「うーん……今日も和解大作戦失敗ですか」
相変わらずミセス・ノリスは私の手をべしっとモフモフした尻尾で打ち払いながら立ち去っていった。レイのミモザを始めとした他の猫相手にはそこまで邪険にされてはいないから、猫自体には嫌われている訳では無い……と思いたい。
「多分照れているだけだと思うな」
私と一緒に和解大作戦を実行していたルーナがのんびりとそう言うけど、心なしか私よりも懐かれていた様な気もしないでもない。というより、同じ寮内で彼女を見ていて思った事だが、普段のふわふわした言動とどこか夢想的な雰囲気を纏っているのに加え、誰に対しても自然体で接するが故に気付きにくいものの、ルーナは人の本質を見抜く事に関して恐らく天賦の才に近いものを持っている。
そして、それが適応されるのは人間に留まらない。
「あっ、レディだ。こんにちは」
「!こんにちは、レディ」
「ごきげんよう。ルーナ、マーガレット」
極自然に壁に向かって挨拶するルーナに、私は慌てて振り向いたら丁度後ろの壁から美しいゴーストが優雅に現れたところだった。我らがレイブンクローの寮憑きゴーストの灰色のレディだ。
昨年度、私が入学した際にもロバート先輩が言っていた。灰色のレディは友好的なゴースト達が多いホグワーツの中では珍しく、プライドが非常に高くて生徒ともほぼ交流しない事で有名だが、実はレイブンクロー寮の生徒ならきちんと敬意と節度を持って話し掛ければ普通に話を聞いてくれると。寧ろ、相談事ならば親身になってアドバイスをくれたり、一緒に解決法を考えてくれたりする位には優しいと個人的には思っている。……もっとも、私の場合はその敬意と節度の範囲を掴み兼ねていたせいで、最初は挨拶以外の会話までなかなか辿り着けなかったが。
ルーナの自然体と審美眼の凄さは入学後僅か三日足らずでレディと打ち解け、尚且つ同寮生の中でもぶっちぎりで親しくなれたというエピソードだけでも伝わるのではなかろうか。
「二人とも此処で何をしていたのですか?」
「ミセス・ノリスにも挨拶してたんだ。でも照れて逃げちゃった」
「あの猫は生徒達から厄介者扱いされる事こそあれども、純粋な友好を求められる事は稀ですからね。正直なところ、長らく接した事の無い人種相手で反応に困っているのでしょう」
……ゴーストのレディに「長らく」とか言わしめるという事は、もしかしてミセス・ノリスって私が考えている以上にご長寿なのだろうか。東洋では長命の猫は尻尾が二股に分かれた守護生物に化けるという伝説があるとチョウ先輩が言っていたのを思い出した。
ルーナの猫談義を微笑みながら聞いていたレディは、ふと思い出した様に私の方へと向き直った。
「時にマーガレット」
「はい、レディ。何でしょうか?」
「貴女がカエルの聖歌隊に抜擢されたと聞き及んでいます。おめでとう、とても喜ばしい事です」
レディに言われて、私は改めてオーディションに受かった興奮が駆け抜けていくのを感じた。そう、私は先日晴れて聖歌隊の一員に加わる事となったのだ!どうやら高音域を特に評価されたらしく、私が配属されたのはソプラノパートだった。
レディが美しい顔を少し綻ばせながら言葉を続ける。
「聖歌隊はクィディッチの様な熱狂的な華やかさには今一つ欠けているものの、伝統ある由緒正しきクラブの一つ。レイブンクローの一員として、勉学と共にしっかりと励みなさい」
「ありがとうございます。心して研鑽していく所存です!」
「よろしい。その心意気です。ルーナもこれから益々学ぶ事が増えてきますから、日々の努力を怠らない様にするのですよ」
「はい」
私達にありがたい助言をしてくれたレディは、そのまま静かに立ち去っていった。立ち去るその瞬間まで優雅だった。
そんな私の考えを読んだかの様に、ルーナが呟いた。
「レディは生きている人よりも
ルーナの言葉に私も同意して頷いた。あの立ち振舞いは、誰であろうと一朝一夕では絶対に身に付ける事なんて出来まい。
◆
今勉強している「危険薬・毒薬取扱者資格」の範囲に含まれる薬というのは、何も殺傷力のある毒薬ばかりでは無い。スネイプ先生から貰った該当薬品一覧を眺めると、寧ろそういう分かりやすく危険なもの以外の薬が結構リスト入りしていたりする。
毒薬ではないが効果が強力過ぎる故に制限されている
(洗脳薬の類いは軒並み規制対象なのに、なにゆえ惚れ薬は規制されないんでしょう……)
愛の妙薬に分類されるものは総じてヤバいが、
愛あらば何でも許されるのか、という話だ。盛った相手に対して強迫観念に近い執着心を迫るとか怖すぎる。大体、薬で愛情の紛い物を生み出したところで、行き着く先はどう考えても破滅一択だ。関係がどうあれ、誰も幸せにならない気しかしない。
