汝平和を欲さば、悪魔に備えよ   作:せとり

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2.noob

 謎の声に誘導された場所は、何の変哲もない近所の民家であった。

 不法侵入はいけない事。その常識に従い玄関前で立ち止まるが、それも頭に再び声が届くまで。渚は命令に従い、鍵のかかっていない扉を開け放つと不法侵入を開始する。

 渚が発する物音以外が聞こえてこない薄暗い家屋。カーテンも閉め切られたままだ。どうにも人の気配が感じられない。

 確かここは富山さんの家だったはず。ぼんやりとした頭で町内会活動の時に記憶していた顔を思い出す。車が全部あるというのに住民がいないという事実に最悪の想像が浮かび上がるが、洗脳されている渚は気にも留めずに、導かれるままに無心で足を進めた。

 

 土足のまま玄関を上がり、階段を上る。そして二階の突き当りの部屋に辿り着く。息子さんの部屋だったのだろうか、パソコンやゲーム機、ゲームソフトや漫画に薄い本が見て取れる。

 一見なんの変哲もない一室。しかしその空間に、声の主の居城へ続く“孔”は存在した。

 地獄にでも繋がっていそうな、禍々しい孔。

 カーテンが閉め切られて仄暗い空間で起動したままのパソコンが、画面に不可思議な文字列を高速でスクロールさせ続ける。その文字列が術式となっているかのように、孔はパソコンの前に設置されていた。

 

『さぁ、来なさい』

 

 本能的に危険を感じて扉を開け放った状態で突っ立っていた渚が、孔に向かって足を前に踏み出した。

 その行動に対し、既にこれ以上ないというほど高まっていた警鐘がその限界を超えて鳴り響く。もちろんそれは意味をなさない。格の違いすぎる悪魔の魅了に対して、人間の本能など塵も同然なのだから。

 黒い孔に触れた渚の体が、転移する為にデータへと変換されていく。

 行先は当然、声の主の住居――『異界』である。

 

 

 

 

 微かな燐光と共に渚が降り立ったのは、闇が支配する夜の世界だった。微かな月明かりに照らされて、鬱蒼とした森に囲まれていることが伺える。

 ここは魔境である。人とは比べ物にならない強大な気配を其処等じゅうから感じ取れる。

 

「ニンゲンだ、いたずらしようっ!」

「女だ」

「どうしてここに?」

「クイタイ」

 

 宙に浮かぶ妖精、餓鬼、犬の獣人、幽霊。

 特に近くにいた悪魔達が、人間の気配を察知して渚を取り囲み、口々に言葉を発し始める。

 一斉に飛び掛かってこないのは、誰しもが獲物を独占したいからだろう。悪魔同士で隙を疑い、牽制しあって手が出せないのだ。

 しかし中には短気な者もいる。この膠着状態は長くは続かないだろう。そうなれば渦中となる人間など一溜まりもない。

 

「……アレ、りりむノえもの。とッタラころサレル」

「なーんだ、残念」

「女……」

「!」

「ク、クイタクナイ」

 

 だが一匹の悪魔が放った言葉により、緊迫としていた空気が弛緩する

 悪魔たちが表に出す感情は様々であるが、強者の勘気に触れたくないという心中は共通していた。

 一匹の妖精がさっさとどこかへ行ってしまったのを皮切りに、渚を取り囲んでいた悪魔達は集まって来た時と同様にばらばらに去って行った。

 

『まったく、雑魚共は私がつけた“匂い”すらわからないのかしら。……まあいいわ、早く来なさい』

 

 一歩間違えれば自身の獲物が横取りされていたというのに、その声は全く揺らいだ節が無い。余程自分に自信があるのだろう。

 謎の声――悪魔の言うことを真に受ければリリムというらしい――の言葉を受け、操り人形となっている渚は歩き出す。

 

 鬱蒼とした夜の森の中、悪魔が踏みしめたのであろう獣道を微かな月明かりを頼りに進んでゆく。暗さも相まってそれは相当な悪路であったが、平均を超える運動神経を有する渚にとってはハイキングとそれほど変わらない。

 脅威はやはり、未だに遠巻きに感じる悪魔達の気配であるが、リリムを恐れているのか手は出してこない。

 

 やがて森が開けた場所に出る。その中央には幽霊屋敷のような館が建っていた。

 

『ようやく来たわね。私は奥の部屋にいるわ、さっさといらっしゃい』

 

 どうやらこの館の奥にリリムはいるようだ。いよいよ食べられてしまうようであるが、魅了状態の渚には言いなりになるほかない。重厚な扉に手をかける。

 ――背後から、蟲の羽音のようなものが聞こえた気がした。

 

