第二撃は無かった。
幹を抉られた大木が、自重を支えきれずにへし折れていく。
その破壊を齎した妖精は、人間に稲妻がかき消された光景が信じられないように目を見開いて呆然としていた。
それは明確な隙であったものの、渚は身体が痺れて動けないでいた。
放電を避けつつ死の線だけをなぞるという神業に失敗し、枝越しに電流に触れて感電してしまったのだ。焦げ付いた木の枝を握って気合で臨戦態勢を維持しているが、ここで畳みかけられたら容易に人生の幕を閉じる事となるだろう。
(得体の知れない力を見せたんだから、会話でもしてくれないかなー。暴力に訴えられると今度こそ終わるし。とりあえず話しかけてみよう)
時間を稼ぐのも状況を打開するにも、とりあえずはそれが最善だと判断する。
友好的に接するには、まずは禍根を流さないと。挑発は絶対にしてはならない。相手が気に障りそうなことには全く触れず、良い点だけを強調する。
交渉術――というよりも媚の売り方の基本を頭の中で復唱し、意を決して口を開く。
「えーと、こんばんわ? 先程は危ないところを助けていただき、まことにありがとうございます」
「……は?」
まずは挨拶。そして助けてもらったお礼を言っておく。
相手からしたら獲物を分捕っただけで、助けたなんて絶対に思っていないだろうが、攻撃なんか気にしてないという渚の雰囲気は伝わるだろう。
……伝わった、のだろうか。なんだか更に理解できないものを見るような目で見られているが。いや気のせいだろう。遠いうえに小さいのだ、間違えるのは無理もない。
とにもかくにも会話をする気になったのか、ピクシーは小さく頭を振った後、傍にシキガミをはべらして渚の元へやってくる。
人間のように個体差が激しいのだろうか。そのピクシーは近寄りがたい雰囲気を纏っていた。
ゲームのような画一的な服装ではなく、黒いローブを目深に被り、そこから覗く無表情を見ると、クールな印象を受けると共に厨二病独特のプレッシャーを感じる。
シキガミの方は……身近にあるものから外れすぎていて、違いはよくわからない。それどころか、その物理的に白く薄っぺらい表情から感情を推察する事すら怪しいものだ。
一歩前に歩み出た妖精が、無感情に小さな口を動かした。
「どういたしまして。対価はあなたの命でいい」
「ふふ、お戯れを」
凄まじく過激な要求だった。渚は曖昧に笑って誤魔化そうとする。
まあその要求はともかく、会話に応じてくれたおかげで首の皮一枚で助かった。
人の命をなんとも思っていない言葉。能力を見せたとはいえかなり見下されているのは間違いない。しかし力尽くで来ない辺り、渚のことを大分警戒しているのだろう。
頭はちょっと残念そうだけど、この二人の悪魔は出会った中でもトップレベルだ。
こいつらの言動からして、この二人が協力すればリリムも倒せる、つまり二人を合わせた戦闘力とリリム単体の戦闘力は拮抗するらしい。
そしてこの周辺に住んでいる悪魔はリリムを絶対強者のように恐れていた。リリムの振る舞いも上位者がいるとは思えない程に迂闊なものだった。
つまりこの周辺にはリリム以上の悪魔は存在しないと推測できる。
ならば周辺危険度暫定二位のピクシーとシキガミの元にいつまでもいるよりも、さっさと逃げ出して死中に活を求めた方がマシ。そう思っていたのだが。
王手を打たれているのに盤外戦で、この一局をなかったことにしようとしているような、どうして未だに生きているのか不思議なこの状況。
まあ運は向いているのだろう。
なんだかよくわからないが、召喚アプリという鬼札も手に入った。
リリムが追ってくるという話も存在するし、警戒に値する能力も見せた。
あとはクールぶってるこの妖精を、悪魔会話で丸め込むことが出来たら活路が訪れる……かもしれない。
説得の材料は、命がけの綱渡りを繰り返して得るしかない。
「どう思おうとあなたの勝手。だからわたし達も勝手にする」
「そうだ! かってだぞかって!」
そう言い放ったピクシーが雷を撃ち放ち、シキガミも追従する。
「――そう? 僕もただでやられるつもりはないんだけどね」
二人の悪魔から放たれた、先程の稲妻とは比べ物にならないほどに弱い電流を切り払った。
