月日は流れて、もうすぐ夏休みという七月のある日の授業。
「こらー! なのは、ルティシアの後ろに隠れるのやめなさいよ!」
「アリサちゃんこそ! すずかちゃんの後ろに移動してるの!」
なのはやルティシア達のクラスでは、ドッジボールが行われていた。
本来はプールを使用しての水泳の授業だったのだが、低学年用のそれが故障。
高学年用の方は大丈夫だったが、一年生では使用するわけにもいかない……ということで、急遽ドッジボールに変更されたのである。
プールを楽しみにしていた生徒達からは不満の声も上がったが、チーム分けが終わり試合が始まると、すぐに彼らもドッジボールに夢中になっていった。
四人組もなのはとルティシア、アリサとすずかという具合にチームが分かれている。
当てたり当てられたり、投げては受けるを繰り返しながら試合は進み、両チームともコートの中の人数は二人ずつにまで減じていた。
奇しくもそこに残っていたのは、四人の少女達だった。
運動は苦手というなのは(そのことにルティシアは首を傾げていたが)は、ひたすら妹の後ろに隠れ続け。
運動能力は悪くないものの、自分よりも遥かにすずかの方が上と判断したアリサ。すずかの後ろにさりげなく移動することで、ボールを彼女に集めていた。
「あたしのは作戦よ! それに、自分で取って当てたりもしてるわ!」
「ルティちゃんとわたしは一心同体だからいいの!」
「良くないわよ! 出て来て勝負しなさい!」
「嫌なの!」
このようなやりとりが試合の最中に何度も見られたが、結局ルティシアとすずかの投げ合いのまま、勝負は引き分けに終わった。
ただこの結果を受けて、普段自主的な行動が皆無なルティシアの意外な一面に、彼女の評価が上がることになる。
ちなみにクラスメイトからの彼女の普段の評価は、“姉のオプション”である。
勝てなかったこと――よりもなのはをアウトに出来なかったことを悔しがるアリサと、意外(?)にも負けず嫌いだったすずかに、姉妹はそのうち再戦することを決められてしまう。
「大体、ルティシアもなのはを甘やかせ過ぎなのよ! 矢面に立たせる位しないと!」
「ルティちゃんは優しいから、そんなことしないの!」
「でも、なのはちゃん。獅子は我が子を谷に蹴り落とし、とも言うよ?」
「そう! 優しさがあるからこそ、あえて涙を飲んで厳しくしないと!」
「大丈夫! ルティちゃんが困ってる時は絶対にわたしが助けるから! でも、今は助けてもらうの」
「さあ、ルティシア! 今が突き落とす時よ!」
「ルティちゃん、次は絶対に勝つの! せめて、アリサちゃんだけでも当てて!」
「あたしだけか!」
「なるほど、色々あるのですね」
授業を終えて教室に戻りながら、四人は賑やかなやりとりを続けていた。
騒いでいるのは主になのはとアリサで、時々すずかだが。
身ぶり手振りで話しながら詰め寄るアリサを、なのははルティシアを盾にしてかわしていた。
そんな横で騒ぎながら歩く二人を宥めながら、すずかはそっとルティシアを見つめる。
すずかから見たルティシアは、感情の起伏と自主性に乏しい女の子であった。
近くに居るなのはがほぼ彼女を引っ張っているため余計にそう見える。
“姉のオプション”というクラスの誰かの言葉に、思わず納得してしまうほど。
そんな彼女だが、姉のなのはを守る時だけは自分から動いているように見える。
四人が友達になるきっかけとなったあの時も、危険が無いかを見守っていたようにも思えた。
あくまでも“必要なケンカ”と思ったから見ていただけで、危険――ケガになりそうなら言わなくても止めるつもりであったのかもしれない。
――もっともルティシアにとっては、自分達の知る“ケンカ”との線引きが難しかっただけなのだが。
普段四人で下校する時にも、道路側はルティシアが歩き、なのはは内側へとさりげなく誘導している。自転車等がすれ違う時も、そっと自分の方になのはを寄せたり。
なのはやアリサにあれこれと言われて、溜め息を吐いていることもまた多いが……。
溜め息を吐きながら、でも結局はなのはちゃんのお願いを聞いているから“オプション”と言われてしまうのね、とすずかは思っている。
そんなルティシアの今日の体育の時の姿。正直に言えば、引き分けという結果はすずかにとって意外ではあった。
すずかには“秘密”があった。家族だけしか知らない、誰にも言えない秘密が。
優れた身体能力を持つ彼女は、試合も簡単に勝てると思っていた。
それなのに。
蓋を開けてみれば、引き分け。
姉を守りながら淡々とボールを取り、投げるのも助走で勢いをつけることなく、それでいて自分と似たような力で投げ返してくる。
むしろ、あのまま続けていれば負けていたのはすずかの方だったのしれない。
自分でさえ多少は疲れていたのに、目の前の女の子は微塵もそれを感じさせなかったからだ。
(あれ? でも、なのはちゃんと居る時は疲れを見せていたような?)
