その2 「私はどこで間違えましたか」
体が重い。
まるで、鍛練の時に初めて重力系の魔法をかけられて、地面に押しつけられた時のように。
少女――ルティシアの沈んでいた意識が闇の中から浮上した時、まず感じたことがそれだった。
「むにゃむにゃ(じゅる)」
近くから何かが聞こえた気がした。
もう一つの、彼女の理性が理解を拒んだ水音と共に。
「……ぅ」
重いまぶたを上げて、目を開けたルティシアの視界に入ってきたのは、見覚えの無い天井だった。
(少なくとも、私の部屋ではありません)
目覚めたばかりのせいか妙に回転が鈍い頭だが、それだけは断言できた。
何故なら。
(天井からぶら下がっている物は、確かデントー? でも、形が少し違います)
旅好きの姉が持ち帰ったお土産の中に似たようなものはあるが、ここにあるものはそれとは少し形が違った。
何よりも、使い方を知ってはいてもセイティーグでは使わないため、姉の部屋の隅で転がっていたのに対して。
ここではどうやら説明された通りの、本来の用途で使われている……らしいということ。
らしいというのは明かりが点いていないからであるが。
その光景を見て、そして自分が今思っていることも合わさると、やがてそれは一つの結論へと結び付いていく。
「いせ……かい?」
呼吸と間違えそうなくらいに小さな声がこぼれた。
同意しての旅立ち……旅立たされだとしても、脳裏に浮かんだその結論を、ルティシアはすぐには受け入れられなかった。
頭が重くて思考が鈍い今を、ルティシアは妙に現実的な夢なのではないかと思っていたのだ。
嘆息して顔を横に向けた彼女に、現実は容赦なくそのことを突き付けてくる。
「ふわぁ~……これもおいしいの~(じゅる)」
布団に寝かされている自分の上に、覆い被さるようにして眠る幼い少女の姿が視界に入る。
口元から溢れた涎が、布団に染みを作っていた。
「……わたしへのひがいはまだなさそうです。それよりもこの子はいった……い?」
違和感を覚えた。
最初は気が付かなかったが、声がおかしい。
上手く発音が出来ない。
姉妹に言われたこともあって抑揚が無い声という認識はあったが、こんなに舌足らずではなかったはず。
そして、ルティシアが感じる異変は声だけでは止まらなかった。
体の方もおかしい。
手は、足は、胴は、自分の体はこんなに小さくはなかったはず。
「……まさか。
自分の状態を確かめるために、診断魔法を唱える。
勘違いであってほしいと思う少女に、認めたくなかった現実が再び突き付けられた。
背が縮んでいる。
幼児というには少し大きいくらいだろうか?
身体の中にある魔晶石も、その内蔵している魔力量こそ変わらないが、体の大きさに合わせて小さくなっていた。
そして、身体能力までもが大幅に落ちていることを知らされる。
あり得ないことに、当時の自分よりも下回っているのではないだろうか?
