汝平和を欲さば、悪魔に備えよ   作:せとり

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最初に二百文字ぐらいコピペし忘れてた。
読み返して気づかなかったってことは、なくてもよさげだけど、一応編集。



7.才能の壁

 

 

 長野どこかの山の中。人里離れたその場所にぽつんと存在する全寮制の訓練学校。

 渚が異界に放り込まれたあの日から、数日後。渚と太一はそんな学び舎の生徒となっていた。

 これを逃せば次の機会は当分先ということで、慌ただしくもねじ込まれたのだ。

 その強引な手段には、渚の才能に驚嘆した上の人間が関わっているとかいないとか。

 

 昔は隠れ里か何かがあったらしいが、今は歴史を感じさせる木造校舎と、隣に比較的新しい寮が建っている。

 最初は不安を覚えたものだが、中に入ればどちらも設備と内装は近代的で、諸々に不便することは無さそうだった。

 

 

「うわあ、本しかない」

「図書室なんだから当たり前だろ?」

「だって、ウィキで知れる程度のさわりの知識が得られれば良かったのに……。これじゃそれっぽい書籍の全てに目を通すしかないじゃん」

「確かに面倒だが、探し物って本来そういう物だろ? 諦めようぜ」

「うー、めんどっちぃ……」

 

 少女のような少年が本棚に納められた蔵書の数々を目にして嫌そうな顔をして、同年代の少年がそれを軽くたしなめる。

 その会話は親しげな雰囲気で行われており、恐らく二人は友人同士なのだろうと推察できる。

 インク、カビ、酸化する紙のにおい。

 それらが複雑に混ざり合って独特のにおいを醸し出す図書室にて、声を潜めながら交わされる愚痴のような会話は、渚と太一のものだった。

 

 渚たちが全寮制の対悪魔訓練学校へと入れられて、早くも三日の時が過ぎた。

 初日は体力テストと健康診断が合わさったような行事を経て、なんだか愛国心に訴えかけるようにして色々と現状を説明されて、その日は解散。

 翌日から行われている授業では、戦闘の知識、悪魔への対処法など実践的な知識の詰め込みと、後は基礎体力の錬成など、やってることは兵士の育成である。

 下は渚のような未成年から、上は三〇ほどの社会人まで。才能があるからと組織にスカウトされてきた生徒たちの間では、まるで徴兵だと鬱憤交じりに囁かれている。

 

 ここは短期間で戦力を作り出そうという速成訓練所らしく、授業で教わることは実践的な知識が大半で、歴史的経緯なんかはさわりすら教えてもらえない。

 民間にはひた隠しにされている裏の歴史。渚はそれが知りたいというのに。

 教官役の人間に質問しても、興味が沸いたら自主学習してくれとの一点張り。教官は不足しているらしく、彼らは傍目から見ても忙しそうなので仕方がないことなのであるが。

 

 というわけで、普通は精根尽き果てる訓練終わりの自由時間、サクッと夕食を済ませて、態々調べものをしに図書室へとやってきたのである。

 検査の結果、単独異界ツアーによって仲魔であるピクシーを上回るレベルになっていたことが判明した渚はともかく、今日もしごかれまくったというのに渚について来る余力のある太一は、思った以上に才能はあるらしい。

 

「で、何が知りたいんだよ?」

「んー、まずは歴史かな? 悪魔は何時からいるのだとか、人類はそれにどうやって対抗してきたか。その程度は漠然とでも理解しとかないと、頭脳労働では手足をもがれたままだ」

 

 授業で偶然それっぽい事を教官が口にしたとしても、基礎が無ければ関連付けて記憶できない為、宙ぶらりんのまま覚えようとしてもすぐに忘れてしまう。

 とりあえずは大体の年表を頭の中に作っておかないと何かと不便だ。

 しかしパソコンも司書も無い以上、関連していそうな本を片っ端から読まなければいけないことが、あまり勉強好きではない渚を憂鬱にさせていた。

 