その枝先が先程よりも鋭かったのは気のせいではない。無茶な体の使い方をしてコンディションが下がるどころか上がっている。これは神秘体験をするとレベルが上がるというあれだろうか。
「……不可解。ただの枝に打ち負けるほど軟ではないはず」
「めんどっちい! 直接ぶん殴れば!」
「危険。あのニンゲンの能力が予想を上回った場合、わたし達ですら消滅させられる可能性がある」
「む、むむむ……!」
追撃は無かった。二人の悪魔は渚を苛立たしげに見据えるだけだ。間違いない。こいつらは消耗するのを嫌がっている。
漏れ聞こえる二人の会話は渚の憶測を補強してくれた。追い風が吹いているように感じる。これはハッタリをかますしかない。
腕組みして思案に耽るピクシーと、唸るシギガミに向かい、微笑を湛えた渚が声をかける。
「これ以上続けるかい? この戦闘は君たちにとっても実りが少ないようだけど」
「……どうして、そう思う」
「会話が成立しているのがその証拠さ」
「……」
シキガミは頭にハテナマークを浮かべ、ピクシーは押し黙る。怒っている感じはしない。これは無言の肯定というやつだろう。
手応えあり。予想は当っていたらしい、このまま押し込んでみよう。
「理性的で助かるよ。そんな頭のいい君に提案だ。――僕と契約しないかい?」
「……? よく意味が分からない。説明を求める」
(うん? これで伝わらないのか。なら――)
渚は懐に手を突っ込み携帯を取り出す。横目で召喚アプリが起動していることを確認し、二人の悪魔に画面を見せつけるように突き付けた。
「僕はデビルサマナーだ。契約すれば、危険を冒さずとも一定のマグが恒久的に手に入る。君たちにとって悪い話ではないと思うけど?」
「……?」
渚が自信満々に言い放った言葉に、ピクシーは首をかしげた。
思っていた以上に悪魔召喚士というものは知名度が低いものなのだろうか。得意げだった渚の表情に冷や汗が浮かぶ。
そして流れる、渚にとって非常に居心地の悪い沈黙の時間。
しかし今まで話の流れに着いて行けずに空気に徹していたシキガミが、突然合点が言ったように大きく頷いて、マイペースに元気よく言葉を発した。
「おまえ、サマナーだったのか!」
「……知ってるの?」
会話を交わすたびに頭が悪いという印象が深まるシキガミが、比較的頭が良さそうなピクシーすら知らなかった情報を有していたことに、渚は大変な衝撃を受けた。それどころか仲間である妖精ですら驚いている。
本人が知れば気分を害しそうな反応も、予想通りというべきか、テンションが高めのシキガミに気づいた様子は欠片もない。
「おうよ! なんでもサマナーの仲魔になるとつよくなれるとか!」
「!? ……それは本当?」
「じょうほうつう? のやつから聞いたんですぜ! まちがいねえ!!」
「それは――」
しかしそれは当然と言うべきか、聞きかじりの知識だった模様である。
変な自信だけはあっても具体的な情報が入っていないこの説明で、ピクシーが信じることは無いだろう。
ここは渚が補足説明(ゲーム知識。実際にどうなのかは分からない)をして納得してもらうべきか。状況的に味方となっているこのシキガミを利用できれば、もしかするともしかするかもしれない。
ピクシーは次に口を開けば必ず否定してくるだろう。しかしそれは予想の範囲内。そうなればもっともらしい台詞を重ねてシキガミの言葉に信憑性を持たせればいい。
さあ霜月渚よ。その矮小なる知恵を振り絞り、目の前の悪魔を騙くらかして、己が生存権を取り戻すのだ――!
「――そんなにおいしい仕事なら、すぐにでもやるべき」
「だろ! だろ! おいサマナー! きいていたか、早くけいやくしろ!」
大真面目な雰囲気を醸し出してピクシーが頓珍漢なことを言い放ち、我が意を得たりと言わんばかりにシキガミも同調する。
その急かすような言葉を肯定するように、フードを被った妖精がこくこくと首を縦に振る。
一世一代の大勝負に出るかのような意気込みでいた渚は、目の前で繰り広げられたあんまりな光景に石のように固まった。
(こ、こいつら本気でバカだった――!?)