彼女には人間と戦うつもりは全くないが、もし何らかの状況でそうせざるをえなくなった場合、生まれもあるし一般的な人間を相手にそうそう負けることはないだろう。
しかし自分達の敵である邪竜族や魔族との戦闘は、それが最も低い階級のものを相手にしたとしても、相当厳しいことになると思われた。
ちなみに、自分が何のためにここに来ているのかということは、今の彼女の頭には無い。
予想だにしなかった状況に陥ったことで、ルティシアは激しく混乱していた。
その時――。
(――戦場では冷静さを欠いてはいけない。慌てず落ち着いて状況を確認し、冷静に対処をしていきなさい)
ふと、彼女の師にして姉の言葉が思い起こされた。
それによって、僅かに残っていた思考の冷静な部分が持ち直していく。
深呼吸をして気分を落ち着かせると、暫し状況の把握に努める。
まずは状況に対応できるかどうか……持物の確認。
布団の中で手を動かし、亜空庫が使えることに安堵して、その中に手を入れる。
一つ一つ、入れてあった物を順番に確認していく。
補助機能を複数搭載している超小型遠隔機動兵器……通称<ガンビット>が四基。
斬るだけではなく、氷の属性を纏わせたり、それを放つことも可能な愛刀。銘は<氷雨>。
余り得意では無いため、あくまでも補助で持ち歩いている超長距離狙撃用かつ、実弾と非実体弾を切り替えて使用できる<ツーヘッドスナイパーライフル>。
怪我の治療に使う液体薬が入った小瓶がいくつか。
亜空庫に入れてあった物は全て無事なようだ。
亜空庫から出した右手の指には指輪がはまっている。
そして、少女を起こさないように注意を払って枕元を確認すれば、飛ばされる前に受け取った指輪以外のポーチとネックレスが置かれている。
ポーチの中身は確認していないが、持ってきた物は全てある。
さっきは何の気なしに魔法を使用したが、魔晶石の方も問題ない。
後は……この場所と、自分がここに寝かされるまでの経緯。
布団の中で身じろぎするルティシアの視界が赤に染まる。
夕陽。
隠していた雲から出てきたのか、サァッ……と部屋の中が夕陽で赤く染まっていく。
「……きれい」
その輝きを見て思わず呟きがこぼれた。
(セイティーグの、魔法と科学で作り出した擬似的な太陽とは違う? それとも全く同じ? 目の前の夕陽を綺麗と感じ、目を離したくないと思ってしまう自分はおかしいのでしょうか)
頭を振って思考を切り替える。
ポニーテールにしていた髪がほどかれていたのか、振った弾みで顔にあたる。
「……っ!? ……そんな!?」
思わず出てしまう声。
・・
濃紺の髪を震える手で摘まんで目の前にかざし、それを見て茫然としてしまう。
「……う……にゃ?」
今のルティシアの声に反応したのか、上……隣で眠っていた少女が目を開ける。
ルティシアも少女の声に反応して、そちらに視線を向ける。
しばし二人の眼が合う。
少女の青い瞳の眼が大きく見開かれ、次いで喜びを顔いっぱいに浮かべると、立ち上がって部屋から飛び出していく。
「おかあさん、おきたのー!」
まるで、階段から転がり落ちるかのように下へと。
「いたいのー!」
「……落ちていましたか」
幸い泣き声は聞こえてこないため少女は大丈夫と判断し、もう一度髪を見る。
やはり濃紺であり、真紅ではない。
「……たいちょう」
どう考えても、最後のアレで失敗しているとしか思えない状況。
やはり隊長――シャインネルの話を聞かずに部屋を出て、転移装置から飛んでいれば……。
書類の山脈を見た時に部屋から出て、別の機会にしていれば……。
そして後日に改めて……隊長だけではなく止めてくれるだろう三王女様のどなたかや、隊長補佐が居るときに話を聞いていれば……。
それらの考えを、ルティシアは深い嘆息と共に追い出す。
一度帰還することも頭をよぎるが、この状態でさらに次元移動を行うのはリスクが高すぎた。
(今後、私はどうすれば……?)
