例えばこんな恋愛を   作:庵間亜狐也

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屠自古の話です。妖々夢のキャラから一気に神霊廟まで飛びました。
今回のお話はかなり長くなっております。また、屠自古含め他のキャラクターたちの口調だったり行動だったり安定しない部分が多々あります。神霊廟ファンの皆様は特にご注意ください。


蘇我屠自古の話

 仙界。豊聡耳神子が創り出した異界。そこにある神霊廟では、神子たちだけでなく、弟子入りした門徒もそこで修行の日々を送っている。

 

「やはり気の合う奴と呑む酒ほど美味いものはない! ——一応、土産として一瓶買ってきたが、太子様は喜んでくださるだろうか……」

 

 そんな仙界の一角で明るい声が響く。彼女、物部布都が土産の酒瓶片手に人間の里から戻ってきたのだ。昼過ぎから知り合いと呑んでいたのだが、気づけば陽が傾き出していたので、大慌てで切り上げ帰ってきた。当然、主人への土産の酒も購入して。

 布都の頰はほんのり赤く、日も暮れぬうちから呑み過ぎだと神子は注意するかもしれないが、布都に抱えられた純米大吟醸を目にすればころっと許すだろう。

 

「さあ今夜の夕餉は何かの。この酒と合うと良いのだが——およ?」

 

 夕飯への期待に胸を膨らませる、布都の足が止まる。彼女の視線の先には、同僚の蘇我屠自古の姿があった。あの様子からして今から出かけるのだろう。

 

「屠自古よ。どこへ行くのだ?」

「ああ、布都。これから人里に行くんだよ。夕餉も向こうで食べてくる。太子様にはお伝えしてあるから」

「そうか。しかし、おぬしいつもと格好が違うな。烏帽子も取って服もいつものやつじゃないし。——脚も生えとるし」

 

 ん? 脚……? 布都は自分が何気なく発した一言を反芻する。そう、目の前の屠自古の脚はいつもの白い不定形な霊体ではない。普通の人間と同じ形をした脚だ。

 

「あしぃぃぃ!? とっ、屠自古よどうしたというのだ!? はっ、まさか尸解をやり直した……?」

「んなわけあるかっ! 青娥の術を借りたんだよ。いつもの脚に御札貼っつけると人のみたいになんの」

 

 どうだとばかりに屠自古はくるりと回って見せた。どこからどう見ても人間の脚そのものである。

 

「ふむ……さすがは青娥殿。しかし、いつもはこんな術使わんだろう。どこに行くのじゃ?」

「そ、それは……ほら、人里だよ、さっき言っただろう」

 

 屠自古が言い淀む。布都はますます疑惑の目を向ける。

 

「怪しい……」

「なっ、何も怪しくなんかない。人里に行って夕飯食べてくるだけだっ」

 

 そう言いながらも屠自古の視線は右へ左へ行ったり来たり。

 おかしい。明らかに屠自古の様子がいつもと違う。そう布都は確信する。わざわざ術を行使してまで正体を隠し、人里へ赴く理由。

 

「——まさかおぬし、他の宗教に鞍替えするつもりではあるまいな!?」

「んなわけあるか、馬鹿者っ!」

 

 バチン、と布都の真横に雷が落ちた。

 

「危ないだろう!」

「お前が変なこと抜かすからだ。ほら早く行きな、太子様もお待ちだ」

「そうじゃった、太子様に早くこの酒をお渡しせねば」

 

 布都が行こうとすると、

 

「あ、ちょっと待ってくれ」

 

 屠自古に呼び止められた。

 

「何じゃ、行けと言ったり待てと言ったり」

 

 怪訝そうな顔で布都は振り向く。

 

「あの、その……だな……」

 

 布都を呼び止めた屠自古は、落ち着かなげに目を泳がせている。

 

「何じゃさっきからおぬしは! らしくないぞ、はっきりせい!」

「うっ……それは、分かっているんだ。らしくない、よな……ほんと」

 

 しおれた菜っ葉のように肩を落とす屠自古。しかしすぐに布都の方を見ると、こう問うた。

 

「私、女子らしいか?」

「は……?」

 

 布都は自分の耳を疑った。今の問いが屠自古から発せられたことがにわかに信じがたい。

 

「だーかーらー! 私のこの格好、里の女子っぽいかって訊いてんだよ! もう一発雷落とすぞ!」

 

 バチバチッと彼女の手から小さな稲妻が走った。

 二度も雷を落とされてはたまらない、布都は慌てて首肯する。

 

