ハリー・ポッターと透明の探求者   作:四季春茶

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賢者の石
私の日常生活


1991年7月末──

 

 自分の部屋で黙々と9月から通う事になっている中学校の準備と予習をしていた私──マーガレット・ディフルレリア・ノリスは、家の一角から突如轟いた爆発音に顔を上げてまたかと呟いた。

 

 受験の直前は我ながら相当神経質になっていたというのも相まって幾度となくキレ散らかしたりもしたが、無事に行きたかった中学校への進学が決まった今は落ち着いた日々を過ごしている。本音としてはこのまま我関せず予習を続けたい。もしくは、受験でブラスバンドを引退して以降、ほとんど触れていなかった愛用のホルンを久々に吹くでも良い。基本的に私は自分の興味ある事を最優先にやりたい性分なのだ。……が、仮にもお世話になっている家でそれは余りに自分勝手が過ぎるし、流石に爆発したと思われる部屋をそのまま放っておく訳にもいかない。心底面倒だと溜息をつきながら私は教科書に栞を挟んで立ちあがった。

 

 ここはロンドン郊外の閑静な住宅街から大分外れた場所にある私達の家だ。本来はおよそ爆音とは無縁であるはずの家だが、食品を未知物質に変え、更には爆発物をも錬成してしまう御仁がいるおかげで爆発がそこそこ日常茶飯事だ。

 

クレイ医薬研究所(Clay pharmaceutical laboratory)》──それがこの建物の名前だ。

 

 私達にとってせめてもの救いは、この家が住宅街から相当離れた位置に立地している事だろう。そうでなければ、間違いなく住宅地のど真ん中で事件(テロ)が起きたと即刻大騒ぎになっている筈だ。

 不思議なのは立地条件だけの影響とは到底思えないぐらい、多少の爆発では騒ぎにもならない事だ。いや、多少も何も普通は爆発そのものが大問題だし、研究所としてどうかと思っている。思ってはいるが、薬品実験で爆発した事は一度も無いのだから、実害なし。いちいち目くじらを立てるのもアホらしいというのが私の本音だ。

 ついでにどうでも良い話をすると、なかなかに仰々しい名前の研究所を銘打っているものの、その実、所属している人員は所長兼研究員を称するフリーランスの医者一人に、勝手に助手を名乗らせて頂いてる子供二人。建物も個人経営の病院に居住スペースを構えている程度。確かに調剤スペースを改造したドクターの研究室は圧巻だが、それ以外は案外普通の住宅だ。

 もっとも生活する上では大変快適なので、ありがたく日常生活を満喫している。強いて言えば掃除が多少面倒だが、合法的にお手製の合成洗剤やら何やらを試せるので私は気にしていない。

 

 

「……メグ、また爆発物を錬成したんですか?」

 

 爆発音の発生源であるキッチンへ、とりあえず後始末と復旧作業を迅速に行うべく現場へ急行しようとしたら、私と同じように部屋から出てきたレイに声を掛けられた。出会い頭でいきなり濡れ衣を着せられかけた私は、当然ながら抗議する。

 

「レイ酷い!またって何ですか、またって!冤罪です!私じゃなくてドクターです!大方、思い立ったが吉日でスープでも作ろうとして、ちょっと何かしらの匙加減を間違えたのではなかろうかと」

 

「毎度思いますが、どう考えても『ちょっと』というレベルの爆発では無いですよね。仮にスープを作ろうとしたとして、何をどうしたらスープが爆発するんですか……」

 

「我らがドクターは調薬作業なら完璧なんですけどね。お料理だけは壊滅的ですから仕方ありませんよ。……それよりも、あれだけ勝手に料理を作るなと言っているのに、なにゆえドクターは勝手に爆発物を錬成するのでしょうか」

 

「あれでも純粋な善意なんですよ。僕らは勝手に家事を先回りでやっているだけですが、ドクターからすると『子供の仕事じゃないのにやらせてしまった』とお思いのようです」

 

「私達としては、毎度毎度キッチンを派手に吹き飛ばされる方が大問題なんですけどね」

 

「確かに。……ところで念のために再確認しますけど、実はメグがまた薬品を勝手に持ち出し、何か怪しい調合をしていたというオチはありませんよね?返答によっては片付けと対処法が大きく変わってきますので、悪しからず」

 

「失敬な!未来の薬剤師たる私がそんな事をする訳がないじゃないですか!」

 

「へえ、未来の薬剤師、ですか……。ところでメグ、以前君が興味と好奇心だけで()()()()作り上げた愉快な()()花火と謎の液体塗料を部屋中にぶちまけた前科があるのを忘れたとは言わせませんよ。あれだって、かなりの大惨事でしたからね?」