ふと、階段を上がってくる複数の気配に気が付く。
「
言葉は通じていたような気はするが、念のために魔法も使用しておく。
髪を離したルティシアが身体を起こした時、部屋に数人の人影が現れた。
笑顔の少女を抱いた、優しそうな感じを受ける若い男性と女性。
おそらく両親だろう。
ただ、後から姿を見せた少女の兄や姉らしき二人と並ぶと、かなり年の離れた兄や姉と言われても信じられるかもしれない。
「気分はどうだい?」
「……すこしあたまが重いくらいで、だいじょうぶです」
父親らしき男性から見た目通りに優しく訊かれ、抑揚はないがしかし舌足らずな感じの声でルティシアは返事を返す。
何故こんな喋り方に……。
「朝、玄関の前で倒れていたんだけど、何があったのか分かるかな?」
「たおれて……ですか」
男性の言葉に少し考える。
しかし、正直に答えても信じてはもらえないだろう。
こことは別の次元にある竜の国から、社会勉強に行けと飛ばされてきました。
……無理でしょうね。
聖竜族の住むセイティーグとはいっても、国にいる人々の安全のために
よって、ある程度の真実が必要になる。
眼を通した資料によれば、この世界の人間は魔法を使えない。
だが、そのはずの世界で時折魔力が関知されていた。
ゆえに、目の前にいる者達が実は魔法を使える可能性は、ある。
それに誰かから聞いた話では、人間は自分達と異なる未知の存在を恐れるとも聞く。
出来るだけ怖がらせないように、それでいて事実に近い説明。
(難問です。ウソや作り話は苦手ですし。それにしても……考えがまとまりません。何故、こんなにも頭の中に雑音のようなモノが)
鈍痛がする頭で、それでも必死に考える。
事情。ウソではなく、未知のものも混ぜないように――。
「……むりやりほうり出されました」
必死に言葉を組み立てている途中で、頭を押さえながらそんなことを口走ってしまう。
空気が固まった。
『隊長に』と『魔法で』という単語を抜かした事実には違いないが。
「あ……いえ……ちが」
「住んでいた場所は分かるかな?」
口をついてでた言葉をルティシアが訂正する前に、困ったような笑顔を浮かべた女性が口を開く。
とりあえず訂正を後回しにして考える。
「ばしょ……(場所とはセイティーグの次元座標のことでしょうか? しかし、あそこは聖地……初対面で教えるわけにはいかないですし。そもそも次元座標が使われているかどうかも)……ごめんなさい、分かりません」
空気がどんどん重たくなっていくる。
兄らしき少年が、考えながら口を開く。
「とりあえず、この辺りに住んではいない?」
「……はい」
(私のせいとはいえ、女の子が息苦しく感じてなければいいのですが)
雑音が流れ続けている頭を押さえつつ、視線を上げてみる。
満面の笑顔が向けられている。大丈夫らしい。
姉らしき子が、しゃがんでこちらに顔を近付けてくる。
「お父さんやお母さん、お兄ちゃんとかお姉ちゃんは?」
「(会いたいという意味でしょうか? 姉様達や隊長、王女様にセフィルス様。セイティーグのみんなは家族ですが、ここには)……居ません」
今の雰囲気の中で、ルティシアはふと旅好きな姉の話を思い出した。
静かで、暗く重苦しい場所という海底の話を。
「捨て子か……」
男性がつらそうに言う。
ルティシアはどうやってこの家を出ていくかを考えていた。
良い家族らしいが、だからこそ、自分はここに居るわけにはいかなかった。
「士郎さん」
「父さん」
「お父さん」
三人が士郎と呼ばれた男性を見つめる。
女の子はまだ笑顔で、ルティシアを見つめている。
男性――士郎は、口元に手を当てた姿勢で、目を閉じて深く考えこんでいた。
三人も何も言わず、じっと待つ。
ややあって、士郎が目を開けた。
「一時的に記憶が飛んでいる可能性もあるかもしれないけど、もし本当に捨て子でこの子も良ければ、ここに引き取ろうと思う」
「……え(何故?)」
予想に無い言葉を聞いて、ルティシアは呆けた声をあげた。
「やったー!!」
父親の言葉を聞いた女の子が歓声をあげる。
「なのは、おねえちゃんになれるの!?」
