大広間全体に渦巻く空気に当てられた私は、朝食を放棄して足早にその場を立ち去った。周りの友人達が心配そうに声を掛けてくれたけど、何と答えたのかよく覚えていない。恐らくは雰囲気で酔ったという様な、当たらずしも遠からずな返答をした様な気はする。
嘘は言っていない。あれだけの剥き出しの感情を集団で発した場面に立ち合ったのは初めてだったから、一種の人酔いに近い症状を起こしたのだろうと思う。
人と感情を共有出来ない私には、剥き出しの感情は猛毒でしかない。他者と平穏に共存する為にも呑まれてはいけない物だ。
それならば、私自身の感情はどうなのだろう。喜怒哀楽はある。人並みに好き嫌いもある。得意分野は一極集中かもしれないけれども、とりあえず当たり障りの無い、無難な人間として立ち振る舞えているのではないかと思っている。でも……それは言い替えてしまうと、結局のところ私は毒にも薬にもなれない、つまらない存在に他ならないという証明なのではないだろうか。
それはそれで、なんだか悲しい。上手く言えないが……
さて、そんなモヤモヤした気持ちを持て余していた私なのだが、時間が経つにつれて変化していくのを自覚した。
(どうしましょう、この上なくムカついて仕方ないんですが)
今の私の気持ちを端的に言うならば、シンプルに「腹立たしい」の一言に尽きる。対象は他ならない同寮生の大半だ。あの場で同調していた方々に物申したい。
(……そもそも、グリフィンドール生はまだともかく。何で!レイブンクロー生まで!ミスター・ポッターの得点を当てにしてるんですかっ!!あの人が頑張ったところで、増えるのは
この際、囃し立てていたスリザリンと同調していたハッフルパフはとりあえず他人枠で置いておくとして、何だってレイブンクローまで一緒になっているんだという話だ。
自分がレイブンクローの得点の何割を取ったとか、そんな傲った事を言うつもりは断じて無いけれど、少なくとも積み重なったあのサファイアの山に一石一石加えていったのは私達レイブンクロー生であって、間違ってもハリー・ポッターではないのだ。
私なりの努力や頑張りを他ならぬ同寮生に「努力するだけ無駄」と言われて一蹴された気分で、それが何よりも悔しい。
(そりゃあ、人の不幸を喜ぶのは駄目ですけど!でも、せめてグリフィンドールの首位陥落に思う事があるなら、罵る前に『我こそが首位をもぎ取ってやる』ぐらいの気概があったって良いじゃないですか!全く、もう!!)
「──ああもう!イライラする!!」
「酷いわ!ただ静かに考え事をしていただけなのに!大人しくしていても、存在するだけでどうせ私は邪険にされるんだわ!」
思わず独り言を声にした瞬間、すぐ側からとても傷付いた様な涙声が聞こえて、ぎょっとしながら我に返った。非常に間が悪く、私が叫んだタイミングで他の人が居合わせてしまったらしい。
当然ながら、大慌てで謝罪と弁明をする。
「ごっ、ごめんなさい!唯の独り言です!周りに誰もいないだろうと思って愚痴を溢しただけで、決してあなたに対してぶつけるつもりは、本当に全く無かったんです!」
「どうせ私なんて居る価値も無いっていうのね。ずっと此処に住み着いているのに、わざわざ此処まで来るってそういう事でしょ!」
「本当に違うんです!人口密度の薄い方向へと向かって行ったら、偶然この場所に辿り着いた……って、あら?そういえば、無我夢中で歩いていましたけど、私が今いる現在地って──」
どこなんでしょう、とフェードアウトしていった私に呆れて毒気が抜けたのか、話していた相手が少し落ち着いた声で話し始める。
「どこって、此処は女子トイレよ。三階の女子トイレ。えっ、それでもまだピンと来ない?……あんた、もしかして一年生?」
「あ、はい。一年生です」
「ふーん……それじゃ、私とは初対面なのは無理も無いかしら。それにしても、一年生が人目を避けて此処まで来るなんて。なぁに?あんたも誰かに虐められた?」
そう言いながら話し相手は
マートル・エリザベス・ウォーレン、通称“嘆きのマートル”──それが私の目の前にて浮遊しながら会話しているゴーストのお名前らしい。二つ結びに厚めの眼鏡、恐らくは旧式のデザインであろう制服姿。ゴースト特有の霞がかった半透明なのでローブの色は分からないが、エンブレムを見るにレイブンクロー生。つまるところ、ゴーストとはいえ私の先輩に相当する人である。