 気が進まないとはいえ、本を読まなければ何をしに図書室まで来たのかわからない。渚は本棚から適当に見繕って椅子に座り、読書を開始する。

 『侵略の世界史~有史以来、悪魔は何をしてきたか~』『世界の歴史がわかる本~神話時代~中世ヨーロッパ編~』『世界の歴史がわかる本~ルネッサンス・大航海時代~近代編~』『最新日本史がわかる本(悪魔編)』『表に出せないホントの日本の歴史』『封印された日本史~神霊の国日本~』……などなど。

 悪魔・歴史関連コーナーに置いてあった書籍の数々を、渚は存在の昇華により超絶強化されていた認識能力を駆使して、その中身を高速で目に通していく。

 魔眼によって酷使されている脳みそは、純粋な視界から得た程度の情報量に圧倒されることもない。余裕をもって内容を理解して記憶する。

 そんな作業を始めて五分もかからないうちに、一冊の本を読み終える。

 

「……え、もう読んだのか?」

 

 読み終わった本を離れた所において、机の上に積んであった書籍を手に取ると、目の前に座っていた太一から疑問と驚きの声が。

 それに対して渚は、本から顔を逸らさず瞳を高速で動かしながら「うん」と短く返答する。ページが捲られる音が、秒針のような間隔で鳴らされていた。

 

「……」

 

 数秒の沈黙。その尋常ではない光景を見て、渚が本当に速読をできていると悟ったのだろう。

 我に返った太一は軽く苦笑いを浮かべ、手元の本に目を落として自分のペースで読書を再開した。

 この規格外の友人と張り合うことの愚かさは、長年の付き合いで熟知していたからだ。

 

 太一が手元の本を読破する頃、渚は本棚と机の間を三回ほど往復していた。

 

 

 

 

 有史以前、古の時代から、悪魔はマグネタイトを求めて人間界へとやってくる。

 人類が原始人の時代から悪魔に襲われて、性能で大きく劣る人間が種を存続できている理由は、様々な要素が複雑に絡み合った結果である。

 人間界の魔力濃度、その関係でこちらに渡れる悪魔のレベル制限、悪魔同士の諍い、人類の可能性。

 神のお蔭。環境に恵まれた結果。人類の底力の勝利。悪魔が馬鹿だっただけ。

 著者によって見解の違うそれらを自分なりに咀嚼すれば、『どれか一つでも欠ければ今は無かっただろう』と渚はそんな結論に至っていた。

 

「しかし……メシア教が本当に、人類にとっての救世主(メシア)だったのにはびっくりだよ」

「んん、確かに。あいつ等ってただの宗教キチガイじゃなかったんだな」

 

 読書は適当な所で切り上げて、二人で得た情報を共有し終わった少しあと、渚は思い出したようにそう言った。

 その驚愕は前世の知識から来るモノの為、本当の意味での共感は難しいだろう。しかしそれでも口にせずにはいられなかった。

 キリスト教から分派して、並み居る宗教の数々をぶっ潰し、唯一無二の世界宗教に君臨していたメシア教会が!

 世界史の授業では、どんだけ汚い手段を使ったんだと内心で思っていた出来事が、捏造だと思っていた逸話の数々が本物――むしろ控えめにされていたなんて。

 人類は過去、神を自称する悪魔達により、宗教を使って家畜化されかかっており、その軛から脱せたのは救世主(メシア)と呼ばれるメシア教祖の功績が大らしい。

 

 今は亡き旧宗教群の数々が渚の持っていたロウ陣営のイメージに近く、メシア教団はそれに反逆する勇士たちの集まりだったそうだ。

 裏事情を知らない一般人はドン引きして、事情を知っているのだろう幹部達が狂信的になる訳である。

 

 悪魔や異能が秘匿されていた理由は、まあ簡単に言えば、メシア教団の活躍により、策源地(信者)を失った悪魔達の脅威が薄くなり、相対的に同じ人間の脅威が増したからだろう。