驚愕、安堵、拍子抜け。内心で様々な感情が入り乱れ。
「……うん、そうだね。契約しようか。……ちょっと待っててね」
驚異的な自制心により我に返った渚は、瞬時に成すべきことを思い出し、携帯に意識を向けながらも絞り出すようにして言った。
そう、今までの渚の発言は全て、本来知りえないはずのメタ知識を基にしたハッタリだ。
早急に、怪しまれないよう短時間で、最低限、契約の仕方だけでも悪魔召喚プログラムを把握する必要があったのだ。
固まっている時間なんてない。今は一文字でも多くの記述に目を通すべき。
少しでも時間を稼ぐため、焦りの感情は断固として表には出さない。傍から見れば召喚アプリの操作しているように見えたりしないだろうかと祈る。気持ちは天才プログラマーを装う、キーボードを滅茶苦茶にタイピングするだけの素人だ。
ヘルプを見つけた後は早かった。“↓”ボタンを押しっぱなしにして、小さな画面を霞みながら流れていく文章を頭に叩き込んでいく。終点を迎えれば素早い運指で瞬時に次の項目へ。
スクロールにかかる時間がもどかしかった。
▼
召喚アプリの機能は大体把握した。
このプログラムは素人ですら容易に悪魔を召喚・使役できるようになる代わり、その性能は使用者の才覚に完全に依存することになる。
本日の実感として、才能のない大多数の人間ではレベル一の悪魔すら従えることはできないのは明白だ。しかしヘルプでは、さも召喚アプリさえあれば誰でも悪魔を使役できるかのように記されている。
しかし現実は甘くない。
使役者が使役悪魔よりもレベルが高ければ命令に強制力を持たせるのも可能だろうが、一般人ではレベル零がいいところだろう。
しかも彼我の戦力差を実感させない為か、悪魔を対象としたアナライズどころか、使用者へのアナライズすら実装されていない。
その圧倒的な格の違いは、実際に悪魔と対峙すれば否が応でも理解できるだろうが、その時にはもう手遅れだ。
その危険性は、例えるならば、サーヴァントを令呪なしで使役しているようなものだ。それも魂食いを躊躇しない、強さだけを追い求めている悪魔のようなサーヴァントを。
薄々感じてはいたが、これをばら撒いている奴は絶対に性悪だ。黒幕は天使か悪魔だと言われても簡単に信じられるだろう。
まあその性悪のお蔭で生き残れそうな以上、あまり悪くも言えないのであるが。渚は憮然とした気持ちを自覚した。
「ふむ。これはいいもの」
「ですぜ!」
携帯を弄り始めてから数分後、やけに時間がかかることを訝しげに思われつつも、二人の悪魔と契約を結ぶことに無事成功した。
サマナーとなった渚から流れ込むマグネタイトに、先程まで抱いていた疑念を捨て去るように上機嫌な妖精とシキガミ。
その様子を、渚は表面上はニコやかに眺めつつも、内心では大きな危機感を抱いていた。
(生命力を生み出す端から吸い取られているような感覚……。結構キツイ。平時でこれなら戦闘時はどうなるんだか)
持前の才能によるものか、その身体に膨大なマグネタイトがプールされていなければ即死するところだった。
とはいえ微かな時間的猶予が出来ただけで状況は変わらない。本来、過剰な吸い取りを拒否する為に結ばれている契約も、渚と二人の仲魔たちの間にはレベル差が存在しており有名無実と化している。
自転車操業で悪魔を狩って、早急に力を付ける必要に迫られていた。
レベルアップでマグネタイト生産量が増えるのかは分からないが、悪魔を倒せばマグを手に入れることが出来るだろう。
それに十分なマグを吸ったピクシー達のレベルが上がり、要求される維持費が増えるというのも考えられるだけに、このまま座して待てば死にそうである。
なるほど悪魔召喚士というものは大変だ。仲魔内でトップの強さを維持しつつ、仲魔たちを成長させる必要があるのだから。
それを現実で実行するのは、いささか骨が折れそうだ。
――唐突に。ここからそれほど離れていない場所で、膨れ上がった魔力と共に閃光が迸る。
三人が弾かれたように一斉に、光の発生源へと振り向いた。
微かに遅れて雷鳴と、砲弾が命中したかのような爆発音、そして衝撃波。
攻撃された悪魔のものと思われる、弱々しい雄叫びも聞こえたが、すぐに何も聞こえなくなった。
戦闘が終わったのだろうか。
「……今のは?」
「悪魔同士の戦闘は日常茶飯事。けどあの威力はリリムのもの。恐らく苛立ち紛れに攻撃したと思われる」
確かに先程間近で見させてもらったピクシーの雷よりも凄そうだった。それが撃てるということは格上でリリムしか居ないということなのだろう。
苛立ち紛れ。そういうことなら未だにこちらの位置は知られていない?
