寂しい眠り姫に与えられたのは形のない友達でした 作:朝霞結女
朧げに霞んだ視界。
ふあぁっと弱々しい小さな欠伸をして、肺いっぱいに空気を取り込もうとする。けれど体を横にしているせいか取り込める量は減ってしまっていた。
体を起こそうかとも悩んだが、底なしの睡眠欲は満足していないらしく眠気が手足にまとわりついて動きを鈍くさせる。結局は眠気に負けてしまい面倒という気持ちによって何もしないという楽な選択肢を選んだ。
「結女ちゃん、起きたの?」
輪郭が曖昧で目に見える世界の淵は霧に覆われて小さな世界をよりいっそう狭めている。
その狭い世界を収める目を動かすと、少ししわのある四十路に届くかというほどの女性の姿が見える。若干頰がこけて目の彫りが深くなっていることから疲れているように見える。
「お、かあさん。いつも、ごめ、んね」
今回はどれくらい眠っていたのか分からないが、いつもと同じようにひどく喉が渇いている。おまけに寝起きで体に血が回りきってないので舌が回らない。そのか弱い声を聞き取るのは困難だ。
それでもお母さんと呼ばれた女性はしっかりと聞き取ったらしく、涙を目尻に溜めながら少女の細い指に自分の指を絡ませて少女に慰めの言葉をかける。
「謝らないで。貴方は謝らなくていいの……貴方は何も悪くないの。ただ他の人よりも運がなかっただけなのよ。だから優しく笑ってちょうだい」
「ごめんなさい……おかあさん。私ね、眠たいの」
「私は、いつも、眠たいの。だから、眠れれば、それでいいの。静かに、楽しい夢を、見たいだけなの」
「…結女ちゃん……」
小さくニッと微笑みながら少女は自らの望みを母親に聞かせる。それは娘をよく知る母親にとって言わなくとも分かっていたことではあったが、娘に人並みの人生をと願う母親には遣る瀬無さを感じるものであった。
でもねと少女は夢見心地な様子でうっとりと言葉を続ける。
「私、知ってるよ。おかあさんが、私のために、色んなお医者さんを、んっ。……探してくれているんだよね。私も、おかあさんの、望んでる、ように、なってあげたいんだよ」
少女は母親の想いに応えたいという想いと何もできないと悔しさが入り混じった声でいう。
しかしその言葉とは裏腹に、少女は諦めるしかないと残酷な現実を知っているようで諦念を持って言い放つ。
「だけど!眠たい、気持ちに勝てないの。何もせずに、何も知らずに、眠ろうと、しちゃうのぉ」
少女は点滴の管がついた右腕を静かに持ち上げて、目元をダランと覆い隠すようにして脱力する。
頬を伝う涙は少女が泣いていることを母親に教えてくれた。母親の苦悩を知った少女は、優しすぎる心を痛めて悩み、苦しんでいるのだ。
だが、彼女の優しい苦悩を掬い取ってあげることを母親は出来なかった。
もともと少女は睡眠欲が人一倍強かった。生まれながらにして体が睡眠を過剰に要求するのだ。母親がそれに気がついたのは小学校に入ってからだ。
赤ん坊の頃も幼稚園の頃も寝つきが良く、夜泣きも少ない子供であったことを母親は苦労も少ないと喜んでいた。
それだけならば良かったのだが少女が小学校に入学してからは、授業中に居眠りをすることを担任の先生から注意を受けるほどで、さらにその回数が異常に多かった。
確実に毎日1時間は居眠りをし、起こそうとしても起きる気配はなく無理に起こした時の寝起きの少女は別人かと思えるほどに機嫌が悪くなる。機嫌が悪くなった少女はいつもの温和な様子は鳴りを潜めて、親しい先生や厳しく怖い先生であろうと敵意を向けるほどに凶暴性を秘めていた。
母親が少女を医者に診せると「非器質性過眠症」と診断された。医者の説明では睡眠障害の一種で、特徴としては寝不足ではないのに長時間の睡眠。昼間の耐え難い眠気。睡眠発作や睡眠慣性といったもの。
だが医者は過眠症であることに間違いはないが、イマイチ確証を持たないという。母親が訳を尋ねると医者はこんな幼いうちから発症するのは非常に珍しく、さらに1日の睡眠時間を比べると日を追うごとに少しずつ伸びているという。
