早朝。
街並みを、暖かな春の陽射しが照らし始めて、幾分か経過した頃。
「なのは、そこの術式はこう……」
「えと、こう……?」
家から少し行った所にある山の
現在そこは普通の者には見えない結界に覆われており、その中ではなのはとユーノ、レイジングハートによる魔法の練習が行われていた。
切り株を足場代わりにしているユーノの前に、左手に杖状態のレイジングハートを持ち、バリアジャケット姿のなのは。
そして今日、早起きが苦手ななのはがここ数日間頑張った成果が、ついに実りの時を迎えた。
「これで!」
《restrict lock》
レストリクトロック。
習得したのは補助魔法の一種で、捕獲魔法に数えられる魔法である。
その中で、相手の動きを止めて空間に固定する“バインドタイプ”と呼ばれるものだった。
今回なのはが身に付けたこれは、呪文詠唱開始から発動までの間に、指定したエリア内から逃げられなかった、“全ての相手”の移動や動きを封じる……というもの。
つまり――。
「――おめでとうございます、姉さん。それはそれとして……どうしてこちらに向けるのですか?」
二人から少し離れ、座禅を組み瞑想していたルティシアの両手両足が、桜色の光の輪で空中に拘束されていた。
赤い上着にズボンというトレーナー姿の少女の視線は、これをした本人に向けられている。
「あ、あはは……。目標があった方が良いかなって。ね、レイジングハート?」
《yes master.no problem》
ジッと自分を見つめる濃紺の瞳から視線をそらし、弁解するなのはにレイジングハートが同意する。
「いえ、問題ありますから……。
溜息を吐きながら、自分を拘束している魔法を解除した。
輪から解放されたルティシアは、自分を見つめている視線に気が付く。
「どうかしましたか、ユーノ?」
「ルティシアの所の魔法も色々ありそうかな、って」
「そうですね。ですが、私は自分の中の魔晶石に記録されているものしか使えません。それに魔晶石そのものも、いわば電池のようなものです。限界まで使い切ると“充電”にはかなり時間がかかるため、多用するわけにもいきません」
『簡単な魔法で消費の少ないものなら、獅子の指輪の力ですぐに回復しますが』と、心の中で呟く。
あらかじめ釘を刺しておかないと、「それなら良いよね!」と、何度も魔法を撃ち込まれかねないからである。
「それは、全部一言で発動するの? 詠唱といったものは無しで」
「ほとんどは……そうですね」
あくまでも、『ルティシアが扱う』魔法は、であるが。
旅好きで、姉妹からは“魔法オタク”と呼ばれる姉や、彼女から学ぶ妹はその限りでは無い。
妹はまだその域には達していないが、言葉や詠唱以前に無言での魔法行使もあれば、長い詠唱を必要とする“儀式魔法”といったものも存在する。
そしてルティシアが扱う魔法の中にも、僅かにだが詠唱を必要とするものはあった。
いずれも、消費の大きな攻撃魔法として。
「消費といえば、術の使用方法を変えるといったことも出来ますが、その分だけ魔晶石への負担は増えますね」
目の前にある物に効果をもたらす〈修復〉を、アラケスが壊した動物病院に、遠隔使用した時のように。
「攻撃魔法も含めて、初級よりは上級の方が、やはり負担は大きいです」
「攻撃……か~……」
それを聞いたなのはは少しの間考えると、ややあってユーノに訊ねる。
「怪我をさせたりするのは嫌だけど、わたしも使えた方が良いかな……?」
「う~ん。ボクも使えないんだけど、無いよりはあった方が安全とは思うかな。暴走体に襲われることはまたあると思うから、プロテクションとは別に、身を守る術は有った方が良いと思う」
なのはの質問にユーノが答えると、それにルティシアも首肯していた。
「そうですね。私が居ない時や、合流に時間がかかることもあると思います」
「ちなみに、ルティちゃんが言っているのは、どういう時かな?」
「え? 姉さんが塾に行っている時ですが?」
笑顔で聞かれて、それに困惑しながら答える。
「ガンビットがその近くにあり、ユーノの結界や月匣が発動していれば、そこに直接転移しますが」
何かおかしな事を言いましたか? と、ルティシアは首を傾げた。
そんな妹をしばしジ~……と見ていたなのはだが、やがて『わたしの勘違いかな?』と思い直す。