 種の危機に対して一丸となって戦っていた時代が終わり、地球上から悪魔勢力を駆逐して仮初の平和が齎されると、やっぱり不届きな連中は出てくるわけである。

 特に平和ボケした異能者は黙し難く、悪魔のように弱者を食い物にする思考が彼らに流行り始め、ガイア教団が結成されたのが大きな原因らしい。

 そういうわけで国が管理できない異能者の存在を嫌い、また戦力を維持する必要性が無くなったため、軍縮するかのように情報の秘匿を開始したのである。

 知らない事には手の出しようがない。

 権力者の思惑も介在したのであろうが、その時代ではベストな選択だったと思われる。

 

「……まあ予想していた通りだったね」

 

 両手で頬杖をつき若干前のめりになっている渚が、暗くなった窓の外を眺めながら言う。

 その予想を聞かされていなかった太一は、渚がその予想に自信を持っていなかったであろうことを察したが、生暖かい視線を向けるだけで特に何も言わなかった。

 

 二人が時折発する音以外は静寂に包まれる図書室に、カツカツと、廊下から一人分の足音が響いてきた。

 それはだんだんと大きくなり、やがて図書室に到達し、引き戸を開けて教官が中に入ってきた。

 

「自主学習か? 感心だな。だがそろそろ門限が近い。適当なところで切り上げるように」

 

 強者の風格を漂わせる男は渚たちの姿を認めると、そう言って返答も聞かずに去って行った。

 来た方の廊下を通らずに足音が去っていくのを聞くに、恐らく見回りにでも来ていたのだろう。

 

「……あー、ビビった」

「くふっ、今の太一は巴さんに叱られてる時みたいだったよ?」

 

 足音が聞こえなくなったのを確認して、無意識の内に姿勢を正していた太一がほっと息をついた。

 渚も異界を経ずにここへ来ていたら似たような反応をしていただろうが、それでも太一のビビりようには笑ってしまう。

 教官たちは今の渚と同レベル程度とはいえ、彼らは人心掌握のためか威圧的になっており、生徒たちも否応なく格の違いが知れて恐縮してしまうのだ。

 

「なんか身構えちゃうんだからしょうがないだろ!?」

「ごめんごめん、なんだか警戒の仕方が小動物みたいでおかしくて、思わず」

 

 馬鹿にされたと微妙に声を荒げた太一に対して、渚はあくまでマイペースを崩さない。

 その常と変らぬ様子を見て、こういう奴だったと毒気を抜かれた太一。

 そしてある事に気が付いて、呻きながら机に突っ伏した。

 渚の表情から含み笑いを読み取って、またしても遊ばれてしまったと自己嫌悪しているのだ。

 

「さて、今日はもう帰ろうか。……ぐずぐずしてると、怖い怖い教官様がお怒りになるやもしれませぬ」

「……ああ、そうだな」

 

 人をくったような態度も、渚がやると不思議と不快ではない。

 冗談めかした言葉はスルーして、太一は椅子から立ち上がった。

 

 

 

 

 単純計算で、約三(倍)。

 その数字は悪魔召喚師の平均使役数であり、同レベルの悪魔召喚師と異能者が争った場合の戦闘力の差でもある。

 自身より格下とはいえ悪魔を複数使役できるデビルサマナーは単体で、異能者で構成された小集団と拮抗するだけの戦力を誇るのだ。

 才能があったとしても、厳しい鍛練をその身に課し続けなければ開花させられなかったそれが、今や何処にでも存在するCOMPがあれば簡単に悪魔召喚師になれる。

 そんな便利な代物、利用されないわけがなかった。

 しかしそれは、どこの誰が開発したのかも分からない、得体のしれないモノでもある。

 信頼性など皆無なのであるが、これを大々的に活用していなければ、今頃地上は悪魔の支配する世界へと逆行していただろう。

 って何冊かの本で似たような記述を見た。

 一応COMPの仕組みを解析しようと試みられているようだが、昨今の世界情勢を鑑みるにその成果は芳しくない模様。

 しかも最新の研究成果の資料など、こんな辺鄙な場所にあるわけがなく、COMPについて渚が知りえた事柄は少ない。

 