母親は医者の進める通りの治療を行った。だが対症療法に薬物投与、生活改善なども実施するも目立った効果はなく、藁にもすがる思いでカウンセリングや催眠療法なども試すが成果は無し。
原因不明の睡眠時間の増加は止められず、少女はあまりの睡眠時間の長さから病院で生活するほうが良いと判断され、病院のベッドで寝食するようになった。
彼女は1日の多くを──時には丸1日、2日も夢を見て過ごす。目覚めている2、3時間の間に母親と、運が良ければ父親とも喋って過ごし、母親がくれた本を読んで過ごす。
少女はそうやって生きてきた。
いつのまにか眠ってしまい、僅かな現実との繋がりで夢と意識の狭間を行ったり来たり。自らの肉体に生き方を極端に制限されている少女は普通の生き方をとっくの昔に諦めてしまった。それはとても寂しく悲しいものだった。
少女はいつだって孤独なのだ。
夢の中に生きる少女は現実に必要とされず、なぜ生きているのか分からなくなってしまった。母親と父親は少女の回復を願っているが、正直に言って可能性は限りなくゼロであり、父親は諦めて娘と接する短い時間を大切にし始めた。
悲哀の少女はその生涯を夢に覆い尽くされそうになった。
しかし、少女だけでなく世界に新たな衝撃を与えるほどの転機が訪れた。
「あのね、結女ちゃん。今日は話があるの。いつも見てもらっている先生がいるでしょう?」
「うん。新野先生だよね」
母親は唐突に話題を変えた。母親は最初からこの話をしたかったのだろうと少女は涙を拭いながらも母親の様子から機敏に感じ取った。
「そうよ。その新野先生がこの間、柴野さんという方をお父さんとお母さんに紹介してくれたの。柴野さんは新野先生の大学からのお知り合いで機械工学と脳医学に精通されていらっしゃるの」
「その、柴野さんが、どうして私に……?」
少女は納得のいかないといったように首を傾げて尋ねる。
「柴野さんはね、国の進めるISの研究に携わる科学者さんでISにとっても詳しいの。聞かせて貰った話ではISを用いた療法を結女ちゃんに受けてもらいたいそうなの。新しい試みになるし、当然危険が伴うそうなのだけど、ISの可能性とポテンシャルを持ってすれば症状の緩和は可能だとおっしゃるの」
「……ねえ、どうして?なんで、そんな話が、私に?ISって、空を飛べる、ロボットみたいな……あれだよね?」
母親は話に詰まってしまう。少女には話したくない内容もあるようで説明を上手くできなそうだ。おそらく母親も概ねの事情を知ってはいるが詳細を理解できていないのだろう。
すると、個室のドアをノックする音が聞こえてくる。
失礼しますと、礼儀よく入ってきたのは黒いスーツを着こなす三十路ほどの男性だった。
少女は男性の首からかかる名札に目を凝らすとそこには『柴野』と記されており、先の話の人物だと察する。
「こんにちは。朝霞さん。お嬢さんもはじめまして。私は柴野亮太です。よろしくね」
「こんにちは。柴野さん」
「こ、こんにちは。私は朝霞結女、です」
少女は柴野が快活な男で物腰柔らかな人物だとは思いもよらなかった。少女が想像していた研究者というと、もっと淡白な態度で冷たそうな人だからだ。
「そんなに緊張しないでいいんだよ……結女ちゃん。好き放題してきた僕は君のお母さんのような立派な大人とはいえないからね。友達のように接してくれたらいいさ!」
「それは、ちょっと……」
「ははは。まあ好きなようにしてくれればいいさ」
柴野は母親隣に折りたたみ椅子を広げて座る。その顔を間近で見ると目元にくまができており、顔色も少し悪いことが見て取れる。
「さて、話はお母さんから聞いてるかもしれないが、君の過眠症についてだ。遠回しな話は苦手なので単刀直入に言うが……私はそれらの症状は脳が機能しすぎているせいではないかと考えている」
「機能しすぎ?……つまり、必要以上に、働いているってこと?」