「それと、ボク達の魔法は相手を傷付けないように、非殺傷設定に出来るから。だから、なのはの心配は少し軽く出来るかな?」
「「非殺傷?」」
これにはルティシアも疑問の声を上げた。
そんな不思議そうな姉妹に向かって、ユーノは解説を始めた。
「つまり、物理衝撃を伴わない攻撃。例えば、建物を壊さないようにするとか、相手に怪我をさせないようにとか」
「ユーノ、質問があるのですが構いませんか?」
「うん、ルティシア。どうぞ」
学校と同じように手を上げるルティシアを、切り株を教壇にして立つフェレット先生が指す。
「その場合、攻撃魔法はいったい何に対してダメージを与えているのですか?」
「分かりやすく言うと、相手の魔力値に直接ダメージを与えるんだ。だから、それによる身体的な損傷は基本的には出ないようになってる」
「基本的……には?」
答えに首を傾げるルティシアの隣で、なのはも手を上げた。
「はい! ユーノ先生」
「なのは君、どうぞ」
妹の真似をするなのはのそのノリに、ユーノもまた合わせる。
「痛くはないの?」
「痛みはあるよ。あくまでも、見た目が酷い大きな怪我をしにくいというだけだから、相応の痛みや衝撃は伝わるんだ。もし魔力が空っぽになってしまったら、身を守るバリアジャケットも壊れてしまうし、酷いと気を失ってしまうこともある」
それに加えて、「想像してみて?」と二人に提示するユーノ。
「空を飛んでいる時に攻撃を受けて、魔力が尽きたらどうなると思う?」
「…………墜ちちゃう」
そして、バリアのように自分を護ってくれる防護服も無い。
それに思い至り、青い顔で唸るなのは。
しかしその隣では、ルティシアが得心した顔で頷いていた。
「なるほど。それそのものは大丈夫に出来ていても、そこから派生する何かで、怪我をする可能性はあるのですね」
先の自分の疑問に、ユーノが答えてくれたことに気付いたからだ。
ユーノも首肯する。
「それに設定は途中で切り替えられるから、危ないということには変わりないけどね。でも、なのはが使う分には、常に非殺傷設定で良いんじゃないかな?」
「……うん。そう……だよね」
「それに、使い方に気を付ければ痛いだけですむのです。良いのではありませんか?」
どんな力も、結局は扱う者の使い方次第。
間違わずに使えるのならば、これは有用な力では? と、ルティシアには思えた。
博識な姉なら知っていたのかもしれないが、可能なら自分も覚えてみるつもりである。
ユーノ達とは扱う術式が違うため教わることは出来ないが、鍛練することはルティシアにとっては日常に近い。
「そうかな? ルティちゃんはそう思う?」
だからこそ、なのはに聞かれた彼女は躊躇うことなく頷いた。
「それに相手が間違っているのならば、それを教える時にも“痛さ”は必要ですから」
修行時代にそのことは身体で理解していたが、目の前にいる少女は言葉でそれを教えてくれた。
「……そっか。じゃあ、ユーノ君。やり方、教えてくれるかな?」
「うん。術式は……」
もうすぐ家に帰る時間になるが、なのははギリギリまで練習を続けるつもりらしい。
ユーノが説明を始めた所で、ルティシアは二人から距離を離し始める。
例外はあるかもしれないが、武術も魔法も、最初は基礎となるものから習う。
なのはが最初に学んでいるのも恐らくはその点は同じとは思うが、流れ弾が飛んで来そうなその場に残るつもりは、ルティシアには無かった。
それに、警戒するに越したことはないはずだ。
それよりも……と、ルティシアは歩きながら考えを巡らせる。
「魔力に直接ダメージを与える、術式の異なる異界の魔法。では、魔晶石の私が受けたらどうなるのでしょうか? 魔晶石が削られるのか、それとも魔力が無い者として扱われるのか」
後でユーノの意見も聞いてみましょうと、ルティシアが二十メートルほど距離を取った所で足を止めた。
先ほど中断して……させられた、瞑想の続きをするために。
「「あ」」
「え?」
後方からの、焦りを滲ませた二人の声。
思わず振り向いた少女の目に、こちらに向かって飛んでくる、桜色に輝く光の柱が映った。
それを見て避けることも考えたが、先ほどの疑問の答えを得る機会とルティシアは身構える。