 悪魔はデータ化して持ち歩いているらしい。

 その技術を応用しているのか、生身だと貯蓄できる量にも限度がある生体マグネタイトを無制限に保存可能。

 ピクシーにCOMPの中にいる時の話を聞くと、そこには小さな異界のようなものが形成されており、渚のマグで満たされているとのこと。

 悪魔やマグ以外の物でも取り込めそうなものであるが、恐らくその機能は作成者によって意図的にオミットされているのだろう。

 分かったことはこの程度。

 知れば知るほどそのオーパッツっぷりが明らかになる。

 製作者の意図が不明という程度の曖昧な危険性で、見なかったことにするというには人類にとって誘惑が多すぎたのだろう。

 

 才能ある者達を放っておけば、悪魔の餌になってしまうかもしれない。

 かといって素人を集めた所で、彼らに命令を強制させられるだけの力がなければ、敵に塩を送るだけ。

 理想は、悪魔召喚師を大量生産し、最前線では悪魔対悪魔という構図を作る事。

 そんな構想を胸にして、各国の悪魔対策機関ではデビルサマナーをより早く、強力に仕上げようと、効率的な訓練プログラムを作成していた。

 ――仮にこの場を凌いで平和が到来しようとも。

 後世にて狂気の沙汰と非難されること請け合いな計画を。

 

 

 

 

 入学より約一ヶ月後。

 土や草木が朝霧に濡れる早朝、渚は教官たちに呼び出されていた。

 木々に囲まれ、公舎や校庭からは死角になっている広場のような空間。

 皆が何やら作業をしている傍らで、渚は呼び出された理由を説明されていた。

 

「――以上が概略だ。何か質問は?」

「えっと……」

 

 渚は教官から聞かされた説明を、再度頭の中で振り返った。

 生徒を、学校側が用意した使役悪魔と戦わせてレベルアップさせる。

 簡単に言えば、今回の目的はそれだ。

 問題は効率を求めすぎているのか、所々に無理に感じられることだろうか。

 

 悪魔は存在を維持できなくなれば、魔力となって霧散する。それら浴びて身体に蓄積させるとステータスが向上し、やがて蓄積された魔力をエネルギーに、魂が昇華して存在の格が上がる。

 つまりレベルアップだ。

 そして魔力の吸収効率はその時の状態によって決まる。

 生存本能が刺激されれば性欲が高まるように、悪魔と死闘を繰り広げた直後は吸収率が大幅に高まるのだ。

 しかし一度に吸収できる限界は決まっており、その消化にかかる時間も変わらない様で、その辺が才能の有る無しに関わってくるらしい。

 つまり魔力をより多く蓄積し、より速く昇華できる者が天才と呼ばれるようだ。

 

 そういった観点から見ると、渚は本当に異常の塊だったのだと分かる。

 平穏な生活を送っていたら、一生レベルアップする機会もないだろう人間界の魔力密度で、たかが十数年生きただけで昇華に必要な魔力を得て。

 顕現上限レベルが十程度の魔力密度の異界で、とてつもない淘汰圧力に晒されたとはいえ短時間で悪魔と戦えるだけの存在の格を得て。

 遥か格上の悪魔を倒したら、普通だったら二つ三つ格が上がる程度で落ち着くところを、その存在に若干劣る程度の力を身に付ける。

 それを渚から聞かされた時の相手の反応。

 図書室で知識を蓄えて、無知から脱出して理解したことがある。

 ゲームに登場するような人間はあまりいない。いたとしても、そういう者は悪魔に近い存在と恐れられるようだ。

 