 

 

 

 闇の中、薄暗い森が高速で視界を流れていく。

 気が付いたら、渚は空を飛んでいた。もちろん自力で飛んでいるわけがない。頭上を飛んでいる妖精に、何らかの術を使われて運ばれているのだ。その術の効果によるものか、まるで風防があるかのように風を感じない。

 身体の調子を確かめるように身じろぎすると、まるで水中で動くような感覚。無重力というものは体験したことが無いが、もしかしてこれがそうなのだろうか。

 とりあえずは動ける。手足をじたばたさせるぐらいなら余裕だろう。

 

「やったな、あねさん! いまごろリリムのやつは大慌てですぜ!」

「リリムへの嫌がらせを兼ねて、わたし達のおやつが手に入る。一石二鳥」

「すげえ! さすがっす! そこまで考えていたんすか!」

「そう。わたしは天才だから」

 

 渚を運ぶ妖精と、その隣を並走する紙のお化けのような悪魔の会話が聞こえてくる。

 魅了の効果が切れて平静に戻った渚は、聞こえてきた“おやつ”という単語に、状況は何ら好転していないことを悟った。

 今からして思えば、変死体や猟奇事件の多発……。ヒントはいくらでもあったにもかかわらず、楽観視した結果がこの様だ。せめてお守りをもっていれば、何らかの加護でこの事態を回避できたかもしれないのに。

 いや、それは言い訳か。魅了が効かなかったとしても、リリムに襲われていたら絶対に勝てなかったと断言できる。

 根本的に、悪魔という認識からして間違っていた。この異界で出会った悪魔達は、恐らくレベルでいうと二~五あたりだとゲーム知識からして推測できるが、そいつ等でさえ人間とは存在としての格が全く違っている。

 産まれた時から備わっていた、常人を逸脱した身体能力に戦闘特化の特殊能力。

 これだけあれば中堅悪魔だって相手にできるかも? もしかしたら大物悪魔にさえ匹敵するかも?

 全くとんでもない妄想だった。実際に相対して理解した。あれは常人が勝てる存在では絶対にない。

 ――そう、常人には。

 

 平和ボケしていた過去の自分を一通り罵り、気持ちを切り替える。

 悲観している場合じゃない。絶望するにも早い。幸いにも、自分にはこういった状況で頼れる能力が宿っているのだから――。

 

「でも大丈夫なんすか? こんなことやったらリリムのやつに怒られるんじゃ……」

「そろそろ殺ろうと思っていた。怒りに任せて突撃してくれるなら、ホームで戦える分むしろ好都合」

「な、なるほど? よくわかんないけどすごいっす!」

 

 ――意識を切り替える。チャンネルを切り替えるように、“ソレ”を使用するに最適な状態へと変化させていく。

 脳が全力で稼働を開始し、視界に“赤黒い線”が浮かび上がる。

 黒色の瞳は、青白く輝いていた。

 それによって、今まで見えなかった多くのモノが見えるようになる。

 

「――ッ!」

「えっ?」

 

 渚を包み込むように纏わりついていた不可視の概念が、線の動きを精確に捉えた手の動きによって“殺される”。

 術が霧散し、轟々と音のなる風にぶつかり、宙を飛んでいた身体が重力に捕らえられて落下する。地上五〇メートルからの自由落下。思いついても絶対にやらない自殺行為。それを渚は、空中で着地の姿勢を維持しつつ、運よく着地に適した木々が足元に来てくれるのを祈るのみ。

 そして渚は、賭けに勝った。

 拍子抜けするほど早くに足元へやって来た、頂上付近の細い枝に器用に着地して勢いを殺す。落下ダメージを受け止めて限界までしなった枝から、別の枝へ滑り落ちるように移動する。ガサガサベキベキ。葉の擦れる音と、枝が折れる音。それを何度か繰り替えし、ようやく地面に辿り着く。

 

「え? え?」

「あねさーん! どうしたんすか! おいていきますよー!」

 

 逃げるように走り出し、木々越しに上空の様子を窺えば、何が起こったのかと困惑するピクシーと、渚が逃げたことにすら気が付いていない様子のシキガミが微かに見える。

 

「に、逃げられた……?」

「もー! どーしたんっすかー!」

「……ら! 逃げ……た!」

「……! …………!」

 

 駆ける。ピクシー達の声が聞こえなくなったとしても走り続ける。

 間伐なんかされていない鬱蒼とした森は、灌木や下草が生えていないため、段差以外に足を取られる心配はなく非常に走りやすい。 逃げているのはいいが、正直この世界から脱出する方法の当てはない。しかし根拠のない自信はもっていた。