左腕が帯電し始め、それは拳に向かうほど激しさを増す。
「クラッシュサンダー」
見た目は派手でも、威力はそれほどでも無い。
単純で癖がなく使いやすい、しかし初級の魔法を相手に使うには充分過ぎる――そのはずだった。
「――うっ!?」
楽に弾けると思って繰り出した拳から伝わる、予想外に重く強い衝撃。
ルティシアの両足が地面を抉りながら、後ろに押される。
三メートルほど押されたところで止まったルティシアの身体から、紅い闘気が発せられる。
左拳で受け止める形となっていた光の柱を、腕を振って自らの後ろへと逸らした。
それを確認しながら左腕を擦っているルティシアのもとへ、慌てふためいた二人が駆け寄ってくる。
「ご、ごめん! ルティちゃん、大丈夫!?」
「ごめん。ボクがついていながら」
シュン……とうつむく二人に、「大丈夫ですから」と答えるルティシア。
「鍛練の時にはよくあることではありませんか。誤射、爆発、書類雪崩」
「竜さんの国でもあるんだ……」
「最後のは、ちょっと変じゃない? でも、本当にごめん。念のため、治療魔法かけるから」
もう一度「大丈夫ですから」と伝えながら、少女は疑問の答えの確証を得ていた。
殴り付けた際に、僅かに感じた痛みと共に。
「ちなみに、今のはどういった性質の魔法だったのですか?」
「性質……って、魔力をそのまま放射するという魔法なんだけど」
「なるほど、それもまた基本ですね。すっかり失念していました」
『属性や威力で小分けされた魔法』との契約を考えていたルティシアは、根本的に間違えていたのだった。
そしてその様子を、山道の陰から見つめる姿があった。
小さく何かを呟いたその人物が、スカート状の物をひるがえしながら踵を返すと、同時にその姿が揺らいでその場を消え去る。
張っていた結界を解除して、朝食と登校の為に家路を行く二人と一匹。
そんな時二人の携帯電話が、軽やかなメロディと事務的な音声と共に着信を知らせる。
「誰だろう……って、アリサちゃんだ」
「何か用事ですか?」
差出人を見て携帯を開く姉に、折り畳まれた表の画面に表示された名前だけ確認して、中身は読まずに訊ねるルティシア。
「ルティちゃん、せめて読んであげようよ。学校が終わったらプールに行くから水着持参で! ……だって。そういえば、みんなで行こうって言ってたよね?」
「完成したばかりのスーパー何とかでしたか? でもごめんなさい。そこだけはちょっと……遠慮します」
なのはがメールの内容を読み聞かせると、珍しく申し訳なさそうに頭を下げるルティシア。
「え~……」
「何か理由があるとか?」
一緒に行くと思っていただけに、妹のその答えになのはは不満の声を上げ、少女の難儀な性格を理解し始めたユーノは小さく首を傾ける。
「私は長時間、水には入れない身体なのです。具体的には、命に関わるほどの」
「「どうして!?」」
淡々とした――そして斜め上過ぎる答えに、二人の声がハモる。
「私達[セイティーグの娘]には、竜の血が使われるのです。そして、とあるお方の資料ミスで、私には二種類の血が使われました……と言っても僅かですが。火竜をベースに雷竜が少し、ですね」
「つまり……火は水に弱いからとか、そういう感じかな?」
ユーノの確認に、頷く。
「姉さんには、水は火に効果は抜群だ! の方が分かりやすいですか?」
「わ、分かってるよ!?」
「ごめんなさい」
分かりやすく、なのはにはとあるゲームになぞらえて説明する……が、その必要は無かったらしい。
「でも、ルティちゃん。前に、みんなと一緒に海に行ったよね?」
あれ? と、なのはが疑問を口にした。
「あの時はほとんど砂浜でしたから。後は、波打ち際で水遊び程度でしたし」
「後で、海にきたのにまともに泳いでいない! ってアリサちゃんが文句を……って、あの時足を引っかけていたのも?」
以前の夏休みを思い出しながら話すなのはに、ルティシアは首肯する。
「よく覚えていますね。水も、多少でしたら平気なのです。長時間になると辛いだけで、お風呂にも入っていますし」
魔族の罠から友人達を守るのと同時に、自らの身も守っていたのである。
多少、強引な手段にはなったが。
「ルティシアの魔法に、それ用の魔法は無いの?」
