寂しい眠り姫に与えられたのは形のない友達でした 作:朝霞結女
「ふっ!ふっ!ふっ!」
ヒュンヒュンと風を切りながら木刀が綺麗な太刀筋で振り下ろされる。
まだ夜が明けたばかりで太陽もその姿を完全に見せていない。しかし、織斑一夏はそんなことは関係ないと言わんばかりに素振り繰り返す。
何千、何万と振り続けた彼の太刀筋は洗練され、見事なものだという一方で極限まで削ぎ落とされたそれは無機質で恐ろしさを感じさせる。
「ふっ!ふっ!ふっ!……ああ、なんだもう夜が明けたのか。結局この生活にも慣れてきたな」
素振りを終えた一夏は感慨深げに呟く。哀愁漂う雰囲気といったところで息苦しいなと思い、パン!と両頬を叩いて眠気と一緒に吹き飛ばす。
「大分やってたな。汗を流そう」
タオルで額の汗を拭いながらペットボトルの水をゴクゴクと喉を鳴らして飲む。500mlの水は10秒もしないうちに飲みきった。
家の横手にある庭から玄関へ回り、ドアを開けて中に入る。
まず最初に台所に行くと空のペットボトルをささっと洗い立て掛けて乾かし、次の鍛錬のために別のペットボトルに水道水を入れて冷蔵庫に突っ込む。
その次は風呂場に行きシャワーを浴びる。熱めの水を頭からかかり気分を落ち着ける。汗を流すというよりも気分転換の意味合いが大きいかもしれない。
一夏は気が済めばすぐに髪と体を拭いて服を着る。そして髪をガシガシと粗めに拭きながら鏡を見ると
「相変わらず酷い顔だな」
思わず自嘲的な言葉を口にする。
それほどまでに一夏の姿は酷かった。
くっきりとクマが目の下にあり、ギラついた目は人を不安にさせるだろう。少し下に視線を向ければ首には紐の痣が何重にも残っている。何度も首吊りを試みたことが簡単に分かる。
そして一際目を引くのが右手首にある切り傷。その部分はとても目立つほどに傷口が深くえぐれていた。
その気になる織斑一夏の自殺未遂は計14回。
もはやなぜ死んでいないのか不思議なほどだった。一夏自身、自分が臆病で踏み越せない壁があったが、それでもこの回数をこなしてあの世にいっていないのがおかしいとは思っており、最近の引っ掛かり続ける悩みだ。
「こんな姿を見たら鈴や弾はなんていうかな……まあ考えても仕方がない。メシを食おう」
そういえば今日は千冬ねえもいるんだったな、と久し振りに朝食を共にする姉の存在を思い出して食材の量を増やし、メニューを姉の好みに合わせて変更する。
料理をぱっぱと作ろうと手際よく調理を進める姿は中学生とは思えないほどの腕前だ。一夏自身も料理人を目指してもいいかもしれないと学校の進路希望調査で書こうと考えるほどには自負しているようだ。
「さーてと。千冬ねえが起きてくるまでに作っとかないとな。今日は少しばかり真面目にしようかな」
これが織斑一夏の日常。朝早くから鍛錬に励み勉学と家事をこなし、空いた時間を研鑽するのに費やしている。
これではいつ眠っているのかと疑問に思うだろう。
答えは単純明快。彼はほどんど眠らないのだ。
一夏は一年か二年ほど前になるISを使った世界競技大会──モンドグロッソ、そのドイツで行われた第二回で誘拐事件に巻き込まれた。
当時一夏の姉である織斑千冬は第一回モンドグロッソの優勝者であり、二連覇を目されるほどの乗り手だったのだが、それを阻止したかったのか肉親の一夏を攫う事件が起きてしまった。
一夏はその事件の出来事による精神的疲弊からか不眠症を患い、眠れない日々を過ごしているのだ。
「ふわあぁっ。おはよう一夏」
「おはよう千冬ねえ。顔洗ってきなよ」
「ああ。そうするつもりだ」
