人間の里に鈴奈庵という貸本屋がある。店内には、紙の匂いと蓄音機から流れる音楽、そしてちょっぴり妖力が漂っている。暖簾をくぐれば看板娘の本居小鈴が、年相応の少女らしい笑顔で迎えてくれるだろう。
蔵書の種類はなかなかのもので、里で出版された本は当然ながら、外来本から数十年前に絶版された稀覯本、妖魔本に至るまで(こちらは小鈴が両親に内緒で仕入れている)、あらゆる種類の本が取り揃えられている。
そんな鈴奈庵店内にて、二人の少女が顔を付き合わせていた。一人は言うまでもなく小鈴。そしてもう一人が、稗田阿求である。
鈴奈庵は貸本屋であるが、製本業も請け負っている。なので阿求は時々、幻想郷縁起の製本の依頼に鈴奈庵を訪れるのである。
今回も、製本依頼のついでに阿求は小鈴と世間話をしていた。
「——ところで阿求、今日は随分と浮かれてるじゃないの。どうかしたの?」
珍しいものを見るような目を向けながら、小鈴が阿求に尋ねた。
小鈴がそんなことを訊くのも無理はない。今日の阿求は明らかに落ち着きを欠いていた。小鈴と会話をしながらも、阿求の視線はあちらこちらへと一点に定まらず、時々ばっと背後を振り向いては、落胆したように小さくため息をつく。
阿求らしからぬ立ち振る舞いである。
「ま、まぁ、何というか……届け物を待ってるのよ」
「届け物って何よ。だったら家で待ってればいいじゃない」
曖昧な阿求の返事に、じっとりとした視線を送る小鈴。
阿求は気まずそうにその視線を受け止めていたが、やがて根負けしたように口を開いた。
「届け物っていうのは、紫さんからよ。私に直接手渡してもらうことになってるの」
「へぇ。紫さんから直接……」
いつだったか店に訪れた、というよりは出没したあの妖怪の賢者を、小鈴は思い出す。全てを見透かしたような余裕を感じさせるあの薄ら笑いには、いつになっても慣れることができない気がする。
「そうよ。この日を二週間前からずっと待ってたんだから」
阿求は夢見る乙女のような、うっとりとした表情を浮かべた。
(阿求にこんな顔させる代物なんて、何かしら……?)
頬杖をつき、小鈴は阿求への届け物を予想する。阿求本人は、ついに椅子から立ち上がり、落ち着かなげに店内を行ったり来たりしている。——非常に鬱陶しい。
阿求が心待ちにしているもの。阿求の好物——。
そこまで考えたところで、小鈴の脳裏に一人の青年の顔が浮かんだ。
半年ほど前に稗田家の屋敷に居候し始めた、外来人の青年である。割と容姿も整っており、その紳士的な態度から、里の女性の間で密かに人気を集めていた。そんな彼と一つ屋根の下で暮らしていた阿求は、人一倍彼に熱を上げていたと小鈴は記憶している。
(で、確か相手方も阿求のことを憎からず想っていた……はず)
阿求と青年は、よく二人で鈴奈庵に来ていた。小鈴が軽く冷やかすと、二人して頰を赤らめていたのも記憶に新しい。
そんな青年は、一月ほど前に外の世界へ帰っていった。稗田家の屋敷で盛大に別れを惜しむ会が開かれていた。小鈴も呼ばれた。
それから数日、今までに見たことがないほどに落ち込んだ阿求を慰めるのに、小鈴はどれほど苦労したかは筆舌に尽くしがたい。
(——あ、そういうことか)
これが漫画だったら、小鈴の頭上で豆電球が点灯していただろう。
「ねぇ、阿求〜、よかったわねぇ」
生暖かい笑みを浮かべ小鈴は、依然として店内をうろつく阿求に声をかけた。
「何がよ」
「とぼけなくてもいいじゃない。あんた、愛しの彼に会えるんでしょ?」
「いとっ……!? ちっ、違うわよ。近況報告の手紙が届くだけ。元の生活に戻ってどうしているから心配だからね」