(なのはちゃん>ルティシア≧私?)
「どうかしましたか? すずか」
抑揚が余り無い声が、明後日の方向にそれかけていたすずかの意識を引き戻した。
その声に反応したアリサやなのはも、すずかの方をキョトンとした表情で見ていた。
気が付けば、いつの間にか教室に戻ってきていた。
「あ、何でもないよ」
着替えずにボーッとしていたすずかを不思議に思い、声をかけたらしいルティシア。
そうですか、と答えたルティシアは自分の作業を進める。
今のように自分から話しかけてくることは滅多にないが、話しかけると返事は返ってくる。
「あ。ルティシアちゃんこそ、何かお話はないかな?」
せっかく話しかけられたからと、すずかはルティシアに話を振ってみた。
「……そうですね。とりあえず、早くきがえた方がいいと思います」
そう言って、カーテンで完全に遮られている廊下の方を指差すルティシア。
すずかがそちらの方を見てみれば、女子が着替えている間は教室の外に閉め出されている男子の声。
早くしろよー! 女子遅いぞー! 等の声を聞いて、すずかは慌てて着替えを始めた。
「あんたは上から制服を着ただけでしょうが!」
「ルティちゃんもきちんと着替えるの!」
この日の授業も全て終わり、ホームルームが始まる。
ワイワイガヤガヤといつまでも賑やかなクラスを見渡して、黒板の前に立つ担任の女性教諭が口を開いた。
「では~、聞いて下さいね~?」
……ガヤガヤ
担任のやや間延びした声は、しかし子供達には届かない。
「もうすぐ~夏休みですが~」
……ワイワイ
「その前に~、一学期でお勉強したことの~」
ザワザワ……ゲラゲラ……
「……(じわ)」
女性担任の丸い眼鏡の下にある目の端に涙が浮かぶ。
しかし、こちらをジッと見てくれている数少ない生徒(ルティシア、なのは、すずか)のためにも負けられない!
