私が「持っている」と言えた数少ない物の一つに存在を偽る技能がある。これだけはあの父親を以てして、唯一価値を見出だされた能力だった。
極々普通に全うな生活を送る人間にとっては無用の産物に他ならないだろうが、私に於いては絶対に無くてはならない能力だ。
「お前の『それ』を見破るには、余程の型破りな手法を用いるしかないだろう。或いは──」
存在を偽るという事は、それまでの自分を捨てる事と同義だ。
私は消されたくなかった。ただただ、その一心で私は自分で自分を捨て続ける。なんて酷く矛盾した行為なのだろう。 もっとも、無我夢中で生きていくうちにそんな迷いは綺麗に消え去ったが。
……ただ、時々思い出した様に不安に駆られる事がある。
私はとんでもない過ちを犯してはいないだろうか、と。
「こんにちは『マダム・カップケーキ』、今日のオススメのお菓子はどれでですか?」
来客を告げる鐘の音に菓子屋の女主人が振り向くと、可愛い悪戯が成功したかの様に微笑みながら客の少女がそう言った。かれこれ数年振りに来店した彼女を見て女主人も笑顔を浮かべる。
「まぁ!メグちゃん、久しぶりね!」
「お久しぶりです、メリーさん。……本当は去年の夏休みやクリスマス休暇の時に行きかったんですけど、ちょっと環境の変化諸々やら何やらでバタバタしてまして」
ほんの少し眉を下げてそう言ったマーガレットに、メリーはあぁと納得する。マーガレットはこの店から程近い場所に住んでいる女の子だ。昔から店のお菓子を買いに来る常連客でもあり、よくブラスバンドの練習帰りに友人達と来店していたものだった。そんな彼女も受験に進学と目まぐるしく環境が変わったと聞いている。店から足が遠退くのも少し寂しくはあったものの仕方ない事だ。
「確かにあの時の常連組はみんな受験して遠くの学校に進学したものねぇ。レミちゃんやニーナちゃんにも暫く会えていないわ」
「私も休暇の時にカードや手紙の遣り取りはしているんですけれど、どうしても進学先がバラバラだと会える日のタイミングが揃わないんですよね。こういう休暇じゃないと懐かしのメンバーで金管セッションなんて夢のまた夢です」
楽器の入った大きなケースを持ちながら各々好きなお菓子を買っていた小さな女の子達の姿を思い出し、懐かしい気分に浸っていたメリーは何気なく以前聞いた話を尋ねた。特に他意など無く、音楽のコンクールにも出ていたのを知っていたからこその、ちょっとした雑談のつもりだったのだが。
「そう言えばメグちゃん。中学校に入る直前に急遽進路変更したって聞いたけれど、海外留学でもしていたの?」
「いえ、国内には居ます。ただ、スコットランドの方のパブリックスクールに通う事になりまして。全寮制の学校だから、どうしても地元とはご無沙汰になっちゃうんです」
マーガレットの返答に、思わず手がピタリと止まった。
「……スコットランドのパブリックスクール?」
「はい。入学証が届くの遅くて結果的にかなりギリギリの進路変更になってしまったんです」
「そう……」
何とか取り繕ったメリーは静かに目を伏せた。
スコットランドのパブリックという進路先は、メリーにとっても嫌というぐらい縁がある。というよりも、彼女にとってその進路は一ヶ所しか思い浮かばなかった。
──ホグワーツ。かつてメリーが通っていた学舎。そして彼女にとっては、ひたすら苦い記憶の象徴たる場所だ。
メリーの両親は菓子店を営む
自分が魔女であると知った時はとても驚いたが、魔法学校からの入学証を素直に喜んで心を踊らせていた。実際、最初のうちは新しい事ばかりで楽しかった。けれども、それも長くは続かなかった。
少なくともメリーが在学していた時は、彼女の様な魔法族の血が流れていない者はスクールカーストの最下位に置かれ、それはもうイジメやら差別の対象とされた。陰口なんて可愛いもの。罵倒された回数も数えるのを諦めたレベル。果てにはただ出自が気に食わないというだけで悪質極まりない呪いを同級生に掛けられる始末だ。もはやこんな仕打ちを受けてまでわざわざ魔法界になんて居座りたくも無い、寧ろこっちから願い下げだと思う程度には卒業前に気持ちも離れ切った。 どうせ自分の様な立場の者を貶めて排斥しようとしている闇の勢力が台頭していた、まさに全盛期だったのだ。いらないと言われる場所に敢えて居場所を求める必要も無い。こっちから先に見切りを付けてやったのだと、自分を納得させて記憶の片隅からも抹消していた。……それをまさか今更思い出すとは。
(そう言えば
同じ学年、同じ寮、そして同じマグル出身のリリー・エバンズはメリーにとっては学生時代で一番仲の良い友人だった。恐らく彼女ほど勇気を標榜する寮が似合う女性もなかなかいないだろう。