「や、やめい。見える、見えるから。おぬしは立派な女子じゃて」

「そうか……えへへ。女子に見えるかぁ……それならいいんだ。んじゃ、私は行くよ」

「お、おう……気をつけてな」

 

 足取り軽く去っていく屠自古を、不思議そうな顔をして布都は見送るのだった。

 

◆◆◆

 

「——ということがありましてな。太子様、これはどういうことなのでしょう?」

 

 夕食の席で布都は、向かいに座る神子に先ほどの屠自古の様子を伝えた。

 すると神子は別段驚いた様子もなく微笑みを浮かべる。

 

「簡単なことだよ、布都。屠自古も女だったということさ」

 

 少し前から私は気づいていたけどね、とも付け加えた。

 

「『屠自古も女だった』とはどういうことです? 亡霊ですが千年以上前から屠自古は女ですぞ」

 

 神子の言葉がいまいち呑み込めていない布都は、こてんと首をかしげる。

 

「だからね、屠自古は会いに行ったんだよ。想いを寄せる相手に」

「…………えっ、えええええええ!?」

 

 布都は、目を丸くして驚嘆の叫び声を上げた。

 

「何もそんなに驚かなくてもいいじゃないの。お行儀悪いですよ」

「も、申し訳ありませぬ。しかし屠自古が女だと我も存じておりますが……あやつに色恋沙汰とは……むむむ……」

 

 屠自古と恋愛は対極に位置するものだと勝手に位置づけていた布都。もちろん雷を落とされるのでそんなことは言わなかったが。

 頭を抱える布都に、神子は言葉を重ねる。

 

「布都は屠自古が恋愛することに反対なのかい?」

「いや、そんなことはありませぬが」

「何か気になることでも?」

「一つだけあります。相手の男はただの人間なのでしょうか?」

「定かではないけれど、欲を聞く限りそうだと思うよ。それがどうかしたの」

「大したことではないかもしれませぬが、その、屠自古は亡霊です。果たしてただの人間とうまくやれるのか……我は心配です」

 

 布都の言葉に、神子も小さくため息を漏らす。

 

「本人もそれを気にしているみたいだね。わざわざ青娥から術を借りてまで人間の姿を偽っているし。私はそこまですることないと思うんだけどねぇ……」

「太子様が言うならばそうなのでしょうな。食指を止めさせてしまい申し訳ありませぬ。食後のお酒も用意してありますので、早く食べてしまいましょう!」

「それは楽しみね。屠自古の分まで呑んでしまいましょう」

 

 布都につられて神子も箸を進める。屠自古が美味しい酒を呑んでいることを願いながら。

 

◆◆◆

 

 神子と布都が夕餉を食べ始めた頃、屠自古は人里のとある居酒屋の前にいた。

 店の暖簾をくぐるまえに、もう一度自分の姿を確認する。

 

(脚はある。服も大丈夫。髪は櫛入れたしいいよな? ——よし、私は普通の女。蘇我屠自古じゃない。トーコ、人間の女子……)

 

 屠自古はここの居酒屋では、トーコという名で里の商家の奉公人ということになっている。少々不本意だが、亡霊であることを隠すために考えた設定だ。自分が人ならざる者だとバレるわけにはいかない。

 

「よし、いくぞ」

 

 そう呟いて、店の扉をガラリと開ける。その音への返事とばかりに「いらっしゃい!」という威勢のいい声とかぐわしい香りが屠自古を迎えた。

 カウンターの中にいる若い男と目が合った。

 

「らっしゃい、トーコさん」

「あ、ああ。どうも……」

 

 この短い挨拶は何度目だろう。もう少し気の利いたことを言えればいいのだが、好きな男の前でそんなことを言える余裕は屠自古にはなかった。

 夕飯時だからか、やはり人が多い。ほとんどが仕事終わりの男どもだ。

 屠自古はいつものように一番端の席に腰掛け、いつものように慣れた調子で注文を口にする。

 

「店主、いつものやつと焼き鳥頼むよ」

「はいよー」

 

 店主がこちらに笑いかけながら返事をする。このやり取りに落ち着きを感じる自分がいることを、彼女は自覚している。

 程なくして、徳利と焼き鳥の載った皿が屠自古の前に置かれた。

 

「トーコさんはお得意様ですからね。焼き鳥一本多くつけときました。内緒っすよ」

「あ、そりゃありがたい」

 