露骨に視線をそらす阿求。心なしか頰も赤い。
取り乱す阿求がなんだか面白くて、小鈴は言葉を重ねる。
「外の世界とそんな簡単に文通できるとは思えないわ。大方、紫さんに頼み込んだんじゃないの?」
阿求の頰の朱がさらに濃くなる。
「してないっ。そもそもこれは、彼を通して外の世界の知識も仕入れておこうという試みでね! 私の想いとは関係ないわ!」
「『私の想い』とか言っちゃってる時点で、語るに落ちてる気がするんだけど」
「〜〜っ」
声にならぬ叫びを上げながら、阿求は小鈴の机をバシバシ叩く。
「お客様、埃が舞いますのでお静かにお願いいたしますわ」
「誰のせいよ、誰のっ」
「あははっ」
顔を真っ赤にしてムキになる阿求と、それを見て笑う小鈴。
その二人の間の空中に音もなく裂け目が出現した。
「あら、来たんじゃない?」
「そうみたいね」
小鈴は頬杖をついたままスキマに目を向け、阿求は身を乗り出した。
大きく開いたスキマから、八雲紫が顔をのぞかせる。
「お邪魔しますわね。稗田阿求様、お手紙ですわ」
いつも通り胡散臭い笑みを浮かべた紫は、一つ封筒を阿求に手渡す。
「これは、ご丁寧にどうも」
小鈴の方を軽く睨みながら、阿求はそっと両手で受け取った。
「中は見てませんわよ」
「ありがとうございます」
手紙を懐に入れようとする阿求に、小鈴はにやにやしながら声をかける。
「よかったわね、恋文が届いて」
「うるさいっ」
そのやり取りを見ていた紫は、笑みを深めて小鈴をそっとたしなめる。
「乙女の恋心は繊細なのですから、あまりからかうのもかわいそうよ」
「もう、紫さんまで……!」
「馬に蹴られる趣味はありませんの。この辺りでお暇しますわ」
そう言い残すと紫はスキマの中へ。ほどなくして宙にできていた裂け目も消えた。
それを見送り、小鈴は阿求の方へ顔を戻すと。
(うわぁ……)
思わず心の中でそう言ってしまった。
頰を桜色に染めた阿求は、まるで手紙が我が子であるかのように胸に抱き、ほぅと熱いため息を漏らしている。
まさに恋する乙女がそこにいた。
「早く読んで、返事書いてきなよ」
からかう気も失せた小鈴は、そう進言した。
「そうするわ!」
花咲くような笑みを浮かべた阿求は、足取り軽く鈴奈庵を後にした。
「あれ本当に阿求よね……?」
友人の劇的な変化にただひたすら困惑する小鈴だった。
◆◆◆
稗田邸へと小走りで帰った阿求は、一目散に自室へ飛び込み、懐から届いたばかりの封筒を取り出した。
表には丁寧な字で『稗田阿求様』と書かれている。
「何で書いたのかしら、これ」
筆とも鉛筆とも違う、もっと細くてうっすらと光沢のある文字だ。外の世界には特殊な筆記用具があるのだろうか。
(——ま、それはおいといて)
外の世界の文房具などどうでもいい。とにかく阿求は封筒の中身を読みたいのだ。
はやる気持ちを抑えながら、丁寧に封を切り、中から便箋を引っ張り出す。全部で三枚。それぞれにびっしりと文字が書かれている。
さっきから心臓の鼓動がうるさい。我ながらウブすぎやしないかと思うが、何せ相手が相手であるから仕方がない。
阿求は早速手紙を読み始めた。
手紙は、まず挨拶から始まり、その後外へ戻ってからの近況や、改めての幻想郷にいた頃にお世話になった阿求たちへのお礼、そして思い出——いろいろなことが、几帳面な彼らしい丁寧な字で書いてあった。
阿求は手紙をたっぷり五回は読んでから、ほぅと熱っぽいため息をつき、仰向けに寝転がる。そのまま手紙を目の前に掲げる格好で、今度は最後の一文だけ、囁くように読み上げた。