「……いえ、あの(出ていくと言わなくては。この子を悲しませずに。しかし、いったいどう言えば? 言葉をもっと勉強しておけば……)」
今さら後悔したところで、もはや遅かった。
考えが纏まらない。
喜びの声をあげている女の子――なのはという名前らしい――に、男性も、そして他の三人も柔らかな笑顔を向ける。
片手で、士郎は肩に乗せていたなのはを下ろす。
「今すぐじゃないけど、なのはに妹が出来るかもな」
頭を撫でながらそう言われると、なのはは全身で喜びを示すかのように飛びはねて、そのままルティシアへとダイブする。
「……う」
ダイブをしてくるとは思わなかったせいか、はたまた体が万全ではないためか。
対応への反応も遅れ、なのはを受け止め切れなかったルティシアはそのまま後ろへと倒れこんでしまう。
二重三重に、彼女はショックを受けていた。
「なのは、良かったな」
「なのはお姉ちゃん、だね」
兄や姉も笑顔を浮かべている。
なのはも、ルティシアの上を占拠しつつ満面の笑みを浮かべて――。
「うん!」
大きく頷いた。
その輝かんばかりの笑顔は、ルティシアの寂しさを抱えていた心に何か……暖かい何かを感じさせる。
懐かしい、言葉にならない不思議な何か。
言い出せない。
この笑顔を曇らせたくなかった。
(私はどこで間違えましたか)
どこかのタイミングでご両親には本当のことを言う必要があるだろう。
問題は、そのタイミング。
なのはの笑みにつられて戸惑った笑みを浮かべながら、この子と別れる一番良い時期はと頭を巡らすルティシア。
この子の心の痛みを出来るだけ作らないようにと……。
自身の痛みから未だに回復していない者が模索していた。
※ ※ ※
――追い詰められた。
目の前にいるのは餓えた猛獣。
距離を離そうとするも、背中に当たる壁がもはや後が無いことを少女に伝えた。
勝利を確信した笑みを浮かべた相手は一歩、また一歩と、ゆっくりと……だが着実に距離を詰めてくる。
迫りくる脅威を前に、諦めて運命を受け入れたかのように目を閉じる少女――ルティシア。
脳裏に、あの日の出来事が思い起こされる。
ルティシアが高町家の養子として迎えられる前、一ヶ月前のあの日の夜のことを――……
※ ※ ※
「ようやく、ねてくれましたか……」
軽く嘆息を吐くルティシアの濃紺の目には、慣れないことをした疲れがありありと浮かんでいた。
よく分からないハイテンションであれこれ振り回し、今は自身に抱き付いて眠る少女――高町なのはを慎重に身体から引き離す。
決して傷付けないように、力を入れ過ぎないように。
良い夢を見ているらしく、眠っているなのはは時おり寝言と共に笑みをこぼしていた。
その顔を見ていると、これから行うことで胸に針で刺すような痛みが走るものの、ルティシアは支度を始める。
この地に来る直前までルティシアが身に付けていた服は、彼女のサイズが縮んだことにより実質着て歩くことは難しい。
例えるなら、小学校に入る前の子供が中学生くらいのサイズの服を着ているようなものである。
よって、高町夫妻が用意してくれたのはサイズの近いなのはの服。
同様の理由で借りていたパジャマを脱いで綺麗に畳むと、すぐにその服に着替える。
新しい服を用意したらすぐに返しにくるつもりで、今は借りることにする。
ネックレスを身に付け、黒いリストバンドを手首にはめる。
少し緩かったそれはすぐに、丁度良いサイズに締まった。
最後に、腰回りでパチン! と音を立ててポーチのベルトを止める。
身支度を終え、足音を立てないように歩いて部屋の外へ。
静かに扉を閉める。
なのはの部屋は二階にあるため窓から出ることも考えたが、おそらく自分がはいていた靴が玄関にあるだろうからそれを回収しようとして……足を止める。
階段の所に誰かの気配を察知して。
「やっぱり、出ていこうとしたね」
「……しろうさん」
段差の所に腰かけているなのはの父――高町士郎。
様々な経験をしてきた彼は、それと長年培ってきた勘によってルティシアの行動を読み、こうして待ち構えていた。