いやまさか。索敵能力が皆無だとしたらピクシー達との妥協は成立していない。ならばある程度の索敵力は絶対に持っているだろうが、それがどの程度なのか、よく分からない。
というかそもそも悪魔の平均的な索敵能力すら分からない。
普段だったら一も二も無く質問したいところだが、駆け出しサマナーを騙っている今はちょっとまずい。
口を開けばボロが出そう。しかし常識的な事は知っていた方が絶対にいい。
一瞬の逡巡、結論は出た。
かなり抜けている所のあるこの妖精なら違和感をスルーしてくれるかもしれない。聞いてしまおう。
「なるほど。……ところで君たち悪魔は、この広い異界でどうやって索敵してるんだ?」
「ある程度接近すれば気配を察知できる。この異界もそれほど広くない。目的を持って飛び回ればすぐに見つけられる」
なるほど。
疑問に対する的確な回答を得て満足げに頷いていると、緊張感の無さを咎めるように、ピクシーがフードの陰からジト目で睨んでくる。
「この分だといつ接敵してもおかしくない。サマナーも準備して」
「了解」
そう言い捨てて、ピクシーはシキガミと話し始めた。
ベルトと靴、それに枝。渚も素直に言われた通り装備を確認する。圧倒的格上に挑むのだ、やれることは当然しておいたほうがいいだろう。
とはいえ主力は悪魔の二人。それも勝算があるのだろう自信満々な二人が仲魔なのだ。孤立無援で戦うしかなかった状況に比べれれば気楽なものである。
理想を言えば共倒れとなってくれるのが一番なのだが、目的は一つの単純なモノにしたほうがいい。二兎を追うほど、渚は自分を過信してはいなかった。
逆の見方をすれば。弱者でありながら自暴自棄にならず、一つの目的に向かって邁進し続けられるその精神のありようが異常なのであるが、そのことに渚が気付く様子はない。
着の身着のままで準備するものなど何もない。
すぐに手持ち無沙汰になった渚は、作戦でも聞いてみようと二人に近づいた。
「そういえば作戦ってあるの? 格上相手に無策だと厳しいだろうけど」
「もちろんある。簡単に言えばシキガミの新スキルで弱体化させた後、なぶり殺しにする」
「新スキル?」
「確か……タルンダといったはず。これを限界まで使用すれば、どんな相手でも完封できる」
「んだんだ」
シキガミの駄洒落のような相槌は聞き流す。
タルンダ。攻撃力低下の補助スキル。ゲームでは大分お世話になった記憶がある。
全体か単体かは分からないが、恐らく魔力の籠め方によって効果範囲が変わるのだろう。
それが彼女らの自身の源か。確かに強力なスキルである。だがしかし未だに懸念は残る。
「リリムはチャームのスキルを持ってたはずだけど、それは?」
「……確かにセクシーアイは脅威であるが、魅了なんて惰弱なスキル、気合溢れるわたし達に効くはずがない」
「というかそれ以外にどうやって防げばいいのか! わからん!!」
渚の核心をついてしまったらしい質問に、ピクシーは精神論を唱え、シキガミが裏事情をぶちまける。
デバフ系は分かっていても対策のしようが無いらしい。確かにゲームでも、序盤でバフ、デバフ、状態異常を駆使してくる敵がいたら詰むしかないだろう。
解除系のスキルを持っていたとしても、基本的に群れないらしい悪魔はそれを生かせないのだろう。だからリリムは今までデカい顔をしていられたのか。納得である。
(魅了対策をしようにも、道具のない悪魔じゃ対策できないのか。素の耐性かスキルがないと――)
それで思い出した。
詳細なステータスなぞ覚えていないが、それでも特徴的なスキルや耐性は覚えていた。
そう、渚の記憶が正しければ――。
(リリムって確か電撃無効だったような……? そしてピクシーとシキガミの属性攻撃はジオのみ。……あれ、これってヤバくね?)
「――ッ! 来た! サマナー、その辺で隠れてて!」
二人の悪魔がリリムの接近を感知し、迎撃に向かったのだろう、警告する間もなく空に向かって飛んで行った。
透明の羽をはばたかせ、魔力で鱗粉のように軌跡を描きながら上昇している妖精に荒っぽく指示を下される。
その言葉と増加しつつあるマグネタイトの流出により、ピクシーの意図を悟る。彼女はどうやら、渚には魔力タンクとしての役割をお望みらしい。
格上相手に斬った張ったをしなくていいのは渚にとっても好都合。否は無い。
空を飛ばれたら、宙に浮かぶ手段すら持たない渚にはどうしようもないのである。
まああれだけ自信満々だったのだから、相手の耐性だって当然知ってるんだろう、多分。
事態が動き始めてしまった以上、後悔は不要。渚は自身が思う最善の行動を執るだけだ。
とりあえずは指示に従っておこうと移動を開始。途中、上空に浮かぶ、小さくなった二つの影を仰ぎ見た。
書き溜め終わり。
早くも毎日更新は終了します。