日増しに自分を取り巻く現状に嫌気が差して投げ遣りな気分になっていた自分とは違い、理不尽な目に遇おうと真っ直ぐと──時には傲慢なまでの絶対的な正義感を掲げた彼女は、卒業後も闇の勢力と戦う事を選んでいた。家族の安全の為にも友人を含めて魔法界から一切の関係を絶っていたメリーは細かい顛末を知らないが、暗黒の時代が終わる間際、リリーが最後の犠牲者の一人だったらしいと後々になってから風の噂で聞いた。……あんなに仲の良かった友人だったというのに、我ながら随分と冷たいとメリーは思う。けれども関係を絶つという事は、即ちそういう事だ。
リリーが勇気を以て戦う選択をしたというのならば、メリーは勇気を以て絶縁を選んだ。それが誉められるか否かは別として。
何とも言えない感傷には浸っていたメリーだったが、頭を振って思考を引き戻す。そもそもマーガレットがホグワーツに通っているとは限らない。本当にスコットランドにある普通の学校に進学しているだけかもしれない。それ以上踏み込むつもりもない以上、昔の事は今考えるべきはない。
「……あらやだ、私ったらお話に夢中で肝心の注文を取っていなかったわね。今日はお花のカップケーキが作りたてなのよ。良かったらお茶のお供にいかが?」
「あっ!それなら、カスタードプディング二つとブラマンジェに、お花のカップケーキ三つ下さい!それにしても、いつ見てもメリーさんのカップケーキって本当に凄く綺麗ですよねぇ」
「うふふ、ありがとう。これならマダム・カップケーキの名前はまだまだ通用しそうね」
「勿論です!多分、今でもカップケーキデコレーションはマダムの『魔法』だと思っている子供達って多いと思いますよ」
「!」
マーガレットの「魔法」という言葉に、メリーは目を丸くする。確かに店に来る子供達がよくカップケーキのデコレーションを魔法だと言っていた。メリーの「魔法」は杖も呪文も必要ない。あるのは甘いカラフルなバタークリームと、絞り袋だけ。
少なくともメリーは、もう二度と魔法を使うつもりは無い。
「……そうだわ。せっかく久々に来てくれたから一個サービスしちゃおうかしら。メグちゃんだから、
「良いんですか!?」
「えぇ!マダム・カップケーキの名前と看板に賭けて、甘くて美味しいとっておきの魔法を魅せてあげるわね!」
自分が使う「魔法」はこれだけで十分だ。
己に流れる血を理由に罵倒される事もなく、家族や馴染みの客と穏やかな日常を送る日々。魔法で繋がった友人達とは恐らく二度と会えないという現実に一抹の寂しさを覚えつつも、やはり自分の選択は間違っていないはずだとメリーは密かに思った。
◆
「やっぱり、駅から出ると本格的に帰宅しているという実感が湧いてきます!平穏無事な日常が一番です……!」
大変不本意極まりなく、嫌々渋々といった面持ちを全く隠さず、身内としてカウントするのも癪で仕方ない甥を迎えに来ていたペチュニアは、そんな話声にほんの少し気を惹かれた。特に理由なんて無い。強いて言うなれば、彼女から見て頭の可笑しいだけの連中が繰り広げるお花畑会話が勝手に耳へ入っただけである。
(平穏無事な日常、ねぇ……魔法なんて非常識なものを持っている限りは絶対に無理でしょうよ)
ため息と共に飛び出しかけた悪態を飲み込んだペチュニアは、何気なく会話が聞こえた方を横目で見やった。近くにいたのは親子と思われる黒髪の三人組だった。恐らくは、学校帰りの兄妹と彼らの父親なのだろう。魔法使いだなんてトチ狂った集団の割には親子共々まともな格好をして、上品な立ち振舞いをしている部類だとペチュニアは思う。
余所の家族をジロジロ眺めるつもりも無い彼女はそのまま視線を外したけれど、一瞬だけ女の子の方と目が合った。その子は鮮やかな緑色の瞳をしていた。──その色合いは、思い出す事すら腹立たしい、とうの昔に絶縁した
苛立たしい気分が込み上げてきて、思わず衝動的に舌打ちしたくなったのを辛うじて押し留める。愛する家族の前でそんな無作法な真似はしたくない。
……無関係な少女の、それも化粧や服装ではなく瞳の色で苛立つのは幾らなんでもお門違いも甚だしいのは分かってはいるものの、何でよりによって緑なんだと思わずにいられない。
かつては仲の良かった姉妹仲も魔法の存在一つでヒビが入り、修復不能なまでに崩壊するなんて瞬く間の事だった。
一つ気に食わない事を自覚すると、芋づる式にあれもこれも気に入らない。面白くない。我慢ならない。まさにその悪循環だ。ペチュニアから見て、リリーは小さい頃から両親のお気に入りだった。明るくて元気なリリー、自慢のリリー、可愛いリリー。いつだってリリー、リリー、リリー!自分の様に地味な人間がどれだけ頑張っても手に入らないモノを、あの子はさも当然の様に享受していた。そもそも彼女は、与えられない人間がいる事すら理解していないのだ。あの緑の瞳で笑いながら、無意識かつ無自覚に無神経な言葉を何度言われた事か!