 閑話休題。

 この日の為に雑魚悪魔を大量に使役していたサマナーが、生徒たちと一対一で悪魔と戦わせるのだ。

 効率の良いレベルアップの環境を意図的に設備しての、一種のパワーレベリングである。

 悪魔と、覚醒前の人間で勝負になるように、悪魔側にはデバフを掛けまくり、人間側にはバフを掛けまくり。

 回復準備も万端で、中にはリカーム持ちすら存在し、いざとなったら割って入るために死傷者は“基本的”に出てこない。

 ちなみに渚は、パワーレベリングなんてお前には必要ないよな、ということでその救護・補助班に回された。

 今回の呼び出しの目的である。

 ピクシーがディアとラクンダを使えるし、渚もピクシーから習ってディアを覚えたから、確かに仕事はこなせるだろう。

 

 銃の訓練まで受けておきながら、今回の戦闘では特殊加工を受けたナイフ一本しか支給されないようであるが、それでもこんな至り尽くせりな状態なら、負ける方が難しい。

 しかしそれは、最早一般人とは口が裂けても言えないような渚の感想であって、渚が想像するより遥かに惰弱な存在たちは怖気づくのではないだろうか。

 

「ちょっと鍛えたとはいえ、殆ど一般人の彼らが悪魔と戦うでしょうか? 大半が逃げるような気がしてならないんですが」

 

 一番の問題はそれだ。

 勝てる勝てない以前に、一般人に毛の生えたような奴らでは、戦いから逃げる可能性が高いように思えてならない。

 厳しそうな日々の訓練から逃げ出さない以上、各々はそれなりに覚悟を決めているのだろうが、少なくとも渚の目を惹くような気概を胸にする者はいなかった。

 精々が国や家族を守りたいという願望と、辛い訓練を乗り越えてきたという自負で積み上げられた、吹けば飛ぶような意志だろう。

 そんな彼らがいきなり悪魔と戦えと言われても気後れするだろうし、実際に相対したら格の違いを理解して逃げ腰になるに決まっている。

 退路が用意されている状態で、恐怖に抗って力を求められる者がどれくらいいるのか、想像もできない。

 渚の疑問に、男は答える。

 

「心配はない。あれを使う」

「……あれは?」

 

 教官は、今も作業中の者達を無表情に見やり、ある軍用箱を指差した。

 蓋は閉じられており、中の様子は窺えないが、まさか弾薬という訳でもあるまい。

 恐怖心を和らげる効果を持つ市販品と考えれば、酒や煙草なんかが入っているのだろうか。

 まさか現代の政府機関で麻薬を服用させるとは思えないが、嫌な予感は拭えない。

 

「覚醒剤のようなものだ。服用者の恐怖心を薄れさせ、闘争性を激化させる」

(うわあ)

 

 無表情で淡々と言葉を並べた教官に、渚は苦い顔になるのを抑えられなかった。

 正直予想していた通りだったとはいえ、真実を告げられると若干へこむ。

 とはいえ麻薬というものは、副作用さえ考えなければ利点だらけなのもまた事実。

 嫌悪感を持っている者が多いだろう現代で服用させることができる以上、恐らく反対意見を押し流せるような対抗手段を編み出したのだろう、多分。

 すぐに思い浮かぶのは、キュアボディの使用と依存性の低い薬の開発か。

 とりあえず聞いてみる。

 

「副作用は?」

「数日間、軽度の中毒症状に悩まされるだけだ。常用しなければ人体に深刻な影響はない。仮に依存症になったとしても、魔法で即時治癒が可能だ」

「……なるほど」

 

 無感情に説明する教官の姿に違和感を持って、渚の目が若干細められた。

 その言葉を信じ込んで、自身の心の安寧を図っている。

 教官の態度の違和感の正体を、渚の直感はそう解釈した。

 それは無知から来る恐怖なのか、有識から来る恐怖なのか。渚には判断できなかったが。

 

「ちなみに、教官はそれを服用した経験は?」

 