私がそう判断し、彼女をマートル先輩と呼んだら非常に気を良くして話を聞いてくれる様になった。灰色のレディ以外のゴーストとほとんど会話する機会が無いため、どんな風に話したら良いのか迷ったのだが、マートル先輩本人が細かい礼儀作法を気にしないタイプらしく、打ち解けてみれば思いの外フレンドリーだった。
私が一人でここまで来るに至った経緯を聞かれ、今朝の出来事と個人的にモヤモヤした事をかいつまんで話す。一通り聞き終えると、器用に空中で座り直して事も無げに宣った。
「レイブンクロー生の大半はそんなものよ」
「えぇー……」
「お勉強しか出来ない頭でっかちで、プライドだけはエベレスト級に高くって、その癖に面倒な事は他力本願。しかも表沙汰にならないだけで、実は陰湿なイジメは確実に四寮最多よ?私が生きてた時からそんな感じだったし、今更驚きもしないわね」
自分の所属する寮に関する闇深案件を知って、思わずガックリしてしまった。学校ほど排他性が強く、イジメが容易に起こり得る環境も滅多に無いのは知っていたが……何というか、その温床がよりによって自寮かよ!と言いたくもなる気持ちを理解して欲しい。
「ま、直接矛先向けられていないんだから放っておくのが一番じゃない?他の寮ならカリスマで纏めるって力業も使えるけど、良くも悪くも個人主義だもの」
誰も見向きもしてくれないんだわ!と叫んでそのままマートル先輩は水道管のパイプに飛び込んで行ってしまった。ドップラー効果と共に去ってしまった彼女に私は暫し困惑していた。
◆
「随分とご機嫌斜めだな。“
「………………はい?」
反応するまで少しばかり固まってしまった私は決して悪くない。
薬草学の授業中、なるべく朝の事が尾を引かない様に黙々と作業に取り組んでいたら、事もあろうにペアのセオドールが爆弾を落として来たのだ。予想外過ぎる。それに、突っ込む所が多過ぎる。
「何ですか、その妙ちきりんな呼び方は」
「密かに広まりつつあるアンタの別名。あの辺が特に使ってるな」
セオドールが言う「あの辺」の方々とは、大抵授業中に自慢話の私語をしているあの一帯の御一行様の事。今朝の大減点事件を面白可笑しく囃し立てているが……少なからずスリザリンも減点されていたと思うのだが、良いのだろうか。
普段はスリザリン側の私語を完全にスルーしているのに、言葉に出さずともそれに同調している雰囲気が微かに混ざっていて、更に私の機嫌が急降下していくのを感じる。目元が痙攣しそうだ。
いや、そんな事よりもその意味不明な呼び名が付いている方が、私にとって目下の大問題だろう。
「私、彼らと接点無い筈なのですが」
「アイツも複雑なんだろ。ドラコは自他共にスネイプ教授のお気に入りだと思っているから。まぁでも、死んでも口にしないだろうが、アイツも一応はアンタに関しては一目置いているみたいだぞ?ただ、認めたくないから半分皮肉も込めて、わざとレディ呼び」
「それはどちらかと言うと、あなたと授業のご縁という名の繋がりがあるからでは?以前、セオドールが言っていた通りに」
「確実にそれもあるだろうし、純血貴族として対等とは思いたくないけど蔑称で扱き下ろすのも憚られる……大方そんな所だろ。で、アイツがそう呼ぶから、取り巻きも真似するって訳だ」
「良いのか悪いのか、判断しかねます……」
「あれでもドラコは貴族派閥の中心人物だ。ガッツリ権力持ってるアイツと真っ正面から揉める訳でも無い、露骨に貶められる訳でも無いっていうアンタの立ち位置は、少なくともこっち側からすれば一番安全なポジションだと思うぜ」
「……確かに今のところ4分の3は平和ですけれども。残りの4分の1も接点は一番少ないので、自ら突撃しなければ、まぁ……」
「向こうに関しては専門外だから、頑張って回避しろとしか」
「あと、個人的に重要な事ですが、トリカブトよりもジギタリス派なんですよ、私。どうせ毒草の名前が使われるなら、好きな生薬名とか学名で呼ばれたいなと思いまして」
「……そっちかよ」
若干呆れた様な目線を寄せられたが、私としては結構重要だ。いや、確かにトリカブトも魅力的ではあるが。最推しを間違えられている件については強い憤りと共に遺憾の意を唱えたい。
「そもそも、何で私とトリカブトが結び付けられたんでしょうか。流石にそこまで熱烈な愛を大衆の前で吹聴した覚えは無いです」