 店主は片目をつぶってから、また他の客の注文を捌きに行った。

 あの店主は若いながらもこの店を一人で切り盛りしている。死んだ父親から受け継いだと、屠自古は聞いている。

 屠自古は酒をちびちびと呑みながら、店内を動き回る彼の背中を眺める。

 

(頑張ってるやつは好きだけど、どうしてこう——)

 

 ——彼には特別惹かれるのだろう。

 

 気恥ずかしさを誤魔化すように屠自古は猪口の酒を一気に煽る。喉元がかっと熱くなった。

 頰の熱も酒せいにして、屠自古は追加注文のため店主に声をかけた。

 

◆◆◆

 

 夕飯時も過ぎて、そこらで呑み騒いでいた男達も一人、また一人と席を立つ。少しずつ店内の喧騒は収まっていき、今は店主と屠自古の二人だけだ。

 あらかた片付けを終えた店主は屠自古の隣へと座った。

 

「いかがですかその串焼き。新しいタレを使ってみたんですが」

 

 内心ドギマギしながら屠自古は答える。

 

「ん、すごくうまいよ。これは売れるね」

 

 それはよかった、と彼はにっこり笑う。

 

「毎日のようにあれだけの客を捌くのは疲れるんじゃないかい? よくやるよ本当に」

「俺お客さんの話し聞くの好きなんですよ。たまに面白い話してくれる人いるんですよ」

「そうなのか、それじゃ私も今度何かしら仕入れてくるよ」

「それは是非聞いてみたいですね、奉公先の家の話とか」

「あ、ああ。そうだな、何かあれば話してやんよ」

 

 幸い、屠自古の周りには話題のタネが尽きない。主にあのちょっと抜けてる相棒について。

 

「楽しみにしてますね。まあ、トーコさんとこうして話すだけでも俺は満足ですが」

「っ。そりゃ嬉しいこと言ってくれる」

 

 屠自古は口内を噛んで、にやけそうになる頰を抑えた。

 

(何でこいつはこう、小っ恥ずかしいことをポンポンと……)

 

 これでも屠自古は千年以上は年上である。多くの人妖は彼女から見れば年下である。それなのに、この目の前の店主相手だとどうにも調子が狂う。惚れた弱みだろうか。

 

「あ、そういえばちょっと前にお客さんから面白い話聞きましてね」

「おう、そうか」

「ええ。あれは————」

 

 それから店主とトーコ、もとい屠自古はちまちまとお酒を呑みながら、四方山話に花を咲かせるのだった。

 

◆◆◆

 

 それから屠自古が仙界へと戻ったのは夜遅く、日付が変わる直前だった。

 神子に帰りましたと挨拶を済ませて、自室に入った屠自古は、大きく息をついた。それには幸せな時間への余韻が含まれているようだった。

 

「楽しかったぁ……」

 

 布都や神子にも見せたことのないくらい、柔らかな微笑みを浮かべながら、そう漏らした。

 それから床に座り込んで自分の脚を——幸福な時をもたらしてくれた作り物の脚を——そっとなでた。すると貼っていた札が浮き上がるように剥がれ落ち、灰になって消えた。それと同時に、彼女の脚も本来の白い不定形な姿を取り戻す。

 少しの間ぼうっとしていると、部屋の扉が叩かれた。

 

「屠自古よ、入ってもよいか?」

「布都か。いいよ」

 

 するりと音もなく扉が開いた。寝巻に着替えた布都が入ってきて、屠自古の対面に腰を下ろした。

 

「太子様から聞いたぞ。おぬしもなかなか隅に置けぬやつじゃな」

「んなことねえよ。……きっとこれ以上進展することもない」

 

 そう屠自古はこぼした。いつになく寂しそうな顔だ。

 

「自身が亡霊であることを気にしておるのか? さほど大きな問題でもなかろうて。幻想郷には人間と人外が添い遂げた例も珍しくない」

 

 いつだったかに殴り込んできた半人半霊もその最たる例じゃろうて、と布都は励ましの言葉をかける。しかし、屠自古の顔は明るみが戻らない。

 

「そうじゃないんだよ。……あいつは—–店主は——家族を殺されているんだ。亡霊に」

 

 亡霊。死んだ者の魂が生に執着し、結果此岸にとらわれた存在。生者を恨み、呪い、時には取り憑き命を奪うという。

 屠自古が想いを寄せる店主は、子供のころに家族を亡霊に殺されていた。彼だけはどうにか命が助かり、家族の死を乗り越え今を生きているが、時々死んだ家族の夢を見ると、屠自古は聞いたことがあった。