柴野は少女の疑問に大きく頷きながら答える。彼は少女の様子から予め立てた仮説が大きくズレてはいないことを確信する。
「そうだ。君の脳は常人よりも活発に働いている。それ故に君は少ない時間の読書やコミュニケーションから同年代を上回る知識と頭の回転を持っている。私はそれを人間の脳にもともと掛けられている制限がいくらか緩くなっている、又は無くなっているのではないかと仮説を立てた」
「……仮にそれが、本当だとして、どうして、過眠症の症状に?」
柴野は俯き目元をほぐしながら次の言葉を考えて喋る。あまり優れた様子ではなさそうだったので不健康な生活を送っているのだろうか。
「仮説を元に話を進めると、君の過眠症はおそらく生まれつきのものになる。なぜなら君の体は一般的な脳にかかる負担を遥かに上回るほどのダメージを受けるからだ。その結果脳の生存本能ともいうべきもの、いや適応能力とでもいうべきものが肉体にかかる負担を回復する為、もしくはそもそも負担がかからないようにと生命維持だけを目的に過剰な睡眠をとっているのかと思われる。要は働きすぎな脳に反動が睡眠として返ってきてるわけだ」
少女は言葉にされた自分の体の中で起きる事象が総じて軽いものに思え、全く実感がわかなかった。それでも目の前で睡眠不足のせいか欠伸を堪えながら症状の説明をする柴野の話を聞くことができたのは彼の話が見当外れではないと思う自分がいるからだ。
「それでは先生、なぜISを私の治療に?」
「おっと。いきなり核心に迫るな」
「それが一番……聞きたいことですから」
柴野は困ったように振舞いながらもどこかそれについて聞かれることを望んでいた風に思えた。
「そうだな……。まず、ISには核となるコアがあり、それが無ければISは動くことも出来ないただの鉄くずとなる。それは分かるね?」
「はい。ISをISたらしめるものは、ISの生みの親である篠ノ之博士が製造したISのコア、ですよね」
「そうだ。そのコアがあれば、──開発者のことを想えば口にしたくはないが──地上にある兵器の悉くを凌駕する性能が発揮できる」
柴野は辛そうに、ただ冷静に事実を淡々と述べていく。だが彼は椅子から立ち上がりISの可能性について声高々に語る。まるでそれこそが正しいのだと信じて疑わないように。
「しかし!誰もがISを兵器としか考えていないであるだろう中で私は考えた。ISには操縦者の命を守る機能があり、尚且つ無数にある宇宙空間の環境データを記録し計算する演算能力は世界中のスーパーコンピュータをも勝る性能だ。さらにコアに搭載されているAI──擬似人格が独自に自己学習、自己進化を繰り返すことを鑑みれば、君の脳の負担を肩代わりすることも不可能ではないと私は確信した!」
「でも、それは……」
少女は困惑して言葉が詰まる。
なんともおかしなことに気づいてしまったのだ。
例えば生命活動を補助するペースメーカーも電源がついて動かなければ意味がない。
そのような簡単な発想から少女は単純にISが常に起動状態、つまり常時展開されなければその性能を発揮できないのではないか?と思ったのだ。
それはまったくもって事実であり、ISが待機状態である場合ISコア内の処理ともいえる自己学習や自己修復を除けばISは操縦者に干渉できない。もし仮に常時展開を実現出来たとしてもそれは国防上、他国からの批判を免れることはないとして採用できないだろう。
柴野は少女の内心を見透かしたように、ニッと笑い「問題ないさ」と言い放った。
柴野の言動は無責任にも聞こえるが、彼の燃えたぎる熱意が宿る瞳には決意と覚悟を持っているように確かに思えた。
「君のIS適性は驚異のSオーバー。異常適性により危険度の高かった手術の成功率もフィフティーフィフティだ!」
柴野は狂気を滲ませながら拳を握って情熱を持って語る。
その柴野の豹変ぶりを見て少女は無性に怖くなった。働きすぎる優秀な頭脳はある一点に悍ましい考えを持ってしまったのだ。
ISは待機状態中に外部に干渉できない。