「ありますし、使っていましたが。何故、遊びに魔晶石をすり減らさないといけないのですか。授業であれば使いますが」
「使うんだ……」
「授業ですから、当然使います」
ユーノの声には呆れが含まれていた。
「ただ、効果時間は当然決まっています。授業は時間が決まっているため大丈夫ですが、アリサが一緒だと……いえ、流れによってはすずかもでしょうか? 中にいる時間が分からないため、効果時間が切れたらかけ直すことになります」
憂鬱そうに、少女はため息をついた。
「確かに。必要な時に魔法が使えないのは、ボクも困るかな」
ユーノはある程度納得したようだが、なのはの方はまだ不満顔である。
「ルティちゃん、塾にも来ていないから、アリサちゃん達も一緒に行きたいと思うんだけど……」
「私は塾に行く必要を感じませんでしたから。苦手な歴史は暗記しておきましたし、美術や調理、裁縫等の家庭科はありませんしね」
「ふぇ!? それは聞いてないよ!?」
「ルティシア、家庭科苦手だったんだ」
暗記はずるいーと言うなのはと、意外そうな表情のユーノ。
「ずるいと言われても、速読術と記憶術ですし。苦手と言うよりは、必要が無いから覚えなかったのです。サバイバルの知識と、食事も魔力の実を始めとする長期任務用の携帯食糧がありましたから」
「なるほど……って、魔力の実?」
少女の淡々とした説明の中に、気になる単語があった。
「魔力を回復させる携帯食糧です。主に敵地で、ゆっくり休む時間が無い時に使います」
「「いいな~」」
ユーノだけではなく、なのはも反応した。
「ユーノはともかく、姉さんが食べるのは、余り良いイメージが湧きませんね」
「ふぇ!? どうして!?」
言われて驚きの声を上げるなのはに、ルティシアは抑揚無く淡々と理由を述べる。
「四方八方に乱れ飛ぶ桜色の柱でしょうか?」
「ぁ~……」
つい先ほど見たばかりの光景に、思わず納得してしまうユーノだった。
そんな二人に、なのはは清々しく輝かんばかりの笑顔を浮かべる。
「二人とも、ちょっとオハナシしようか?」
※ ※ ※
「あ・ん・た・は……ほんっっっとぉぉぉうに、協調性がないわね!?」
登校して席に着いたルティシアは、怒りの表情で待ち構えていたアリサに揺さぶられていた。
「やっぱり……こうなるよね」
「あ、アリサちゃん落ち着いて!?」
予想通りといった感じのなのはと、アリサを宥めるすずか。
「血圧上がってしまいますよ? 後、カルシウムを多く摂ると良いありました」
「シャラップ! 全部、あんたが悪いんでしょうが!? 何、他人事みたいに言ってるのよ!? さっさと、あんたが協調性を身に付けたらいいのよ!」
揺さぶりながら、アリサはマシンガンのように一気に捲し立てた。
そして揺さぶりを止めると、机に手をつき、一息つくアリサ。
荒れた呼吸を調え、最後に大きく息を吐き出すと、机の上に改めて両手を荒々しく叩き付けた。
その勢いの強さに、近くの二人がビクリと震えた。
アリサは怒気を堪えるかのように静かに、問いかけ始めた。
「まさか、いきなり泳げなくなりました……とか言わないわよね?」
去年一昨年と、授業では普通に泳いでいた。
しかし、目の前の少女ならいきなりそんなことを言い出しかねない。
「泳げます」
「水にアレルギー……も無いわね。一緒に海にも行ったし、お風呂にも普通に入ってたし」
「そうですね」
「じゃあ、何でよー!?」
「あああ、落ち着いてアリサちゃん!?」
青筋浮かべたアリサが再びヒートアップ。
「納得できる、行けない理由を言いなさい!!」
ビシィッ! と、ルティシアに指を突き付けるアリサ。
そのルティシアは、どう説明するべきか困惑していた。
二人の様子に、なのはがおずおずと口を開く。
「命が危ないって……」
「納得出来るわけないでしょうが!!」
「そ、そうだよね……」
そう返されると、あっさり引き下がる。
普段のルティシアの行動を鑑みれば、事情を聞かされていなかったら、なのは自身もそう思っていただろう。
「それはそうだよ」
「道理ですね」
すずかも頷き、ルティシアも肯定する。
「あんたが言うな~!?」
火に油とばかりに、怒りの形相で再び激しく揺さぶる。
その手に、ルティシアはそっと自分の手を重ねる。
「長時間浸かれない……というのは本当です。お風呂程度や、短時間の水遊び程度なら大丈夫ですが」