「——『それでは、また。』……」
御阿礼の子は特別な運命を背負っている。阿求もあと数年すれば転生の準備に入らねばならない。それまでに『また』彼に会えるのだろうか。もちろん、文通は続けられるだろう。何せ三日もかけて八雲紫を説得して——というか頼み込んで——許可を得たのだ。やめるつもりなど毛頭ない。
しかし、文章だけではどうしても満たされない。手紙を待つ間も、読んでいる間も、絶えず脳裏に彼の姿が浮かんでいた。
彼の声を聴きたい。
彼の笑顔を見たい。
彼の手を握りたい。
あと数年して転生の準備期間に入れば、もう絶対に会えないのだ。それまでにあと一度、もう一度だけでいいから——。
「会いたい……」
口の端から、そんな言葉がこぼれ落ちた。
◆◆◆
翌日、阿求はまた鈴奈庵を訪れていた。昨日依頼した幻想郷縁起の製本具合を確かめるためである。
「そう。返事は書いたんだ」
「ええ、書いたわ。あとはスキマに投函するだけよ」
「早いわねぇ」
小鈴は感心半分、呆れ半分といった様子。
「当然でしょ」
手紙を読んでからすぐ、阿求は返事を書き始めた。書きたいことが多すぎて、ちょっとした小説のような量になってしまいそうだったので、うんうんと唸りながらあれを削りこれを削り、書き上がったのは日を跨いで少ししてからだった。今まで生きてきた中で最も集中していた気さえする。おかげで少々頭が重い。
「紫さん遅いわねぇ。返事が書き終わる頃に来るって言ってたのに」
「いやいや、渡した次の日までに書き上げるなんて思わないでしょ」
「そう?」
「うん」
恋愛沙汰とはこうも人を変えてしまうものなのか。少々侮っていたかもしれない。自分も恋をしたらこんな風になってしまうのだろうか。目の前に座る阿求を見て小鈴は妙な不安を覚えた。
「ねぇ小鈴」
「なによ?」
「返事を書いてて思ったんだけどね」
「うん」
「外の世界へ行けないかなって」
「はぁ!?」
目を剥く小鈴。今の言葉が稗田阿求から発せられたことが信じられない。
思わず、阿求の両肩をがっしと掴み、ガクガクと前後に揺さぶる。
「どうしちゃったのあんた!? ほんとに阿求よね!? 夢人格と入れ替わったりしてない!?」
「してない、してないってば」
阿求の肩を離し、小鈴は深くため息をついた。
「あんたが外に行ったら幻想郷縁起とか、アガサクリスQの執筆活動とかどうすんのよ? ついにイかれたの?」
「失礼ね。別に外の世界に住むわけじゃないわよ。ただ二、三日くらい向こうで過ごせたらなって……お、思いつきよ! 単なる思いつき!」
——こいつは相当な重症だわ。
あたふた言い訳を並べ立てる阿求に、小鈴はそんな感想を抱いた。
「まぁ、あんたの爆弾発言はさておき、これだけ想われてるんだからきっと彼は幸せ者ね」
「そうだといいわねぇ」
「そうに決まってるわよ、多分。——お茶淹れてくるわ。とびきり苦いやつ」
「普通のでいいわよ」
「嫌。苦いのにする」
そう告げて小鈴は台所へ引っ込んだ。
ちなみにおよそ半年後、阿求は青年に会いに外の世界へ行くことになるのだが。今の小鈴はそんなこと知る由もなかった。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
今回の話は外来人と文通するという発想が先に来まして、誰が当てはまるかなと考えた結果の阿求です。キャラ崩壊も展開の雑さもなかなかのものですがね。
東方鈴奈庵での小鈴と阿求の絡みめっちゃ好きなんですけど、なかなかうまく書けなかったです。難しい…。
いつになるかわかりませんが、次回も読んでいただけると嬉しいです。