真ん中で座っていた彼は待ち人が来ると、もう一人座れる位の幅を作って横にずれる。
その意味を理解しつつも、ルティシアはあえて階段の上の廊下部分で正座する。
その行為に苦笑しつつも、「さて」と士郎が口を開く。
「出ていこうとした理由を聞いても良いかな?」
「……わたしがくわわってはいけない気がしましたので」
「なぜ?」
「……かぞくの和をくずしたくありません」
その答え方を聞いて、少女が“やはり”見た目通りの年齢や考え方をしていないことを士郎は悟った。
ルティシアもまた士郎の……一部の家族から感じるモノを正確に理解していた。
それは戦う者が放つ特有の気配。
「あえて深くは訊かないけど、君はソレを使って誰かを傷付けるつもりかい?」
「……ひつようがあれば使うことになります。心ある力を持って誰かのための爪牙たれ。身に付けるは守力至宝……大切な何かを守るための力」
それまで淡々と微妙に舌足らずな感じで話していたルティシアが、彼女が受けたらしい教えを口にした時だけ流麗な口調になった。
セイティーグを、その地に住まう者達を守るために身に付けた力。
基礎訓練を終えただけの身だが、その思いに偽りはない。
「……でも、力は力です。わたしがいることで傷付けてしまうかもしれません。だから……」
「君は大丈夫だよ」
出ていきますという言葉を遮って、士郎が口を開いた。
下を向いている士郎の表情は、ルティシアの位置からでは窺い知ることは出来ない。
「傷付けてしまう怖さをきちんと知ってる。傷付くことの痛みを知ってる」
「え……?」
「なのはを傷付けないようにしているし、それに君からはなのはと似たものを感じたからね」
「似たもの……ですか?」
「寂しさからくる心の痛みを抱えている」
「っ!?」
言い当てられ、驚愕したルティシアは息を飲む。
今まで小さな動きこそあったものの余り表情に変化がなかったルティシアの、その大きく動揺した表情を振り返って見た士郎。
しかし、その士郎の顔にも苦いものがいっぱいに浮かんでいた。
「親として情けない限りだが、自分達のことに必死すぎて、一番側にいてあげないといけない子を一人にし過ぎてしまった。賢い子だから、一人でも大丈夫という『聞き分けが良い子』を演じさせてしまったよ」
それまでずっとルティシアを指導してくれていた姉妹の長姉。
その姉が他の妹達と長期の作戦行動に出ることになり、結果一人で鍛練する時間が増えた。
他の姉達やセイティーグの他の戦える者達も皆それぞれの任務に就いているため、時折様子を見に来ることはあってもその回数は決して多くはない。
ルティシア自身は『演じる』ということはしていないが、普通の家庭とセイティーグの在り方の差はあっても、二人が寂しさを抱えていたのは事実であった。
「気付いた時にはその状態でね。自分達がこれからそれを改善するのはもちろんだけど、君にも頼みたいことがあるんだ」
「……わたしにですか? なんでしょう?」
小首を傾げるルティシアに、士郎は真剣な表情で告げる。
「ここで、なのはと一緒に居て欲しいんだ」
ルティシアはその眼を見て、士郎が本気で言っていると感じ取った。
士郎も眼をそらさない。
「君にも何か考えがあるとは思う。でも、出ていこうとした理由があれで、他に差し支えが無ければ頼まれてくれないかい?」
「……わたしは、じゅうぶんあやしいモノだと思うのですが」
真実を言うわけにはいかず、かといってウソを言うのも苦手な結果、おかしな受け答えをした夕方の出来事を思い出しながら話す。
「言えない……言いたくない理由は訊かないよ。みんなそれぞれに、色んな事情があるものだしね。それに、人を見る眼は確かなつもりだよ」
それでどうだい? と訊かれてルティシアの出した答えは……――。
※ ※ ※
高町家では剣術を教えているようで、士郎を指導役になのはの兄である恭也や姉の美由希と共に、家の敷地内にある道場で朝に夕にと汗を流している。
昔、仕事で大怪我をしかけたという士郎は今は二人に教えるだけのようだが、それでも二人の子にはまだまだ負けないようだ。