 胸ポケットにしまってある3G携帯を手に取る。鞄なんかは放り出してきてしまったので、これが現在唯一の所持品でもある。

 不可思議な事に、異界に入った時にこの携帯が着信を知らせるように震えていたのだ。異界で電波が通じるとは思えない。しかし天啓のような閃きは、これが活路となると主張する。

 

「“悪魔召喚プログラム”……!?」

 

 開いて起動した画面に表示された文字を見て吹き出しそうになる。

 一体いつの間に。インストールした記憶は無いし、もし発見していたらこんな重要なこと忘れるわけがない。

 

(あれ、そういえば異界の入り口は……)

 

 はたと気づく。異界の入り口を作っていたあのパソコン――。あれも召喚アプリの仕業だろうか。だとしたらネットを介してばら撒かれている? それも持ち主に気付かれぬように潜伏させて……。

 

(いや止そう。これ以上の推測は無意味だ。今はこれを利用して脱出する方法を考える――!)

 

 そう決意したと同時、大分離れた上空から異常な気配が高まった。これが所謂魔力だろうか。

 もう見つかった――。そう頭をよぎるよりも早く。身体は危険を察知した本能に従って弾かれるように動いていた。

 携帯をしまい、手頃な長さの枝を拾いつつ、射線から隠れるように大木の陰へ滑り込む。

 木を盾するように中空の様子を窺うと、妖精が魔力を纏い、それを電力へと変換しているのか周囲はバチバチと帯電していた。

 

(あれは、――マズイ)

 

 見ただけで解る。あれは駄目だ。悪魔以外に生身で防げるモノではない。

 防ぐには同じだけの魔力が必要だ。今盾にしている直径二〇メートルはありそうな大木ですら、あれを撃たれれば容易く貫通されることだろう。

 “食べる”ような節を言っていたから多少は手加減されると思ったが、どうやらそれもないらしい。あんなものが着弾したら渚など肉片一つ残らない。

 直視の魔眼で無効化する? いくら運動神経がいいとはいえ、雷速に反応するなんて不可能だ。出来たとしたら人間やめすぎだろう。だったら避ける? あの強さで動体目標に命中させた経験が無いとは思えない。標的となった悪魔達はもちろん渚よりも速いだろう。

 鋭すぎる感覚と、聡明な思考から絶望的な状況を一瞬のうちに理解して、俯きがちに溜息一つ。

 

「――だからって諦めるわけないんだけどね」

 

 瞳が爛々と蒼く瞬き、口元は弧を描く。勢いよく上げられた表情は、挫けるどころか戦意に満ち溢れていた。不思議とまるで怖くない。それどころか、どこかこの状況に高揚している気持ちさえある。

 幹から数メートル離れた位置で持っていた枝を構える。ひょろ長いそれは頼りなさそうだが素手よりはマシだろう。

 さらに高まり続ける妖精の魔力を感じながら。渚は目を瞑り、闇の中で一筋の光明を探し求める。

 バチバチバチ。飽和しつつある電気と魔力を感じ取りながら、それを頼りに数瞬先の未来を予測し続ける。

 些少の事実に妄想と推測を重ねたような、未来予知とはとても言えない杜撰な予測。それでも今はこれに頼るしかない。

 いや、違うか。本当のところ渚が頼っているのはこんな小手先のモノではなく――。

 

(――ッいま!)

 

 思い焦がれるようにして求めていたモノ。魂の奥底から発せられる鋭い指令を感知して。渚は全力で枝を振るった。

 撃たれてからでは間に合わない。ならば先読みに全てを賭けるしかない――!

 大木に遮られて渚がピクシーを視認できないように、妖精からも渚の様子は窺えない。渚の動きを見てからタイミングを外すというのは不可能だ。

 

 ――ジオ。

 完成した魔法が放たれる――。死神の鎌が振るわれたのを察知して、しかし渚は生存を確信した。

 闇夜を切り裂く雷が妖精から生み出された。大気を穿つ轟音。

 分厚い幹が塵と消え、紙を突き破るようにして姿を現した稲妻が――見えた。

 蒼に輝く瞳が微かに捉えた“死の線”へ。すぐ傍を通過しようとしていた木の枝を、殆ど勘で振り抜いた。




年末年始にメモ帳にちまちま書き溜めていたもの。
恐らく合計十時間ぐらい。
それが二万文字も無いと知らされた時の絶望感。

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