言い換えればISの内部では活動可能。
つまり操縦者自身をISの一部分として認識させればいい。
「私は君の肉体にISコアを移植する。そうすることでコアに君を
それまで口を決して出さずに少女と柴野の問答を側から眺めていた母親が静かに口を開く。
「柴野さん。もしやとは思いますが貴方は私の娘のためではなく、ただ自分の研究を検証するためにこの話を持ちかけたと?」
「ええ、そりゃまあ。……これは私のエゴではありますがあえて1つ言わせてもらうのならば、私はこの手術の実績を持って世界にISの医療への転用の有用性を示したいのです」
失望と怒りを露わにして母親は柴野に掴みかかりそうな勢いで怒鳴る。
「貴方という人は!前例もなく、命の保証もない。成功するかもわからない藪医者の手術のような提案をして、娘を、結女をなんだと思っているんですか!?うちの娘はモルモットなんかじゃない!」
激昂した母親は期待を裏切られたという思いで一杯なようで柴野の鎮めようとする声に耳も貸さない。
「落ち着いてください。冷静に話し合いましょうよ、お母さん。激情に任せた話など無意味なだけです。怒る理由は私と貴方の価値観の差異によるものでしょうが、寛容になってもらわないと。貴女の娘さんの将来に、最も影響する決断ですよ」
「それがどうしたというのです!?その手術でもし娘が命を落としたらどう責任を取ろうというのですか?死んでしまったら元も子もありません!あまりにも無責任です!」
「でも……」、「ですが……」と諦め悪く話し合おうとする柴野は部屋から追い出そうとする母親に抵抗するが、五分と経たずに「どうぞ、お引き取り願います」と言われついに折れてしまい帰ろうとする。
「待ってください柴野さん」
だが少女は意を決して声をかけた。声をかけられた柴野といえば大変驚いた様子で少女に振り向く。すっかり母親に断わられてしまい諦めていたのだろう。
「お母さん、心配だろうけど、私は、その手術を受けたいっ」
「結女ちゃん……」
母親は観念したように溜息を吐く。母親として少女のことを理解しているつもりでいるのだ。こうと決めて仕舞えば理性的な理由でも切り捨てるとよく知っている。
少女はそこらにいる人とは違いしっかり考えて物事を決めるのだ。その決断は常に鋼の意思のもとであるのだから母親の感情的な言い分では曲げないと理解していた。
「考えを改める気はないのね?」
「うん。私は、私のために、この話を受けることにしたよ」
「それでは……ISコアの移植手術を了承してもらえるということで?」
先の勢いはどこにいったのか、遠慮がちに柴野は問いかける。その様子が可笑しいのかふふっと笑いながら少女は返事を返す。
「ええ。私の未来のために、柴野さんには、頑張ってもらいますね。よろしく、お願いしますね」
にっこりと笑みを浮かべた少女を見て柴野は威圧をかけられているように感じる。もちろん少女にそのような意図はないのだが、情熱だけを燃やして突っ走ってきた柴野は熱が冷めきったまま思考をしてしまうと命を預けられた意味の重さに気づいてしまった。
柴野はなんとしてでも少女の手術を成功させなければいけないと思ってしまい、緊張した彼は急いで病室のドアを開けて「失礼しましたぁー」と言って帰ってしまう。
それを見てまた少女はクスッと笑う。
「賑やかな人だったね」
「そうかしら?思ってたよりも酷い人だったわ」
「周りが、見えてなかったんじゃないかなぁ。子供っぽい所があるだけだよ、きっと」
少女は穏やかに微笑む。
母親の心配を拭い去る太陽のように眩しい笑みは少女の気遣いだと気づいた母親は「優しい子に育ってくれてうれしいわ」と言って少女のか細い体を抱きしめて頬ずりする。
「ちょっと、お母さん!くすぐったいよぉ」
「ふふっ。いいじゃない。こうやって触れ合う機会も少ないのだし」
「もうすぐ出来るようになるよ」
少女の優しい笑みは儚くどこか痛々しさを感じさせるものだった。