先生はポケットから眼鏡ケースを取り出した。
そこから別のフォルムの眼鏡を取り出すと、今かけている物と入れ換える。
「勇気を出すのよ」
鋭角的なそれを身に付けた途端、見るものに彼女の目付きまで変わったような錯覚を与える。
バンッ!! と平手で黒板を叩く。
「聞け」
その一言で、クラスのざわめきが一瞬で静寂に包まれる。
「もうすぐ夏休みだ。しかしその前に、お前達がどれだけしっかり学んだかを近々テストする」
掛けている眼鏡のブリッジ部分を人差し指で持ち上げながら、先ほどまでとは雰囲気の違う先生が話す。
眼鏡のレンズが電灯の光を反射して、キラリと輝く。
「優秀なお前達のこと。さぞかし、素晴らしい点を取ってくれるものと期待している。以上解散、下校!」
イーッヒッヒッヒ……と笑いながら去る先生の背中を見つめながら、誰も何も喋らない。
と、去ったはずの先生がヒョイと顔を覗かせた。
その顔には、最初の丸眼鏡。
「それと~、悪い点をいっぱい取った子は宿題が増えたり、先生とお話する時間が増えちゃうかもしれません~」
頑張って~、と言いながら今度こそ彼女は去っていった。
そして、活気を取り戻すクラス内。
夏休み何かする? どっか遊びに行こうよなどと、子供達はテストの事など気にもしていない。
中には、あの先生とおしゃべり出来るなら、俺はテストを白紙で出す! と言っている子すらいた。
「テ、テスト……」
一人暗い雰囲気のなのはがいた。
「宿題が増えるのは困るの……」
「何言ってるのよ。普通にやれば良いだけじゃない。楽勝よ!」
「分からない所は教えてあげるから。ね? 一緒に頑張ろう、なのはちゃん」
「理科と算数だけにならないかな」
「ならんわ!」
なのはは国語等が苦手だった。
ルティシアはテストの事を気にしていない一人である。
「でも、ルティシア」
「……? 何でしょう? アリサ」
「あんた絵のテストが無くて良かったわね」
と、アリサがクラスの後ろの壁を指差す。
そこには、授業中に書いた絵が貼り出されていた。
そしてルティシアの場所にあるものは……シンプルな構図に三色だけの絵。
下半分が青。上半分がオレンジ。真ん中よりやや上側に赤い丸。
夕陽と付けられたタイトル。
「美術がテストになる前に、絵心身に付けなさい」
「……それは難問です」
ポフポフと肩を叩いてくるアリサに、ルティシアも嘆息を吐きながら答えるのだった。
「ただいまー!」
「ただいま」
「「お邪魔しまーす」」
四人は放課後、高町家にやって来ていた。
両親はまだ翠屋で、兄姉もまだ戻ってきていない。
なのはの部屋に集まった四人は、テーブルを広げて早速勉強を始める……のだが。
「うー……」
「ほら、それはここを…!」
「にゃー……」
「なのはちゃん、ここはね……」
「ジュース取ってきますね」
席を立つルティシアを引き止めようと、なのはが手を伸ばす。
「ルティちゃん、行かないでー!」
「ほら、なのはは手を止めない!」
しかし伸ばした手は、アリサによって引き戻される。
広げた問題集の上になのはの手を戻したアリサは、空欄部分をトントンと指で叩く。
「アリサちゃん、鬼なのー!」
「何ですって!?」
「あ、アリサちゃん、抑えて抑えて」
実に賑やかだった。
なのはの手は動いているし――効率がいいかは分からない――しっかり進んでいる。
良い友達が出来た。
それと反比例するかのように、ルティシア個人の時間はますます無くなっていく気もするが。
ルティシアは、この光景を護りたかった。
だからこそ、時間は有効に使わなくてはいけない。
いつも通り見張りにガンビットを一基残すと、拠点に転移する。
まっすぐ鍛練室へ。
「……モード
今日は聖衣を用いない通常訓練。
白い部屋の中いっぱいに、幻影の赤い風船が無数に浮かぶ。
「ガンビット」
さらに、残るガンビットを三基とも用意する。
自分を攻撃するユニット役として用意した三基の黒くて丸い物体は、飛行機に似た形の小さな翼を二枚ずつ展開。
縦横無尽に立方体の部屋を飛び回り始める。
「……スタート」
高速で自分に向かってくるガンビットを避けながら、ルティシアはバルーンを攻撃していく。
少女の手や足がきちんと触れたバルーンは、撃破とみなされその場から消滅。