そもそも、そんな薬を盛ってまで特定の人に愛されたいというのがよく分からない。実行した所で虚しいだけだと思うが、まぁ薬が存在している時点でやる人はやるのだろう。
ため息をついて一旦頭から惚れ薬の話を追い出した。リストの内容を纏め終えたノートを閉じると、思いっ切り伸びをする。ついでにちょっとだけぼやく。
「ぬあー!とりあえず、実験がしたいですー!」
こういう座学も薬学ならば大好物だが、どうしてもご無沙汰になっている実地での実験がやりたい。上級の薬を調合するもよし、新薬を開発するもよし。或いは検証実験でも大歓迎だ。何でも良いから、大鍋をかき混ぜて実験したい。欲求不満だ。
軽く不貞腐れていたら、はたと思い出した。
(あ、そういえば。リストを見て気になった事が……せっかくなのでこれも後で実験出来る様にメモしておきましょ)
薬は効果・効能・適応が千差万別、多種多様であるが、その中でも特に普及していて謂わば「困った時の常備薬」的な感じで使われがちなものが幾つかある。私にとってお馴染みの医薬品であれば、その筆頭は間違いなくこれだろう。痛みや発熱があれば高確率で薬局なりドラッグストアにて真っ先に購入される解熱鎮痛消炎剤、アセチルサリチル酸。アナディン、バファリン、アルカセルツァー等々のご当地的な商品名もあるけれど、ただ一つの商標名でもほぼ万国共通通じてしまう薬のレジェンド。マグル側での生活経験者ならば、きっと一度は何かしらでお世話になった事のあると思われるアスピリン大先輩様だ。
さて、魔法薬においてアスピリン枠になるだろう薬が何かと言うと、どうやら「元気爆発薬」と「安らぎの水薬」であるらしい。特に安らぎの水薬、もしくはそれと似た系統の薬は本当に多用される場面が多いのだという。……私個人の見解としては、風邪薬はともかく何で睡眠薬が多用されてるの!?と思わなくもないが、現実問題かなり普及している以上、そこをとやかく言っても仕方ない。
それで、だ。医薬品と魔法薬を意図的に混和した場合を除けば、うっかり同時服薬になる可能性が高いのは、やはりこの組み合わせに行き着く訳で。
(アスピリンと鎮静系の魔法薬を混ぜたらどうなるか……毒になるか、薬になるか……)
去年の甘味料での結果を鑑みるなら、成分が近ければほぼ確実に何かしら反応を起こすだろうが、この二つが果たして性質や成分がそこまで近いのか微妙なラインだ。けれども、現代に即した万能解毒剤を開発するという目標の為には、この二つの飲み合わせがどうなるかを確実に押さえておく必要があるのは間違いないだろう。
勉強用のノートではなく、研究用のノートを開いてタスクリスト(という名の考察メモ)のページに万年筆を走らせていく。
「とりあえず目下の試験が終わり次第、この組み合わせの可能性と危険性についてと、実証の必要性についてをスネイプ先生に提案するとしましょう。ああ、楽しみ。うふふふふ……」
あぁ、いけない。私ったら実験の予測をしてたらつい笑いが溢れてしまった。でも止められないし、楽しいのだから仕方ない。
……誰かに見られたら完全に通報案件の不審者っぽい笑い方だったのは、ちょっとしたご愛嬌だと言っておこう。
◆
自分でも分かる位に表情が強ばっていくのを感じつつ、フリットウィック先生が色々な道具を起動させるのを見守っていた。
遂に私の
「ミス・ノリス、心の準備は大丈夫ですか?」
「は、はい!」
「魔法事故防止の道具や魔法の仕掛けを念入りに設置しましたが、少しでも危ないと判断した時は、私がすかさず魔法で割り込んで中断させますから安心して下さい。ミス・ノリスは能力を発動させる事にだけ集中する様に」
「分かりました……」
フリットウィック先生が描いた魔方陣の中に入るが、実を言うと自力での発動には未だ成功していないし、どういう法則で自分が透明になっているのかも分からない。
とりあえず、変身術のセオリーである具体的な想像をしてみる。透明という特性に対して見合う、私が透き通っていくイメージを。水に物質を溶かし込む様に。光を透過させる素材になる様に。或いはゴーストが壁をすり抜けていく様に。自分が無色透明に変化していくイメージを脳裏に描きながら、強く強く念じてみる。
「………………」
ちらりと掌を眺めてみるが、普通に見える。先生の反応を確認しても、やはり私に変化はまだ現れていないらしい。
イメージが違うのだろうか。それとも、やはり単純に見えなくなる訳ではないという事か。
(……思い出せ。思い出すのよ、マーガレット。私が『消えた』時はどういう状況だった?何か共通点は?どのように透明化した?)