 

「うぐ……、流石にその件は申し訳なかったと思ってますよ……」

 

 

 微かに青みを帯びた灰色の瞳に諦めと呆れを滲ませた黒髪の華奢な少年、レイことレイモンド・アルフレッド・バラード。彼は限りなく家族に近い幼馴染だ。やたらと整った顔立ちの持ち主で、微笑めば穏和な正統派王子様、無表情でも少し高慢な貴族風美形という若干腹立たしいレベルの顔面偏差値だ。困らせるのが分かっているから絶対に面と向かって本人には言わないが。

 十年来の幼馴染のレイだけど、私が彼について知っている事はそんなに多くない。完璧なクイーンズ・イングリッシュと英国紳士のお手本の様な所作からして、元々はかなりの家柄出身なのだろうと一応当たりは付けているが、生憎人様の秘密やプライバシーを暴く趣味は無い。せいぜい知っている個人情報と言えば、幼少期に水難事故に遭った上に左腕を義手にせざるを得ない大怪我を負った事、何らかの持病の関係で身体が成長しづらい体質だという事、そしてその怪我と持病のリハビリ兼治験の名目でドクターに引き取られた事。それだけだ。いつかレイが話したいと思った時が来れば、その時に話してくれればそれで良い。

 

 そもそも、個人的な事情という部分に関しては私だって大概だ。全く記憶に無いので正直他人事に等しい話だが、私は赤ちゃんの時に研究所の倉庫に捨てられていたらしい。当初は何らかの事情がある可能性を鑑みて保護者が戻ってくるのを待ってみたものの、結局名乗り出る人は現れなかったため、ドクターが保護者として私の戸籍を用意して引き取ってくれたそうだ。

 だから私は両親の顔を知らないし、今の名前が本名なのかも分からない。機を見計らったドクターからその事実を打ち明けられた時、一緒に立ち会っていたレイが心配してくれたけど、私は泣かなかった。というよりも特に何も感じなかった。敢えて言及するなら「興味ない」「どうでも良い」「所詮は無縁の過去の人」といったところだろうか。産みの親より育ての親とは、よく言ったものだ。

 

 私の諸事情はさておき、レイは見た目以上に面白い少年であると常々思っている。達観した顔で本を読んでいると思えば、嬉しそうな笑顔で寄ってきた猫と戯れてみせる。繊細な印象に反して意外とスポーツ好きで、種目こそ限られるものの相当の負けず嫌いを発揮させる。何より普段の丁寧で上品な言葉遣いからはおおよそ想像も付かない、とんでもない毒舌を炸裂させた時に私は「あぁこれが素なのか……」と思わず笑ってしまった。

 

 さて、この研究所には私やレイ以上に個性的な人間が一人いる。言わずもがな、我らがドクター、ユークリッド・クレイ医師だ。

 ドクターはやたらと童顔で若く見えるが年齢不詳の御仁だ。年齢を聞いても何故かはぐらかされる。それでもれっきとしたフリーランスのベテラン医師であるのには変わりなく、今でもよく総合病院から呼び出しを受けている。近年、というよりもレイと私を引き取って以降は医薬品の研究方面にシフトチェンジしつつあって、周囲からは「隠遁した賢者」とかいうよく分からない敬称(なのか若干疑問がある呼称)で呼ばれているそうな。

 ドクターは子供は楽しく学業に励むのが仕事だから生活の事は気にしなくて良いとは言っていたが、お世話になっている身としてドクターの何かしらお手伝いが出来ないかと考えていた。いくら私が自分の興味に忠実な性格であっても、それぐらいの恩義は最低限持ち合わせているつもりだ。

 ドクターは医者としては非常に優秀だが、些か……いやかなりの仕事中毒(ワーカホリック)な所があり、放っておくと平気で食事もそっちのけで何徹でもやりだす人だ。その実、一旦オフモードに入るとかなり大雑把で殊更自分の事は適当極まりない。そして申し訳ないがドン引きするレベルで料理が壊滅的に苦手ときた。

 ドクターに「医者の不養生」だなんて不名誉を負わせないため、そして何より私達の日々の美味しい食事を死守するため、自称助手として家事全般を先回りしてやろうという運びとなったのだ。役割分担は几帳面なレイがドクターのスケジュール管理と雑多な書類関係の整理を行い、私が栄養バランスを考えて料理を作ると決めた。掃除や洗濯は二人で手分けして遂行する事にした。

 