時間をおいて再配置される。
いつもと違うのは、今日は制服を着たままの鍛練だということ。
状況によってはこの格好でも戦うことがあるかもしれない、という仮定である。
白い制服のスカートから伸びた、体操着の下に着た黒いタイツ――アンダーウェアに覆われた右足が大きく後ろに振り上げられ、背後のバルーンを蹴り抜く。
その反動を利用して、真横から頭部を目指して迫るガンビットを首を傾けることで回避。
飛び去った風圧で、ポニーテールが大きくなびいた。
しゃがんだ姿勢から、前方へダッシュ。
正面から迫るガンビットを左半身を捻って避けると、その弾みも利用して真っ直ぐ左拳を突き出す。
その勢いで制服の袖口が捲れると、そこは下半身同様に黒いアンダーウェアに包まれている。
勢いよく突き出された拳は、まとまって配置されていたバルーンを複数個まとめて消しさった。
軌道修正しながら飛来してくるガンビットを、しゃがみ、身体を捻り、跳躍し、立ち位置をずらしながら避けていく。
床を蹴って空中へ。
天井や壁も利用しながら、空中に配置されたバルーンを消していく。
近くのバルーンが無くなれば、すぐに次のバルーンへと向かっていく――。
予定の一時間が経過したところで、配置されていたバルーンは全て消え去り、飛び回っていたガンビットもその動きを停止する。
翼を収納して主の所へ戻ってきたガンビットを、亜空庫の中に戻す。
今日の鍛練を終えたので戻ろうとしたルティシアだが、そのまま部屋を出ると一階へ。
「今日はほとんど汗をかいていませんが、次にいつ来れるか分かりませんし替えておきましょう」
一階は居住スペースとなっており、入口から入ってすぐの所にはテーブルセットが置かれたリビング。
リビングを挟んだ向こう側には調理場があり、右奥……今下りてきた階段の下に位置する部屋はベッドルームとなっていた。
ルティシアが入ってきたのはそのベッドルーム。
「リストバンド、交換」
『了解』
拠点を管理するメインシステムから音声による返事が返ってくると、壁の一角が上にスライドしていく。
現れたのはセイティーグの自室にあったのと同タイプのタンス。
ただ、中身は本国のそれよりもさらに少ないが。
アンダーウェアを左手首のリストバンドに戻すと、外して新しい物と交換する。
戦闘用に特殊な素材を用いて作成されたそれは、日常生活でもバレないように作られている。
触り心地はこの世界の綿百パーセントの衣服と変わらないが、耐久性は極めて高い。
セイティーグの技術で作られたそれは、この薄さでも並の攻撃――大型の銃器程度ならば全く受け付けない。
それよりももっと威力の高い、殺傷力のある〈魔法〉を扱う存在と戦うために開発された物。
寒暖にも強く、見た目もリストバンドに変えられるため、場所や季節を問わず使用出来る。
ではあるが、ずっと着たままでも大丈夫……という訳ではない。
予備もいくつかあるし、何よりも洗濯は大事である。
処置を指示して戻ってきたルティシア。
冷蔵庫からフルーツジュースのパックを取り出し、四人分のコップと一緒にお盆に載せて部屋へと戻る。
さっきまで(ルティシアにとっては一時間以上前だが)賑やかだった部屋の中は、今は不思議なほどに静かだった。
見れば、なのはの前の教材は閉じられている。
あれからすぐに終わったのでしょうか? と首を捻りつつ、テーブルの空いている所にお盆を置く。
「……おつかれさ「何してたのー!」……ま?」
置くやいなや、なのはがルティシアに飛びかかる。
「いやー、凄かったわ」
とアリサ。
その言葉には、驚きと呆れの色が見える。
「ルティシアちゃんが部屋を出てすぐにね、いきなりなのはちゃんのスピードが上がって」
「そうそう。ルティちゃんが何かしてる気がするの、って。あんた、何かしてたの?」
すずかとアリサは不思議そうに姉妹を見ていた。
「……もう、何が何だか分かりません」
なのはに揺さぶられるまま、気付かれるはずはないのにという思いを込めて、少女は嘆息する。
ルティシアのその様子を見て、将来も何か苦労しそうな子と、認識を改めたすずかだった。
next
始まった夏休み。
その中で行われた小旅行。
そして、そこで遭遇したモノ。
ルティシア「……守ります」