グッバイワールド 作:cake
──有咲はさ、俺のことをどう思ってるんだ?
それは数年前のこと。
中学生だった俺たちは、いつも通り一緒に遊んでいた。
その時は特別そんな雰囲気でもなかった。でも、口から出た言葉。有咲が、俺のことをどう思ってるのか。ずっと聞きたかったそれを、ついに聞いてしまった。
──幼馴染以外ありえないよ。
しかし、返ってきたのは拒絶。
その表情から感じたのは、本物の拒絶。俺の好意に対する絶対的な拒絶だった。その表情を見て、俺は全てを察した。
ここからだ。俺は、俺たちは。
お互いに、『幼馴染』という言葉に支配されるだけの存在となった。
一歩を踏み出すことは許されない。進展はなく、後退することすらあってはならない。
それが俺という存在。与えられた役割を果たすだけの人形。有咲の手に握られた糸に操られ、歪に踊らされる。
****
授業中の教室は、いつも静かだった。
聞こえてくるのは教師の声だけで、それ以外はノートをめくる音やペンを走らせる音くらいしか聞こえない。
授業中以外だと鬱陶しい程にうるさい教室は、授業が始まれば一瞬にして静かになる。
それがこの教室の日常。
別段珍しくもなく、何処の学園の教室だってそんなものだろう。ここは少しだけ、真面目な奴らが集まっているようだけど。
でも、今回は違った。
教科担当の先生に何か別の用事が出来たらしく、俺たちのクラスは自習となった。
先生は自分が担任をしているクラスで何か問題があったんだろうと、クラスメイトが言っていたのを聞いた。
そういえば確かに、さっきの業間休みの間、となりのクラスが妙に騒がしかったような気がする。きっとそれのことだろう。
自習の時間。50分間、教師の目はない。そのことに浮かれて、クラスのみんなはそれぞれ好き勝手に動き回り、その光景は今が授業中であることを忘れさせる。先生がいないと、こんなものだろうか。
そんな中でも俺は、普段の授業と変わらず机に突っ伏した。いつもみたいに、居眠りをするつもりで。
「せっかくの自由時間なのに、変わらず寝るつもりなのか、お前」
頭上から、そんな言葉が降ってきた。多分、いや、絶対に俺に対して話しかけているんだろう。
顔を上げて、声の主を確認する。別にわざわざ見なくても、誰なのかはわかってるけど。
「なんだ、有咲か」
「なんだってなんだよ……」
確認してみれば、そこに立っていたのは有咲だった。知ってたけど。知ってたけど、意外そうな反応をしてみた。
「自由だからこそ、寝るんだよ」
「お前は自由じゃなくても寝るだろ」
「流石。よくわかってるじゃん、有咲」
そんなことは、有咲じゃなくてもわかること。
クラスのみんなから俺はいつも寝ている奴だという認識をされているから、別にこいつじゃなくてもわかるけど。
けれども俺は、有咲という言葉に力を込める。まるでそれは、有咲だからこそわかっていることのように。
「なんでそうまでして寝るんだよ」
「それは、アレだよ。自習といっても、ずっと先生が来ないってわけでもないじゃんか」
彼女は幼馴染。それ以上でもそれ以下でもない、それだけの関係の女の子。
「それじゃこいつらみたいに動き回ってれば、先生が来た時にリスクだろ? だったら、こうやって寝てるほうが安心だ」
「……その理屈っぽく呆れた考え方は、ホントに
俺らしいなんて、それはまるで俺を知っているかのような口ぶりじゃないか。お前に俺の何がわかっているのか。いや、わかってるのか、幼馴染だもんな。
「俺はそういう人間だから」
「知ってるよ。呆れるけどな」
確かこれと似たような会話を、俺たちは何度も繰り返しているような気がする。
いつも寝てばかりの俺に、有咲が呆れた様子で話しかける。そして俺が理屈を語って、有咲がそれを聞いて呆れて。
そんな意味のない会話を、もう何度も繰り返していた。
「呆れてるくせして、よく飽きずに俺と話していられるよな」
「幼馴染だからな」
けれど、それも仕方のないことだ。