「普通に信じられないんだけど、それは本当なんでしょうね……?」
シェイクしていた手は止まったが、アリサのルティシアを見る目は不信そのものだった。
それを見て、ルティシアは嘆息する。
「素直に信じられないとは……」
「ぜぇーーんぶ、あんたの日頃の行いのせいでしょうが!? ため息つきたいのはこっちよ!!」
「ルティちゃん、もしかしてわざと?」
「う~ん、仲の良い友達同士のスキンシップにも見える……かな?」
ようやく落ち着いたかと思えたが、再び騒がしくなる二人のやりとり。
眺めていた二人は顔を見合わせて、小首を傾げる。
※ ※ ※
『へー……それで、水着も最初から持ってこなかったわけね? よーっく分かったわ。もう、理由なんかどうでも良いわ。学校が終わったら、取りに帰って、またすぐにプールに来るの。あんたなら余裕よね? 良い、分かった?』
結局、目だけが笑っていないアリサに押し切られ、ルティシアもプールに行くことになった。
「どこで間違えていたのでしょうか? やはり、最初から水に入れないとしておけば……。でも、すずかに呼ばれたおかげで、あの地のスィーマの計画は壊せたわけですし」
ブツブツと、何故こうなったのかを呟きながら疾走するルティシア。
そんな彼女が今いる場所は、プール……ではなく、いつもの公園であった。
三人と別れた後、真っ直ぐここに向かった理由は、いつかの毒蛙に汚染(?)された氷雨の状態確認のため。
人目が多かったため転移ではなく走ることになったが、怪しまれない速度でただ走るだけなら、少女には楽なものだった。
強力な魔力を込めて作られた武具は、総じて並大抵の攻撃では傷付くことも、劣化することもない。
そのためさほど心配はしていないのだが、思い入れの強い刀ゆえに、今回はどちらかと言えば念のためといった意味合いが強かった。
ちなみに水着は、消耗が少ない〈
「……? この気配は」
もうすぐ拠点という所まで来て、そちらから何者かが向かってくる気配を感じ、ルティシアは足を止めた。
真っ直ぐ自分に向かってくるが、敵意は全く感じられない。
「しかし、この気配は……つい最近感じたことのあるような」
それは木々の間から飛び出し、ルティシアへとのしかかってきた。
足に力を入れ、来たる衝撃に備えた少女が抱き止めたのは、橙色の犬……ではなく狼のアルフ。
“ドン!”とルティシアの両肩に前足を置いて、少女の顔をジッと覗き込んでくる。
その表情からは、どこか焦っているようにも感じられた。
「アルフ? フェイトの姿が見えませんが、どうしました……かーーー?」
ルティシアの言葉の途中で、アルフは自分の背中に少女を腹からくの字に担ぎ上げると、そのまま来た道――拠点に向けて突風のように駆け出した。
すぐに見えてくる、拠点のある木。そしてその根元にもたれるように、見覚えのある姿があった。
「フェイト……?」
黒い服に、輝く金髪を黒いリボンでツインテールにした、アルフの飼い主の少女――フェイト。
寂しそうな光を放つ、その赤い瞳の目は閉ざされている。
アルフは主人の近くで急ブレーキをかけると、その勢いを使って背中の人物を放り出す。
そのことにルティシアは文句を言うことなく、すぐにフェイトの様子を調べ始めた。
体温……普通。
呼吸……やや弱い。
外傷……赤いミミズ腫れのような跡はいくつかあるが、それが直接な原因では無さそうだった。
外科的では無く、内科的なものでしょうか? と、アルフを見てみる。
「どうにか出来るか? むしろ、しろ」
表情からは、そう言っているように見えた。
「私には専門医学の知識は無いのですが……。外傷はともかく……」
無論そんなことを言ったところで、アルフからジッと見られ続けられることには変わりない。
「緊急……とするなら、翆屋……はまずいでしょうし、家……は駄目ですか? では、救急車……も駄目ですか」
唸られる。
「何か事情があるのは分かりますが、これではどうにも」
主人を心配する純粋な瞳で見つめられる。
「心配するなら、却下しないでほしかったのですが。……やむを得ないですね。とりあえず、先に確認だけしましょうか」
迷いながらも、ルティシアは緊急避難措置をとることにした。後のことは、後で何か考えることにして。