ルティシアを養子に迎える手続きを終えた後、昔の知り合いからの連絡を受けた士郎が「助っ人に行ってくる」と出かけて行き……。
数日後に、重傷を負って意識不明で入院という事態になった。
『翠屋』という、シュークリームを筆頭としたスイーツが売りの喫茶店を開いていたなのはの母――桃子は、店の開く前の仕込みの時間や閉店後に病院に通っていた。
恭也や美由希も学校が終わるとすぐに翠屋に向かい、桃子の手伝いを行う日々。
その間は、なのはとルティシアは家で留守番をしていた。
その際、なのはを一人にしなくてすむと桃子が安堵し、恭也や美由希からも信頼され託された。
数日後、見舞いに行く桃子に、せめて自分の代わりにこれを持っていってほしいと、ふとした思い付きでネックレスから黄金に輝く牡羊の飾りを外して渡したのだが……。
いつ意識が戻るか分からないという医師の言葉に反し、二週間で退院というあり得ない出来事が起きた。
「昔の古傷も全て治ったよ」と話しながら、ルティシアに黄金の牡羊を返す士郎。
「昔、仕事の時にもう駄目かもしれないと思ったことがあったんだよ。その時に、どこから来たのか黄金の盾が飛んできて守ってくれたんだ」
今回これに助けられたのも何かの縁なのかもしれないな、とルティシアの頭を撫でながら話をしてくれた。
彼女には、黄金の盾で思い当たるものが一つ有った。牡羊と同様に、ネックレスの一部として。
重傷で意識不明になりながら、そこから早期退院してすぐの状態で前よりも動きが良くなっている士郎……“父”を見て、『本当に普通の人間でしょうか?』と思ってしまうルティシア。
重傷から復活して前よりも強くなる人間が居ることは知っているが、それはごく少数に過ぎないと聞いていた。
それが、自分が偶然拾われた家で見ることが出来るとは……。
数年後に、この出来事が身近で何度も続くことを、今のルティシアが知る由もなかった。
そのルティシア。
自分に起こった出来事や現状の確認をするために、本国で貰ったポーチの中の検査が行える拠点ハウスを、人目につかない場所に建てようとしていた。
魔法の品であるそれは、設置さえすれば完成するのだが……。
暇がなかった。
士郎が居るときも入院中も、剣の道を学ぶあの三人の朝は早い。桃子も朝食や翠屋の準備等で早い時間から目覚めている。
ルティシアはなのはの部屋で生活し、同じベッドで眠っているのだが……。
なのはは夢の世界に旅立つと同時にルティシアに抱き付いてくる。
そして朝まで離れず、無理矢理離そうにも幸せそうな寝顔を見るとその気持ちも無くなり、嘆息を吐きながら姉からのヨダレ対策をして自分も眠る。
日中は日中で、なのはとずっと一緒である。運動は苦手と聞いていたが、そうとは思えないほど元気いっぱいに動く。
士郎の話通りなら、ルティシアが来る前は一人の時間が多かったらしいので、その反動かもしれない。
もちろん夜は論外だろう。彼女にとって苦手な入浴からベッドに入るまで一緒であり、生活の十割がなのはで占められている。
そして、今日も……。
「遊ぶのー!」
というなのはの叫びと共に鬼ごっこが始まり、猛獣と化したなのはに追い詰められている。
少女の本来の身体能力であれば逃げ続けることも可能であろうが、自身の状態もはっきり分からないのに何かの弾みでなのはに怪我をさせる訳にはいかない。
かといって、一緒にいることを頼まれている手前、逃げ出すことも出来ず。
傷付けることを恐れる余り必要以上に力を制限して、その最低限の力で上手く掻い潜って避けていたにも関わらず、なのはは全力全開とばかりに機敏に立ち回って追い詰めてくる。
最近の人間の子供はみんなこれくらい動くのですか、と舌を巻くほどの動きである。
「追い詰めたの!」
自室の隅に追い込みなおジリジリと詰め寄るなのはを見て、ルティシアも観念したのか目を閉じて嘆息を吐いた。
「
いざ飛びかかろうとしたなのはが、クタッとその場に倒れ込む……前にルティシアが支えて、寝息を立てる姉をそのままベッドへと寝かせる。
出かけるために結局魔法を使うことになるとは、とさらに嘆息。
時刻は既に夕刻前で、余り時間がない。