 もとより化学実験が大好きな私にとって、料理は実験の延長線上と言っても過言ではない。ついでに課題研究を行う感覚で美味しさと栄養価のバランスを突き詰めたメニューを探求出来るとあらば、まさしく一石二鳥だ。個人的には煮込み料理がお気に入り。野菜も肉も鍋でまとめて煮込んで召し上がれ。美味しいは正義。

 

 

「……あら?」

 

「メグ?どうかしましたか?」

 

「今、窓に……あれ、何もいない?ごめんなさい、何かいた気がしたんですけど、どうも気のせいだったみたいです」

 

「?とりあえず、キッチンの復旧を最優先でやりましょうか。爆発音からして、今回はいつも以上に酷い有り様でしょうし……」

 

「そう、ですね……」

 

私は足早にキッチンへ向かいつつ、横目でもう一度だけ窓を見た。やっぱり何もいない。確かに何か……というか、梟がいた様に見えたけど、どうやら見間違いだったようだ。

 

 

「うわぁ無惨。とっても無惨」

 

「……これを復旧しろと言うんですか」

 

 私達が台所を覗くと、そこには案の定というか、お約束とも言うべき惨状が広がっていた。思わず匙を投げたくなった。

 ぷすぷすと黒煙を上げ、何かが炭化物に成り果てたと思わしき、見るも無残な暗黒物質(ダークマター)。悲劇なんて余裕で通り越し、もはや喜劇の領域と言っても差し支えないレベルで焦げ付いた鍋。ド派手に吹き飛んだ備品と木っ端微塵になった材料の残骸達。その中心地にて、親愛なる我らがドクターが天を仰いでいる。

 本当にどうして、ドクターは医薬品調合なら完璧なのに、料理のみ一点集中でここまで壊滅的に下手なのか。長年一緒に暮らしてきて、こればかりは甚だ疑問でならない。

 

「……これはまた随分と派手に鍋ごと消し炭を錬成されましたね。ここまで来ると消し炭という表現ですら、生ぬるい気がしますよ」

 

「せっかく調味料を取り寄せたから味噌汁(ミソスープ)作りたかったんだよ」

 

「何か召し上がりたい料理がある時はレシピだけ用意して下さい、あとは私が栄養バランスを計算した上で作って提供すると、何度も申し上げたはずですが。なにゆえ勝手に作ろうとなさったんです?貴重な材料を無駄にした挙げ句に、大惨事じゃないですか……」

 

「いや、いつも任せっぱなしで悪いなと思って……」

 

「良いですかドクター、私にとっての料理はもはや研究なんです。なんならマーガレット・レポートの一環だと思って頂けるとお分かり頂けるかと思います。私が好き勝手に楽しく研究しているだけですので、任せっぱなしも何も無いのです。下手に設備を吹き飛ばされる方が余程困ります」

 

「そっかぁ、ごめんよ……」

 

しゅん、と落ち込んでしまったドクターに若干の罪悪感を感じない事もないが、それとこれは話が別だ。ちなみに一緒にいるレイは素晴らしくニコニコ笑ったままキッチンを検分している。笑顔だけど目が笑ってない。……これはかなり怒っている。

 

「とりあえず今から僕達で片付けますので、ドクターは余計な物に触らず、即刻キッチンから退却を願います。あと当面の間、ドクターはキッチンへの立ち入りを禁止します」

 

「まさかの出禁!?」

 

「当たり前じゃないですか。今までどれだけ鍋を爆破させて、キッチンを滅茶苦茶にしたと思っているんですか!これ以上、片付ける前から被害が拡大しようものならもう目も当てられません。僕達が良いと言うまではキッチンに近寄るのも駄目です!」

 

「レイが部屋の復元、私が鍋の洗浄をします。それまでドクターはリビングか適当な部屋での待機をお願いします。本当に待機以外、何もなさらないで下さい」

 

「いや、流石に自分の不始末ぐらいは自分で片付けるよ」

 

「これ以上キッチンを破壊するつもりですか!?」

 

「このままお任せしたら最後、全員仲良く路頭に迷う羽目になるので、絶対に止めて下さい!!」

 

 流石にこれ以上は冗談じゃない。修繕作業をする身にもなってくれ。そんな切実な思いを込めてハモった私達の前では、幾ら恩人たるドクターと言えども反論する言葉も、弁明する余地も残念ながら存在しなかった。




シャーロット・リリー・ポッター改め、マーガレット・ディフルレリア・ノリスとなった主人公です。愛称はメグ。
趣味は料理とホルンと薬品調合な、薬剤師を夢見る11歳の女の子に成長しました。過去には全く拘らないタイプ。

限りなく家族に近い幼馴染のレイモンド(レイ)と保護者のドクターと共に色々と突き進みます。彼らについても追々と。

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