 分からないことは直接聞くに限る。

 この質問の回答で、教官の内心も見えてくるだろう。

 無知ゆえに原理を知らず、麻薬という先入観から嫌悪を抱いて、それを服用させることに釈然としないものを感じているのか。

 有能ゆえに原理を知って、その危険性を理解してしまったのか。

 ……まあ、そこまで頭が良さそうには見えないのだが。

 

「悪魔との戦闘の度に支給されるからな。私と知り合いも大分摂取しているが、健康に被害はない」

「へー、なら大丈夫そうですね」

 

 微かな変化も見逃さないと、気取られないように神経を総動員させていたが、特に引っかかるものも無く拍子抜けする。

 どうやらこの男は、覚醒剤という語感から漠然した不安を感じていただけのようだ。

 心配して損をした。

 

 ぱんぱんと、拍手のような音が後方から聞こえ、渚は振り返る。

 

「そろそろ始めるぞ! 配置に着け!」

 

 手を打ち鳴らして周囲の注意を惹いた責任者っぽい男が、広場の中心辺りに進み出てそう言った。

 その後ろには緊張し、所在なさげに辺りを見回している生徒が一人。

 

(生徒といっても大人なんだけどね)

 

 今の今まで会話をしていた教官に目礼して、説明された通りに仲魔を召喚すると、渚はピクシーを引き連れて救助・補助班とやらの所へ向かう。

 

(太一は大丈夫かなあ? 怪我しないといいんだけど)

 

 あちこちで悪魔が召喚されて、視界に入る光景が一気にファンタジーっぽく変化する。

 それが一旦落ち着くと、今度はバフやデバフを意味する呪いや祝福が飛び交った。

 

 経験値として用意された悪魔に対し、やっぱり腰が引けてしまった生徒に、教官が件の箱から取り出した注射を打つのを眺めながらも、渚が心配するのはそのうち順番が回ってくるだろう友人のことだった。

 

 

 

 身体が火照り、下半身の一部に血が滾る。

 微睡の中で、太一はそれを心地よさと共に感じていた。

 明かりのついていない、暗い寮の一室。

 左側の壁に隣接するように設置された寝台の上で、母の抱擁のような安心感を、自身を包み込む布団から受け取りながら。

 

 がちゃり、ばたん。

 寝ている同居人を気遣っているのか、極力音を鳴らさないようにゆっくりと扉が開閉される音。

 もう一人の同居人、渚が部屋に帰ってきた。

 部屋を覆う闇を不便と感じていないのか、眠りを妨げないようにと考えているのか。

 入ってすぐのところにある照明スイッチを無視して、渚は右側のベットへと腰かけた。

 微かにベットが軋む音。

 流石というべきか。一連の行動で、渚は鈴のついていない猫が入ってきた程度の音しか発していない。

 しかし覚醒しつつあった太一にとって、その気遣いは無意味であった。

 

「ん……、うん!?」

 

 薬の効果が残っているのか、神経が過敏気味となっていた太一の体は、その小さな気配を敏感に察知して、一瞬の内に意識を覚醒させた。

 

「……夜? 朝? 寝過ごし、え、あれっ!?」

 

 あちこちが負傷していたはずだが痛みは無い。既に治療済みなのだろうか。

 直前の記憶は夢のように不鮮明だが、悪魔と戦っていたのは覚えている。少なくとも寝入った記憶は無い。

 混乱しながらも太一は飛び起きかけて、局部がえらいことになっているのに気がついた。

 人の存在を感知して、立ち上がるのは危険と判断。身をよじり、壁を背にして横になる。

 かちっという音がすると、天井の照明から光が射した。

 

「ごめん、起こしちゃったね」

 

 いつの間にか立ち上がり、照明をつけていた渚が軽く謝罪した。

 風呂上りなのか、少女のように整った顔は上気して、ショートカットの髪が濡れていた。

 首には白いバスタオルがかけられて、ベットの脇には入浴セットが無造作に置かれている。それは太一の推測を補強してくれた。

 渚が、濡れた髪を耳にかけた。

 

(――!?)