一向に先に進めないのでかなり強引な手段になってしまったが、急げば短時間ですむ。
戸締まりをすると、亜空庫から手のひらサイズの丸い物体を取り出して空中に放つ。
偵察用の<ガンビット>に留守を任せ、急ぎ見当をつけてあった海鳴公園へ。
偵察用の魔法である〈魔導の目〉等を、
辿り着いた公園内の一部、木が覆い繁る辺りで、丁度遊歩道側からは死角になり幹も安定している木を見つける。
そこに素早く近付き、ポーチから小さな拠点ハウスを取り出すと幹に設置……すぐに半透明な小屋が出来上がる。
本当に小さな家であり、子供が中で遊ぶくらいの大きさでしか無い。
魔力感知避けのシステムも作動させ、中へ。
その小さな外観と違い、中はかなり広い。
一階は居住スペース。
二階には鍛練所があり、使用中は中の一時間は外では一分にしかならない機能が付いている。
三階部分もあるが、こちらは何かの時は他の者も生活出来るように空き部屋となっている。
時間設備を使っての鍛練所の使用にも心引かれたが、まずは当初の目的を果たすために一階にある医療設備を選択する。
素早く検査システムを走らせると、完了まで一時間の表示。
今は間に合わないと即断し、次回来たときに確認することにする。
鍛練は結果を見てからと結論付け、時計を確認するとここまでで25分。
誘眠の魔法は後少し効いている時間で、ガンビットからの映像にも異常は無いが、留守も頼まれているため今日はこれで切り上げることにした。
この場にすぐに移動できるように転移先としての印を残し、外へ。
キーワードを設定すると小屋が見えなくなる。これで外から第三者に魔力感知されることは無く、自分はここまで転移出来る。
設定が完了したことを確認したら、家路を急ぐ。
高町家に転移印を作っておけば良かったが、弱い単発系の魔法ならともかく、継続効果のある魔法は時々見かける魔導の目に見られる可能性があるため、移動に時間がかかる今回は断念した。
そもそも高町家に拠点を設置出来ればよかったが、どこに置いても隠しても、あの家族は何故か見つけそうな気がしたのだ。
駆け抜けて辿り着いた、今の自分の家。
ガンビットを回収して亜空庫に片付けると鍵を開ける。
玄関から中に入ったルティシアが見たものは……。
かろうじて誘眠の効果時間内のため、まだ夢の中にいるはずの猛獣が、玄関に入ってすぐの所で仁王立ちしている姿。
なのははいつも見せる笑顔を浮かべているだけなのだが、そこから感じるのは威圧感すら漂わせる重圧。
「……なの姉さん……ただい……ま?」
まだ目覚めるはずはないという思いもあるが、それどころではなかった。
まだ未熟とはいえ、竜である自分が思わず一歩下がるほどの重圧を与えてくる人間の女の子。
「ルティちゃん。おるすばんの時は、家にいないとダメなんだよ? しらないならおしえてあげるね」
本当にこの家の人々は何なのだろう。目を閉じて、深い嘆息を吐く。
目の輝きがいつもと違うなのはを見ていると、背中に見えない壁が当たっている感じを受ける。
(私はどこで間違えましたか?)
立ち止まったまま自問しているルティシアの腕を、猛獣からさらに上の何かにランクアップしたなのはが掴む。
「捕まえたの」
静かな、静かな一言と共に。
ギィッ……と、音を立てながら扉が閉じられた――。
next
戸惑いながらの家族との生活。
日々激しく(?)なる姉との日常。
合間を見つけて(抜け出して)は自らの変調を確認し、衰えた力を少しでも取り戻すために、ルティシアは訓練を開始する。
そしていよいよ始まる、学生生活。
なのは「良かった!」
(注)
ガンビット:主に[セイティーグの娘]達が使用する三種の超小型遠隔機動兵器の一種。その中で一番扱いやすく、攻撃力よりも搭載機能数を重視したタイプ。
ルティシアは初期訓練しか終えていないため、ガンビットしか扱えない。
尚、他二種は攻撃重視のガンスレイブと、両者の性能を持つが扱いの難しいガンファミリア。
※ 名称や外見、扱い方は某スパボの黒い機動兵器のモノに似ていますが、細かい部分で差異があります。