フェイトの意識が戻る前に手を打てれば、表情豊かでもアルフでは言葉に出来ないから問題は無いでしょう、という判断で。
「アルフ。私も手伝いますので、フェイトを乗せてその木の上……に?」
言っている間に一瞬で担ぎ上げると、木の上に。
そして「遅い!」と言わんばかりに、下にいるルティシアも担いで上がる。
「あなたは本当に狼……分かりました」
唸り声を上げるアルフに、言葉を遮られる。
ルティシアが小さくキーワードを呟くと、目の前に茶色とまばらに緑色の小さな家が現れる。
アルフの目が驚きに見開かれる。
「見られたくも知られたくも無いので、早く中へ」
扉を開けたルティシアに促され、アルフはフェイトを乗せると、警戒しながら家の中へと足を進めた。
中はベッドや調理場、他にも様々な機器が備えられた一画がある、かなり広いリビング。
そして、右奥にある寝室……二階への階段の下にあるそこへ、ルティシアは向かった。
そこに置かれた――大人が数人寝られそうなほど無駄に広い――ベッドへと。
「そのまま上に乗ってもいいので、そこへフェイトを寝かせて下さい」
そう言うと、ベッドのサイド……やや下側をいじり始める。
落ち着き無くキョロキョロと辺りを見渡していたアルフだが、指示通りにフェイトをベッドの上へと優しく寝かせた。
“きゅるるるる~……”
いじっていたルティシアの耳に、ベッドの上から何か可愛らしい音が届いた。
立ち上がって、フェイトを見る。
意識は変わらず無さそうだが、顔は微妙に赤いような気がした。
アルフを見る。
どこか気まずそうに視線を逸らされた。
「まさか……」
ある予感に思い至りつつも、今までいじっていたスイッチを押す。
フェイトの全身を、一瞬緑の光が包み込む。
『睡眠不足、消耗、空腹ニヨル衰弱。要食事、睡眠』
「…………衰弱?」
その表現にルティシアは眉をひそめ、聞いていたアルフも辛い表情を浮かべた。
「何か忙しくしているのは聞きましたが、衰弱までいくのはどうかと思います」
嘆息すると、ルティシアはフェイトが眠りやすいようにと、頭のリボンを外す。
ベッドの上に、黄金の河が広がる。
外した二個のリボンを枕元に置くと、肩まで布団を掛けた。
ふとルティシアはアルフを見つめる。
「まさか、あなたもご飯を食べていない……みたいですね」
何かを主張する音が聞こえた。
もう一度嘆息すると、ルティシアは調理場へ。
興味津々といった表情でアルフもついてくる。
コンロや流し台の下にあるボックスを開いて中を確認する……が。
「ドッグフードは、さすがにありませんね」
引き出しの中には多種多様な料理名の付いた小箱があるが、ドッグフードは無い。
「魔力の実……も、アルフには関係ありませんし」
手に取った飴が入っていそうな缶も、棚へと戻す。
結局選んだのは、狼=肉食=肉、と単純に考えてステーキの箱。
そこから取り出したカードを、ボックスの上にあるスロットへ差し込む。
「フェイトは……起きる時間が分かりませんね。アルフにも操作出来ないでしょうし。と、なると……」
数秒考えると、管理システムを呼び出す。
「音声入力モード。形態は保存。希望主はベッドにいるフェイト。メモリーセット」
『フェイト、メモリー。チェック……嗜好解析……理解……レッツクッキン!』
ルティシアの言葉に、システムが調理用の音声を用いて応える。
「レッツクッキン……? どこでそんな表現を覚えたのでしょうか」
小首を傾げるも、システムからは何も反応は返ってこない。
これくらいなら特に実害は無いと判断し、少女は気にしないことにした。
「フェイトの好みが分からないため、ゼロから即生産で作ります。僅かに味は劣りますが、好みに近い味と量にはなるはずです」
ルティシアの説明に、アルフはフンフンと頷いている。
ステーキが当然先に出来上がったため、それを適当に切り分けるとアルフの前に置く。
焼き上げたばかりのジュー……という音。
切り分けた所からは肉汁が滴り、食欲をそそる匂いが部屋を満たす。
「熱いと思いますので、気を付けて食べて下さいね」
大きく頷くと、我慢も限界とばかりに肉に噛み付き……目を見開く。
次いで涙を溢れさせ、味わうようにゆっくり噛み締めていく。
時々体を震わせているのは、感動のためだろうか?