「さぁな。些細な事がきっかけかもしれないし、アンタが何気なく言った言葉を勝手に拡大解釈されたのかもしれない。少なくとも、ホグワーツが噂とか評判は一両日中に全員へ知れ渡る環境だってのは、言わずもがなだろ?──見事に間抜けが実証したしな」
その言葉に、私は「全寮制って感情が濃縮されるのかしら……」と結構本気で思ってしまった。でもまぁ、確かにティーンズが発信する噂の爆発力は本当に洒落にならない。メディアも真っ青だ。
本当に色々儘ならないと、私は密かにため息をついた。
図書室のお気に入りスペースに行くと先客がいた。非常に既視感のある展開だなと思ったが、今日はハーマイオニー達ではなくレイとネビルの二人だった。色々と察したけれど、私もその場所は気に入っているし、ルーチン的にも同じ場所で勉強したい。故に敢えて態度を変える事もなく、向こうがどう反応するかはさておき今まで通りに声を掛けた。
「こんにちは、私もここ使って良いですか」
「あ、メグ……」
少し困った様に私の方を向いたレイと、あからさまに肩を震わせて俯いてしまったネビル。どうしましょう、何だか私が彼らを苛めているみたいな構図になってしまった。
「このスペース、私も気に入っていまして。お邪魔でなければ一緒にテーブルを使わせて貰っても良いですか?あ、殿方同士の密談とか秘密話であれば即座に退散しますので。その辺りはご安心を」
「いやいや、密談って君ね……」
「アミーが言うには、殿方の密談は恋の始まりらしいですよ?物語のカタルシスを語る上での重要なるファクターだとか」
「意味が分かりません。どんな因果関係なんですか。普通に考えても滅茶苦茶な理論でしょう。メグ、君はとうとう我が道を極めすぎて頭に草でも生えましたか?」
「同じ草なら薬草の方が良いです」
「知りませんよ」
間髪入れずに私の言葉は一刀両断される。全く容赦が無い。私とレイのやり取りを俯きながら聞いていたネビルだったが、やがて私が特に攻撃してこないと判断したのか、かなりオドオドしつつ会話に加わってきた。
「その……マーガレットは、いつも通りなんだね……」
「えぇ。だって態度を変える理由がありませんから」
本気で驚いた様子から、大減点の当事者三人を取り巻く環境がどんなものなのか如実に把握してしまった。ついでに朝から嫌という程に実感した、出来れば知りたくなかった我らがレイブンクローの負の側面も……。つくづく嫌になるし、うんざりしてくる。
「……あのですね、物凄く冷たい言い方をすると『他人事』なんですよ。確かに同じ寮の人なら、それなりに怒ったかもしれないですけど。でも事実、他寮の重大なトラブルであっても、私達には何の実害も無い。つまるところ私は、無関係の部外者で、野次馬の一人でしかない訳です。無責任に責めたって何の得にもなりません」
「ちょっと、メグ!」
「そりゃ、何でそんなアホな事をしたんだ程度は私だって思いましたけど!やってしまった事をグチグチ言っても仕方ないじゃないですか。ネビル達を罵倒した文字数だけ私達の得点が増えるというのならば、まぁ……多少は検討してしまうかもしれませんが」
「……検討はするんですね」
「………………」
「知ってます?人間って感情を発露させるだけでも、莫大なエネルギーを消費するんですって。何が悲しくてそんな事で限りあるエネルギーを使わねばならないのでしょうか。私は自分が興味のある事以外で貴重なリソースを割きたくありません」
だから態度も変えないです、と言うと二人とも非常に名状し難い顔をしていた。あぁまたやらかしたかしらと思案していたら、真っ先にレイが浮上してきた。心なしかとても良い笑顔である。久々にここまで清々しく黒い笑顔を見たかもしれない。そして、相も変わらずこの幼馴染は顔が良い。
「……そうですね。確かに済んでしまった事よりも、これからどう挽回するかですよね。さてネビル、こうなったら落ち込んでいる暇はありませんよ」
「えっ、は、はい!?」
「流石に君の性格から考えても、目立つ形で得点を稼ぐのは難しいでしょうから、まずは提出物から確実に稼ぎましょう」
「で、でも……僕、レイモンドが書く様なレポート書けないよ」
(あっ、これ私にも流れ弾来るパターンだ)
「大丈夫ですよ、ネビル。僕はこう見えて、先生受けの良い定型文を書くのは得意ですから。自分の言葉で書くべき以外の所は型通りでも問題ありません。ふむ、提出する科目は──ああ丁度良いですね、メグが居合わせているうちに魔法薬学を完成させましょう」