 

 その仕草に色っぽさを感じてしまい、体の一部が反応した。

 普段見慣れた幼馴染の、しかも男にも関わらず反応してしまった事に、太一は戦慄していた。

 

「い、いや、大丈夫だ」

「そっか」

 

 慌てた様子の太一を気にも留めず、渚は寝台に戻って今度は寝転がった。

 渚が通った後から風呂上りの、ふんわりとした甘い香りが鼻孔を満たす。

 とくん、動悸が増した。

 

(こ、これは流石におかしい。今の俺は絶対普通じゃない。原因は――午後の実習授業か?)

 

 一人一人試験があると聞いて呼び出されれば、ヘンテコな薬を打たれて悪魔と戦わされて。

 恐らく自身の異常は、それが原因だろう。思い当たるのはこれしかない。

 殺し合いを体験して欲求が増大したところを、更に薬の作用で増幅されている。そんな感じだろうか。

 

「それにしても運が悪かったね。太一の呼ばれた順番って、中盤から後半にかけての一番ケチケチしてた時間帯だったんだよ?」

「え?」

 

 鏡合わせに向かい合って、肘枕をした渚が突然、午後の授業の裏事情を話し始めた。

 真っ先に呼び出されて帰ってこないと思っていたら、実は教員の手伝いに駆り出されていたのか。

 本来は芽吹くのに時間がかかる才能を、促成栽培で無理やりに芽吹かせる。

 そんな今回の授業の趣旨ならば、芽吹くどころかつぼみが開きかけている渚には余計なお世話だったのだろう。

 太一が発した疑問の声を、どこをどうケチったんだ、といった意味に解釈したのだろう渚が補足する。

 

「ほら、傷を受けても本気で倒れそうになるまで回復されなかったでしょ?」

「……そうだった、かも?」

 

 言われて思い返してみれば確かに、これ以上はもう無理だという状態になると、不思議と身体が軽くなっていた気がする。

 その時は必死すぎて気にも留めていなかったが、今考えればそれが回復なんだろう。

 

 渚の補足は続く。

 なんでも自分が呼ばれた時間帯は一番ペース配分に気を使っていたらしく、最低限の支援しかされていなかったらしい。

 序盤と終盤の奴らは、それはもう甲斐甲斐しく補助されていたとか。なんて羨ましい。

 

「ペース配分ぐらい最初から決めとけって感じだよ! 今日中に終わらないかもしれないと相談した時の教官の表情ったらもう!」

「そっちはそっちで大変だったんだな……」

 

 怒ってるような笑ってるようなどっちつかずの声音に、太一は適当に相槌を打つ。 

 気が付いたら渚の愚痴になっていた。

 しばらく相槌を打っていると、ついに話題が尽きたのか渚が静かになる。

 

 やがておもむろに上体を起こした渚が、手から風を生み出して濡れた髪を乾かし始めた。

 以前、念動力を極めれば最強になれると興奮していたことから、その風は訓練も兼ねて念力で起こしているのだろう。

 一円玉をようやく浮かせられるようになった程度の太一には、とてもそうは思えないのであるが。

 あれが成長したとしても、記憶に新しい悪魔の装甲を抜くには費用対効果が悪すぎると感じた。

 渚の事だから、そんなことは百も承知なのだろうが、だからこそ解せなかった。

 

 魔法関係は一朝一夕では覚えられないと、カリキュラムから除外されているにもかかわらず、二人が魔法を使用できるのは、渚の仲魔のピクシーに教わったからだ。

 しかし悪魔にとって魔法など、生まれ持った機能を当たり前に行使しているに過ぎず、その教え方は感覚的でまるで理解できなかった。

 そんな要領を得ない説明を受けて、一度見本を見せてもらった程度でコツを掴んだ渚は人間やめすぎである。

 