──どれだけ私がお前の尻拭いをさせられたと思っているんだ!
もっと早い段階から本人へ面と向かって直接そう怒鳴り付けてやれたなら、どれだけ楽だっただろう。ごく普通の街の中ではリリーの
──魔法を教えた忌々しい元凶の少年も、我が家に魔女が生まれたと呑気に喜ぶ両親も何も考えやしない!
そういう思いが募り募って鬱屈していったペチュニアが、勝手に手紙を読まれた件で爆発し、感情のままリリーに向かって「生まれ損ない!」と吐き捨てたのは無理からぬ事だろう。
(緑の瞳なんて見るものじゃない。余計な事を考える)
せっかく実家に見切りを付け、普通を愛する人と廻り合い、普通の幸せを手に入れたのに、魔法の世界は傍迷惑な事にペチュニアを逃してくれなかった。妹夫婦が死んだという手紙一つで押し付けられた甥は……まぁ控えめに言って、ペチュニアにとって現在進行形で悪夢以外の何者でもない。
(魔法族はきっと子育ては愛の無償ボランティアで成り立つとでも思っているに違いないわ)
それでも彼を放り出せないのは何故なのか。腹立たしいほど父親似でありながら目だけは妹そっくりの甥。彼を家族だと認めた事なんてないのに、時たま妹の顔がちらついて仕方ない。……きっとあの瞳が全て悪いのだ。
ペチュニアはため息を一つ吐くと、先程の家族のいた方をもう一度チラッと見る。彼らは既に立ち去った様でもう誰もいなかった。
「………………」
緑の瞳の女の子。もし
実はペチュニアには姪がいた。ハリーの双子の姉で、名前はシャーロット。一度だけ絶縁後に届いた、子供達の誕生を伝える手紙にそう書いてあった。写真もろともすぐにゴミ箱へ叩き込んだけれども、姪も妹と同じ緑色の目だったのが嫌に記憶へ焼き付いていた。
ペチュニアは夫や息子にも彼女の事を話していない。ダーズリー一家の人達は妹夫婦の遺児はハリーだけだと思っている。置き手紙によると、まだ赤ん坊だった幼い姪は遺体無き死を迎えたらしい。本当かどうかは知らないが、置き去りにされていたのが甥だけという事は恐らく生きてはいないのだろう。
……どうして彼女の存在を伏せたのか、ペチュニア自身も分かっていない。幼い子供を持つ母親として思う事があったのか、はたまた同性であるが故に深層心理で妹を連想したせいなのか。ただ、一度だけ手紙で認識しただけで、それ以外は直接の実害を被った訳でも無い子まで扱き下ろす気には流石になれなかった。
きっと知らない他人でいた方がみんな幸せだったのだ。中途半端に関わる羽目になるから、みんな不幸になるのだ。ペチュニアや家族の精神衛生上の安寧としても、この家で暮らさざるを得なくなった甥の感情的な平穏としても、他人なら良かったのに。
(姪の存在をはっきり認知せずに済んで、本当に良かった)
唯でさえ爆発寸前なのに、緑の瞳の女の子とも毎日顔なんて合わせていたら、それこそきっとペチュニアは発狂してしまうに違いない。知らないという事は、ある意味では救いなのだ。
◆
『私は見届けたい!一匙がもたらす可能性を、瓶の中身が生み出す結末を。余す事なく、全てを!』
新聞のほんの片隅に載っていた小さな記事。写真の真ん中に写っているのはまだ幼さすら感じるホグワーツの女子生徒。それだけ聞くと彼女が有名人か何かと思うだろうが、記事を書かれる事は案外珍しくもない。過去にも論文やクラブ活動で表彰された者がインタビューを受けて、新聞に掲載されるのはまあまああった事だ。勿論、そういうインタビューが日常茶飯事レベルであるとまでは言わないが、取り立てて騒ぐ程の出来事でも無いのである。
大多数の一般人はこの記事を見たところで、せいぜい将来それなりに有望な学生がまた現れたんだなぐらいにしか思わないだろう。
──あくまでもその読者が日常生活を送っている一般人だったならば、の話であるが。
記事を食い入る様に見ていたその男は、残念ながら一般人ではない。そもそも彼が今いる場所自体、一般人は立ち入れない。