「案の定、しれっと私を巻き込みましたね!?」
「使える者は使うのが世の常、でしょう?それに『興味のある事以外で貴重なリソースを割きたくない』と言ったのは君ですよ。つまり、逆に言えば興味あればリソースを割いてくれるという事になります。ましてや分野問わず薬学大好きなメグにとっては、これ以上無い位にリソースを割きたい話題ですよね?」
「黒い!レイがこの上なく黒いです!しかも、どさくさに紛れて言質取られました!?その謎手腕を私相手に発揮しないで下さい!」
「……ごめんねマーガレット。でも、魔法薬学は壊滅的に苦手で、いつも皆にも迷惑をかけちゃうんだ。だから、その……点数云々じゃなくて、コツとかポイントだけでも教えて貰えるかな」
王子様スマイルで何て事を言うんだ!と思ったが、かなり切実な様子のネビルを見て私も割り切る事にした。
マリエッタ先輩曰く、私は魔法薬学の先生役に回ったらエキサイトして確実に収集付かなくなるだろうとの事だけど、まぁその辺りはレイが上手く取り纏めるだろう。情報の取捨選択はご自分で、というスタンスで突っ走らせて貰おうか。
「……私、好きな分野は一切妥協しませんからね」
◆
「あっマーガレット!やっと見つけた!」
寮への道すがら後ろから私を追ってきたのはパドマだった。手には何故かバスケットを持っている。
彼女は私に追い付くと、バスケットを私に手渡した。
「今日はほとんどご飯食べていなかったでしょ?いつもは健康を意識してバランス良く食べてるのに、朝は気分悪いって言ってすぐに行っちゃったし、お昼も飲み物で済ませていたみたいだったから」
「……!わざわざ用意してくれたんですか!?」
「ええ。それに今日は……多分、雰囲気は夜も一緒だと思うから、寮の中の方が良いかもしれない。それならマーガレットも落ち着いてご飯食べられるでしょ?お昼のメニューだから、夕飯にはちょっと物足りないかもしれないけど、空腹よりはマシだと思うわ」
「ありがとうございます、パドマ」
「どういたしまして」
パドマが持ってきてくれたバスケットには、クランペットとキャロットジャム、野菜スープのポットが入っていた。昼食メニューで私がよく選ぶ好きな組み合わせだ。
前にも先輩方は「今年の一年生はとても仲が良い」と言っていたのを思い出す。それは、言い換えれば仲がよろしくない学年もあって、寧ろそれが見慣れた光景なのかもしれない。
『お勉強しか出来ない頭でっかちで、プライドだけはエベレスト級に高くって、その癖に面倒な事は他力本願。しかも表沙汰にならないだけで、実は陰湿なイジメは確実に四寮最多よ?私が生きてた時からそんな感じだったし、今更驚きもしないわね』
朝に会ったマートル先輩の言葉が脳内でリフレインする。
……確かにそれも事実なのかもしれない。きっと、そういう側面は確実にあるのだろう。それでも、私は。
(腹立たしい事も、嫌な事もあるかもしれないけど……それが全ての本質だとは思いたくない)
今まで私が見て、感じてきた事だって、きっと本質の一部の筈なのだから。一日の出来事だけでそれを否定する理由にはならない。
バスケットを抱きしめながら、私はそう強く思った。
メグは 寮の闇を 知った!
メグは あだ名を 知った!
メグは 友情の形を 再確認した!
悲しい事に、レイブンクローは本来最も個性を重んじる寮の筈なのに、イジメもまた多いんですよね。でも自分が所属する所の暗部を知るというのも成長の要因だと思うので、テスト前に軽く向き合って貰いました。
【キャラ紹介】
セオドール・ノット
原作ではマルフォイと対等だったスリザリン生。
彼の設定はかなり濃いというか、色々と美味しいのに、その大部分が表に出て来なかったのは勿体ない。セストラルが見える、全体的に身内で纏まっているスリザリンでは恐らく異色な一匹狼というだけでも相当独特なキャラであろうと勝手に思っている。
この話では、主人公とそれなりに友好的だが、真意は如何に。
パドマ・パチル
原作ではDAに参加していたレイブンクロー生。
唯一まともに描写のあるハリーと同級生のレイブンクロー女子でもあり、グリフィンドールに双子の姉がいる。映画版では姉妹揃ってインド系のエキゾチックな美人さんだった。
監督生に選ばれる子だし、グリフィンドールのパーバティも面倒見が良さそうと思われる場面が度々あったので、総合力が高くて皆を纏める学級委員タイプの子という設定にしています。