考える。考える。考えろ。私はどうなっていた?単純に見えなくなっていた訳ではなかった筈だ。
『そうですね、分かりやすく言うとステルス、光学迷彩といったところでしょうか。メグ、時々君は物理法則を無視した手法で姿を消していたんですよ』
『流石に人前で消えたりは一度もしませんでしたけど、家の中では突然何かに吸い込まれる様に溶け込んで、そのまま気配ごと姿を晦ませていました』
それにトロールの時だって、確かに振り下ろされた棍棒は私をすり抜けて、私の足元の床を叩き砕いていた。それは何故?見えない状態になっていたとしても、その場所に本体がある以上は魔法を受ければ効果が現れるし、物理接触も出来る。一般的な目眩まし術はそれこそが実在の証明だ。けれどもあの時はそうならなかった。私の脳天を叩き潰さんばかりに
(あ……もしかして、何かしらの動きがある事こそ
よくよく考えてみると、今まで私が自力で発動させようとしてみた時は、今みたいに静止した状態で鏡とにらめっこしていた。そして、その方法での検証では、どう頑張ろうと一度たりとも能力は発動出来なかった。それならば──
「おおっ!!ミス・ノリス、姿が透明に変わりましたぞ!」
試しに一歩前に進んでみた瞬間、フリットウィック先生から鋭い声が飛んだ。それで私は自分の予測が当たった事を察した。やはり「動き」が何らかのトリガーになっていたらしい。
でもそんな事より、私は真っ先に確認すべき事がある。
「フリットウィック先生!私、消滅していませんよね!?」
端から聞いたら物凄く間抜けな事を訊いている様だが、私としては本気で死活問題レベルなのだ。一時的に姿が透明になるのは構わないけれど、私は消えたくない。消滅なんてしたくない!
先生もそれを理解して下さっていたので、真剣な表情で頷いた。
「大丈夫です!姿や気配は消えていますが、声は聞こえていますぞ。こちらの探知用の道具は……一部には映っていますね」
逆に言うと一部が探知不能になるという事だろうか。一抹の不安を覚えつつ、改めて自分の掌を翳してみる。私から見る分には変化は何も見受けられない。……大丈夫、消えてはいない。
「自分の方では何も変わっていないみたいです。先生、試しに何か呪文か物を飛ばしてみて下さいませんか?」
「分かりました。それでは保温呪文と浮遊呪文をかけて検証してみましょう。方向はこちらで合っているかね?」
「はい」
先生が続けざまに呪文を唱えるのを私は固唾を呑んで見守る。保温呪文の光線も、浮遊してきた羽根も確かに私に飛んできたが、どちらも全て私をただ通り抜けていった。温かくもなっていないし、羽根も掴む事すら出来ずに落ちただけだ。
「……どちらもすり抜けました。変化なしです」
「成る程。今度はミス・ノリスが羽根を浮かせてみて下さい」
「はい。ウィンガーディア──あ、あれ?」
浮遊呪文を唱え掛けた瞬間、
でも、せっかく検証の為に準備して時間を作ってくれたのに疲れたというのは余りにも我が儘が過ぎると思い直す。もう一度お願いしようとしたら、それより先に色々熟考していたフリットウィック先生が口を開いた。
「ふむ、一先ず今日はここまでにしましょう」
「えっ……」
「使い慣れない魔法というものは、総じて正確に使用するだけでもかなり消耗してしまいます。ましてや今検証している
……確かに。というかこれ以上やったら倒れる様な気がしないでもないから、日を改めてお願いする方が賢明かもしれない。
とりあえず今日の検証で分かったのは、発動させるには歩くなり何なりの動作(つまり運動エネルギー?)が必要らしい事、少なくとも発動イコール即消滅という訳では無さそうという事、そして
謎が謎を呼ぶというか、大なり小なりの不安を残しつつ、そんなこんなで一回目の検証を終えたのだった。
余談だが、検証後フリットウィック先生が「疲れには甘い物が一番」と仰って可愛らしいキャンディがたっぷり入った袋を渡された。非常に美味しかったのだけど、今日に限らず割とお菓子に釣られてる自覚があるだけに、もしや自分は想像しているよりも遥かにお子ちゃまなのではと思い至ってしまい、若干居たたまれない気分になった。……もう少し大人な淑女を目指す所存である。
初めて透明化体質の検証が行われました。多少前進はしているものの、相変わらず
さりげなく聖歌隊に受かっていました。こちらも追々と主人公の世界が広がる要因ですが、今回はさらっと触れるに留まっています。