 

「そう……か……」

「もちろんやったのは私じゃない。でも、やっぱり親の仇と同じ種族といるってのは嫌だろ」

 

 布都は屠自古が青娥から術を借りてまで人の形を取ろうとした理由を理解した。

 そして、思った。

 

(我のせいか……)

 

 尸解の時、壺をすり替えさえしなければ。千年以上経って、そのことが屠自古を苦しめている。

 

「…………」

「なーに辛気臭い顔してんだよ、らしくない。お前のせいじゃないから気にすんな。それにあいつはただの人間。結局はすぐに死んでしまうんだ。あんまり深い関係じゃない今くらいがちょうどいいんだよ。青娥の札を使えばいつでも人の形は取れるしな」

 

 強気な表情で、屠自古はバシバシと布都の背を叩く。

 しかし、その目はやっぱりどこか悲しげで。布都から慰めの言葉を奪っていく。

 

「邪魔したな。……おぬしが幸せになれるよう、我も応援するぞ」

「おう、ありがとうよ」

 

 扉が閉まる音を背中で聞いてから、屠自古は脱力したように仰向けに寝転がる。

 

「はー、まさか布都にまで心配されるとはなぁ」

 

 両手で顔を覆う。

 頭の片隅に浮かんだ一つの願望。絶対に叶わない。願ってはいけない気がする。それでも、そうだとしても——

 

(——人間に、戻れたらなぁ)

 

◆◆◆

 

 それからおよそ一週間後、屠自古はまた彼の営む居酒屋へと出かけた。外はあいにくの雨だったが、その程度で諦める屠自古ではない。術の札が濡れぬよう、傘をさして歩いていった。

 

「やあ店主。来たよ」

「いらっしゃいトーコさん。ひどい雨ですね。濡れませんでしたか」

「傘をさしてきたから平気だよ」

 

 いつものようにちょっとした挨拶を交わし、いつものように端の席に座る。

 

「いつものですか」

「ああ。頼む」

「少々お待ちを」

 

 今日は雨だからだろう、店内も客はまばらで、どこか静かだ。落ち着いた雰囲気で呑むのも嫌いでないので、さして気にしていないが。

 この分だといつもより早く二人きりになれるかもしれない。そんな淡い期待を胸に屠自古は酒が運ばれてくるのを待つ。

 それほど待つことなく、注文の品を手に店主が屠自古の所へ。

 

「お待ちどうさまです」

「どうも」

 

 店主から徳利を受け取ると同時、屠自古の反対側の端で呑んでいた男が立ち上がった。

 

「ああ、お客さん。今お勘定いただきますんで」

 

 そう言って店主が向かおうとした瞬間。

 男は金を出さずに踵を返し、店を飛び出していった。

 食い逃げである。

 ほんの数秒、店主も屠自古も他の客もあっけにとられ、店内に妙な沈黙が降りた。

 その中で一番早く動いたのは屠自古だった。

 

「あんの野郎っ!」

 

 屠自古は椅子を蹴って立ち上がり、傘もささずに店の外へ飛び出す。

 

「待って、トーコさん!」

 

 店主の呼び止めの声も聞かず、屠自古は逃げた男の影を追い、雨の降りしきる里を疾走する。

 

(くっそ、逃げ足の速い野郎だ!)

 

 どうにも走ったのでは距離が縮まりそうにない。

 

(あんまりやらない方がいいんだけどな)

 

 力強く地を蹴り、彼女は宙に浮かぶ。こっちの方が追いやすい。ぐんぐん男との距離を詰めていく。

 加えて屠自古は、右手に力を込めた。するとバチバチと右手が雷光を纏う。

 

「これでもくらえっ!」

 

 男の背中に向けて、屠自古は弱い雷を放った。狙い違わず雷は命中。男は思い切りすっ転んだ。

 追いついた屠自古は、男の目の前で仁王立ちして鋭い目を向ける。自分の想い人の店で食い逃げした野郎だ、これからどうしてくれようと思案を巡らす屠自古。しかし、次の男の言葉で凍りつくこととなる。

 

「ゆ、幽霊……?」

「はっ?」

 

 まさかと自分の足元を見やると、雨のせいで札は剥がれ落ち、いつもの霊体の脚に戻っている。

 体の芯が冷えていくような気がした。こんな所を店主に見られでもしたら——。

 

「トーコさん……?」

「っ」

 

 喉の奥に息が詰まった。

 恐る恐る顔を上げると、店主と目が合った。合ってしまった。

 

「トーコさん、その脚は……」

「…………」

「トーコさん——」

 

 ——俺を騙してたんですか?