 目が覚めて大分時間が経ったが、太一の肉体の滾りは静まる様子がない。

 これは、出すものを出さないと収まらないだろう。

 渚からちらちらと送られる、いつまで寝てるんだと言いたげな視線が辛い。

 

(トイレに……いや、立ったら流石に気づかれる。今は機会を窺おう)

「……今日は乾かしてこなかったのか? いつも脱衣所のドライヤ―使ってんのに」

 

 不審げな視線はスルーして、適当に喋って誤魔化す事にした。

 意図は不純でも疑問は本物。渚も尤もな質問だと感じたのか、目が合わさった時には含む物は消えていた。

 

「なんかさかってる奴が多かったからさ、今日はいつも以上に居心地が悪かったんだよね」

「ぶっ!」

 

 太一は思わず吹き出した。

 油断が生じた所に、まるで自身を揶揄するような言葉。

 不思議そうな渚の表情で、バレてはいないと確信できたが、それでも脈拍が上がるのは抑えられなかった。

 

「な、なんでもない。まあ人生初の死闘を経験した後だからな! 生殖本能が滾ってるんだろ!」

「ん、それは分かってるんだけど実際に見ると、ね。トイレの個室が占領されてて妙にイカ臭かったり、ケツをかばって歩いてる奴がいたり、やけに親しげに話しかけてくる奴がいたり……。ほんと、僕たちの居ない場所でやってほしいよね」

「ま、まったくだな」

 

 トイレ……。本当に勘付かれていないのか疑うほどに、渚の言葉は恐ろしい。

 ナチュラルで『分類:発情していない』として渚と一緒にされていたが、実態はどうあれ太一は同意するしかなかった。

 しかし、自分で自分を追いつめてしまった気がしてならない。

 

「……そろそろ八時過ぎるけど、お腹すいてないの? さっさと食堂に行った方がいいと思うけど」

 

 局所的に発生している風に黒い髪を靡かせながら、渚が言った。

 食堂の利用時間は八時半まで。自身を鎮めてから行くことを考えれば、ぎりぎりの時間だ。

 だがその為には、渚の存在が邪魔すぎた。

 同性で幼馴染の同居人と割り切って、むしろ誇示するように歩けば済む話だが、太一はそこまで羞恥心を捨てていない。

 飯抜きを覚悟して――。

 

「……あっ」

 

 突然、何かを察したかのような声を耳にした。

 その発信源に目を向ければ、生暖かい笑みを浮かべた渚の表情が。

 

「ち、ちが――」

「ごめん、気が利かなかったね!」

 

 どう見ても察している表情に、太一は咄嗟に弁解しようとして。

 分かっているとばかりに満面の笑みの渚に遮られた。

 いつも見慣れた、からかう時の笑顔なのに、場違いの感銘を受けてしまったのは気の迷いである。

 

「じゃあ僕は、ちょっと散歩に行ってくるよ」

 

 フリーズした太一をよそに、渚は着の身着のままで部屋から出て行った。

 扉の閉まる音を合図に太一は再起動を果たしていたが、渚がにやにやしながら出待ちしている可能性も考えられると、しばらく様子を見ることに。

 

 入り口をジッと見つめながら数十秒。

 太一はそっと立ち上がると、忍び足で入口へ。

 ノブに手をかけそっと開けて、隙間から首のみを出すようにして左右を見渡した。

 廊下には誰もいない。

 扉を閉めてほっと一息。

 少し視線を下げると、そこには大きなテントが張っていた。

 

(絶対これをネタにからかわれるな……。くそ、教官たちめ……許すまじ)

 

 内心で罵詈雑言を浴びせながら、今度はため息。

 色々と鬱になりながらも、寝台の下からある本を取り出して、太一はベットに腰掛けた。

 

 

 




「ふう……」
 ガチャリ。
「言い忘れてた。今度の実習は異界に行くってさ。心の準備をしておけって教官が――」
「!?!?!?!?!」

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