大きな欠伸をしながら千冬が二階から降りてきた。寝間着をはだけさせ、寝癖で変な髪型という他人には見せられないほどにだらけきった格好でだ。
そんな千冬も元は凄腕のIS乗りで、先の誘拐事件後に千冬は日本代表選手の引退を宣言し、次の世代の育成とかなんちゃらで今はIS学園という教育機関で教師をしているらしい。
机に朝食を並べ終えたところに千冬が顔を洗って帰ってきた。ただ寝癖は直していないようだったので後でしなきゃなとひとりごちた。
「おお。今日は朝からアジか」
「そうだよ。千冬ねえ、アジ好きでしょ?それに千冬ねえだったら朝からでもいけるだろうしな」
「まあそうだな。一先ず席について頂こうか」
2人向かい合わせで座り手を合わせる。いつからか忘れてしまったが、ご飯を食べる時はいつも2人揃ってからだった。
「いただきます」
「いただきますっと」
朝の鍛錬でエネルギーを消費した一夏は育ち盛りということもあわさりすごい量のメシを平らげていく。そんな様子を見て微笑んでいた千冬だが、少しいいずらそうにしながら話を切り出す。
「それで一夏。……病院の結果は、どうだったんだ?」
「いつもと変わんないよ。原因不明で、おそらく過去の事件のトラウマによるストレスだろうってさ。俺もそんな気がするし」
なんともない風に返事をする一夏だが、千冬は気づいていた。一夏が箸を休めたその右手首の傷跡を左手で撫でていることに。
「なあ、一夏。あれはお前のせいじゃないんだ。あまり気に病むことは……」
「そう何度も言わないでくれよ、千冬ねえ。そう割り切れねえから悩んでいるんだ。だってありゃあ……逃げ出した俺が原因なんだろ?あのまま大人しく捕まったままだったらよかったんだ」
「すまない。気休めに言うつもりだったんだがそんな軽々しいものではなかったな。悪かったよ、一夏」
それから2人はどちらも話そうとせず、箸の皿で鳴る音や味噌汁を啜る音だけがこの静寂の中で音と言っていっていいものだった。
玄関先で黒のハイヒールを履いたスーツ姿の千冬が、一夏に遠慮がちに声をかける。
「じゃあな……一夏。行ってくる」
「……ああ。行ってらっしゃい、千冬ねえ」
物憂さげに一夏に視線を一瞬だけやると背を向けて玄関のドアを開けて出勤する。
千冬自身も事件の後から変貌してしまった一夏との距離の取り方が分からず唯一の肉親として、姉として弟の悩みを解決する術がないことに自分の無力さを実感していた。
まだ早朝といえる時間帯なだけに住宅路を歩く人も走る車も比較的に少なく静かといえる。その通りを千冬はとぼとぼと歩いていた。
千冬は無意味だとわかっていながらも考えてしまう。
一夏の不眠症をどう治療するのか医者も有効な手段を見出せなかったが、最近はめっきり連絡するのが減った親友に頼めば治せるかもしれないと思いつくものの自分のせいで多忙の身と考えれば頼ることを躊躇ってしまうのだ。この思考を何百回と繰り返してきたが千冬には未だに答えを出さないでいる。
「私はどうすればいいのだろうか」
チクリと胸が痛んだ。懐かしくも苦々しい記憶が頭をよぎったからだ。
あの頃は常に全能感に溢れていた。私は後悔などしないと言い切り、親友の忠告と懇願に耳を傾けずそして……その傲慢さが親友の夢を壊した。
今度は最愛の弟までもがひどく傷ついてしまった。
もうあの自由だった頃とは違う。
千冬は責任と力を持ってしまったのだ。
それをほっぽり出すことは許されない。
それを理解しているからこそ千冬はため息をつく。
それは深く後悔と疲労を感じさせるものであった。