 

 そう、言われている気がして。

 屠自古はふらふらと店主に近寄り、懐から引っ張り出した財布を彼の手に握らせた。初めて彼の手に触れるのがこんな形になるなんて。そんな意味のない感想が浮かぶ。

 

「釣りはいらない。私は帰る。もう二度と、ここへは来ない。悪かったな、店主」

「ちょっと待ってくださいよトーコさん! 俺は——」

 

 彼女を引き止めようとする店主を睨みつけ、屠自古は叫んだ。

 

「うるさい! 私は亡霊だ! 近付くと憑き殺すぞ!!」

 

 あとは振り返ることもなく、屠自古は帰路につくのだった。

 

◆◆◆

 

「おお、屠自古。帰ったのか。思ってたより早かったな——ってどうしたおぬし! こんなに濡れて、何があったのだ!」

 

 屠自古が帰ってきて、真っ先に駆け寄ってきたのは布都だった。

 

「…………」

「屠自古、泣いておるのか……?」

 

 自身が濡れることも顧みず、布都は震える屠自古の肩に腕を回した。

 

「布都……っ、わたし……どっ、したら……っ」

「まずは部屋に戻ろう、な?」

「悪い、布都……」

「気にするでない。行くぞ」

 

 部屋に戻っていつもの服に着替えた屠自古は今日のことをぽつぽつと布都に語った。いつものように居酒屋へ行ったこと、飲み逃げしたやつを追いかけて、結果正体がバレてしまったこと。

 屠自古の話が終わってから布都は問うた。

 

「屠自古はこれからどうするのじゃ?」

「店主の所へはもう行かない。こんなことになっちまったし、その方が店主にとってもいいだろ」

 

 穏やかな口調で屠自古はそう言った。

 

「おぬしはそれでよいのか?」

「構わないよ、別に」

「……屠自古よ」

「何も言わないでくれ、布都。これでいいんだよ。亡霊が通う店なんて噂されたら店主もかわいそうだ」

 

 無理をして明るい口調で話しているのは、布都にも分かった。屠自古の瞳は悲しげに揺れている。

 

「あーあ、今日はいろいろあったし、もう休むよ。布都もそうしな」

「待て、屠自古よ——」

「一人にしてくれ」

「…………分かった」

 

 何も言えず、布都は屠自古の部屋を出た。扉の前から去る直前、漏れ聞こえたすすり泣きの声に、布都は胸が締め付けられる錯覚を覚えた。

 

◆◆◆

 

 それから一週間後、いつもなら居酒屋へ行く日、屠自古は部屋にいた。ついこの前までだったら札を脚に貼り付けて、普通の人間のような服をいそいそと着込んでいる時分だが、居酒屋へ行くという目的がなくなった今、特にこれといってすることもない。ふよふよと音もなく部屋の中で浮いているだけ。

 神子や布都に心配をかけていることは分かっているが、どうにも何かをする気にはなれなかった。

 気晴らしになるだろうと、布都が持ってきてくれた鈴奈庵の本を開いてもみたが、目が滑るばかりで内容がちっとも頭に入ってこなかった。

 

(我ながら重症だなぁ……)

 

 驚き半分、呆れ半分で屠自古はため息をつく。

 その時、コンコンコンと穏やかなノックの音がした。

 

「屠自古、入ってもよいですか?」

「たっ、太子様? ええ、どうぞ」

 

 慌てて居住まいを正し、返事をする。

 一呼吸置いてから扉が開き、神子がひょっこりと顔をのぞかせた。

 

「何かご用でしょうか」

「いいえ、大したことはないのですが、ここのところ屠自古がどうも元気なかったのでね」

「……申し訳ありません」

 

 頭を下げる屠自古。

 

「顔を上げなさい。気にすることありませんよ。それでですね、貴方に特効薬を用意しました」

「特効薬……?」

「ええ。布都が人里を東奔西走して探してきてくれたのですよ」

「あいつ……そんなことを……」

 

 神子は微笑み、言葉を重ねる。

 

「さあ、屠自古。行きますよ」

「……いいえ。私は行きません」

 

 しかし、屠自古は首を振る。

 

「私には……会う資格などありません。本当は分かっていました。亡霊の私なんかが、ただの人間と関わるべきではないと」

 

 頑なな屠自古の言葉に、神子は表情を変えずに言った。

 