「そこまで……」
その様子を見ていたルティシアが少し悩んだ。
私はフェイトに怒られるのでは? と。
アルフが自分のご飯を食べてくれない、と相談される光景が目に浮かぶ。
普段の食事内容を聞いてみて、狼なら時々肉をあげた方が良いと言うくらいだろうか?
「この家に入れるわけにはいきませんが、肉は無理でもドッグフード位は買っておきましょうか。肉に近い味の、ドッグフードがあるのかは分かりませんが。フェイトが忙しい時でも、木の上に置いておけば、賢いアルフなら何とかするでしょうし」
こっそり動物を飼う方法みたいな考えになっていることを、そういう知識に疎いルティシアは気が付かない。
『完了』
そんな音声と共に調理場の一部がスライドし、そこから長細い箱のトレイが出てくる。
それを寝室に運ぶと、ルティシアの「テーブル」という一声でベッド脇にせり上がってきたそこの上に置く。
「片付けはしなくていいから、しっかりと食べて下さい。忙しくても、アルフと一緒に食べて休むように」というメモを添えて。
そして、少女はようやく本来の目的へ。
寝室からリビングへと戻る。
「メンテナンス」
言葉に反応して、足元から五メートル四方の正方形の台座がせり上がってくる。
その上には、明かりを照り返す銀の刀身を持つ抜き身の刀。
『異常ありません』
「ありがとうございます」
青い柄を握って刀を受け取ると、台座は下へと下がっていく。
「やはり、問題無しでしたか。良かったです」
亜空庫から青い鞘を取り出すと、愛刀を納めた。
元の場所に片づけた少女は、幸せそうにゆっくり味わって食べているアルフに視線を向けた。
「戸締まりは気にしなくて良いですので。ただ、見られない様にだけお願いしますね?」
感動に震えながら尻尾で頷いているようなアルフに不安感はあるが、今日のルティシアには時間が無かった。
「アリサが爆発しそうですしね。予定より少し遅れていますし。では、システム。後はお願いします。必要に応じて対応を」
ため息をつきながら拠点を出る。
次に出会った時に、フェイトに夢や幻で説得出来るだろうか? 口止め作業だけは避けたいのですが……などと思いながら。
水着が入ったバッグを手に学生鞄を背負って、ルティシアは人通りが少ない道を疾走していく。
完成したばかりの新しい建物に入ると、脇目も振らず受付に向かった。
そこに座っている、中学生位の少女に料金を払う。
長く伸ばされた銀糸のように輝くプラチナブロンドの髪と、神秘的な紫の瞳が印象的だった。
「いらっしゃいませ。ゆっくり、楽しんでいって下さいね」
「はい、ありがとうございます。先に来ている友人次第ですが」
「うふふ、その気持ちはよく分かります。私にも振り回してくれる友人が居ますので」
微笑む受付の少女と別れたら、奥に進む。
タイミングが良かったのか、他の利用者に会うこと無く更衣室に辿り着いた。
荷物をロッカーに入れ――
「落とし物ですよ?」
「え? 私のではありませんが?」
背後からかけられた静かな声に、ルティシアは迷わず即答する。
水着やタオルなどが入れられている、固く口が閉ざされた袋と鞄。
「そうですか。貴女に必要なモノと思いますが」
「落とす物はありませんから……必要?」
と、ルティシアは声をかけてきた少女らしき声の主を見た。
そこにいたのは先程、受付に座っていた中学生位の少女だった。
纏っている薄紫色の
整った顔に、神秘的な光を讃える紫色の瞳。
クラスの男子が口にしている、超が付く美少女と言っても過言ではない。
どこか妖艶な雰囲気を漂わせている彼女は、手のひらを上に向けた右手を差し出している。
瞳の様な青い宝石――ジュエルシードと呼ばれるそれを乗せて。
「それは……!」
「貴女達に必要な物……でしょう? うふふ」
そう言うと、微笑を浮かべた。
next
プールで出会った銀の少女。
それは敵か味方か?
銀の少女は、静かに微笑みを浮かべる。
????「少しの間、楽しみましょう?」