絶海に囲まれた最果て、魔法使いの監獄。そのアズカバンの中でも特に極悪な者達が収監されている最深部に彼はいた。同じ場所にいる者達が幸福の記憶を失って次々と絶望し、発狂して「脱落」していく中、ただ一つの妄執にも似た感情だけで正気を保ち続ける彼はある種異質な存在である。それこそ見た目だけは骸骨よろしく完全に落ちぶれているが、十年以上も厳重な監視下にいながらも、たまたま視察に来ていたらしい魔法大臣に「クロスワードがしたい」と手持ちの新聞を要求する程度には気力が残っていた。
そうやって入手した(というよりは彼を気味悪がった魔法大臣に投げ付けられた)新聞で暇潰しにでもと読み耽っていた時に、件の少女のインタビュー記事を見付けたのだ。
「あの子が……生きているのか……!?」
……彼にとって重要なのは、記事の内容ではない。写真に写っている少女の存在そのものだ。それでも彼はその少女に関する更なる情報を求め、血眼になって記事を読み進めた。
魔法薬学の資格を学生でありながら取得し、その熱意と独自の視点が評価された彼女は、ダモクレス・ベルビィ以来の約二十年振りに癒薬安全管理協会の魔法薬研究チームへ特例研究員として招待、参加が認められたのだという。
記事を一通り読んだ男は改めて写真を見る。癒薬安全管理協会代表のドリス・クロックフォード、マーリン勲章も受勲している名誉研究員のダモクレス・ベルビィ、そして彼らと一緒に写る──
「マーガレット・ノリス……」
男が少女の名前を呟く。……少なくとも彼にとってその名前は、全く記憶にない。写真さえ見なければ、間違いなく彼は記事の少女の事を見ず知らずの赤の他人だと判断していただろう。
けれども彼は彼女の顔を知っている。彼があの子──親友一家の長女を最後に見たのは十年以上前だが、今でも親友も、その妻である同級生も、二人の双子の姉弟も、全員の顔を今でもハッキリと、それこそアズカバンにいてもなお明確に覚えているし、例え名前が違かろうと自分が見間違える筈はない。
父親と生き写しの弟とは違い、
シャーロット、と記憶に残っている彼女の名前は掠れて声にならなかった。自分が最悪な判断ミスをしたせいで、きちんと弔ってあげる事すら叶わない状態にされたあの子が、違う名前を得て生きているかもしれない。それだけでも、男にとっては格別の希望であり、この地獄で生きる為の活力に他ならなかった。
もう一度だけ記事を隅から隅まで読み通すと、そのページだけ丁寧に折り畳んで懐へと仕舞った。
どこか感極まった面持ちのまま何気なく残りの新聞に目をやった男だったが、その途端に彼の表情は一変した。
彼が見たものは、ガリオンくじの賞金を当てた家族がエジプト旅行へと行ったという写真付きの記事──仲睦まじい一家団欒の中には末息子が連れて来ていたペットのネズミも一緒に写っていた。
これで「秘密の部屋」も完結し、いよいよ物語は「アズカバン」へと突入します。
正直に申し上げますと、プロットの段階で作者が一番楽しみにしていた章の一つが三年次ですので、思いっ切り楽しみながら物語を進めて参りたい所存でございます!
今回の番外編の他者視点は、リリーとマーガレットを知っている人→リリーの血縁者→リリーとシャーロットを知っている人、というラインナップになっています。
一番最初のメリーさんに関しては名前だけの登場人物というポイントを大いに活用し、とことん捏造と妄想を大量に詰め込んでおります。マーガレットはとにかくハリーと徹底的に対となる環境にしたかったので、そういう意味でもリリーの友人(と思われる)メリー・マクドナルドという人物はベストポジションでした。
【キャラ紹介】
メリー・マクドナルド
原作ではスネイプがつるんでいたマルシベールに闇の魔術を掛けられたらしい人。リリー(親世代)の話で名前だけ登場している。
この物語では「魔法を捨てた顔馴染みのご近所さん」で、ハリーにとってのフィッグ婆さんに近い立ち位置の人です。あと、かつてはリリーの親友だったけど魔法界そのものに見切りを付けてみんなと絶縁したという設定は、さりげなく悪戯仕掛人の関係と顛末も意識していたりします。今後どの程度出てくるかは未定。
ちなみに彼女をお菓子屋さん設定にしたのは、作者の好みです!!パティシエさんの技術って魔法みたいだなぁと思っていまして。