俺たちは、同じ話を繰り返す以外に話題がない。話題がないのだから、似たような話題を何度も繰り返して話すしかない。
「……それに」
この自習の時間も、あと少しで終わる。
時計を確認した有咲は、からかうように笑って。それがいつもの合図だった。
「私がいないと、お前はずっと一人だろ?」
その言葉と同時に、チャイムが鳴り響く。
終わりだ。この会話も、この自習時間も。そういう合図なのだ。
その後の授業は、何一つとして問題は起こらなかった。
まあ、問題なんてそう何度も起きるようなものでもないけれど。
何はともあれ、何も起こらなかったことに安心はした。なんとかいつも通りの日常を過ごせている。
「律、今日も先に帰っててくれ」
そうして放課後。有咲は真っ先に俺のところに来て、そう言った。
「……ああ」
「いや、そんな露骨に寂しそうな顔すんなよ、気がひけるな」
普段から登下校を一緒にしていたのに、こうやって先に帰ってくれと言われたのは、これで4日連続だった。
別にそれは構わないが、妙な寂しさがあった。それはただの幼馴染が感じる寂しさではないから、とても気持ち悪いけど。
「最近忙しいのか?」
「いや、まあ、そういうわけじゃないけどさ」
有咲のその反応から、あまり口にしたくないのだろうと悟る。
「……別になんだっていいけどね。んじゃ、俺は先に帰ってるよ」
言いながらカバンを持って立ち上がる。
その時、有咲の背後──教室の入り口に、明らかにこちらを見ている女の子達が目に付いた。
そしてその内の一人が、こちらに向かって走ってくる。こちらというか、有咲に。
「なあ有咲、後ろ──」
「ありさーー!」
俺が言いかけたところで、その女の子が有咲の背中に飛びついた。
あまりに迷いなく突っ込んできたものだから、飛びつかれた有咲はバランスを崩してこちらに倒れてくる──そう思って両手を構えたが、意外にも有咲は体幹がしっかりしているらしい。
有咲はバランスを崩すこともなく、普通にその女の子を受け止めていた。そして代わりに、俺のカバンが床に落ちていた。
「ちょ、香澄!?」
「もう、遅いよ有咲!」
「遅いってお前、すぐ行くから待ってろって言っただろっ……てか離れろー!」
俺はそんな風に目の前で騒ぐ有咲達を見て、呆気に取られていた。そしてすぐに両手を構えたままだということを思い出して、それを引っ込め二つともポケットに突っ込んだ。
どうも有咲の用事は、この香澄と呼ばれる女の子にあるらしい。それと、入り口にいる女の子達も。
俺はポケットの中で指を小さく動かしながら、目の前の女の子を見つめる。
その子はどこのクラスなのかは知らないが、同じ学年の女の子だった。なんとなく、見覚えがあるような気がした。
「用事ってのは、その人か?」
きゃあきゃあと戯れる有咲たちが落ち着いたのを見計らって、そう問いかけた。
問いかける、なんて言っても、答えなんてわかっているのだが。
「ん? うん、まあな」
曖昧な返事だった。
そんなに知られたくなかったのだろうか。たしかに、有咲が絡みそうな女の子ではないから少し違和感はあるけれど、別に疑問に思うほどでもなかった。
「そうか。……んじゃ、俺は帰るよ」
「うん、また明日」
そう言って俺は床に落としたカバンを拾って、今度こそ教室を出ようとする。自然な流れで。
そのすれ違いざま、香澄と呼ばれた女の子と、そして入り口にいた女の子たちの視線を身体いっぱいに浴びながら。
「あれが有咲がよく話してる幼馴染くんかな?」
そんな声が背後から聞こえた。
「にしては、ちょっとぎこちなくない? 有咲との会話が」
いや、何も聞こえなかった。そういうことにした。しなきゃいけなかった。
「…………」
なんとなく、何かが変わってしまっている気がした。でもきっと大丈夫。明日には、全てを忘れるだろうから。
変わらず一緒に居続けた幼馴染との会話が、ぎこちないと言われたことも。
あの女の子に抱きつかれて、今まで俺の前で見せたことのない程楽しそうに笑っていた有咲も。全部忘れているだろう。きっと。忘れなくちゃ。じゃないと、俺は。