黒死牟と羽絃   作:布団は友達

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弐.陽向から鬼の胸へ

 

 朝日が昇り、暗黒と奇々怪々に充ちた町にも静寂が訪れた。代わるように山々から日の光を感じて穴蔵より出でし獣の息吹が聒しい。

 鬼が屋内へと逃げ込むが、上弦の最高位が使用している長屋へ間違っても入る者はいない。避難先の選択を過てば、その頚と胴は泣き別れる。

 

 子供はそんな頃、埃の舞う台所で起床した。

 外れかけた鎧戸の隙間から差す光から、既に朝を迎えたと知る。自分が此所で倒れるまでの経緯について、脳内を探るが未だ答えは知れず。鬼に追われて余程混乱したのか、その末に場所も選ばず失神したか。

 己が必死さに苦笑しつつ、やはり人ならざる者に追い回された夜の悪夢を想起して身震いが起きた。体を抱いても、震えは止まらない。

 しばらくして、脳内に昨晩の出来事が甦る。

 里で家族を食し、余興に数多の子を頂戴した鬼によって拐かされた。彼等の玩具として惨憺たる末路を歩むのだと己の未来を考えた時、彼等の根城から逃げ出していたのだ。

 長屋へと踏み込み、跫を感じて逃げ惑い、窮余の一策として戸棚に隠れたが、あえなく看破されてしまった。

 あの鬼……他の怪物達とは出で立ちも雰囲気すらも異なる存在は、自分を殺さずにおいたのか。他の鬼を滅し、子供の自分にまで害を及ぼさなかった。

 同種すら躊躇い無く斬り捨てる鬼が、何故に人の子を生かすことに益体を得るのだろうか。

 

 子供は室内を見回そうとして、思わず萎縮した。

 台所では、窓より差す斜陽から逃れる様に部屋の隅に昨晩の鬼――黒死牟が黙然と座してこちらを観察していた。

 子供は困惑した末に、自分も体の正面を向けて恐る恐る低頭する。

 

「昨日は、ありがとうございました」

「…………」

 

 黒死牟が微かに口を開く。

 その途端、腰元の刀から鍔鳴りが聞こえ、隣にあった台所の調理棚が幾つにも寸断され、子供の前の床に鋭い線が走った。

 子供は慄然として顔を上げたまま硬直する。

 黒死牟はゆっくりと立ち上がると、陽向の下に居る子供の手前まで悠揚と歩み寄った。その奇異なる顏を光に当たらぬところまで近付け、目を細める。

 一言も発していないにも拘わらず、途轍もない威圧感を放つ鬼に、子供は口を噤むしかなかった。

 

「それは…誤認…。お前の命など…瑣末な物、不埒な闖入者共を…制するのが先と断じたのみ…」

「ごにん?さまつ?ふらち?……な、何で……殺さなかったの?……ですか?」

「我が刃圏に踏み込んだ…昨晩のお前に、些かの興味を…感じた」

「はけん……?」

 

 語彙に乏しいのか、首を傾げる子供に黒死牟は黙った。

 まだ幼い、年の頃は六か七。恐怖を感じる前の顔色は血の気が良く、子供らしい膨らみのある頬は大事に育てられた証左。着ている衣も今は見るに堪えないが、さぞや綺麗な刺繍に彩られし着物であったに相違ない。

 無論、黒死牟が女児の容貌云々に関心を寄せる筈もなく、生かした理由は概ね一点に限る。

 実力差や、自分を斃す術など無い子供だと認識していたからこそ油断していたのもあるが、不用意に接近すれば自分の体は外敵と認めて斬り伏せるようになっている。

 黒死牟に刀を抜かせるよりも先に飛び付いてきた娘の異様な資質に興味を見出だしたのだった。

 

 言葉が中々に通じぬこの子は、冬の寒さに漸う気付いて服の襟を掻き寄せる。所々を引き裂かれたそれでは、その体を包み隠すには至らない。

 更には注意が黒死牟から逸れて緊張が解けたか、腹の虫が鳴る。

 

「寒い……お腹、空いた」

「…童ならば…致し方無し…」

 

 黒死牟は立ち上がると、部屋を辞した。

 子供はその後ろ姿を見送ってから、少し経って再び戻ってきた彼に毛布をかけられた。それもまた埃被っていたが、ある程度払い落とされている。廃墟に仕舞われた人の生活の名残を感じさせる物だろう。

 毛布で肩まで包んでくれる黒死牟の手を、無意識に摑んでいた。

 動きが止まり、六つの目が幽かに見開かれる。

 

 まただ――この童。

 気安い接触も許さずに躱す黒死牟が、またしても不意を衝かれてしまった。触れた小さな童の手に小さな一驚と、不思議な高揚を生じる。

 

「……冷たい」

「鬼は血が巡ろうとも…人に非ず…。尋常なる生命の理を…逸した我らに、温もりなど無い…」

「でも、でもね……ほっとする」

 

 その相に僅かな笑みの兆しがあった。

 黒死牟は触れた手を払うのに、何故か躊躇ってしまって見詰めるしかできない。調子を狂わせる子の挙動には、つくづく煩悶しか無い。

 

「お前…名は…?」

羽絃(うと)

 

 子供は毛布を手で押さえたまま、黒死牟の懐に潜り込んだ。その胸に頭を預けて、瞼を閉じる。

 もはや斬り捨てるのも面倒であると刀も抜かず、子供の頭を摑んで突き放そうとしたが、胸から伝わってくる幽かな震えと嗚咽の声に止まった。

 

「うっ……うう……!」

「…脆弱なり。鬼に救いを乞うなど…愚かな…」

 

 泣き疲れた子供はそのまま再び寝てしまった。

 幼き齢は瑣末な事にも体力を要するため、何をしようとも寝てしまう。呆れとも煩わしいとも付かぬ感情で、黒死牟は片腕に子を抱えたまま長屋の二階への上がった。

 

 

 

 





《オリヒロ紹介》


羽絃(うと)

 年齢:6歳     好きな物:裁縫、綾取り
 出生:商人の愛娘  嫌いな物:鬼、父
 趣味:なし     気になる物:黒死牟

 ある町に拠点を置く商人の娘。
 赤い髪を玉に結い、汚れて破れた着物を着る。顔立ちは整っており、汚れていなければ好奇を惹く可憐な貌。体は華奢であり、その所々にはある傷が……。

 寵愛を受けていたが、父のそれは異常な執着にも近く、本人は辟易していた。母や姉はいたが、豪遊に暮れる彼女達も苦手とし、慎ましい事を好む傾向がある(綾取りや裁縫はその一環)。
 町を襲撃した鬼に誘拐されて、偶然にも黒死牟が滞在していた鬼の里(人が捨てた町)へと流れた。その手を逃れた先で彼と出会う。

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