黒死牟と羽絃   作:布団は友達

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参.鬼の腕に眠れ

 

 日が沈むまで眠った。

 元より日中に身動きの取れない黒死牟にとって、これ以上無く行動制限であるというのに、羽絃なる女児が襟を摑んで放さない。安眠を催す要素があるとは到底信じ難い己の胸の中に、健やかな寝顔がある。

 黒死牟は子供自体に慣れていない上に、僅かとはいえ数時間を人間と共有した事など錚々ない。普く人間は無謀にも挑戦し、この怪剣の餌食となって死に行く末路を定めとされている。

 この数百年とて、ある特定の人物を除いて何者も受け容れなかった黒死牟としては、不意に訪れたこの羽絃の存在が甚だ不条理に思えた。

 

 自身がこの少女をどうしたいか――。

 

 『十二鬼月』で最高位を占める黒死牟の内懐に何気無い足取りで踏み込む奇妙な力、そこ以外に興味を寄せられた事は無い。寧ろ、脅威となる要素があるのなら、今の内に摘んでおくのが英断。

 正座した黒死牟の膝の上に乗り、胸にすり寄る子供の影に一片(ひとひら)の情すら湧かない。捕食対象として見えるところ、依然として己の精神は徹頭徹尾において鬼である。

 眠る内に斬り伏せようかと、羽絃の背から手を離して刀の柄にそっと寄せた。

 その時、小さな体が震えて微かな呻き声を上げる。

 半開きではあるが、瞼の内側から紅い瞳が黒死牟を見上げる。

 

「んっ……ぉぁょぅ…じゃいましゅ」

「…退け…」

 

 黒死牟に命令され、体を引き摺るように膝上から降りた。眠そうに瞼を擦り、舌は呂律が回っておらず、まだ気を抜くと意識が途絶して舟を漕ぐ。

 降りても直近を離れず、隣から体に寄り掛かる羽絃に黒死牟は視線だけを投げ掛けた。この面倒を今にも脱したい一念に、今度こそ頭を摑んで引き離す。

 床に転がった途端にまた眠ってしまった。

 何度目かの呆れに、刀に伸ばした手を引き戻す。

 この女児の生殺与奪について、考えを巡らすのもまた煩わしいと考えた黒死牟は、袴の裾を捌いて立ち上がる。

 転がる羽絃の襟を摑んで持ち上げんとしたが、貫頭衣だった為にそのまま頭から抜けて、半身が露になった。仕方無くその着衣を正し、両腕で抱え上げて長屋の一階へと降りる。

 階段を降りきった頃には羽絃も目が覚めており、慌てて礼を言ってから腕の中より出て、自身の足で黒死牟の後ろに従う。

 

「…羽絃…お前は人里へ…還れ…」

「え!い、良いの?」

「此所より幾分か…離れているが…そこに…町がある…到着次第…お前を置いて…私は別れる所存…」

 

 長屋の破損した隙間より覗く夜空を一瞥すると、扉を開けて屋外へと羽絃を誘う。昨夜の悪夢が未だ鮮明な頃であり、踏み出す足は重く遅い。

 沈黙で催促する黒死牟だが、その様子を見かねて再び腕で抱え上げた。彼の片腕に腰掛ける体勢で、その首に軽く抱き着くようになった状態に羽絃本人が狼狽えた。

 黒死牟の体は鍛えられており、体幹が確りしている他に進み出す際にも姿勢は崩さない為か、全く揺れなどの心配は無かった。

 

「お前の…足では…目的地が…遠ざかるばかり」

「重く、無いですか?」

「宛然…小鳥の…如く…軽い」

 

 里の出口まで歩く。

 過ぎ行く廃墟の景観は、昨夜の殺伐とした空気が感じられず、羽絃は小首をかしげた。鬼に追い回された記憶はまだ新しいのに、どうして今宵の夜気は落ち着くのだろうか。

 思考していると、台所にて鬼を斬り捨てた黒死牟の後ろ姿を想起した。視覚の許容する相対速度を遥かに超えた刀閃と、厳格な雰囲気でその場を圧す風格。

 彼の姿を脳内に思い浮かべていると、襟に添えた手から安心感が伝わってくる。

 成る程――今朝と同じで、彼の腕の中だからか。

 得心して羽絃は身を委ねる。

 黒死牟は微笑した幼い顔が首元に寄りかかって来るのを受け止める。その足は、倦まず弛まず里の出口まで続いた。

 

 黒死牟が出口に至る。

 また夢現の境を彷徨する羽絃を見遣り、腕で持ち上げたまま長屋から持ち込んだ毛布で器用にくるんで固定した。山間の冷気に当てられても、これで体を壊すことは無かろう。食料は手間となるが、黒死牟が山の獣を仕留めて調達する他に無い。

 これからの山道に思いを馳せて、黒死牟は一歩前に踏み出さんとした。

 

 その後方から、路地を埋め尽くすほどの群となった鬼が押し寄せる。夜の静寂を侵害する足音に、振り向かずに問うた。

 

「貴様ら…私に…用か…?」

 

 その言葉から発せられる重圧に、鬼たちの大半が萎縮する。反抗は死に直結すると誰もが知る中で、それでもその場から逃げ出そうとしなかっただけでも、彼等は勇敢とも言えるのか。

 先頭を率いていた鬼が歪んだ笑顔で手を伸ばす。

 

「その餓鬼は昨日、我々が町を襲撃した戦利品として頂戴した食物です。どうかこちらに返して頂けないか?」

 

 鬼としては礼節を弁えた口調だった。

 然りとて、その奥底にはやはり鬼としての欲望以外は擁しておらず、眠る羽絃を見る目は血走っている。

 

 黒死牟は僅かに刀身を見せるように、小さく抜いて構えて見せた。

 

「この童が…私の手中にある以上…貴様らに…選択の余地無し…。これは、私の…所有物なり…」

 

 先頭の鬼は一瞬言葉に詰まるも、再び口を開き――その顎から断たれ、路地に転倒した。全く移動もしていない黒死牟の放った斬撃を誰も目視できず、一同に動揺が伝播する。

 静かに納刀した黒死牟が、肩越しに鬼達を睨んだ。

 

「異存は…あるか…?」

 

 誰もが首を振り、その場から退散した。

 見届けた黒死牟は、里を出る。

 林間に入って暫くし、羽絃が目を開けた。

 

「……?鬼様……私、寝てた?」

「…里もまだ…近い。鬼の彷徨く界隈…も…直に出られる…」

「私、歩けま……いたっ」

 

 羽絃は足を押さえた。

 黒死牟は思い返す。昨晩、初めて目にした時にも足から出血があったのだ。確かに、後ろを従いて歩く時も不安や恐怖にしては不自然な歩調だった。

 黒死牟は片手で羽絃の肩を摑み、腕に乗せたまま少し体から離して正面から向き直らせた。

 

「…後で…処置する…。暫しの…辛抱…」

「……はい」

 

 再び羽絃は身を委ねた。

 黒死牟は再び彼女から寝息が聞こえると、なるべく町への到着時間が早まるよう、揺らさず、しかし早く踏み出して夜闇の中を進んだ。

 

 

 

 

 

 




更新、早くしよう……(自己暗示)。
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