルと言われても、いまいちピンと来ないので何とも言えないです。けど!私の気持ちとしては是非ともその説が正解であって欲しいです。流石にスライム人間になるのは嫌です!断固拒否です!」
思わず拳を握って力説する私にレイは苦笑している。ちなみに言うまでも無いが、図書室内なのでちゃんと小声での力説だ。これでも私はルールとマナーはちゃんと守って然るべきという認識を持っていると、勝手に自負しているのである。
……本当は。私だって分かっている。最後の説を深く考えたくないが故に、わざとこの話題を引き伸ばそうとしているだけなのは、嫌という程に自覚していた。
(
「……ですが、万が一自分を『消す』能力だった場合、僕がメグに使って欲しくない魔法の最上位の一つに
「………………」
私の表情から考えを察したらしいレイが、敢えて言葉にした。
見えない存在になる。無になる。──消えてしまう。言葉にするとこんなにも恐ろしいだなんて、思ってもみなかった。
「……とりあえず、こうなって来ると僕達だけの秘密で調べて良い能力ではなくなってきたのは確かです。口の堅い、信頼の出来る先生にも頼りましょう。子供は大人を頼るのも仕事です」
下手な慰めは言わないレイの言い回しに、私も少しだけ笑った。本当にレイはいざという時、私よりも遥かにしっかりしている。それを承知で、私もささやかな軽口を叩いた。
「レイだって私と同じ一年生でしょう?」
それに対して、彼は涼しげに答えた。至極正論だった。レイは私よりも誕生日が早いのだから、ごもっともだ。
「少なくとも今の君よりは年上ですよ、メグ」
ハロウィンの後半戦と考察回。透明とは何ぞや。
そして記念すべき原作組の主人公トリオが揃った場面だったというのに、ほぼ会話無しで終わるという悲劇。特にロン、すまん。
でも、互いに名前の知らない相手だから仕方ないのです。(噂での一方的な認知は知人とは言えませんし)
ひとまず、知らない同級生から顔見知りにランクアップしました。