「屠自古ならそう言うと思っていました。ですが、相手方はそうでもないようですよ」

「それはどういう——」

 

 屠自古が疑問の声を上げたその時。

 

「トーコさん——いえ、屠自古さん。そこにいるんですね?」

「え!? あ、い、い、いるっ、ます!」

 

 今まで生きて(死んで?)きて一番情けない声が出た。羞恥やら驚きやら、感情が綯い交ぜになっている。

 扉越しに店主がいる。

 

「〜〜っ」

 

 声のない悲鳴をあげる屠自古。 

 神子は「お邪魔虫は退散しましょう」と呟いて部屋から出て行く。

 それに代わって、扉から店主が姿を現わす。

 

「屠自古さん」

「何だ」

「まず、財布とお釣りをお返しします」

 

 開口一番、店主は財布を屠自古に差し出す。

 

「ご丁寧にどうも」

 

 屠自古も躊躇いなく受け取った。

 

「…………」

「…………」

 

 どうにか会話をと屠自古は口を開きかけるが、何を話せばいいのか分からず、そのまま閉じてしまう。

 それが四、五回繰り返されたあたりで、店主が口を開いた。

 

「前にも話しましたが、俺は家族を亡霊に殺されています。ですから俺は、亡霊を恨んでますし、仲良くやろうなんてこれっぽっちも思っていません」

「ああ、分かってる」

 

 首を落とされる罪人のような気持ちで屠自古は続く言葉を待つ。非難の言葉か、絶交の宣言か。

 

「ですが、俺は……その……トーコさんに惚れていました」

「はぁっ!? え? あっ、えと、そう、か……」

 

 店主の言葉を反芻する。その意味が染み渡っていくにつれて、胸中のぐしゃぐしゃになった感情がのたうちまわる。溢れ出そうになる意味不明な涙を必死にこらえながら、屠自古は言葉を絞り出す。

 

「私も……好きだ……。好きだ、店主。でも、でも……!」

 

 涙をめちゃくちゃに拭いながら屠自古は続ける。

 

「私は、亡霊だからっ! 店主が好きになったのは亡霊の私じゃなくて、人間のトーコなんだ! 私は店主にとって仇の種族だから!」

 

 泣きじゃくる屠自古を、彼はそっと抱きしめた。

 

「屠自古さん、よく聞いて。俺は屠自古さんもトーコさんも同じだと思うんです。偽りの姿だったとしても、トーコさん貴女であることに変わりはないんです。だから俺は屠自古さんを愛しています。神に誓って本当です」

「本当か……? 嘘じゃないな……?」

「はい」

 

 屠自古の目を真正面から見つめて、彼は力強く頷いた。

 

◆◆◆

 

 しばらく、屠自古は店主の胸に顔を埋めて泣いていた。

 ようやく泣き止んだ頃には、店主の服の胸あたりが涙でぐっしょり濡れていた。

 

「すまない。服を」

「いえ、お気になさらず。何ならもっとしてもらって構いませんが」

「う、うるさい。馬鹿者」

 

 口は悪いが、屠自古は幸せそうに店主へ身を預ける。

 

「そういえば知ってたのか? 私が、その……惚れてるって話」

「ええ。申し訳ないのですが、この部屋に来る直前に布都さんから」

 

 それを聞いて、すっくと屠自古は立ち上がる(脚がないので立ち上がるという表現は適切でないかもしれないが)。

 

「屠自古さん、どちらへ?」

「決まってんだろ。あのお喋りに雷落としてくるんだよ。一生アヘ顔治らなくしてやる」

「そ、そこまでしなくても……。布都さんのおかげでこうなれたわけですし」

「それもそうだ。じゃあ一発で勘弁してやるとするか」

「結局落とすんですね……」

「当たり前だ。やってやんよ」

 

 凶暴な笑みを浮かべると屠自古は部屋から出ていった。と、すぐに戻ってきた。

 

「忘れ物ですか?」

「そんなとこだ。——店主、好きだ。愛している」

「ありがとうこざいます」

「ああ」

 

 それだけ言うと、屠自古は今度こそ部屋から出ていった。

 およそ一分後、店主は割と近くで雷の音を聞くことになる。




ここまで読んでくださりありがとうございました。
屠自古の話はもともとバッドエンドの予定でした。しかし作者がハッピーエンド至上主義なもので、無理やりこの終わり方に。途中まで無駄に長くて最後だけご都合主義な展開ですっ飛ばす。本当によろしくない。ですが、一応形にはなったような気がします。
楽しんでいただけたなら幸いです。
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